ファッション (英 えい : fashion 、英語 えいご 発音 はつおん : [ˈfæʃən] ファ シャン。仏 ふつ : mode 、フランス語 ふらんすご 発音 はつおん : [mɔd] モッド )とは、ある時点 じてん において広 ひろ く行 おこな われているスタイルや風習 ふうしゅう のことである。
特 とく に、人々 ひとびと の間 あいだ で流行 りゅうこう している服装 ふくそう を指 さ すが、装 よそお いに関係 かんけい する装身具 そうしんぐ 、美容 びよう (理容 りよう 、髪型 かみがた 、化粧 けしょう )、香水 こうすい などもファッションの範疇 はんちゅう である。さらに広義 こうぎ には音楽 おんがく などの文化 ぶんか やライフスタイル までも包括 ほうかつ しうる。
「ファッショナブル」や「おしゃれ 」といった表現 ひょうげん は、ある人 ひと や物 ぶつ が最新 さいしん の、もしくは最新 さいしん ではなくとも評判 ひょうばん の良 よ い様式 ようしき に沿 そ っているか否 ひ かを指 さ し示 しめ すのに用 もち いられる。
一般 いっぱん に人 ひと は地理 ちり 条件 じょうけん 、性別 せいべつ 、年齢 ねんれい 、社会 しゃかい 階層 かいそう 、職業 しょくぎょう 、思想 しそう や嗜好 しこう 等 ひとし を反映 はんえい した服装 ふくそう を着用 ちゃくよう するが、それと同時 どうじ に文化 ぶんか 的 てき に影響 えいきょう 力 りょく のあるステータス を持 も つ人々 ひとびと が何 なに か新 あたら しい、もしくはそれまでと違 ちが った衣服 いふく を着用 ちゃくよう し、他 た の人々 ひとびと がそれに追随 ついずい しはじめた時 とき 、ファッションの流行 りゅうこう は始 はじ まる。服飾 ふくしょく の流行 りゅうこう は全 ぜん 世界 せかい 的 てき に見 み られるが、法律 ほうりつ や宗教 しゅうきょう 、道徳 どうとく 等 ひとし による服装 ふくそう 規範 きはん が相対 そうたい 的 てき に緩 ゆる く、服装 ふくそう の選択肢 せんたくし も広 ひろ い現代 げんだい の西洋 せいよう 的 てき な市民 しみん 社会 しゃかい においては、その変動 へんどう は特 とく に激 はげ しく、またそれらの流行 りゅうこう を利用 りよう した衣料 いりょう 品 ひん 産業 さんぎょう が巨大 きょだい 産業 さんぎょう を形成 けいせい している。最新 さいしん のファッションに盲目的 もうもくてき に追随 ついずい する人 ひと は「ファッショニスタ 」(fashionista)とか、ファッション中毒 ちゅうどく 等 とう と呼 よ ばれる。また、ロラン・バルト によれば、さまざまなファッションを着 き て見 み せびらかすという営為 えいい の体系 たいけい は、さまざまなファッション文 ぶん をファッションの文法 ぶんぽう を用 もち いて組 く み合 あ わせるファッション言語 げんご とも見做 みな せる[1] 。
流行 りゅうこう したファッションは、隆盛 りゅうせい から衰退 すいたい に至 いた る一連 いちれん のサイクルの中 なか で消滅 しょうめつ することが常 つね であり[2] 、また生産 せいさん 者 しゃ や企業 きぎょう も頻繁 ひんぱん なモデルチェンジ を行 おこな って新 あたら しい流行 りゅうこう を仕掛 しか け、買 か い替 か え需要 じゅよう を促 うなが すが[3] 、中 なか には、以後 いご も完全 かんぜん に一 ひと つのスタイルとして定着 ていちゃく するものもある[4] 。一方 いっぽう で、衣服 いふく は着用 ちゃくよう 者 しゃ の美意識 びいしき をそのままあらわすものであり、個性 こせい を示 しめ す手段 しゅだん ともなっている[5] 。着用 ちゃくよう する衣服 いふく は他者 たしゃ からの第 だい 一 いち 印象 いんしょう を決定 けってい づけるものであり[6] 、これを利用 りよう して他者 たしゃ に自 みずか らの望 のぞ むイメージを印象 いんしょう づけることも行 おこな われる[7] 。この「流行 りゅうこう への追随 ついずい 」と「個性 こせい の強調 きょうちょう 」は本質 ほんしつ 的 てき に対立 たいりつ するが、どちらもファッションの根幹 こんかん をなす重要 じゅうよう な概念 がいねん である[8] 。
マリー・アントワネット はファッションリーダーであった
盛装 せいそう したニュルンベルク の「ブルジョワ」女性 じょせい (左 ひだり )とヴェネツィア 女性 じょせい とを対比 たいひ させたアルブレヒト・デューラー のドローイング。チョピン (英語 えいご 版 ばん ) (底 そこ の厚 あつ い靴 くつ )がヴェネツィア女性 じょせい の背 せ を高 たか く見 み せている。
ジェームズ・ギルレイ 「ファッションを追 お う」(1794)――当時 とうじ 流行 りゅうこう だった短 みじか いボディス を着 き た富裕 ふゆう 層 そう の女性 じょせい とそれを真似 まね た下町 したまち の女性 じょせい を風刺 ふうし している
西洋 せいよう の衣服 いふく (洋服 ようふく )の歴史 れきし については、洋服 ようふく の歴史 れきし を参照 さんしょう
頻繁 ひんぱん に変化 へんか するファッションという西洋 せいよう の現象 げんしょう は概 がい して古代 こだい には見 み られなかったし、他 た の大 だい 文明 ぶんめい でも数 すう 十 じゅう 年 ねん 前 まえ まではあまり類 るい を見 み ないものであった。ペルシア ・トルコ ・日本 にっぽん ・中国 ちゅうごく などへ旅 たび した初期 しょき の西洋 せいよう 人 じん 旅行 りょこう 家 か たちは現地 げんち のファッションの変化 へんか のなさをしばしば報告 ほうこく したし、逆 ぎゃく にそれらの他 た 文化 ぶんか 圏 けん から西洋 せいよう に来 き た観察 かんさつ 者 しゃ は西洋 せいよう ファッションの目 め 紛 まぎら しいペースでの変化 へんか を西洋 せいよう 文化 ぶんか の不安定 ふあんてい さと無秩序 むちつじょ さの現 あらわ れではないかと報告 ほうこく していた。日本 にっぽん の征夷大将軍 せいいたいしょうぐん の老中 ろうじゅう [訳語 やくご 疑問 ぎもん 点 てん ] は1609年 ねん にスペイン人 じん の来訪 らいほう 者 しゃ に、日本 にっぽん の衣服 いふく は1000年 ねん 以上 いじょう もの間 あいだ 変化 へんか していないと語 かた った[9] 。しかしながら、例 たと えば中国 ちゅうごく の明 あきら では漢 かん 服 ふく に頻繁 ひんぱん に変化 へんか するファッションが存在 そんざい したとする注目 ちゅうもく に値 あたい する証拠 しょうこ がある[10] 。
古代 こだい ローマ や中世 ちゅうせい イスラム帝国 ていこく などでのように、経済 けいざい ・社会 しゃかい 的 てき な変革 へんかく に伴 ともな って装 よそお いに変化 へんか が起 お こることはしばしばあるが、その後 ご は長 なが きに亘 わた って大 おお きな変化 へんか は起 お きなかった。例 たと えば、ムーア人 じん 時代 じだい のスペイン では8世紀 せいき に、高名 こうみょう な音楽家 おんがくか Ziryab [訳語 やくご 疑問 ぎもん 点 てん ] が出身 しゅっしん 地 ち であるバグダード の風習 ふうしゅう と自身 じしん の創意 そうい により、季 き 節 ぶし と時間 じかん 帯 たい に応 おう じた洗練 せんれん された衣服 いふく スタイルをコルドバ に導入 どうにゅう した[11] [12] 。同様 どうよう のファッションの変化 へんか は11世紀 せいき の中東 ちゅうとう でも、進出 しんしゅつ してきたテュルク によって中央 ちゅうおう アジア と極東 きょくとう の衣服 いふく スタイルが導入 どうにゅう されて起 お こった[13] 。
ヨーロッパでスタイルが連続 れんぞく 的 てき ・加速度 かそくど 的 てき に変化 へんか してゆく慣習 かんしゅう が始 はじ まったのは14世紀 せいき 中頃 なかごろ であるとかなりはっきりしており、ジェームズ・レーヴァー (英語 えいご 版 ばん ) やフェルナン・ブローデル などの歴史 れきし 家 か がこの時期 じき を西洋 せいよう の服飾 ふくしょく ファッションの始 はじ まりとしている[14] [15] 。これを示 しめ す最 もっと も劇的 げきてき な変化 へんか は男性 だんせい の上着 うわぎ が突然 とつぜん に大幅 おおはば に短 みじか くタイトになったことで、ふくらはぎ まであったものが辛 かろ うじて尻 しり を覆 おお うだけのものとなり、また同時 どうじ に胸 むね を大 おお きく見 み せる詰 つ め物 もの もすることがあった。これによって西洋 せいよう 男性 だんせい が仕立 した てた上着 うわぎ をレギンスまたはズボンの上 うえ に着 き るという概 がい 形 がた が生 う み出 だ された。
15世紀 せいき にはファッションの変化 へんか するペースは大 おお きく加速 かそく し、男性 だんせい ・女性 じょせい のファッション、特 とく に衣服 いふく と髪型 かみがた は、どちらも等 ひと しく複雑 ふくざつ かつ移 うつ り変 か わるものとなった。このおかげで、美術 びじゅつ 史 し 家 いえ は図像 ずぞう の年代 ねんだい を高 たか い信頼 しんらい 度 ど と精度 せいど で特定 とくてい できるようになり、15世紀 せいき の図像 ずぞう の場合 ばあい では5年 ねん 単位 たんい での特定 とくてい もしばしば可能 かのう となった。ファッションの変化 へんか はまずヨーロッパの上流 じょうりゅう 階級 かいきゅう 全体 ぜんたい が非常 ひじょう に似通 にかよ った衣服 いふく のスタイルをしていたのを細分 さいぶん 化 か させ、各国 かっこく は独自 どくじ のスタイルを発展 はってん させるようになり、17-18世紀 せいき にはそれに逆行 ぎゃっこう して再 ふたた び類似 るいじ したスタイルを強 し いる動 うご きが現 あらわ れ、最終 さいしゅう 的 てき にはフランス のアンシャンレジーム のファッションが支配 しはい 的 てき となった[16] 。通常 つうじょう は富裕 ふゆう 層 そう がファッションを先導 せんどう したが、近世 きんせい ヨーロッパの富 とみ の増大 ぞうだい によりブルジョワジー や農民 のうみん までさえも流行 りゅうこう を追 お うようになり、時 とき としてはエリート階級 かいきゅう が不快 ふかい に感 かん じる水準 すいじゅん にまで至 いた った――ブローデルはこれがファッションを変化 へんか させる主要 しゅよう な動機 どうき の1つと考 かんが えていた[17] 。
16世紀 せいき のドイツ もしくはイタリア の紳士 しんし の肖像 しょうぞう 画 が が10枚 まい あれば10個 こ の全 まった く違 ちが った帽子 ぼうし が描 えが かれているであろう。この時期 じき は国 こく ごとの違 ちが いが最 もっと も顕著 けんちょ であり、これはアルブレヒト・デューラー が15世紀 せいき 末 まつ にニュルンベルク とヴェネツィア のファッションを(実録 じつろく または合成 ごうせい で)対比 たいひ させた記録 きろく にも現 あらわ れている(右 みぎ 図 ず )。16世紀 せいき 末 まつ の「スパニッシュ・スタイル」はヨーロッパの上流 じょうりゅう 階級 かいきゅう でのファッションの共 とも 時 じ 性 せい への回帰 かいき の始 はじ まりとなり、17世紀 せいき 中葉 ちゅうよう の葛藤 かっとう の後 のち 、フランスのスタイルが決定的 けっていてき に指導 しどう 的 てき 位置 いち を占 し め、18世紀 せいき にはこの過程 かてい は完結 かんけつ した[18] 。
布地 ぬのじ の色 いろ と模様 もよう は年 とし を追 お って変化 へんか したが[19] 、紳士 しんし の外套 がいとう の断 た ち方 かた やベストの丈 たけ 、淑女 しゅくじょ のドレスを裁断 さいだん する時 とき の型 かた などの変化 へんか はよりゆっくりとしていた。男性 だんせい のファッションは主 おも に軍装 ぐんそう から派生 はせい しており、西洋 せいよう 男性 だんせい のシルエットの変化 へんか はヨーロッパ内 ない の戦域 せんいき で紳士 しんし 将校 しょうこう たちが異国 いこく のスタイルを目 め にすることによって刺激 しげき を受 う けていた。「スティーンカーク」(Steinkirk)のクラヴァット (英語 えいご 版 ばん ) もしくはネクタイ がその一 いち 例 れい である。
1780年代 ねんだい には最新 さいしん のパリのスタイルを伝 つた えるフランスの版画 はんが 出版 しゅっぱん の増加 ぞうか によりファッションの変化 へんか が加速 かそく した[20] 。ただし、17世紀 せいき には既 すで に見本 みほん として着飾 きかざ った人形 にんぎょう がフランスから流通 りゅうつう していたし[20] 、1620年代 ねんだい 以降 いこう はアブラハム・ボス (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) がファッション版画 はんが を制作 せいさく していた。1800年 ねん までには、全 すべ ての西 にし ヨーロッパ人 ひと たちは同 おな じような装 よそお いをするようになっていた(か、少 すく なくともしているつもりであった)。地域 ちいき 的 てき なバリエーションはまずは地方 ちほう 文化 ぶんか の形跡 けいせき 、後 のち には古風 こふう な田舎 いなか 者 しゃ の烙印 らくいん と見 み 做されるようになった[21] 。19世紀 せいき 前半 ぜんはん にはジョージ・ブライアン・ブランメル らによってダンディズム が確立 かくりつ し、以後 いご の紳士 しんし 服 ふく の祖 そ 型 がた が形作 かたちづく られた[22] 。一方 いっぽう 、紳士 しんし 服 ふく においては既製 きせい 服 ふく が富裕 ふゆう 層 そう を除 のぞ いて広 ひろ まりはじめた。1840年代 ねんだい にはイギリスにおいて紳士 しんし 用 よう の既製 きせい 服 ふく 市場 いちば が急 きゅう 拡大 かくだい し、アメリカもそれに続 つづ いた[23] 。
仕立屋 したてや や裁縫 さいほう 師 し たちが多 おお くの革新 かくしん に関与 かんよ してきたことは間違 まちが いないし、織物 おりもの 産業 さんぎょう も確 たし かに数 すう 多 おお くの流行 りゅうこう を先導 せんどう したが、ファッションデザインの歴史 れきし が始 はじ まったとされるのは1858年 ねん 、イギリス出身 しゅっしん のシャルル・フレデリック・ウォルト が最初 さいしょ のオートクチュール 店 みせ をパリに開 ひら いた日 ひ である[24] 。ウォルトはデザイナーによる季 き 節 ぶし ごとの新 しん デザイン提案 ていあん 、ファッションモデルの起用 きよう とファッションショーの開催 かいさい を行 おこな い、現代 げんだい のファッションシステムの構築 こうちく とプロのデザイナーの主導 しゅどう 的 てき 地位 ちい をもたらした[24] 。1868年 ねん にはパリにおいてオートクチュール協会 きょうかい が設立 せつりつ された[25] 。
19世紀 せいき 後半 こうはん から20世紀 せいき 前半 ぜんはん にかけては、紳士 しんし 服 ふく の変化 へんか が停滞 ていたい したのに対 たい し、婦人 ふじん 服 ふく は大 おお きく変動 へんどう した。19世紀 せいき までの婦人 ふじん ファッションはコルセット などで体 からだ を細 ほそ く締 し め上 あ げるものが主流 しゅりゅう であったが、1906年 ねん にポール・ポワレ がコルセット不要 ふよう のドレスを発表 はっぴょう したことで流 なが れは大 おお きく変 か わった[26] 。ポワレはまた、新 しん 素材 そざい の開発 かいはつ や、衣服 いふく 以外 いがい にも香水 こうすい や服飾 ふくしょく 雑貨 ざっか などの分野 ぶんや に進出 しんしゅつ し、積極 せっきょく 的 てき なプロモーション活動 かつどう を行 おこな うことで市場 いちば を大 おお きく広 ひろ げた[27] 。第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 下 した の総 そう 力戦 りきせん 体制 たいせい によって婦人 ふじん の社会 しゃかい 参加 さんか が進 すす んだことで、大戦 たいせん 後 ご にはココ・シャネル らの活動 かつどう 的 てき ・機能 きのう 的 てき なファッションが支持 しじ を得 え て、コルセットは完全 かんぜん に消滅 しょうめつ した[28] 。1940年 ねん にナチス・ドイツによるフランス占領 せんりょう が起 お きるとファッションの中心 ちゅうしん 地 ち であったパリは大 だい 打撃 だげき を受 う け、多 おお くのオートクチュール店 てん は閉店 へいてん し、幾 いく 人 にん かのデザイナーは国外 こくがい へ移住 いじゅう したものの、オートクチュール組合 くみあい は維持 いじ されており[29] 、戦後 せんご は再 ふたた び復活 ふっかつ し隆盛 りゅうせい を迎 むか えた[30] [31] 。
ウォルト以来 いらい ファッションの中核 ちゅうかく は長 なが らくオートクチュールが担 にな ってきたが、1960年代 ねんだい に入 はい ると高級 こうきゅう 既製 きせい 服 ふく であるプレタポルテ が登場 とうじょう し、1975年 ねん にパリ・プレタポルテコレクションがはじまるなど[32] 、オートクチュールに代 か わってファッションの中核 ちゅうかく となった[33] 。また1950年代 ねんだい から1960年代 ねんだい にかけて、ジーンズ やミニスカート に代表 だいひょう されるストリートファッション が登場 とうじょう し、急速 きゅうそく に台頭 たいとう して一 ひと つの大 おお きな潮流 ちょうりゅう となった[34] 。ファッション産業 さんぎょう の中心 ちゅうしん 地 ち は18世紀 せいき 以降 いこう 長 なが きにわたってパリであったが[35] [36] 、1970年代 ねんだい 以降 いこう はオートクチュールが衰退 すいたい するとともに、ミラノやニューヨークなどでメゾンの設立 せつりつ が相次 あいつ ぎ、1976年 ねん にミラノ・コレクションがはじまる[37] など各地 かくち のコレクションが力 ちから を持 も つようになり、ミラノ[38] やニューヨークも中心 ちゅうしん 地 ち のひとつとなった[35] 。こうして1970年代 ねんだい 後半 こうはん には現在 げんざい の4大 だい コレクションが成立 せいりつ した[39] 。
2008年 ねん 、ロサンゼルス ファッションウィークのランウェイショー
20世紀 せいき 後半 こうはん に入 はい り、一般 いっぱん 大衆 たいしゅう の経済 けいざい 力 りょく が向上 こうじょう するに伴 ともな い、ファッションは上流 じょうりゅう 階級 かいきゅう が独占 どくせん する小 ちい さな市場 いちば から大衆 たいしゅう の参加 さんか する巨大 きょだい 市場 いちば へと変貌 へんぼう した。これによって、既製 きせい 服 ふく を生産 せいさん するアパレル産業 さんぎょう がファッション産業 さんぎょう への参入 さんにゅう を行 おこな い、また価値 かち 観 かん の多様 たよう 化 か が起 お きてさまざまなファッションが併存 へいそん するようになった[40] 。現代 げんだい では、ファッションは大 おお きな産業 さんぎょう となっている。大小 だいしょう さまざまなブランド が次々 つぎつぎ に新 あたら しい様式 ようしき の服飾 ふくしょく を提案 ていあん し、たえず流行 りゅうこう を創出 そうしゅつ することで消費 しょうひ 者 しゃ の購買 こうばい 意欲 いよく を促進 そくしん している[3] 。ファッションモデル による華 はな やかなファッションショー も行 おこな われ、成功 せいこう したファッションデザイナー やモデルは名声 めいせい と富 とみ を獲得 かくとく し、関連 かんれん 製品 せいひん の販売 はんばい 促進 そくしん のためファッション写真 しゃしん 、ファッション雑誌 ざっし も盛 さか んである。
ファッション・ジャーナリズムのみならず、一般 いっぱん のマスメディア がファッションにもたらす影響 えいきょう も大 おお きなものである。広告 こうこく やCM もさることながら、ある対象 たいしょう に対 たい する人気 にんき そのものが流行 りゅうこう を生 う み出 だ し、広告 こうこく などとの連携 れんけい でその影響 えいきょう はさらに強 つよ まった[41] 。すでに1920年代 ねんだい から映画 えいが はファッションの流行 りゅうこう にある程度 ていど の影響 えいきょう を与 あた えていたが[42] 、1950年代 ねんだい に入 はい ると影響 えいきょう は非常 ひじょう に大 おお きなものになった[43] 。
特 とく にファッションの都 と と呼 よ ばれる世界 せかい 的 てき なファッションの中心 ちゅうしん 地 ち ではファッションウィーク が開催 かいさい され、デザイナーたちは観衆 かんしゅう に新作 しんさく の衣装 いしょう コレクションを発表 はっぴょう する。ロンドン ・パリ ・ミラノ ・ニューヨーク は多 おお くの大 だい ファッション企業 きぎょう やブランド の本拠地 ほんきょち となっており、世界 せかい のファッションに多大 ただい な影響 えいきょう 力 りょく を持 も っている。パリを中心 ちゅうしん としたファッションの世界 せかい では、「サンディカ 」と呼 よ ばれるパリの高級 こうきゅう 服 ふく 専 せん 門 もん の組合 くみあい に所属 しょぞく している店 みせ の作 つく る、特注 とくちゅう のオートクチュール や、有名 ゆうめい デザイナーがデザインする既製 きせい 服 ふく であるプレタポルテ のファッションショーが行 おこな われる。パリで1月 がつ と7月 がつ に開催 かいさい されている[44] 「オートクチュール・コレクション」は、サンディカに所属 しょぞく するメンバーと、その他 た の少数 しょうすう のメゾン にしか発表 はっぴょう が許 ゆる されていないファッションショーである。オートクチュールおよびそのコレクションは長 なが い歴史 れきし を持 も ち現在 げんざい でも顧客 こきゃく を持 も つものの、顧客 こきゃく 数 すう は非常 ひじょう に少 すく なくなっており主力 しゅりょく は他 た 部門 ぶもん へと移 うつ っている[45] [46] 。またプレタポルテは、日本語 にほんご で「コレクション 」と呼 よ ばれる[注 ちゅう 1] ファッションショーがあり、それぞれ年 ねん 2回 かい 、2月 がつ から3月 がつ および9月 がつ から10月 がつ までの間 あいだ に、ニューヨーク・コレクション 、ロンドン・コレクション 、ミラノ・コレクション 、パリ・コレクション の順 じゅん で開催 かいさい されている[47] 。また、1985年 ねん にはじまった東京 とうきょう コレクション のように[48] [49] 、4大 だい コレクション以外 いがい のコレクションも世界 せかい 各地 かくち で開催 かいさい されている。こうしたハイファッションのほか、スポーツウェアやジーンズ などのカジュアルウェアもファッションの大 おお きな部分 ぶぶん を占 し めている[50] 。
90年代 ねんだい 初頭 しょとう 、アート色 しょく の強 つよ い日常 にちじょう 離 ばな れした服 ふく に対 たい して、一般 いっぱん 的 てき に普段着 ふだんぎ として着 き られるような服 ふく 、リアルクローズ をデザインする動 うご きが高 たか まった。これは、それまでデザイナーが作 つく ってきた流行 りゅうこう ではなく、人間 にんげん が着 き ているだろう服 ふく を想定 そうてい し、より消費 しょうひ 者 しゃ に近 ちか いファッションの発信 はっしん をしようとするものである。この動 うご きは、2000年 ねん ごろからはファストファッション とも結 むす びつき、「H&M 」や「ZARA 」などの世界 せかい 的 てき な衣料 いりょう 品 ひん チェーン企業 きぎょう が勃興 ぼっこう している[51] 。一方 いっぽう 、高級 こうきゅう ブランドにおいては1980年代 ねんだい 以降 いこう 積極 せっきょく 的 てき な買収 ばいしゅう によって巨大 きょだい 企業 きぎょう 化 か が進 すす み、フランスのLVMH 、スイスのリシュモン 、フランスのケリング の3社 しゃ が突出 とっしゅつ した大 だい 企業 きぎょう となっているものの、独立 どくりつ 系 けい のブランドも多 おお く残存 ざんそん している。またこうしたブランド巨大 きょだい 企業 きぎょう は、衣服 いふく だけでなく宝飾 ほうしょく や時計 とけい など高級 こうきゅう 品 ひん 全般 ぜんぱん にまたがるコングロマリット を形成 けいせい している[52] 。
日本 にっぽん においては、1927年 ねん 9月21日 にち に、当時 とうじ の銀座 ぎんざ 三越 みつこし において日本 にっぽん 国内 こくない 初 はつ のファッションショー が開催 かいさい された。これは着物 きもの のショーであり、一般 いっぱん からデザイン を募 つの ったファッションショーでもあった[53] 。
1953年 ねん には、当時 とうじ ヨーロッパ で隆盛 りゅうせい を極 きわ めたファッションデザイナーのクリスチャン・ディオール が来日 らいにち し、海外 かいがい ファッションの導入 どうにゅう が始 はじ まった[54] 。当時 とうじ の洋服 ようふく は基本 きほん 的 てき に注文 ちゅうもん 品 ひん で、オーダー服 ふく を基軸 きじく にしたオートクチュールだったが、日本 にっぽん 国内 こくない では繊維 せんい 不 ふ 況 きょう のあおりを受 う け、そのような最新 さいしん ファッションは大衆 たいしゅう の手 て に入 はい りにくいものとなっていた。1958年 ねん には、同 おな じくピエール・カルダン が来日 らいにち 。量産 りょうさん のプレタポルテの時代 じだい の到来 とうらい を告 つ げる。当時 とうじ 、オーダー服 ふく と量産 りょうさん 既製 きせい 服 ふく の占 し める割合 わりあい は7対 たい 3程度 ていど にまでなりつつあった。この後 のち 、1960年代 ねんだい 以降 いこう から衣料 いりょう の大量 たいりょう 消費 しょうひ の時代 じだい が始 はじ まることになる。1975年 ねん 頃 ころ よりニュートラ が全国 ぜんこく 的 てき に流行 りゅうこう [55] 。これにより海外 かいがい 高級 こうきゅう ブランド ユーザーの大衆 たいしゅう 化 か (若 わか 年齢 ねんれい 化 か )[55] やセレクトショップ のブーム[56] 、ファッション誌 し のモデル 大量 たいりょう 起用 きよう など、時代 じだい の転換 てんかん 点 てん となった。2000年代 ねんだい に入 はい ると高級 こうきゅう ブランドが退潮 たいちょう の傾向 けいこう を示 しめ す一方 いっぽう [57] 、海外 かいがい のファストファッション企業 きぎょう が相次 あいつ いで進出 しんしゅつ し低 てい 価格 かかく 化 か が進 すす んだ[58] 。
『ガゼット・デュ・ボン・トン』のファッション画 が (1913)
2006年 ねん のファッション写真 しゃしん
ファッション・ジャーナリズム (英語 えいご 版 ばん ) はファッションの重要 じゅうよう な一部分 いちぶぶん である。編集 へんしゅう 者 しゃ による批評 ひひょう や解説 かいせつ が雑誌 ざっし 、新聞 しんぶん 、テレビ、ファッションサイト、SNS、ファッションブログ などで行 おこな われている。また、ブログなどを通 つう じて世間 せけん に影響 えいきょう 力 りょく を及 およ ぼすブロガーを、インフルエンサー と呼 よ ぶ。
20世紀 せいき 初頭 しょとう から、ファッション雑誌 ざっし は写真 しゃしん やイラストレーション を盛 も り込 こ みはじめ以前 いぜん よりも一層 いっそう 強 つよ い影響 えいきょう 力 りょく を持 も つようになった。世界中 せかいじゅう の都市 とし でこれらの雑誌 ざっし は大人気 だいにんき となり、一般人 いっぱんじん の嗜好 しこう に深 ふか い影響 えいきょう を及 およ ぼした。最新 さいしん のファッションと美容 びよう の変化 へんか を伝 つた える出版 しゅっぱん 物 ぶつ のために才能 さいのう あるイラストレーター たちが洗練 せんれん されたファッション画 が を描 えが いた。こうした雑誌 ざっし のうちで最 もっと も有名 ゆうめい なのはおそらく、リュシアン・ヴォージェル (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) が1912年 ねん に創刊 そうかん し、戦時 せんじ 中 ちゅう を除 のぞ き1925年 ねん まで定期 ていき 的 てき に刊行 かんこう された『ガゼット・デュ・ボン・トン (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) 』(『上品 じょうひん な雑誌 ざっし 』)であろう[59] 。
1892年 ねん にアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく で創刊 そうかん された『ヴォーグ 』は現 あらわ れては消 き えていった無数 むすう のファッション雑誌 ざっし の中 なか で最 もっと も長続 ながつづ きし最 もっと も成功 せいこう したもののひとつである[60] 。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 終結 しゅうけつ 後 ご の経済 けいざい 的 てき 繁栄 はんえい と、そして何 なに より、1960年代 ねんだい の安価 あんか なカラー印刷 いんさつ の出現 しゅつげん によってヴォーグ誌 し は爆発 ばくはつ 的 てき に部数 ぶすう を伸 の ばし[61] 、また主流 しゅりゅう の女性 じょせい 雑誌 ざっし でもファッションを大 おお きく取 と り上 あ げるようになった。1990年代 ねんだい には男性 だんせい 雑誌 ざっし もこれに続 つづ いた。オートクチュールのデザイナーはプレタポルテ と香水 こうすい を扱 あつか いはじめることでこの流 なが れに乗 の り、これらは雑誌 ざっし で大々的 だいだいてき に宣伝 せんでん され、現在 げんざい では本来 ほんらい の服飾 ふくしょく ビジネスを矮小 わいしょう 化 か する結果 けっか となっている。
テレビでは1950年代 ねんだい にファッションの小 しょう 特集 とくしゅう が組 く まれるようになった。1960-70年代 ねんだい にはさまざまな娯楽 ごらく 番組 ばんぐみ でファッションのコーナーがより頻繁 ひんぱん に流 なが されるようになり、1980年代 ねんだい にはファッションテレビジョン (英語 えいご 版 ばん ) 、ファッション通信 つうしん のようなファッション専 せん 門 もん の番組 ばんぐみ も出現 しゅつげん した。テレビや、近年 きんねん のファッションブログなどのインターネットによる露出 ろしゅつ の増大 ぞうだい をよそに、ファッション産業 さんぎょう の視点 してん からは出版 しゅっぱん 物 ぶつ による露出 ろしゅつ は最 もっと も重要 じゅうよう な広告 こうこく 形態 けいたい であり続 つづ けている。
ファッション編集 へんしゅう 者 しゃ のシャロン・マクレランはこう語 かた っている――「ファッション界 かい には、テレビ・雑誌 ざっし ・ブログが消費 しょうひ 者 しゃ に何 なに を着 き るべきかを命令 めいれい しているのだという誤解 ごかい があります。しかし、ほとんどのトレンド はターゲット層 そう を調査 ちょうさ してからリリースされています。従 したが って、あなたがメディアで目 め にするものは、人々 ひとびと の間 あいだ で人気 にんき のあるアイデアを調査 ちょうさ した結果 けっか なのです。本質 ほんしつ 的 てき に、ファッションというのは人々 ひとびと がアイデアをキャッチボールする営 いとな みなのです、他 た のアート形式 けいしき もみなそうであるように。」[62]
ファッション産業 さんぎょう では、映画 えいが 産業 さんぎょう や音楽 おんがく 産業 さんぎょう でのようには知的 ちてき 財産 ざいさん 権 けん は施行 しこう されていない。他 た の誰 だれ かのデザインから「インスパイヤされる」という営為 えいい は、ファッション産業 さんぎょう が衣服 いふく の流行 りゅうこう を作 つく り出 だ す能力 のうりょく に貢献 こうけん している。新 あたら しい流行 りゅうこう を作 つく り出 だ すことで消費 しょうひ 者 しゃ に衣服 いふく を買 か うよう誘 さそ い込 こ むことはこの産業 さんぎょう の成功 せいこう の鍵 かぎ となる要素 ようそ である。流行 りゅうこう を作 つく り出 だ すプロセスを妨 さまた げる知的 ちてき 財産 ざいさん 権 けん は、この観点 かんてん からは、非 ひ 生産 せいさん 的 てき なものとなる。その一方 いっぽう で、新 あたら しいアイデアや、ユニークなデザインや、デザインのディテールなどを大 おお きな企業 きぎょう があからさまに剽窃 ひょうせつ するのは、数 すう 多 おお くの小規模 しょうきぼ な独立 どくりつ したデザイン会社 かいしゃ を破綻 はたん させている原因 げんいん であるともしばしば議論 ぎろん される。デザイン性 せい の高 たか いファッションアイテムを安価 あんか で購入 こうにゅう できるのは、消費 しょうひ 者 しゃ にとっては望 のぞ ましいことのように思 おも われるが、トレンド発信 はっしん 源 げん であるデザイナーに十分 じゅうぶん な報酬 ほうしゅう が行 い き渡 わた らなくなり、結果 けっか としてファッション業界 ぎょうかい が衰退 すいたい してしまうという恐 おそ れがある。ニューヨーク州 しゅう では米 べい ファッションデザイナー協議 きょうぎ 会 かい などが、ファストファッション企業 きぎょう の行為 こうい を差 さ し止 と め、デザイン保護 ほご が認 みと められるよう州 しゅう 政府 せいふ に働 はたら きかけている。現在 げんざい のファッション産業 さんぎょう において、法 ほう とファッションの関連 かんれん 性 せい が高 たか まっている[63] 。
2005年 ねん に世界 せかい 知的 ちてき 所有 しょゆう 権 けん 機関 きかん (WIPO)は協議 きょうぎ 会 かい を開 ひら き、中小 ちゅうしょう 企業 きぎょう を保護 ほご し、織物 おりもの ・服飾 ふくしょく 産業 さんぎょう 内 ない での競争 きょうそう を促進 そくしん させるためファッション業界 ぎょうかい での知的 ちてき 財産 ざいさん 権 けん のより厳密 げんみつ な施行 しこう を求 もと めた[64] [65] [66] 。
日本 にっぽん のファッション関連 かんれん の主 おも な賞 しょう ・コンクール
編集 へんしゅう
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