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ファッション - Wikipedia

ファッション

服装ふくそうなどのスタイルや風習ふうしゅう

ファッションえい: fashion英語えいご発音はつおん: [ˈfæʃən] ファシャン。ふつ: modeフランス語ふらんすご発音はつおん: [mɔd] モッ)とは、ある時点じてんにおいてひろおこなわれているスタイルや風習ふうしゅうのことである。

とくに、人々ひとびとあいだ流行りゅうこうしている服装ふくそうすが、よそおいに関係かんけいする装身具そうしんぐ美容びよう理容りよう髪型かみがた化粧けしょう)、香水こうすいなどもファッションの範疇はんちゅうである。さらに広義こうぎには音楽おんがくなどの文化ぶんかライフスタイルまでも包括ほうかつしうる。

「ファッショナブル」や「おしゃれ」といった表現ひょうげんは、あるひとぶつ最新さいしんの、もしくは最新さいしんではなくとも評判ひょうばん様式ようしき沿っているかかをしめすのにもちいられる。

概要がいよう

編集へんしゅう

一般いっぱんひと地理ちり条件じょうけん性別せいべつ年齢ねんれい社会しゃかい階層かいそう職業しょくぎょう思想しそう嗜好しこうひとし反映はんえいした服装ふくそう着用ちゃくようするが、それと同時どうじ文化ぶんかてき影響えいきょうりょくのあるステータス人々ひとびとなにあたらしい、もしくはそれまでとちがった衣服いふく着用ちゃくようし、人々ひとびとがそれに追随ついずいしはじめたとき、ファッションの流行りゅうこうはじまる。服飾ふくしょく流行りゅうこうぜん世界せかいてきられるが、法律ほうりつ宗教しゅうきょう道徳どうとくひとしによる服装ふくそう規範きはん相対そうたいてきゆるく、服装ふくそう選択肢せんたくしひろ現代げんだい西洋せいようてき市民しみん社会しゃかいにおいては、その変動へんどうとくはげしく、またそれらの流行りゅうこう利用りようした衣料いりょうひん産業さんぎょう巨大きょだい産業さんぎょう形成けいせいしている。最新さいしんのファッションに盲目的もうもくてき追随ついずいするひとは「ファッショニスタ」(fashionista)とか、ファッション中毒ちゅうどくとうばれる。また、ロラン・バルトによれば、さまざまなファッションをせびらかすという営為えいい体系たいけいは、さまざまなファッションぶんをファッションの文法ぶんぽうもちいてわせるファッション言語げんごとも見做みなせる[1]

流行りゅうこうしたファッションは、隆盛りゅうせいから衰退すいたいいた一連いちれんのサイクルのなか消滅しょうめつすることがつねであり[2]、また生産せいさんしゃ企業きぎょう頻繁ひんぱんモデルチェンジおこなってあたらしい流行りゅうこう仕掛しかけ、需要じゅよううながすが[3]なかには、以後いご完全かんぜんひとつのスタイルとして定着ていちゃくするものもある[4]一方いっぽうで、衣服いふく着用ちゃくようしゃ美意識びいしきをそのままあらわすものであり、個性こせいしめ手段しゅだんともなっている[5]着用ちゃくようする衣服いふく他者たしゃからのだいいち印象いんしょう決定けっていづけるものであり[6]、これを利用りようして他者たしゃみずからののぞむイメージを印象いんしょうづけることもおこなわれる[7]。この「流行りゅうこうへの追随ついずい」と「個性こせい強調きょうちょう」は本質ほんしつてき対立たいりつするが、どちらもファッションの根幹こんかんをなす重要じゅうよう概念がいねんである[8]

ファッションの歴史れきし

編集へんしゅう
 
マリー・アントワネットはファッションリーダーであった
 
盛装せいそうしたニュルンベルクの「ブルジョワ」女性じょせいひだり)とヴェネツィア女性じょせいとを対比たいひさせたアルブレヒト・デューラーのドローイング。チョピン英語えいごばんそこあつくつ)がヴェネツィア女性じょせいたかせている。
 
ジェームズ・ギルレイ「ファッションをう」(1794)――当時とうじ流行りゅうこうだったみじかボディス富裕ふゆうそう女性じょせいとそれを真似まね下町したまち女性じょせい風刺ふうししている

西洋せいよう衣服いふく洋服ようふく)の歴史れきしについては、洋服ようふく歴史れきし参照さんしょう

頻繁ひんぱん変化へんかするファッションという西洋せいよう現象げんしょうがいして古代こだいにはられなかったし、だい文明ぶんめいでもすうじゅうねんまえまではあまりるいないものであった。ペルシアトルコ日本にっぽん中国ちゅうごくなどへたびした初期しょき西洋せいようじん旅行りょこうたちは現地げんちのファッションの変化へんかのなさをしばしば報告ほうこくしたし、ぎゃくにそれらの文化ぶんかけんから西洋せいよう観察かんさつしゃ西洋せいようファッションのまぎらしいペースでの変化へんか西洋せいよう文化ぶんか不安定ふあんていさと無秩序むちつじょさのあらわれではないかと報告ほうこくしていた。日本にっぽん征夷大将軍せいいたいしょうぐん老中ろうじゅう[訳語やくご疑問ぎもんてん]は1609ねんにスペインじん来訪らいほうしゃに、日本にっぽん衣服いふくは1000ねん以上いじょうものあいだ変化へんかしていないとかたった[9]。しかしながら、たとえば中国ちゅうごくあきらではかんふく頻繁ひんぱん変化へんかするファッションが存在そんざいしたとする注目ちゅうもくあたいする証拠しょうこがある[10]

古代こだいローマ中世ちゅうせいイスラム帝国ていこくなどでのように、経済けいざい社会しゃかいてき変革へんかくともなってよそおいに変化へんかこることはしばしばあるが、そのながきにわたっておおきな変化へんかきなかった。たとえば、ムーアじん時代じだいのスペインでは8世紀せいきに、高名こうみょう音楽家おんがくかZiryab[訳語やくご疑問ぎもんてん]出身しゅっしんであるバグダード風習ふうしゅう自身じしん創意そういにより、ぶし時間じかんたいおうじた洗練せんれんされた衣服いふくスタイルをコルドバ導入どうにゅうした[11][12]同様どうようのファッションの変化へんかは11世紀せいき中東ちゅうとうでも、進出しんしゅつしてきたテュルクによって中央ちゅうおうアジア極東きょくとう衣服いふくスタイルが導入どうにゅうされてこった[13]

近代きんだい以前いぜんのヨーロッパ

編集へんしゅう

ヨーロッパでスタイルが連続れんぞくてき加速度かそくどてき変化へんかしてゆく慣習かんしゅうはじまったのは14世紀せいき中頃なかごろであるとかなりはっきりしており、ジェームズ・レーヴァー英語えいごばんフェルナン・ブローデルなどの歴史れきしがこの時期じき西洋せいよう服飾ふくしょくファッションのはじまりとしている[14][15]。これをしめもっと劇的げきてき変化へんか男性だんせい上着うわぎ突然とつぜん大幅おおはばみじかくタイトになったことで、ふくらはぎまであったものがかろうじてしりおおうだけのものとなり、また同時どうじむねおおきくせるものもすることがあった。これによって西洋せいよう男性だんせい仕立したてた上着うわぎをレギンスまたはズボンのうえるというがいがたされた。

15世紀せいきにはファッションの変化へんかするペースはおおきく加速かそくし、男性だんせい女性じょせいのファッション、とく衣服いふく髪型かみがたは、どちらもひとしく複雑ふくざつかつうつわるものとなった。このおかげで、美術びじゅついえ図像ずぞう年代ねんだいたか信頼しんらい精度せいど特定とくていできるようになり、15世紀せいき図像ずぞう場合ばあいでは5ねん単位たんいでの特定とくていもしばしば可能かのうとなった。ファッションの変化へんかはまずヨーロッパの上流じょうりゅう階級かいきゅう全体ぜんたい非常ひじょう似通にかよった衣服いふくのスタイルをしていたのを細分さいぶんさせ、各国かっこく独自どくじのスタイルを発展はってんさせるようになり、17-18世紀せいきにはそれに逆行ぎゃっこうしてふたた類似るいじしたスタイルをいるうごきがあらわれ、最終さいしゅうてきにはフランスアンシャンレジームのファッションが支配しはいてきとなった[16]通常つうじょう富裕ふゆうそうがファッションを先導せんどうしたが、近世きんせいヨーロッパのとみ増大ぞうだいによりブルジョワジー農民のうみんまでさえも流行りゅうこううようになり、ときとしてはエリート階級かいきゅう不快ふかいかんじる水準すいじゅんにまでいたった――ブローデルはこれがファッションを変化へんかさせる主要しゅよう動機どうきの1つとかんがえていた[17]

16世紀せいきドイツもしくはイタリア紳士しんし肖像しょうぞうが10まいあれば10まったちがった帽子ぼうしえがかれているであろう。この時期じきこくごとのちがいがもっと顕著けんちょであり、これはアルブレヒト・デューラーが15世紀せいきまつニュルンベルクヴェネツィアのファッションを(実録じつろくまたは合成ごうせいで)対比たいひさせた記録きろくにもあらわれている(みぎ)。16世紀せいきまつの「スパニッシュ・スタイル」はヨーロッパの上流じょうりゅう階級かいきゅうでのファッションのともせいへの回帰かいきはじまりとなり、17世紀せいき中葉ちゅうよう葛藤かっとうのち、フランスのスタイルが決定的けっていてき指導しどうてき位置いちめ、18世紀せいきにはこの過程かてい完結かんけつした[18]

布地ぬのじいろ模様もようとしって変化へんかしたが[19]紳士しんし外套がいとうかたやベストのたけ淑女しゅくじょのドレスを裁断さいだんするときかたなどの変化へんかはよりゆっくりとしていた。男性だんせいのファッションはおも軍装ぐんそうから派生はせいしており、西洋せいよう男性だんせいのシルエットの変化へんかはヨーロッパない戦域せんいき紳士しんし将校しょうこうたちが異国いこくのスタイルをにすることによって刺激しげきけていた。「スティーンカーク」(Steinkirk)のクラヴァット英語えいごばんもしくはネクタイがそのいちれいである。

近代きんだい以後いご

編集へんしゅう

1780年代ねんだいには最新さいしんのパリのスタイルをつたえるフランスの版画はんが出版しゅっぱん増加ぞうかによりファッションの変化へんか加速かそくした[20]。ただし、17世紀せいきにはすで見本みほんとして着飾きかざった人形にんぎょうがフランスから流通りゅうつうしていたし[20]、1620年代ねんだい以降いこうアブラハム・ボスフランス語ふらんすごばんがファッション版画はんが制作せいさくしていた。1800ねんまでには、すべての西にしヨーロッパひとたちはおなじようなよそおいをするようになっていた(か、すくなくともしているつもりであった)。地域ちいきてきなバリエーションはまずは地方ちほう文化ぶんか形跡けいせきのちには古風こふう田舎いなかしゃ烙印らくいん做されるようになった[21]。19世紀せいき前半ぜんはんにはジョージ・ブライアン・ブランメルらによってダンディズム確立かくりつし、以後いご紳士しんしふくがた形作かたちづくられた[22]一方いっぽう紳士しんしふくにおいては既製きせいふく富裕ふゆうそうのぞいてひろまりはじめた。1840年代ねんだいにはイギリスにおいて紳士しんしよう既製きせいふく市場いちばきゅう拡大かくだいし、アメリカもそれにつづいた[23]

仕立屋したてや裁縫さいほうたちがおおくの革新かくしん関与かんよしてきたことは間違まちがいないし、織物おりもの産業さんぎょうたしかにすうおおくの流行りゅうこう先導せんどうしたが、ファッションデザインの歴史れきしはじまったとされるのは1858ねん、イギリス出身しゅっしんシャルル・フレデリック・ウォルト最初さいしょオートクチュールみせをパリにひらいたである[24]。ウォルトはデザイナーによるぶしごとのしんデザイン提案ていあん、ファッションモデルの起用きようとファッションショーの開催かいさいおこない、現代げんだいのファッションシステムの構築こうちくとプロのデザイナーの主導しゅどうてき地位ちいをもたらした[24]。1868ねんにはパリにおいてオートクチュール協会きょうかい設立せつりつされた[25]

19世紀せいき後半こうはんから20世紀せいき前半ぜんはんにかけては、紳士しんしふく変化へんか停滞ていたいしたのにたいし、婦人ふじんふくおおきく変動へんどうした。19世紀せいきまでの婦人ふじんファッションはコルセットなどでからだほそげるものが主流しゅりゅうであったが、1906ねんポール・ポワレがコルセット不要ふようのドレスを発表はっぴょうしたことでながれはおおきくわった[26]。ポワレはまた、しん素材そざい開発かいはつや、衣服いふく以外いがいにも香水こうすい服飾ふくしょく雑貨ざっかなどの分野ぶんや進出しんしゅつし、積極せっきょくてきなプロモーション活動かつどうおこなうことで市場いちばおおきくひろげた[27]だいいち世界せかい大戦たいせんしたそう力戦りきせん体制たいせいによって婦人ふじん社会しゃかい参加さんかすすんだことで、大戦たいせんにはココ・シャネルらの活動かつどうてき機能きのうてきなファッションが支持しじて、コルセットは完全かんぜん消滅しょうめつした[28]。1940ねんナチス・ドイツによるフランス占領せんりょうきるとファッションの中心ちゅうしんであったパリはだい打撃だげきけ、おおくのオートクチュールてん閉店へいてんし、いくにんかのデザイナーは国外こくがい移住いじゅうしたものの、オートクチュール組合くみあい維持いじされており[29]戦後せんごふたた復活ふっかつ隆盛りゅうせいむかえた[30][31]

ウォルト以来いらいファッションの中核ちゅうかくながらくオートクチュールがになってきたが、1960年代ねんだいはいると高級こうきゅう既製きせいふくであるプレタポルテ登場とうじょうし、1975ねんにパリ・プレタポルテコレクションがはじまるなど[32]、オートクチュールにわってファッションの中核ちゅうかくとなった[33]。また1950年代ねんだいから1960年代ねんだいにかけて、ジーンズミニスカート代表だいひょうされるストリートファッション登場とうじょうし、急速きゅうそく台頭たいとうしてひとつのおおきな潮流ちょうりゅうとなった[34]。ファッション産業さんぎょう中心ちゅうしんは18世紀せいき以降いこうながきにわたってパリであったが[35][36]、1970年代ねんだい以降いこうはオートクチュールが衰退すいたいするとともに、ミラノやニューヨークなどでメゾンの設立せつりつ相次あいつぎ、1976ねんにミラノ・コレクションがはじまる[37]など各地かくちのコレクションがちからつようになり、ミラノ[38]やニューヨークも中心ちゅうしんのひとつとなった[35]。こうして1970年代ねんだい後半こうはんには現在げんざいの4だいコレクションが成立せいりつした[39]

現代げんだいのファッション産業さんぎょう

編集へんしゅう
 
2008ねんロサンゼルスファッションウィークのランウェイショー

20世紀せいき後半こうはんはいり、一般いっぱん大衆たいしゅう経済けいざいりょく向上こうじょうするにともない、ファッションは上流じょうりゅう階級かいきゅう独占どくせんするちいさな市場いちばから大衆たいしゅう参加さんかする巨大きょだい市場いちばへと変貌へんぼうした。これによって、既製きせいふく生産せいさんするアパレル産業さんぎょうがファッション産業さんぎょうへの参入さんにゅうおこない、また価値かちかん多様たようきてさまざまなファッションが併存へいそんするようになった[40]現代げんだいでは、ファッションはおおきな産業さんぎょうとなっている。大小だいしょうさまざまなブランド次々つぎつぎあたらしい様式ようしき服飾ふくしょく提案ていあんし、たえず流行りゅうこう創出そうしゅつすることで消費しょうひしゃ購買こうばい意欲いよく促進そくしんしている[3]ファッションモデルによるはなやかなファッションショーおこなわれ、成功せいこうしたファッションデザイナーやモデルは名声めいせいとみ獲得かくとくし、関連かんれん製品せいひん販売はんばい促進そくしんのためファッション写真しゃしんファッション雑誌ざっしさかんである。

ファッション・ジャーナリズムのみならず、一般いっぱんマスメディアがファッションにもたらす影響えいきょうおおきなものである。広告こうこくCMもさることながら、ある対象たいしょうたいする人気にんきそのものが流行りゅうこうし、広告こうこくなどとの連携れんけいでその影響えいきょうはさらにつよまった[41]。すでに1920年代ねんだいから映画えいがはファッションの流行りゅうこうにある程度ていど影響えいきょうあたえていたが[42]、1950年代ねんだいはいると影響えいきょう非常ひじょうおおきなものになった[43]

とくファッションのばれる世界せかいてきなファッションの中心ちゅうしんではファッションウィーク開催かいさいされ、デザイナーたちは観衆かんしゅう新作しんさく衣装いしょうコレクションを発表はっぴょうする。ロンドンパリミラノニューヨークおおくのだいファッション企業きぎょうブランド本拠地ほんきょちとなっており、世界せかいのファッションに多大ただい影響えいきょうりょくっている。パリを中心ちゅうしんとしたファッションの世界せかいでは、「サンディカ」とばれるパリの高級こうきゅうふくせんもん組合くみあい所属しょぞくしているみせつくる、特注とくちゅうオートクチュールや、有名ゆうめいデザイナーがデザインする既製きせいふくであるプレタポルテのファッションショーがおこなわれる。パリで1がつと7がつ開催かいさいされている[44]「オートクチュール・コレクション」は、サンディカに所属しょぞくするメンバーと、その少数しょうすうメゾンにしか発表はっぴょうゆるされていないファッションショーである。オートクチュールおよびそのコレクションはなが歴史れきし現在げんざいでも顧客こきゃくつものの、顧客こきゃくすう非常ひじょうすくなくなっており主力しゅりょく部門ぶもんへとうつっている[45][46]。またプレタポルテは、日本語にほんごで「コレクション」とばれる[ちゅう 1]ファッションショーがあり、それぞれねん2かい、2がつから3がつおよび9がつから10がつまでのあいだに、ニューヨーク・コレクションロンドン・コレクションミラノ・コレクションパリ・コレクションじゅん開催かいさいされている[47]。また、1985ねんにはじまった東京とうきょうコレクションのように[48][49]、4だいコレクション以外いがいのコレクションも世界せかい各地かくち開催かいさいされている。こうしたハイファッションのほか、スポーツウェアやジーンズなどのカジュアルウェアもファッションのおおきな部分ぶぶんめている[50]

90年代ねんだい初頭しょとう、アートしょくつよ日常にちじょうばなれしたふくたいして、一般いっぱんてき普段着ふだんぎとしてられるようなふくリアルクローズをデザインするうごきがたかまった。これは、それまでデザイナーがつくってきた流行りゅうこうではなく、人間にんげんているだろうふく想定そうていし、より消費しょうひしゃちかいファッションの発信はっしんをしようとするものである。このうごきは、2000ねんごろからはファストファッションともむすびつき、「H&M」や「ZARA」などの世界せかいてき衣料いりょうひんチェーン企業きぎょう勃興ぼっこうしている[51]一方いっぽう高級こうきゅうブランドにおいては1980年代ねんだい以降いこう積極せっきょくてき買収ばいしゅうによって巨大きょだい企業きぎょうすすみ、フランスのLVMH、スイスのリシュモン、フランスのケリングの3しゃ突出とっしゅつしただい企業きぎょうとなっているものの、独立どくりつけいのブランドもおお残存ざんそんしている。またこうしたブランド巨大きょだい企業きぎょうは、衣服いふくだけでなく宝飾ほうしょく時計とけいなど高級こうきゅうひん全般ぜんぱんにまたがるコングロマリット形成けいせいしている[52]

日本にっぽん

編集へんしゅう

日本にっぽんにおいては、1927ねん9月21にちに、当時とうじ銀座ぎんざ三越みつこしにおいて日本にっぽん国内こくないはつファッションショー開催かいさいされた。これは着物きもののショーであり、一般いっぱんからデザインつのったファッションショーでもあった[53]

1953ねんには、当時とうじヨーロッパ隆盛りゅうせいきわめたファッションデザイナーのクリスチャン・ディオール来日らいにちし、海外かいがいファッションの導入どうにゅうはじまった[54]当時とうじ洋服ようふく基本きほんてき注文ちゅうもんひんで、オーダーふく基軸きじくにしたオートクチュールだったが、日本にっぽん国内こくないでは繊維せんいきょうのあおりをけ、そのような最新さいしんファッションは大衆たいしゅうはいりにくいものとなっていた。1958ねんには、おなじくピエール・カルダン来日らいにち量産りょうさんのプレタポルテの時代じだい到来とうらいげる。当時とうじ、オーダーふく量産りょうさん既製きせいふくめる割合わりあいは7たい3程度ていどにまでなりつつあった。こののち1960年代ねんだい以降いこうから衣料いりょう大量たいりょう消費しょうひ時代じだいはじまることになる。1975ねんころよりニュートラ全国ぜんこくてき流行りゅうこう[55]。これにより海外かいがい高級こうきゅうブランドユーザーの大衆たいしゅうわか年齢ねんれい[55]セレクトショップのブーム[56]、ファッションモデル大量たいりょう起用きようなど、時代じだい転換てんかんてんとなった。2000年代ねんだいはいると高級こうきゅうブランドが退潮たいちょう傾向けいこうしめ一方いっぽう[57]海外かいがいのファストファッション企業きぎょう相次あいついで進出しんしゅつてい価格かかくすすんだ[58]

ファッションメディア

編集へんしゅう
 
『ガゼット・デュ・ボン・トン』のファッション(1913)
 
2006ねんのファッション写真しゃしん

ファッション・ジャーナリズム英語えいごばんはファッションの重要じゅうよう一部分いちぶぶんである。編集へんしゅうしゃによる批評ひひょう解説かいせつ雑誌ざっし新聞しんぶん、テレビ、ファッションサイト、SNS、ファッションブログなどでおこなわれている。また、ブログなどをつうじて世間せけん影響えいきょうりょくおよぼすブロガーを、インフルエンサーぶ。

20世紀せいき初頭しょとうから、ファッション雑誌ざっし写真しゃしんイラストレーションみはじめ以前いぜんよりも一層いっそうつよ影響えいきょうりょくつようになった。世界中せかいじゅう都市としでこれらの雑誌ざっし大人気だいにんきとなり、一般人いっぱんじん嗜好しこうふか影響えいきょうおよぼした。最新さいしんのファッションと美容びよう変化へんかつたえる出版しゅっぱんぶつのために才能さいのうあるイラストレーターたちが洗練せんれんされたファッションえがいた。こうした雑誌ざっしのうちでもっと有名ゆうめいなのはおそらく、リュシアン・ヴォージェルフランス語ふらんすごばんが1912ねん創刊そうかんし、戦時せんじちゅうのぞき1925ねんまで定期ていきてき刊行かんこうされた『ガゼット・デュ・ボン・トンフランス語ふらんすごばん』(『上品じょうひん雑誌ざっし』)であろう[59]

1892ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく創刊そうかんされた『ヴォーグ』はあらわれてはえていった無数むすうのファッション雑誌ざっしなかもっと長続ながつづきしもっと成功せいこうしたもののひとつである[60]だい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつ経済けいざいてき繁栄はんえいと、そしてなにより、1960年代ねんだい安価あんかなカラー印刷いんさつ出現しゅつげんによってヴォーグ爆発ばくはつてき部数ぶすうばし[61]、また主流しゅりゅう女性じょせい雑誌ざっしでもファッションをおおきくげるようになった。1990年代ねんだいには男性だんせい雑誌ざっしもこれにつづいた。オートクチュールのデザイナーはプレタポルテ香水こうすいあつかいはじめることでこのながれにり、これらは雑誌ざっし大々的だいだいてき宣伝せんでんされ、現在げんざいでは本来ほんらい服飾ふくしょくビジネスを矮小わいしょうする結果けっかとなっている。

テレビでは1950年代ねんだいにファッションのしょう特集とくしゅうまれるようになった。1960-70年代ねんだいにはさまざまな娯楽ごらく番組ばんぐみでファッションのコーナーがより頻繁ひんぱんながされるようになり、1980年代ねんだいにはファッションテレビジョン英語えいごばんファッション通信つうしんのようなファッションせんもん番組ばんぐみ出現しゅつげんした。テレビや、近年きんねんのファッションブログなどのインターネットによる露出ろしゅつ増大ぞうだいをよそに、ファッション産業さんぎょう視点してんからは出版しゅっぱんぶつによる露出ろしゅつもっと重要じゅうよう広告こうこく形態けいたいでありつづけている。

ファッション編集へんしゅうしゃのシャロン・マクレランはこうかたっている――「ファッションかいには、テレビ・雑誌ざっし・ブログが消費しょうひしゃなにるべきかを命令めいれいしているのだという誤解ごかいがあります。しかし、ほとんどのトレンドはターゲットそう調査ちょうさしてからリリースされています。したがって、あなたがメディアでにするものは、人々ひとびとあいだ人気にんきのあるアイデアを調査ちょうさした結果けっかなのです。本質ほんしつてきに、ファッションというのは人々ひとびとがアイデアをキャッチボールするいとなみなのです、のアート形式けいしきもみなそうであるように。」[62]

知的ちてき財産ざいさんけん

編集へんしゅう

ファッション産業さんぎょうでは、映画えいが産業さんぎょう音楽おんがく産業さんぎょうでのようには知的ちてき財産ざいさんけん施行しこうされていない。だれかのデザインから「インスパイヤされる」という営為えいいは、ファッション産業さんぎょう衣服いふく流行りゅうこうつく能力のうりょく貢献こうけんしている。あたらしい流行りゅうこうつくすことで消費しょうひしゃ衣服いふくうようさそむことはこの産業さんぎょう成功せいこうかぎとなる要素ようそである。流行りゅうこうつくすプロセスをさまたげる知的ちてき財産ざいさんけんは、この観点かんてんからは、生産せいさんてきなものとなる。その一方いっぽうで、あたらしいアイデアや、ユニークなデザインや、デザインのディテールなどをおおきな企業きぎょうがあからさまに剽窃ひょうせつするのは、すうおおくの小規模しょうきぼ独立どくりつしたデザイン会社かいしゃ破綻はたんさせている原因げんいんであるともしばしば議論ぎろんされる。デザインせいたかいファッションアイテムを安価あんか購入こうにゅうできるのは、消費しょうひしゃにとってはのぞましいことのようにおもわれるが、トレンド発信はっしんげんであるデザイナーに十分じゅうぶん報酬ほうしゅうわたらなくなり、結果けっかとしてファッション業界ぎょうかい衰退すいたいしてしまうというおそれがある。ニューヨークしゅうではべいファッションデザイナー協議きょうぎかいなどが、ファストファッション企業きぎょう行為こういめ、デザイン保護ほごみとめられるようしゅう政府せいふはたらきかけている。現在げんざいのファッション産業さんぎょうにおいて、ほうとファッションの関連かんれんせいたかまっている[63]

2005ねん世界せかい知的ちてき所有しょゆうけん機関きかん(WIPO)は協議きょうぎかいひらき、中小ちゅうしょう企業きぎょう保護ほごし、織物おりもの服飾ふくしょく産業さんぎょうないでの競争きょうそう促進そくしんさせるためファッション業界ぎょうかいでの知的ちてき財産ざいさんけんのより厳密げんみつ施行しこうもとめた[64][65][66]

日本にっぽんのファッション関連かんれんおもしょう・コンクール

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そうえんしょう
文化出版局ぶんかしゅっぱんきょく(1957ねん~)そうえん編集へんしゅうそうえんしょうがかり
ファッション大賞たいしょう新人しんじんデザイナーファッション大賞たいしょう
株式会社かぶしきがいしゃオンワおんわド樫山どかしやま(1984ねん~2003ねん
財団ざいだん法人ほうじん日本にっぽんファッション協会きょうかい(2004ねん~)
有限ゆうげん責任せきにん中間なかま法人ほうじん日本にっぽんファッション・ウィーク推進すいしん機構きこう新人しんじんデザイナーファッション大賞たいしょう実行じっこう委員いいんかい(2006ねん~)
ファッション甲子園こうしえん全国ぜんこく高等こうとう学校がっこうファッションデザイン選手権せんしゅけん大会たいかい
ファッション甲子園こうしえん実行じっこう委員いいんかい(2001ねん~)
きもの作品さくひんコンテスト対象たいしょう高校生こうこうせい以上いじょう生徒せいと学生がくせい
社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽん和裁わさいかい(1990ねん~)
ファッションクリエーター新人しんじんしょう国際こくさいコンクール
財団ざいだん法人ほうじん日本にっぽんファッション教育きょういく振興しんこう協会きょうかい(2006ねん~)
毎日まいにちファッション大賞たいしょう
株式会社かぶしきがいしゃ毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ(1983ねん~)
ベストドレッサーしょう
社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽんメンズファッション協会きょうかい(1972ねん~)
ベストジーニストアワード
日本にっぽんジーンズ協議きょうぎかい(1984ねん~)

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ フランス語ふらんすごではsemaine des défilés

出典しゅってん

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  1. ^ Roland Barthes (1967). Système de la mode. ditions du Seuil, ロラン・バルト しる佐藤さとう信夫しのぶ やく『モードの体系たいけいみすず書房しょぼう、1972ねんISBN 4-622-01963-9 
  2. ^ 「ファッション産業さんぎょうろん 衣服いふくファッションの消費しょうひ文化ぶんか産業さんぎょうシステム」p104 富澤とみざわ修身しゅうしん そうふうしゃ 2003ねん10がつ20日はつかだい1はんだい1さつ発行はっこう
  3. ^ a b 「ファッション産業さんぎょうろん 衣服いふくファッションの消費しょうひ文化ぶんか産業さんぎょうシステム」p22 富澤とみざわ修身しゅうしん そうふうしゃ 2003ねん10がつ20日はつかだい1はんだい1さつ発行はっこう
  4. ^ ころも生活せいかつがく」(生活せいかつ科学かがくテキストシリーズ)p9-10 佐々井ささいあきら大塚おおつか美智子みちこ編著へんちょ 朝倉書店あさくらしょてん 2016ねん1がつ20日はつか初版しょはんだい1さつ
  5. ^ 「ファッション産業さんぎょうろん 衣服いふくファッションの消費しょうひ文化ぶんか産業さんぎょうシステム」p21-22 富澤とみざわ修身しゅうしん そうふうしゃ 2003ねん10がつ20日はつかだい1はんだい1さつ発行はっこう
  6. ^ 「ファッション産業さんぎょうろん 衣服いふくファッションの消費しょうひ文化ぶんか産業さんぎょうシステム」p21 富澤とみざわ修身しゅうしん そうふうしゃ 2003ねん10がつ20日はつかだい1はんだい1さつ発行はっこう
  7. ^ 新版しんぱんアパレル構成こうせいがく やすさとうつくしさをもとめて」(生活せいかつ科学かがくテキストシリーズ)p56-57 冨田とみた明美あけみ編著へんちょ 朝倉書店あさくらしょてん 2012ねん8がつ30にち初版しょはんだい1さつ
  8. ^ 「ファッション産業さんぎょうろん 衣服いふくファッションの消費しょうひ文化ぶんか産業さんぎょうシステム」p22-23 富澤とみざわ修身しゅうしん そうふうしゃ 2003ねん10がつ20日はつかだい1はんだい1さつ発行はっこう
  9. ^ Braudel, 312-3
  10. ^ Timothy Brook: "The Confusions of Pleasure: Commerce and Culture in Ming China" (University of California Press 1999); このほんは1せつ全体ぜんたいをファッションにてている。
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参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
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  • Meinhold, Roman (2008) Meta-Goods in Fashion Myths. Philosophic-Anthropological Implications of Fashion Myths. In: Prajna Vihara. Journal of Philosophy and Religion. Bangkok, Assumption University. Vol.8., No.2, July-December 2007. 1-17. ISSN 1513-6442

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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