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だいこうむ関係かんけい

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だいこうむ関係かんけい
ROCとMNGの位置を示した地図

中華民国ちゅうかみんこく

モンゴル
在外ざいがい公館こうかん
ちゅう台北たいぺいウランバートル貿易ぼうえき経済けいざい代表だいひょうしょ ちゅうウランバートル台北たいぺい貿易ぼうえき経済けいざい代表だいひょうしょ英語えいごばん
いろがついている場所ばしょは、1953ねん以降いこう中華民国ちゅうかみんこく領土りょうど主張しゅちょうをした地域ちいき。モンゴル(いオレンジしょく)については、2002ねん中華民国ちゅうかみんこく独立どくりつこくとしてみとめた。

だいこうむ関係かんけい(たいもうかんけい)とは、中華民国ちゅうかみんこく台湾たいわん)とモンゴルこくこうむふる)とのあいだこくあいだ関係かんけいのことである。

中華民国ちゅうかみんこく北京ぺきん政府せいふ国民こくみん政府せいふ)は1945ねんまでモンゴルの独立どくりつみとめておらず、双方そうほうとも1946ねんから1949ねんあいだ外交がいこうかん交換こうかんしていない。1949ねん国共こっきょう内戦ないせん終結しゅうけつ、モンゴルは中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくを「中国ちゅうごく唯一ゆいいつ合法ごうほう政府せいふ」としてみとめた。2002ねん中華民国ちゅうかみんこく台湾たいわん政府せいふ)はモンゴルを独立どくりつこくとしてみとめ、両国りょうこくあいだ非公式ひこうしき国家こっか関係かんけい開始かいしされた。

両国りょうこくあいだには正式せいしき外交がいこう関係かんけいがないため、双方そうほう事実じじつじょう大使館たいしかん英語えいごばんとして機能きのうする「貿易ぼうえき経済けいざい代表だいひょうしょ」がかれている。ウランバートル台湾たいわん事務所じむしょちゅうウランバートル台北たいぺい貿易ぼうえき経済けいざい代表だいひょうしょ英語えいごばん)があり[1]台北たいぺいにモンゴルの事務所じむしょちゅう台北たいぺいウランバートル貿易ぼうえき経済けいざい代表だいひょうしょ)がある[2]

歴史れきし[編集へんしゅう]

1949ねん以前いぜん[編集へんしゅう]

歴史れきしなかで、モンゴルと中国ちゅうごくなん戦争せんそうしてきた。万里ばんり長城ちょうじょうは、モンゴルや中央ちゅうおうアジアからの中国ちゅうごくへの侵攻しんこうふせぐために建設けんせつされた。クビライひきいるモンゴルじん中国ちゅうごく大半たいはん征服せいふくしてもとあさ成立せいりつさせた。のち中国ちゅうごくきよしあさがモンゴルに侵攻しんこうし、支配しはいとした。

1911ねんからし革命かくめいともない、そとこうむふるだいモンゴルこくとして独立どくりつ宣言せんげんした。1912ねん清朝せいちょう滅亡めつぼうし、中華民国ちゅうかみんこく成立せいりつうちこうむいにしえ人々ひとびとおおくがモンゴルのしん国家こっか服従ふくじゅうしようとしたが、中華民国ちゅうかみんこくはこの地域ちいき支配しはいけん保持ほじした。1919ねん北京ぺきん政府せいふ将軍しょうぐんじょいつきがモンゴルに侵攻しんこうして自治じちけん返上へんじょうさせ、ふたた中国ちゅうごくモンゴルの支配しはいけん中国語ちゅうごくごばん英語えいごばんもどした[3][4]。モンゴルは独立どくりつもどすために、ソビエト・ロシア支援しえんもとめた。1921ねん中華民国ちゅうかみんこくぐんしろぐんとともに、ソビエトの赤軍せきぐんしんソビエトのモンゴルぐんによって追放ついほうされた。1924ねんモンゴル人民じんみん共和きょうわこく成立せいりつした[3]

1947ねん中華民国ちゅうかみんこくそとこうむいにしえ地図ちず

1945ねんちゅう友好ゆうこう同盟どうめい条約じょうやく締結ていけつけ、国民こくみん政府せいふ蒋介石しょうかいせき政権せいけん)は国民こくみん投票とうひょうによるモンゴルの独立どくりつみとめることになった[5]。そして同年どうねん実施じっしされたそとモンゴル独立どくりつ公民こうみん投票とうひょう結果けっかけ、1946ねん1がつ5にち国民こくみん政府せいふはモンゴル主権しゅけんとの独立どくりつ承認しょうにんした[6]。ただし、ホフドしんでの国境こっきょう紛争ふんそうにより、国交こっこう成立せいりつ1949ねんにまでおくれた。

1949ねん以降いこう[編集へんしゅう]

1949ねん国共こっきょう内戦ないせん中国共産党ちゅうごくきょうさんとうやぶれた中華民国ちゅうかみんこく政府せいふ台湾たいわん撤退てったいした。その3ねん1952ねん中華民国ちゅうかみんこく政府せいふソ連それんちゅう友好ゆうこう同盟どうめい条約じょうやく違反いはんであると非難ひなんし、翌年よくねん1953ねん立法院りっぽういんどう条約じょうやく破棄はき決定けっていした。このさいに、モンゴル人民じんみん共和きょうわこくたいする独立どくりつ承認しょうにん撤回てっかいしたと解釈かいしゃくされた[7]

中華民国ちゅうかみんこくは1971ねんアルバニア決議けつぎまで国連こくれんにおいて中国ちゅうごく代表だいひょうし、常任じょうにん理事りじこくとしての立場たちば利用りようして、1950年代ねんだいつうじてモンゴル人民じんみん共和きょうわこく国連こくれん加盟かめい阻止そしした[8][9]中華民国ちゅうかみんこく国連こくれん加盟かめいしているあいだ拒否きょひけん行使こうししたのは、1955ねんにモンゴルの加盟かめい反対はんたいしたことのみだった。それにたいソ連それんは、モンゴルが国連こくれん加盟かめいしないかぎり、あらたに独立どくりつしたアフリカ諸国しょこく加盟かめい阻止そしすると発表はっぴょうした。この圧力あつりょく直面ちょくめんした中華民国ちゅうかみんこくは、1960ねん抗議こうぎげつつ屈服くっぷくした。

ちゅう台北たいぺいウランバートル貿易ぼうえき経済けいざい代表だいひょうしょ入居にゅうきょする、台北たいぺい世界せかい貿易ぼうえきセンター国際こくさい貿易ぼうえきビル英語えいごばん

1993ねん4がつ12にち立法院りっぽういんそとこうむいにしえ中華民国ちゅうかみんこく領土りょうどふくまれていないことを考慮こうりょして、中華民国ちゅうかみんこく国境こっきょうをどうするかについての憲法けんぽう解釈かいしゃくうた[10]。その一方いっぽう1993ねん11月26にち司法しほういんは、憲法けんぽうじょう領土りょうど司法しほう審査しんさ範囲はんいえていると回答かいとうし、モンゴルを中華民国ちゅうかみんこく憲法けんぽうじょう領土りょうどとみなすべきかどうかの問題もんだい回避かいひした[11]

モンゴルが最初さいしょ独立どくりつ宣言せんげんをしてから91ねん2002ねん両国りょうこく関係かんけいわった。当時とうじ中華民国ちゅうかみんこくはまだモンゴルを独立どくりつこくとしてみとめておらず、中華民国ちゅうかみんこく公式こうしき地図ちずには(中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく支配しはい地域ちいきとともに)モンゴルが自国じこく領土りょうどとしてえがかれていた。民進党みんしんとうちんみずひらた政権せいけん行政ぎょうせいいんが、モンゴルじん台湾たいわん渡航とこうには、入国にゅうこく許可きょかではなくほか外国がいこくじん同様どうようビザ取得しゅとくもとめると発表はっぴょうしたが、国民党こくみんとう多数たすうめる立法院りっぽういんは、モンゴルになん相談そうだんもしていなかったとして、この決定けってい実施じっし批判ひはんした[12]。そのりょう政府せいふ代表だいひょうしゃたがいの首都しゅと事務所じむしょ開設かいせつすることで合意ごういし、同年どうねん9がつにはウランバートル中華民国ちゅうかみんこく事実じじつじょう大使館たいしかんである台北たいぺい貿易ぼうえき経済けいざい代表だいひょうしょ開設かいせつされた。中華民国ちゅうかみんこく内政ないせい内務省ないむしょう)は中華民国ちゅうかみんこく領土りょうど公式こうしき地図ちずにモンゴルりょう自国じこく領土りょうどとして記載きさいしないことを決定けっていし、2002ねん10がつ3にち外交がいこう外務省がいむしょう)は中華民国ちゅうかみんこくがモンゴルを独立どくりつこくとしてみとめると発表はっぴょうした[13]。2002ねん現在げんざい中華民国ちゅうかみんこく政府せいふはモンゴルを独立どくりつこくとしてみと[14]中華民国ちゅうかみんこく公式こうしき地図ちずからモンゴルを除外じょがいし、台湾たいわんおとずれるモンゴルじんにはパスポート作成さくせい義務ぎむづけている[15]外交がいこうのウェブサイトにもモンゴルこくの「國情こくじょう簡介」ページが掲載けいさいされた[16]

2006ねんには、そとこうむいにしえはた僧院そういん設立せつりつ規制きせいする法律ほうりつ廃止はいしされた。しかし、中華民国ちゅうかみんこく公式こうしき国境こっきょうからそとこうむいにしえ除外じょがいする変更へんこうのために必要ひつような、2005ねん以前いぜん憲法けんぽう義務付ぎむづけられている国民こくみん大会たいかいでの投票とうひょうや、2005ねん改正かいせい中華民国ちゅうかみんこく憲法けんぽう義務付ぎむづけられている国民こくみん投票とうひょう実施じっしされていない[17]

中国ちゅうごく国民党こくみんとううまえいきゅう政権せいけん2012ねんには、行政ぎょうせいいん大陸たいりく委員いいんかいが、1946ねん中華民国ちゅうかみんこく憲法けんぽう制定せいていした時点じてんでモンゴルの独立どくりつすでみとめており、憲法けんぽうだい4じょう中華民国ちゅうかみんこく領土りょうどとされる「固有こゆう領域りょういき」にモンゴルはふくまれないとの見解けんかい発表はっぴょうした[18]

教育きょういく[編集へんしゅう]

2019ねん現在げんざい台湾たいわんにはやく1,400にんのモンゴルじん留学生りゅうがくせいがいる[19]

貿易ぼうえき[編集へんしゅう]

2017ねん台湾たいわんとモンゴルのこくあいだ貿易ぼうえきは4,484まんあめりかドルだった[19]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Taipei Trade and Economic Representative Office
  2. ^ Ulaanbaatar Trade and Economic Representative Office, 中華民国ちゅうかみんこく外交がいこう
  3. ^ a b “China-Mongolia Boundary”. International Boundary Study (The Geographer, Bureau of Intelligence and Research) (173): 2–6. (August 1984). オリジナルの16 September 2006時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060916040248/http://www.law.fsu.edu/library/collection/LimitsinSeas/IBS173.pdf 2008ねん6がつ16にち閲覧えつらん. 
  4. ^ “Chinese Look To Their Neighbors For New Opportunities To Trade”. International Herald Tribune. (1998ねん8がつ4にち). オリジナルの2008ねん2がつ20日はつか時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080220212901/http://www.iht.com/articles/1998/08/04/chitrade.t.php 2008ねん6がつ15にち閲覧えつらん 
  5. ^ “Onward to Mongolia”, Taiwan Review, (2003-01-01), https://taiwantoday.tw/news.php?post=4126&unit=4,29,31,45 2018ねん2がつ6にち閲覧えつらん 
  6. ^ 1945ねんそとモンゴル独立どくりつ公民こうみん投票とうひょう」をめぐるなか外交がいこう交渉こうしょう
  7. ^ じゅうへん國語こくご辭典じてん修訂しゅうていほんこうむ地方ちほう”. 中華民国ちゅうかみんこく教育きょういく. 2013ねん5がつ23にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん11月4にち閲覧えつらん
  8. ^ “Taipei Sources Hint Veto on Outer Mongolia”, The Washington Post, (1955-11-20), https://pqasb.pqarchiver.com/washingtonpost_historical/access/288925112.html?dids=288925112:288925112&FMT=CITE&FMTS=CITE:FT&date=NOV+20%2C+1955&author=&pub=The+Washington+Post&desc=Taipei+Sources+Hint+Veto+on+Outer+Mongolia&pqatl=google 2008ねん2がつ5にち閲覧えつらん 
  9. ^ “Taiwan Veto Likely; Taipei Regime May Again Bar Outer Mongolia From U.N.”, The New York Times, (1961-04-22), https://www.nytimes.com/1961/04/22/archives/taiwan-veto-likely-taipei-regime-may-again-bar-outer-mongolia-from.html 2008ねん2がつ5にち閲覧えつらん 
  10. ^ (Chinese) Legislative Yuan Constitutional Interpretation Application, 司法しほういん, (1993-04-12), http://www.judicial.gov.tw/constitutionalcourt/P03_01_detail.asp?expno=328&showtype=%AC%DB%C3%F6%AA%FE%A5%F3 2008ねん12月22にち閲覧えつらん 
  11. ^ Judicial Yuan Interpretation 328 translated by Professor J. P. Fa, 司法しほういん, (1993-11-26), オリジナルの26 January 2009時点じてんにおけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20090126134635/http://www.judicial.gov.tw/constitutionalcourt/EN/p03_01.asp?expno=328 2008ねん12月22にち閲覧えつらん 
  12. ^ “Major Taipei decision alters Mongolia's status”, China Post, (2002-02-27), http://www.chinapost.com.tw/detail.asp?onNews=1&GRP=A&id=23635 2008ねん2がつ5にち閲覧えつらん 
  13. ^ “Mongolian office to ride into Taipei by end of the year”, Taipei Times, (2002-10-11), http://www.taipeitimes.com/News/archives/2002/10/11/0000175237 2008ねん2がつ5にち閲覧えつらん 
  14. ^ Mongolian office to ride into Taipei by end of the year”. Taipei Times (2002ねん10がつ11にち). 2009ねん2がつ10日とおか時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2009ねん5がつ28にち閲覧えつらん。 “In October 1945, the people of Outer Mongolia voted for independence, gaining the recognition of many countries, including the Republic of China. (...) Due to a souring of relations with the Soviet Union in the early 1950s, however, the ROC revoked recognition of Outer Mongolia, reclaiming it as ROC territory. {...} Long a province of China, Mongolia declared its independence in 1921 with Soviet backing. After the Ministry of the Interior's recent decision to exclude Mongolia from the official ROC map, on Oct. 3, the Ministry of Foreign Affairs announced that Taiwan recognizes Mongolia as an independent country -- 81 years after Mongolia declared its independence.”
  15. ^ “Taiwan 'embassy' changes anger China”. BBC News. (2002ねん2がつ26にち). http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/1842387.stm 2009ねん5がつ28にち閲覧えつらん 
  16. ^ 外交がいこうサイト「こうむいにしえ」ページの2004ねん2がつ17にちのインターネットアーカイブキャッシュ外交がいこうサイト 國家こっかあずか地區ちく西にし地區ちくこうむくに
  17. ^ (Chinese) Yearbook of the Republic of China (中華民國ちゅうかみんこく年鑑ねんかん): The land of the Mainland Area, 中華民国ちゅうかみんこく行政ぎょうせいいん新聞しんぶんきょく, (2005), オリジナルの14 February 2008時点じてんにおけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20080214091303/http://www.gio.gov.tw/info/94roc/context/Ch01/010202.htm 2008ねん12月22にち閲覧えつらん 
  18. ^ ゆうせきがいこうむため中華民國ちゅうかみんこく領土りょうど問題もんだい說明せつめい新聞しんぶん參考さんこう資料しりょう
  19. ^ a b Hsu, Stacy (2019ねん1がつ30にち). “Mongolian trade office to have new representative”. タイペイ・タイムズ. http://www.taipeitimes.com/News/taiwan/archives/2019/01/30/2003708922 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]