'90長崎 旅 博覧 会
'90 The Journey Exposition Nagasaki 1990 | |
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イベントの |
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1990 | |
グラバー | |
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1,888,997 |
'90
概要 [編集 ]
目的 地域 活性 化 を目的 として、長崎 県 ・長崎 市 ・商工 会議 所 の主催 により、「旅 することで完成 する博覧 会 」の主旨 で開催 された博覧 会 である。本来 は長崎 市 の市制 100周年 に当 たる1988年 (昭和 63年 )にそれを記念 して開催 するはずであったが、道路 整備 や博覧 会 用地 確保 等 の事情 により同年 中 の開催 は見送 られた[1]。開催 期間 - 1990
年 (平成 2年 )8月 3日 から11月4日 までの94日間 開館 時間
- 8
月 3日 から9月 16日 -午前 10:00から午後 9:00まで - 9月16
日 から11月4日 -午前 10:00から午後 8:00まで
入場 料 (当日 ・一般 )大人 2,500円 、高校生 1,650円 、中学生 ・小学生 1,340円 、幼児 (3歳 以上 )520円 総 入場 者 数 目標 の150万 人 を超 える、188万 8997人 [2]であった。なお、この数字 は松 が枝 ・グラバー園 ・孔子 廟 3会場 の入場 者 数 を合計 したもので、1人 が3会場 を回 る可能 性 が考慮 されていないとする見方 もある[1]。
広報 [編集 ]
- シンボルマーク
長崎 の伝統 芸能 である龍 踊 り(じゃおどり)をもとに「旅 」(tabi)の「t」と長崎 (nagasaki)の「n」、開催 年 の「1990」を青色 で表現 している。佐世保 市 のデザイナー、松尾 廣美 による作品 。- イメージキャラクター
- 「
旅人 (たびと)くん」-南蛮 服 を身 にまとい、帽子 をかぶっている。羅針盤 の上 に立 ち、手 には望遠鏡 を持 ちそれをのぞき込 んでいる。大阪 市 のデザイナー、桜井 泰雄 による作品 で、愛称 は公募 により選 ばれた。 - キャンペーンソング
- 「
私 ここにいます」(作詞 :岩谷 時子 /作曲 :井上 大輔 /編曲 :柳田 ヒロ /歌 :ひ・ま・わ・り) - 「みんな
長崎 を愛 してる」(作詞 :松原 一成 /作曲 :大 鋳 武則 /歌 : ZINM(ジンム)) - 「
星屑 俱楽部 」(作詞 ・作曲 :さだまさし) - 「
旅 博 音頭 」(作詞 :西川 孝雄 /作曲 :小沢 直 与志 /歌 :小杉 真貴子 /振付 :中山 義夫 )
- コマーシャル
- 「
私 ここにいます」(制作 :関口 菊 日出 )-長崎 出身 の女優 坂上 香織 が出演 。
- ポスター
長岡 秀 星 の作品 が採用 された。
会場 ・施設 [編集 ]
松 ヶ枝 会場 [編集 ]
長崎 ストーリー館 - なんばんやかた、オランダ屋敷 、幕末 近代 館 、みなとタイムツアー館 - 9つのパビリオン
- スカイタワー -
前年 に名古屋 で開催 された世界 デザイン博覧 会 のパロマタワーを移設 した回転 昇降 式 のタワー。 - ベルリンの
壁 (一部 )の展示 -長崎新聞社 との協賛 により展示 された。 - イベント
広場
夢 と希望 の体験 エリア[編集 ]
旅 博 ターミナルプラザ(旧 ・長崎魚市 跡地 )子供 を対象 とした遊 園地 が設置 された他 、唐船 「飛 帆 」が係留 されたり、アマチュア無線 特別 局 (8J6JEN)が開設 された。
異国 (西洋 )のゾーン[編集 ]
異国 (中国 )のゾーン[編集 ]
孔子 廟
賑 わいのゾーン[編集 ]
銅座 ・浜 の町 、その周辺 の界隈
やすらぎのゾーン[編集 ]
であいのゾーン[編集 ]
中島 川 沿岸
愛 と平和 のゾーン[編集 ]
松山 地区
憩 いのゾーン[編集 ]
稲佐山 野外 ステージ
関連 イベント[編集 ]
長崎 県 を9ブロックに分 けた県 全体 を舞台 とするイベントも企画 された。- JR
九州 の8620形 蒸気 機関 車 (現 「SL人吉 」)がイベント列車 として長崎 県内 (長崎 駅 ・早岐 駅 間 ※長与 ・大村 経由 )を走行 した(1990年 (平成 2年 )8月 1日 -5日 )[3]。 協賛 イベントツアーとして、コンコルドが長崎 空港 に飛来 した(1990年 (平成 2年 )9月2日 )。
交通 [編集 ]
- シャトルバス
中央 卸売 市場 (東 長崎 )・茂里 町 ・油木 町 ・川平 町 ・時津 南公園 各地 と松 ヶ枝 会場 の間 にシャトルバスが運行 された。(時津 南公園 からの利用 者 はいなかった)- JR
九州 長崎 駅 と松 ヶ枝 会場 の間 にリフト付 きの福祉 バスが運行 された。 松 ヶ枝 会場 ・グラバー邸 ・孔子 廟 の3会場 を結 ぶ交通 手段 としてリフト付 きの福祉 タクシーが運行 された。
- シャトル
電車
- シャトルボート
- JR
長崎 駅 裏 の旅 博 ターミナルプラザ(旧 ・長崎魚市 跡 )から松 ヶ枝 会場 前 の常磐 町 岸壁 の間 にシャトルボート「あんぜらす号 」が運行 された。
開催 に向 けて[編集 ]
- 1985
年 (昭和 60年 )- 11月6
日 -高田 勇 長崎 県知事 、本島 等 長崎 市長 が共同 で記者 会見 し、1988年 (昭和 63年 )の夏 から秋 にかけて長崎 港 の東側 沿岸 部 で「'88長崎 国際 博覧 会 」を開催 する計画 を明 らかにする。- テーマは「『
旅 』海 と心 2001」で、キャッチフレーズは「ビードロ色 の旅 」。同日 政財界 ・学識 経験 者 ・関係 行政 機関 代表 ら50名 から成 る「'88長崎 国際 博覧 会 委員 会 」(委員 長 :清 島 省三 )が発足 。 長崎 が持 つ歴史 的 特性 を生 かし、21世紀 への起爆 剤 と位置付 け、長崎 県 と長崎 市 挙 げての県内 初 の大 イベントとして計画 された。本島 長崎 市長 は国際 博 1年 後 の1989年 (昭和 64年 ・平成 元年 )には長崎 市制 100年 を迎 え、落 ち込 んでいる経済 の活性 化 にイベント開催 の意義 は大 きいとした。
- テーマは「『
- 11月6
- 1986
年 (昭和 61年 )- 3月12
日 -本島 市長 、用地 や交通 対策 に問題 があるため博覧 会 の開催 を2年 以上 延期 するよう長崎 県 に要請 。 - 3月13
日 -高田 県知事 、当初 の方針 通 り1988年 (昭和 63年 )に開催 したいと言明 。 - 4
月 7日 -長崎 国際 博覧 会 の準備 室 が長崎 県庁 別館 に開設 される。県 職員 3名 、市 職員 2名 、県警 と商工 会議 所 が各 1名 の計 7名 で国際 博 の詳細 な計画 作成 、出張 パビリオンの勧誘 にあたる。 - 4
月 11日 -会場 は当初 の20万 km²より縮小 得 ざるをえないことが事務 局 より説明 され、了承 される。 - 5月6
日 -長崎 国際 博覧 会 委員 会 総会 、開催 規模 を当初 計画 の約 半分 の11万 m²に縮小 し、昭和 63年 に開催 するという主催 者 側 の修正 案 に同意 。- この
日 をもって委員 会 は解散 し、今後 の運営 母体 を財団 法人 長崎 国際 博覧 会 協会 にすることを決 める。
- この
- 6月11
日 -長崎 国際 博覧 会 協会 の設立 総会 が行 われる。会長 を高田 勇 (県知事 )、副 会長 を本島 等 (市長 )ら5名 とする。開催 経費 は23億 7,000万 円 と決 まり、このうち長崎 県 と長崎 市 が各 1億 5,000万 円 、長崎 商工 会議 所 が1億 円 を負担 。残 りは各種 団体 からの協賛 金 、出展 参加 料 、入場 料 収入 でまかなうこととなった。
- 8
月 27日 -高田 県知事 、長崎 国際 博覧 会 の開催 時期 を1988年 (昭和 63年 )から1990年 (昭和 65年 、実際 は平成 2年 )に延期 する方針 を固 める。 - 9月5
日 -長崎 県知事 より博覧 会 延期 の説明 と要請 を受 けた本島 等 長崎 市長 、長崎 市議会 において延期 の方針 を説明 し、議会 の了承 を得 る。 - 9月16
日 -長崎 国際 博覧 会 協会 理事 会 、博覧 会 の開催 を延期 することを正式 に決定 。 - 11月26
日 -長崎 国際 博覧 会 協会 、博覧 会 を長崎 県内 全 市町村 総 参加 の博覧 会 とするため、各 市町村 の幹部 職員 からなる市町村 専門 委員 会 を発足 。協会 側 は各 市町村 で関連 の催 しを企画 し、特産 品 、観光 ルートの開発 で博覧 会 の客 を県内 全域 に呼 べるようにと要請 。
- 12月18
日 -博覧 会 の名称 が「'90長崎 旅 博覧 会 」に決定 。名称 の公募 には全国 から3,550通 の応募 があり、「長崎 旅 博覧 会 」としたのは102通 もあった。
- 3月12
- 1987
年 (昭和 62年 )- 2
月 2日 -旅 博 開催 期間 を1990年 (昭和 65年 、実際 には平成 2年 )8月 3日 から11月4日 までの94日間 に決定 。想定 入場 者 数 を150万 人 に設定 。 - 9月30
日 -主 会場 に予定 していた長崎 魚 市場 用地 の使用 を断念 し、新 たに海上 に浮 かべた台 船 を会場 に取 り入 れるなどの代替 案 を決定 。当初 、長崎魚市 跡地 、長崎 駅 事業 団 用地 、松 が枝 国際 観光 埠頭 を主 会場 として計画 を進 めていたが、台風 12号 による新 長崎 漁港 の被害 で長崎魚市 の移転 が遅 れるため、魚 市 跡地 利用 を断念 せざるを得 なかった。
- 10月3
日 -長崎 旅 博覧 会 協会 緊急 理事 会 、海上 変更 を正式 に決定 。 - 11月6
日 -長崎 旅 博覧 会 協会 理事 会 、海上 使用 など主 会場 を松 が枝 地区 に一本 化 したことに伴 う修正 基本 計画 を決定 。
- 2
- 1988
年 (昭和 63年 ) - 1989
年 (平成 元年 )
その他 [編集 ]
博覧 会 実施 中 、大浦 警察 署 内 に「長崎 旅 博覧 会 現地 警備 本部 」が設置 された。長崎自動車 では、当時 の経年 車 をシャトルバスに転用 したことで、この年 は通常 9~10月 (後半 期 車両 の場合 )に実施 されてきた新車 導入 を、2~3か月 ほど前倒 ししている。また長崎 県 交通 局 では、当 博覧 会 に備 えて1988年 に1回 目 の前 中 4枚 折戸 車 の試験 導入 を実施 している。- さだまさしが
旅 博 にむけて、私的 に応援 歌 と題 して『長崎 から』を発表 した。
脚注 [編集 ]
参考 文献 ・資料 [編集 ]
- 「
市制 百 年 長崎 年表 」(長崎 市役所 、1989年 (平成 元年 )4月 1日 発行 ) - 「'90
長崎 旅 博覧 会 公式 記録 」(財団 法人 長崎 旅 博覧 会 協会 、1991年 (平成 3年 )3月 31日 発行 ) - 『トピックスで
読 む長崎 の歴史 』江 越 弘人 ,弦 書房 ,2007年 3月