お昼 のワイドショー
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お | |
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ジャンル | ワイドショー |
ほか | |
プロデューサー |
ほか |
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1968 | |
60 | |
1972 | |
1972 | |
60 | |
1975 | |
1975 | |
55 | |
1971 |
『お
概要 [編集 ]
日本 テレビは平日 昼 の時間 帯 にニュース番組 『NNNワイドニュース』等 を編成 していたが主婦 にターゲットを絞 り、最近 のニュースについての解説 (「八丁 破 れのニュース解説 」)、生活 に役立 つ情報 、新倉 イワオの企画 で心霊 研究 家 として大 ブレークするきっかけを作 った「怪奇 特集 ・あなたの知 らない世界 」「女 の事件 」「テレビ公開 捜査 」等 、様々 な内容 を放送 した。日本 テレビの単独 制作 となった後 も当初 は視聴 者 参加 型 のゲーム企画 やバラエティショーを放送 していた。夏休 み、冬休 み、春休 みを中心 にカラオケ大会 を実施 した。初代 司会 は番組 が開始 した1968年 夏 の参議院 選挙 で初 当選 した青島 幸男 と横山 ノック。深夜 番組 『11PM』と同様 に隔日 毎 に日本 テレビとよみうりテレビの制作 で放送 。青島 は日 テレ発 の[注 2]、ノックはよみうりテレビ発 の[注 3]のメイン司会 を担当 。国会 会期 中 を中心 に議員 活動 との両立 で番組 出演 や打 ち合 わせへの参加 を定期 的 に見合 わせる必要 のあった青島 とノックを補佐 するアシスタントとして、八代 英 太 と中山 千夏 [注 4]が就任 。青島 ・八 代 ・中山 、またはノック・八 代 ・中山 のトリオで番組 を進行 した。- 1971
年 3月29日 からは日本 テレビの単独 制作 となり、番組 もカラー放送 となった[1]。これを期 にノックが番組 を降板 し、青島 ・八 代 ・中山 のトリオで全 曜日 を担当 した。 八 代 は1973年 6月 に愛知 県 刈谷 市 で開催 した歌謡 ショーの司会 をしている最中 に事故 に遭 い、下 半身不随 の重傷 を負 って長期 療養 を強 いられた。約 3か月 後 の同年 8月 、番組 にゲストとして出演 。芸能 活動 を徐々 に再開 。同 ゲスト出演 時 は車椅子 生活 の不便 さを同 番組 で訴 えた。その後 、1974年 4月 より「車椅子 の司会 者 」という触 れ込 みの元 、八 代 の休養 中 の代打 として司会 を務 めた、古今 亭 志 ん馬 (6代目 )を続投 させて番組 に復帰 。以後 は1977年 3月 まで、レギュラー出演 した[注 5]。- 1976
年 9月 、番組 開始 当初 から青島 のアシスタントを8年間 務 めた中山 がテレビ出演 撤退 と政治 活動 への進出 を理由 に降板 。1977年 4月 、参院 選 出馬 の準備 の為 に八 代 も番組 を降板 した。青島 は八 代 と中山 の指南 役 を買 って出 た事情 から、1977年 以降 は番組 を欠席 する機会 が増 え、1979年 9月 を以って降板 した[注 6]。 青島 の降板 後 は志 ん馬 と神山 喜久子 (日本 テレビ アナウンサー(当時 ))が司会 を務 めた。志 ん馬 の降板 後 は俳優 の砂川 啓介 が1980年 4月 より、神山 と共 に司会 を務 め、砂川 の降板 後 は元 NHKアナウンサーの生方 恵一 が1986年 4月 より司会 を務 めた。
番組 の終了 [編集 ]
日本 テレビでは平日 昼 枠 ・平日 午後 枠 のテコ入 れとして、本 番組 と単独 番組 として放送 していた後続 番組 『ごちそうさま』『2時 のワイドショー』(よみうりテレビ制作 )『酒井 広 のうわさのスタジオ」を統合 。1987年 10月 から『午後 は○○おもいッきりテレビ』を開始 。番組 は19年 の歴史 に幕 を下 ろした。最終 回 は初代 司会 の青島 、3代目 司会 の砂川 らの歴代 司会 者 と番組 に携 わった関係 者 が生 出演 。過去 の事件 や当 番組 の映像 と正月 特番 『番組 対抗 かくし芸 大会 』に出演 した時 の映像 で過去 を振 り返 った。エンディングは『おもいッきりテレビ』の初代 司会 を務 めた山本 厚 太郎 と泰葉 が出演 [注 7]。同 番組 をPRした後 は生方 が視聴 者 に向 けて感謝 の言葉 を述 べ、ラストは「19年間 どうも ありがとうございました」のテロップが表示 された。神山 は『おもいッきりテレビ』でプロデューサーを担当 。
放送 時間 [編集 ]
1971
1975
歴代 司会 [編集 ]
- 1968.09 - 1971.03
青島 幸男 (月 ・水 ・金 ) /横山 ノック(火 ・木 ) /八代 英 太 /中山 千夏 - 1971.04 - 1973.06
青島 幸男 /八代 英 太 /中山 千夏 - 1973.06 - 1974.03
青島 幸男 /中山 千夏 /古今 亭 志 ん馬 - 1974.04 - 1976.09
青島 幸男 /八代 英 太 /中山 千夏 /古今 亭 志 ん馬 - 1976.10 - 1977.04
青島 幸男 /八代 英 太 /古今 亭 志 ん馬 /神山 喜久子 - 1977.04 - 1979.09
青島 幸男 /古今 亭 志 ん馬 /神山 喜久子 - 1979.10 - 1980.03
古今 亭 志 ん馬 /神山 喜久子 - 1980.04 - 1986.03
砂川 啓介 /神山 喜久子 - 1986.04 - 1987.03
生方 恵一 /栗原 アヤ子 /小倉 淳 (日本 テレビ アナウンサー(当時 )) - 1987.04 - 1987.09
生方 恵一 /岸 ユキ /小倉 淳
変遷 [編集 ]
アシスタント | |||||
---|---|---|---|---|---|
1968.09 | 1971.03 | ||||
1971.04 | 1973.05 | ||||
1973.06 | 1974.03 | ||||
1974.04 | 1976.09 | ||||
1976.10 | 1977.04 | ||||
1977.04 | 1979.09 | ||||
1979.10 | 1980.03 | - | |||
1980.04 | 1986.03 | ||||
1986.04 | 1987.03 | ||||
1987.04 | 1987.09 |
ネット局 [編集 ]
※
1972 | |||
1975 | |||
1979 1980 | |||
ミヤギテレビ | 1975 | ||
1980 1970 | |||
1970 | |||
1981 | |||
テレビ |
1981 | ||
1979 | |||
NETテレビ |
1973 | ||
1973 | |||
→ |
1972 | ||
1972 1975 | |||
1978 | |||
→ |
1983 | ||
1970 | |||
1969 | |||
フジテレビ | |||
くまもと |
1982 |
ネットに関 する備考 [編集 ]
テレビ長崎 (当時 NNN/FNNクロスネット局 )は、1969年 4月 の開局 時 からこの番組 を同時 ネット[注 11]していたため、フジテレビの『笑 っていいとも!』は夕方 に時差 放送 されていた(『笑 ってる場合 ですよ!』以前 の同 枠 については未 ネット)。- 12
時 台 にNET→テレビ朝日 との同時 ネットだったテレビ信州 ・テレビ大分 、フジテレビとの同時 ネットだったテレビ宮崎 ・鹿児島 テレビ等 、一部 のクロスネット局 [注 12]では放送 されなかった(なお、番組 最後 の「暮 らしのヒント」のコーナーだけは『お昼 のワイドショー』が放送 されない地域 の一部 の局 にもネットされた)。 初期 に、当時 NNNに加盟 していた福島 テレビ(FTV)が時差 ネットをしたことがある。(山形 放送 〔YBC〕が同時 録画 の上 でFTVへの送 り出 しを担当 〔出典 :1970年 4月 期 のFTVタイムテーブルより〕。FTVはこの時期 日本 テレビとTBS両 系列 のクロスネット局 で、正午 の時間 帯 はTBSの番組 を同時 ネット)- ミヤギテレビは
開局 当時 、NETテレビとのクロスネット局 だったため、正午 から『アフタヌーンショー』を放送 していたので、この『お昼 のワイドショー』はネットしていなかったが、1975年 10月 のテレビ朝日 系 の東日本放送 開局 に伴 い放送 を開始 した。 テレビ岩手 は開局 当時 はテレビ朝日 とのクロスネット局 だったため、開局 当初 から『アフタヌーンショー』を同時 ネットで放送 してきたが、ANN脱退 直前 の1979年 10月 に同 番組 を打 ち切 ってこの『お昼 のワイドショー』の同時 ネットに切 り替 えた(テレビ岩手 は1980年 4月 からNNSフルネット局 )。- スポンサーは
基本 的 に日本 文化 センター等 全国 ネット協賛 社 のネットセールスであるが、一部 ローカルスポンサー枠 を設 けていたほか、ネットスポンサーを差 し替 えることも可能 だった(例 ・北日本放送 では日本 文化 センターに代 えて富山 専門 店 会 が、テレビ岩手 では釜石 共栄 (地元 スーパー)が協賛 していた)。このためか、タイトルロゴや提供 クレジット・アナウンスはネットスポンサーのみの局 も含 めて各局 で送 り出 していたため、「お昼 のワイドショー」のタイトルロゴ(デザインは全局 とも同 じ)のサイズや、テロップの縁取 りの有無 など各局 ごとに差 があった。オープニングでは提供 クレジットの後 に日本 テレビのみ「制作 日本 テレビ」と制作 クレジットを出 していた。エンディングのエンドカードも局 によって分 かれており、日本 テレビなど明日 の予告 (例 :「明日 のこの時間 は『テレビ公開 捜査 』みなさまからの情報 をお待 ちしています」)を出 した局 と単 に「お昼 のワイドショー また明日 (来週 )」と出 した局 で、さらに最終 回 のエンディングでも「来週 からのこの時間 は『午後 は○○おもいッきりテレビ』をお送 りします」とテロップを出 した局 と単 に「お昼 のワイドショー おわり」と出 した局 で分 かれていた。- この
状態 は後 番組 の「おもいッきりテレビ」でも、しばらくの間 続 いた。
- この
脚注 [編集 ]
出典 [編集 ]
注釈 [編集 ]
- ^
新聞 のテレビ欄 は文字数 が限 られていることから、番組 タイトルは「ワイドショー」と記 していた。 - ^
青島 の司会 担当 日 (月曜日 ・水曜日 ・金曜日 )は『青島 のワイドショー』の番組 タイトルとなった。青島 のワイドショー -脚本 データベース - ^ ノックの
司会 担当 日 (火曜日 ・木曜日 )は『ノックのワイドショー』の番組 タイトルとなった。 - ^
八 代 と中山 は後 に参議院 選挙 に出馬 。当選 後 は国会 議員 となった。 - ^
復帰 後 は本編 の主流 の進行 には拘 らず、ゲストコーナーなどの進行 役 を担当 。 - ^ その
後 も「あなたの知 らない世界 」「女 の事件 」のコメンテーターとして、番組 に出演 した。 - ^ 『おもいッきりテレビ』のテーマ
曲 (作曲 ・宮川 泰 )がこの時 、初 めて使用 された。 - ^ 12:30
開始 時代 は、13時 台 がフジテレビ系 枠 だったためネットできず、13:00までは遅 れネット番組 (NET系列 の30分 ドラマなど)で穴埋 めしていた。 - ^ これは11:40 - 12:00に『RNBサロン・
奥 さまと20分 !!』、さらに12:00 - 12:05に『南海放送 (愛媛 新聞 )ニュース』が放送 されたためである。 - ^
正式 にはニュース系列 (NNN)のみ - ^ NNS
発足 後 もNNSに加盟 しなかった(一般 番組 供給 協定 はFNS単独 )ため、唯一 のNNS非 加盟 局 での本 枠 のネットであった。(当時 NNS未 加盟 時代 のテレビ信州 は未 ネットであったため。尚 、福島 テレビも本 番組 の放送 実績 があるが、そのときはNNSは未 発足 であった。)後 番組 のおもいッきりテレビの途中 1990年 9月28日 でテレビ長崎 が本 枠 のネットを打 ち切 ったため、NNS非 加盟 局 での本 枠 のネットは終了 した。 - ^
正式 にNNSに加盟 していた新潟総合 テレビ、テレビ大分 、鹿児島 テレビはNNS加盟 期間 中 も本番 組 (枠 )は放送 されていない(「暮 らしのヒント」、「ごちそうさま」、「昼下 がりのカルチャー」のコーナーのみの放送 を除 く)。
お
(1972.1.3 - 1987.10.2) |
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NNNワイドニュース
※12:30 - 13:00 【30 |
お
(1968.9.30 - 1987.10.2) |
※12:00 - 15:45 ↓ ※12:00 - 13:55 |
NNNワイドニュース
※12:30 - 13:00 【30 |
お
(1968.9.30 - 1975.3.28) |
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お
(1968.9.30 - 1971.12.31) |