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アピチャートポン・ウィーラセータクン

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アピチャートポン・ウィーラセータクン
อภิชาติพงศ์ วีระเศรษฐกุล
อภิชาติพงศ์ วีระเศรษฐกุล
2010ねん撮影さつえい
生年月日せいねんがっぴ (1970-07-16) 1970ねん7がつ16にち(54さい
出生しゅっしょう バンコク
国籍こくせき タイ王国の旗 タイ
職業しょくぎょう 映画えいが監督かんとく
脚本きゃくほん
映画えいがプロデューサー
活動かつどう期間きかん 1993ねん - 現在げんざい
おも作品さくひん
『ブリスフリー・ユアーズ』
『トロピカル・マラディ』
世紀せいきひかり
ブンミおじさんのもり
ひかりのはか
MEMORIA メモリア
 
受賞じゅしょう
カンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい
パルム・ドール
2010ねんブンミおじさんのもり
審査しんさいんしょう
2004ねん『トロピカル・マラディ』
2021ねんMEMORIA メモリア
「ある視点してんしょう
2002ねん『ブリスフリー・ユアーズ』
そのしょう
東京とうきょうフィルメックス
最優秀さいゆうしゅう作品さくひんしょう

2002ねん『ブリスフリー・ユアーズ』
2004ねん『トロピカル・マラディ』
テッサロニキ国際こくさい映画えいがさい
最優秀さいゆうしゅう作品さくひんしょう
2002ねん『ブリスフリー・ユアーズ』
アジア・フィルム・アワード
作品さくひんしょう

2010ねんブンミおじさんのもり
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アピチャートポン・ウィーラセータクンอภิชาติพงศ์ วีระเศรษฐกุล, Apichatpong Weerasethakul, 1970ねん7がつ16にち - )は、タイ映画えいが監督かんとく映画えいがプロデューサー脚本きゃくほん美術家びじゅつか多摩美術大学たまびじゅつだいがくとくにん教授きょうじゅ[1]チェンマイ拠点きょてん映画えいがやビデオ映像えいぞう写真しゃしん制作せいさくする。愛称あいしょうは、ジョー (Joe)[2]

経歴けいれき

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1970ねん7がつ16にちタイバンコクまれる。両親りょうしん医者いしゃで、コーンケンけん病院びょういんはたらいていた[3]1993ねん短編たんぺん映画えいが『Bullet(原題げんだい)』で監督かんとくデビュー。

1994ねんコーンケン大学だいがく建築けんちく学士がくしごう取得しゅとく1997ねん留学りゅうがくさきシカゴ美術館びじゅつかん附属ふぞく美術びじゅつ大学だいがく美術びじゅつ映画えいが製作せいさく修士しゅうしごう取得しゅとく

1999ねん映画えいが製作せいさく会社かいしゃキック・ザ・マシーンを設立せつりつ2000ねんはつ長編ちょうへん映画えいが真昼まひる不思議ふしぎ物体ぶったい』を発表はっぴょう

2002ねん、『ブリスフリー・ユアーズ』がだい55かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいある視点してん部門ぶもん出品しゅっぴんされ、どう部門ぶもんのグランプリを受賞じゅしょうした。 また、だい3かい東京とうきょうフィルメックスでも最優秀さいゆうしゅう作品さくひんしょう受賞じゅしょうしている。

2004ねん、『トロピカル・マラディ』がだい57かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいのコンペティション部門ぶもん上映じょうえいされ、審査しんさいんしょう受賞じゅしょうだい5かい東京とうきょうフィルメックスで2さく連続れんぞくとなる最優秀さいゆうしゅう作品さくひんしょう受賞じゅしょうした。また、カイエ・デュ・シネマの2004ねん映画えいがトップ10のだい1選出せんしゅつされている。

2006ねん、『世紀せいきひかり』がだい63かいヴェネツィア国際こくさい映画えいがさいのコンペティション部門ぶもん出品しゅっぴんされた。

2010ねん、『ブンミおじさんのもり』がだい63かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいタイ映画えいが史上しじょうはじめてとなるパルム・ドール最高さいこうしょう)を受賞じゅしょう審査しんさいんちょうティム・バートンは「我々われわれ映画えいがにサプライズをもとめている。この映画えいがはそのサプライズをおおくの人々ひとびとにもたらした」とかたった。(のち、アレクシス・ヴェレル監督かんとくのドキュメンタリー映画えいが『カンヌ 伝説でんせつまれるまち』に出演しゅつえんしたさい、パルム・ドール受賞じゅしょうにタイに帰国きこくしたさい、タイ国内こくない非難ひなんこえおおかったと、かたった)

2011ねん母校ぼこうシカゴ美術館びじゅつかん附属ふぞく美術びじゅつ大学だいがくより名誉めいよ博士はかせごう授与じゅよ

2012ねん、『メコン・ホテル』がだい65かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいのスペシャル・スクリーニングで上映じょうえいされ、だい13かい東京とうきょうフィルメックスでも特別とくべつ招待しょうたい作品さくひんとして上映じょうえいされた。

2013ねんだい24かい福岡ふくおかアジア文化ぶんかしょう芸術げいじゅつ文化ぶんかしょう受賞じゅしょう[4]

2020ねん多摩美術大学たまびじゅつだいがくとくにん教授きょうじゅ

2021ねんティルダ・スウィントン主演しゅえんむかえた自身じしんはつ英語えいご作品さくひんMEMORIA メモリア』がだい74かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいのコンペティション部門ぶもん上映じょうえいされ、審査しんさいんしょう受賞じゅしょうした。

作風さくふう

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日本にっぽん研究けんきゅうしゃ中村なかむら紀彦のりひこによると、「映画えいがは、アピチャッポンを構成こうせいするいち要素ようそぎ」ないという。京都市立芸術大学きょうとしりつげいじゅつだいがくギャラリー@KCUAの開館かいかん5 周年しゅうねん記念きねんてんアピチャッポン・ウィーラセタクン個展こてん -PHOTOPHOBIA-(企画きかく徳山とくやまたくいち[5]観客かんきゃくとしておとずれた中村なかむらは、「東北とうほくタイという凄惨せいさん歴史れきしうもれる土地とちで、かれ(=アピチャートポン)は映画えいがだけでなくインスタレーションやMVや写真しゃしんまで制作せいさくすることで、はじめて複雑ふくざつかつ広大こうだいなネットワークをつくりあげた」結果けっか、「次元じげん複雑ふくざつさ」で観客かんきゃくきつけるとしている[6]

おも監督かんとく作品さくひん

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  • 真昼まひる不思議ふしぎ物体ぶったい ดอกฟ้าในมือมาร/Mysterious Object at Noon (2000ねん
  • ブリスフリー・ユアーズ สุดเสน่หา/Blissfully Yours (2002ねん
  • アイアン・プッシーのだい冒険ぼうけん หัวใจทรนง/The Adventure of Iron Pussy (2003ねん)*共同きょうどう監督かんとくマイケル・シャオワナーサイ
  • トロピカル・マラディ สัตว์ประหลาด/Tropical Malady (2004ねん
  • 世紀せいきひかり แสงศตวรรษ/Syndromes and a Century (2006ねん日本にっぽん公開こうかいは2016ねん[7]
  • ブンミおじさんのもり ลุงบุญมีระลึกชาติ/Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives (2010ねん
  • メコンホテル Mekong Hotel (2012ねん
  • ひかりのはか รักที่ขอนแก่น Rak Ti Khon Kaen/Cemetery of Splendour(2015ねん日本にっぽん公開こうかいは2016ねん[7]
  • MEMORIA メモリア Memoria(2021ねん

おも収蔵しゅうぞうさき

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和名わみょう問題もんだい

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アピチャートポン・ウィーラセータクンについては、日本語にほんごのカタカナ表記ひょうき乱立らんりつした。美術びじゅつ作品さくひんのエージェントであるトモ・スズキ・ジャパン東京とうきょう)によると、2007ねん来日らいにちしたさい本人ほんにん同意どういて「アピチャッポン・ウィーラセタクン」で統一とういつ作業さぎょうおこなっていると主張しゅちょうしている。しかし、日本人にっぽんじん名前なまえ同様どうよう、タイじん名前なまえ意味いみある語彙ごい集合しゅうごうによって形成けいせいされるため、アピチャート(อภิชาติ高貴こうき血筋ちすじ」)、ポン(พงศ์子孫しそん」)とすでに確立かくりつされた日本語にほんご表記ひょうきがある[8]。また、「アピチャッポン・ウィーラセタクン」ではたん母音ぼいんちょう母音ぼいん表記ひょうき混同こんどうされて使用しようされており、表記ひょうきじょう不備ふびおおい。そのため、国際こくさい交流こうりゅう基金ききん東京外国語大学とうきょうがいこくごだいがくひとしでは、「アピチャートポン・ウィーラセータクン」の名称めいしょう使用しようされている[9]。ただ、国際こくさい交流こうりゅう基金ききんは、2009ねん開催かいさいした上映じょうえいかい国際こくさい交流こうりゅう基金ききんアジア映画えいがベストセレクション」以降いこう展覧てんらんかい後援こうえんふくめ、アピチャッポン・ウィーラセタクンと表記ひょうきしている。また、『ブンミおじさんのもり』を配給はいきゅうしたシネマライズ、『世紀せいきひかり』と『ひかりのはか』を配給はいきゅうしたムヴィオラトモ・スズキ・ジャパンおな立場たちばをとり、アピチャッポン・ウィーラセタクンと表記ひょうきするむねは、2018ねんイメージフォーラム開催かいさいの「映画えいが美術びじゅつ舞台ぶたい様々さまざま角度かくどからアピチャッポンについてかたる」クロストークイベントで明言めいげんされている[10]。その壇上だんじょうった「東京とうきょうフィルメックス」ディレクターも大勢おおぜいなか本人ほんにん発音はつおんいて、アピチャッポン・ウィーラセタクンという日本語にほんご表記ひょうき当人とうにん発音はつおんもっとちかい、と合意ごういした事実じじつつたえた。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ https://k.tamabi.ac.jp/activity/kikaku/2969598/
  2. ^ [1] -IMDb > Biography for Apichatpong Weerasethakul
  3. ^ Rithdee, Kong (July 28, 2006). Everything is illuminated, Bangkok Post (retrieved July 28, 2006).
  4. ^ 2013ねんだい24かい芸術げいじゅつ文化ぶんかしょう受賞じゅしょう/アピチャッポン・ウィーラセタクン
  5. ^ 京都市立芸術大学きょうとしりつげいじゅつだいがくギャラリー@KCUA 開館かいかん5 周年しゅうねん記念きねんてんアピチャッポン・ウィーラセタクン個展こてん -PHOTOPHOBIA-
  6. ^ 新刊しんかん小津おつあん二郎じろう 大全たいぜん』の執筆しっぴつたずさわった映像えいぞう学部がくぶ卒業生そつぎょうせい中村なかむら紀彦のりひこさんにインタビュー! | EIZO VOICE | 映像えいぞう学部がくぶ | 立命館大学りつめいかんだいがく
  7. ^ a b ねむびょうにかかる兵士へいしたち…『ブンミおじさんのもり監督かんとく新作しんさく、2016ねん日本にっぽん公開こうかい決定けってい”. シネマトゥデイ (2015ねん11月18にち). 2015ねん11月18にち閲覧えつらん
  8. ^ 富田とみた竹次郎たけじろう「タイ日大にちだい辞典じてん東京とうきょう日本にっぽんタイクラブ・メコン、1997ねん
  9. ^ 国内こくない上映じょうえい事業じぎょう アジア映画えいが監督かんとくシリーズ10[リンク]
  10. ^ アピチャッポン、コロンビア撮影さつえい新作しんさく「メモリア」ステートメントとイメージを公開こうかい

関連かんれん文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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