アブー・サイード
アブー・サイード ابو سعيد خان | |
---|---|
イルハン | |
| |
1316 | |
1304 | |
1335 | |
オルジェイ・クトルグ バグダード・ハトゥン | |
イルハン | |
オルジェイトゥ | |
ハーッジー・ハトゥン |
アブー・サイード・ハン(アラビア
生涯 [編集 ]
即位 [編集 ]
1316
後見人 チョバン[編集 ]
チョバンに
ところがサイードは
最期 [編集 ]
サイードには
人物 [編集 ]
- イブン・バットゥータは『
三 大陸 周遊 記 』で、芸術 を愛 する、リュートの演奏 に優 れた人物 と評 している。 - サイードの
死 に関 して、『三 大陸 周遊 記 』では父 と一族 を殺戮 したサイードに恨 みを抱 いたバグダード・ハトゥンの毒殺 説 が紹介 されている。[2] - 「
堂々 たる風貌 の君主 、勇敢 で才能 豊 か、寛大 で機知 に富 んでいる」とマムルーク朝 後期 の歴史 家 のイブン・タグリービルディーは評 しているが、彼 はマムルーク朝 の史家 であり、サイードの時代 に両国 は友好 関係 にあったため、贔屓目 で見 られている可能 性 もある。
宗室 [編集 ]
父母 [編集 ]
后妃 [編集 ]
- オルジェイ・クトルグ - ガザン・ハンの
娘 - バグダード・ハトゥン - チョバンの
娘 、ジャライル朝 君主 タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグの妻 であった。 - アーディル=シャー・ハトゥン - チャガン・タタル
部族 出身 のエセン・クトルグの息子 トケルの娘 - ディルシャード・ハトゥン [4] - バグダード・ハトゥンの
姪 にあたり、後 にタージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグの妃 となる。 - フルクダク・ハトゥン[5] - チョバンの
親族 ダウラト=シャーの娘 - マリカ・ハトゥン[6] - オイラ
ト部 族長 家 の親族 テンギズ・キュレゲンの息子 スラミシュの息子 トカの娘 。アブー・サイードの生母 ハーッジー・ハトゥンとは従姉妹 にあたる。
その
子 [編集 ]
男子 なし女子 名前 不 詳 (ディルシャード・ハトゥンとの娘 )[7]
脚注 [編集 ]
- ^
妹 のサティ・ベクは1335年 には生存 しており、この時点 でアルグンの子孫 が完全 に絶 えたわけではない。後 に傀儡 のハンとして擁立 されたムハンマド、ジャハーン・テムルらも、サイードと同 じくフレグを祖 とする。 - ^ アルパの
即位 後 、バグダード・ハトゥンはサイード毒殺 とウズベク・ハンへの内通 の嫌疑 をかけられ処刑 された。 - ^ オイラト
部族 長 クドカ・ベキ家 の親族 であったテンギズ・キュレゲンの孫 チチェクの娘 。 - ^ チョバンの
息子 ディマシュク・ホージャと、ケレイト王家 の後裔 であったイリンチンの娘 タルサン・ハトゥンとの娘 。イリンチンは、オン・ハンの孫 サリジャ(フレグの筆頭 正妃 ドクズ・ハトゥンの兄弟 )の息子 。オルジェイトゥの第 8正妃 (ハトゥン)であったクトルグ=シャー・ハトゥンは彼女 の姉妹 。 - ^ ガザン・ハンの
妃 イディ・クルトカ・ハトゥンのオルドを彼女 との繋 がりから受 け継 いだという。 - ^ 『
高貴 系譜 』によると、アブー・サイードは幼少 のみぎり彼女 を娶 ったといい、オルジェイトゥの第 3正妃 であったウルトゥズミシュ・ハトゥン(またはイルトゥズミシュ・ハトゥン)のオルドを委 ねられたという。 - ^ 『
高貴 系譜 』(Mu`izz al-Ansāb)ではアブー・サイードの子孫 として、女子 を表 す四角 の枠 がひとつだけアブー・サイードの枠 の下 へ続 いている。そこでの説明 書 きでは「その母親 はディルシャード・ハトゥンであった」とのみ書 かれて名前 は付 されていない。
関連 文献 [編集 ]
- 『アジア
歴史 事典 』1巻 (平凡社 、1959年 ) - C.M.ドーソン『モンゴル
帝国 史 6』(佐 口 透 訳注 、東洋文庫 、平凡社 、1979年 11月) 志茂 硯 敏 『モンゴル帝国 史 研究 序説 イル汗 国 の中核 部族 』(東京大学 出版 会 、1995年 3月 )- フランシス・ロビンソン『ムガル
皇帝 歴代 誌 』(創 元 社 、2009年 5月 )
|
|
|