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アムネマチン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アムネマチン
アムネマチンの最高峰さいこうほうのぞ
標高ひょうこう 6,282 m
所在地しょざいち 中華人民共和国の旗 中国ちゅうごく青海あおみしょうゴロク・チベットぞく自治じちしゅう
位置いち 北緯ほくい3447ふん54びょう 東経とうけい9927ふん45びょう / 北緯ほくい34.79833 東経とうけい99.46250 / 34.79833; 99.46250座標ざひょう: 北緯ほくい3447ふん54びょう 東経とうけい9927ふん45びょう / 北緯ほくい34.79833 東経とうけい99.46250 / 34.79833; 99.46250
山系さんけい 崑崙山こんろんざんみゃく
はつ登頂とうちょう 1981ねん5月22にち
渡辺わたなべよし一郎いちろう
山本やまもと義雄よしお
三宅みやけ克巳かつみ[1]
アムネマチンの位置(中華人民共和国内)
アムネマチン
アムネマチン
プロジェクト やま
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アムネマチン
チベット
チベット文字もじ: ཨ་མྱེ་རྨ་ཆེན།
ワイリー方式ほうしき: a mye rma chen
ぞうぶん拼音: A'nyê Maqên
THDLしき: Amyé Machen
その表記ひょうき: Amne Machin
中国ちゅうごく
繁体字はんたいじ: おもねあま瑪卿やま
簡体字かんたいじ: おもねあま玛卿やま
拼音: Āní Mǎqīng Shān
周辺しゅうへんチベット民族みんぞく聖地せいちである

アムネマチン中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく青海あおみしょうゴロク・チベットぞく自治じちしゅうチベットアムド地方ちほう南部なんぶ)にある山々やまやまで、崑崙山こんろんざんみゃく東部とうぶぞくしており、最高峰さいこうほう海抜かいばつは6,282メートルである。チベットでアムネは老人ろうじん、マチンは活仏かつぶつ従者じゅうしゃ意味いみする[2][3][4][5]。また、現地げんちのチベットぞくは「かみやま」のだとしている[6]。「アムネマチン」は現地げんち方言ほうげんによる発音はつおんであり、ラサ方言ほうげんでは「アニエマチン」[7](アニエマチェン[8][9])となる。別名べつめいせき石山いしやま(しせきさん[10]、せきしゃくさん[4]、せきせきさん[11])。

最高峰さいこうほうたんにアムネマチンとも、またマチェンガンリ(瑪卿崗日)、瑪積雪山ゆきやまともいう[10][8]

チベット民族みんぞく四大しだい聖地せいちのひとつで、黄河こうが源流げんりゅうちかくにある[12]

現地げんち住民じゅうみんとの関係かんけいもありなが登山とざん困難こんなんやまであったが、1981ねん5月22にち日本にっぽん渡辺わたなべ義一ぎいちろうふく隊長たいちょう)ら上越じょうえつ山岳さんがく協会きょうかいアムネマチン友好ゆうこう登山とざんたいはつ登頂とうちょうした[13][14]

歴史れきし[編集へんしゅう]

アムネマチンのふるとしては、『漢書かんしょ西域せいいきでん、『みずけいちゅう』などに、黄河こうが水源すいげんとされる「せき石山いしやま」という地名ちめいえる[15][11]。『しんとうしょ』吐蕃でんには「紫山しざん」、『もと地理ちりこころざしかわげん附録ふろくには「大雪山たいせつざん」とある[11]

アムネマチンは1920年代ねんだいからなぞ高峰こうほうとして登山とざん注目ちゅうもくあつめ、一時いちじエベレスト(8,848メートル)よりもたかやまがある可能かのうせいろんじられた[4][16]

1922ねんにアムネマチンを視認しにんしたイギリスの探検たんけんジョージ・ペレイラ英語えいごばんは、すくなくとも7,600メートル以上いじょうで、エベレストよりたか可能かのうせいがある、と主張しゅちょうした[17][18]。アメリカの探検たんけんジョセフ・フランシス・チャールズ・ロックは、『ナショナルジオグラフィック』1930ねん2がつごうにおいて、すくなくとも28,000フィート(やく8,500メートル)のたかさがある、と主張しゅちょうした[19][17]

1944ねん3がつべい軍機ぐんきがインドから中国ちゅうごくかう途中とちゅう高度こうど30,000フィート(やく9,100メートル)で飛行ひこうちゅうにもかかわらず、機体きたいよりすくなくとも2,000フィート(やく600メートル)もたかやま目撃もくげきした、と報告ほうこくし、これがアムネマチンではないかとうたがわれた[18]。このニュースは当時とうじおおくの新聞しんぶん掲載けいさいされたが、ジャーナリストのジョン・クラカワーは、山頂さんちょう目撃もくげきしたというDC-3は、そもそもこの高度こうど(クラカワーは9,300メートルとしている)で飛行ひこうすることは不可能ふかのうであり、このはなしは、だい20空軍くうぐん将校しょうこうたちが従軍じゅうぐん記者きしゃをからかう目的もくてき捏造ねつぞうしたつくばなしだとしている[20]

1948ねん4がつ、アメリカのボールペン製造せいぞう業者ぎょうしゃミルトン・レナルズ英語えいごばんとパイロットのビル・オドムがC-87探検たんけんこころみ、高度こうど9,450メートルでアムネマチンを目撃もくげきした、と主張しゅちょうした[21]

1949ねん、アメリカじんのレナード・クラークが、かいぞく軍閥ぐんばつうまあゆみかおる青海あおみしょう政府せいふ主席しゅせき)の支援しえんのもとに、アムネマチンの探検たんけんこころみた。このときクラークは、三角さんかく測量そくりょうもとづき、標高ひょうこうを9,041メートルと報告ほうこくしている[22][23]

1960ねん6がつ北京ぺきん地質ちしつ学院がくいん登山とざんたいはくすすむこう隊長たいちょう)が、6月2にちにアムネマチンのはつ登頂とうちょう成功せいこうしたと発表はっぴょうした[24][18]当初とうしょ標高ひょうこうは7,160メートルと報告ほうこくされていたが、1980ねん、6,282メートルに訂正ていせいされていたことがあきらかとなった[25]標高ひょうこう大幅おおはばひくくなった理由りゆうについて、中国ちゅうごく登山とざん協会きょうかいふみうらないはる中国語ちゅうごくごばんふく主席しゅせきは、べい軍機ぐんき北京ぺきん地質ちしつ学院がくいんたい使用しようした高度こうどけい気圧きあつ変化へんかのためにくるっていたと説明せつめいし、6,282メートルは航空こうくう測量そくりょう結果けっかだとしている[26]。また、1980ねん青海あおみ登山とざん協会きょうかいによるさい調査ちょうさで、北京ぺきん地質ちしつ学院がくいんたいのぼったのは主峰しゅほうではなくIIほう(6,268メートル)[9][4]であったことも判明はんめいし、1980ねん9がつ来日らいにちした中国ちゅうごく登山とざん協会きょうかい代表だいひょうだんは、公式こうしき未踏みとうほうであることをみとめた[27]

1979ねん10がつ中国ちゅうごく登山とざん協会きょうかいは、アムネマチンをふくむ8つのやま[28]について、よく1980ねんより外国がいこく登山とざんたい開放かいほうすると発表はっぴょうした[29][30]。これをけて日本にっぽん上越じょうえつ山岳さんがく協会きょうかい新潟にいがたけん上越じょうえつ登山とざんグループ)がアムネマチン主峰しゅほうへの登山とざん申請しんせいし、1980ねん2がつ許可きょかされた[31]

1981ねん5がつ22にち上越じょうえつ山岳さんがく協会きょうかいアムネマチン友好ゆうこう登山とざんたい多田ただ勇三ゆうぞう隊長たいちょう)の渡辺わたなべ義一ぎいちろうふく隊長たいちょう)・山本やまもと義雄よしお三宅みやけ克巳かつみの3にんはつ登頂とうちょう成功せいこうした[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 上越じょうえつ山岳さんがく協会きょうかい 1982, pp. 145–147, 渡辺わたなべ義一ぎいちろう未踏みとうへの挑戦ちょうせん」.
  2. ^ 上越じょうえつ山岳さんがく協会きょうかい 1982, p. 51, 渡辺わたなべ義一ぎいちろうまぼろしやまアムネマチン」.
  3. ^ 上越じょうえつ山岳さんがく協会きょうかい 1982, p. 184, たんきょう通訳つうやくたりいたり」.
  4. ^ a b c d "アムネマチン山脈さんみゃく". 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ). コトバンクより2021ねん11月24にち閲覧えつらん
  5. ^ アムネマチンさんひゃく百科ひゃっか (中国ちゅうごく)
  6. ^ 上越じょうえつ山岳さんがく協会きょうかい 1982, p. 186, たんきょう通訳つうやくたりいたり」.
  7. ^ 上越じょうえつ山岳さんがく協会きょうかい 1982, p. 185, たんきょう通訳つうやくたりいたり」.
  8. ^ a b "アニエマチェン[山脈さんみゃく]". 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だい2はん. コトバンクより2020ねん11月24にち閲覧えつらん
  9. ^ a b "アムネマチン[やま]". 百科ひゃっか事典じてんマイペディア. コトバンクより2020ねん11月24にち閲覧えつらん
  10. ^ a b "せき石山いしやま". 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だい2はん. コトバンクより2021ねん11月24にち閲覧えつらん
  11. ^ a b c 諸橋もろはし 1967, p. 626.
  12. ^ はなのアムネマチン山麓さんろく黄河こうがげん流域りゅういきたずねて (2013ねん)
  13. ^ 上越じょうえつ山岳さんがく協会きょうかい 1982.
  14. ^ アムネマチンを日本にっぽん登山とざんたいはつ登頂とうちょう 1981 (American Alpine Journal)英語えいご
  15. ^ 上越じょうえつ山岳さんがく協会きょうかい 1982, pp. 45–47, 渡辺わたなべ義一ぎいちろうまぼろしやまアムネマチン」.
  16. ^ クラカワー 2000, pp. 200–206.
  17. ^ a b クラーク 1959, p. 124.
  18. ^ a b c 大曾根おおそね 1960, p. 157.
  19. ^ Rock, Joseph F. (1930-2), “Seeking the Mountains of Mystery: An Expedition on the China-Tibet Frontier to the Unexplored Amnyi Machen range, One of Whole Peaks Rivals Everest”, National Geographic 57 (2): 131-185 
  20. ^ クラカワー 2000, p. 202.
  21. ^ クラカワー 2000, pp. 202–205.
  22. ^ クラーク 1959.
  23. ^ クラカワー 2000, pp. 205–206.
  24. ^ 大曽根おおそねじゅんあかりかるみにほうアムネ・マチンのなぞ」『やま渓谷けいこくだい256ごうやま渓谷社けいこくしゃ、46-47ぺーじ、1960ねん8がつ 
  25. ^ 上越じょうえつ山岳さんがく協会きょうかい 1982, pp. 27–28, 渡辺わたなべいわお「アムネマチンへのはちねん」.
  26. ^ 「またひくくなったまぼろし世界せかい最高峰さいこうほう」『朝日新聞あさひしんぶん』1980ねん9がつ5にち、16めん
  27. ^ 上越じょうえつ山岳さんがく協会きょうかい 1982, p. 33, 渡辺わたなべいわお「アムネマチンへのはちねん」.
  28. ^ チベットのチョモランマ(エベレスト)、シシャパンマ新疆しんきょうウイグル自治じちムスタグアタコングールコングール・チュベ中国語ちゅうごくごばんボゴダ四川しせんしょうミニヤコンカ青海あおみしょうのアムネマチン。
  29. ^ 上越じょうえつ山岳さんがく協会きょうかい 1982, p. 22, 渡辺わたなべいわお「アムネマチンへのはちねん」.
  30. ^ 中国ちゅうごくはちみね解放かいほう」『読売新聞よみうりしんぶん』1979ねん10がつ28にち、16めん
  31. ^ 上越じょうえつ山岳さんがく協会きょうかい 1982, pp. 24–25, 渡辺わたなべいわお「アムネマチンへのはちねん」.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

参照さんしょう項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]