アルフレッド・コルトー

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アルフレッド・コルトー
Alfred Cortot
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい Alfred Denis Cortot
生誕せいたん 1877ねん9月26にち
スイスの旗 スイス ニヨン
死没しぼつ (1962-06-15) 1962ねん6月15にち(84さいぼつ
スイスの旗 スイス ローザンヌ
ジャンル クラシック音楽おんがく
職業しょくぎょう ピアニスト
指揮しきしゃ
教育きょういくしゃ
著述ちょじゅつ
担当たんとう楽器がっき ピアノ

アルフレッド・ドニ・コルトーAlfred Denis Cortot, 1877ねん9月26にちスイスニヨン - 1962ねん6月15にち・スイス、ローザンヌ)は、20世紀せいき前半ぜんはんフランス代表だいひょうするピアニスト[1]指揮しきしゃ教育きょういくしゃ著述ちょじゅつ

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

ブルゴーニュにルーツをつフランスじんちちとして、ジュラ地方ちほうにルーツをつスイスじんははとしてスイスにまれる[2]彫刻ちょうこくジャン=ピエール・コルトー作曲さっきょくエドガー・ヴァレーズ親戚しんせきにあたる[2]苗字みょうじ本来ほんらいつづりはCortoであり、祖先そせんカタルーニャ出身しゅっしんともかんがえられている[2]

2人ふたりあね指導しどうののち、パリ音楽おんがくいん予備よびショパンから助言じょげんたことのあるエミール・デコム英語えいごばんに、高等こうとうではルイ・ディエメ師事しじ[3]、1896ねんにショパンのバラードだい4ばん一等いっとうしょう受賞じゅしょうする。しかし、予備よびクラスを落第らくだいしたこともあり、サン=サーンスから酷評こくひょうされたこともあるなど、音楽おんがく院内いんない評価ひょうか当初とうしょあまりかんばしくなかった[4]

ピアニストとして楽壇がくだんにデビューしたが、ワーグナー作品さくひん傾倒けいとうし、先輩せんぱいであったエドゥアール・リスレール(1873ねん - 1929ねん)にしたがってバイロイトおもむき、1896ねんから1897ねんまでバイロイト音楽おんがくさい助手じょしゅつとめた。1902ねんごろからは指揮しきしゃとして活動かつどう、ワーグナーの『かみ々の黄昏たそがれ』のフランス初演しょえんおこなうなどした[5]。1905ねんにはヴァイオリニストジャック・ティボーチェリストパブロ・カザルスカザルスさん重奏じゅうそうだん結成けっせい、1920年代ねんだい後半こうはんにいたるまで素晴すばらしい演奏えんそうひろげたが、最終さいしゅうてきにはティボーとのなか疎遠そえんになって解散かいさんした。だいいち世界せかい大戦たいせんこうはピアニストとして欧米おうべいをあまねく巡演じゅんえんひろ賞賛しょうさんあつめた。

1907ねんパリ音楽おんがくいん教授きょうじゅ就任しゅうにんしたが、「音楽おんがくいん育成いくせいは、ピアニストだとピアノのことしか出来できなくなる輪切わぎりシステムだ」といつつ改革かいかくうったえていた。1919ねん理想りそう実現じつげんのため、オーギュスト・マンジョとともにみずからの音楽おんがく学校がっこうエコールノルマル音楽おんがくいん設立せつりつし、同年どうねんパリ音楽おんがくいん辞任じにんした。さらに教育きょういく活動かつどうにもちからそそぎ、あさから公開こうかいレッスンを精力せいりょくてきった。エコールノルマル音楽おんがくいんにはかれかんしたサル・コルトーというひびきの優秀ゆうしゅうなホールがある。コルトーが絶賛ぜっさんしたがコンクールで優勝ゆうしょうできなかったディヌ・リパッティを、審査しんさいんりるという行動こうどう擁護ようご、そして熱心ねっしんにデビューをたすけたりもした[6]

だい世界せかい大戦たいせんさいしてはヴィシー政権せいけんかかわりをもち、フランスの未曾有みぞう国難こくなん対処たいしょしようとしたが、戦後せんごはナチスのまえ演奏えんそうしたことなどのせめわれ、フランス国内こくないでの演奏えんそう機会きかい完全かんぜんうばわれるなど不遇ふぐうであった。1952ねんには来日らいにち[7]もしており、ベートーヴェンピアノソナタだい14ばん月光げっこうなどを演奏えんそうした。来日らいにち演奏えんそうちゅう写真しゃしん、サインにおうじる写真しゃしんおおのこされている。

つまのいとこリーズ・ブルムはレオン・ブルム最初さいしょつまであった[8]

演奏えんそうスタイル[編集へんしゅう]

ピアニストとしてのコルトーは、ショパンシューマンなどのロマンフランクからドビュッシーにいたるフランス近代きんだい中心ちゅうしんとした比較的ひかくてきせま範囲はんいをレパートリーとしていた。しかし、当時とうじ録音ろくおん技術ぎじゅつ聴衆ちょうしゅうそう趣味しゅみ制約せいやくのため、断念だんねんした曲目きょくもくすくなくない[9]うつくしいタッチと個性こせいてきテンポ・ルバート駆使くしした演奏えんそうは、ふか詩情しじょう多彩たさい感情かんじょうえがした比類ひるいのないものであり、聴衆ちょうしゅうおおきな感動かんどうあたえた。

すうおおくの録音ろくおんのほか、『ショパン』『フランス・ピアノ音楽おんがく』といった著作ちょさく(いずれも日本語にほんごやくあり)、サラベールしゃから出版しゅっぱんされた、一般いっぱんに「コルトーばん」といわれる「学習がくしゅうばん」の楽譜がくふ(ショパン、シューマンなど、一部いちぶ日本語にほんごやくあり)や、ピアノ演奏えんそうのメカニックを体系たいけいしてしめした『教則きょうそくほん』(日本語にほんごやく:『コルトーのピアノメトード』)ものこされている。「学習がくしゅうばん」はかたまったくわからない初心者しょしんしゃのために、作品さくひん歴史れきしいたるまでおおくの解説かいせついている。なお、コルトーはモーツァルトをあまり評価ひょうかしていなかったため、「学習がくしゅうばん」は出版しゅっぱんされていない。

ベートーヴェンを尊敬そんけいしていたわりには、その録音ろくおんのこすことはすくなかったが、スイスで録音ろくおんされた協奏曲きょうそうきょくだい1ばん死後しご公表こうひょう[10]された。発売はつばいされることはなかったが、晩年ばんねんにはピアノソナタの全曲ぜんきょく録音ろくおん検討けんとうされており、いくつかのテイクがのこされている。

指導しどう[編集へんしゅう]

コルトーは「1にちあたり午前ごぜんちゅう中心ちゅうしんに、5時間じかん以内いない練習れんしゅうをするように」とったという[よう出典しゅってん]。これはショパンの「ピアノは1にち3あいだで、つかれたらその都度つどやすむように」や、ノヴァエスの「主人しゅじんから3時間じかん以上いじょうくなとわれていますし、わたしもそうおもうのですよ」などの演奏えんそう哲学てつがくている。ひまさえあれば1にちに8時間じかんでも10時間じかんでも練習れんしゅうすればするほどい、と主張しゅちょうする日本にっぽん指導しどうしゃおおいが、これはリストの「おもいピアノで1にち6あいだ」が元祖がんそになっている。コルトーは明確めいかくにショパンのがわっており、演奏えんそう無駄むだうごきを軽減けいげんするためのうんゆびほう確立かくりつつとめている。

コルトーの直接ちょくせつ指導しどうけた門下生もんかせいでは、ディヌ・リパッティクララ・ハスキル遠山とおやま慶子けいこエリック・ハイドシェックなどが有名ゆうめいである。それぞれが非常ひじょうつよ個性こせいっていることから、コルトーの指導しどう方針ほうしんとして、おのおののピアニストの個性こせい重視じゅうしする指導しどうほうがあったようである。ハスキルがくなったことをいたむメッセージの録音ろくおん存在そんざいする。ただし、ハスキルのパリ音楽おんがくいん在学ざいがくにはかなり冷淡れいたん態度たいどせっしており、指導しどうもほとんど同僚どうりょうのレヴィにまかせていた。

エコールノルマルのマスタークラスでは、コルトーの指導しどうは「まるで詩人しじん朗読ろうどくのようであった」くらい、おおくの語彙ごいんでいたといわれる。これは、ほとんど言葉ことばたよらず簡潔かんけつ指示しじマルグリット・ロン公開こうかい講座こうざとはせい反対はんたい態度たいどでもある。

録音ろくおん[編集へんしゅう]

  • ワーグナートリスタンとイゾルデよりあい - 1902ねん、コルトーのはつ録音ろくおんのうちのひとつ。 フランス語ふらんすごうたフェリア・リトヴィーヌ英語えいごばんのピアノ伴奏ばんそう担当たんとうしている。
  • ショパン24の前奏ぜんそうきょく - 1920年代ねんだいに1かい、1930年代ねんだいに1かい、1940年代ねんだいに1かい、そして伝説でんせつの1955ねんミュンヘン・ライブ(モナコとつたえられたがあやまり)をて、1957ねん最後さいご全曲ぜんきょく録音ろくおんのこした。この5かいすべてが復刻ふっこく対象たいしょうになっている。
  • シューマン:「子供こども情景じょうけい」「交響こうきょうてき練習れんしゅうきょくおよび「クライスレリアーナ」において、作品さくひん世界せかい見事みごと表現ひょうげんした。SP時代じだいのピアノ協奏曲きょうそうきょく録音ろくおんは、おおくのピアニストに「デビューならシューマンの協奏曲きょうそうきょくで」という若手わかてこうたないほど影響えいきょうあたえた。
  • リストピアノソナタ - リストの音源おんげんはシューマンやショパンほどのこされることはなかったが、外面がいめんてき効果こうかはいして、ピアノ音楽おんがく史上しじょう名作めいさくにこれだけの情感じょうかんあたえた演奏えんそうおおくない。
  • ラヴェル - ミュンシュ指揮しきパリ管弦楽かんげんがくだんとの協演きょうえんになる左手ひだりてのためのピアノ協奏曲きょうそうきょくは、フランス音楽おんがくにおける演奏えんそう芸術げいじゅつひとつの頂点ちょうてんをなしているとって過言かごんではない。間違まちがいもおおいが、カデンツァ濃厚のうこう詩情しじょうのピアニストをけないすごみをつ。
  • フランク交響こうきょう変奏曲へんそうきょく - コルトー全盛期ぜんせいき演奏えんそう現在げんざい奏者そうしゃ演奏えんそうすると、楽譜がくふどおりのインテンポで地味じみ仕上しあがることがおおく(21世紀せいき以降いこうとくに)ピアニストや指揮しきしゃからも敬遠けいえんされることがおおくなった今日きょう、この作品さくひんたいする最上さいじょう解釈かいしゃく提供ていきょうした演奏えんそうとして、現在げんざい復刻ふっこくえることがない。
  • ブラームスヴァイオリンとチェロのためのじゅう協奏曲きょうそうきょく - コルトー指揮しき録音ろくおんおおくはのこっていないが、ティボーカザルスとのなかかった時期じき録音ろくおんされていたことはさいわいであった。テンポがピアノ・ソロのように変化へんかし、一切いっさいみだれもない。
  • ベートーヴェンピアノ協奏曲きょうそうきょくだい1ばん - 戦後せんごフランスでの演奏えんそう機会きかいうしなったコルトーが、ローザンヌおこなったライブ演奏えんそう音量おんりょううしなわれているが、表現ひょうげんつつましくオーケストラにっており、古典こてん作品さくひんへの眼差まなざしをつたえる貴重きちょういちまい

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Cortot, Alfred, La musique française de piano, 1930–48
  • —, Cours d’interprétation, 1934 (Studies in Musical Interpretation, 1937)
  • —, Aspects de Chopin, 1949 (In Search of Chopin, 1951)
  • Gavoty, Bernard, Alfred Cortot, 1977 (French)
  • Manshardt, Thomas, Aspects of Cortot, 1994
  • John Hunt: Pianists for the connoisseur. London, 2002. ISBN 1-901395-12-X.
  • Christian Doumet, Grand art avec fausses notes, Seyssel, Champ Vallon, coll. « Recueil », 2009, 204 p. (ISBN 978-2-87673-520-0, notice BnF no FRBNF42126197, présentation en ligne)
  • Jean-Luc Tingaud, Cortot-Thibaud-Casals, un trio, trois solistes, Paris, Josette Lyon, coll. « Les interprètes créateurs », 2000, 194 p. (ISBN 2-84319-028-2, notice BnF no FRBNF37210383)
  • François Anselmini, Rémi Jacobs, Murray Perahia et al., « Alfred Cortot, ombres et lumières d'une légende du piano », Diapason magazine, no 605, septembre 2012, p. 22-32 Document utilisé pour la rédaction de l’article
    • フランソワ・アンセルミニ/レミ・ジャコブ『コルトー=ティボー=カザルス・トリオ じゅう世紀せいき音楽おんがく遺産いさん桑原くわばら威夫たけおやく春秋しゅんじゅうしゃ、2022ねん
  • Myriam Chimènes, « Alfred Cortot et la politique musicale du gouvernement de Vichy », dans Myriam Chimènes (dir.) et al., La Vie musicale sous Vichy, Bruxelles, Éditions Complexe, coll. « Histoire du temps présent », 2001, 420 p. (ISBN 2-87027-864-0, notice BnF no FRBNF37684437, lire en ligne), p. 36-52 Document utilisé pour la rédaction de l’article
  • Guide Diapason, « Alfred Cortot », dans Dictionnaire des disques Diapason : Guide critique de la musique classique enregistrée, Paris, Éditions Robert Laffont, coll. « Bouquins », 1981, 420 p. (ISBN 2-221-50233-7, notice BnF no FRBNF34655063) Document utilisé pour la rédaction de l’article

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Information Centre - Alfred Denis Cortot”. chopin.nifc.pl. 2019ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c ベルナール・ガヴォティ『アルフレッド・コルトー』p.10(白水しろみずしゃ、1982ねん
  3. ^ 著者ちょしゃ吉澤よしざわヴィルヘルム、発行はっこうしゃ矢野やの恵二けいじ『ピアニストガイド』株式会社かぶしきがいしゃあおゆみしゃ印刷所いんさつしょ製本せいほんしょあつとくしょ、2006ねん2がつ10日とおか、220ページ、ISBN 4-7872-7208-X
  4. ^ ただし、サン=サーンスは音楽おんがくいん直接ちょくせつ関係かんけいしていたわけではない
  5. ^ これらの録音ろくおんはない。
  6. ^ コルトーのまねきでEMIと専属せんぞく契約けいやくしたのはこれが発端ほったん
  7. ^ コルトー・イン・ジャパン1952”. www.hmv.co.jp. www.hmv.co.jp. 2021ねん9がつ9にち閲覧えつらん
  8. ^ ベルナール・ガヴォティ『アルフレッド・コルトー』p.125(白水しろみずしゃ、1982ねん
  9. ^ アメリカ演奏えんそう旅行りょこうさいにはラフマニノフのピアノ協奏曲きょうそうきょく演奏えんそうしたこともある
  10. ^ Piano Archives - Alfred Cortot and Vlado Perlemuter”. www.musicweb-international.com. 2019ねん10がつ21にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]