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エリック・ハイドシェック (Éric Heidsieck , 1936年 ねん 8月 がつ 21日 にち - )はフランス のピアニスト 。シャンパーニュ 地方 ちほう のランス 生 う まれ。ドイツ系 けい の家系 かけい であり、独語 どくご 読 よ みの場合 ばあい はハイトジーク 、仏語 ふつご 読 よ みではアイドシック 。有名 ゆうめい なシャンパン 醸造 じょうぞう 元 もと シャルル・エドシック (英語 えいご 版 ばん ) (アイドシック)家 か の御曹司 おんぞうし 。父 ちち はアマチュアチェロ 奏者 そうしゃ 、母 はは はピアニストという恵 めぐ まれた音楽 おんがく 環境 かんきょう の元 もと で育 そだ ち、5歳 さい でピアノを始 はじ める。
エリック・ハイドシェックはアルフレッド・コルトー の愛弟子 まなでし の一人 ひとり であり、コルトーの勧 すす めで6歳 さい より本格 ほんかく 的 てき な勉強 べんきょう を始 はじ める。1952年 ねん にパリ国立 こくりつ 高等 こうとう 音楽 おんがく 院 いん に進学 しんがく 。ブランシュ・バスクレ・ド・ゲラルディ(Blanche Bascouret de Gueraldi)、マルセル・シャンピ に師事 しじ 。1954年 ねん にプルミエ・プリ(首席 しゅせき )で卒業 そつぎょう する。
1955年 ねん フランス、サル・ガヴォー でデビューを果 は たし、同年 どうねん パリのシャンゼリゼ劇場 げきじょう でのリサイタルが成功 せいこう し、名声 めいせい を高 たか める。1957年 ねん にはヴィルヘルム・ケンプ の薫陶 くんとう も受 う けている。
1960年 ねん にアメリカデビューを果 は たし、ターニャ と結婚 けっこん 。50年代 ねんだい 末 まつ から60年代 ねんだい にかけてのハイドシェックは主 おも にモーツァルト 弾 び きとして、ヴァンデルノート と第 だい 20番 ばん 、第 だい 21番 ばん 、第 だい 23番 ばん 、第 だい 24番 ばん 、第 だい 25番 ばん 、第 だい 27番 ばん のピアノ協奏曲 きょうそうきょく の録音 ろくおん を残 のこ している。また師匠 ししょう のアルフレッド・コルトー には彼 かれ の死 し の年 とし (1962年 ねん )まで指導 しどう を受 う ける。その後 ご 、旧 きゅう ソ連 それん 、イギリス等 とう で活動 かつどう した。特 とく に日本 にっぽん には熱心 ねっしん なファンが多 おお い。またリヨン国立 こくりつ 高等 こうとう 音楽 おんがく 院 いん 教授 きょうじゅ を17年間 ねんかん つとめ、後進 こうしん の指導 しどう にも当 あ たっている。
ベートーヴェン とモーツァルトの個性 こせい 的 てき かつスタイリッシュな解釈 かいしゃく で知 し られる。1989年 ねん から1994年 ねん にかけて愛媛 えひめ 県 けん 宇和島 うわじま 市 し の南 みなみ 予 よ 文化 ぶんか 会館 かいかん で行 おこな われた一連 いちれん のライブ録音 ろくおん は宇野 うの 功 いさお 芳 かおる の絶賛 ぜっさん と相 あい まって有名 ゆうめい であり、中 なか でもベートーヴェンの『テンペスト 』は評価 ひょうか が高 たか い。他 ほか にも賛否 さんぴ は分 わ かれるが、ショパン やブラームス 、シューベルト 、ドビュッシー 、フォーレ 、ヘンデル 、シューマン 、ラヴェル なども得意 とくい としている。即興 そっきょう 演奏 えんそう も得意 とくい で、さまざまな音楽 おんがく 様式 ようしき に関 かん する知識 ちしき を用 もち いて、《ラ・マルセイエーズ の主題 しゅだい による変奏曲 へんそうきょく 》といった変 か わった録音 ろくおん も残 のこ しており、たびたびリサイタルのアンコール で取 と り上 あ げられる。
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