(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ジャン=ピエール・コルトー - Wikipedia コンテンツにスキップ

ジャン=ピエール・コルトー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャン=ピエール・コルトー
Jean-Pierre Cortot
ドミニク・アングルによる肖像しょうぞう
生誕せいたん 1787ねん8がつ20日はつか
フランスの旗 フランスパリ
死没しぼつ 1843ねん8がつ12にち
フランスの旗 フランス、パリ
テンプレートを表示ひょうじ

ジャン=ピエール・コルトー(Jean-Pierre Cortot、1787ねん8がつ20日はつか - 1843ねん8がつ12にち)はフランス彫刻ちょうこくである。

経歴けいれき

[編集へんしゅう]

パリまれた。13さいエコール・デ・ボザール入学にゅうがくし、シャルル=アントワーヌ・ブリダン(Charles-Antoine Bridan: 1730-1805)のスタジオでまなび、ルイ=シモン・ボアゾ(Louis-Simon Boizot: 1743-1809)、フランソワ=フレデリック・ルモ(François-Frédéric Lemot: 1771-1827)、ジャン=ギヨーム・モワット(Jean Guillaume Moitte: 1746-1810)、クロード・ラミー(Claude Ramey: 1754-1838)、フィリップ=ローラン・ロラン(Philippe-Laurent Roland: 1746-1816)といった彫刻ちょうこく助手じょしゅとしてはたらいた。

1809ねんフランソワ・リュード(1784-1855)ときそって、ローマしょう受賞じゅしょうし、1810ねんからざいローマ・フランス・アカデミーまなび、ローマでは画家がかドミニク・アングルい、アングルはコルトーの肖像しょうぞうのこした。留学りゅうがく期間きかんを5年間ねんかん延長えんちょうし、ローマでは、ナポレオン美術館びじゅつかんルーヴル美術館びじゅつかん)の初代しょだい館長かんちょうにんじられた、ヴィヴァン・ドゥノンの依頼いらいで1812ねんからナポレオンのぞう制作せいさく従事じゅうじするが、この作品さくひんは、ナポレオンの凋落ちょうらくによって廃棄はいきされ、ルイ18せいぞうえられた。

パリもどったのち、1819ねんからサロン・ド・パリ出展しゅってんはじめ、そのとし大賞たいしょう受賞じゅしょうした。1840ねんまでサロンに出展しゅってんつづけた。1825ねんパリ国立こくりつ高等こうとう美術びじゅつ学校がっこう教授きょうじゅにんじられ、1826ねん芸術げいじゅつアカデミー会員かいいんえらばれた。コルトーがおしえた学生がくせいにはジョゼフ=マリウス・ラムス、ジャン=ジャック・フシェルピエール・ルイ・ルイヤールがいる。

1841ねんレジオンドヌール勲章くんしょう(オフィシエ)を受勲じゅくんした。

作品さくひん

[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • Pierre Kjellberg, Le Nouveau guide des statues de Paris, Paris, La Bibliothèque des Arts, 1988.