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エウフロニオス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
パリ ルーヴル美術館びじゅつかん G 106: スキタイひと射手しゃしゅえがいたアンフォラ紀元前きげんぜん510ねん-500ねんごろ)

エウフロニオス(Euphronios、紀元前きげんぜん535ねんごろ - 紀元前きげんぜん470ねん以降いこう)は古代こだいギリシア陶工とうこうけん絵付えつけで、紀元前きげんぜん6世紀せいきまつから紀元前きげんぜん5世紀せいきはじめのアテナイ活動かつどうした。エウフロニウスとも。「開拓かいたくしゃたち」または「先駆せんくしゃたち」とばれるグループ (Pioneer Group) の1人ひとりで、赤絵あかえしき陶器とうきもっと重要じゅうよう作家さっか1人ひとりとされている。その作品さくひんアーカイック後期こうきから古典こてん前期ぜんき過渡かとにあるとされている。

背景はいけい

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古代こだいギリシアの陶器とうき絵付えつけ発見はっけん

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彫刻ちょうこくなどのほか古代こだいギリシアの芸術げいじゅつくらべると、古代こだいギリシアの文献ぶんけんには陶器とうき絵付えつけについての言及げんきゅう非常ひじょうすくない。芸術げいじゅつについての文献ぶんけんふるくから豊富ほうふにあるが、陶芸とうげいにはほとんど言及げんきゅうしていない。したがって、エウフロニオスの生涯しょうがいやその芸術げいじゅつてき発展はってんは、絵付えつけ同様どうよう、その作品さくひんぐんだけから推定すいていするしかない。

古代こだいギリシアの陶器とうきについての科学かがくてき研究けんきゅうは18世紀せいきまつごろからはじまった。当初とうしょ図像ずぞうがくてき関心かんしん中心ちゅうしんだった。1838ねん、エウフロニオスの署名しょめい発見はっけんされ、個々ここ陶器とうきについて絵付えつけ特定とくていできることがあきらかとなった。そこで絵付えつけ署名しょめいについての研究けんきゅうさかんとなり、19世紀せいきまつにはそれぞれの作風さくふう要約ようやくできるまでになった。

考古こうこ学者がくしゃ ジョン・ビーズリー はその要約ようやく自身じしん研究けんきゅう出発しゅっぱつてんとした。かれすうせんアッティカくろしき陶器とうきおよび赤絵あかえしき陶器とうき破片はへんについて、美術びじゅついえジョヴァンニ・モレッリ絵画かいが研究けんきゅう手法しゅほう応用おうようして体系たいけい分類ぶんるいした。アッティカの絵付えつけについての3かん著作ちょさくで、ビーズリーは今日きょうまでほぼそのまま通用つうようする分類ぶんるい達成たっせいしている。かれ既知きち絵付えつけ名前なまえ不明ふめいなものもふくめてすべての列挙れっきょした。現在げんざい名前なまえ不明ふめい絵付えつけおおい。

紀元前きげんぜん6世紀せいき後半こうはんのアテナイの状況じょうきょう

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エウフロニオスがまれたとされる紀元前きげんぜん535ねんごろ、アテナイでは僭主せんしゅペイシストラトス治世ちせい芸術げいじゅつ文化ぶんか花開はなひらいていた。当時とうじアッティカの陶器とうきおおくはくろしきだった。また当時とうじアッティカで生産せいさんされた陶器とうきだい部分ぶぶんエトルリア輸出ゆしゅつされていた。現存げんそんするアッティカせい陶器とうきおおくはエトルリアの墳墓ふんぼ副葬品ふくそうひんとしてあったものである。

当時とうじ陶器とうき絵付えつけはニコステネス(en)やアンドキデス(en)といった陶工とうこう新風しんぷうんでいた。アンドキデスの工房こうぼうでは紀元前きげんぜん530ねんごろから赤絵あかえしき陶器とうき生産せいさん開始かいしした。そして徐々じょじょ赤絵あかえしきふるくろしきってわるようになった。エウフロニオスはアテナイでの初期しょき赤絵あかえしき代表だいひょうする人物じんぶつとなった。わか絵付えつけともに、後世こうせい研究けんきゅうしゃから赤絵あかえしきの「開拓かいたくしゃたち」または「先駆せんくしゃたち」(Pioneer Group)とばれている。

Kachrylion の工房こうぼうでの修行しゅぎょう

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エウフロニオスは紀元前きげんぜん520ねんごろからプシアクス(en)の指導しどうした陶器とうき絵付えつけをはじめたとられている。のちにエウフロニオスはみずからの師匠ししょうふくめ、年上としうえ絵付えつけたちにも影響えいきょうをあたえるまでに成長せいちょうする。その陶工とうこう Kachrylion工房こうぼうはたらくようになり、絵付えつけオルトス(en)の指導しどうけるようになった。

エウフロニオスの作品さくひんには当初とうしょからその芸術げいじゅつてき特徴とくちょうあらわれている。神話しんわ場面ばめんえがくのが得意とくいで、堂々どうどうとした構図こうずこのむが、日常にちじょう生活せいかつ場面ばめん得意とくいとし、筋肉きんにくうごきの忠実ちゅうじつ再現さいげん特徴とくちょうとする。後者こうしゃ特徴とくちょう同様どうよう傾向けいこうがあるプシアクスの影響えいきょうれる。この時代じだい作品さくひんとしては破片はへんのぞけば、だいえい博物館はくぶつかん所蔵しょぞうするわん (E 41) とゲティ美術館びじゅつかん所蔵しょぞうする作品さくひん (77.AE.20) がある。

しかし、この時期じきもっと重要じゅうよう作品さくひんサルペードーンえがいた署名しょめいりの作品さくひんである。この時代じだいのエウフロニオスの作品さくひんはオルトスのものとされていたことがあり、この作品さくひんはじめて国際こくさいてきにエウフロニオスの初期しょき作品さくひんみとめられた。時代じだいには傑作けっさく署名しょめいすることが一般いっぱんするが、くろしき時代じだい赤絵あかえしき初期しょきには絵付えつけ署名しょめいするのはめずらしかった。

パリ ルーヴル美術館びじゅつかん G 34: わん: マイナスいかけるサテュロス

エウフロニオスの既知きち初期しょき作品さくひんにも、赤絵あかえしき絵付えつけに必要ひつよう技能ぎのうあらわれている。同様どうよう赤絵あかえしき標準ひょうじゅんとなった技法ぎほうおおくがかれ作品さくひん最初さいしょ採用さいようされたとられている。人間にんげん解剖かいぼうがくてき柔軟じゅうなんかつ正確せいかくえがくため、重要じゅうよう輪郭りんかくせんあつりしてげる技法ぎほう採用さいようし、スリップ(液状えきじょう粘土ねんど)を使用しようした。スリップはその使つかかたによってあかるい黄色おうしょくから茶色ちゃいろまで様々さまざま発色はっしょくし、芸術げいじゅつてき表現ひょうげん可能かのうせいおおきくひろげた。エウフロニオスの技術ぎじゅつ革新かくしん芸術げいじゅつてき革新かくしんあきらかにすぐさまひろまった。Kachrylionの工房こうぼうはたらいていたほか絵付えつけだけでなく、かつての師匠ししょうであるプシアクスやオルトスまでがエウフロニオスのしん技法ぎほうしん様式ようしき真似まねるようになっている。

Kachylionの工房こうぼう飲料いんりょうれる容器ようきしか生産せいさんしていなかったが、エウフロニオスはそこではたらつづけた。しかし、単純たんじゅんわんだけではかれ芸術げいじゅつてきひらめきを満足まんぞくさせられなくなっていった。かれ形状けいじょう陶器とうきにも絵付えつけするようになり、おそらく陶工とうこうともむようになったとられている。ヴィラ・ジュリア国立こくりつ博物館はくぶつかんはエウフロニオスのによる2つの初期しょきペリケ所蔵しょぞうしている。このようななか程度ていどおおきさの陶器とうきにより、人物じんぶつぞうえがけるスペースがさらにひろがった。ボストン美術館びじゅつかん所蔵しょぞうしているプシュクテールかれ初期しょき作品さくひんとされており、オルトスの作品さくひんとよくている。衣服いふくのしわがしっかりえがかれ、はアーモンドがたであごはちいさくていて、手足てあしはうまくえがきわけられていない。のちえがかれた粗雑そざつ作品さくひんというせつもある。

エウフロニオスのものとされる作品さくひん制作せいさく年代ねんだいについては、ほかにも異論いろんのある作品さくひんがある。かれ作品さくひん発展はってんとき系列けいれつについてはよくられているが、個々ここ作品さくひん正確せいかくにどの時点じてんくかはむずかしい問題もんだいである。たとえば、ベルリン古代こだい美術館びじゅつかん所蔵しょぞうパライストラ運動うんどうするおとこえがいたがくがたクラテールは、その陶器とうき形状けいじょうから後期こうき作品さくひんとされることがおおい。筋肉きんにく注意深ちゅういぶか描写びょうしゃあつりのせん使用しようなどいくつかすすんだ技法ぎほうられるが、くろしき様式ようしきされた技法ぎほう影響えいきょうられるという理由りゆう初期しょき作品さくひんだとするせつもある。それは、容器ようきくちまわりのツタ模様もよう図像ずぞうがかなりちいさいこと、オルトスの作品さくひんとの様式ようしきじょう類似るいじせいなどである。

エウフロニオスとEuxitheos: 円熟えんじゅく

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革新かくしん競争きょうそう

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パリ ルーヴル美術館びじゅつかん G 33: エウフロニオスとEuxitheosの共同きょうどう作品さくひんとされるがくがたクラテール

紀元前きげんぜん510ねんごろ、あらたな作品さくひんのための媒体ばいたいさがしていたエウフロニオスは、あらたな形状けいじょう装飾そうしょくをよくためしていた陶工とうこう Euxitheos の工房こうぼうはたらくようになった。この時期じきにエウフロニオスは陶工とうこうとしても絵付えつけとしても大胆だいたん実験じっけんこころみており、作品さくひんとき系列けいれつ順序じゅんじょはかなりの確実かくじつさで推定すいてい可能かのうとなっている。

この時期じき一部いちぶ現存げんそんしているがくがたクラテール(ルーヴル美術館びじゅつかん G 110)は、エウフロニオスが自身じしん芸術げいじゅつてき革新かくしん影響えいきょうにある程度ていど自覚じかくてきだったことをあんしめしている。その正面しょうめんには自身じしん紀元前きげんぜん520ねんわんにもえがいたことのある古典こてんてき場面ばめんヘーラクレースネメアーの獅子ししたたかいがえがかれている。しかし背面はいめんには2つの場面ばめん大胆だいたんかつ革新かくしんてきえがかれている。上部じょうぶにはコモス光景こうけいえがかれており、そのいの参加さんかしゃ極端きょくたん姿勢しせいえがかれている。下部かぶにはうでうしろにもたれさせた人物じんぶつ背後はいごぞうえがかれている。この光景こうけい印象いんしょうてきであるためエウフロニオスがこの作品さくひん署名しょめいしたとられている。その署名しょめい独特どくとくで、Euphronios egraphsen tade すなわち「エウフロニオスがこれらをえがいた」となっている。この作品さくひんは「開拓かいたくしゃたち」の代表だいひょうれいであり、1つの陶器とうき形式けいしき発展はってんにいかに寄与きよするかをしめしている。

革新かくしんすす過程かていで、工房こうぼうあいだ競争きょうそう激化げきかしていった。ミュンヘン古代こだい美術びじゅつ博物館はくぶつかんにはもう1人ひとりの「開拓かいたくしゃたち」であるエウテュミデス(en)のアンフォラがあり、「エウフロニオスにはけっしてえがけない」えがいたのだとしるされている。これにはライバルの技量ぎりょう尊敬そんけいしつつ、それと競争きょうそうしようとする姿勢しせいあらわれている。同様どうようにエウフロニオスの弟子でしられている若干じゃっかんわか絵付えつけスミクロス(en)は、師匠ししょう作品さくひんをそっくり真似まね作品さくひん成功せいこうした。ゲティ美術館びじゅつかんにあるスミクロスの署名しょめいプシュクテールには、エウフロニオスが Leagros という青年せいねん求愛きゅうあいするようえがかれている。Leagros のはエウフロニオスのカロスめい頻繁ひんぱんてくる。

ヘーラクレースとアンタイオス、サルペードーン - 2つの傑作けっさく

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パリ ルーヴル美術館びじゅつかん G 103: ヘーラクレースアンタイオスえがいたがくがたクラテール

ヘーラクレースとアンタイオスたたかいをえがいたがくがたクラテールはエウフロニオスの傑作けっさくの1つとされている。野蛮やばんリビア巨人きょじんアンタイオスと文明ぶんめいじんであるギリシアじん英雄えいゆう対比たいひは、ギリシアじん自己じこぞう極端きょくたんかたち反映はんえいさせたもので、苦闘くとうする人物じんぶつ筋肉きんにく正確せいかくえがくことで作品さくひん優美ゆうびさと力強ちからづよさをえている。りょうはしえがかれた女性じょせい優美ゆうびさが中央ちゅうおう2人ふたり力強ちからづよさを強調きょうちょうしている。この陶器とうき復元ふくげんさい下書したがきのせんつかった。それによるとエウフロニオスはけた巨人きょじんひろげたうでえがかたまよっていたが、絵付えつけにさいしてはその困難こんなん克服こくふくしている。

サルペードーンのクラテールの正面しょうめん

「サルペードーンのクラテール」または「エウフロニオスのクラテール」は紀元前きげんぜん515ねんごろのもので、一般いっぱんにエウフロニオスの最高さいこう傑作けっさくとされている。初期しょき有名ゆうめい作品さくひん同様どうよう、エウフロニオスは構図こうずなかサルペードーン配置はいちした。ゼウスいのちタナトスヒュプノスがサルペードーンの遺体いたい戦場せんじょうからはこ場面ばめんえがいている。中央ちゅうおう背後はいごヘルメースえがかれており、死出しでたび同伴どうはんする役割やくわりになっている。構図こうずりょうはしには前方ぜんぽうつめるトロイへいえがかれており、まえおこなわれていることにまったづいていない様子ようすである。かく人物じんぶつには名前なまえだけでなく説明せつめいぶん付与ふよされている。エウフロニオスは意図いとてきうすいスリップ(液状えきじょう粘土ねんど)を使つかい、様々さまざま色合いろあいをすことで場面ばめん活気かっきあたえている。しかしこのクラテールは、絵画かいが表現ひょうげん頂点ちょうてんであるだけでなく、エウフロニオスの芸術げいじゅつとしての頂点ちょうてんでもある。また、この陶器とうき赤絵あかえしき様式ようしき発展はってんにおいてもあらたな段階だんかいあらわしている。がくがたクラテールの形状けいじょうは、くろしき時代じだい陶工とうこう絵付えつけエクセキアス考案こうあんしたものだが、エウフロニオスは赤絵あかえしきてきしたあらたな工夫くふう形状けいじょうにもらしている。あし胴体どうたい下部かぶまる部分ぶぶんくろるため、赤絵あかえしき図像ずぞうえがける範囲はんい厳密げんみつまってしまう。エウフロニオスは通常つうじょうどおり、まわりに渦巻うずまき模様もようわくえがいている。そのものはエウフロニオスの典型てんけいてきな描法であり、力強ちからづよくダイナミックで緻密ちみつであり、解剖かいぼうがくてき正確せいかくでありながら、あいかんただよわせている。陶工とうこう絵付えつけもこの作品さくひん出来でき満足まんぞくしたらしく、両方りょうほう署名しょめいしている。このクラテールはエウフロニオスの作品さくひんとしては唯一ゆいいつ完全かんぜんかたち現存げんそんしている。ニューヨークメトロポリタン美術館びじゅつかんで1972ねんから展示てんじしている。正式せいしきには2006ねん2がつ所有しょゆうけんがイタリアにもどされていたが、メトロポリタン美術館びじゅつかんが2008ねん1がつまで賃貸ちんたい展示てんじつづけていた。現在げんざいはローマにある。

サルペードーンのクラテールの背面はいめん単純たんじゅん武装ぶそうする場面ばめんえがかれており、粘土ねんどかわまえいそいでえがかれたものである。あきらかにどう時代じだい場面ばめんであり、複数ふくすう若者わかもの戦争せんそうのための装備そうびにつけている場面ばめんである。どう時代じだい場面ばめんえがくこともエウフロニオスが赤絵あかえしきにもたらした革新かくしんであり、あらたな現実げんじつ主義しゅぎ象徴しょうちょうしている。日常にちじょう生活せいかつえがいた神話しんわえがいたを1つの作品さくひん同居どうきょさせるという手法しゅほうは、エウフロニオスやその追随ついずいしゃたちのおおくの作品さくひん特徴とくちょうとなっている。

日常にちじょう生活せいかつえが

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ベルリン古代こだい美術館びじゅつかん: 競技きょうぎまえ準備じゅんびをする選手せんしゅたち。紀元前きげんぜん510ねんから500ねんごろ

神話しんわ主題しゅだいとする以外いがいにも、エウフロニオスは日常にちじょう生活せいかつえがいた陶器とうき多数たすう制作せいさくしている。ミュンヘン古代こだい美術びじゅつ博物館はくぶつかんにあるがくがたクラテールにはシンポシオンえがかれている。4にんおとこながいすによこたわってワインをんでいる。"Syko" というえられたヘタエラ酌婦しゃくふ娼婦しょうふ)がふえいており、Ekphantides という主人しゅじんアポローンたたえるうたうたっている。そのくちから現代げんだい漫画まんがのフキダシように歌詞かしかれている。このようなはかなりありふれたものである。これはおそらくえがかれているのとたような状況じょうきょう使つかわれる陶器とうきだったということが理由りゆうの1つだが、エウフロニオスのような絵付えつけがこれにえがかれたようなかい参加さんかしていたか、参加さんかしたいとおもっていたことをあらわしているとられている(絵付えつけ当時とうじ社会しゃかいてき地位ちい解明かいめいされていない)。

サンクトペテルブルクエルミタージュ美術館びじゅつかんには署名しょめいのあるプシュクテールがあり、これもよくられている。4にんのヘタエラがもてなしている様子ようすえがいている。そのうちの1人ひとりには Smikraえられており、わか絵付えつけスミクロスを冗談じょうだんめかしてほのめかしたものではないかとされている。

宴会えんかいとはべつに、パライストラをえがいたものもあり、うごきや筋肉きんにく存分ぞんぶんえがくことができた。たとえばエウフロニオスのくろしき現存げんそんする唯一ゆいいつ作品さくひん断片だんぺん)があり、これはアテネのアクロポリスつかった。パンアテナイアさいのアンフォラ(en)だったとられ、アテーナー頭部とうぶ断片だんぺんてき確認かくにんできる。背面はいめんおもわれるがわには、パンアテナイアさいのアンフォラが賞品しょうひんとしてあたえられたパンアテナイアさい競技きょうぎ(en)の場面ばめんえがかれている。

後期こうき

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エウフロニオスの後期こうき作品さくひん帰属きぞく特定とくてい非常ひじょうむずかしい。これは絵付えつけがエウフロニオスの作品さくひんをそっくり真似まねたり、作風さくふう真似まねることがおおくなったことがおおきな要因よういんである。

アレッツォ近郊きんこうで18世紀せいきつかった署名しょめいのない渦巻うずまきがたクラテールがよくられている。どう部分ぶぶん主要しゅようあきらかにエウフロニオスのものとわかる。中央ちゅうおうにヘーラクレースとテラモーンアマゾーンたたかっている場面ばめんえがかれている。テラモーンはスキタイふう衣装いしょうまつわったきずついたアマゾーンに致命ちめいてきいちげきくわえようとしている。ヘーラクレースはけているアマゾーン Teisipyle とたたかっている。この後期こうき作品さくひんはエウフロニオスがさらにあらたな表現ひょうげん形態けいたい模索もさくしていたことをしめれいである。印象いんしょうてきなダイナミックさを特徴とくちょうとし、テラモーンのあし非常ひじょうにねじれた位置いちえがかれている。くびまわりにはコモス帯状おびじょうえがかれているが、エウフロニオスのによるものではないとられ、おそらく弟子でしのスミクロスかだれかがえがいたものではないかとされている。

そのクラテールはおおくの作品さくひん影響えいきょうあたえたとられている。たとえば、あるアンフォラ(ルーヴル美術館びじゅつかん G 107)はほとんどおな場面ばめんえがいているが、その作風さくふうはエウフロニオスのものとはおおきくことなる。このアンフォラにえがかれたヘーラクレースには「かれはスミクロスにぞくするようだ」という意味いみ奇妙きみょうぶんえられている。このため、この2人ふたり絵付えつけ合作がっさくられている。べつのアンフォラ (Leningrad 610) もおな場面ばめんえがいているが、こちらではヘーラクレースが射手しゃしゅとしてえがかれている。この作品さくひんえがかれている場面ばめんだけでなく作風さくふうもエウフロニオスのものにちかく、Beazley は躊躇ちゅうちょしながらこれをエウフロニオスに帰属きぞくさせた。問題もんだいは、スミクロスの技量ぎりょう作風さくふう師匠ししょうきわめてちかくなったため、作品さくひん区別くべつすることが困難こんなんになったことである。

エウフロニオスの絵付えつけとしての作品さくひんぐん (Louvre G 33, Louvre G 43) はつよ単純たんじゅん特徴とくちょうである。構図こうず初期しょきのものより大雑把おおざっぱだが、これは紀元前きげんぜん500ねん以降いこうエウフロニオスが陶工とうこうとしての仕事しごと集中しゅうちゅうするようになったためではないかとされている。

陶工とうこうとしてのエウフロニオス

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紀元前きげんぜん500ねんごろ、エウフロニオスは陶芸とうげい工房こうぼう経営けいえいいだとられる。古代こだいギリシアの陶芸とうげい歴史れきしじょう陶工とうこうとしても絵付えつけとしても活動かつどうすることはめずらしくない。どう時代じだいでは、フィンティアス(en)やエウテュミデスがやはり陶工とうこうとしても活動かつどうしている。エウフロニオスが特別とくべつなのは、最初さいしょ絵付えつけとしてのみ活動かつどうし、その陶工とうこうとしてのみ活動かつどうするようになったてんである。

パリ ルーヴル美術館びじゅつかん G 105: エウフロニオスが陶工とうこうとして署名しょめいしているわん絵付えつけはオネシモス (en)

すう年間ねんかん、エウフロニオスの工房こうぼうおもわん生産せいさんしていた。工房こうぼうかまえた陶工とうこうはいわば個人こじん事業じぎょうおもであり、絵付えつけ従業じゅうぎょういんだった。したがって、陶工とうこうほうかねもうかるため、エウフロニオスもこのような転身てんしんをしたとられている。ほかにも、エウフロニオスが陶工とうこう陶芸とうげい)という技能ぎのうせられたためだというせつもある。実際じっさい陶工とうこうとしてのうでもよかった。かれ陶工とうこうとして署名しょめいした作品さくひん絵付えつけとして署名しょめいした作品さくひんよりもおお現存げんそんしている。また、視力しりょく悪化あっかしたために転職てんしょくしたというせつもある。この最後さいごせつ補強ほきょうする証拠しょうことして、アクロポリスに供物くもつとしてささげられた陶器とうきがある。その破片はへんにはエウフロニオスのhygieia健康けんこう)という文字もじしるされていた。しかし、この証拠しょうこわるいというようなことではなく、もっと一般いっぱんてき健康けんこういのったものだというせつ有力ゆうりょくである。

かれおもわん生産せいさんしたというてん興味深きょうみぶかい。それまでわん形状けいじょう陶器とうきより一段いちだんられていて、一流いちりゅうでない絵付えつけえがいていた。それにたいしてかれ一流いちりゅう絵付えつけオネシモス(en)、ドゥーリス(en)、アンティフォンの画家がか (en)、トリプトレモスの画家がか (en)、ピストクセノスの画家がか (en))をやとってえがかせていた。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Euphronios, der Maler: eine Ausstellung in der Sonderausstellungshalle der Staatlichen Museen Preußischer Kulturbesitz Berlin-Dahlem, 20. März–26. Mai 1991. Fabbri, Milan 1991.
  • Euphronios und seine Zeit: Kolloquium in Berlin 19./10. April 1991 anlässlich der Ausstellung Euphronios, der Maler. Staatliche Museen zu Berlin, Berlin 1992, ISBN 3-88609-129-5.
  • Ingeborg Scheibler: Griechische Töpferkunst. 2nd ed. Beck, Munich 1995, ISBN 3-406-39307-1.
この記事きじドイツばんウィキペディアにあるおな項目こうもく記事きじこのはんから翻訳ほんやくされた記事きじである。英語えいごばん記述きじゅつ

外部がいぶリンク

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