パリ ルーヴル美術館 びじゅつかん G 106: スキタイ 人 ひと の射手 しゃしゅ を描 えが いたアンフォラ (紀元前 きげんぜん 510年 ねん -500年 ねん ごろ)
エウフロニオス (Euphronios、紀元前 きげんぜん 535年 ねん ごろ - 紀元前 きげんぜん 470年 ねん 以降 いこう )は古代 こだい ギリシア の陶工 とうこう 兼 けん 絵付 えつけ 師 し で、紀元前 きげんぜん 6世紀 せいき 末 まつ から紀元前 きげんぜん 5世紀 せいき 初 はじ めのアテナイ で活動 かつどう した。エウフロニウス とも。「開拓 かいたく 者 しゃ たち」または「先駆 せんく 者 しゃ たち」と呼 よ ばれるグループ (Pioneer Group ) の1人 ひとり で、赤絵 あかえ 式 しき 陶器 とうき の最 もっと も重要 じゅうよう な作家 さっか の1人 ひとり とされている。その作品 さくひん はアーカイック期 き 後期 こうき から古典 こてん 期 き 前期 ぜんき の過渡 かと 期 き にあるとされている。
古代 こだい ギリシアの陶器 とうき 絵付 えつけ 師 し の発見 はっけん [ 編集 へんしゅう ]
彫刻 ちょうこく 家 か などの他 ほか の古代 こだい ギリシアの芸術 げいじゅつ 家 か に比 くら べると、古代 こだい ギリシアの文献 ぶんけん には陶器 とうき の絵付 えつけ 師 し についての言及 げんきゅう が非常 ひじょう に少 すく ない。芸術 げいじゅつ についての文献 ぶんけん は古 ふる くから豊富 ほうふ にあるが、陶芸 とうげい にはほとんど言及 げんきゅう していない。したがって、エウフロニオスの生涯 しょうがい やその芸術 げいじゅつ 的 てき 発展 はってん は、他 た の絵付 えつけ 師 し と同様 どうよう 、その作品 さくひん 群 ぐん だけから推定 すいてい するしかない。
古代 こだい ギリシアの陶器 とうき についての科学 かがく 的 てき 研究 けんきゅう は18世紀 せいき 末 まつ ごろから始 はじ まった。当初 とうしょ は図像 ずぞう 学 がく 的 てき 関心 かんしん が中心 ちゅうしん だった。1838年 ねん 、エウフロニオスの署名 しょめい が発見 はっけん され、個々 ここ の陶器 とうき について絵付 えつけ 師 し を特定 とくてい できることが明 あき らかとなった。そこで絵付 えつけ 師 し の署名 しょめい についての研究 けんきゅう が盛 さか んとなり、19世紀 せいき 末 まつ にはそれぞれの作風 さくふう を要約 ようやく できるまでになった。
考古 こうこ 学者 がくしゃ ジョン・ビーズリー はその要約 ようやく を自身 じしん の研究 けんきゅう の出発 しゅっぱつ 点 てん とした。彼 かれ は数 すう 千 せん のアッティカ の黒 くろ 絵 え 式 しき 陶器 とうき および赤絵 あかえ 式 しき 陶器 とうき や破片 はへん について、美術 びじゅつ 史 し 家 いえ ジョヴァンニ・モレッリ の絵画 かいが 研究 けんきゅう 手法 しゅほう を応用 おうよう して体系 たいけい 化 か し分類 ぶんるい した。アッティカの絵付 えつけ 師 し についての3巻 かん の著作 ちょさく で、ビーズリーは今日 きょう までほぼそのまま通用 つうよう する分類 ぶんるい を達成 たっせい している。彼 かれ は既知 きち の絵付 えつけ 師 し を名前 なまえ の不明 ふめい なものも含 ふく めて全 すべ ての列挙 れっきょ した。現在 げんざい も名前 なまえ が不明 ふめい の絵付 えつけ 師 し は多 おお い。
紀元前 きげんぜん 6世紀 せいき 後半 こうはん のアテナイの状況 じょうきょう [ 編集 へんしゅう ]
エウフロニオスが生 う まれたとされる紀元前 きげんぜん 535年 ねん ごろ、アテナイでは僭主 せんしゅ ペイシストラトス の治世 ちせい 下 か で芸術 げいじゅつ と文化 ぶんか が花開 はなひら いていた。当時 とうじ アッティカの陶器 とうき の多 おお くは黒 くろ 絵 え 式 しき だった。また当時 とうじ アッティカで生産 せいさん された陶器 とうき の大 だい 部分 ぶぶん はエトルリア に輸出 ゆしゅつ されていた。現存 げんそん するアッティカ製 せい 陶器 とうき の多 おお くはエトルリアの墳墓 ふんぼ に副葬品 ふくそうひん としてあったものである。
当時 とうじ 、陶器 とうき の絵付 えつ けはニコステネス (en )やアンドキデス (en )といった陶工 とうこう が新風 しんぷう を吹 ふ き込 こ んでいた。アンドキデスの工房 こうぼう では紀元前 きげんぜん 530年 ねん ごろから赤絵 あかえ 式 しき 陶器 とうき の生産 せいさん を開始 かいし した。そして徐々 じょじょ に赤絵 あかえ 式 しき が古 ふる い黒 くろ 絵 え 式 しき に取 と って代 か わるようになった。エウフロニオスはアテナイでの初期 しょき の赤絵 あかえ 式 しき を代表 だいひょう する人物 じんぶつ となった。他 た の若 わか い絵付 えつけ 師 し と共 とも に、後世 こうせい の研究 けんきゅう 者 しゃ から赤絵 あかえ 式 しき の「開拓 かいたく 者 しゃ たち」または「先駆 せんく 者 しゃ たち」(Pioneer Group )と呼 よ ばれている。
Kachrylion の工房 こうぼう での修行 しゅぎょう [ 編集 へんしゅう ]
エウフロニオスは紀元前 きげんぜん 520年 ねん ごろからプシアクス (en )の指導 しどう の下 した で陶器 とうき の絵付 えつ けを始 はじ めたと見 み られている。後 のち にエウフロニオスは自 みずか らの師匠 ししょう も含 ふく め、年上 としうえ の絵付 えつけ 師 し たちにも影響 えいきょう をあたえるまでに成長 せいちょう する。その後 ご 、陶工 とうこう Kachrylion の工房 こうぼう で働 はたら くようになり、絵付 えつけ 師 し オルトス (en )の指導 しどう を受 う けるようになった。
エウフロニオスの作品 さくひん には当初 とうしょ からその芸術 げいじゅつ 的 てき 特徴 とくちょう が現 あらわ れている。神話 しんわ の場面 ばめん を描 えが くのが得意 とくい で、堂々 どうどう とした構図 こうず を好 この むが、日常 にちじょう 生活 せいかつ の場面 ばめん も得意 とくい とし、筋肉 きんにく や動 うご きの忠実 ちゅうじつ な再現 さいげん を特徴 とくちょう とする。後者 こうしゃ の特徴 とくちょう は同様 どうよう の傾向 けいこう があるプシアクスの影響 えいきょう が見 み て取 と れる。この時代 じだい の作品 さくひん としては破片 はへん を除 のぞ けば、大 だい 英 えい 博物館 はくぶつかん の所蔵 しょぞう する碗 わん (E 41) とゲティ美術館 びじゅつかん の所蔵 しょぞう する作品 さくひん (77.AE.20) がある。
しかし、この時期 じき の最 もっと も重要 じゅうよう な作品 さくひん はサルペードーン を描 えが いた署名 しょめい 入 い りの作品 さくひん である。この時代 じだい のエウフロニオスの作品 さくひん はオルトスのものとされていたことがあり、この作品 さくひん は初 はじ めて国際 こくさい 的 てき にエウフロニオスの初期 しょき の作品 さくひん と認 みと められた。後 ご の時代 じだい には傑作 けっさく に署名 しょめい することが一般 いっぱん 化 か するが、黒 くろ 絵 え 式 しき の時代 じだい や赤絵 あかえ 式 しき の初期 しょき には絵付 えつけ 師 し が署名 しょめい するのは珍 めずら しかった。
パリ ルーヴル美術館 びじゅつかん G 34: 碗 わん : マイナス を追 お いかけるサテュロス
エウフロニオスの既知 きち の初期 しょき 作品 さくひん にも、赤絵 あかえ 式 しき の絵付 えつ けに必要 ひつよう な技能 ぎのう が現 あらわ れている。同様 どうよう に赤絵 あかえ 式 しき の標準 ひょうじゅん となった技法 ぎほう の多 おお くが彼 かれ の作品 さくひん で最初 さいしょ に採用 さいよう されたと見 み られている。人間 にんげん を解剖 かいぼう 学 がく 的 てき に柔軟 じゅうなん かつ正確 せいかく に描 えが くため、重要 じゅうよう な輪郭 りんかく 線 せん を厚 あつ 塗 ぬ りして盛 も り上 あ げる技法 ぎほう を採用 さいよう し、スリップ(液状 えきじょう 粘土 ねんど )を使用 しよう した。スリップはその使 つか い方 かた によって明 あか るい黄色 おうしょく から濃 こ い茶色 ちゃいろ まで様々 さまざま に発色 はっしょく し、芸術 げいじゅつ 的 てき 表現 ひょうげん の可能 かのう 性 せい を大 おお きく広 ひろ げた。エウフロニオスの技術 ぎじゅつ 革新 かくしん と芸術 げいじゅつ 的 てき 革新 かくしん は明 あき らかにすぐさま広 ひろ まった。Kachrylionの工房 こうぼう で働 はたら いていた他 ほか の絵付 えつけ 師 し だけでなく、かつての師匠 ししょう であるプシアクスやオルトスまでがエウフロニオスの新 しん 技法 ぎほう や新 しん 様式 ようしき を真似 まね るようになっている。
Kachylionの工房 こうぼう は飲料 いんりょう を入 い れる容器 ようき しか生産 せいさん していなかったが、エウフロニオスはそこで働 はたら き続 つづ けた。しかし、単純 たんじゅん な碗 わん だけでは彼 かれ の芸術 げいじゅつ 的 てき ひらめきを満足 まんぞく させられなくなっていった。彼 かれ は他 た の形状 けいじょう の陶器 とうき にも絵付 えつ けするようになり、おそらく他 た の陶工 とうこう とも組 く むようになったと見 み られている。ヴィラ・ジュリア国立 こくりつ 博物館 はくぶつかん はエウフロニオスの手 て による2つの初期 しょき のペリケ を所蔵 しょぞう している。このような中 なか 程度 ていど の大 おお きさの陶器 とうき により、人物 じんぶつ 像 ぞう を描 えが けるスペースがさらに広 ひろ がった。ボストン美術館 びじゅつかん が所蔵 しょぞう しているプシュクテール も彼 かれ の初期 しょき の作品 さくひん とされており、オルトスの作品 さくひん とよく似 に ている。衣服 いふく のしわがしっかり描 えが かれ、目 め はアーモンド形 がた であごは小 ちい さく突 つ き出 で ていて、手足 てあし はうまく描 えが きわけられていない。後 のち に描 えが かれた粗雑 そざつ な作品 さくひん という説 せつ もある。
エウフロニオスのものとされる作品 さくひん の制作 せいさく 年代 ねんだい については、他 ほか にも異論 いろん のある作品 さくひん がある。彼 かれ の作品 さくひん の発展 はってん の時 とき 系列 けいれつ についてはよく知 し られているが、個々 ここ の作品 さくひん を正確 せいかく にどの時点 じてん に置 お くかは難 むずか しい問題 もんだい である。例 たと えば、ベルリン古代 こだい 美術館 びじゅつかん 所蔵 しょぞう のパライストラ で運動 うんどう する男 おとこ を描 えが いた萼 がく 型 がた クラテール は、その陶器 とうき の形状 けいじょう から後期 こうき の作品 さくひん とされることが多 おお い。筋肉 きんにく の注意深 ちゅういぶか い描写 びょうしゃ や厚 あつ 塗 ぬ りの浮 う き彫 ぼ り線 せん の使用 しよう などいくつか進 すす んだ技法 ぎほう が見 み られるが、黒 くろ 絵 え 式 しき の様式 ようしき 化 か された技法 ぎほう の影響 えいきょう が見 み られるという理由 りゆう で初期 しょき の作品 さくひん だとする説 せつ もある。それは、容器 ようき の口 くち の周 まわ りのツタ模様 もよう 、図像 ずぞう がかなり小 ちい さいこと、オルトスの作品 さくひん との様式 ようしき 上 じょう の類似 るいじ 性 せい などである。
エウフロニオスとEuxitheos: 円熟 えんじゅく 期 き [ 編集 へんしゅう ]
パリ ルーヴル美術館 びじゅつかん G 33: エウフロニオスとEuxitheosの共同 きょうどう 作品 さくひん とされる萼 がく 型 がた クラテール
紀元前 きげんぜん 510年 ねん ごろ、新 あら たな作品 さくひん のための媒体 ばいたい を探 さが していたエウフロニオスは、新 あら たな形状 けいじょう や装飾 そうしょく をよく試 ため していた陶工 とうこう Euxitheos の工房 こうぼう で働 はたら くようになった。この時期 じき にエウフロニオスは陶工 とうこう としても絵付 えつけ 師 し としても大胆 だいたん な実験 じっけん を試 こころ みており、作品 さくひん の時 とき 系列 けいれつ 順序 じゅんじょ はかなりの確実 かくじつ さで推定 すいてい 可能 かのう となっている。
この時期 じき の一部 いちぶ 現存 げんそん している萼 がく 型 がた クラテール(ルーヴル美術館 びじゅつかん G 110)は、エウフロニオスが自身 じしん の芸術 げいじゅつ 的 てき 革新 かくしん の影響 えいきょう にある程度 ていど 自覚 じかく 的 てき だったことを暗 あん に示 しめ している。その正面 しょうめん には自身 じしん が紀元前 きげんぜん 520年 ねん の碗 わん にも描 えが いたことのある古典 こてん 的 てき 場面 ばめん 、ヘーラクレース とネメアーの獅子 しし の戦 たたか いが描 えが かれている。しかし背面 はいめん には2つの場面 ばめん が大胆 だいたん かつ革新 かくしん 的 てき に描 えが かれている。上部 じょうぶ にはコモス の光景 こうけい が描 えが かれており、その舞 ま いの参加 さんか 者 しゃ は極端 きょくたん な姿勢 しせい で描 えが かれている。下部 かぶ には腕 うで を後 うし ろにもたれさせた人物 じんぶつ の背後 はいご の像 ぞう が描 えが かれている。この光景 こうけい が印象 いんしょう 的 てき であるためエウフロニオスがこの作品 さくひん に署名 しょめい したと見 み られている。その署名 しょめい は独特 どくとく で、Euphronios egraphsen tade すなわち「エウフロニオスがこれらを描 えが いた」となっている。この作品 さくひん は「開拓 かいたく 者 しゃ たち」の代表 だいひょう 例 れい であり、1つの陶器 とうき が形式 けいしき の発展 はってん にいかに寄与 きよ するかを示 しめ している。
革新 かくしん が進 すす む過程 かてい で、工房 こうぼう 間 あいだ の競争 きょうそう が激化 げきか していった。ミュンヘン古代 こだい 美術 びじゅつ 博物館 はくぶつかん にはもう1人 ひとり の「開拓 かいたく 者 しゃ たち」であるエウテュミデス (en )のアンフォラがあり、「エウフロニオスには決 けっ して描 えが けない」絵 え を描 えが いたのだと記 しる されている。これにはライバルの技量 ぎりょう を尊敬 そんけい しつつ、それと競争 きょうそう しようとする姿勢 しせい が現 あらわ れている。同様 どうよう にエウフロニオスの弟子 でし と見 み られている若干 じゃっかん 若 わか い絵付 えつけ 師 し スミクロス (en )は、師匠 ししょう の作品 さくひん をそっくり真似 まね た作品 さくひん で成功 せいこう した。ゲティ美術館 びじゅつかん にあるスミクロスの署名 しょめい 入 い りプシュクテール には、エウフロニオスが Leagros という名 な の青年 せいねん に求愛 きゅうあい する様 よう が描 えが かれている。Leagros の名 な はエウフロニオスのカロス銘 めい に頻繁 ひんぱん に出 で てくる。
ヘーラクレースとアンタイオス、サルペードーン - 2つの傑作 けっさく [ 編集 へんしゅう ]
パリ ルーヴル美術館 びじゅつかん G 103: ヘーラクレース とアンタイオス を描 えが いた萼 がく 型 がた クラテール
ヘーラクレースとアンタイオス の戦 たたか いを描 えが いた萼 がく 型 がた クラテールはエウフロニオスの傑作 けっさく の1つとされている。野蛮 やばん なリビア の巨人 きょじん アンタイオスと文明 ぶんめい 人 じん であるギリシア人 じん の英雄 えいゆう の対比 たいひ は、ギリシア人 じん の自己 じこ 像 ぞう を極端 きょくたん な形 かたち で反映 はんえい させたもので、苦闘 くとう する人物 じんぶつ の筋肉 きんにく を正確 せいかく に描 えが くことで作品 さくひん に優美 ゆうび さと力強 ちからづよ さを添 そ えている。両 りょう 端 はし に描 えが かれた女性 じょせい の優美 ゆうび さが中央 ちゅうおう の2人 ふたり の力強 ちからづよ さを強調 きょうちょう している。この陶器 とうき の復元 ふくげん の際 さい 、下書 したが きの線 せん が見 み つかった。それによるとエウフロニオスは死 し に掛 か けた巨人 きょじん の広 ひろ げた腕 うで の描 えが き方 かた で迷 まよ っていたが、絵付 えつ けに際 さい してはその困難 こんなん を克服 こくふく している。
サルペードーンのクラテールの正面 しょうめん
「サルペードーンのクラテール」または「エウフロニオスのクラテール」は紀元前 きげんぜん 515年 ねん ごろのもので、一般 いっぱん にエウフロニオスの最高 さいこう 傑作 けっさく とされている。初期 しょき の有名 ゆうめい な作品 さくひん と同様 どうよう 、エウフロニオスは構図 こうず の真 ま ん中 なか にサルペードーン を配置 はいち した。ゼウス の命 いのち でタナトス とヒュプノス がサルペードーンの遺体 いたい を戦場 せんじょう から運 はこ び出 だ す場面 ばめん を描 えが いている。中央 ちゅうおう の背後 はいご にヘルメース が描 えが かれており、死出 しで の旅 たび に同伴 どうはん する役割 やくわり を担 にな っている。構図 こうず の両 りょう 端 はし には真 ま っ直 す ぐ前方 ぜんぽう を見 み つめるトロイ兵 へい が描 えが かれており、目 め の前 まえ で行 おこな われていることに全 まった く気 き づいていない様子 ようす である。各 かく 人物 じんぶつ には名前 なまえ だけでなく説明 せつめい 文 ぶん が付与 ふよ されている。エウフロニオスは意図 いと 的 てき に薄 うす いスリップ(液状 えきじょう 粘土 ねんど )を使 つか い、様々 さまざま な色合 いろあ いを出 だ すことで場面 ばめん に活気 かっき を与 あた えている。しかしこのクラテールは、絵画 かいが 表現 ひょうげん の頂点 ちょうてん であるだけでなく、エウフロニオスの芸術 げいじゅつ 家 か としての頂点 ちょうてん でもある。また、この陶器 とうき は赤絵 あかえ 式 しき の様式 ようしき の発展 はってん においても新 あら たな段階 だんかい を表 あらわ している。萼 がく 型 がた クラテールの形状 けいじょう は、黒 くろ 絵 え 式 しき 時代 じだい の陶工 とうこう で絵付 えつけ 師 し のエクセキアス が考案 こうあん したものだが、エウフロニオスは赤絵 あかえ 式 しき に適 てき した新 あら たな工夫 くふう を形状 けいじょう にも凝 こ らしている。取 と っ手 て 、脚 あし 部 ぶ 、胴体 どうたい 下部 かぶ の丸 まる い部分 ぶぶん を黒 くろ く塗 ぬ るため、赤絵 あかえ 式 しき の図像 ずぞう を描 えが ける範囲 はんい は厳密 げんみつ に決 き まってしまう。エウフロニオスは通常 つうじょう 通 どお り、絵 え の周 まわ りに渦巻 うずまき 模様 もよう の枠 わく を描 えが いている。絵 え そのものはエウフロニオスの典型 てんけい 的 てき な描法であり、力強 ちからづよ くダイナミックで緻密 ちみつ であり、解剖 かいぼう 学 がく 的 てき に正確 せいかく でありながら、哀 あい 感 かん を漂 ただよ わせている。陶工 とうこう も絵付 えつけ 師 し もこの作品 さくひん の出来 でき に満足 まんぞく したらしく、両方 りょうほう が署名 しょめい している。このクラテールはエウフロニオスの作品 さくひん としては唯一 ゆいいつ 完全 かんぜん な形 かたち で現存 げんそん している。ニューヨーク のメトロポリタン美術館 びじゅつかん で1972年 ねん から展示 てんじ している。正式 せいしき には2006年 ねん 2月 がつ に所有 しょゆう 権 けん がイタリアに戻 もど されていたが、メトロポリタン美術館 びじゅつかん が2008年 ねん 1月 がつ まで賃貸 ちんたい で展示 てんじ し続 つづ けていた。現在 げんざい はローマにある。
サルペードーンのクラテールの背面 はいめん は単純 たんじゅん な武装 ぶそう する場面 ばめん が描 えが かれており、粘土 ねんど が乾 かわ く前 まえ に急 いそ いで描 えが かれたものである。明 あき らかに同 どう 時代 じだい の場面 ばめん であり、複数 ふくすう の若者 わかもの が戦争 せんそう のための装備 そうび を身 み につけている場面 ばめん である。同 どう 時代 じだい の場面 ばめん を描 えが くこともエウフロニオスが赤絵 あかえ 式 しき にもたらした革新 かくしん であり、新 あら たな現実 げんじつ 主義 しゅぎ を象徴 しょうちょう している。日常 にちじょう 生活 せいかつ を描 えが いた絵 え と神話 しんわ を描 えが いた絵 え を1つの作品 さくひん に同居 どうきょ させるという手法 しゅほう は、エウフロニオスやその追随 ついずい 者 しゃ たちの多 おお くの作品 さくひん の特徴 とくちょう となっている。
ベルリン 古代 こだい 美術館 びじゅつかん : 競技 きょうぎ 前 まえ の準備 じゅんび をする選手 せんしゅ たち。紀元前 きげんぜん 510年 ねん から500年 ねん ごろ
神話 しんわ を主題 しゅだい とする以外 いがい にも、エウフロニオスは日常 にちじょう 生活 せいかつ を描 えが いた陶器 とうき を多数 たすう 制作 せいさく している。ミュンヘン古代 こだい 美術 びじゅつ 博物館 はくぶつかん にある萼 がく 型 がた クラテールにはシンポシオン が描 えが かれている。4人 にん の男 おとこ が長 なが いすに横 よこ たわってワインを飲 の んでいる。"Syko" という名 な が添 そ えられたヘタエラ (酌婦 しゃくふ 、娼婦 しょうふ )が笛 ふえ を吹 ふ いており、Ekphantides という名 な の主人 しゅじん がアポローン を称 たた える歌 うた を歌 うた っている。その口 くち から現代 げんだい の漫画 まんが のフキダシように歌詞 かし が書 か かれている。このような絵 え はかなりありふれたものである。これはおそらく描 えが かれているのと似 に たような状況 じょうきょう で使 つか われる陶器 とうき だったということが理由 りゆう の1つだが、エウフロニオスのような絵付 えつけ 師 し がこれに描 えが かれたような会 かい に参加 さんか していたか、参加 さんか したいと思 おも っていたことを表 あらわ していると見 み られている(絵付 えつけ 師 し の当時 とうじ の社会 しゃかい 的 てき 地位 ちい は解明 かいめい されていない)。
サンクトペテルブルク のエルミタージュ美術館 びじゅつかん には署名 しょめい のあるプシュクテールがあり、これもよく知 し られている。4人 にん のヘタエラがもてなしている様子 ようす を描 えが いている。そのうちの1人 ひとり には Smikra と名 な が添 そ えられており、若 わか い絵付 えつけ 師 し スミクロスを冗談 じょうだん めかしてほのめかしたものではないかとされている。
宴会 えんかい の絵 え とは別 べつ に、パライストラを描 えが いたものもあり、動 うご きや筋肉 きんにく を存分 ぞんぶん に描 えが くことができた。例 たと えばエウフロニオスの黒 くろ 絵 え 式 しき の現存 げんそん する唯一 ゆいいつ の作品 さくひん (断片 だんぺん )があり、これはアテネのアクロポリス で見 み つかった。パンアテナイア祭 さい のアンフォラ (en )だったと見 み られ、アテーナー の頭部 とうぶ が断片 だんぺん 的 てき に確認 かくにん できる。背面 はいめん と思 おも われる側 がわ には、パンアテナイア祭 さい のアンフォラが賞品 しょうひん として与 あた えられたパンアテナイア祭 さい の競技 きょうぎ (en )の場面 ばめん が描 えが かれている。
エウフロニオスの後期 こうき の作品 さくひん は帰属 きぞく の特定 とくてい が非常 ひじょう に難 むずか しい。これは他 た の絵付 えつけ 師 し がエウフロニオスの作品 さくひん をそっくり真似 まね たり、作風 さくふう を真似 まね ることが多 おお くなったことが大 おお きな要因 よういん である。
アレッツォ 近郊 きんこう で18世紀 せいき に見 み つかった署名 しょめい のない渦巻 うずまき 型 がた クラテールがよく知 し られている。胴 どう 部分 ぶぶん の主要 しゅよう な絵 え は明 あき らかにエウフロニオスのものとわかる。中央 ちゅうおう にヘーラクレースとテラモーン がアマゾーン と戦 たたか っている場面 ばめん が描 えが かれている。テラモーンはスキタイ 風 ふう の衣装 いしょう を纏 まつわ った傷 きず ついたアマゾーンに致命 ちめい 的 てき 一 いち 撃 げき を加 くわ えようとしている。ヘーラクレースは矢 や を向 む けているアマゾーン Teisipyle と戦 たたか っている。この後期 こうき の作品 さくひん はエウフロニオスがさらに新 あら たな表現 ひょうげん 形態 けいたい を模索 もさく していたことを示 しめ す例 れい である。印象 いんしょう 的 てき なダイナミックさを特徴 とくちょう とし、テラモーンの脚 あし は非常 ひじょう にねじれた位置 いち に描 えが かれている。首 くび の周 まわ りにはコモス が帯状 おびじょう に描 えが かれているが、エウフロニオスの手 て によるものではないと見 み られ、おそらく弟子 でし のスミクロスか誰 だれ かが描 えが いたものではないかとされている。
そのクラテールは他 た の多 おお くの作品 さくひん に影響 えいきょう を与 あた えたと見 み られている。例 たと えば、あるアンフォラ(ルーヴル美術館 びじゅつかん G 107)はほとんど同 おな じ場面 ばめん を描 えが いているが、その作風 さくふう はエウフロニオスのものとは大 おお きく異 こと なる。このアンフォラに描 えが かれたヘーラクレースには「彼 かれ はスミクロスに属 ぞく するようだ」という意味 いみ の奇妙 きみょう な文 ぶん が添 そ えられている。このため、この絵 え は2人 ふたり の絵付 えつけ 師 し の合作 がっさく と見 み られている。別 べつ のアンフォラ (Leningrad 610) も同 おな じ場面 ばめん を描 えが いているが、こちらではヘーラクレースが射手 しゃしゅ として描 えが かれている。この作品 さくひん は描 えが かれている場面 ばめん だけでなく作風 さくふう もエウフロニオスのものに近 ちか く、Beazley は躊躇 ちゅうちょ しながらこれをエウフロニオスに帰属 きぞく させた。問題 もんだい は、スミクロスの技量 ぎりょう や作風 さくふう が師匠 ししょう に極 きわ めて近 ちか くなったため、作品 さくひん を区別 くべつ することが困難 こんなん になったことである。
エウフロニオスの絵付 えつけ 師 し としての作品 さくひん 群 ぐん (Louvre G 33, Louvre G 43) は強 つよ い単純 たんじゅん 化 か が特徴 とくちょう である。構図 こうず は初期 しょき のものより大雑把 おおざっぱ だが、これは紀元前 きげんぜん 500年 ねん 以降 いこう エウフロニオスが陶工 とうこう としての仕事 しごと に集中 しゅうちゅう するようになったためではないかとされている。
紀元前 きげんぜん 500年 ねん ごろ、エウフロニオスは陶芸 とうげい 工房 こうぼう の経営 けいえい を引 ひ き継 つ いだと見 み られる。古代 こだい ギリシアの陶芸 とうげい の歴史 れきし 上 じょう 、陶工 とうこう としても絵付 えつけ 師 し としても活動 かつどう することは珍 めずら しくない。同 どう 時代 じだい では、フィンティアス (en )やエウテュミデスがやはり陶工 とうこう としても活動 かつどう している。エウフロニオスが特別 とくべつ なのは、最初 さいしょ は絵付 えつけ 師 し としてのみ活動 かつどう し、その後 ご 陶工 とうこう としてのみ活動 かつどう するようになった点 てん である。
パリ ルーヴル美術館 びじゅつかん G 105: エウフロニオスが陶工 とうこう として署名 しょめい している碗 わん 。絵付 えつ けはオネシモス (en )
数 すう 年間 ねんかん 、エウフロニオスの工房 こうぼう は主 おも に碗 わん を生産 せいさん していた。工房 こうぼう を構 かま えた陶工 とうこう はいわば個人 こじん 事業 じぎょう 主 おも であり、絵付 えつけ 師 し は従業 じゅうぎょう 員 いん だった。したがって、陶工 とうこう の方 ほう が金 かね が儲 もう かるため、エウフロニオスもこのような転身 てんしん をしたと見 み られている。他 ほか にも、エウフロニオスが陶工 とうこう (陶芸 とうげい )という技能 ぎのう に魅 み せられたためだという説 せつ もある。実際 じっさい 、陶工 とうこう としての腕 うで もよかった。彼 かれ が陶工 とうこう として署名 しょめい した作品 さくひん は絵付 えつけ 師 し として署名 しょめい した作品 さくひん よりも多 おお く現存 げんそん している。また、視力 しりょく が悪化 あっか したために転職 てんしょく したという説 せつ もある。この最後 さいご の説 せつ を補強 ほきょう する証拠 しょうこ として、アクロポリスに供物 くもつ として捧 ささ げられた陶器 とうき がある。その破片 はへん にはエウフロニオスの名 な と hygieia (健康 けんこう )という文字 もじ が記 しる されていた。しかし、この証拠 しょうこ は目 め が悪 わる いというようなことではなく、もっと一般 いっぱん 的 てき な健康 けんこう を祈 いの ったものだという説 せつ が有力 ゆうりょく である。
彼 かれ が主 おも に碗 わん を生産 せいさん したという点 てん は興味深 きょうみぶか い。それまで碗 わん は他 た の形状 けいじょう の陶器 とうき より一段 いちだん 下 か に見 み られていて、一流 いちりゅう でない絵付 えつけ 師 し が絵 え を描 えが いていた。それに対 たい して彼 かれ は一流 いちりゅう の絵付 えつけ 師 し (オネシモス (en )、ドゥーリス (en )、アンティフォンの画家 がか (en )、トリプトレモスの画家 がか (en )、ピストクセノスの画家 がか (en ))を雇 やと って描 えが かせていた。
Euphronios, der Maler: eine Ausstellung in der Sonderausstellungshalle der Staatlichen Museen Preußischer Kulturbesitz Berlin-Dahlem, 20. März–26. Mai 1991 . Fabbri, Milan 1991.
Euphronios und seine Zeit: Kolloquium in Berlin 19./10. April 1991 anlässlich der Ausstellung Euphronios, der Maler . Staatliche Museen zu Berlin, Berlin 1992, ISBN 3-88609-129-5 .
Ingeborg Scheibler: Griechische Töpferkunst . 2nd ed. Beck, Munich 1995, ISBN 3-406-39307-1 .
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