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オズワルド・オリヴェイラ

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オズワルド・オリヴェイラ
名前なまえ
本名ほんみょう オズワルド・デ・オリヴェイラ・フィーリョ
Oswaldo de Oliveira Filho
愛称あいしょう オリヴェ、オリヴェイラ
カタカナ オズワルド オリヴェイラ
ラテン文字もじ Oswaldo OLIVEIRA
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき ブラジルの旗 ブラジル
生年月日せいねんがっぴ (1950-12-05) 1950ねん12月5にち(73さい
出身しゅっしん リオデジャネイロ
身長しんちょう 183cm
体重たいじゅう 80kg
監督かんとくれき
とし チーム
1999-2000 ブラジルの旗 SCコリンチャンス・パウリスタ
2000 ブラジルの旗 CRヴァスコ・ダ・ガマ
2001-2002 ブラジルの旗 フルミネンセFC
2002-2003 ブラジルの旗 サンパウロFC
2003 ブラジルの旗 CRフラメンゴ
2004 ブラジルの旗 SCコリンチャンス・パウリスタ
2004 ブラジルの旗 ECヴィトーリア
2005 ブラジルの旗 サントスFC
2005 カタールの旗 アル・アハリ・ドーハ
2006 ブラジルの旗 フルミネンセFC
2006 ブラジルの旗 クルゼイロEC
2007-2011 日本の旗 鹿島かしまアントラーズ
2012-2013 ブラジルの旗 ボタフォゴFR
2014 ブラジルの旗 サントスFC
2015 ブラジルの旗 SEパルメイラス
2015 ブラジルの旗 CRフラメンゴ
2016 ブラジルの旗 スポルチ・レシフェ
2016 ブラジルの旗 SCコリンチャンス・パウリスタ
2017 カタールの旗 アル・アラビ・ドーハ
2017 ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ
2018-2019 日本の旗 浦和うらわレッズ
2019 ブラジルの旗 フルミネンセFC
■テンプレート■ノート 解説かいせつ■サッカー選手せんしゅpj

オズワルド・オリヴェイラ(Oswaldo Oliveira)ことオズワルド・デ・オリヴェイラ・フィーリョ(Oswaldo De Oliveira Filho、1950ねん12月5にち - )は、ブラジルリオデジャネイロしゅうリオデジャネイロ出身しゅっしんサッカー指導しどうしゃオズワウド・ジ・オリベイラ(Oswaldo de Oliveira)と表記ひょうきされることもある。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

サッカー選手せんしゅとしての経歴けいれきく、大学だいがく卒業そつぎょう同時どうじにフィジカルコーチへのみちあゆむ。49さいはじめて監督かんとくつとめるが、母国ぼこく名門めいもんコリンチャンス監督かんとくで、しかも当初とうしょは40日間にちかん暫定ざんてい監督かんとくであった。2000ねんどうクラブをひきいて同年どうねんFIFAクラブ世界せかい選手権せんしゅけん優勝ゆうしょうみちびいた。

2007ねんより鹿島かしまアントラーズ監督かんとく就任しゅうにんし、就任しゅうにん1ねんJリーグ優勝ゆうしょう、さらに天皇杯てんのうはいせいし2かん達成たっせいした。2008ねん、2009ねんもJリーグ優勝ゆうしょうたし、鹿島かしまにJリーグ史上しじょうはつとなる3連覇れんぱをもたらした。またJリーグにおいて1クラブでの最速さいそく50しょう到達とうたつ記録きろくっている(2007ねん-2009ねん)。2014ねん時点じてんでJリーグ史上しじょう最多さいた国内こくないタイトル(Jリーグ・天皇てんのうはいJリーグカップFUJI XEROX SUPER CUP)を獲得かくとくした監督かんとくである。

2012ねんからボタフォゴ監督かんとく就任しゅうにん

2014ねんサントス監督かんとく就任しゅうにんするも、同年どうねん9がつ2にち解任かいにんされた。12月16にちパルメイラス監督かんとく就任しゅうにんした[1]。2015ねん6がつ9にちにパルメイラスの監督かんとく解任かいにんしたと発表はっぴょうした。サンパウロしゅう選手権せんしゅけんは2みちびいたが、全国ぜんこく選手権せんしゅけんだい6せつえて20チームちゅう15るわなかった。8がつ20日はつか、12ねんぶりにフラメンゴの監督かんとく復帰ふっきも、11月29にち成績せいせき不振ふしん解任かいにんされた。

2018ねん4がつ19にち浦和うらわレッズ監督かんとく就任しゅうにんすること発表はっぴょうされた。J1だい10せつ(4がつ25にち)より指揮しきことあわせて発表はっぴょうされている[2]。2011ねん鹿島かしま時代じだい以来いらい、7ねんぶりに日本にっぽん監督かんとくつとめることとなった。リーグせん5となり、天皇杯てんのうはいでは浦和うらわを7度目どめ優勝ゆうしょうみちびいた。2019ねんつづ浦和うらわ指揮しきったが、5しょう2ふん6はいの11低迷ていめいした5月28にち浦和うらわ同日どうじつづけ契約けいやく解除かいじょしたことを発表はっぴょう[3][4]同年どうねん8がつ20日はつかフェルナンド・ジニズ後任こうにんとしてブラジル1フルミネンセ監督かんとく就任しゅうにんすること発表はっぴょうされた[5]同年どうねん9がつ27にち現地げんち時間じかん)、成績せいせき不振ふしんにより解任かいにんされた[6]

人物じんぶつ・エピソード[編集へんしゅう]

  • サンパウロ時代じだいカカ、サントス時代じだいにはロビーニョ、コリンチャンス時代じだいにはマルコス・セナ指導しどうをしていた。
  • ながらくフィジカルコーチをつとめたため、シーズンとおしての緻密ちみつなコンディション管理かんり弱点じゃくてん見極みきわめた選手せんしゅ肉体にくたい強化きょうかけているという。たとえば、監督かんとく信念しんねんは「体力たいりょく貯金ちょきん」であり、合宿がっしゅく徹底てっていした長距離ちょうきょりのランニングや砂浜すなはまはしみをやらせ、いち年間ねんかんバテないような体力たいりょく強化きょうかおこなう。この方法ほうほうで2007ねんシーズン、過密かみつ日程にっていのシーズン後半こうはんチームがコンディションやいきおいをうしなっていくなか、バテずに驚異きょういねばりをせ、だい逆転ぎゃくてんげきせることが出来できた。
  • 2007ねん鹿島かしまアントラーズを指揮しきすることがまり、選手せんしゅとのはつ顔合かおあわせで、選手せんしゅ全員ぜんいんかお名前なまえおぼえていた。2009ねんのリーグ制覇せいは、NHK水戸放送局みとほうそうきょく特番とくばんで「オリヴェイラ監督かんとく言葉ことば一番いちばん印象いんしょうのこっていること」という質問しつもんで、内田うちだ篤人あつひとがこのエピソードを紹介しょうかいし、「このひと仕事しごとをするんだなというになりました」とかたっている。
  • 選手せんしゅ得点とくてんると、サポーターに万歳ばんざいをしたり、なんもガッツポーズをするなど、あついちめんもある。
  • 2007ねん12月1にち鹿島かしま最終さいしゅうぶしにしてだい逆転ぎゃくてん優勝ゆうしょうめた清水しみずエスパルスせんにて、終了しゅうりょうのホイッスルとともにさきにピッチへはしし、よろこびを爆発ばくはつさせた。一方いっぽう、ピッチじょう選手せんしゅたち日産にっさんスタジアムおこなわれた横浜よこはまFCたい浦和うらわレッズせん試合しあい経過けいからされていなかったため優勝ゆうしょう目前もくぜんであるということがわからないまま唖然あぜんとしていた。
  • 趣味しゅみ音楽おんがくくこと。いえにはなんせんまいもの音楽おんがくレコードがある。
  • 2008ねん11月29にちいわせい大樹だいきのロスタイムの決勝けっしょうゴールで劇的げきてき勝利しょうりとなったジュビロ磐田じゅびろいわたせん試合しあい終了しゅうりょう今季こんきホーム最終さいしゅうせんサポーターへのあいさつで、なみだながしながら絶叫ぜっきょうしてよろこびと優勝ゆうしょうへの意気込いきごみを表現ひょうげんした。そのさいに「これで感動かんどうできなかったら医者いしゃにかかったほうがいい!」とかたった。
  • 後述こうじゅつにも関連かんれんするが、不調ふちょう選手せんしゅたちを個別こべつ奮起ふんきうながすことが多々たたあるという。
    • 内田うちだ篤人あつひと国内こくないせん、ACL、日本にっぽん代表だいひょう連戦れんせんにより原因げんいん不明ふめい嘔吐おうとかえしているさいに「わたしが50すう年間ねんかんあじわったくるしみは、いまきみくるしみには到底とうていおよばない」と叱咤しったした。
    • 10試合しあい以上いじょう無得点むとくてんきょう梠慎さんには、「しんじてる。だから使つかつづける」ともちつづけた。
    • 体調たいちょう不良ふりょうくるしむいわせい大樹たいじゅにはフィジカルトレーナーに「大樹たいじゅはどうした!?大樹たいじゅがピッチにっていてくれさえすればいい!!」など、選手せんしゅたちが言葉ことばはっする。
  • 2009ねんJリーグ優勝ゆうしょう記者きしゃ会見かいけんで、「小笠原おがさわらのような選手せんしゅが、ワールドカップをテレビのまえごすようなことはあってはならない」と、日本にっぽん代表だいひょう監督かんとく岡田おかだ武史たけしへメッセージをおくった。
  • 実弟じってい鹿島かしまのフィジカルコーチも経験けいけんしたことがあるバウデマール・オリヴェイラは、2010ねん1がつ韓国かんこく浦項ほこうスティーラース監督かんとく就任しゅうにんしたものの、成績せいせき不振ふしんにより、AFCチャンピオンズリーグ2010での「兄弟きょうだい対決たいけつ」を直前ちょくぜんひかえた5がつ10日とおか解任かいにんされた。
  • 浦和うらわ監督かんとく就任しゅうにんした2018ねんには、鹿島かしまとの対戦たいせんひかえた天皇杯てんのうはい準決勝じゅんけっしょうまえに、通常つうじょう非公開ひこうかい練習れんしゅうとしてきた前日ぜんじつ練習れんしゅう公開こうかいにすると発表はっぴょうし、練習れんしゅうじょうへのファン・サポーターの来場らいじょうびかけた。むかえた前日ぜんじつ練習れんしゅうでは、平日へいじつにちちゅうにもかかわらずやく350にんのサポーターが集結しゅうけつし、練習れんしゅうじょう周囲しゅういには83まいもの横断幕おうだんまくられ、選手せんしゅけて「浦和うらわレッズ!」コールで後押あとおしした。これがこうそうしたのか浦和うらわ鹿島かしまくだして決勝けっしょう進出しんしゅつ[7]決勝けっしょう前日ぜんじつ練習れんしゅう公開こうかいにすると発表はっぴょうすると、土曜日どようびということもありやく800にんのサポーターが練習れんしゅうじょうあつまり、られた横断幕おうだんまくは110まいにもおよんだ。たして浦和うらわ決勝けっしょう勝利しょうりし、12大会たいかいぶりに天皇てんのうはい制覇せいは、ACL出場しゅつじょうけんも2ねんぶりに獲得かくとくした。

ミーティング[編集へんしゅう]

ミーティングに多大ただい時間じかんいていることが特徴とくちょうである。

  • ミーティングについやす時間じかんみじかくて20ふんながくて120ふんおよぶ。開催かいさい頻度ひんど毎日まいにちやることもあれば、試合しあいにちまえはじめて実施じっしすることもある。
  • エピソードのこうにもあるように必要ひつようおうじて選手せんしゅむメッセージをはっつづけたことで、選手せんしゅ全員ぜんいんのモチベーションをたかたもつづけた。2007ねんからの3連覇れんぱ達成たっせい原動力げんどうりょくになっていることは選手せんしゅ全員ぜんいん確信かくしんしている。このミーティングはたましいのミーティングしょうされている。
  • その一方いっぽう交代こうたいさい、ピッチを選手せんしゅ握手あくしゅわさなかったり、交代こうたいわく使つか出番でばんがなくなって、試合しあいちゅうにベンチから退出たいしゅつしたひか選手せんしゅにはミーティングのさいかなら指摘してきし、全員ぜんいん面前めんぜん謝罪しゃざいさせるという断固だんことした制裁せいさいることもある。内田うちだ篤人あつひとが「とてもじゃないが、居眠いねむりできるようなものではない」とひょうしたこともあり、おごそかないちめんもある。(週刊しゅうかんサッカーダイジェスト2008ねん12月23にちごう
  • ミーティング以外いがいにも試合しあい機会きかいめぐまれない選手せんしゅ練習れんしゅうなどに個別こべつ会談かいだんすることもあり、「あなたは必要ひつよう選手せんしゅだ。かなら出番でばんはある」と選手せんしゅいちにんひとりのケアをおこたらなかった。オリヴェイラ本人ほんにん直接ちょくせつつたえるのみではなく、クラブのスタッフをつうじて本人ほんにんつたえることもある。2008ねん野波のなみ雅彦まさひこ野沢のざわ拓也たくや、2009ねんには田代たしろ有三ゆうぞう増田ますだちかいこころざし該当がいとうする。
  • 2008ねん、J1だい33せつジュビロ磐田じゅびろいわたせん直前ちょくぜんミーティングで家族かぞくから選手せんしゅへの激励げきれいメッセージを録画ろくがしたビデオを上映じょうえいした。これは練習れんしゅうじょう全体ぜんたい練習れんしゅう実施じっししている最中さいちゅうにクラブの職員しょくいん選手せんしゅ自宅じたく派遣はけんして、両親りょうしんおくさんまたは子供こどもから選手せんしゅへのメッセージを録画ろくがし、試合しあい当日とうじつまでは本人ほんにんおしえないようたのんだじょう作成さくせいした。試合しあいは1-0で勝利しょうり。このころからオリヴェイラはオズの魔法使まほうつかひょうされるようになった。

2009ねんJOMO CUPでJリーグ選抜せんばつチームを指揮しきしたさいも、ミーティングをけた川崎かわさきフロンターレの中村なかむらけんつよし選手せんしゅたちから「鹿島かしまつよ理由りゆうがわかった」としょうされるほど外部がいぶでも評価ひょうかたかい。

監督かんとく成績せいせき[編集へんしゅう]

年度ねんど クラブ 所属しょぞく 試合しあい かちてん かち ぶん はい とく しつ 年間ねんかん順位じゅんい Jリーグはい 天皇杯てんのうはい 公式こうしきせん 国際こくさい大会たいかい
2007 鹿島かしま J1 34 72 22 6 6 60 36 優勝ゆうしょう ベスト4 優勝ゆうしょう - -
2008 34 63 18 9 7 56 30 優勝ゆうしょう ベスト8 ベスト16 SC じゅん優勝ゆうしょう ACL2008 ベスト8
2009 34 66 20 6 8 51 30 優勝ゆうしょう ベスト8 ベスト8 SC 優勝ゆうしょう ACL2009 ベスト16
2010 34 60 16 12 6 51 31 4 ベスト8 優勝ゆうしょう SC 優勝ゆうしょう ACL2010 ベスト16
2011 34 50 13 11 10 53 40 6 優勝ゆうしょう ベスト16 SC じゅん優勝ゆうしょう ACL2011 ベスト16
2018 浦和うらわ 25 39 11 6 8 41 29 5 PO敗退はいたい 優勝ゆうしょう - -
2019 13 17 5 2 6 10 17 11 - - SC じゅん優勝ゆうしょう ACL2019 ベスト16

タイトル[編集へんしゅう]

クラブ[編集へんしゅう]

コリンチャンス
ヴァスコ・ダ・ガマ
鹿島かしまアントラーズ
ボタフォゴ
  • タッサ・リオ:2012, 2013
  • タッサ・グアナバラ:2013
  • リオ・デ・ジャネイロしゅう選手権せんしゅけん:2013
サントス
  • Copa São Paulo de Futebol Júnior:2014
浦和うらわレッズ
  • 天皇杯てんのうはい全日本ぜんにほんサッカー選手権せんしゅけん大会たいかい:2018

個人こじん[編集へんしゅう]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • 『オズワルド・オリヴェイラ自伝じでんかぜのおもむくままに』(2009ねん講談社こうだんしゃ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Oswaldo de Oliveira assina até final de 2015 e é o novo técnico do Palmeiras
  2. ^ オズワルド-オリヴェイラ監督かんとく就任しゅうにんについて オズワルド オリヴェイラ監督かんとく就任しゅうにんについて』(プレスリリース)浦和うらわレッドダイヤモンズ、2018ねん4がつ19にちhttp://www.urawa-reds.co.jp/topteamtopics/ オズワルド-オリヴェイラ監督かんとく就任しゅうにんについて2018ねん4がつ19にち閲覧えつらん 
  3. ^ オズワルド オリヴェイラ監督かんとくとの契約けいやく解除かいじょについて』(プレスリリース)浦和うらわレッドダイヤモンズ、2019ねん5がつ28にちhttp://www.urawa-reds.co.jp/topteamtopics/オズワルド-オリヴェイラ監督かんとくとの契約けいやく解除かいじょについ/2019ねん9がつ21にち閲覧えつらん 
  4. ^ 浦和うらわがオリヴェイラ監督かんとくとの契約けいやく解除かいじょ発表はっぴょう大槻おおつきあつしが2度目どめ後任こうにん”. サッカーキング (2019ねん5がつ28にち). 2019ねん9がつ21にち閲覧えつらん
  5. ^ 浦和うらわ退任たいにんのオリヴェイラ、“ブラジル名門めいもん”の指揮しきかんに! フルミネンセで3度目どめ指揮しき”. フットボールチャンネル (2019ねん8がつ21にち). 2019ねん9がつ21にち閲覧えつらん
  6. ^ Oswaldo de Oliveira deixa o comando do Fluminense” (ポルトガル). フルミネンセFC公式こうしきサイト (2019ねん9がつ27にち). 2019ねん10がつ4にち閲覧えつらん
  7. ^ 浦和うらわレッズ監督かんとくが「オズの魔法使まほうつかい」とあがめられる理由りゆう│NEWSポストセブン”. www.news-postseven.com (2018ねん12月30にち). 2019ねん2がつ24にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]