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ミハイロ・ペトロヴィッチ

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ミハイロ・ペトロヴィッチ
サンフレッチェ広島さんふれっちぇひろしま監督かんとく時代じだい(2010ねん
名前なまえ
愛称あいしょう ミシャ[1]
ラテン文字もじ Mihailo Petrović
キリル文字もじ Михаило Петровић
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき  オーストリア
セルビアの旗 セルビア
生年月日せいねんがっぴ (1957-10-18) 1957ねん10月18にち(66さい
出身しゅっしん ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア セルビア
マチュヴァぐんロズニツァ[2][3]
選手せんしゅ情報じょうほう
ポジション MF / DF
ユース
1971-1974 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 レッドスター・ベオグラードユース
クラブ1
とし クラブ 出場しゅつじょう (得点とくてん)
1974-1979 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 レッドスター・ベオグラード 7 (0)
1974-1976 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 FKラド・ベオグラード(loan)
1978-1984 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 オリンピア・リュブリャナ 147 (7)
1984-1985 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ディナモ・ザグレブ 34 (0)
1985-1993 オーストリアの旗 SKシュトゥルム・グラーツ 233 (6)
通算つうさん 421 (13)
代表だいひょうれき
1980 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 1 (0)
監督かんとくれき
1993-1996 オーストリアの旗 SVペラウ
1996-1998 オーストリアの旗 シュトゥルム・アマチュア
1998-1999 スロベニアの旗 NKプリモリェ
1999-2001 スロベニアの旗 NKドムジャレ
2001-2002 スロベニアの旗 NKプリモリェ
2003-2006 オーストリアの旗 SKシュトゥルム・グラーツ
2006-2011 日本の旗 サンフレッチェ広島さんふれっちぇひろしま
2012-2017 日本の旗 浦和うらわレッズ
2018-2024 日本の旗 北海道ほっかいどうコンサドーレ札幌さっぽろ
1. 国内こくないリーグせんかぎる。
■テンプレート■ノート 解説かいせつ■サッカー選手せんしゅpj

ミハイロ・ペトロヴィッチセルビア: Михаило Петровић英語えいご: Mihailo〈Mihajlo・Michael〉Petrović1957ねん10月18にち - )は、セルビアきゅうユーゴスラビア)・マチュヴァぐんロズニツァ出身しゅっしん[4]もとプロサッカー選手せんしゅ、サッカー指導しどうしゃ現役げんえき時代じだいのポジションはミッドフィールダーディフェンダーもとユーゴスラビア代表だいひょう

来歴らいれき

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現役げんえき時代じだい

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当時とうじユーゴスラビア首都しゅとベオグラード近郊きんこうにあるロズニツァ出身しゅっしん父親ちちおや工場こうじょう作業さぎょういんだった[3]

10さいからサッカーをはじめ、14さい(1971ねん)のときにユーゴスラビア1リーグの名門めいもんレッドスター・ベオグラードユースにスカウトされ入団にゅうだん。1974ねん当時とうじ2リーグのFKラド・ベオグラードへレンタル移籍いせきしプロデビュー、攻撃こうげきてきなMFとしてプレー。1976ねんにレッドスター・ベオグラードへ復帰ふっきした。このころ、U-20ユーゴスラビア代表だいひょうえらばれている[2]

1978/79シーズンちゅうにNKオリンピア・リュブリャナへ移籍いせき主力しゅりょくとして活躍かつやく。1980ねん11月15にちユーゴスラビア代表だいひょうとしてスペインWはい予選よせんイタリアせん出場しゅつじょうしキャップ1を記録きろくしている(0-2で敗戦はいせん)。1984ねんにディナモ・ザグレブへ移籍いせき、セントラルミッドフィルダーとしてどうシーズンのカップせんじゅん優勝ゆうしょう貢献こうけんした[2]

よく1985ねんオーストリア・ブンデスリーガのSKシュトゥルム・グラーツに移籍いせきしリベロ[5] として活躍かつやく。1987ねん以降いこう外国がいこくじん選手せんしゅとしてはクラブ史上しじょうはつ主将しゅしょうとなりチームをっぱった。また、家族かぞくともグラーツ定住ていじゅうし、1989ねんにはオーストリア国籍こくせき取得しゅとく[2]。1993ねんこう年俸ねんぽうのベテランとなったペトロヴィッチにたいし、シュトゥルムが経済けいざいてき理由りゆう若返わかがえりの一環いっかんとして一方いっぽうてき解雇かいこした。これにより現役げんえき引退いんたいしたが、この契約けいやく解除かいじょをめぐり裁判さいばんにまで発展はってんした。

指導しどうしゃ時代じだい

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1993ねんからハルトベルクぐんにあるSVペラウで監督かんとくぎょうはじめる[6]

1996ねん裁判さいばんまで発展はってんしていた古巣ふるすSKシュトゥルム・グラーツと和解わかいし、アシスタントコーチけんアマチュアチーム監督かんとく就任しゅうにん。このときのトップ監督かんとくイビチャ・オシムで、ペトロヴィッチはかれから多大ただい影響えいきょうけたとのちにかたっている[ちゅう 1]。そのはオーストリアに隣接りんせつするスロベニア1.SNL下位かいクラブであるNKプリモリェやNKドムジャレで監督かんとくつとめ、プリモリェでは2001/02シーズンにはリーグ2となりUEFAカップ出場しゅつじょうみちびく。2002ねんから、ブランコ・オブラックスロベニアばんのもと古巣ふるすオリンピア・リュブリャナでアシスタントコーチをつとめた[2]

2003ねん9がつ古巣ふるすSKシュトゥルム・グラーツ監督かんとく就任しゅうにん[2]きびしい予算よさん制約せいやくがあるなか積極せっきょくてき若手わかて起用きようし、リーグ残留ざんりゅうというクラブ目標もくひょうを3シーズン達成たっせいし、2006ねん5がつ契約けいやく満了まんりょう[8]。このさい、グラーツサポーターは監督かんとく契約けいやく延長えんちょうもとめて、4000にん署名しょめいあつめた。同年どうねん5がつオーストリア2FCケルンテンドイツばん監督かんとくとして契約けいやくするも、その3週間しゅうかんサンフレッチェ広島さんふれっちぇひろしまがオファーしこれを受諾じゅだく[9]

同年どうねん6がつ、Jリーグ下位かい低迷ていめいしていたサンフレッチェ広島さんふれっちぇひろしま監督かんとく就任しゅうにん[4]停滞ていたいしていたながれを若手わかて起用きようやコンバートでり、J1残留ざんりゅうさせた。よく2007ねん現行げんこうルールで決勝けっしょうトーナメントへすすんだことのなかったナビスコカップはつ決勝けっしょうトーナメント進出しんしゅつたすものの、一部いちぶ選手せんしゅ固執こしつしたことがわざわいし、同年どうねんまつ天皇杯てんのうはい決勝けっしょう進出しんしゅつじゅん優勝ゆうしょう)するも、リーグせんすえJ2降格こうかく。これにたいし、クラブ幹部かんぶはJ2降格こうかくチームとしては異例いれい監督かんとく留任りゅうにん決定けっていよく2008ねんFUJI XEROX SUPER CUP優勝ゆうしょう、J2史上しじょうはつの9がつちゅう優勝ゆうしょうぜんふし首位しゅいめ、J1昇格しょうかく[6]。J1復帰ふっきの2009ねん昇格しょうかく1ねんのチームとしては当時とうじ最高さいこう記録きろくであるリーグせん4入賞にゅうしょう[10]天皇杯てんのうはい結果けっかげでACL出場しゅつじょうけん[4]獲得かくとくした。2010ねんナビスコはいじゅん優勝ゆうしょう[4]。2011ねんまつ広島ひろしまは2ねん連続れんぞく赤字あかじになる見込みこみとなったことから累積るいせき赤字あかじ解消かいしょうのため、こう年俸ねんぽうとなったペトロヴィッチの契約けいやく延長えんちょう断念だんねんした[4][11][12]

2012ねんシーズンより、浦和うらわレッズ監督かんとく就任しゅうにん[13]契約けいやく期間きかんは1ねん昨季さくき15にまで低迷ていめいしたチームだったが、広島ひろしま時代じだい指導しどうした柏木かしわぎ陽介ようすけやこのとし加入かにゅうした槙野まきの智章ともあきらとともにチームを再建さいけんし、リーグ前半ぜんはんせんを3という好成績こうせいせきかえす。同年どうねん9がつ、その手腕しゅわん評価ひょうかされ、2013ねんシーズンも指揮しきることが決定けってい[14] 重要じゅうよう試合しあいれないことも多々たたあったが、最終さいしゅうてきにリーグせんを3終了しゅうりょう就任しゅうにん1ねんながらACL出場しゅつじょうけん獲得かくとくし、浦和うらわを2008ねん以来いらい5ねんぶりとなるアジアの舞台ぶたいへとみちびいた。

よく2013ねんシーズンはおし森脇もりわき良太りょうたやFW・きょう梠慎さんひとし獲得かくとく昨年さくねんよりもしたの6わったものの、去年きょねんつづいて優勝ゆうしょうあらそいにかかわったことをわれ同年どうねん9がつには来季らいき続投ぞくとう決定けっていした。

2014ねんシーズンは広島ひろしま時代じだいおし西川にしかわ周作しゅうさくただしなり獲得かくとく昨季さくきボランチのポジションをつとめられる選手せんしゅすくなかったため青木あおきたく獲得かくとく。また、ユースの関根せきねたかだい昇格しょうかくした。同年どうねん、10がつだい19せつ以降いこう連続れんぞく首位しゅいっていることを評価ひょうかされ、2015ねんシーズンも指揮しきることが決定けっていした。どう一人物いちじんぶつ浦和うらわで4シーズン以上いじょう監督かんとくつとめるのはクラブ史上しじょうはじめてとなった。

2015ねんのJリーグは11シーズンぶりの2ステージせいとなったが、1stステージを無敗むはい優勝ゆうしょう。2ndステージはだい3せつでシーズンはつ黒星くろぼしきっしたのち連敗れんぱいしたことくわえ、広島ひろしま快調かいちょうちをかさねたことかさなりクラブ史上しじょう最多さいたタイのてん72をかせぎながらリーグ年間ねんかんてんは2となった。Jリーグチャンピオンシップでは準決勝じゅんけっしょうでG大阪おおさか敗退はいたい年間ねんかん順位じゅんいは3となった。

チーム最長さいちょう5ねんのシーズンとなった2016ねんはG大阪おおさかとのPKせんすえルヴァンカップ優勝ゆうしょうし、自身じしんはつの3だいタイトル獲得かくとくとなった。そしてレギュラーシーズンではクラブ史上しじょう最多さいたとなる74の年間ねんかんてん1でシーズンをえた。チャンピオンシップ決勝けっしょうでは、準決勝じゅんけっしょうがった鹿島かしま対戦たいせんやぶれ2でシーズンをえることになった。

1ステージせい復活ふっかつした2017ねんシーズンも指揮しきり、矢島やじま慎也しんや長澤ながさわ和輝かずてるオナイウおもねみちらの若手わかて有望ゆうぼうかぶ獲得かくとくしたほか、FWラファエル・シルバ獲得かくとくし、戦力せんりょく充実じゅうじつはかった。しかし、6月のリーグせん3試合しあいで3連敗れんぱいするなどきゅう失速しっそく順位じゅんいを8までとしてかえ期間きかんむかえ、だい19せつ昇格しょうかくぐみ北海道ほっかいどうコンサドーレ札幌さっぽろやぶれた翌日よくじつ契約けいやく解除かいじょ

2018ねんシーズンより、北海道ほっかいどうコンサドーレ札幌さっぽろ監督かんとく就任しゅうにんさくシーズン11残留ざんりゅう最低さいてい目標もくひょうだったチームを就任しゅうにん1ねんで、システムがフィットし[15]最終さいしゅうてきにはクラブ史上しじょう最高さいこうの4でシーズンをえた。また、2017ねん無得点むとくてんだったチャナティップもペトロヴィッチのサッカーにフィットし活躍かつやく、Jリーグベスト11に選出せんしゅつされた。自身じしんはつJリーグ優秀ゆうしゅう監督かんとくしょう受賞じゅしょうした[16]

2024ねんシーズンは残留ざんりゅうあらそいにまれ最下位さいかいとなると、5月29にち、「北海道ほっかいどうコンサドーレ札幌さっぽろにかかわるすべてのみなさまへ」のプレスリリースを掲載けいさいし、そのなかで「こんシーズンをクラブとミシャ監督かんとくとの集大成しゅうたいせいとしてかんがえています」として、シーズン途中とちゅうでの監督かんとく交代こうたいおこなわないことと、2024ねんシーズンでの退任たいにん発表はっぴょうされた[17]

人物じんぶつ

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戦術せんじゅつコンセプト

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基本きほんてき攻撃こうげきてきなサッカーをこの[3][4]。GK・DFラインからパスをつなぐ「モダンなサッカー」[2][6]であるイビチャ・オシムとおなじコンセプト「かんがえてはしるサッカー」[2]守備しゅびにリスクをけてまでおこな攻撃こうげきてきなサッカー[3]目指めざしている。一方いっぽうで「仕事しごと」と表現ひょうげんする、相手あいてわせて比較的ひかくてき守備しゅびてきなサッカーを展開てんかいすることもある[18]

特異とくい戦術せんじゅつひとつに「可変かへんDFライン」がある。登録とうろくじょうはDF3にんの3バックだが、状況じょうきょうによって2バックや4バック・5バックとDFラインの枚数まいすう変化へんかする。オーバーラップ多用たよう攻守こうしゅすうてき優位ゆういつくこと目的もくてきで、とくに4バックはセンターバック(CB)とサイドバック(SB)で構成こうせいされる従来じゅうらいのものとはちがうごきをせるのも特徴とくちょう[19]。 ちなみに、この戦術せんじゅつは「かんがえてはしるサッカー」を選手せんしゅ消化しょうかし、選手せんしゅあいだのコミュニケーションでされた[20]上記じょうきのGKからパスをつなぐサッカーにくわえこの戦術せんじゅつ機能きのうさせるため、CBに攻撃こうげきてき要素ようそおお要求ようきゅうしている[19][21] ことから、広島ひろしま時代じだいはSBが本職ほんしょく森脇もりわき良太りょうたやMFが本職ほんしょく森崎もりさき和幸かずゆき清水しみず時代じだいにCBからボランチにコンバートされた戸田とだ和幸かずゆき元々もともとFWだった盛田もりたつよしたいらをCBとして起用きようしている。

もうひとつの特徴とくちょうてき戦術せんじゅつに「5トップ」がある。登録とうろくじょうはFW1人ひとり攻撃こうげきてきなMF2にんの3-6-1(1トップ2シャドー)だがこの3にんりょうサイドのMFをくわえた5にん前線ぜんせん相手あいてDFラインにき、ポストプレーやしの流動りゅうどうせいでギャップをつく[19][22]。これも可変かへんDFラインと同様どうようにペトロヴィッチ本人ほんにんのアイデアにくわえ、選手せんしゅあいだのコミュニケーション、とく森崎もりさき和幸かずゆきひらめきからまれた[19][20]

選手せんしゅへのアプローチ

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若手わかてそだてることに定評ていひょうがある[5]。シュトゥルム・グラーツ監督かんとく時代じだいユルゲン・ゾイメルクリストフ・ライトゲープクラウス・ザルムッタードイツばんらをオーストリア代表だいひょうへ、広島ひろしまでは槙野まきの智章ともあき柏木かしわぎ陽介ようすけ青山あおやま敏弘としひろ森脇もりわき良太りょうたとうを、浦和うらわでは、関根せきねたかだいをあらゆる世代せだい日本にっぽん代表だいひょうおくしている。

個人こじん成績せいせき

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選手せんしゅ成績せいせき
国内こくない大会たいかい個人こじん成績せいせき
年度ねんどクラブ背番号せばんごうリーグ リーグせん リーグはいオープンはい 期間きかん通算つうさん
出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん
ユーゴスラビア リーグせん リーグはいオープンはい 期間きかん通算つうさん
1974-75 ラド 2
1975-76
1976-77 レッドスター 1 0 0
1977-78 5 0
1978-79 レッドスター 2 0
オリンピア 17 2
1979-80 オリンピア 33 3
1980-81 29 0
1981-82 17 1
1982-83 17 0
1983-84 34 1
1984-85 ディナモ・ザグレブ 34 0
オーストリア リーグせん リーグはいオーストリアはい 期間きかん通算つうさん
1985-86 グラーツ 1 30 3
1986-87 35 0
1987-88 36 1
1988-89 21 1
1989-90 36 0
1990-91 36 1
1991-92 22 0
1992-93 17 0
通算つうさん ユーゴスラビア 1 188 7
ユーゴスラビア 2
オーストリア 1 233 6
そう通算つうさん
監督かんとく成績せいせき
年度ねんど クラブ 所属しょぞく 試合しあいすう かち ぶん はい かちてん 順位じゅんい Jリーグはい 天皇杯てんのうはい ACL
2006 広島ひろしま J1 22 11 2 9 35 10 - 5回戦かいせん敗退はいたい -
2007 34 8 8 18 32 16 ベスト8 じゅん優勝ゆうしょう -
2008 J2 42 31 7 4 100 優勝ゆうしょう - ベスト8 -
2009 J1 34 15 11 8 56 4 グループリーグ敗退はいたい 3回戦かいせん敗退はいたい -
2010 34 14 9 11 51 7 じゅん優勝ゆうしょう 3回戦かいせん敗退はいたい グループリーグ敗退はいたい
2011 34 14 8 12 50 7 1回戦かいせん敗退はいたい 3回戦かいせん敗退はいたい -
2012 浦和うらわ 34 15 10 9 55 3 グループリーグ敗退はいたい 4回戦かいせん敗退はいたい -
2013 34 17 7 10 58 6 じゅん優勝ゆうしょう 3回戦かいせん敗退はいたい グループリーグ敗退はいたい
2014 34 18 8 8 62 2 ベスト8 3回戦かいせん敗退はいたい -
2015 34 21 9 4 72 3 ベスト8 じゅん優勝ゆうしょう グループリーグ敗退はいたい
2016 34 23 5 6 74 2 優勝ゆうしょう 4回戦かいせん敗退はいたい ベスト16
2017 20 9 2 9 29 8 - 4回戦かいせん ベスト8
2018 札幌さっぽろ 34 15 10 9 55 4 グループリーグ敗退はいたい 4回戦かいせん敗退はいたい -
2019 34 13 7 14 46 10 じゅん優勝ゆうしょう 2回戦かいせん敗退はいたい -
2020 34 10 9 15 39 12 ベスト8 - -
2021 38 14 9 15 51 10 ベスト8 3回戦かいせん敗退はいたい -
2022 34 11 12 11 45 10 プレーオフ敗退はいたい 3回戦かいせん敗退はいたい -
2023 34 10 10 14 40 12 ベスト8 4回戦かいせん敗退はいたい -
2024 38 くらい ベスト8 4回戦かいせん敗退はいたい -

タイトル

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監督かんとく時代じだい

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サンフレッチェ広島さんふれっちぇひろしま
浦和うらわレッズ

個人こじん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく
  1. ^ 現在げんざいでもイビチャ・オシムをあおいでいる[7]。ちなみにはじめての出会であいは、ユーゴスラビアでの選手せんしゅ時代じだいFKジェリェズニチャル・サライェヴォ監督かんとくをしていたオシムの対戦たいせん相手あいてとして[2]
出典しゅってん
  1. ^ 躍進やくしん札幌さっぽろ、ペトロヴィッチ監督かんとく指導しどうほうめるミスとしかるミスがある”. sportiva. 2019ねん9がつ28にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g h i ASSIST、2006ねんなつごう
  3. ^ a b c d 朝日新聞あさひしんぶん、2011ねん1がつ26にち
  4. ^ a b c d e f ペトロビッチ監督かんとく退任たいにん契約けいやく更新こうしんせず”. 中国ちゅうごく新聞しんぶん (2011ねん11月10にち). 2011ねん11がつ10日とおか閲覧えつらん
  5. ^ a b しん監督かんとくにペトロヴィッチ起用きよう”. 中国ちゅうごく新聞しんぶん(Internet Archive) (2006ねん6がつ8にち). 2006ねん6がつ15にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2009ねん8がつ17にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c インタビュー”. スポーツナビ (2006ねん6がつ8にち). 2009ねん8がつ17にち閲覧えつらん
  7. ^ だい88かい天皇てんのうはい4回戦かいせん 広島ひろしま vs 東京とうきょうV】ペトロヴィッチ監督かんとく広島ひろしま記者きしゃ会見かいけんコメント”. J's GOAL (2008ねん11月2にち). 2011ねん8がつ19にち閲覧えつらん
  8. ^ 「ペトロヴィッチ監督かんとく誕生たんじょうストーリー」『むらさきぐま倶楽部くらぶ』2006ねん8がつごう
  9. ^ しん監督かんとくペトロビッチ抱負ほうふ”. 中国ちゅうごく新聞しんぶん(Internet Archive) (2006ねん6がつ9にち). 2006ねん6がつ15にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2009ねん8がつ17にち閲覧えつらん
  10. ^ 槙野まきのけぬたたか徹底てってい '09回顧かいこ<うえ>”. 中国ちゅうごく新聞しんぶん (2009ねん12月7にち). 2009ねん12月9にち閲覧えつらん
  11. ^ 中国ちゅうごく新聞しんぶん2011ねん11月10にちづけ14めん
  12. ^ ペトロヴィッチ監督かんとく来季らいき契約けいやくについて”. サンフレッチェ広島さんふれっちぇひろしま公式こうしきウェブサイト (2011ねん11月9にち). 2011ねん11月9にち閲覧えつらん
  13. ^ しん監督かんとくにミハイロ ペトロヴィッチ”. 浦和うらわレッドダイヤモンズ公式こうしきサイト (2011ねん12月14にち). 2011ねん12月14にち閲覧えつらん
  14. ^ ミシャ監督かんとく契約けいやく更新こうしんのおらせ”. 浦和うらわレッドダイヤモンズ公式こうしきサイト (2012ねん9がつ30にち). 2012ねん9がつ30にち閲覧えつらん
  15. ^ 信念しんねんつらぬき3。ペトロヴィッチの札幌さっぽろに、福田ふくだ正博まさひろはロマンをかんじる sportiva 2018ねん5がつ9にち
  16. ^ 2018Jリーグ ペトロヴィッチ監督かんとく優秀ゆうしゅう監督かんとくしょう(J1)、チャナティップ選手せんしゅ優秀ゆうしゅう選手せんしゅしょう受賞じゅしょう 北海道ほっかいどうコンサドーレ札幌さっぽろ(プレスリリース) 2018ねん12月7にち
  17. ^ 北海道ほっかいどうコンサドーレ札幌さっぽろにかかわるすべてのみなさまへ 北海道ほっかいどうコンサドーレ札幌さっぽろ(プレスリリース) 2024ねん5がつ29にち
  18. ^ 【J1:だい31せつ 広島ひろしま vs 京都きょうと プレビュー】”. J's GOAL (2006ねん11月18にち). 2011ねん8がつ19にち閲覧えつらん
  19. ^ a b c d 広島ひろしまこすセンターバック革命かくめい”. スポーツナビ (2008ねん7がつ10日とおか). 2009ねん8がつ18にち閲覧えつらん
  20. ^ a b むらさきぐま倶楽部くらぶ』2008ねん12がつごう槙野まきの智章ともあきおよび同誌どうし2009ねん1がつごう森崎もりさき和幸かずゆきインタビューより
  21. ^ 広島ひろしま・ペトロヴィッチ監督かんとく盛田もりたつよしたいら信頼しんらいせる理由りゆう”. Jマガ (2011ねん7がつ22にち). 2011ねん10がつ9にち閲覧えつらん
  22. ^ 月刊げっかんサッカー:ピッチはひろく 「3バック」J席巻せっけん”. 毎日新聞まいにちしんぶん (2012ねん11月27にち). 2012ねん11月29にち閲覧えつらん

参考さんこう資料しりょう

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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