(Translated by https://www.hiragana.jp/)
オランダ王国 - Wikipedia コンテンツにスキップ

オランダ王国おうこく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
オランダ王国おうこく

Koninkrijk der Nederlanden (オランダ
Keninkryk fan de Nederlannen 西にしフリジア
Reino Hulandes (パピアメント
オランダの国旗
国旗こっき
Coat of arms of オランダ
くにあきら
標語ひょうごJe maintiendrai  (仏語ふつご)[1]
わがまもつづけん)
国歌こっかヴィルヘルムス
首都しゅと
かつ最大さいだい都市とし
アムステルダム2
北緯ほくい5205ふん 東経とうけい418ふん / 北緯ほくい52.08 東経とうけい4.30 / 52.08; 4.30座標ざひょう: 北緯ほくい5205ふん 東経とうけい418ふん / 北緯ほくい52.08 東経とうけい4.30 / 52.08; 4.30
公用こうよう オランダ1くに);
西にしフリジアパピアメント英語えいご地域ちいき
統治とうち体制たいせい 議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎおよび立憲りっけん君主くんしゅせい
ウィレム=アレクサンダー
マルク・ルッテ
Edwin Abath
Sheldry Osepa
Mathias Voges
立法府りっぽうふ スターテン・ヘネラール
だい一院いちいん
だい二院にいん
成立せいりつ
• 現在げんざい王国おうこく成立せいりつ
1815ねん
• オランダ王国おうこく憲章けんしょう非対称ひたいしょうてき連邦れんぽうせい

1954ねん10がつ28にち
面積めんせき
• 合計ごうけい
42,508 km2 (16,412 sq mi) (136)
• 水面すいめんせきりつ (%)
18.41
人口じんこう
• 2009ねん推計すいけい
17,000,000 (61)
• 人口じんこう密度みつど
393/km2 (1,017.9/sq mi) (30)
通貨つうか ユーロ (ヨーロッパ・オランダ)あめりかドル カリブ・オランダオランダりょうアンティル・ギルダー キュラソーシント・マールテンとうアルバ・フローリン (アルバ) (€ EUR, USD, ANG, AWG)
時間じかんたい UTC+1および-4 (CETおよびAST)
• なつ (DST)
UTC+2および-4 (CESTおよびAST)
道路どうろ みぎ
国際こくさい電話でんわ番号ばんごう +31, +297, +599
インターネットTLD .nl3, .aw, .an, .bq
  1. パピアメント王国おうこくのカリブ地域ちいき公用こうようである[3]英語えいごは、ボネールとうサバとうシント・ユースタティウスとうシント・マールテンとう公用こうようである[3]スペイン公用こうようではないが、これらの島々しまじまひろはなされている。フリースラントしゅうでは、西にしフリジア公的こうてき地位ちいゆうしている[4]オランダていザクセンおよびリンブルフオランダ地方ちほう言語げんごとして公式こうしきみとめられている。
  2. デン・ハーグがオランダの実質じっしつてき首都しゅと機能きのうゆうしている。オラニエスタッドはアルバの首都しゅとである。ウィレムスタットキュラソー首都しゅとである。フィリップスブルフシント・マールテン首都しゅとである。
  3. オランダではそののEU加盟かめいこくとも.eu使用しようされる。

オランダ王国おうこく(オランダおうこく、オランダ: Nl-Koninkrijk der Nederlanden2.ogg Koninkrijk der Nederlanden[ヘルプ/ファイル]〔コーニンクレイク・デル・ネーデルランデン〕、西にしフリジア: Keninkryk fan de Nederlannenパピアメント: Reino Hulandes)は、西にしヨーロッパおよびカリブ領土りょうどゆうする主権しゅけん国家こっか立憲りっけん君主くんしゅこくである。王国おうこくの4つの地域ちいきであるアルバオランダキュラソーシント・マールテンはそれぞれくにらん: landen)とばれ、王国おうこくないのパートナーとしてたがいに対等たいとう立場たちば王国おうこく構成こうせいしている[5]。オランダは、カリブの3つの特別とくべつ自治体じちたいのぞいてヨーロッパ位置いちしており本土ほんど部分ぶぶんのみを場合ばあいは「ヨーロッパ・オランダ」とばれる。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

オランダ王国おうこく1813ねんナポレオン帝国ていこく崩壊ほうかいにその起源きげんがある。このとし、オランダはふたた自由じゆうて、オラニエおよびナッサウこうウィレム君主くんしゅとしたネーデルラント公国こうこく宣言せんげんされた。みなみネーデルラント(おおよそ現在げんざいベルギーおよびルクセンブルク)とのさい統一とういつは1814ねん決定けっていされた。1815ねん3がつ君主くんしゅ称号しょうごうネーデルラント国王こくおうとなり、王国おうこく現在げんざいいたる。オランダ国王こくおうは、同時どうじドイツ連邦れんぽううちだい公国こうこくでもあったネーデルラント王国おうこくいち地方ちほう君主くんしゅであるルクセンブルク大公たいこうでもあった。

1830ねんベルギー独立どくりつ革命かくめいで、ベルギーは王国おうこくから離脱りだつし、オランダは1839ねんロンドン条約じょうやく独立どくりつ承認しょうにんした。この時点じてんで、ルクセンブルクはネーデルラントと人的じんてき同君どうくん連合れんごうにある完全かんぜん独立どくりつこくとなった。この領土りょうど損失そんしつドイツ連邦れんぽうたいしてわせするため、オランダのリンブルフ地方ちほうはこれ以前いぜんにルクセンブルクがあった地位ちい同様どうようにオランダおよびドイツ連邦れんぽう両方りょうほうぞくする公国こうこくとされた。この地位ちいはドイツ連邦れんぽうわる1867ねんくつがえされ、この時点じてんでリンブルフは以前いぜんのように普通ふつうのオランダのしゅうとなったが、オランダおう今日きょうでもリンブルフこう称号しょうごうゆうしている。

1954ねん行政ぎょうせい改革かいかく起源きげんは1931ねんウェストミンスター憲章けんしょうおよび1941ねん大西洋たいせいよう憲章けんしょう政府せいふ形態けいたい選択せんたくする人民じんみん権利けんり一般いっぱんてき安全あんぜん保障ほしょうのための仕組しくみの必要ひつようせいについてべられている)にある(オランダは1942ねん1がつ1にち大西洋たいせいよう憲章けんしょう調印ちょういんした)。変革へんかく女王じょおうウィルヘルミナの1942ねん12月7にちのラジオ演説えんぜつ提案ていあんされた。この演説えんぜつで、女王じょおうはロンドンのオランダ亡命ぼうめい政府せいふ英語えいごばん代表だいひょうし、戦争せんそう集結しゅうけつにオランダとその植民しょくみんとのあいだ関係かんけい見直みなおしたいというねがいを表明ひょうめいした。解放かいほう政府せいふ海外かいがい領土りょうど王国おうこく統治とうち対等たいとう立場たちば参加さんかできるような調停ちょうてい合意ごういするための会議かいぎ招集しょうしゅうしたいとした。当初とうしょは、この演説えんぜつにはプロパガンダ目的もくてきがあった。オランダ政府せいふオランダりょうひがしインド現在げんざいインドネシア)を念頭ねんとういており、植民しょくみん主義しゅぎたいして批判ひはんてきとなっていたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく世論せろんしずめたいとねがっていた[6]

インドネシアの独立どくりつスリナムオランダりょうアンティル経済けいざいがオランダの経済けいざい比較ひかくしてるにらないため連邦れんぽう構造こうぞうおもすぎるとかんがえられた。1954ねん憲章けんしょうでは、スリナムとオランダりょうアンティルはそれぞれオランダに全権ぜんけん公使こうしくこととなった。スリナムやオランダりょうアンティルに直接的ちょくせつてき関係かんけいする王国おうこく全体ぜんたいたいしててはまる事柄ことがらについて、全権ぜんけん公使こうしはこれについて議論ぎろんがなされるオランダの閣議かくぎ参加さんかする権利けんりゆうしていた。スリナムおよびオランダりょうアンティルの代表だいひょうスターテン・ヘネラールだいいちおよびだい評議ひょうぎかい会合かいごう参加さんかすることが出来できた。海外かいがい領土りょうどのメンバーは適切てきせつとき国策こくさく会議かいぎ英語えいごばんくわえることが出来できた。憲章けんしょうによれば、スリナムおよびオランダりょうアンティルはかれらの基本きほんほう (Staatsregeling) を改正かいせいすることもゆるされた。この2つの自治じちこく王国おうこく一方いっぽうてき離脱りだつする権利けんりみとめられなかったが、協議きょうぎによって解決かいけつすると憲章けんしょう明記めいきされた[6]

1954ねんオランダ王国おうこく憲章けんしょう英語えいごばん宣言せんげんまえ、スリナム、オランダりょうニューギニア、オランダりょうアンティル(以前いぜんキュラソー植民しょくみん英語えいごばん)はオランダの植民しょくみんであった。

スリナムは1954ねんから1975ねんまで王国おうこくない構成こうせいこくであったが、オランダりょうアンティルは1954ねんから2010ねんまで構成こうせいこくだった。スリナムは独立どくりつ共和きょうわこくとなり、オランダりょうアンティルは構成こうせいこくであるアルバ(1986ねんから)、キュラソーおよびシント・マールテン(2010ねんから)、本土ほんどオランダの特別とくべつ自治体じちたいであるボネールとうサバとうシント・ユースタティウスとうかれた。オランダりょうニューギニアは1962ねんまでは王国おうこく属領ぞくりょうであったが自治じちこくではなく、憲章けんしょうでは言及げんきゅうされていない。

1955ねん女王じょおうユリアナおよびおうはいベルンハルトはスリナムおよびオランダりょうアンティルを訪問ほうもんした。この訪問ほうもんだい成功せいこうおさめた。女王じょおう夫妻ふさい地元じもと住民じゅうみんによって熱狂ねっきょうてき歓迎かんげいされ、この旅行りょこうはオランダのマスコミよってひろ報道ほうどうされた。そのいくつかの行幸ぎょうこうつづいておこなわれた[7]

1969ねん、キュラソーのアンティルとうでの組織そしきてきなストライキによって深刻しんこく騒乱そうらん略奪りゃくだつこり、このあいだウィレムスタット歴史れきしてき市内しない一部いちぶ火事かじによって焼失しょうしつした。秩序ちつじょオランダ海兵かいへいたいによって回復かいふくされた。同年どうねん、スリナムでは深刻しんこく政治せいじてき不安定ふあんてい状態じょうたいとなり、スリナム首相しゅしょうのJohan Pengelは教師きょうしのストライキをわらせるため軍事ぐんじ支援しえん要請ようせいするとのおどしをおこなった。

1973ねん労働党ろうどうとうヨープ・デン・ウイル英語えいごばんしたあたらしいオランダないかく発足ほっそくした。政策せいさく方針ほうしんで、内閣ないかくはスリナムおよびオランダりょうアンティルの独立どくりつ期日きじつをこれらのくに政府せいふとも決定けっていしたいと宣言せんげんした。アンティル政府せいふ態度たいどをはっきりさせず、スリナムのシドニー英語えいごばん内閣ないかく同様どうようであった。スリナムの1973ねん選挙せんきょによって国民党こくみんとう同盟どうめい (Nationale Partij Kombinatie) が勝利しょうりし、ヘンク・アロン英語えいごばん首相しゅしょうとなった。しん政府せいふは1976ねんよりまえ独立どくりつするという声明せいめい発表はっぴょうした。選挙せんきょ期間きかんちゅう独立どくりつについては論点ろんてんとなっていなかったため、これは異例いれいのことであった。デン・ハーグのデン・ウイル政府せいふはスリナム独立どくりつ計画けいかく実現じつげんするための協力きょうりょくしゃパラマリボた。はげしく感情かんじょうてきなスリナム野党やとう抵抗ていこうにもかかわらず、デン・ウイルとアロンは合意ごういたっし、1975ねん11月25にち、スリナムは独立どくりつした[8]

オランダ王国おうこくよっつのくに
オランダ王国おうこく地図ちずすべての領土りょうどどう縮尺しゅくしゃくしめされている。

オランダ王国おうこく現在げんざいたがいに対等たいとう立場たちば王国おうこく形成けいせいしている4つのくにによって構成こうせいされている。

オランダ王国おうこくないくに
くに 人口じんこう
(2010ねん1がつ1にち[nb 1]
王国おうこく人口じんこうにおける割合わりあい 面積めんせき
(km2)
王国おうこく面積めんせきにおける割合わりあい 人口じんこう密度みつど
(まいkm2)
情報じょうほうげん
アルバの旗 アルバ 112,309 0.63% 180 0.42% 624 [i]
キュラソー島の旗 キュラソー 158,665 0.89% 444 1.04% 358 [ii]
オランダの旗 オランダ[nb 1] 17,424,978 98.24% 41,873 98.45% 516
オランダの旗 ヨーロッパ・オランダ 17,399,821 98.10% 41,545 97.68% 521 [iii]
ボネール島の旗 ボネールとう 201,040 0.11% 288 0.69% 69 [ii]
サバ島の旗 サバとう 1,915 0.01% 13 0.03% 148 [ii]
シント・ユースタティウス島の旗 シント・ユースタティウスとう 3,168 0.02% 21 0.05% 150 [ii]
シント・マールテンの旗 シント・マールテン 41,486 0.23% 34 0.08% 1,221 [ii]
オランダ王国の旗 オランダ王国おうこく 17,737,438 100.00% 42,525 100.00% 515
Notes
  1. ^ a b 2010ねん10がつ10日とおかまで、オランダはボネール、サバ、あるいはシント・ユースタティウスをふくまない。

アルバ中央ちゅうおう集権しゅうけんされた単一たんいつ国家こっかである。政府せいふは、君主くんしゅ代理だいりである総督そうとく英語えいごばん首相しゅしょう英語えいごばんちょうとする閣僚かくりょう会議かいぎによって構成こうせいされている。議会ぎかい一院制いちいんせいアルバ議会ぎかいである。現在げんざいのアルバ総督そうとくフレディス・レフンニョル英語えいごばん現在げんざい首相しゅしょうはマイクアリソン・エマリンケルンである。通貨つうかアルバ・フロリン使用しようされている。

キュラソー

[編集へんしゅう]

キュラソー中央ちゅうおう集権しゅうけんされた単一たんいつ国家こっかであり、アルバと同様どうよう統治とうち形態けいたいである。通貨つうかアンティル・ギルダー使用しようされている。

オランダ

[編集へんしゅう]

オランダ議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎ単一たんいつ国家こっかである。政府せいふ君主くんしゅおよび首相しゅしょうちょうとする閣僚かくりょう会議かいぎによって構成こうせいされている。議会ぎかいだい一院いちいん上院じょういん)およびだい二院にいん下院かいん)によって構成こうせいされるスターテン・ヘネラールである。オランダは12のしゅうドレンテしゅうフレヴォラントしゅうフリースラントしゅうヘルダーラントしゅうフローニンゲンしゅうリンブルフしゅうきたブラバントしゅうきたホラントしゅうオーファーアイセルしゅうユトレヒトしゅうゼーラントしゅうみなみホラントしゅう)にかれている。しゅうはさらに443の基礎きそ自治体じちたいヘメーンテ(Gemeente)に分割ぶんかつされている。現在げんざいのオランダ首相しゅしょうマルク・ルッテである。通貨つうかユーロ導入どうにゅうしている。例外れいがい特別とくべつ自治体じちたいBES諸島しょとうで、オランダりょうアンティルギルダーを使用しようしていたが2011ねんあめりかドル導入どうにゅうした[9]

ボネールとう、シント・ユースタティウスとう、サバとう

[編集へんしゅう]

ボネールとうシント・ユースタティウスとうサバとう特別とくべつ自治体じちたい(BES諸島しょとう)はオランダ本土ほんど一部いちぶであり、しゅうには組込くみこまれていない[10]。BES諸島しょとうはほとんどの場合ばあいにおいて通常つうじょうのオランダの基礎きそ自治体じちたいており(自治体じちたいなが議員ぎいん議会ぎかいなど)、ほとんどのオランダの法律ほうりつ対象たいしょうとなる。これらの3つのしま住民じゅうみんはオランダの国政こくせい選挙せんきょ欧州おうしゅう選挙せんきょ投票とうひょうすることができる。しかしながら、これらのしまにはいくつか例外れいがい存在そんざいする。たとえば、社会しゃかい保険ほけんはオランダと同等どうとうのレベルでは提供ていきょうされていない。2008ねん11月、これらのしまでは通貨つうかとしてあめりかドル導入どうにゅうすることが決定けっていされ[11]、2011ねん1がつ1にちから導入どうにゅうされた。オランダは本土ほんどとBES諸島しょとうとのあいだのキャッシュフローにかんして為替かわせ相場そうば変動へんどうリスクをうこととなった。

シント・マールテンとう

[編集へんしゅう]

シント・マールテン中央ちゅうおう集権しゅうけんされた単一たんいつ国家こっかであり、アルバと同様どうよう統治とうち機構きこうゆうしている。通貨つうかはキュラソーと同様どうようにアンティル・ギルダーが使用しようされている。

制度せいど

[編集へんしゅう]

憲章けんしょうおよび憲法けんぽう

[編集へんしゅう]

オランダ憲法けんぽう英語えいごばんアルバ憲法けんぽう英語えいごばんキュラソー憲法けんぽう英語えいごばんシント・マールテン憲法けんぽう英語えいごばんはそれぞれのくに統治とうちさだめるが、オランダ王国おうこく憲章けんしょう英語えいごばんがこれらの憲法けんぽうより優位ゆういにある。オランダ憲法けんぽう憲章けんしょう言及げんきゅうされている王国おうこく制度せいど制定せいてい制限せいげんする。これらの制度せいどかんする憲章けんしょうちゅう条項じょうこう付加ふかてきであり、憲章けんしょう明記めいきされているアルバ、キュラソー、シント・マールテンに直接的ちょくせつてき影響えいきょうする王国おうこく事項じこうかんしてのみ適用てきようされる。王国おうこく事柄ことがらがアルバ、キュラソー、シント・マールテンに影響えいきょうしない場合ばあいは、オランダ憲法けんぽうさだめられた条項じょうこうしたがって対処たいしょする。これらの場合ばあい、オランダはオランダ憲法けんぽうしたがって、オランダ王国おうこくという立場たちば単独たんどく行動こうどうする。そのの3カ国かこくは、自国じこくのみに関連かんれん本土ほんどオランダとは関連かんれんしない王国おうこく事柄ことがらかんして、オランダ同様どうよう行動こうどうすることはできない。これらの場合ばあい憲章けんしょう条項じょうこう優先ゆうせんされる。

オランダ王国おうこく憲章けんしょう改正かいせいは、すべてのくに合意ごういしたときのみ可能かのうである。

政府せいふ

[編集へんしゅう]

おうおよびかれ大臣だいじん王国おうこく政府せいふ形成けいせいする。憲章けんしょうだい7じょうによれば、オランダ王国おうこく閣僚かくりょう会議かいぎ英語えいごばんは、オランダ閣僚かくりょう会議かいぎ英語えいごばんとそれを補完ほかんするアルバの全権ぜんけん公使こうし英語えいごばんキュラソーとう全権ぜんけん公使こうし英語えいごばんシント・マールテンとう全権ぜんけん公使こうし英語えいごばんによって構成こうせいされる[12]オランダ首相しゅしょう王国おうこく閣僚かくりょう会議かいぎ議長ぎちょうつとめる[13]

2007ねん12月、王国おうこく関係かんけいのための代理だいり評議ひょうぎかい設立せつりつされた[14][15]。この評議ひょうぎかい王国おうこく閣僚かくりょう会議かいぎ会合かいごうのための準備じゅんびおこなう。このような評議ひょうぎかい設立せつりつは、王国おうこく国策こくさく会議かいぎによって長年ながねん主張しゅちょうされてきた[16]

政府せいふおよび王国おうこく閣僚かくりょう会議かいぎ君主くんしゅせいそれ自身じしんともに、憲章けんしょうだいじょうにおいて、これらのかんしてはオランダ王国おうこく憲法けんぽうによっておも制限せいげんされオランダ王国おうこく憲章けんしょうさだめない、としるされている。しかしながら、オランダ本土ほんどおよび王国おうこく全域ぜんいきにおいてこれらの制度せいどゆうする2つの役割やくわり司法しほうじょう分離ぶんりしている。

王国おうこくレベルにおいて2つの法律ほうりつ文書ぶんしょ存在そんざいする: 王国おうこくほう (オランダ: Rijkswet) および王国おうこく枢密院すうみついんれい (オランダ: Algemene maatregel van Rijksbestuur)。王国おうこくほうれいは「オランダ市民しみんけんかんする王国おうこくほう (オランダ: Rijkswet op het Nederlanderschap)」である。

オランダ国王こくおうあるいは女王じょおう王国おうこく元首げんしゅである。アルバ、キュラソー、シント・マールテンでは総督そうとく国王こくおう代理だいりする。

オランダは選挙せんきょによってえらばれた議会ぎかいったはじめての主権しゅけん国家こっかひとつである[よう出典しゅってん]

立法府りっぽうふ

[編集へんしゅう]

王国おうこく立法府りっぽうふはオランダの議会ぎかいスターテン・ヘネラール)と政府せいふによって構成こうせいされている。憲章けんしょうだいじゅうよんじゅうろくじゅうななじょうでは、アルバ、キュラソー、シント・マールテン議会ぎかいへのいくらかの関与かんよしるされている。

国策こくさく会議かいぎ

[編集へんしゅう]

憲章けんしょうだいじゅうさんじょうは、王国おうこく国策こくさく会議かいぎ設置せっち明記めいきされている。国策こくさく会議かいぎ憲法けんぽう規定きていされるが、憲章けんしょうはアルバ、キュラソー、シント・マールテンの要請ようせいによって、これらの島々しまじまのそれぞれのメンバーを国策こくさく会議かいぎふくむことができることを示唆しさしている[12]。アルバは現在げんざいこの権利けんり行使こうししている[13]つねにこの権利けんり行使こうしされるわけではなく、オランダりょうアンティルは1987ねんまで、アルバは2000ねんまでこのメンバーではなかった[17]。シント・マールテンはつ国策こくさく会議かいぎメンバーはもとふく総督そうとくのDennis Richardsonとなるであろう[18]

司法しほう

[編集へんしゅう]

オランダ最高さいこう裁判所さいばんしょ(Hoge Raad der Nederlanden)は、オランダりょうアンティルおよびアルバの廃棄はいき法令ほうれいにより、王国おうこく最高裁判所さいこうさいばんしょである[19]。この法令ほうれい基礎きそ憲章けんしょうだいじゅうさんじょうである。だいじゅうさんじょうだいこうでは、王国おうこく海外かいがいこく要求ようきゅうした場合ばあいは、そのくにからの追加ついか法廷ほうていメンバーのための王国おうこくほう制定せいていしなければならないと明記めいきされている[12]いままで、アルバ、キュラソー、シント・マールテンはいずれもこの権利けんり行使こうししたことはない。

憲章けんしょうだいさんじゅうきゅうじょうによれば、「民法みんぽうおよび商法しょうほう民事みんじ訴訟そしょうほう刑法けいほう刑事けいじ訴訟そしょうほう著作ちょさくけん産業さんぎょう財産ざいさんけんほう公証こうしょうじん役場やくば計量けいりょうかんする規定きていは、オランダ、アルバ、キュラソー、シント・マールテンにおいて出来できかぎおなじように規制きせいされなければならない」とされている。また、憲章けんしょうでは、これらの事項じこうかんする現行げんこうほう大幅おおはば修正しゅうせい提案ていあんされるときはその構成こうせいこく政府せいふ見解けんかい表明ひょうめいする機会きかいるまでは代議員だいぎいんかい提出ていしゅつあるいは審議しんぎしてはならない、と規定きていされている[12]

構成こうせいこくあいだおよび構成こうせいこく王国おうこくあいだ調停ちょうてい

[編集へんしゅう]

構成こうせいこく王国おうこくとのあいだ対立たいりつした場合ばあいそなえて、憲章けんしょうだいじゅうじょうでは行政ぎょうせいによる調停ちょうてい手続てつづきを規定きていしている。これは、しばしば王国おうこく民主みんしゅ主義しゅぎ欠陥けっかんかんがえられており、2010ねん10がつ10日とおか発効はっこうする憲章けんしょう修正しゅうせい採択さいたくにつながった。あたらしいだいじゅうaじょうでは、行政ぎょうせいによる調停ちょうてい手続てつづきにくわえて、「王国おうこくほうにより、王国おうこくほう明記めいきされた王国おうこく構成こうせいこくあいだ特定とくてい対立たいりつ調停ちょうていのために法令ほうれい制定せいていされなければならない」と明記めいきされた。また、アルバの特別とくべつ代表だいひょうEvelyna Wever-CroesとJ. E. Thijsenによって修正しゅうせいおこなわれた。オリジナルの条文じょうぶんは「王国おうこくほうにより —— 法令ほうれい制定せいていすることができる」となっていた[20]

王国おうこく政務せいむ

[編集へんしゅう]

憲章けんしょうだいさんじょうでは王国おうこくにな政務せいむ明記めいきされている。

  • 王国おうこく独立どくりつおよび防衛ぼうえい維持いじ
  • 外交がいこう関係かんけい
  • オランダ国籍こくせき
  • 騎士きしだん王国おうこくくにしょう規定きてい
  • 船舶せんぱく国籍こくせきおよび帆船はんせんのぞ王国おうこくはたかかげたこうようせん安全あんぜん航海こうかい必要ひつよう国王こくおうはた
  • オランダ国民こくみんのオランダ国籍こくせき取得しゅとくおよび放棄ほうき規定きていする一般いっぱん規則きそく監督かんとく
  • 外国がいこくじん国籍こくせき取得しゅとくおよび放棄ほうきかんする一般いっぱん条件じょうけん
  • 身柄みがら引渡

だいよんじゅうさんじょう(2)では追加ついか王国おうこく政務せいむひと明記めいきされている。

  • 基本きほんてき人権じんけんおよび自由じゆう法的ほうてき確実かくじつせい統治とうち保護ほご

だいさんじょうだいこうでは、「その事項じこう協議きょうぎによって王国おうこく政務せいむとなる可能かのうせいがある」と明記めいきされている[12]

これらの王国おうこく政務せいむはアルバあるいはオランダりょうアンティルに影響えいきょうするとしても王国おうこく政府せいふのみが担当たんとうする。憲章けんしょうだいじゅうよんじょうだいさんこうは、その場合ばあいにおけるオランダによる王国おうこく政務せいむあつかいを予測よそくしている[12]

だいさんじゅうはちじょうもとづいて、王国おうこくないくに前述ぜんじゅつ王国おうこく政務せいむ範囲はんいがい王国おうこくほう制定せいてい決定けっていすることができる。このような法令ほうれいは、アルバおよびオランダりょうアンティル議会ぎかい合意ごうい必要ひつようなため、合意ごうい王国おうこくほうばれる[12]

外交がいこう

[編集へんしゅう]

王国おうこくは、国際こくさい条約じょうやくおよび合意ごういについて交渉こうしょう決定けっていする。アルバ、キュラソー、シント・マールテンに直接ちょくせつ影響えいきょうしないものは王国おうこく憲法けんぽう規定きていにより(つまりオランダ単独たんどくあつかわれる。憲章けんしょうだいじゅうよんじょうは、国際こくさい条約じょうやくあるいは協定きょうていがアルバ、キュラソー、シント・マールテンに影響えいきょうするときはその条約じょうやくあるいは協定きょうていはアルバ、キュラソー、シント・マールテンの代議員だいぎいんかい提出ていしゅつされなければならないと明記めいきしている。だいじゅうよんじょうではさらに、そのような条約じょうやくあるいは協定きょうていがオランダ議会ぎかい黙示もくしてき承認しょうにんのために提出ていしゅつされるときは、全権ぜんけん大使たいし議会ぎかいでの明示めいじてき承認しょうにん表明ひょうめいするよう希望きぼうつたえることができる、と明記めいきしている[12]

憲章けんしょうだいじゅうじょうは、アルバ、キュラソー、シント・マールテンに国際こくさい条約じょうやくあるいは協定きょうていから脱退だったいする機会きかいあたえている。この場合ばあい、この条約じょうやくあるいは協定きょうていはアルバ、キュラソー、あるいはシント・マールテンにたいして適用てきようされないことを明記めいきしなければならない。

だいじゅうろくじょうは、アルバ、キュラソー、シント・マールテンが、関係かんけいしている構成こうせいこく単独たんどく適用てきようされる国際こくさい経済けいざいあるいは金融きんゆう協定きょうてい締結ていけつたいして希望きぼうつたえるとき王国おうこく構成こうせいこくのつながりと矛盾むじゅんする場合ばあいのぞき、王国おうこく政府せいふはそのような協定きょうてい締結ていけつたすけなければならない、と明記めいきしている[12]

だいじゅうななじょうは、アルバ、キュラソー、シント・マールテンに影響えいきょうする条約じょうやくあるいは協定きょうてい作成さくせいにおいてこれらのくに関与かんよ明記めいきしており、だいじゅうはちじょうは、アルバ、キュラソーあるいはシント・マールテンは、かれらがのぞめば、国際こくさい機関きかん加盟かめいすることができる、と明記めいきしている[12]

オランダ王国おうこく北大西洋きたたいせいよう条約じょうやく機構きこう (NATO)、経済けいざい協力きょうりょく開発かいはつ機構きこう (OECD)、世界せかい貿易ぼうえき機関きかん (WTO) の創立そうりつメンバーでもある。

憲法けんぽうてき性格せいかく

[編集へんしゅう]

ほとんどの学者がくしゃはオランダ王国おうこく立憲りっけんてきめを国家こっか組織そしき従来じゅうらいのモデルのひとつに分類ぶんるいすることは困難こんなんであることに合意ごういしており、王国おうこくスイ・ジェネリス英語えいごばんSui generis独自どくじの)形態けいたいであるとかんがえている[17][21]。そのわりに、王国おうこく連邦れんぽう国家こっか国家こっか連合れんごう非対称ひたいしょうてき連邦れんぽうせい英語えいごばん権限けんげん移譲いじょう英語えいごばんされた単一たんいつ国家こっか特徴とくちょうゆうしているとされる。

王国おうこく連邦れんぽうてき特徴とくちょうとしては、憲章けんしょうにおける王国おうこく政務せいむ描写びょうしゃ憲章けんしょうにおける王国おうこく構成こうせい部分ぶぶん列挙れっきょ憲章けんしょう構成こうせいこく法律ほうりつ王国おうこく法律ほうりつたいして下位かいいていること、憲章けんしょうにおける王国おうこく機構きこう制定せいてい王国おうこく自身じしん立法りっぽう文書ぶんしょ王国おうこくほうならびに枢密院すうみついんれい)をゆうすることがげられる。王国おうこく国家こっか連合れんごうてき特徴とくちょうとしては、憲章けんしょう構成こうせいこくあいだ合意ごういによってのみ改正かいせいできることがげられる:ほとんどの普通ふつう連邦れんぽう国家こっかでは、連邦れんぽう機関きかん自身じしん憲法けんぽう改正かいせいすることができる[17]

おおかれすくなかれ非対称ひたいしょうてき連邦れんぽうせいしめ特徴とくちょうとしては、王国おうこく組織そしき機能きのう憲章けんしょう明記めいきされていない場合ばあいはオランダ憲法けんぽうによって管理かんりされることがげられる。憲章けんしょう王国おうこくほう制定せいてい手続てつづきについても明示めいじしていない:憲章けんしょうだいじゅうじょうからだいじゅうじょう規定きていされた追加ついかおよび修正しゅうせい条項じょうこうによってオランダ憲法けんぽうだいはちじゅういちからはちじゅうはちじょう王国おうこくほうたいしても適用てきようされる。強制きょうせいてきカリブ海かりぶかい構成こうせいこく参加さんか必要ひつよう唯一ゆいいつ王国おうこく機関きかん王国おうこく閣僚かくりょう会議かいぎである。最高さいこう裁判所さいばんしょおよび王国おうこく国策こくさく会議かいぎともカリブ海かりぶかい構成こうせいこくもとめたときのみこれらのくにをメンバーにふくみ、カリブ海かりぶかい構成こうせいこく王国おうこく立法府りっぽうふへの参加さんかをほとんど完全かんぜん排除はいじょされている。しかしながら、これらのくに王国おうこくほう起草きそう参加さんかでき、特命とくめい全権ぜんけん公使こうし議会ぎかいまえ王国おうこく政府せいふ提出ていしゅつした王国おうこくほう反対はんたいすることができる。さらに、憲章けんしょうだいじゅうじょうによれば、特命とくめい全権ぜんけん公使こうし王国おうこく議会ぎかい王国おうこくほう起草きそう要求ようきゅうできる[17]

最後さいごに、重要じゅうようなこととして、憲章けんしょうだいじゅうよんじょうによれば、オランダは王国おうこく政務せいむがアルバ、キュラソーあるいはシント・マールテンに影響えいきょうしない場合ばあいはこの政務せいむ自身じしん処理しょりすることができる。アルバ、キュラソー、シント・マールテンはこの権利けんりたない[17]

権限けんげん移譲いじょうされた単一たんいつ国家こっかしめ特徴とくちょうは、憲章けんしょうだいじゅうじょうによると、カリブ海かりぶかい構成こうせいこく法的ほうてき措置そちあるいは行政ぎょうせい措置そち王国おうこく憲章けんしょう国際こくさい協定きょうてい王国おうこくほう枢密院すうみついんれい矛盾むじゅんした場合ばあい王国おうこく政務せいむ制限せいげんする場合ばあいは、王国おうこく政府せいふがその措置そち無効むこうにすることができることである[17]

王国おうこく憲法けんぽう構造こうぞう憲法けんぽう学者がくしゃC. Bormanによって以下いかのように要約ようやくされている。

a voluntary association of autonomous countries in a sovereign Kingdom that is placed above them, in which the institutions of the Kingdom largely coincide with the institutions of the largest country, in which on the level of the Kingdom only a few affairs are governed, and in which from the level of the Kingdom a limited influence can be exerted on the smaller countries.
C. Borman[22]

憲法けんぽう学者がくしゃC. A. J. M. Kortmannは「連邦れんぽうせい特徴とくちょうゆうするくに連合れんごうだが、独自どくじ形態けいたいである」とべている[23] Belinfante and De Reede do speak about a "federal association" without any reservations.[24]

比較ひかく

[編集へんしゅう]

sui juris英語えいごばん憲法けんぽうてき性格せいかくであるにもかかわらず、同様どうよう性質せいしつくにもいくつか存在そんざいする。とくに、デンマーク王国おうこくデンマークグリーンランドフェロー諸島しょとう構成こうせいされ(デンマーク王国おうこく共同きょうどうたい参照さんしょう)、ニュージーランド王国おうこくニュージーランドクック諸島しょとうニウエトケラウロス海ろすかい属領ぞくりょう構成こうせいされる。これらの比較ひかく正確せいかくではない: たとえば、ニュージーランド女王じょおうのぞいては、ニュージーランド、クック諸島しょとう、ニウエは憲法けんぽうてき構造こうぞう共有きょうゆうしていない。

複数ふくすう領土りょうどゆうする国家こっかほかにもあるが、はっきりとことなっている。連合れんごう王国おうこくイギリス)とその海外かいがい領土りょうど、あるいはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくとその海外かいがい領土りょうどのように一部いちぶ国家こっかは、海外かいがい領土りょうど国家こっか一体いったい部分ぶぶんとは做していない。オーストラリア連邦れんぽうといったその国家こっかでは、海外かいがい領土りょうど一体いったい要素ようそとしてあつかってはいないが、国家こっか同等どうとう単一たんいつ国家こっか/国籍こくせきレベルをゆうしている。

欧州おうしゅう連合れんごうとの関係かんけい

[編集へんしゅう]

オランダ王国おうこく欧州おうしゅう連合れんごう (EU) の創立そうりつメンバーである。当初とうしょ、スリナムとオランダりょうアンティルはローマ条約じょうやく付帯ふたい議定ぎていしょ規定きていにより明確めいかく欧州おうしゅう経済けいざい共同きょうどうたいから除外じょがいされていたが[25]、1962ねん9がつ1にちにオランダ王国おうこく批准ひじゅん文書ぶんしょ補完ほかんする附則ふそくによって欧州共同体おうしゅうきょうどうたいない海外かいがいこく (OCT) としてのスリナムの地位ちい確立かくりつされた[26]。オランダりょうアンティルの海外かいがいこくならびに海外かいがい領土りょうど (OCT) としての地位ちい獲得かくとくするオランダりょうアンティルと欧州おうしゅう経済けいざい共同きょうどうたいとの連合れんごうかんする協定きょうてい英語えいごばんは1964ねん10がつ1にち発効はっこうした。

現在げんざい本土ほんどオランダの一部いちぶであるBES諸島しょとうふくカリブ海かりぶかいすべてのしまは、欧州おうしゅう連合れんごうのOCTである。市民しみんけん王国おうこく政務せいむであり、ゆえに王国おうこくないの4つのくに区別くべつされないため、これらよんカ国かこく市民しみん欧州おうしゅう連合れんごう市民しみんでもある。

オランダりょうアンティルの憲法けんぽう改正かいせい

[編集へんしゅう]

2004ねん共同きょうどう委員いいんかいはオランダりょうアンティルの大改革だいかいかく提案ていあんした。2006ねん10がつ11にちおよび11月2にち、オランダ政府せいふとそれぞれのしまとのあいだ合意ごういわされ、2008ねん12月15にちまでに施行しこうすることとなった[27]。この改革かいかくは2010ねん10がつ10日とおか実施じっしされた。これらの改革かいかくした、オランダりょうアンティルは解体かいたいされ、キュラソーおよびシント・マールテンはオランダ王国おうこく構成こうせいこくとなり1986ねんにオランダりょうアンティルを離脱りだつしたアルバとおな地位ちいた。

BES諸島しょとう(ボネールとう、サバとう、シント・ユースタティウスとう)は、自身じしんもオランダ王国おうこく主要しゅよう構成こうせいこくひとつであるオランダの一部分いちぶぶんとなった。特別とくべつ自治体じちたいとして、これらのしまはオランダ王国おうこく憲法けんぽうした公共こうきょう団体だんたい英語えいごばん」(オランダ: openbare lichamen) として構成こうせいされている。これらの自治体じちたいはほとんどのてんにおいてオランダの普通ふつう自治体じちたい類似るいじしており(たとえば、首長しゅちょう議員ぎいん議会ぎかいゆうする)、ほとんどのオランダの法律ほうりつ英語えいごばん適用てきようされる。経過けいか措置そちとして、オランダのほう制度せいどない機能きのうするのに必要ひつようかんがえられるオランダの法律ほうりつのみ導入どうにゅうされ、オランダりょうアンティルのほとんどの法律ほうりつがBES諸島しょとうがオランダにれられた2010ねん10がつ10にち効力こうりょくのあるままとなっている。それ以後いご、オランダりょうアンティルの法律ほうりつはオランダの法律ほうりつ徐々じょじょえられていく見通みとおしである。にもかかわらず、一部いちぶ例外れいがいのこるとかんがえられている。たとえば社会しゃかい保障ほしょうはヨーロッパオランダとはおなじレベルでは提供ていきょうされず、ユーロ導入どうにゅうされるかも不確ふたしかである[28][29]

特別とくべつ自治領じちりょうは、オランダ議会ぎかい投票とうひょうけんゆうするため、オランダによる王国おうこく政務せいむにおいて代表だいひょうけんゆうするとかんがえられている。現在げんざいのオランダの選挙せんきょほうは、上院じょういんしゅうごとに選出せんしゅつされると規定きていされている。しかしながら、BES諸島しょとう現在げんざいどのしゅう一部いちぶでもないため、どのように上院じょういん議員ぎいん選出せんしゅつするかについて不確ふたしかなままである。オランダ政府せいふはBES諸島しょとう住民じゅうみん上院じょういん議員ぎいん選出せんしゅつできるようになることを保障ほしょうしており、これにかんするオプションを検討けんとうしている[28][29]

オランダはBES諸島しょとうEUほう適用てきようける欧州おうしゅう連合れんごう外部がいぶ存在そんざいする地域ちいき (OMR) の地位ちいることにかんする調査ちょうさおこなうことを提案ていあんしている。この調査ちょうさは、BES諸島しょとうがOMRの地位ちいしたでどのようにやっていくかについても検討けんとうする[28]

オランダとオランダ王国おうこくあいだ差異さい

[編集へんしゅう]

オランダ王国おうこくがいでは、「オランダ」はオランダ王国おうこくあらわすのに使用しようされている。たとえば国際こくさい連合れんごうでは、オランダ王国おうこく国連こくれん総会そうかいでは英語えいごで「Netherlands」とばれるが、公式こうしき国連こくれん文書ぶんしょでは「Netherlands」のわりに「Kingdom of the Netherlands」が使用しようされる。国際こくさい条約じょうやくにおいても、「オランダ王国おうこく」は「オランダ」としばしば短縮たんしゅくされる。通常つうじょう使用しようされるオランダ名称めいしょうは「Nederland」で単数たんすうがたであるが、公式こうしきなオランダ名称めいしょうは「Koninkrijk der Nederlanden」で複数ふくすうがたである。しかしながら、オランダの慣例かんれいでは、「オランダ王国おうこく」は「オランダ」ではなく「王国おうこく」と短縮たんしゅくされる。これは、憲章けんしょうさだめられた王国おうこく王国おうこく主要しゅよう構成こうせいこくであるオランダとを混同こんどうするためである[30]。オランダ王国おうこく憲章けんしょうでも、「オランダ王国おうこく」は「オランダ」ではなく「王国おうこく」と短縮たんしゅくされている[12]

オランダ王国おうこくを「オランダ」とぶことが混乱こんらんしょうずることはべつとして、「オランダ」という用語ようご使用しようすることに関連かんれんする不快ふかい感情かんじょうおさえるためにも「王国おうこく」という用語ようご使用しようされる。王国おうこく全体ぜんたいして「オランダ」とぶことは、アルバ、キュラソー、シント・マールテンがヨーロッパに位置いちするオランダと平等びょうどうではないこと、王国おうこくかんする事柄ことがらかんしてこれら3カ国かこく発言はつげんけんがなくヨーロッパオランダに従属じゅうぞくしていることを暗示あんじする。これらのしま王国おうこく政務せいむにおける影響えいきょう限定げんていされているが、たしかに存在そんざいする。

地理ちり

[編集へんしゅう]
オランダりょうカリブ諸島しょとう地図ちず

オランダ王国おうこく領土りょうどは42,519平方へいほうキロメートル (16,417 sq mi)である。オランダ王国おうこくベルギードイツ(どちらもオランダと)、フランス(シント・マールテンと)と国境こっきょうせっしている。オランダのやく4ぶんの1は海抜かいばつ0メートルを下回したまわり、ほとんどの土地とち干拓かんたくによってひろげられてきた。洪水こうずいから土地とちまもるために堤防ていぼうきずかれている。以前いぜんは、オランダの最高さいこう地点ちてんリンブルフしゅうファールスさん(Vaalserberg)における322.5メートルであったが、2010ねん10がつ10日とおか憲法けんぽう改正かいせいによってサバとうがオランダの特別とくべつ自治体じちたいとなったため、サバとう存在そんざいするシーナリーさん(877メートル)が最高さいこう地点ちてんとなった。

王国おうこくカリブ海かりぶかい地域ちいきことなる地理ちりてき起源きげんつ2つの領域りょういきから構成こうせいされる。ウィンドワード諸島しょとう(サバとう、シント・ユースタティウスとう、シント・マールテンとう)は火山かざんとうであり、やまがちで農業のうぎょうてきした土地とちがほとんどのこっていない。リーワード諸島しょとう(アルバ、ボネールとう、キュラソーとう)は火山かざん起源きげんおよびサンゴ礁さんごしょう起源きげんざっている。

カリブ海かりぶかい島々しまじま熱帯ねったい気候きこうであり、一年中いちねんじゅう温暖おんだんである。ウィンドワード諸島しょとう夏季かきハリケーンおそわれる。オランダのヨーロッパ地域ちいきおだやかな海洋かいようせい気候きこうであり、なつすずしくふゆあたたかい。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ Wat is het Koninklijk wapen of Rijkswapen? (Google translate)”. Official Dutch government website. 8 August 2011閲覧えつらん
  2. ^ オランダの首相しゅしょうは、王国おうこく大臣だいじんとして振舞ふるまとき、「王国おうこく閣僚かくりょう会議かいぎ議長ぎちょうという立場たちばにあるわれらの首相しゅしょう」(らん: Onze Minister-President, in zijn hoedanigheid van voorzitter van de raad van ministers van het Koninkrijk)。このひとつのれいは、キュラソーとうおよびシント・マールテンとうへの金融きんゆう監督かんとく指針ししんかんする王国おうこく法令ほうれい の2(3a) じょうることができる。オランダのその大臣だいじんは、王国おうこく大臣だいじんとして行動こうどうするときは「王国おうこく大臣だいじんという立場たちばにある~」(らん: in zijn hoedanigheid van Minister van het Koninkrijk)をけてばれる(れい: 王国おうこく大臣だいじんという立場たちばにあるわれらの法務大臣ほうむだいじん Onze Minister van Justitie in zijn hoedanigheid van minister van het Koninkrijk)。ただし、外務がいむ大臣だいじんおよび防衛ぼうえい大臣だいじん職務しょくむつね王国おうこく権限けんげんであるため、このようにはばれない。
  3. ^ a b Tijdelijke wet officiële talen BES” (Dutch). wetten.nl. 2010ねん10がつ24にち閲覧えつらん。 “Artikel 2: De officiële talen zijn het Engels, het Nederlands en het Papiamentu. (だい2じょう: 公用こうよう英語えいご、オランダ、パピアメントである)”
  4. ^ Wet gebruik Friese taal in het rechtsverkeer” (オランダ). wetten.nl. 2010ねん10がつ25にち閲覧えつらん
  5. ^ "EXPLANATORY MEMORANDUM to the Charter for the Kingdom of the Netherlands", transmitted to the U.N. Secretary-General in compliance with the wishes expressed in General Assembly resolutions 222 (III) and 747 (VIII). New York, 30 March 1955(* Ministerie van Buitenlandse Zaken , 41, Suriname en de Nederlandse Antillen in de Verenigde Naties III, Staatsdrukkerij-en uitgeversbedrijf/ ’s Gravenhage, 1956)
  6. ^ a b Peter Meel, Tussen autonomie en onafhankelijkheid. Nederlands-Surinaamse betrekkingen 1954-1961 (Between Autonomy and Independence. Dutch-Surinamese Relations 1954-1961; Leiden: KITLV 1999).
  7. ^ Gert Oostindie, De parels en de kroon. Het koningshuis en de koloniën (The Pearls and the Crown. The Royal House and the Colonies; Amsterdam: De Bezige Bij, 2006).
  8. ^ Gert Oostindie and Inge Klinkers, Knellende Koninkrijksbanden. Het Nederlandse dekolonisatiebeleid in de Caraïben, 1940-2000, II, 1954-1975 (Stringent Kingdom Ties. The Dutch De-colonisation Policy in the Caribbean; Amsterdam: University Press 2001).
  9. ^ Monetary, Safety Law BES islands approved islands”. The Daily Herald (2010ねん5がつ19にち). 2011ねん6がつ27にち閲覧えつらん
  10. ^ 31.954, Wet openbare lichamen Bonaire, Sint Eustatius en Saba” (Dutch). Eerste kamer der Staten-Generaal. 2010ねん10がつ15にち閲覧えつらん。 “De openbare lichamen vallen rechtstreeks onder het Rijk omdat zij geen deel uitmaken van een provincie. (The public bodies (...), because they are not part of a Province)”
  11. ^ Bonaire Opts for U.S. Dollar as New Official Currency
  12. ^ a b c d e f g h i j k Charter for the Kingdom of the Netherlands
  13. ^ a b Aruba and the Netherlands Antilles: Political relations within the Kingdom of the Netherlands”. Ministerie van Binnenlandse Zaken en Koninkrijksrelaties. 2008ねん2がつ17にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2007ねん10がつ13にち閲覧えつらん
  14. ^ Wetten.overheid.nl - Instellingsbesluit raad voor Koninkrijksrelaties
  15. ^ Nationaal Archief - [1], page 12
  16. ^ RNW - Onderraad voor Koninkrijksrelaties
  17. ^ a b c d e f H.G. Hoogers (2008) "De landen en het Koninkrijk", in Schurende rechtsordes: over juridische implicates van de UPG-status voor de eilandgebieden van de Nederlandse Antillen en Aruba, Groningen: Faculteit rechtsgeleerdheid van de Rijksuniversiteit Groningen, pp. 119-124. This study was mandated by the Dutch State Secretary for Kingdom Relations and was used for government policy.
  18. ^ RNW.nl - Dennis Richardson voorgedragen voor Raad van State
  19. ^ In Dutch: Cassatieregeling voor de Nederlandse Antillen en Aruba, text available here
  20. ^ Ikregeer.nl - Nr. 17 AMENDEMENT VAN DE BIJZONDER GEDELEGEERDEN WEVER EN THIJSEN
  21. ^ "De in het statuut neergelegde staatsvorm heeft een uniek karakter en is moeilijk in een bepaalde categorie onder te brengen [...] Veelal wordt dan ook geconcludeerd dat het Koninkrijk niet van een duidelijke classificate kan worden voorzien. Gesproken wordt van een quasi-, dan wel pseudo-federatie of van een constructie sui generis", in: C. Borman (2005) Het Statuut voor het Koninkrijk, Deventer: Kluwer, pp. 23-24.
  22. ^ "Een poging om de structuur van het Koninkrijk samen te vatten leidt tot de volgende omschrijving: een vrijwillig samengaan van autonome landen in een boven die landen geplaatst soeverein Koninkrijk, waarbij de organen van het Koninkrijk grotendeels samenvallen met die van het grootste land, op het niveau van het Koninkrijk slechts enkele taken worden verricht en vanwege het Koninkrijk een beperkte invloed kan worden uitgeoefend op het autonome bestuur in de kleinere landen", in: C. Borman (2005) Het Statuut voor het Koninkrijk, Deventer: Kluwer, p. 24.
  23. ^ "associatie van landen die trekken heeft van een federatie (Bondsstaat), maar wel een eigensoortige", in: C.A.J.M. Kortmann (2005) Constitutioneel recht, Deventer, p. 107.
  24. ^ A.D. Belinfante, J.L. De Reede (2002) Beginselen van het Nederlandse Staatsrecht, Deventer, p. 315.
  25. ^ TREATY ESTABLISHING THE EEC - PROTOCOL ON THE APPLICATION OF THE TREATY ESTABLISHING THE EUROPEAN ECONOMIC COMMUNITY TO THE NON-EUROPEAN PARTS OF THE KINGDOM OF THE NETHERLANDS

    The High Contracting Parties,

    Anxious, at the time of signature of the Treaty establishing the European Economic Community, to define the scope of the provisions of Article 227 of this Treaty in respect of the Kingdom of the Netherlands,

    Have agreed upon the following provisions, which shall be annexed to this Treaty:

    The Government of the Kingdom of the Netherlands, by reason of the constitutional structure of the Kingdom resulting from the Statute of 29 December 1954, shall, by way of derogation from Article 227, be entitled to ratify the Treaty on behalf of the Kingdom in Europe and Netherlands New Guinea only.

    Done at Rome this twenty-fifth day of March in the year one thousand nine hundred and fifty-seven.

    Source

  26. ^ "The provisions of Part Four of the Treaty were applied to Surinam, by virtue of a Supplementary Act of the Kingdom of the Netherlands to complete its instrument of ratification, from 1 September 1962 to 16 July 1976.", in: eur-lex.europa.eu - Treaty establishing the European Community (consolidated version) - Text of the Treaty
  27. ^ Staff reporter (2007ねん2がつ13にち). “Agreement on division of Netherlands Antilles”. Government.nl. オリジナルの2007ねん3がつ12にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070312003241/http://www.government.nl/actueel/nieuwsarchief/2007/02February/13/0-42-1_42-92711.jsp 2007ねん2がつ24にち閲覧えつらん 
  28. ^ a b c The Daily Herald (2006ねん10がつ12にち). “St. Eustatius, Saba, Bonaire and The Hague Reach Historic Agreement”. 2006ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  29. ^ a b Radio Netherlands (2006ねん10がつ12にち). “Caribbean islands become Dutch municipalities”. 2006ねん10がつ21にち閲覧えつらん
  30. ^ この慣例かんれいすべての政府せいふ文書ぶんしょやほとんどすべての王国おうこく政務せいむかんする報道ほうどうることができる。また、オランダ王国おうこく関連かんれんした機関きかんでも同様どうよう慣例かんれいられる(れい: Raad van Ministers van het Koninkrijk 王国おうこく閣僚かくりょう会議かいぎMinisterie van Binnenlanse Zaken en Koninkrijksrelaties 内務ないむ王国おうこく政務せいむしょうKoninkrijksspelen英語えいごばん 王国おうこくゲームズ〔えい連邦れんぽうコモンウェルスゲームズ類似るいじしたイベント〕)

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]