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この項目 こうもく では、1920年 ねん のドイツ映画 えいが について説明 せつめい しています。1962年 ねん のアメリカ映画 えいが については「怪人 かいじん カリガリ博士 はかせ 」を、その他 た の用法 ようほう については「カリガリ 」をご覧 らん ください。
『カリガリ博士 はかせ 』(原題 げんだい :Das Cabinet des Doktor Caligari )は、1919年 ねん に制作 せいさく され、1920年 ねん に公開 こうかい された、ロベルト・ヴィーネ 監督 かんとく による、革新 かくしん 的 てき なドイツ のサイレント映画 えいが である。本 ほん 作品 さくひん は、一連 いちれん のドイツ表現 ひょうげん 主義 しゅぎ 映画 えいが の中 なか でも最 もっと も古 ふる く、最 もっと も影響 えいきょう 力 りょく があり、なおかつ、芸術 げいじゅつ 的 てき に評価 ひょうか の高 たか い作品 さくひん である。
フィルム は白黒 しろくろ フィルムが使用 しよう されているが、場面 ばめん に応 おう じて緑 みどり 、茶色 ちゃいろ などが着色 ちゃくしょく されている。
本 ほん 作 さく は、精神 せいしん に異常 いじょう をきたした医者 いしゃ ・カリガリ博士 はかせ と、その忠実 ちゅうじつ な下僕 げぼく である夢遊病 むゆうびょう 患者 かんじゃ ・チェザーレ、およびその二人 ふたり が引 ひ き起 お こした、ドイツ 山間 さんかん 部 ぶ の架空 かくう の村 むら での連続 れんぞく 殺人 さつじん についての物語 ものがたり である。本 ほん 作 さく は、登場 とうじょう 人物 じんぶつ の一人 ひとり であるフランシスの回想 かいそう を軸 じく にストーリーが展開 てんかい する。初期 しょき の映画 えいが では直線 ちょくせん 的 てき なストーリー進行 しんこう が大半 たいはん を占 し めたが、本 ほん 作品 さくひん は、その中 なか でも複雑 ふくざつ な話法 わほう が採用 さいよう された一 いち 例 れい でもある。
冒頭 ぼうとう 、フランシスが隣 となり の男 おとこ と会話 かいわ を交 か わしている様子 ようす と、その横 よこ を茫然 ぼうぜん 自失 じしつ のようであてどもなく歩 ある く、美 うつく しく若 わか い女性 じょせい が描 えが かれる。フランシスはその女性 じょせい が自分 じぶん のフィアンセであること、そして二人 ふたり が体験 たいけん した世 よ にも奇妙 きみょう な体験 たいけん を連 つ れの男 おとこ に語 かた り始 はじ め、これより回想 かいそう シーンが続 つづ く。
フランシスは、友人 ゆうじん のアランと、村 むら にやって来 き たカーニバルを見 み に出 で かけた。彼 かれ らはカリガリ博士 はかせ という人物 じんぶつ と、博士 はかせ の見世物 みせもの である眠 ねむ り男 おとこ チェザーレの似顔絵 にがおえ に目 め をとめた。博士 はかせ は、チェザーレが23年間 ねんかん 箱 ばこ (cabinet)の中 なか で眠 ねむ り続 つづ けていること、また、彼 かれ は尋 たず ねられればどんな質問 しつもん にも答 こた えられると口上 こうじょう し、客 きゃく を呼 よ び込 こ んでいた。二人 ふたり は博士 はかせ の小屋 こや に入 はい り、見世物 みせもの が始 はじ まった。箱 はこ から出 で てきたチェザーレに、アランが悪戯 いたずら 心 しん で「自分 じぶん はあとどれくらい生 い きられるのか?」と尋 たず ねたところ、チェザーレの答 こた えは「長 なが くはない、明日 あした の夜明 よあ けまで。」だった。翌朝 よくあさ フランシスは、村人 むらびと からアランが何者 なにもの かに殺 ころ されたことを知 し らされた。その他 ほか にも村 むら では、以前 いぜん 一 いち 人 にん の役場 やくば の職員 しょくいん が殺 ころ されており、この職員 しょくいん はカリガリ博士 はかせ が役場 やくば を訪 おとず れたときに博士 はかせ を邪険 じゃけん に扱 あつか った人物 じんぶつ でもあった。
疑念 ぎねん を抱 だ いたフランシスは、彼 かれ が思 おも いを寄 よ せるジェーンとその父親 ちちおや のオルセン博士 はかせ と共 とも に、カリガリ博士 はかせ とチェザーレの身辺 しんぺん を調査 ちょうさ し始 はじ めた。危険 きけん を察知 さっち した博士 はかせ は、チェザーレにジェーンを殺害 さつがい することを命 めい じ、同時 どうじ に周囲 しゅうい を欺 あざむ くためにチェザーレの替 か え玉 だま 人形 にんぎょう を用意 ようい した。チェザーレはジェーンの部屋 へや へ侵入 しんにゅう しナイフをふりかざすが、ジェーンの美貌 びぼう に心 しん を奪 うば われる。眠 ねむ り男 おとこ は殺 ころ すのをためらったままジェーンを抱 いだ きかかえ、彼女 かのじょ の家 いえ から連 つ れ去 さ るが、その後 ご を村人 むらびと たちが追 お っていた。追跡 ついせき のさなか、チェザーレは心臓 しんぞう 発作 ほっさ により命 いのち を落 お としてしまう。
一方 いっぽう 、フランシスは警官 けいかん たちとともにカリガリ博士 はかせ の見世物 みせもの 小屋 こや を訪 たず ね、チェザーレとの面会 めんかい を強要 きょうよう した。しかし、眠 ねむ り男 おとこ が眠 ねむ っているはずの箱 はこ の中 なか にあったのは、博士 はかせ が用意 ようい していた替 か え玉 だま の人形 にんぎょう だった。逃亡 とうぼう した博士 はかせ は村 むら の中 なか の精神 せいしん 病院 びょういん へ逃 に げ込 こ んだ。フランシスがその病院 びょういん で「カリガリという名 な の患者 かんじゃ 」の所在 しょざい を尋 たず ねたところ、病院 びょういん の職員 しょくいん に案内 あんない されたのは、院長 いんちょう 室 しつ だった。その中 なか にいたのは、まぎれもないカリガリ博士 はかせ であった。
フランシスは、博士 はかせ が別宅 べったく で寝 ね ているのを見計 みはから い、病院 びょういん の職員 しょくいん たちの助 たす けを借 か りて、深夜 しんや に院長 いんちょう 室 しつ に侵入 しんにゅう する。部屋 へや の中 なか を探索 たんさく したフランシスたちは、夢遊病 むゆうびょう 者 しゃ を使 つか った殺人 さつじん を犯 おか した見世物 みせもの 師 し について描 えが かれた古 ふる い本 ほん を発見 はっけん した。その見世物 みせもの 師 し の名前 なまえ はカリガリ。驚愕 きょうがく した一 いち 行 ぎょう はさらにカリガリ博士 はかせ の日記 にっき を発見 はっけん し、博士 はかせ が本 ほん の記述 きじゅつ を再現 さいげん することに心 しん を奪 うば われていることを知 し った。翌日 よくじつ 、病院 びょういん に運 はこ び込 こ まれたチェザーレの死体 したい と対面 たいめん したカリガリ博士 はかせ は、悲 かな しみのあまり取 と り乱 みだ す。博士 はかせ はその場 ば で病院 びょういん の職員 しょくいん たちに取 と り押 お さえられ、拘束 こうそく 衣 ころも を着 き せられて独房 どくぼう へ収容 しゅうよう される。
このように語 かた られてきたフランシスの回想 かいそう は実 じつ は彼 かれ の妄想 もうそう で、現実 げんじつ にはフランシスは精神 せいしん 病院 びょういん の患者 かんじゃ であり、ジェーンやチェザーレもまた患者 かんじゃ であることが明 あき らかにされる。フランシスは精神 せいしん 病院 びょういん の院長 いんちょう をカリガリ博士 はかせ だと言 い って掴 つか みかかるが、取 と り押 お さえられ拘束 こうそく 衣 ころも を着 き せられ収容 しゅうよう される。院長 いんちょう はついにフランシスの妄想 もうそう が理解 りかい できたので治療 ちりょう の方法 ほうほう が判明 はんめい したと宣言 せんげん する。
本 ほん 作品 さくひん の制作 せいさく と上映 じょうえい [ 編集 へんしゅう ]
プロデューサーのエリッヒ・ポマーは、当初 とうしょ フリッツ・ラング に監督 かんとく を要請 ようせい したが、ラングがすでに他 た の作品 さくひん に関 かか わっており時間 じかん が取 と れなかったため、ヴィーネに本 ほん 作品 さくひん の監督 かんとく を託 たく した。
当初 とうしょ 、脚本 きゃくほん 家 か のハンス・ヤノヴィッツ、カール・マイヤーが描 えが いていた脚本 きゃくほん では、犯罪 はんざい 描写 びょうしゃ は、もっと過激 かげき で猟奇 りょうき 色 しょく の強 つよ い物 もの で、結末 けつまつ は、カリガリ博士 はかせ と眠 ねむ り男 おとこ チェザーレが、一連 いちれん の殺人 さつじん 事件 じけん に関与 かんよ していたことが明確 めいかく になり、博士 はかせ が断罪 だんざい される形 かたち で終 お わる物 もの だったという。ヤノヴィッツとマイヤーは、本来 ほんらい の脚本 きゃくほん はもっと社会 しゃかい 性 せい の強 つよ い物 もの であったが、プロデューサーの不当 ふとう な圧 あつ 力 りょく により改作 かいさく され、完全 かんぜん に骨抜 ほねぬ きにされてしまった、元 もと の脚本 きゃくほん 通 どお りに作 つく られていればもっといい作品 さくひん になったはずだ、と後 のち に主張 しゅちょう している。脚本 きゃくほん の改稿 かいこう を行 おこな ったのは、フリッツ・ラングだが(クレジットはされていない)、ラングは、ヤノヴィッツとマイヤーの主張 しゅちょう に対 たい して、元 もと の脚本 きゃくほん は、素人 しろうと っぽさが目立 めだ つ、政治 せいじ 的 てき 主張 しゅちょう が前面 ぜんめん に出 で た青臭 あおくさ い物 もの で、二 に 、三 さん 面白 おもしろ いアイデアはあったが、そのまま使 つか えるような水準 すいじゅん の物 もの ではなかったと反論 はんろん している。また、改稿 かいこう は、プロデューサーの圧力 あつりょく による物 もの ではなく、自分 じぶん の判断 はんだん で行 おこな ったとも語 かた っている。
セットの制作 せいさく に携 たずさ わった人々 ひとびと は、ドイツ表現 ひょうげん 主義 しゅぎ の画家 がか たちであった。その一人 ひとり 、アルフレート・クビーン (英語 えいご : Alfred Kubin ) は、幻覚 げんかく や悪夢 あくむ をテーマとした白黒 しろくろ の銅 どう 版画 はんが 作品 さくひん を制作 せいさく していた、シュルレアリスム にも影響 えいきょう を与 あた えた。また、セットのデザインの大 だい 部分 ぶぶん を行 おこな ったヘルマン・ヴァルム は、「映画 えいが は、絵画 かいが が命 いのち を吹 ふ き込 こ まれたものであるべきである」と主張 しゅちょう する芸術 げいじゅつ 家 か グループ、シュトルムに属 ぞく していた。
撮影 さつえい は1919年 ねん の12月と1920年 ねん の1月 がつ に行 おこな われ、1920年 ねん 2月 がつ 26日 にち 、ベルリン にある映画 えいが 館 かん Marmorhausで初 はつ 上映 じょうえい された[1] 。
日本 にっぽん での初 はつ 公開 こうかい は、1921年 ねん 5月 がつ 14日 にち である。英語 えいご 字幕 じまく での上映 じょうえい に、活動 かつどう 弁士 べんし が台本 だいほん に即 そく し、日本語 にほんご で演技 えんぎ や状況 じょうきょう 説明 せつめい を行 おこな っていた[2] 。徳川 とくがわ 夢 ゆめ 声 ごえ も弁士 べんし として立 た った。当時 とうじ の流行 りゅうこう 画家 がか ・竹久 たけひさ 夢 ゆめ 二 に もこれを観覧 かんらん 、あまり活動 かつどう 写真 しゃしん が好 す きではなかったというが、この映画 えいが の印象 いんしょう を雑誌 ざっし 「新 しん 小説 しょうせつ 」に挿絵 さしえ とともに寄稿 きこう している。
本 ほん 映画 えいが の特色 とくしょく [ 編集 へんしゅう ]
批評 ひひょう 家 か からは、本 ほん 作品 さくひん のドイツ表現 ひょうげん 主義 しゅぎ の手法 しゅほう や、奇抜 きばつ で歪 いが んだセットのデザイン、そして卓越 たくえつ した視覚 しかく 的 てき 効果 こうか において、今日 きょう でも世界 せかい 的 てき に高 たか く評価 ひょうか されている。フィルム・ノワール 、およびホラー映画 えいが に影響 えいきょう を与 あた えた重要 じゅうよう な作品 さくひん としても、位置 いち づけられることが多 おお い。最初 さいしょ 期 き のホラー映画 えいが の一 いち 作品 さくひん としても挙 あ げられ、以降 いこう 数 すう 十 じゅう 年間 ねんかん 、アルフレッド・ヒッチコック など、多 おお くの映画 えいが 監督 かんとく が手本 てほん としていたことも指摘 してき される。
以下 いか が本 ほん 作品 さくひん の主 おも な特色 とくしょく としてあげられる。
セット美術 びじゅつ :ほぼすべてのショットにおいて、歪 いが んだセット美術 びじゅつ が使用 しよう されている。テント、柱 はしら 、ドア、壁 かべ 、煙突 えんとつ 、屋根 やね などがすべて平衡 へいこう 感覚 かんかく が狂 くる った状態 じょうたい で描 えが かれており、床 ゆか が水平 すいへい でないこともある。また、白 しろ と黒 くろ のコントラスト が多用 たよう され、照明 しょうめい もそれを強調 きょうちょう している。ただし最初 さいしょ と最後 さいご の精神 せいしん 病院 びょういん の庭 にわ (現実 げんじつ 世界 せかい )のシーンだけはごく普通 ふつう のセットである。
メイク :チェザーレの、目 め の周 まわ りを隈取 くまどり したような奇抜 きばつ なメイク は、不安 ふあん 感 かん を煽 あお るものである。また、衣装 いしょう も奇抜 きばつ なデザインで作 つく られており、チェザーレの全身 ぜんしん タイツ のような黒 くろ の衣装 いしょう や、拘束 こうそく 衣 ころも が例 れい として挙 あ げられる。
字幕 じまく :カリガリ博士 はかせ の強迫 きょうはく 観念 かんねん を示 しめ す場面 ばめん では、すでに撮影 さつえい されたフィルムに文字 もじ が書 か き込 こ まれ、博士 はかせ の姿 すがた とともに文字 もじ を見 み せ、心理 しんり 状態 じょうたい (ドイツ語 ご で「カリガリ博士 はかせ にならなければならない」のフレーズが繰 く り返 かえ し現 あらわ れる)を実体 じったい 化 か させ、カリガリ博士 はかせ の心理 しんり をより印象 いんしょう づけている。
アイリスショットの多用 たよう :カメラ に絞 しぼ りをつけて撮影 さつえい するショットをアイリスショットという。初期 しょき 映画 えいが では、場面場面 ばめんばめん のつなぎを、特定 とくてい の人物 じんぶつ に絞 しぼ りをつけて閉 し め(アイリス・アウト)、次 つぎ の場面 ばめん において、また人物 じんぶつ に絞 しぼ りをつけて開 あ け(アイリス・イン)場面 ばめん を切 き り替 か える方法 ほうほう が使用 しよう されていたが、本 ほん 作品 さくひん では、場面 ばめん の切 き り替 か え以外 いがい でもアイリス・ショットを多用 たよう し、不安 ふあん 感 かん をあおったり、注意 ちゅうい を喚起 かんき したりする手法 しゅほう が多用 たよう されている。
誇張 こちょう された演技 えんぎ :他 た のサイレント映画 えいが に比 くら べても、登場 とうじょう 人物 じんぶつ たちの演技 えんぎ は感情 かんじょう や身振 みぶ りをかなり誇張 こちょう されている。特 とく にカリガリ博士 はかせ と、フランシスの演技 えんぎ においては、他 た の人物 じんぶつ より表情 ひょうじょう ・身振 みぶ りが強調 きょうちょう されているとともに、場面 ばめん に応 おう じて顕著 けんちょ に異 こと なった演技 えんぎ スタイルを用 もち いている。
屋内 おくない での撮影 さつえい :すべての撮影 さつえい を、屋内 おくない でセットを使用 しよう して行 い っている。自然 しぜん の日光 にっこう を一切 いっさい 使用 しよう せず、日光 にっこう によりできる影 かげ も照明 しょうめい を使用 しよう して作 つく られたものである。
家具 かぐ のデフォルメ化 か :登場 とうじょう する家具 かぐ も、実用 じつよう 的 てき なものというよりは、歪 いが んだセット美術 びじゅつ に合 あ わせて作 つく られた奇抜 きばつ なものが多 おお い。背 せ もたれの高 たか すぎる椅子 いす はその一 いち 例 れい である。
『カリガリからヒトラーへ』と反論 はんろん [ 編集 へんしゅう ]
本 ほん 作品 さくひん を、自 みずか らの意思 いし を持 も たない眠 ねむ り男 おとこ と、彼 かれ を僕 ぼく とし巧 だく みに操 あやつ り、殺人 さつじん を犯 おか させる精神 せいしん 異常 いじょう のカリガリ博士 はかせ の関係 かんけい 性 せい を取 と り上 あ げ、その後 ご のアドルフ・ヒトラー による政権 せいけん 掌握 しょうあく とプロパガンダ による大衆 たいしゅう 操作 そうさ 、そして国民 こくみん の盲従 もうじゅう 的 てき なヒトラー崇拝 すうはい と、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん やユダヤ人 じん 迫害 はくがい をはじめとした国民 こくみん の破滅 はめつ 的 てき 行為 こうい への加担 かたん を象徴 しょうちょう 化 か した作品 さくひん であると見 み る映画 えいが 研究 けんきゅう 者 しゃ も多 おお い。その代表 だいひょう 的 てき なもので、かつ多大 ただい な影響 えいきょう を与 あた えたのが、ジークフリート・クラカウアー の『カリガリからヒトラーヘ』(1947年 ねん )である。
クラカウアーは『カリガリからヒトラーヘ』で、本 ほん 作品 さくひん を第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん から第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん へ至 いた る、戦 せん 間 あいだ 期 き ドイツの社会 しゃかい 情勢 じょうせい に対 たい する寓話 ぐうわ と解釈 かいしゃく することが可能 かのう であると述 の べている。クラカウアーの主張 しゅちょう では、カリガリ博士 はかせ は専制 せんせい 的 てき な人物 じんぶつ 像 ぞう を象徴 しょうちょう しており、こうした専制 せんせい 的 てき な政治 せいじ 家 か にとっては、社会 しゃかい を混乱 こんらん に陥 おとしい れることだけが、唯一 ゆいいつ の代替 だいたい 策 さく であり、専制 せんせい 政治 せいじ (眠 ねむ り男 おとこ の支配 しはい =プロパガンダによる市民 しみん 支配 しはい )か混乱 こんらん (殺人 さつじん 事件 じけん =世界 せかい 大戦 たいせん )かの二者択一 にしゃたくいつ を迫 せま る[3] 。しかし、このクラカウアーの命題 めいだい は、近年 きんねん では、多 おお くの映画 えいが 学者 がくしゃ から否定 ひてい されている。
クラカウアーへの反論 はんろん [ 編集 へんしゅう ]
クラカウアーへの反論 はんろん の例 れい を示 しめ す。トーマス・エルゼッサー (英語 えいご : Thomas Elsaesser ) は著書 ちょしょ "Weimar Cinema and After" の中 なか で、クラカウアーの著書 ちょしょ を、「歴史 れきし 学 がく の見地 けんち における、空想 くうそう の」論 ろん であると酷評 こくひょう した[4] 。Elsaesserは、ヒトラーの政権 せいけん 掌握 しょうあく は本 ほん 作品 さくひん の発表 はっぴょう 後 ご に起 お きたことであり、よってクラカウアーのカリガリ博士 はかせ がヒトラーを体現 たいげん しているという考 かんが えは矛盾 むじゅん している、と断言 だんげん した。Elsaesserは、当時 とうじ のドイツの社会 しゃかい 通念 つうねん と映画 えいが の関連 かんれん 性 せい を分析 ぶんせき するには、研究 けんきゅう 対象 たいしょう として取 と り上 あ げた映画 えいが が少 すく な過 す ぎるとしてクラカウアーを批判 ひはん した。さらに、結末 けつまつ の変更 へんこう によって、映画 えいが の革新 かくしん 性 せい が失 うしな われたと主張 しゅちょう するクラカウアーに対 たい し、脚本 きゃくほん の革新 かくしん 性 せい を過小 かしょう 評価 ひょうか し過 す ぎているとも批判 ひはん した。
なお、Elsaesserは、本 ほん 作品 さくひん をはじめとするドイツ表現 ひょうげん 主義 しゅぎ 映画 えいが (またはそうみなされるもの)の独自 どくじ のスタイルの背景 はいけい を、以下 いか のように位置 いち づけている。彼 かれ によれば、ドイツ表現 ひょうげん 主義 しゅぎ の映画 えいが 制作 せいさく 者 しゃ たちは、増加 ぞうか の一途 いっと をたどっていたアメリカ映画 えいが の流入 りゅうにゅう に対抗 たいこう するために、ドイツ独自 どくじ の映画 えいが を差異 さい 化 か する手段 しゅだん として、当時 とうじ すでに勃興 ぼっこう していた表現 ひょうげん 主義 しゅぎ 的 てき な作風 さくふう を積極 せっきょく 的 てき に導入 どうにゅう した、とされる。この分析 ぶんせき は、今日 きょう では主要 しゅよう なものとなっている。
1923年 ねん 、溝口 みぞぐち 健二 けんじ は、表現 ひょうげん 主義 しゅぎ 的 てき な作風 さくふう を用 もち いた映画 えいが 『血 ち と霊 れい 』を制作 せいさく し、歪 いが んだセット、コントラストが強 つよ い作風 さくふう などを踏襲 とうしゅう した。しかし、本 ほん 作品 さくひん は興行 こうぎょう 的 てき に失敗 しっぱい したこともあり、フィルムが失 うしな われたため、現在 げんざい 観 み ることは不可能 ふかのう とされている。
1962年 ねん の映画 えいが 「怪人 かいじん カリガリ博士 はかせ 」(en:The Cabinet of Caligari )は、ジェーン・リンドストロムという女性 じょせい が助 たす けを求 もと めて入 はい ったカリガリ博士 はかせ の屋敷 やしき に閉 と じ込 こ められ、そこからの脱出 だっしゅつ を試 こころ みるが、実 じつ は彼女 かのじょ 自身 じしん が妄想 もうそう に苛 さいな まれた精神病 せいしんびょう 患者 かんじゃ であったことが分 わ かるというストーリーで、原作 げんさく とは基本 きほん 的 てき には類似 るいじ した構造 こうぞう だが、別 べつ のシナリオになっている。表現 ひょうげん 主義 しゅぎ 的 てき な傾向 けいこう は最後 さいご に数 すう 分間 ふんかん 見 み られるだけのハリウッド的 てき なスリラー作品 さくひん である。
1979年 ねん の、バウハウス の1stシングル"Bela Lugosi's Dead"では、裏 うら ジャケットに本 ほん 作品 さくひん のスチール写真 しゃしん が使 つか われている。この楽曲 がっきょく はしばしば、最初 さいしょ のゴシックロックのレコードとされる。
1982年 ねん の、漫画 まんが 家 か 丸尾 まるお 末広 すえひろ が本 ほん 作品 さくひん を基 もと にして独自 どくじ なアレンジで描 えが いた初期 しょき 短編 たんぺん 「カリガリ博士 はかせ 復活 ふっかつ 」には、フランシスに代 か わって少女 しょうじょ が登場 とうじょう する。『マンガ宝島 たからじま 』3月 がつ 号 ごう に掲載 けいさい 、同年 どうねん に単行本 たんこうぼん 『薔薇色 ばらいろ ノ怪物 かいぶつ 』にも収録 しゅうろく された。
1989年 ねん の映画 えいが 「Dr.カリガリ 」は、カリガリ博士 はかせ の孫娘 まごむすめ が経営 けいえい する病院 びょういん を舞台 ぶたい としたシュールかつ猟奇 りょうき 的 てき な作品 さくひん 。書 か き割 わ り によるセットなど、美術 びじゅつ 面 めん でも本 ほん 作品 さくひん の影響 えいきょう が強 つよ く見 み られる。
1990年 ねん の映画 えいが 『シザーハンズ 』の主人公 しゅじんこう エドワードのメイクや衣装 いしょう は、本 ほん 作品 さくひん に登場 とうじょう する夢遊病 むゆうびょう 患者 かんじゃ チェザーレのビジュアルから影響 えいきょう を受 う けている。
1991年 ねん の映画 えいが 「ビルとテッドの地獄 じごく 旅行 りょこう 」では、セット美術 びじゅつ 面 めん での明 あき らかな引用 いんよう が見 み られる。
1997年 ねん 、作曲 さっきょく 家 か ジョン・モラン (英語 えいご : John Moran ) は、本 ほん 作品 さくひん を舞台 ぶたい 化 か した。彼 かれ の「オペラ」『カリガリ博士 はかせ 』はケンブリッジ (マサチューセッツ州 しゅう ) のアメリカン・レパートリー・シアターにて、演出 えんしゅつ ロバート・マクグラス (英語 えいご : Robert McGrath ) により上演 じょうえん された[5] 。
1998年 ねん のロブ・ゾンビ のシングル、"Living Dead Girl"のミュージックビデオ は、本 ほん 作品 さくひん の中 なか の多 おお くのシーンをほぼ本物 ほんもの と同 おな じように真似 まね ている。
1999年 ねん のレッド・ホット・チリ・ペッパーズ のヒット・シングル"Otherside"のミュージックビデオは、本 ほん 作品 さくひん に刺激 しげき されたものである。
2002年 ねん の映画 えいが クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア からのカットシングル曲 きょく 、"Forasaken"のミュージックビデオは、本 ほん 作品 さくひん に刺激 しげき されたものである。
2002年 ねん 、イギリスの作曲 さっきょく 家 か ジェフ・スミス は、ハンマーダルシマー を用 もち いて、本 ほん 作品 さくひん のサウンドトラック を制作 せいさく し、コンサートで映画 えいが を上映 じょうえい しながら演奏 えんそう した。
Elsaesser, Thomas (2000). Weimar Cinema and After: Germany's Historical Imaginary . Routledge
Kracauer, Siegfried (2004 edition; 1947, original English translation). From Caligari to Hitler: A Psychological History of the German Film . Princeton University Press
Robinson, David (1997). Das Cabinet Des Dr. Caligari . British Film Institute