シーラーズのハーフィズの作品 さくひん
中東 ちゅうとう ・西 にし アジアから南 みなみ アジアにかけての地域 ちいき の文学 ぶんがく 伝統 でんとう において、ガザル (غزل , ḡazal , 簡易 かんい 的 てき なラテン翻 こぼし 字 じ /英語 えいご の綴 つづ り: ghazal)は、恋愛 れんあい を主題 しゅだい にした定型 ていけい 抒情詩 じょじょうし の一 いち 様式 ようしき 、ないし、当該 とうがい 様式 ようしき にのっとって制作 せいさく された詩作 しさく 品 ひん である。アラブの古典 こてん 定型 ていけい 詩 し カスィーダ の一部分 いちぶぶん から派生 はせい し、特 とく にペルシアで発展 はってん した。現代 げんだい 南 みなみ アジアにおいては、ガザル詩 し を歌詞 かし とする歌謡 かよう 曲 きょく を指 さ すことも多 おお い(#南 みなみ アジアにおける展開 てんかい )。なお、様式 ようしき によらず恋愛 れんあい 詩 し 一般 いっぱん を指 さ す場合 ばあい もある(#西 にし アジアにおける発祥 はっしょう )。
アラビア語 ご の名詞 めいし ğazal の語根 ごこん 、ğ-z-l からは「糸 いと 紡 つむ ぎ」に関係 かんけい する単語 たんご 群 ぐん が派生 はせい し、ğazal も原義 げんぎ は「紡 つむ ぐこと」である[1] 。女性 じょせい を口説 くど いたり誘惑 ゆうわく したりする行為 こうい が「糸 いと 紡 つむ ぎ」に喩 たと えられているうちに、「糸 いと 紡 つむ ぎ」を指 さ す言葉 ことば が「恋愛 れんあい 詩 し 」をも指 さ す言葉 ことば になっていったものと推定 すいてい されている[2] 。アラビア語 ご においては、現代 げんだい でも、恋愛 れんあい を主題 しゅだい にした抒情詩 じょじょうし であれば形式 けいしき を問 と わず ğazal と呼 よ び、ペルシア語 ご においても同様 どうよう の事情 じじょう が存在 そんざい する(広義 こうぎ の「ガザル」)[2] 。所定 しょてい の形式 けいしき 、主題 しゅだい を具備 ぐび したガザル(狭義 きょうぎ の「ガザル」)が誕生 たんじょう する発端 ほったん は、先 さき イスラーム時代 じだい (ジャーヒリーヤ 時代 じだい )にまで遡 さかのぼ る[2] 。
ジャーヒリーヤ 時代 じだい に遡 さかのぼ る伝統 でんとう 的 てき なカスィーダ詩 し の導入 どうにゅう 部分 ぶぶん に起源 きげん を持 も ち、イスラーム時代 じだい 以降 いこう は単一 たんいつ の主題 しゅだい を扱 あつか うキトア詩 し ( قطعة qiṭ‘a 「断片 だんぺん 詩 し 」と訳 やく される)の形 かたち で多 おお くの作品 さくひん が作 つく られた[2] 。主題 しゅだい としては恋愛 れんあい が最 もっと も多 おお く、求愛 きゅうあい 者 しゃ の片思 かたおも いを歌 うた う[2] 。アラブのガザル創始 そうし 者 しゃ は、ウマル・イブン・アビー・ラビーア (英語 えいご 版 ばん ) とされており、ジャーヒリーヤの遊牧 ゆうぼく 世界 せかい の要素 ようそ を受 う け継 つ ぎつつ、独自 どくじ の恋愛 れんあい 詩 し を作 つく った。アブー・ヌワース は酒 さけ を讃 たた える詩 し (ハムリヤート)とガザルの達人 たつじん として知 し られた。ガザルは男女 だんじょ 関係 かんけい にとどまらず、同性愛 どうせいあい もテーマにした作品 さくひん もしばしば読 よ まれた。
感情 かんじょう の表現 ひょうげん には様式 ようしき 化 か された象徴 しょうちょう や物語 ものがたり が用 もち いられる。また、イスラーム神秘 しんぴ 主義 しゅぎ の影響 えいきょう もあり、恋人 こいびと を神 かみ と解釈 かいしゃく できる場合 ばあい がある。現在 げんざい のような詩型 しけい となったのはペルシア文学 ぶんがく の影響 えいきょう による。ペルシア・ガザルの大家 たいか としては、ルーダキー 、ルーミー 、ハーフィズ がいる。
ハーフィズのガザルの一節 いっせつ が陶 すえ 地 ち に釉薬で書 か かれた壁 かべ 飾 かざ り。16世紀 せいき 末 まつ -17世紀 せいき 前半 ぜんはん にダマスカス で制作 せいさく されたもの。書体 しょたい はナスターリーグ体 たい 。ルーヴル美術館 びじゅつかん 蔵 ぞう 。
本節 ほんぶし では14世紀 せいき ごろのイラン文化 ぶんか 圏 けん において完成 かんせい した、古典 こてん 的 てき なペルシア語 ご ガザルの規範 きはん 的 てき 枠組 わくぐ みについて述 の べる。ガザルを構成 こうせい する基本 きほん 単位 たんい は、間 あいだ にカエスーラ を挟 はさ んだ一 いち 続 つづ きの詩句 しく (ベイト[注釈 ちゅうしゃく 1] )である[9] [7] 。ガザルを文字 もじ にして書 か く場合 ばあい 、カエスーラによって分 わ かたれる前半 ぜんはん と後半 こうはん を、続 つづ けて1行 ぎょう で書 か いても2行 ぎょう に分 わ けて書 か いてもよい。
ひとつのガザル作品 さくひん は複数 ふくすう のベイトからなり、長 なが さは7から14ベイトのものが多 おお い[9] 。各 かく ベイトは、末尾 まつび で押韻 おういん し、また、同一 どういつ の韻律 いんりつ を共有 きょうゆう する[9] 。ベイトの前半 ぜんはん と後半 こうはん で同 おな じ詩句 しく がリフレイン される場合 ばあい もある[9] 。冒頭 ぼうとう のベイトは「マトラー(matlaʿ )」と呼 よ ばれ、ベイトの前半 ぜんはん と後半 こうはん が同一 どういつ の韻 いん を踏 ふ む[7] 。最後 さいご のベイトは「マクター(maqtaʿ )」と呼 よ ばれ、詩人 しじん の雅号 がごう 「タハッロス(taḵallos )」が詠 よ み込 こ まれる[9] 。
オスマン朝 ちょう では、例外 れいがい なくほぼすべてのスルタンが自 みずか ら詩作 しさく に耽 ふけ り、宮廷 きゅうてい や高官 こうかん は競 きそ って詩人 しじん を庇護 ひご した[8] 。オスマン朝 ちょう 詩 し はペルシア語 ご 詩 し の古典 こてん を模範 もはん として、トルコ語 ご の構造 こうぞう と文法 ぶんぽう を残 のこ しながらアラビア語 ご やペルシア語 ご の詩的 してき 語彙 ごい を大量 たいりょう に取 と り入 い れた[8] 。オスマン朝 ちょう において、教養 きょうよう 人 じん は皆 みな 、メドレセ で高度 こうど な古典 こてん 教養 きょうよう を学 まな び、ガザル制作 せいさく のための練達 れんたつ の技巧 ぎこう を身 み につけた[8] 。16世紀 せいき にはバーキー やフズーリー といった詩人 しじん が活躍 かつやく した[8] 。17世紀 せいき 後半 こうはん チューリップ時代 じだい には、アフメト・ネディム などが優 すぐ れたガザルを制作 せいさく した[7] 。
南 みなみ アジア (インド)においては、12世紀 せいき のガズナ朝 あさ から19世紀 せいき のムガル朝 あさ に至 いた るイスラーム王朝 おうちょう の宮廷 きゅうてい 語 ご であるペルシア語 ご で盛 さか んにガザルが作 つく られていたが、時代 じだい が下 くだ るにつれ現地 げんち 語 ご でも作 つく られるようになった[10] 。17世紀 せいき 後半 こうはん にはハイダラーバード を中心 ちゅうしん に、ニザーム王国 おうこく やマイソール王国 おうこく といったデカン の王国 おうこく の宮廷 きゅうてい で、「レーフタ (英語 えいご 版 ばん ) 」によりインド風 ふう の表現 ひょうげん を用 もち いたガザルが作 つく られていた[11] 。中 なか でもワリー・モハメド・ワリー はウルドゥー語 ご ガザルの創始 そうし 者 しゃ とみなされる[11] 。「レーフタ」はウルドゥー語 ご やダカニー・ウルドゥー語 ご の前身 ぜんしん となった言葉 ことば である。ワリーはあるとき北 きた 遊 ゆう してデリーの詩 し 会 かい でダカニーによるガザルを披露 ひろう した。それまでペルシア語 ご で詩作 しさく していたムガル朝 あさ の文人 ぶんじん たちは刺激 しげき を受 う け、盛 さか んにウルドゥー・ガザルを制作 せいさく するようになった。18世紀 せいき にはデリー や、アワド太守 たいしゅ の宮廷 きゅうてい があるラクナウ でウルドゥー・ガザルが盛 さか んになり、18世紀 せいき から20世紀 せいき にかけての時代 じだい 、ミール 、サウダー (英語 えいご 版 ばん ) 、ザウク (英語 えいご 版 ばん ) 、ガーリブ 、イクバール などの詩人 しじん が活躍 かつやく した[10] 。
20世紀 せいき 前半 ぜんはん にはアトゥルプロサド・セン (英語 えいご 版 ばん ) やカジ・ノズルル・イスラム らによってベンガル語 ご でもガザルが制作 せいさく され始 はじ めた[12] [13] 。1910年代 ねんだい に軍人 ぐんじん としてカラーチー にも滞在 たいざい した反逆 はんぎゃく の詩人 しじん ノズルルは、1920年代 ねんだい 後半 こうはん からガザルの制作 せいさく を始 はじ め、ウルドゥー・ガザルの様式 ようしき を利用 りよう してベンガル語 ご で愛 あい をうたった[12] [13] 。ノズルルのガザルは、詩人 しじん 独自 どくじ のタール (英語 えいご 版 ばん ) (韻律 いんりつ )を伴 ともな うものもあり、ベンガル詩 し の可能 かのう 性 せい を拓 ひら いた[12] 。
インドやパキスタン では、現在 げんざい も恋愛 れんあい 詩 し として鑑賞 かんしょう されている。特 とく にウルドゥー語 ご のガザルはカッワーリー などの歌曲 かきょく に用 もち いられ、映画 えいが で使 つか われることも多 おお い。
歴史 れきし 的 てき には主 おも に西 にし アジアから南 みなみ アジアにかけての地域 ちいき に伝播 でんぱ したが、1990年代 ねんだい 半 なか ばから英語 えいご でもガザルによる詩作 しさく が盛 さか んになりつつある[14] 。
^ ペルシア語 ご : beyt ; 英語 えいご では couplet と訳 やく され[7] 、日本語 にほんご では(1行 ぎょう ではあるが)「連 れん 」と訳 やく されることが多 おお い[8] 。
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Urdu poetic forms
A Desertful of Roses The Divan-e Ghalib - in Urdu, with Devanagari and Roman transliterations. Also includes a collection of concise commentaries on each verse by well-known scholars, as well as other critical information.
The Ghazal Page , an online journal devoted to the ghazal in English