ガリフナ

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ガリフナ
はなされるくに ホンジュラスの旗 ホンジュラス
ベリーズの旗 ベリーズ
グアテマラの旗 グアテマラ
ニカラグアの旗 ニカラグアモスキート・コースト英語えいごばん
地域ちいき 歴史れきしてきに、中央ちゅうおうアメリカ北部ほくぶベリーズからニカラグアにかけてのカリブ海かりぶかい沿岸えんがん
民族みんぞく ガリフナ
話者わしゃすう 不明ふめいなん時点じてんなのかは不明ふめいだが、195,800というデータはある[1]
言語げんご系統けいとう
言語げんごコード
ISO 639-3 cab
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ガリフナ(ガリフナご、Garifuna language)は、ホンジュラスグアテマラベリーズニカラグアひとしガリフナによりはなされるアラワク語族ごぞくけい言語げんご。アラワク語族ごぞくけい言語げんごなかでは変則へんそくてき部類ぶるいぞくする。アフリカから連行れんこうされてきた黒人こくじん奴隷どれいいたるが、アラワクひとしのアラワク語族ごぞくけい言語げんごはな現地げんち先住民せんじゅうみんアラワクぞくおよび、それを征服せいふくしていた島嶼とうしょカリブ)や、歴史れきしながれのなか同盟どうめいんだフランスじん入植にゅうしょくしゃ抵抗ていこう運動うんどうをしてたたかったがやぶれた相手あいてである英国えいこくじんなど、かかわりをった様々さまざま人種じんしゅ使用しよう言語げんご語彙ごいみ、しかし語彙ごい発音はつおんはオリジナルの発音はつおんではなく、自分じぶんたちアフリカじんりゅう発音はつおんむことで、それらの語彙ごい母国ぼこくしていき、オリジナルなガリフナとして形成けいせい発展はってんしてきた言語げんごである[2]

ホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、ニカラグア地域ちいきにおけるガリフナは、ガリフナの舞踏ぶとう音楽おんがくともに、2001ねんユネスコにより人類じんるい口承こうしょうおよ無形むけい遺産いさん傑作けっさく宣言せんげんがなされ、2008ねん無形むけい文化ぶんか遺産いさんとして登録とうろくされた[3]

ガリフナ使用しようされる地域ちいき[編集へんしゅう]

ガリフナはなされるおも地域ちいきは、中央ちゅうおうアメリカの、とくにホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、ニカラグア地域ちいき[1]、そして、それらの国々くにぐにからの移民いみんおお流入りゅうにゅうしているアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく(のとくニューヨーク[4])である。


歴史れきしおよび言語げんご発展はってん変遷へんせん[編集へんしゅう]

ガリフナ歴史れきしてき発展はってん変遷へんせんについて、

  • プロト・ガリフナ(Proto-Garífuna Language:1492ねん - 1635ねん
  • 初期しょきガリフナ(Early Garífuna Language:1635ねん - 1797ねん
  • 中期ちゅうきガリフナ(Middle Garífuna Language:1797ねん - 1985ねん
  • 近代きんだいネイティブ・ガリフナ(Modern Vernacular Garífuna Language:1985ねん -

という4つに分類ぶんるいする研究けんきゅうがある[2]

以下いかは、それぞれの概略がいりゃくである。

プロト・ガリフナ[編集へんしゅう]

セントビンセントとう先住民せんじゅうみんはなしていた言語げんご。 この段階だんかい時期じき(1492ねん - 1635ねん)には、先住民せんじゅうみんとヨーロッパじんとの接触せっしょくはじまり、 その先住民せんじゅうみん言語げんごに、フランス語ふらんすごスペイン語彙ごい流入りゅうにゅうはじめ、 また、アフリカからの奴隷どれいたちかれらの社会しゃかいはいってきたことをしめ語彙ごい登場とうじょうはじめた。

初期しょきガリフナ[編集へんしゅう]

この段階だんかいでは、アフリカから奴隷どれいたち集団しゅうだんが、セントビンセントとう先住民せんじゅうみん言語げんごはなせるようになり、かつ、 語彙ごい発音はつおん自分じぶんたちアフリカじんりゅう発音はつおんで、という変更へんこうくわ自分じぶんたち言葉ことばつくはじめた。 この時期じき(1635ねん - 1797ねん)のガリフナ社会しゃかいひろバイリンガル社会しゃかい状況じょうきょうにあり、 ガリフナのおおくはフランス語ふらんすごはなせた。その結果けっかすうひゃくフランス語ふらんすご名詞めいし動詞どうし語幹ごかんが、ガリフナ語彙ごいとしてまれる語彙ごい大量たいりょう流入りゅうにゅうこった。

中期ちゅうきガリフナ[編集へんしゅう]

セントビンセント・グレナディーンにまで勢力せいりょくばしてきた英国えいこくとのたたかいのすえに、 1796ねん降伏ごうぶくしたガリフナが、その追放ついほうされて、 中央ちゅうおうアメリカのほか地域ちいきいのちからがら移住いじゅうせざるをえなくなり、 ホンジュラスおきロアタンとう皮切かわきりにさら中央ちゅうおうアメリカのカリブ海かりぶかい沿岸えんがん一帯いったいへと、 ガリフナの居住きょじゅう地域ちいきひろがりをせたのが、この時期じき(1797ねん - 1985ねん)である。 そのひろがりの結果けっか、これまでは1つのまとまった集団しゅうだんないでの十分じゅうぶん統一とういつれた言語げんごであったものが、 ひろがったかく地域ちいきごとすこしずつ、相互そうご理解りかい可能かのう範囲はんいでの言語げんごてき差異さいまれはじめ、 ベリーズのガリフナ、グアテマラのガリフナ、ホンジュラスのガリフナ、ニカラグアのガリフナ、 といった具合ぐあい枝分えだわかれしていき、かつおっと々の地域ちいきで、 先住民せんじゅうみん英語えいごけん出身しゅっしん住民じゅうみん、スペインけん出身しゅっしん住民じゅうみん、そののアフリカけい住民じゅうみんとう文化ぶんかてきまじわった相互そうご作用さようさらに、各地かくちのガリフナおっと個別こべつ変化へんかしていくこととなった。

近代きんだいネイティブ・ガリフナ[編集へんしゅう]

各地かくちおっと々に、ガリフナ以外いがいはな住民じゅうみんとの交流こうりゅうながつづいた結果けっかかく地域ちいきごとしょうじていたガリフナ言語げんごてき差異さい明確めいかくちがいをかんじさせられるものになってきた。 そこで、ガリフナ言語げんご体系たいけい維持いじ、という問題もんだいにガリフナたち直面ちょくめんし、 効果こうかてき言語げんご計画けいかくまたは言語げんご政策せいさくこうじてガリフナ絶滅ぜつめつ回避かいひする必要ひつようせいせまられている。


語彙ごい[編集へんしゅう]


文法ぶんぽう[編集へんしゅう]


関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b Garifuna|Ethnologue”. エスノローグ (2014ねん). 2015ねん1がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ a b Garifuna Language”. garifunaresearch.com (2011ねん). 2015ねん1がつ1にち閲覧えつらん
  3. ^ Language, dance and music of the Garifuna”. unesco.org (2008ねん). 2015ねん1がつ1にち閲覧えつらん
  4. ^ Some NY immigrants cite lack of Spanish as barrier”. ニューヨーク・タイムズ (2011ねん5がつ28にち). 2015ねん1がつ2にち閲覧えつらん


外部がいぶリンク[編集へんしゅう]