キング・クリムゾン

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キング・クリムゾン
UNCERTAIN TIMES JAPAN TOUR 2018 (2018ねん)
基本きほん情報じょうほう
出身しゅっしん イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル
活動かつどう期間きかん
  • 1968ねん (1968) - 1974ねん (1974)
  • 1981ねん (1981) - 1984ねん (1984)
  • 1994ねん (1994) - 2011ねん (2011)
  • 2013ねん (2013) - 2021ねん (2021)
レーベル
公式こうしきサイト DGMディストリビューション・ジャパン (@DGM74921370) - X(きゅうTwitter)
メンバー
きゅうメンバー 別記べっき参照さんしょう

キング・クリムゾンKing Crimson)は、イングランド出身しゅっしんプログレッシヴ・ロックバンド[6][7][2]

同国どうこくのミュージシャン、ロバート・フリップ主宰しゅさいつとめていることでられ、どう分野ぶんや重要じゅうよう位置いち格付かくづけられているグループのひとつ。活動かつどう中断ちゅうだん期間きかんはさみながら50ねん以上いじょうおよび、ロックおおきな足跡あしあときざんでいる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1968ねん12月に結成けっせいアルバムクリムゾン・キングの宮殿きゅうでん』で1969ねんにデビュー。以降いこう、リーダーのロバート・フリップはバンドのメンバーを次々つぎつぎえていき、音楽おんがくせい多様たよう変遷へんせん辿たどった。

活動かつどうは、おおきく4つの時期じきけられる。

プログレッシブ・ロック形成けいせい時代じだい演奏えんそうジャンルに明確めいかく線引せんひきもなく、バンド史上しじょうもっと実験じっけんせい(エクスペリメンタル)んでいた。

管弦楽かんげんがくメロトロンはいしたギター・ロックにてっし、これまでの音楽おんがくせい転換てんかん音響おんきょう機器きき飛躍ひやくてき進歩しんぽもあり、ニュー・ウェイヴ時代じだい沿ったスタイルを展開てんかいした。通称つうしょうディシプリンともばれる。

ヘヴィメタル路線ろせん推進すいしんしたプログレッシブ・メタル展開てんかい。メタル・クリムゾンともばれ、独自どくじのヘヴィサウンド「ヌーヴォメタル」をつくした。

公演こうえん活動かつどうにシフトし、ライブサウンドにとく過去かこ作品さくひん高度こうどなレベルで演奏えんそうする、洗練せんれんかつ円熟えんじゅくした時代じだい


補足ほそく

かくこまかな分類ぶんるいについては諸説しょせつある。構成こうせいメンバーを基準きじゅんに、“だい1”、“だい2”……などと分類ぶんるいするてん共通きょうつうしているが、「デビューからファースト・アルバムのリリース当時とうじ」のメンバーを“だい1”、サード・アルバム『リザード』のころを“だい2”、4thアルバム『アイランズ』のメンバーを『だい3』……とする分類ぶんるいや、『リザード』までを“だい1”、『アイランズ』のころを“だい2”、『太陽たいよう戦慄せんりつ』から1974ねん解散かいさんまでを“だい3”……とする分類ぶんるいなどといったように、「アルバム自体じたいや、そのときのメンバー単位たんい分類ぶんるいする方法ほうほう」と、「デビューから1974ねん解散かいさんまで」を“だい1”、「1980年代ねんだいさい結成けっせいからの活動かつどう期間きかん」を“だい2”、「1994ねんからの活動かつどう期間きかん」を“だい3”……と、「連続れんぞく活動かつどう期間きかん分類ぶんるいする方法ほうほう」などがあり、統一とういつがなされていない。音楽おんがく評論ひょうろん市川いちかわ哲史てつしは、『太陽たいよう戦慄せんりつ』の時期じきを「さい結成けっせい」、1980年代ねんだいの『ディシプリン』から『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』の時期じきを「再々さいさい結成けっせい」、1990年代ねんだいのダブル・トリオの時期じきを「再々さいさい結成けっせい」として、キング・クリムゾンのCDのライナノーツでもそのよう記述きじゅつしている。ここでは、前者ぜんしゃ分類ぶんるい方式ほうしきじゅんじてべていくが、「デビュー当初とうしょの“だい1”」については、極力きょくりょく構成こうせいメンバーやアルバム・タイトルなどで記述きじゅつすることとする。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

1960年代ねんだい クリムゾン・キングの宮殿きゅうでん(1968ねん-1969ねん[編集へんしゅう]

1968ねん、ジャイルズ兄弟きょうだいマイケル・ジャイルズピーター・ジャイルズ)とロバート・フリップの3にんによるバンド「ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ」から発展はってん同年どうねん6がつマルチプレイヤーイアン・マクドナルド作詞さくし・ライブ照明しょうめい担当たんとうピート・シンフィールド女性じょせいボーカルのジュディ・ダイブルもとフェアポート・コンヴェンション)がくわわる。しかしよく7がつにダイブルがけ、どう12がつにフリップのふるくからの友人ゆうじんであったボーカリストけんベーシストグレッグ・レイク参加さんかどう11がつまつにピーター・ジャイルズが脱退だったいし、フリップ、Mジャイルズ、マクドナルド、レイクとなり陣容じんよう正式せいしきかたまった。

よく1969ねん初頭しょとう、バンドめい加入かにゅうまえにマクドナルドとシンフィールドがきょうさくしたきょくクリムゾン・キングの宮殿きゅうでん」からられ、「キング・クリムゾン」に決定けってい。シンフィールドは、メンバーの反対はんたいってけたとインタビューにこたえている。本格ほんかくした活動かつどうはじまり、公開こうかいリハーサルののち、ライブ活動かつどうとアルバム制作せいさく並行へいこうした。当初とうしょ、バンドローディだったピート・シンフィールドは、作詞さくしやライヴのライティングでの貢献こうけんから演奏えんそう不参加ふさんかながらも正規せいきメンバーとなった。

同年どうねん10がつ、デビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿きゅうでん』を発表はっぴょう。それは今後こんごのロック・ミュージックを左右さゆうする雛形ひながたまったとえる作品さくひんで、業界ぎょうかいからも非常ひじょうたか評価ひょうか[8]ぜんえいアルバムチャート5まで上昇じょうしょうしたが、当時とうじから雑誌ざっしのレコード・レビューなどで「1969ねんに、ビートルズの『アビイ・ロード』を1から転落てんらくさせたアルバム」といった内容ないよう日本にっぽんばんLPたい紹介しょうかいされてしまった。[注釈ちゅうしゃく 1]

このファースト・アルバム制作せいさく当初とうしょ、「ムーディー・ブルース」のプロデューサー トニー・クラークがプロデュースを担当たんとうするつながりで、どうバンドのレーベル「スレッショルド」からリリースするはなしもあったが、結局けっきょくはクラークと制作せいさくめん相違そうい決裂けつれつ最終さいしゅうてきにバンドがわがセルフプロデュースして「アイランド・レコード」からのリリースとなった。また、現在げんざいはフリップがバンドリーダーをつとめているが、この当時とうじ作曲さっきょくやアレンジをふくめた音楽おんがくめんでは、マクドナルドが優勢ゆうせいであったとされる。とくに、キーボード(メロトロン)、サックス、フルートを導入どうにゅうし、あらたな音楽おんがく創造そうぞうした功績こうせきおおきいとされている。

1stアルバム発表はっぴょう、イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルズは同年どうねんまつ脱退だったいし、ロック・デュオ「マクドナルド・アンド・ジャイルズ結成けっせいかう。これによりオリジナル・ラインナップははやくも崩壊ほうかいし、アルバムわずいちまい短命たんめいわる。

1970年代ねんだい アイランズ(1970ねん-1972ねん[編集へんしゅう]

バンドは崩壊ほうかい契約けいやく消化しょうかのため、アルバム・リリースを継続けいぞくせねばならなかった。1970ねんからのしんアルバム制作せいさくにサックスおよびフルート奏者そうしゃ メル・コリンズ正規せいき加入かにゅう脱退だったいしていたジャイルズ兄弟きょうだいらの協力きょうりょくやゲストプレイヤーをまねいて、セカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』を完成かんせいさせた。ただし、グレッグ・レイクが4がつ以降いこうからレコーディングになくなり、そのまま脱退だったい。「エマーソン・レイク・アンド・パーマー結成けっせいうごしていた。そのためライブツアーは実施じっしされていない。その、ボーカリストけんベーシスト ゴードン・ハスケルとドラマー アンディ・マカロック正規せいきメンバーにむかえたうえに、ゲストプレイヤーの協力きょうりょくあおいで、サード・アルバム『リザード』を制作せいさくして同年どうねんまつリリース。ライブツアーを実施じっししようとしたが、リハーサル段階だんかいでハスケルとマカロックが脱退だったいしたので頓挫とんざした。

1971ねん初頭しょとうのこった正規せいきメンバー フリップ、コリンズ、シンフィールドは、ライブ活動かつどうができる状態じょうたい模索もさくする。まずボーカリスト ボズ・バレルとドラマー イアン・ウォーレス獲得かくとく。そしてベーシスト適任てきにんしゃさがしが難航なんこうしたすえ、バレルが兼任けんにんするというかたちまり、フリップがベースギターの素人しろうとであったバレルに奏法そうほう教授きょうじゅした。新作しんさくアルバムの制作せいさくはいまえに、4がつからドイツや英国えいこくツアーで1ねん以上いじょうぶりのライブ活動かつどうおこなう。

同年どうねんなつ新作しんさくアルバムの制作せいさく着手ちゃくしゅし、並行へいこうして英国えいこくツアーを継続けいぞく。11月からは北米ほくべいツアーにはいる。このあいだメンバー同士どうし確執かくしつりになる。とくにフリップとシンフィールドの、ブレーンりょう険悪けんあく致命ちめいてきであった。そんななか同年どうねんまつ、4thアルバム『アイランズ』を発表はっぴょう。そしてシンフィールドは解雇かいこされた。さらによく1972ねん早々そうそうのリハーサル段階だんかいでもフリップとのこりのメンバーとのあいだ意見いけん統一とういつができず、結局けっきょくフリップはバンドの解散かいさん決意けつい。マネジメントがわすで北米ほくべいツアーのこう2ヶ月かげつのスケジュールをんでいたため、4にん渋々しぶしぶ同意どういして渡米とべいし、ツアーが終了しゅうりょうしたどう4がつあたま解散かいさんした。

ツアー終了しゅうりょうフリップのみ英国えいこく帰国きこくし、のこりの3にん遠征えんせいさき意気投合いきとうごうしたアレクシス・コーナーとバンド「スネイプ」を結成けっせい。そのバレルは、ポール・ロジャースのバンド「バッド・カンパニー」のベーシストとして参加さんか。シンフィールドはグレッグ・レイクのびかけにおうじて「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」に作詞さくし協力きょうりょくし、ソロ・アルバム『スティル』を制作せいさくした。後年こうねんにフリップは、この時期じきのバンド解消かいしょうを「かれらとではアイデア(の『太陽たいよう戦慄せんりつ路線ろせん)を具体ぐたいできなかったから」と説明せつめいしている。

同年どうねん6がつはつのライブ・アルバム『アースバウンド』を廉価れんかばんにてリリース。これは北米ほくべいツアーの音源おんげんでカセットテープによって収録しゅうろくされた劣悪れつあく音質おんしつでありながら、対立たいりつふかまるメンバー同士どうし爆発ばくはつ寸前すんぜん驚異きょういてき演奏えんそうであり、後々あとあとまで批評ひひょうけた[注釈ちゅうしゃく 2]

1970年代ねんだい中半なかば インプロビゼーション(1972ねん-1974ねん[編集へんしゅう]

解散かいさん決定けっていした1972ねん初頭しょとうからの北米ほくべいツアーの期間きかんちゅうフリップは、すで次期じきクリムゾン再開さいかいけての青写真あおじゃしんえがいていた。同年どうねんなつ、ドラマーのビル・ブルーフォードを「イエス」から獲得かくとく。「ファミリー」のベーシストけんボーカリストでフリップの大学だいがく時代じだい友人ゆうじんジョン・ウェットンデレク・ベイリー主宰しゅさいしクリムゾンが影響えいきょうけた即興そっきょう集団しゅうだんカンパニー」のパーカッショニスト ジェイミー・ミューア、そして新鋭しんえいのキーボードけんヴァイオリニスト デヴィッド・クロス集結しゅうけつなつからリハーサルをかさね、同年どうねん10がつから再始動さいしどう即興そっきょう演奏えんそう(インプロビゼーション)主体しゅたいに、あらたな楽曲がっきょく技巧ぎこう集団しゅうだんまれわった。

1973ねんライブ・ツアー

ここでふたたびバンドとしてのピークをむかえ、5th『太陽たいよう戦慄せんりつ』6th『暗黒あんこく世界せかい』7th『レッド』の3まいのアルバムをメンバー変遷へんせんながらもリリースし、ライブ・ツアーも精力せいりょくてきにこなした。

しかし、ミューアは『太陽たいよう戦慄せんりつ発表はっぴょうまえ早々そうそう脱退だったい1974ねんにはデヴィッド・クロスとヘヴィ志向しこうのウェットンとのあいだ音楽おんがくてき衝突しょうとつりになり、クロスを一方いっぽうてき解雇かいこし、アルバム『レッド』制作せいさくころ正規せいきメンバーがフリップ、ウェットン、ブルーフォードの3にん減少げんしょうしていた。

ウェットンのけにより、すうめいきゅうメンバーがゲスト参加さんかしてアルバムを完成かんせいさせたが、リリース直後ちょくごにフリップは解散かいさん宣言せんげん直前ちょくぜんまではメディアに、ゲストで参加さんかしたかつての創設そうせつメンバー イアン・マクドナルドを再度さいどむかえてのバンド継続けいぞくにおわせていたが、フリップは自身じしんだけでも脱退だったいするつもりでいた。実際じっさい裏側うらがわでは、スティーヴ・ハケットジェネシス)を自分じぶん後任こうにん候補こうほえての存続そんぞくをフリップは提案ていあんしていたが、マネジメントがわ却下きゃっかされていた事実じじつ後年こうねんかされている[10]

解散かいさん1975ねんに、北米ほくべいツアーのライブを収録しゅうろくしたアルバム『USA』をリリース。もと音源おんげんにはヴァイオリンけんキーボード(おもメロトロン担当たんとうのデヴィッド・クロスが参加さんかしていたが、すうきょく編集へんしゅう段階だんかいエディ・ジョブソン演奏えんそうえられている(またこのころ、「太陽たいよう戦慄せんりつ パート2」(5thアルバム『太陽たいよう戦慄せんりつ収録しゅうろく)に酷似こくじしたきょく映画えいがエマニエル夫人ふじん」で使用しようされ、フリップのうったえによる裁判さいばんおこなわれている。裁判さいばん和解わかい)。

1980年代ねんだい ニュー・ウェイヴ(1981ねん-1984ねん[編集へんしゅう]

解散かいさんから7ねん1981ねん、フリップは、かつてのメンバーであるビル・ブルーフォード共同きょうどうで、「ディシプリン」というのプロジェクトを開始かいしした。アメリカじんベーシスト、トニー・レヴィン加入かにゅう[注釈ちゅうしゃく 3]2人ふたりのギタリストけんボーカリストに、アメリカじんエイドリアン・ブリュー参加さんかした。この4にんからなるしんグループは、契約けいやくしているレーベルの商業しょうぎょうてき意向いこうもあってふたたび「キング・クリムゾン」の名義めいぎ活動かつどう再開さいかいする。

しかし1970年代ねんだいまでのスタイルからはってわり、管弦楽かんげんがくはいしてギター・ロックにてっし、ポリリズム当時とうじムーブメントになっていたニュー・ウェイヴ要素ようそれるなど、音楽おんがくせい劇的げきてき変化へんかしていた(演奏えんそうについては、2ほんのギターとスティックによる複雑ふくざつアルペジオがらみが特徴とくちょうてきであった)。このようなかたちでのさい結成けっせい批判ひはんたかまり、「キング・クリムゾンがトーキング・ヘッズした」という批判ひはん一部いちぶからた(きゅうメンバー ジョン・ウェットンも当時とうじ、「英国えいこくじん以外いがい参加さんかしているこのラインナップを、クリムゾンとしてみとめていない」むね発言はつげんをしている)。

どう1981ねん9がつ当初とうしょのバンドめいセルフタイトルとした8thアルバム『ディシプリン』リリース。どう1981ねん昭和しょうわ56ねん)12月にはつ来日らいにちし、渋谷しぶや公会堂こうかいどう浅草あさくさ国際こくさい劇場げきじょうはじめとする全国ぜんこくツアーをおこなった。

1982ねん、9thアルバム『ビート』を発表はっぴょう元々もともと『ディシプリン』のみのプロジェクトであったためしん素材そざいがほぼ皆無かいむで、準備じゅんび不足ふそくのなか創作そうさく苦労くろうしたエピソードをかしている。

1984ねんリリースの10thアルバム『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』にいたっては、メンバーのモチベーションはもはや低下ていかしたなか制作せいさくされた。同年どうねん昭和しょうわ59ねんはるさい来日らいにちし、北米ほくべいツアーの7がつ解散かいさん決定けっていする。フリップは「レーベルとの契約けいやくは、アルバム3まいリリースが条件じょうけんであった。本来ほんらい意図いとしたアイデアは『ディシプリン』で完結かんけつしている」と後年こうねんかしている。

1990年代ねんだい ダブルトリオ(1994ねん - 1996ねん[編集へんしゅう]

1980年代ねんだいすえごろからフリップの活動かつどう活発かっぱつになり、ふたたさい結成けっせい機運きうんたかまっていく。1992ねんにフリップは音楽おんがくエンジニア デヴィッド・シングルトンと共同きょうどうで、自身じしん管理かんりする独立どくりつレーベル「Discipline Records (のDiscipline Global Mobile。通称つうしょう DGM)」を設立せつりつ

さらに、デヴィッド・シルヴィアンとのともさくなどで手応てごたえをかんじたフリップは、1994ねんからついにバンドを再始動さいしどうさせる。1980年代ねんだいのメンバーからさら増員ぞういんして6にん編成へんせいとなり、3にんくみのユニットを配置はいちするスタイルを構築こうちく通称つうしょう ダブルトリオ)。サウンドめんでは、1974ねんさく『レッド』で片鱗へんりんをみせたヘヴィ路線ろせん継承けいしょうし、プログレッシブ・メタル推進すいしんした。

このラインナップでEP『ヴルーム』を制作せいさくらし運転うんてんねた南米なんべいツアーを開催かいさいし、よく1995ねんに11ねんぶりの11thアルバム『スラック』を発表はっぴょう。そしてフリップは、キング・クリムゾンが実践じっせんするヘヴィサウンドを「ヌーヴォメタル (Nuovo Metal)」と名付なづけた。アルバムにともなうワールドツアーを開始かいしし、すうおおくのライブ音源おんげんをアーカイブしていく。

1990年代ねんだい後半こうはん プロジェクト(1997ねん-2000ねん[編集へんしゅう]

長期ちょうきのライブ・ツアーを休息きゅうそくしたのち1997ねん集合しゅうごうしたバンドはリハーサル段階だんかい相違そういおおきく内紛ないふん状態じょうたいになってしまう。また、メンバーそれぞれ自身じしん仕事しごとちしており、スケジュールの確保かくほ影響えいきょうしていた。そこでフリップは6にん編成へんせい一旦いったん棚上たなあげにして、つぎさくへのアイデアを蓄積ちくせきさせていく意味いみふくめ「プロジェクト (ProjeKct)」という名義めいぎしょうユニット活動かつどう一時いちじシフト。これを2000ねんまで断続だんぞくてきつづける。またこの期間きかん、グレッグ・レイクもしくは、ジョン・ウェットンをふくむ4にんのクラシックメンバーさい結成けっせい企図きとされたが、これは計画けいかく段階だんかい頓挫とんざしている。

2000ねん、プロジェクトでつちかったアイデアを結集けっしゅうした「ProjeKct X」名義めいぎのアルバム『ヘヴン・アンド・アース』をリリース。ただし、ビル・ブルーフォードが、電子でんしドラム使用しようしたいフリップの方針ほうしん難色なんしょくしめし、またみずからのバンド「アースワークス」の活動かつどう専念せんねん希望きぼうし、1997ねん脱退だったいしていた。トニー・レヴィンも先約せんやくのスケジュールを優先ゆうせんし、1998ねんから離脱りだつしたまま復帰ふっきはしなかった。

2000年代ねんだい ヌーヴォメタル(2000ねん-2004ねん、2008ねん[編集へんしゅう]

2000ねん平成へいせい12ねん)、ダブルトリオ瓦解がかいのこる4にんによる12thアルバム『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』をリリース。結果けっかてきにセールスはおおきくるわなかった。来日らいにち公演こうえん北米ほくべいツアーを開催かいさいするがはやくもつぎさくけた構想こうそうみ、バンド独自どくじのヘヴィサウンド「ヌーヴォメタル」を、これまで以上いじょうすすめる。

ベルギー・ドゥール公演こうえん (2003ねん7がつ)

2001ねんからつぎさくけた短期たんきツアーとレコーディングを並行へいこうして実施じっし同年どうねんにEP『レヴェル・ファイヴ』、よく2002ねんにもEP『しょうがない (Happy with What You Have to Be Happy With)』をリリース。そして2003ねん、ヌーヴォメタルの集大成しゅうたいせいとなる13thアルバム『ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』を発表はっぴょう同年どうねん来日らいにち公演こうえんふくむワールドツアーを開催かいさいする。

同年どうねんあき、ダブルトリオ編成へんせいからのメンバーであったトレイ・ガンが脱退だったい表明ひょうめいわりに、トニー・レヴィンが復帰ふっきした。よく2004ねんからしんラインナップでリハーサルをかさねるが、想像そうぞう以上いじょう上手うまくいかず頭打あたまう状態じょうたいおちいった。多額たがく経費けいひをかけたわりみのりのさを痛感つうかんしたフリップは、今後こんごのプランを白紙はくしとしバンドは長期ちょうき活動かつどう休止きゅうしはいる。

2008ねん4がつ今後こんご活動かつどう計画けいかくはな会合かいごうとリハーサルが再開さいかいさらしんメンバーとして「ポーキュパイン・トゥリー」のドラマー、ギャヴィン・ハリソン加入かにゅうあきらかになった。同年どうねん8がつ北米ほくべいツアーを実施じっし。そのさらなるツアーが予定よていされていたが、エイドリアン・ブリューが自身じしんのソロツアーとダブルブッキングしてしまったことで頓挫とんざ翌年よくねんのデビュー40周年しゅうねん記念きねんツアーも視野しやにあったが、フリップとブリューの確執かくしつ沙汰ざたされ、またすべてが白紙はくしになった。

2010年代ねんだい トリプルドラム(2013ねん-2016ねん[編集へんしゅう]

2011ねん、バンド休止きゅうしちゅうあいだフリップは、以前いぜんに「21stセンチュリー・スキッツォイド・バンド」でも活動かつどうしていたきゅうメンバーのメル・コリンズ、ジャッコ・ジャクジクらとあらたなキング・クリムゾン・プロジェクトをげ、アルバム『ア・スケアシティ・オブ・ミラクルズ』を発表はっぴょう次期じきクリムゾンにけた活動かつどう再開さいかいする。

ところが、よく2012ねんにフリップが音楽おんがく業界ぎょうかいからの引退いんたい表明ひょうめいし、バンドの活動かつどう終了しゅうりょう宣言せんげん。「ユニバーサル・ミュージックと出版しゅっぱんけんについて問題もんだい勃発ぼっぱつし、法廷ほうてい闘争とうそう専念せんねんするため」とかしている。

2013ねん自社じしゃレーベル「DGM」のブレーンでもあるデヴィッド・シングルトンが、キング・クリムゾンのトリビュートバンド結成けっせい企図きとする。これはクリムゾン・プロジェクトらのメンバーに、きゅうメンバー ジョン・ウェットンくわえた「クリムゾンDNA」というしんグループ構想こうそうであった。フリップはシングルトンの構想こうそう賛同さんどうし、裏方うらかたからの支援しえん着手ちゃくしゅしようとする[11]

しかしフリップは、ユニバーサル・ミュージックとの係争けいそういちだんおちついていた事情じじょうもあって、次第しだい復帰ふっき意欲いよくきはじめ引退いんたい前言ぜんげん撤回てっかい紆余曲折うよきょくせつのち オフィシャルサイトじょうより、かつてのフリップ主催しゅさいギタークラフト」に参加さんかして知己ちきであったビル・リーフリン加入かにゅうによる編成へんせいで、正規せいきのクリムゾン再始動さいしどう表明ひょうめいした[12]

オランダ・ユトレヒト公演こうえん(2015ねん9がつ (2015-09)

2014ねん6がつ、ライブ活動かつどう再開さいかい発表はっぴょう。メンバー構成こうせいは、フリップ、メル・コリンズ、トニー・レヴィン、ジャッコ・ジャクジク、そして3にんのドラマー、パット・マステロット、ギャヴィン・ハリソン、ビル・リーフリンを前列ぜんれつ配置はいちした「トリプルドラム」の編成へんせいで、9月9にちよりアメリカにて17かい公演こうえんのツアーを開始かいしした。

2015ねん平成へいせい27ねん)12月、やく12ねんぶりに日本にっぽん公演こうえん開催かいさい[13]

2016ねん、リーフリンが一時いちじ降板こうばんし、代役だいやくジェレミー・ステーシーが9がつ欧州おうしゅうツアーから参加さんか[14]。12月、創設そうせつメンバーのグレッグ・レイク死去しきょ[15]

2010年代ねんだい後半こうはん ダブルカルテット(2017ねん-2020ねん[編集へんしゅう]

2017ねん、ビル・リーフリンが復帰ふっきして、キーボード担当たんとう変更へんこう。ジェレミー・ステーシーはそのまま正規せいきメンバーに昇格しょうかくし、8にん編成へんせい拡張かくちょうする[16]。そしてフリップは、ラインナップ構成こうせい呼称こしょうを「ダブルカルテット・フォーメーション」と命名めいめいした。

同年どうねん5がつ昨年さくねん他界たかいしたデヴィッド・ボウイ追悼ついとうのトリビュート作品さくひんEP『ヒーローズ』をリリース[17]。そのから全米ぜんべいツアーを開始かいし[18]

同年どうねん10がつ、リーフリンがあき公演こうえん不参加ふさんかとなり、代役だいやくサポートにマルチ奏者そうしゃクリス・ギブソンがキーボードを担当たんとうして全米ぜんべいツアーを再開さいかい

2018ねん4がつ、リーフリンがさい復帰ふっきし、欧州おうしゅうツアーを開始かいし同年どうねん平成へいせい30ねん)11がつまつ結成けっせい50周年しゅうねん記念きねんした来日らいにちツアーが開幕かいまく[19]集大成しゅうたいせいとなるライブをよく12がつまで開催かいさいする[20]

2019ねん4がつ、デビュー50周年しゅうねん記念きねん欧米おうべいツアーの概要がいよう発表はっぴょうし、今年ことしいちはいはリーフリンが再度さいど休養きゅうよう代役だいやくサポートとして、フリップと共演きょうえんれきのあるサックス奏者そうしゃセオ・トラヴィスソフト・マシーン)のキーボード担当たんとう内定ないていしていたが[21]、リハーサルがかんばしくなかったため白紙はくしもどした。結果けっかこんシーズン以降いこう現行げんこうメンバーのみの7にん編成へんせい対応たいおうし、ジェレミー・ステーシーがキーボードを兼任けんにんする。

2020ねん3月、長期ちょうき休養きゅうようちゅうだったビル・リーフリンが病没びょうぼつ[22]。さらに新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう世界せかいてきだい流行りゅうこうした影響えいきょうで、年内ねんないのスケジュールを翌年よくねん延期えんき

2020年代ねんだい プロジェクトの終焉しゅうえん(2021ねん- )[編集へんしゅう]

2021ねんなつから北米ほくべいツアーを再開さいかい[23]。そしてジャッコ・ジャクジクは北米ほくべいツアーについて、バンドにとって最後さいごになる可能かのうせい示唆しさする。各種かくしゅイベント延期えんきぶんのしわせで会場かいじょう確保かくほ今後こんご困難こんなんになること、正常せいじょうもどったころには年長ねんちょうメンバーの高齢こうれい進行しんこうしている健康けんこう事情じじょう説明せつめいした[24]

どう11がつまつから3ねんぶりの来日らいにちツアーを開催かいさい[25]。そしてトニー・レヴィンも前述ぜんじゅつ北米ほくべいツアーと同様どうように、ツアーの形態けいたいによる開催かいさいはこの日本にっぽん公演こうえんをもって最後さいご示唆しさした。ロバート・フリップから『ツアーのぜん行程こうていを「日本にっぽんまくじる」』と説明せつめいされたはなしかし、コロナ開催かいさい実現じつげん奔走ほんそうしてくれた関係かんけいしゃ謝意しゃいつたえている[26]

2022ねん2がつ創設そうせつメンバーのイアン・マクドナルド死去しきょ[27]。3月、バンドのドキュメンタリー映画えいが『In the Court of the Crimson King』を公開こうかい上映じょうえい[28]

同年どうねん4がつ、メンバーのギャヴィン・ハリソンが音楽おんがくメディアの取材しゅざいで、バンドの状況じょうきょう自分じぶんなりにかたった。昨年さくねんまつ最終さいしゅうツアーは『2013ねんからのプロジェクトが完走かんそうし、あくまでひとつのサイクルが終了しゅうりょうしたにぎない』『ロバート・フリップは物事ものごとをプロジェクト単位たんい(○○ねん周期しゅうき)でかんがえるため、そのたびしろくろか(継続けいぞくなのか解散かいさんなのか)といった判断はんだんはしない』と私見しけんべ、今後こんごどんなケースもありると説明せつめいしている[29]

そして同年どうねん7がつ、ロバート・フリップ本人ほんにん取材しゅざいこたえ、『我々われわれ年齢ねんれい現実げんじつからすれば、今後こんごのツアーはむずかしい』『キング・クリムゾンのギターパートは演奏えんそうオリンピックのようなもので、わかころのようなアスリート能力のうりょくもとめられてもこたえるには困難こんなん』と、ツアーの再開さいかい明確めいかく否定ひていした[30]

メンバー[編集へんしゅう]

※2022ねん2がつ時点じてん

主宰しゅさい[編集へんしゅう]

最終さいしゅうツアーラインナップ[編集へんしゅう]

きゅうメンバー[編集へんしゅう]

サポート

  • クリス・ギブソン (Chris Gibson) - キーボード(2017ねん

ラインナップの変遷へんせんおも担当たんとうパート)[編集へんしゅう]

King Crimsonファミリーツリー PDF
  • ロバート・フリップ - Guitars, Frippertronics/ Soundscapes, Mellotron & Synthesizers(以下いかぜん期間きかんつうじてリーダーとして在籍ざいせき
  • 『ポセイドンのめざめ』発表はっぴょう当時とうじ
  • Lineup #2『アイランズ』『アースバウンド』
    • ボズ (ボズ・バレル) - Vocals & Bass(脱退だったいポール・ロジャースひきいるバッド・カンパニー加入かにゅう
    • メル・コリンズ - Saxophone, Flute, Mellotron & Vocals
    • イアン・ウォーレス - Drums & Vocals
    • ピート・シンフィールド - Words(『アイランド』製作せいさく直後ちょくご正式せいしき脱退だったいし、EL&P歌詞かし担当たんとう
    • このほかにも、ゲスト・ミュージシャンが参加さんかしている
  • Lineup #3『太陽たいよう戦慄せんりつ』〜『レッド』発表はっぴょう当時とうじ
    • ジョン・ウェットン - Vocals & Bass(解散かいさんU.K.エイジア結成けっせいし、成功せいこうする)
    • デヴィッド・クロス - Violin, Viola, Flute, Keyboards & Mellotron(『暗黒あんこく世界せかい発表はっぴょう脱退だったい
    • ビル・ブルーフォード - Drums & Percussion(イエスから加入かにゅうのちに、ウェットンとともにU.K.結成けっせい
    • ジェイミー・ミューア - Percussion & Drums(もとデレク・ベイリーのカンパニー、『太陽たいよう戦慄せんりつ発表はっぴょう脱退だったいのちにミュージシャンから画家がか転向てんこう
    • 『レッド』録音ろくおんにはイアン・マクドナルドやメル・コリンズなどのきゅうメンバーがゲスト・ミュージシャンとして参加さんかしている。また、ライブ・アルバム『USA』において、エディ・ジョブソン(Violin & Keyboards、のち前述ぜんじゅつのU.K.結成けっせい)がフリップとウェットンいのもと、2あいだ程度ていどけてデヴィッド・クロスのヴァイオリンとエレピパートをいくつか録音ろくおんした。
  • Lineup #4『ディシプリン』〜『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペア』(1980年代ねんだいさい結成けっせい。キャリアとうは、本文ほんぶん参照さんしょう
  • Lineup #5『ヴルーム』『スラック』(1990年代ねんだい再々さいさい結成けっせい
    • エイドリアン・ブリュー - Vocals, Guitars & Percussion
    • トニー・レヴィン - Bass, Chapman stick, Synthesizers & Vocals
    • トレイ・ガン - Warr Guitars, Bass
    • ビル・ブルーフォード - Drums & Percussion
    • パット・マステロット - Drums & Percussions
  • Lineup #6『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』〜『ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』
    • エイドリアン・ブリュー - Vocals & Guitars
    • トレイ・ガン - Warr Guitars, Bass(2007ねんエディー・ジョブソンやそののミュージシャンとともにUKZ結成けっせい
    • パット・マステロット - Drums & Percussion
  • Lineup #8(2013ねん以降いこう
    • ジャッコ・ジャクジク - Vocals, Guitars
    • メル・コリンズ - Saxophones, Flute
    • トニー・レヴィン - Bass, Chapman stick, Vocals
    • パット・マステロット - Drums & Percussion
    • ギャヴィン・ハリソン - Drums & Percussion
    • ビル・リーフリン - Drums & Percussion, Keyboards(休養きゅうよう:2016ねん秋冬あきふゆ、2017ねん秋冬あきふゆ、2019ねん、2020ねん死去しきょ
    • ジェレミー・ステーシー - Drums & Percussion, Keyboards(サポート:2016秋冬あきふゆ正規まさき:2017以降いこう

サポート

  • クリス・ギブソン - Keyboards(2017ねん秋冬あきふゆ

独立どくりつレーベル「ディシプリン・グローバル・モービル」[編集へんしゅう]

Discipline Global Mobile
設立せつりつ1992ねん (1992)
設立せつりつしゃロバート・フリップ
デヴィッド・シングルトン
ジャンル
  • ロック
  • ポピュラー全般ぜんぱん
くにイギリスの旗 イギリス
本社ほんしゃ所在地しょざいちイングランドの旗 イングランド ウィルトシャーしゅうソールズベリー
公式こうしきサイトDGM Live.com

ディシプリン・グローバル・モービル(Discipline Global Mobile)は、バンドを主宰しゅさいするロバート・フリップ1992ねん設立せつりつした独立どくりつけいレコードレーベル共同きょうどう責任せきにんしゃはエンジニアを兼任けんにんするデヴィッド・シングルトン。名前なまえ由来ゆらいおよびロゴは8thアルバム『ディシプリン』から。

概要がいよう背景はいけい[編集へんしゅう]

キング・クリムゾンはデビューから「E.G.マネージメント」にせきき、音源おんげん同社どうしゃのレーベル「EGレコード」が管理かんりしていた。しかし1990ねんころからどうマネージメントが経営けいえいなんおちいり、ロイヤリティの支払しはらいがとどこおりはじめ、さらに版権はんけんヴァージン・レコードBMG売却ばいきゃくされてしまう。この状況じょうきょう反発はんぱつしていたフリップは、原盤げんばん所有しょゆうけん主張しゅちょう訴訟そしょうにまで発展はってんする[31]

そのあいだ新譜しんぷリリースに対応たいおうさせるため、1990年代ねんだい初頭しょとうから仕事しごとともにしていた音楽おんがくエンジニア デヴィッド・シングルトンと共同きょうどうで、あらたなレーベル「Discipline Records」(現行げんこうの『Discipline Global Mobile (通称つうしょう DGM)』)を設立せつりつ裁判さいばん1999ねんまで7年間ねんかんつづいたすえ勝訴しょうそし、きゅうレーベルがわ和解わかいしてきゅう原盤げんばんけんすべみとめられた。

以降いこう、バンドに関連かんれんする音源おんげんすべどうレーベルが発売はつばいもととなり、外部がいぶアーティストとの契約けいやく管理かんり業務ぎょうむとするようになった。また、海賊かいぞくばん対策たいさく徹底てっていしており、1990年代ねんだい以降いこうからは(キング・クリムゾンの)ほぼすべてのライブを自前じまえ録音ろくおんしアーカイブ過去かこ海賊かいぞくばん音源おんげん独自どくじにリマスターをほどこしてオフィシャルでリリースし、違法いほう販売はんばいつぶしている。

2022ねん日本にっぽん供給きょうきゅう販売元はんばいもとであったWOWOWエンタテインメント(きゅうWHDエンタテインメント)がレーベルを閉鎖へいさ。そのざらとして同社どうしゃのディレクターであった音楽おんがくライターふかみんあつしもとBURRN!編集へんしゅうしゃもとMETAL GEAR編集へんしゅうちょうなど)らがスタッフとなり[32]、DGMの日本にっぽん支社ししゃDGMディストリビューション・ジャパン」を設立せつりつした[33]

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

スタジオ・アルバム[編集へんしゅう]

ライブ・アルバム[編集へんしゅう]

コンピレーション・アルバム[編集へんしゅう]

ミニ・アルバム(EP)[編集へんしゅう]

  • ヴルーム』 - VROOOM(1994ねん
  • 『21世紀せいきのスキッツォイド・マン』 - Schizoid Man(1996ねん
  • 『レヴェル・ファイヴ』 - Level Five(2001ねん)※ライブEP
  • 『しょうがない』 - Happy with What You Have to Be Happy With (2002ねん)
  • 『ヒーローズ〜トリビュート・トゥ・デヴィッド・ボウイ』 - Heroes(2017ねん)※ライブEP

日本にっぽん公演こうえん[編集へんしゅう]

1981ねん昭和しょうわ56ねん[編集へんしゅう]

1984ねん昭和しょうわ59ねん[編集へんしゅう]

1995ねん平成へいせい7ねん[編集へんしゅう]

2000ねん平成へいせい12ねん)「THE CONSTRUKCTION OF LIGHT TOUR 2000」[編集へんしゅう]

  • 10月2にち  – 東京とうきょうトリビュート・トゥ・ザ・ラブ・ジェネレーション
  • 10月3にち  – 神奈川かながわ県民けんみんホール
  • 10月4にち、5にち、7にち  – 渋谷しぶや公会堂こうかいどう
  • 10月9にち  – 名古屋なごや公会堂こうかいどう
  • 10がつ10日とおか  – 大阪おおさかフェスティバルホール
  • 10月11にち  – メルパルクホール福岡ふくおか
  • 10月13にち  – 仙台せんだいイズミティ21だいホール
  • 10月15にち、16にち  – 中野なかのサンプラザ

2003ねん平成へいせい15ねん)「THE POWER TO BELIEVE JAPAN TOUR 2003」[編集へんしゅう]

2015ねん平成へいせい27ねん)「THE ELEMENTS OF KING CRIMSON TOUR in JAPAN 2015」[編集へんしゅう]

2018ねん平成へいせい30ねん)「UNCERTAIN TIMES JAPAN TOUR 2018」[編集へんしゅう]

2021ねんれい3ねん)「MUSIC IS OUR FRIEND JAPAN 2021」[編集へんしゅう]

備考びこう補足ほそく[編集へんしゅう]

  • グレッグ・レイク脱退だったい所属しょぞく事務所じむしょ EG はフリップがらぬうちしんボーカリストさがしを算段さんだんし、エルトン・ジョンを250ポンドのギャラでやとおうとしたがレコードを一聴いっちょうしたフリップにより却下きゃっかされた。ブライアン・フェリーはオーディション「キング・クリムゾンのボーカリストとしてはマッチしないが、しい人材じんざい」とフリップに評価ひょうかされ、のちロキシー・ミュージックがEG所属しょぞくとなるきっかけとなった。
  • 1970ねん一時いちじてきにクリムゾンが活動かつどう停止ていししていたとき、イエスを脱退だったいしたピーター・バンクス後任こうにんとしてフリップはイエスへの参加さんか要請ようせいされたが、事務所じむしょ問題もんだい実現じつげんしなかった。このとき交流こうりゅうができたえんで、イエスのジョン・アンダーソンがキング・クリムゾンのサード・アルバム『リザード』の「ルーパート王子おうじのめざめ」にボーカルでゲスト参加さんかしている。ジョン・アンダーソンによると、「ロバートにイエスにはいらないかとったら、ぎゃくに、きみこそキング・クリムゾンにれよとわれた」とのこと。
  • 1976ねんにキング・クリムゾンさい起動きどう失敗しっぱいし、リック・ウェイクマンとのトリオ結成けっせい断念だんねんしたウェットンとブルーフォードは、アラン・ホールズワースエディー・ジョブソンU.K.結成けっせいする。ウェットンのインタビューによると、「フリップがバンドを解散かいさんしたので、のこったリズムたい2人ふたりがキング・クリムゾンのリズムのコンビネーションを維持いじ展開てんかいするために結成けっせいした」といった主旨しゅしのことをミュージック・ライフべていた。
  • 1990年代ねんだいのキング・クリムゾンの正式せいしき結成けっせい直前ちょくぜんに、フリップはデヴィッド・シルヴィアンとプロジェクト「シルヴィアン・アンド・フリップ」をみ、アルバムをリリースし、来日らいにち公演こうえんおこなっている(このさい、マイケル・ブルックとともにトレイ・ガンとパット・マステロット参加さんかしている)。インタビューでは否定ひていしていたが、当初とうしょ「デヴィッドがあたらしいクリムゾンのボーカリストとして参加さんかする」とうわさされた。シルヴィアンはフリップに勧誘かんゆうされたが拒否きょひしたとインタビューでべている。また当初とうしょしんラインナップ構想こうそうはいっていたリック・マロッタについてはキング・クリムゾンのドラマーにてきさなかったとフリップが採用さいようりやめている。
  • これとほぼ前後ぜんごして、オリジナル・メンバーでさい結成けっせいされたエマーソン・レイク・アンド・パーマーCDボックスセットに、どうメンバーの演奏えんそうによる「21世紀せいきのスキッツォイド・マン」の独自どくじのバージョンが収録しゅうろくされていた(このきょくは、1980年代ねんだい初頭しょとうに、グレッグ・レイクがゲイリー・ムーアともったライブ・ツアーでも、「クリムゾン・キングの宮殿きゅうでん」ととも演奏えんそうされた。この2きょくのオリジナルは、キング・クリムゾンのファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿きゅうでん』に収録しゅうろく)。
  • 1996ねんもとジェネシスのギタリスト、スティーヴ・ハケット来日らいにちしたさいのメンバーとしてマクドナルド、ウェットンが参加さんかしており、だい1きょくから「クリムゾン・キングの宮殿きゅうでん」と「ふうかたりて」(ともにファーストアルバム収録しゅうろくきょく)を演奏えんそうした。この様子ようすは、『TOKYOテープス〜ジェネシス・リヴィジテッド・ライヴ1996』としてCD、ビデオなどで正式せいしき発売はつばいされており、そのDVDもされている。
  • 2001ねんトゥール前座ぜんざとしてツアーをおこなう。このツアーの最終さいしゅう、「レッド」の演奏えんそうに、トゥールのドラマーであるダニー・ケアリーがゲスト参加さんかした。
  • 2002ねん、マクドナルドとジャイルズ兄弟きょうだいしんバンド結成けっせいのためにさい集結しゅうけつ、さらにメル・コリンズジャッコ・ジャクスジクくわえ、21stセンチュリー・スキッツォイド・バンド結成けっせいされた。フリップにも公認こうにんされ、初期しょきのクリムゾン・ナンバーを演奏えんそうしてのライブ・ツアーをこなす。同年どうねんおよよく2003ねんの2かい来日らいにち公演こうえん実現じつげんした。どうバンドはキング・クリムゾンのアルバムの1さくから4さくまでのきょくをレパートリーの中心ちゅうしんとしていた。マイケル・ジャイルズは結成けっせい1ねんらずで脱退だったいわってイアン・ウォーレス参加さんかし2006ねんまで活動かつどうした。しかし、2007ねん2がつのウォーレス病死びょうし活動かつどう再開さいかいのめどはたっていない。
  • 2006ねん9月、スペインの自宅じたくアパートでリハーサルちゅう心臓しんぞう発作ほっさ急逝きゅうせいしたボズ・バレル[35]は、生前せいぜんクリムゾン時代じだいかたることを拒否きょひつづけたとわれているがOBたちとの交友こうゆうはあり、1980ねんにはシンフィールドのテレビ出演しゅつえんさいにマイケル・ジャイルズ、メル・コリンズゲイリー・ブルッカーらととも演奏えんそうしている。
  • 2011ねん、キング・クリムゾン・プロジェクト (King Crimson ProjeKct) としてアルバム『ア・スケアシティ・オブ・ミラクルズ』をリリース。フリップみずからが参加さんかしているのがおおきな特徴とくちょうであり、にコリンズとジャクスジクを正式せいしきメンバーとし、またレヴィンとハリソンがサポートで参加さんかしている。2013ねん、この5にんにドラマー2にん追加ついかしたトリプル・ドラム編成へんせいでの、キング・クリムゾン再始動さいしどう発表はっぴょうされた。
  • 2011ねん以降いこう、ブリューのバンド「エイドリアン・ブリュー・パワー・トリオ」とレヴィンのバンド「スティックメン」(マステロットも参加さんか)のメンバーが合流ごうりゅうするかたちで6にん編成へんせいの「クリムゾン・プロジェクト」(Crimson Projekct) として活動かつどう。この名称めいしょうはロバート・フリップの命名めいめいによるとのこと。

キング・クリムゾン事件じけん[編集へんしゅう]

TOKYO FM出版しゅっぱん1995ねん平成へいせい7ねん)10がつ25にち書籍しょせき『キング・クリムゾン』〈地球ちきゅう音楽おんがくライブラリー〉を発行はっこうしたが[36]、キング・クリムゾンのメンバーに無断むだん発行はっこうしたため、ロバート・フリップパブリシティけん侵害しんがいされたとして出版しゅっぱんもとのTOKYO FM出版しゅっぱんうったえた。これを「キング・クリムゾン事件じけん」という[37]だい1しんではフリップの勝訴しょうそとなったが[38]控訴こうそしんではTOKYO FM出版しゅっぱん逆転ぎゃくてん勝訴しょうそ[39]以後いご記載きさい内容ないようおおくのミスが修正しゅうせいされないまま2007ねん平成へいせい19ねん)にも再版さいはんされている[40]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 英国えいこく音楽おんがくDISC1969ねん11月8にちごうデヴィッド・シューズの記事きじついにデビューアルバムがアビーロードをトップからきずりろした。」を紹介しょうかいしたものとわれる。そのことについては、複数ふくすう日本にっぽん評論ひょうろんが「デマとまではいえないが、ありえるとしたなら、地方ちほうの、あるいは、マイナーなチャートではないのか」といった見解けんかい共通きょうつうしてべていた
  2. ^ 元々もともとはミキサー・コンソールにつながれたカセットテープレコーダーの音源おんげんで、演奏えんそうのチェックようにイアン・ウォーレス所有しょゆうのレコーダーで録音ろくおんされたもの[9]
  3. ^ フリップとはピーター・ガブリエルのレコーディングで競演きょうえんしたことがある。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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  40. ^ 松井まつい (2007).

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]