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プロト・プログ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
プロト・プログ
様式ようしきてき起源きげん ロック
プログレッシブ・ミュージック
サイケデリック・ロック
文化ぶんかてき起源きげん 1960年代ねんだい中期ちゅうき
関連かんれん項目こうもく
プログレッシブ・ポップ
プログレッシブ・ロック
ポスト・プログレッシブ
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プロト・プログ(proto-prog、proto-progressive=原始げんしプログレッシブのりゃく[1])は、プログレッシブ・ロック・ミュージックの最初さいしょなみ関連かんれんするもっと初期しょき成果せいかであり[2][3]当時とうじは「プログレッシブ・ポップ」としてられていた[4]。このようなミュージシャンは、通常つうじょう伝統でんとうてきロック影響えいきょうけない近代きんだい音楽おんがくやそののジャンルからの影響えいきょうけた。かれらはしばしば、よりなが複雑ふくざつ作曲さっきょく、メドレーとして相互そうごにつなげられたうた、スタジオでの作曲さっきょく採用さいようした[5]。その動向どうこう予見よけんするだけでなく、プログレッシブ・ロックを開発かいはつするにあたって不可欠ふかけつだったアーティストのなかには、ビートルズビーチ・ボーイズドアーズプリティ・シングスゾンビーズバーズグレイトフル・デッドピンク・フロイドなどがある[3]

定義ていぎ[編集へんしゅう]

ムーディー・ブルース(1978ねん

英国えいこくで「プログレッシブ」スタイルという方向ほうこうせいが1960年代ねんだい後半こうはん登場とうじょうしたが、1967ねんまでに、プログレッシブ・ロックはゆるやかに関連付かんれんづけられたスタイル・コードによる多様たようせい構成こうせいするようになっていった[6]。「プログレッシブ」というラベルが到着とうちゃくすると、その音楽おんがくは「プログレッシブ・ロック」とばれるまえに「プログレッシブ・ポップ」とばれた[4][nb 1]。「プログレッシブ」という用語ようごは、標準ひょうじゅんてきポップ・ミュージック公式こうしきやぶろうとする幅広はばひろこころみをしている[8]

音楽おんがくライターのドイル・グリーンは、「プロト・プログ」というラベルが「後期こうきビートルズフランク・ザッパ」、ピンク・フロイドソフト・マシーン、そしてユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカにまでひろがるとしんじている[5]。プログレッシブ・ロックほん著者ちょしゃであるエドワード・マカンは、ナイスムーディー・ブルース、ピンク・フロイドなどのサイケデリック・バンドがプログレッシブ・スタイルの最初さいしょなみであり、イギリスのプログレッシブ・ロックの最初さいしょなみだとっている[2]ぎゃくに、学者がくしゃのポール・ヘガティとマーティン・ハリウェルは、ビートルズ、ビーチ・ボーイズドアーズプリティ・シングスゾンビーズバーズグレイトフル・デッド、ピンク・フロイドを「たんにプログレの先駆せんくしゃとしてだけでなく、その初期しょき進歩しんぽにおける本質ほんしつてき発展はってん」として特定とくていしている[3]

当時とうじ批評ひひょう一般いっぱんに、キング・クリムゾンのアルバム『クリムゾン・キングの宮殿きゅうでん』(1969ねん)を、ムーディー・ブルース、プロコル・ハルム、ピンク・フロイド、ビートルズに代表だいひょうされる1960年代ねんだい後半こうはんのプログレッシブ・ロックの論理ろんりてき拡張かくちょう発展はってんであるとかんがえていた[9]。マカンによると、このアルバムは、初期しょきの「プロト・プログレッシブ・バンドを……独特どくとくですぐに認識にんしきできるスタイルにするもの」として音楽おんがく結晶けっしょうするため、プログレッシブ・ロックにもっと影響えいきょうあたえる可能かのうせいがあるとしている[10]かれは、1970年代ねんだいの「クラシック」プログと、1960年代ねんだい後半こうはんのプロト・プログを、プロト・プログレッシブ・バンドがつづサイケデリック・ロック要素ようそ意識いしきてき拒否きょひしているかどうかで区別くべつしている[1]

代表だいひょうてきなアーティスト[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注記ちゅうき

  1. ^ From about 1967, "pop music" was increasingly used in opposition to the term "rock music", a division that gave generic significance to both terms.[7]

出典しゅってん

  1. ^ a b Macan 2005, p. xxiii.
  2. ^ a b c d e Holm-Hudson 2013, p. 84.
  3. ^ a b c Hegarty & Halliwell 2011, p. 11.
  4. ^ a b Moore 2004, p. 22.
  5. ^ a b c d e f g Greene 2016, p. 182.
  6. ^ Cotner 2000, p. 90.
  7. ^ Gloag, Kenneth (2006). Latham, Alison. ed. The Oxford Companion to Music. Oxford: Oxford University Press. ISBN 0-19-866212-2. https://archive.org/details/isbn_9780198662129 
  8. ^ Haworth & Smith 1975, p. 126.
  9. ^ a b c d Macan 2005, p. 75.
  10. ^ Macan 1997, p. 23.
  11. ^ McCormick, Neil (2016ねん3がつ12にち). “Keith Emerson, the father of progressive rock, was the Jimi Hendrix of keyboards”. The Telegraph. https://www.telegraph.co.uk/music/artists/keith-emerson-the-father-of-progressive-rock-was-the-jimi-hendri/ 

書誌しょし

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]