(Translated by https://www.hiragana.jp/)
エマニエル夫人 - Wikipedia コンテンツにスキップ

エマニエル夫人ふじん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
エマニエル夫人ふじん
Emmanuelle
監督かんとく ジュスト・ジャカン
脚本きゃくほん ジャン=ルイ・リシャール
原作げんさく エマニュエル・アルサン
エマニュエル夫人ふじん
製作せいさく イヴ・ルッセ=ルアールフランス語ふらんすごばん
出演しゅつえんしゃ シルヴィア・クリステル
アラン・キューニーフランス語ふらんすごばん
ダニエル・サーキーフランス語ふらんすごばん
音楽おんがく ピエール・バシュレ
撮影さつえい リシャール・スズキ
編集へんしゅう クロディーヌ・ブーシェ英語えいごばん
製作せいさく会社かいしゃ トリナクラ・フィルム
オルフェ・プロダクションズ
配給はいきゅう フランスの旗 パラフランス・ピクチャーズフランス語ふらんすごばん
日本の旗 日本ヘラルド映画にっぽんへらるどえいが
日本の旗 ファインフィルムズ(4Kレストアばん
公開こうかい フランスの旗 1974ねん6月26にち
日本の旗 1974ねん12月21にち
日本の旗 2023ねん12月29にち(4Kレストアばん
上映じょうえい時間じかん 91ふん
製作せいさくこく フランスの旗 フランス
言語げんご フランス語ふらんすご
配給はいきゅう収入しゅうにゅう 日本の旗 15おく6000まんえん[1]
つぎさく ぞくエマニエル夫人ふじん
テンプレートを表示ひょうじ

エマニエル夫人ふじん』(エマニエルふじん、Emmanuelle)は、1974ねんフランス映画えいがである。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

エマニュエル・アルサン小説しょうせつエマニュエル夫人ふじん英語えいごばん』の映画えいがタイバンコク舞台ぶたい当地とうち赴任ふにんした外交がいこうかんが、若妻わかづま性的せいてき欲望よくぼう奉仕ほうしさせるためにみずからのこのみに飼育しいく[2]、その若妻わかづまうつくしく開花かいかしていくさまをえが[2][3][4][5]当時とうじピンク映画えいがポルノ映画えいがとはことなり、フランス映画えいが独特どくとく演劇えんげきてき演出えんしゅつ甘美かんびでソフトタッチな映像えいぞう作品さくひん全体ぜんたいただようアンニュイな雰囲気ふんいき絶妙ぜつみょうにマッチしてわか女性じょせいかん客層きゃくそう魅了みりょうだいヒットをおさめた[2][4][6][7][8]女性じょせいせい今日きょうほど開放かいほうされていなかった70年代ねんだいいて「ソフトポルノ」としょうされた「一般いっぱん映画えいが公開こうかい作品さくひんとしては衝撃しょうげきてき内容ないよう[2][3]日本にっぽん女性じょせいせい開放かいほう一役ひとやくった[9][10][11][12]映画えいが成功せいこうは、シルビア・クリステル身長しんちょう174cmのきとおるようなしろはだうつくしいはだか[13][14]まれそうなモスグリーンのひとみなど[14]、シルビアの魅力みりょくによるところがおおきく[14]、シルビア・クリステルはこの作品さくひん世界せかいてき名声めいせい獲得かくとくする[15][16]

監督かんとく元々もともとファッションフォトグラファーだったジュスト・ジャカンつと[3]当時とうじファッションモデルオランダ映画えいが女優じょゆうとして活動かつどうしており[14]女優じょゆうとしてはまった無名むめいだったシルビア・クリステルをヒロインやく抜擢ばってきする[14][17]大々的だいだいてきはつ女性じょせいソフトコアポルノとして宣伝せんでんされ[3][18]とく日本にっぽん女性じょせい中心ちゅうしんだいヒットした[17][19]

以後いごシリーズされ[5]後年こうねんになってからリメイクもされている[20]

なお一般いっぱんてきほん作品さくひんがエマニュエル・アルサンのエマニュエル・シリーズはつ映像えいぞうおもわれているが、実際じっさいほん作品さくひん発表はっぴょうから5ねんまえ1969ねんイタリア製作せいさくされた『アマン・フォー・エマニュエル』(A Man for Emmanuelle日本にっぽん公開こうかい)が最初さいしょである[20]。こちらはエマニエルをエリカ・ブランえんじた。

ストーリー

[編集へんしゅう]

バンコク外交がいこうかんつまであるエマニエルは、それなりに幸福こうふくではあるが平穏へいおんすぎる日常にちじょう何処どこ退屈たいくつさをかんじていた。そんなある、エマニエルは知人ちじん紹介しょうかいで「せい儀式ぎしき」をれることになる。はじめのうちは大人おとなしかった彼女かのじょだが、次第しだいうちめた欲望よくぼう開花かいかさせ、せい解放かいほうとその真理しんり追求ついきゅうするため大胆だいたん女性じょせいへと変貌へんぼうしていく…[5]

スタッフ

[編集へんしゅう]

キャスト

[編集へんしゅう]
役名やくめい 俳優はいゆう 日本語にほんご吹替
テレビ朝日てれびあさひはん テレビ東京てれびとうきょうはん
エマニエル英語えいごばん シルビア・クリステル 山口やまぐちいづみ 岡本おかもと麻弥まや
マリオ アラン・キューニーフランス語ふらんすごばん 横森よこもりひさ 佐々木ささき勝彦かつひこ
ジャン ダニエル・サーキーフランス語ふらんすごばん 羽佐間はざま道夫みちお 小川おがわ真司しんじ
マリアンジュ クリスティーヌ・ボワッソン 藤田ふじた淑子としこ 伊藤いとう美紀みき
ビー マリカ・グリーン 平井ひらい道子みちこ 一柳いちりゅうみる
アリアーヌ ジャンヌ・コレティンフランス語ふらんすごばん おおとり八千代やちよ 弥永やなが和子かずこ
イヴ イヴ・ルセット=ルアールフランス語ふらんすごばん 石丸いしまる博也ひろや 小形おがたみつる
不明ふめい
その
小谷野こやの美智子みちこ
吉田よしだ理保子りほこ
弥永やなが和子かずこ
宮田みやたひかり
此島愛子あいこ
寺島てらしま幹夫みきお
星野ほしのたかしあきら
叶木かのうぎ翔子しょうこ
西にし宏子ひろこ
佐藤さとうしのぶ
松岡まつおかミユキ
いたる久子ひさこ
つじおやはち
荒川あらかわ太郎たろう
演出えんしゅつ 山田やまだ悦司えつし 高橋たかはしつよし
翻訳ほんやく 進藤しんどうひかりふとし じょ世子せいし
調整ちょうせい 山田やまだ太平たへい 阿部あべ佳代子かよこ
効果こうか リレーション
制作せいさく ザック・プロモーション 東北新社とうほくしんしゃ
解説かいせつ 淀川よどがわ長治ながはる 木村きむら奈保子なほこ
初回しょかい放送ほうそう 1977ねん5月15にち
日曜にちよう洋画ようが劇場げきじょう
 1996ねん1がつ25にち
木曜もくよう洋画ようが劇場げきじょう
正味しょうみやく84ふん

テレビ朝日てれびあさひばんが2015ねん12月18にち発売はつばいの『ユニバーサル おも復刻ふっこくばん ブルーレイ』に収録しゅうろく

テレビ東京てれびとうきょうばんはU-NEXT、スターチャンネルEXで配信はいしん

製作せいさく

[編集へんしゅう]

ジュスト・ジャカン監督かんとくは、続編ぞくへん(『ぞくエマニエル夫人ふじん』)の監督かんとく要請ようせいって[21]つぎさくOじょう物語ものがたり撮影さつえいちゅうの1975ねんはるに、日本にっぽんマスメディアインタビューこたえ(原文げんぶんママ)、「ぼく監督かんとくけんカメラマンとして、自分じぶんのスタジオもあるし、映画えいが撮影さつえい機材きざい全部ぜんぶっていたんです。それで『エマニエル夫人ふじん』のプロデューサーに監督かんとくたのまれたんです。『エマニエル夫人ふじん』は最初さいしょ作品さくひんでしたから、20まんドルの予算よさんはじめたんです。いざはじめてみると、航空こうくう会社かいしゃスポンサータイアップしてくれないし、一番いちばんこまったのは、有名ゆうめい俳優はいゆうだれ出演しゅつえんしてくれなかったこと。仕方しかたなく新人しんじんのシルビア・クリステルを使つかったわけですが、それがおもいもかけずに成功せいこうしたような結果けっかになりました。『エマニエル夫人ふじん』は、大変たいへんリアルにそして、美的びてきったつもりです。世間せけんでは『エマニエル夫人ふじん』の続編ぞくへんをなぜことわったかとよくかれますが、ストーリーがにいらなかったからです。ぼくはエロ映画えいが専門せんもんじゃありませんからね。『エマニエル夫人ふじん以後いご日本にっぽんはじめ、アメリカイタリアなどから演出えんしゅつ依頼いらいがありました。このなかから、それも出来できれば日本にっぽん演出えんしゅつしたいとおもっています」などとはなした[21]。また「『Oじょう物語ものがたり』の予算よさんは200まんドルで、『エマニエル夫人ふじん』の4ばい」とはなしていることから[21]、『エマニエル夫人ふじん』の製作せいさく最終さいしゅうてきに50まんドルとられ、べつ文献ぶんけんに『Oじょう物語ものがたり』は製作せいさく6おくえんかれたものがあることから[22]、『エマニエル夫人ふじん』の製作せいさくは1おく5,000まんえん前後ぜんこうられる。

オランダユトレヒト出身しゅっしんのシルビア・クリステルは、アムステルダムて、ウェイトレスファッションモデル秘書ひしょなど20種類しゅるいちか職業しょくぎょう転々てんてん[14]。どうしても映画えいが女優じょゆうになりたくて、方々かたがたみをかけ[14]、オランダのショウビジネスかい影響えいきょうりょくつピム・デ・パラの紹介しょうかいで、1973ねんに3ほんオランダ映画えいが出演しゅつえんし、女優じょゆうみちあるはじめた[14]。フランスのコマーシャル・フィルムのスタッフがアムステルダムにやってたとき、スチール担当たんとうしていたジュスト・ジャカンと出会であい、ほんさく出演しゅつえんつながった[14]

公開こうかい方法ほうほう

[編集へんしゅう]

全編ぜんぺんセックスレズオナニーシーンのオンパレードで[23]、ポルノ指定していけなかったのが不思議ふしぎ映画えいがである[23]結局けっきょくすう10ヵ所かしょ削除さくじょ修正しゅうせいのうえ、一般いっぱん映画えいがとして封切ふうきりされることがまったが[2][8]公開こうかいまえより、女性じょせいそうとく女子じょし高校生こうこうせいそう関心かんしんたかかったため、青少年せいしょうねん保護ほご立場たちばから一般いっぱん映画えいがとして公開こうかいすることが問題もんだいされた[2]地方自治体ちほうじちたいから「有害ゆうがい指定していにすべき」と批判ひはんせられたり[2]東京とうきょう大阪おおさかなどでは一般いっぱん映画えいがにしたが[24]福岡ふくおか山口やまぐち静岡しずおか新潟にいがたなど[24]都道府県とどうふけんによっては、かく都道府県とどうふけん青少年せいしょうねん条例じょうれいで、有害ゆうがい興行こうぎょう指定してい[24]、18さい以下いか不可ふかとするような、勝手かって条件じょうけん上映じょうえいうながすようなうごきがあらわ[24]、"映倫えいりん不在ふざい"の事態じたいしょうじた[2][24]。このため、1974ねん3がつ19にち映倫えいりん維持いじ委員いいんかい総会そうかいにおいて岡田おかだしげる委員いいんちょうより会員かいいん全員ぜんいんたいし、映倫えいりん審査しんさ厳守げんしゅ無断むだん改訂かいてい禁止きんしさい確認かくにんされた[2]。この決定けっていにより、映倫えいりん審査しんさ終了しゅうりょう上映じょうえいプリントとう一部いちぶ改変かいへん削除さくじょ増補ぞうほさい編集へんしゅうとう)はできなくなった[2]映画えいが表現ひょうげん方法ほうほう時代じだいとも変容へんようし、その時々ときどき社会しゃかい風潮ふうちょう反映はんえいする題材だいざい描写びょうしゃ多様たようするため、従来じゅうらいのように「一般いっぱん映画えいが」と「成人せいじん映画えいが」の種類しゅるいのみに映画えいが分類ぶんるい区別くべつすることに無理むりしょうじてきた[2]続編ぞくへんぞくエマニエル夫人ふじん』でもおな問題もんだいしょうじたため、映倫えいりんは「一般いっぱん映画えいが」と「成人せいじん映画えいが」のなかあいだ段階だんかい位置いちするあたらしいランク、一般いっぱん映画えいが制限せいげんき(R)新設しんせつ決定けっていした[7][25]。R指定してい適用てきようだいいちさくは、1976ねんから十郎じゅうろう監督かんとくの『任侠にんきょう外伝がいでん 玄海げんかいなだ』(からプロ制作せいさくATG配給はいきゅう)である[25]以降いこう、R指定してい適用てきよう基準きじゅんは、粗暴そぼうせい残虐ざんぎゃくせい教育きょういくじょうこのましくないなどだが[24]、ほとんどはせい描写びょうしゃ[24]。このためなるべく広範囲こうはんいきゃく相手あいてにしたい映画えいが会社かいしゃは、なんとか一般いっぱん映画えいがになるようこれにかりそうな映画えいがは、問題もんだいシーンをどんどんカットするようになった[24]

作品さくひん評価ひょうか

[編集へんしゅう]

ほんさくは"ソフト・ポルノ"として宣伝せんでんされたと紹介しょうかいされることがおおいが[3][20][26][27]、"ソフト・ポルノ""ソフトコアポルノ""ソフトコア"といったフレーズ公開こうかい当時とうじのその文献ぶんけんにもつからず、1975ねん映画えいがかい総括そうかつした『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1976ねん2がつ下旬げじゅんごうでも『エマニエル夫人ふじん』を"ファッショナブルなポルノ映画えいが"と紹介しょうかいしており、"ソフト・ポルノ"というフレーズを使つかっていない[28]。"ソフト・ポルノ"というフレーズがいつから使つかわれるようになったのかはからない。また"はつ女性じょせいきポルノ"とわれることもあるが、"女性じょせいきポルノとしてはじめてヒットした映画えいが"といういいかたただしい。"はつ女性じょせいきポルノ"として宣伝せんでんされた映画えいがは、1971ねん2がつ6にちから2がつ19にちまでの週間しゅうかんまるうち松竹しょうちく東急とうきゅうレックス日活にっかつオスカーのさんかん上映じょうえいされた『はつ体験たいけん』(『L'Initiationフランス語ふらんすごばん』、東京とうきょうだいいちフィルム配給はいきゅう)である[29]どうさくあまシャンソンながれ、ファッショナブルな内容ないようで、東京とうきょうだいいちフィルム宣伝せんでんが「女性じょせいポルノ映画えいが」としてったが先取さきどりしすぎでだいコケしていた[29]

また、当時とうじポルノ映画えいがは、どの生産せいさんこく男性だんせい専用せんようだったとられ[29]当然とうぜん日本にっぽんおなじで、ピンク映画えいが、ポルノ映画えいが日本にっぽんでも人気にんきはくしていたが、日本にっぽん興行こうぎょうしゃ女性じょせいけのポルノなどだれかんがえてはいなかった[30]邦画ほうが東映とうえいポルノ製作せいさく配給はいきゅう洋画ようが東映とうえい洋画ようが)でようピンを配給はいきゅうしていた岡田おかだしげる東映とうえい社長しゃちょう[31]ほんさくひょうして「あれは女性じょせいるポルノといえます。いままでああいった映画えいが男性だんせい対象たいしょうつくっていた」[30]だいヒットした理由りゆうについて「まずヘラルド映画えいが宣伝せんでん勝利しょうりうつくしい映像えいぞううつくしく華麗かれいなエマニエル夫人ふじん徹底的てっていてき象徴しょうちょうとしてテレビCMとしてったことだ。セリング・ポイントを的確てきかくつかんだ上手じょうずさだ」とめちぎった[23]岡田おかだは『エマニエル夫人ふじん』のだいヒットにおどろき、一時いちじ表面ひょうめんじょう撤退てったいしていた東映とうえいポルノの本格ほんかく再開さいかい指示しじ[30][32][33]、1975ねんからまた活発かっぱつにポルノをつくらせた[34][35][36][37][38]。また『ぞくエマニエル夫人ふじん』をけようとヘラルド、東和とうわ争奪そうだつせんえんじたがヘラルドにけた(契約けいやく推定すいてい100まんドル)[39]

ほんさく社会しゃかい現象げんしょうにもなり、おおくのエマニエル便乗びんじょう商売しょうばいんだ[20]便乗びんじょう映画えいがとしては、ほんさく以降いこう映画えいが題名だいめいに『〇〇夫人ふじん』とかんした映画えいがえた[8]。さっそくメジャー会社かいしゃでポルノを製作せいさくしていた東映とうえい日活にっかつで『東京とうきょうエマニエル夫人ふじん』という同名どうめいタイトルで映画えいが製作せいさくがバッティングし[35][40][41][42][43][44][45]日活にっかつロマンポルノがさき五月さつきみどり主演しゅえんで『東京とうきょうエマニエル夫人ふじん』を製作せいさくしようとしたが[35]五月ごがつ日活にっかつさそいをことわり、わりに田口たぐち久美くみ主演しゅえん加藤かとうあきら監督かんとくで『東京とうきょうエマニエル夫人ふじん』が日活にっかつ製作せいさくされた[8][41][46]どうさくはいおさむ1おく8000まんえんをあげ、ロマンポルノはじまって以来いらいだいヒットになり、続編ぞくへん東京とうきょうエマニエル夫人ふじん個人こじん教授きょうじゅ』(藤井ふじい克彦かつひこ監督かんとく)も製作せいさくされだい成功せいこうおさめた[34][35][40][41][47][46][48]東映とうえいはタイトルを『東京とうきょうディープスロート夫人ふじん』に変更へんこう[35]田口たぐち久美くみ主演しゅえんまねき、どうさく製作せいさく[8][35]。またがつみどり主演しゅえんで『五月ごがつみどりのかまきり夫人ふじん告白こくはく』を製作せいさくした[8][33][42][49][50]外国がいこくじん女優じょゆう招聘しょうへい実績じっせき東映とうえいは、海外かいがい市場いちばねら[51]シルビア・クリステルを日本にっぽんまねいて『現代げんだいポルノでん 先天せんてんせい淫婦いんぷ』とよくプロットつ『エマニエル夫人ふじん 京都きょうと休日きゅうじつ』なる、『ローマの休日きゅうじつ』の"エマニエル夫人ふじんばん"を企画きかく[32][34][51][52]。シルビアのCMをっていた商社しょうしゃつうじて、シルビアサイドに1にち出演しゅつえんりょう100まん~200まんえん以上いじょうで、撮影さつえい京都きょうといち週間しゅうかん程度ていどという具体ぐたいてき条件じょうけん正式せいしきした[32][52]合計ごうけい1400まんえんなら、東映とうえい独立どくりつ直前ちょくぜん高倉たかくらけん当時とうじ一本いっぽんギャラどう程度ていどだった[32]東映とうえいサイドは「そとタレかねさえめばかならる。げんいろよい反応はんのうがある。京都きょうと舞台ぶたいえらんだのも彼女かのじょくためだ」などと強気つよき姿勢しせいたが[32]、ヘラルド映画えいがが「営業えいぎょう妨害ぼうがいだ」とおこって頓挫とんざした[32]

興行こうぎょう成績せいせき

[編集へんしゅう]

本国ほんごくフランスではやく900まんにん動員どういん記録きろくし、1974ねん最大さいだいのヒットさくとなった。また世界せかい各国かっこく劇場げきじょうで5,000まんにん動員どういんがあったとされる。

日本にっぽんでの興行こうぎょうにあたり、インディペンデントけい配給はいきゅう会社かいしゃ日本にっぽんヘラルド以下いか、ヘラルド)のほんさく価格かかくは、100まんえんとも[53]、9000まんえんとも[47]音楽おんがく著作ちょさくけんなどもふくめたオール・ライツ[ちゅう 1]の2せんまんえん[54]すうせんまんえんとも[10]、フラットで3まんドル、TV東南とうなんアジア権利けんりふくめて7まんドル、宣伝せんでん、プリント経費けいひなど一切合切いっさいがっさいそう原価げんか1おくえんとも[55]、6まんドルともいわれる[56][ちゅう 2]やすえたのはだれもが三流さんりゅうポルノ映画えいがとしかおもっていなかったからとされる[54]

日本にっぽんでのはいおさむ15おく6000まんえん[1][56]、15.6おくえん[54][ちゅう 3]、17おくえんだいヒットを記録きろく[35]公開こうかいまえから話題わだいにはなっていたが、これほどのバカあたりになる予想よそうしたものはおらず、興行こうぎょう関係かんけいしゃおどろかせた[55]。1975ねん日本にっぽん映画えいが興行こうぎょう史上しじょうはじめて、邦画ほうが洋画ようがはいおさむ比率ひりつ逆転ぎゃくてんし、洋画ようが上位じょうい時代じだいはじまりのとしだが[57][58]、『タワーリング・インフェルノ』『だい地震じしん』などとともに洋画ようが逆転ぎゃくてんおおきく寄与きよした[57][58]

また、音楽おんがくめんでも商業しょうぎょうてき成功せいこうおさめ、日本にっぽんでのレコード売上うりあげは、シングル・LPなどをわせてぜん種類しゅるいで130まんまいたっした[59]

ヘラルドの宣伝せんでん部長ぶちょうはら正人まさと全社ぜんしゃ一致いっち団結だんけつして女性じょせいきゃく中心ちゅうしん作戦さくせんてた[54]。1974ねんなつ本国ほんごくフランスで公開こうかいされると『ラストタンゴ・イン・パリ』をしのだいヒットになったことから、ヘラルドから配給はいきゅうオファーをけた東宝とうほう映画えいが興行こうぎょうは、女性じょせいけのヒットさくおお東京とうきょう有楽町ゆうらくちょうみゆき正月しょうがつ映画えいがとしてのたんかん上映じょうえいめた[56]多彩たさい劇場げきじょうチェーンをそろえた東宝とうほう興行こうぎょうもう東宝とうほう洋画ようがけいたしかな目利めききがければ、たんなる洋画ようがポルノとしてあつかわれだいヒットもなかったといわれる[56]社会しゃかい現象げんしょうこすほどのヒットになったのは、イメージ戦略せんりゃく勝利しょうりであった[10]

地域ちいきはあるが全国ぜんこく平均へいきんやく75%が女性じょせいきゃくだった[23]男女だんじょカップルでははいりづらく、また女性じょせい一人ひとりはいりにくいことから、女性じょせいだけのグループで鑑賞かんしょうおお女性じょせいきゃくだい動員どういんにつながった[23]配給はいきゅうもとのヘラルドもこれほど女性じょせいきゃくめかけるとは予想よそうしていなかった[23]最初さいしょはみゆきのみのたんかん上映じょうえい[60]、みゆき定員ていいん810のミドルきゅうシアターであったが、1975ねん1がついちヵ月かげつきょうおさむ1おく5000まんえん記録きろくし、前年ぜんねんの7がつまるうちピカデリーが『エクソシスト』で樹立じゅりつした1おく4000まんえん月間げっかんしん記録きろくてた。ヘラルドはしゅうアベレージ1000まんえんで15しゅう、1おく5000まんえん目標もくひょうにしていた[55]古川ふるかわ勝巳かつみヘラルド社長しゃちょうは「8000まんえんでもそんはない」とかんがえていたといわれるが[56]、みゆきいちかんだけでは殺到さっとうするおきゃくをさばきれず、急遽きゅうきょシネ・ブラボー!』をり、正月しょうがつ2にちからシネマ2けてかん上映じょうえい変更へんこうした[55]最終さいしゅうてきにみゆきだけで60にち以上いじょうロングランおこなわれ、37まんにん以上いじょう動員どういんし、きょうおさむやく4おくえんやく30まんにん女性じょせいきゃくめかけたといわれる[23]。みゆきではやく80%が女性じょせいきゃくだった[23]だいヒットで新宿しんじゅくでも上映じょうえい[60]ブームいちねんつづいた[58]。フランスでも11年間ねんかん上映じょうえいつづいたとされる[7]

ヘラルドはだいヒットの要因よういんを「女性じょせいきの、うつくしいポルノチックな文芸ぶんげい作品さくひんで、徹底的てっていてきうつくしく、きれいにんだこと、そしてになったのは、シルビア・クリステルのうつくしく透明とうめいかんのあるヌード写真しゃしん使用しようしたポスター成人せいじん映画えいがとせずに一般いっぱん映画えいがとしたこと」と分析ぶんせきした[55]。ヘラルドはまた、おおくの女性じょせいきゃくめたのは、映画えいが評論ひょうろん新聞しんぶん雑誌ざっし記者きしゃとうマスメディアさかんにげてくれたおかげと、マスメディアに敬意けいいしめし、新橋しんばしえきまえにあった日本にっぽんヘラルドの試写ししゃしつ豪華ごうか椅子いす交換こうかんした[17][56]。ポスターや新聞しんぶん広告こうこく使つかわれた有名ゆうめいとう椅子いすすわり、むねをはだけあしんで物思ものおもいにふけるエマニエル夫人ふじん写真しゃしん[8][20][61]映画えいがスチールではなく[8]、シルビア・クリステルの専属せんぞくカメラマンが『ルイ』のためにとくうつしたもので[55]版権はんけん日本にっぽん代理だいりてんインペリアルからヘラルドがって使用しようしたもの[55]使用しようりょうは100まんえんとするネット記事きじもあるが[54][61]当時とうじ文献ぶんけんには40まんえんかれている[55]松岡まつおかいさお東宝とうほうふく社長しゃちょうは「うちでもこんな作品さくひんつくりたいとおもっているが、スレスレのせんでよくみましたね。作品さくひんのカラーと劇場げきじょう(みゆき)がパッケージで合致がっちしました。ほかの劇場げきじょうではこうはいかなかったとおもいます」とはなした[55]

配給はいきゅうしたヘラルドの社員しゃいん全員ぜんいんには、給料きゅうりょういちねんぶん(20だい社員しゃいんでも300まんえん[47]、20ヶ月かげつぶん[54]といわれる伝説でんせつの"エマニエル・ボーナス"が[47][53]重役じゅうやくクラスなら東京とうきょう近郊きんこう土地とちえたとわれる[6]。またシルビア・クリステルのギャラはほんさくが3まんドル(やく200まんえん[47]、6まんフラン(やく400まんえん[62]だったが『ぞく・エマニエル夫人ふじん』は100まんドル(やく7000まんえん[47]、100まんフラン(やく6700まんえん[62]がり[47]世界せかいだいスターみのギャラになった[47]古川ふるかわ勝巳かつみヘラルド社長しゃちょう手元てもとには20おくえん現金げんきんのこり、『地獄じごく黙示録もくしろく』のけに使つかわれた[53][56]

川本かわもと三郎さぶろうは1976ねん菅原すがわら文太ぶんたとの対談たいだんで「最近さいきんわかおんなたちが『エマニエル夫人ふじん』を、堂々どうどう白昼はくちゅう日比谷ひびや映画えいがかんくってのは、映画えいががほとんどどくうしなった…そんなものポルノでもなんでもないですよね、そうなったらもう。昭和しょうわ40ねんごろでしたか、映画えいが一番いちばんダメだってわれたころに、映画えいがかんくということが『あらエッチね』っていうふうわれてた一番いちばんひど時代じだいほうがむしろかったんじゃないかってがします」などとろんじた[63]

エピソード

[編集へんしゅう]

シルビア・クリステルは、あじもとゼネラル・フーズ[ちゅう 4]CBSソニー[ちゅう 5]東宝とうほう東和とうわからなるさんしゃ招請しょうせいで、1977ねん1がつはつ来日らいにちした[64]直後ちょくごの1がつ31にちおこなわれた記者きしゃ会見かいけん単調たんちょう質疑しつぎ応答おうとう終始しゅうししたが、どう時期じきにフランスの雑誌ざっしパリ・マッチ』に掲載けいさいされたインタビュー記事きじでは「ホントは映画えいがなんて面白おもしろくない。不遇ふぐう時代じだいへのうらみから映画えいがているだけ。女優じょゆうなんて灰皿はいざらみのあつかいをされる職業しょくぎょう。『エマニエル夫人ふじん』の出演しゅつえんけたのはオランダの映画えいがかいからあしあらうためよ。作品さくひんそのものははじめて10ふんにはねむりこんでしまうほど退屈たいくつ映画えいがね。わたしわせればエロティシズムとは、眼差まなざしのなかにあるもの。だんじてひとのおしりにあるものではないわ。でもわたしは『エマニエル』にたことをじてはいない。おかげでいまわたしは、作品さくひんえらべる立場たちばになったんですもの」と忌憚きたんなくかたり、とみ名声めいせいのちにこそえるポルノ映画えいが批判ひはんおこなった[64]。なお、この来日らいにち出演しゅつえん予定よていだった『よるのヒットスタジオ』を急遽きゅうきょキャンセルしたため、司会しかい芳村よしむら真理まり激怒げきどしたという[64]

映像えいぞうソフト

[編集へんしゅう]

ビデオ先立さきだ1975ねん富士写真ふじしゃしんフイルム東映とうえい提携ていけい発売はつばいされた『富士ふじフイルム・東映とうえい8mm映画えいが劇場げきじょう[65]の1さくとしてほんさくのハイライトが日本にっぽん8ミリフイルムされ、当時とうじ日本にっぽんにおける8ミリ映画えいがとしては異例いれいの2まん5000ほんげた[66]。8ミリフイルムが東映とうえいから発売はつばいされたのは、当時とうじ東映とうえい社長しゃちょう岡田おかだしげるがビデオがなかなか家庭かてい普及ふきゅうしない現状げんじょうしびれをらし、8ミリフイルムでのホームシアター推進すいしんしていたため(東映とうえいビデオ#1970年代ねんだい)。

ビデオDVDなん発売はつばいされている[11][16]Blu-ray Discは、NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンから2014ねん12月3にち発売はつばい価格かかく2376えん税込ぜいこみ[19]。2015ねん12月18にちには「エマニエル夫人ふじん ユニバーサルおも復刻ふっこくばん」(NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン、価格かかく4200えんぜい)というタイトルで、はじめてテレビはつ放映ほうえい日本語にほんごつとめた山口やまぐちいづみばんがBlu-rayで発売はつばいされている[11][67]

テレビ放映ほうえい

[編集へんしゅう]

地上波ちじょうはキーきょくでは2015ねんまでに3放送ほうそうされている[11]日本にっぽんでのテレビはつ放映ほうえいは『日曜にちよう洋画ようが劇場げきじょう』(テレビ朝日てれびあさひ)で1977ねん5がつ15にち[11][68]当時とうじタレント女優じょゆう映画えいがえをするのがまだめずらしい時代じだいだったが[69][70]、エマニエル夫人ふじんこと、シルビア・クリステルのえをだれがやるのか注目ちゅうもくあつめた[68]最初さいしょ松坂まつさか慶子けいこ打診だしんしたが[68]松坂まつさか外国がいこくでオリジナルばんており「わたしのイメージがこわれる」とことわられ[68]つづいて小川おがわ知子ともこたのんだが、小川おがわからも「新曲しんきょく発表はっぴょうとカチうから」とことわられた[68]つぎ鰐淵わにぶち晴子はるこ加賀かがまりこ浅丘あさおかルリ子るりこ次々つぎつぎことわられ、ようやく山口やまぐちいづみ勇敢ゆうかんにもけてくれた[11][67][68]録音ろくおん現場げんばったら、山口やまぐち以外いがい全員ぜんいんベテランの声優せいゆうで、失敗しっぱいかさややかなられ、山口やまぐちだけあとなおしたという[69]山口やまぐち清純せいじゅんなイメージがあったため、げきちゅうあえこえとうはカットされた[68][69]視聴しちょうりつ30.8%を記録きろくし、どう番組ばんぐみ歴代れきだい2となった[11][69](1は『スーパーマン』で32.1%[71])。2かいは『木曜もくよう洋画ようが劇場げきじょう』(テレビ東京てれびとうきょう)で1979ねん1がつ25にち視聴しちょうりつは22.5%を記録きろくしている[11]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ げにおうじた追加ついか支払しはらいがかたち[54]
  2. ^ 当時とうじ物価ぶっか大卒だいそつ初任しょにんきゅうが8まんえん、2019ねんで20まんえん[54]
  3. ^ 現在げんざいでは映画えいがげは興行こうぎょう収入しゅうにゅう映画えいがかん売上うりあげ合計ごうけい)を基準きじゅんとしているが、当時とうじ興行こうぎょう収入しゅうにゅうから映画えいがかんげをいた配給はいきゅう会社かいしゃ収入しゅうにゅうであるはいおさむ指針ししんとしていた[54]
  4. ^ 当時とうじ、AGFしゃせいインスタントコーヒーのCMに出演しゅつえんしていた。
  5. ^ AGFのCMソングをプロデュースし、クリステルみずからがうたう「ジュリアンの誘惑ゆうわく」というシングルレコードがリリースされている。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b キネマ旬報きねまじゅんぽうベスト・テン85かいぜん 1924-2011』(キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、2012ねん)332ぺーじ
  2. ^ a b c d e f g h i j k 映倫えいりん50ねんあゆみ 2006, pp. 138–140.
  3. ^ a b c d e “ジュスト・ジャカン死去しきょ 「エマニエル夫人ふじん監督かんとく. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん (日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ). (2022ねん9がつ8にち). オリジナルの2022ねん9がつ8にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220908030104/https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE0811X0Y2A900C2000000/ 2022ねん12月1にち閲覧えつらん 
  4. ^ a b エマニエル夫人ふじん[R15+指定してい相当そうとうばんエマニエル夫人ふじん R15+指定してい相当そうとうばんエマニエル夫人ふじん FOD フジテレビ
  5. ^ a b c たまぶくろすじ太郎たろうがイッキかんレポート!『エマニエル夫人ふじん』がっぷりよっつ!! クリステルなら滝川たきかわよりもシルヴィアを断然だんぜん支持しじ!!
  6. ^ a b 東京国際映画祭とうきょうこくさいえいがさい古川ふるかわ勝巳かつみ 年譜ねんぷ映画えいが人生じんせい50ねん 永遠えいえん青春せいしゅん) - ヘラルド OBかい
  7. ^ a b c 竹野たけのさとしたか (2012ねん12月25にち). “せい表現ひょうげんおおきな変化へんかをもたらした70年代ねんだい、そしてこん シルヴィア・クリステル、若松わかまつ孝二こうじ2人ふたり映画えいがじんおもうこと”. 日本にっぽんビジネスプレス. 2020ねん7がつ20日はつか時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん7がつ20日はつか閲覧えつらん
  8. ^ a b c d e f g h みうらじゅん. “みうらじゅんの「グレイト余生よせい映画えいがショーin日活にっかつロマンポルノ」 2012ねん1がつ放送ほうそうだい5かいのテーマは「夫人ふじん”. キネマ旬報きねまじゅんぽうWEB. キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ. 2021ねん1がつ8にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん10がつ17にち閲覧えつらんいまでもげない『はん思惟しいせつ エマニエル夫人ふじん弥勒菩薩みろくぼさつではないか1/2ページ【みうらじゅんの収集しゅうしゅうへき発表はっぴょうへき】 エマニエル椅子いす すわれば弥勒菩薩みろくぼさつ気分きぶん!?
  9. ^ けるオッパイのうつくしさ! エロカワイイ『エマニエル夫人ふじん』の魅力みりょく【MOVIEブログ】女性じょせいのための官能かんのう映画えいが:『エマニエル夫人ふじんさんさく 女性じょせいみなさん、シルヴィア・クリステルを追悼ついとうしましょう。
  10. ^ a b c 『エマニエル夫人ふじん意外いがい功績こうせき”. ひがしスポWeb. 東京とうきょうスポーツ新聞しんぶんしゃ (2012ねん10がつ22にち). 2020ねん7がつ18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん7がつ18にち閲覧えつらん
  11. ^ a b c d e f g h 「エマニエル夫人ふじん」 山口やまぐちいづみのこえでよみがえるアノ場面ばめん ふたたび“あつく”なれ! 「日曜にちよう洋画ようが劇場げきじょうばんブルーレイ12・18発売はつばい”. ZAKZAK. 夕刊ゆうかんフジ (2015ねん10がつ8にち). 2015ねん11月22にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん7がつ26にち閲覧えつらん
  12. ^ レア・セドゥが1970年代ねんだいだいヒットした『エマニエル夫人ふじん』のさい映画えいが主演しゅえん
  13. ^ 洋画ようがサロン 試写ししゃしつ」『スタア』1976ねん1がつごう平凡へいぼん出版しゅっぱん、124–125ぺーじ 
  14. ^ a b c d e f g h i 早川はやかわ龍男たつお洋画ようがサロン スタア ストーリー SYLVIA KRISTEL "わたしはポルノ女優じょゆうじゃない"」『スタア』1975ねん11、12月ごう平凡へいぼん出版しゅっぱん、119–121ぺーじ 
  15. ^ 女優じょゆう シルビア・クリステル~「エマニエル夫人ふじん」~ 写真しゃしん特集とくしゅう”. 時事じじドットコム. 時事通信社じじつうしんしゃ. 2014ねん1がつ21にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん7がつ26にち閲覧えつらん
  16. ^ a b DVD エマニエル夫人ふじん - 角川かどかわシネマコレクション
  17. ^ a b c 『エマニエル夫人ふじん』20さい純真じゅんしんなパリむすめ回想かいそうろく
  18. ^ エマニエル夫人ふじん 映画えいが作品さくひん情報じょうほう東映とうえいビデオ
  19. ^ a b エマニエル夫人ふじん 40周年しゅうねんアニバーサリー・エディション
  20. ^ a b c d e オッパイ丸出まるだしであしみ… 『エマニエル夫人ふじん数多すうたのスピンオフんだ「本家ほんけ」は元祖がんそ
  21. ^ a b c 山中やまなか啓子けいこ「パリ通信つうしん 『エマニエル夫人ふじん』の監督かんとくジュスト・ジャッカンにインタビュー ぼくはなぜ『Oじょう物語ものがたり』をになったか」『スタア』1976ねん2がつごう平凡へいぼん出版しゅっぱん、130–131ぺーじ 
  22. ^ 試写ししゃしつ 『Oじょう物語ものがたり』」『スタア』1976ねん4がつごう平凡へいぼん出版しゅっぱん、194–195ぺーじ 
  23. ^ a b c d e f g h 金井かない康夫やすお (1975ねん2がつ21にち). “デイリーアドバイザー 『エマニエル夫人ふじん』”. デイリースポーツ (デイリースポーツしゃ): p. 3 
  24. ^ a b c d e f g h 「〔インサイド 芸能げいのう高校生こうこうせいOK中学生ちゅうがくせいダメという映画えいが『ひとひらのゆき』」『週刊しゅうかんサンケイ』1985ねん10がつ24にちごう産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃ、34ぺーじ 
  25. ^ a b 映倫えいりん50ねんあゆみ 2006, pp. 140–146.
  26. ^ シルビア・クリステルとは - コトバンク”. 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ. 2020ねん7がつ18にち閲覧えつらん
  27. ^ 『エマニエル夫人ふじん
  28. ^ 黒井くろい和男かずお「1975年度ねんど日本にっぽん映画えいが外国がいこく映画えいが業界ぎょうかい総決算そうけっさん 経営けいえい/製作せいさく/配給はいきゅう/興行こうぎょうすべて」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1976ねん2がつ下旬げじゅんごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、118ぺーじ 
  29. ^ a b c “ポルノの先取さきどりで失敗しっぱい? ―はつ体験たいけん”. デイリースポーツ (デイリースポーツしゃ): p. 5. (1975ねん11月20にち) 
  30. ^ a b c “エコノミーいんたびゅー 東映とうえい社長しゃちょう 岡田おかだしげるおとこたたかえうつつらぬかせてもらいます』 ぐん企画きかく不景気ふけいき勝負しょうぶ”. デイリースポーツ (デイリースポーツしゃ): p. 5. (1975ねん1がつ31にち) 
  31. ^ 教科書きょうかしょ 2016, pp. 182–184.
  32. ^ a b c d e f 「ひと・・ひと・みみ・ひと・くち・ひと 舶来はくらいのピンク・ドジョウまで登場とうじょう 続報ぞくほう邦画ほうがよんしゃの"やなぎしも"合戦かっせん」『週刊しゅうかん朝日あさひ』1975ねん8がつ8にちごう朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、36ぺーじ 
  33. ^ a b 芸能げいのうファイル”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃ): p. 15. (1975ねん8がつ28にち) 
  34. ^ a b c 映画えいがかい東西とうざい南北なんぼく談議だんぎ 企画きかく製作せいさくにもっと自信じしんをもて 下半期しもはんき見通みとおしも苦難くなんみちか?」『映画えいが時報じほう』1975ねん8がつごう映画えいが時報じほうしゃ、34–35ぺーじ 
  35. ^ a b c d e f g 杉作すぎさくJ太郎たろううえあつし東映とうえいピンキー・バイオレンス浪漫ろうまんアルバム』徳間書店とくましょてん、1999ねん、252-255ぺーじISBN 978-4-19-861016-6 
  36. ^ 桑原くわばらいねさとしられた猥褻わいせつ 映倫えいりんカット読売新聞社よみうりしんぶんしゃ、1993ねん、223-226ぺーじISBN 4-643-93082-9 
  37. ^ 「〈LOOK〉 東映とうえい追及ついきゅうするあたらしい金脈きんみゃくとは」『週刊しゅうかん現代げんだい』1975ねん1がつ2にちごう講談社こうだんしゃ、35ぺーじ 
  38. ^ まぼろしのポルノ『ふかいノド』(なんと字幕じまくにオ〇〇コ)上陸じょうりくす」『週刊文春しゅうかんぶんしゅん』1975ねん4がつ23にちごう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、21ぺーじ 
  39. ^ “エマニエル夫人ふじん2の配給はいきゅうけんはヘラルドしゃに”. デイリースポーツ (デイリースポーツしゃ): p. 8. (1975ねん4がつ3にち) 
  40. ^ a b 日活にっかつ江守えもり取締役とりしまりやく強気つよき発言はつげん 年内ねんない綿密めんみつ番組ばんぐみ一挙いっきょ発表はっぴょう”. 週刊しゅうかん映画えいがニュース (全国ぜんこく映画えいがかん新聞しんぶんしゃ): p. 4. (1975ねん7がつ26にち) 
  41. ^ a b c (ゆう)アルチンボルド代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょう 成田なりたなお哉「アルバムはかたる ロマンポルノ時代じだい日活にっかつ企画きかく面々めんめん」『AVジャーナル』2005ねん3がつごう文化ぶんか通信つうしんしゃ、95ぺーじ 
  42. ^ a b 藤木ふじきTDC日本にっぽん最高さいこうじゅくおんな観音かんのん それががつみどり その魔性ましょうのフェロモンせいかた」『実話じつわうら歴史れきしスペシャルvol.28』2015ねん7がつ1にち発行はっこうミリオン出版しゅっぱん、59-63ぺーじ 
  43. ^ なんひきおとこうか"がつかまきり"」『週刊しゅうかん読売よみうり』、読売新聞社よみうりしんぶんしゃ、1975ねん10がつ25にちごう、33ぺーじ 
  44. ^ 加東かとう康一やすいち再婚さいこん五月ごがつみどり35さい そのカマキリてきかた」『週刊しゅうかん読売よみうり』、読売新聞社よみうりしんぶんしゃ、1975ねん11月1にちごう、134-135ぺーじ 
  45. ^ 伊地いじさとしけい映画えいが荒野あらのはしれ プロデューサー始末しまつはん世紀せいき』インスクリプト、2015ねん、97-98ぺーじISBN 978-4-900997-56-1 
  46. ^ a b 黒井くろい和男かずお「1975年度ねんど日本にっぽん映画えいが外国がいこく映画えいが業界ぎょうかい総決算そうけっさん 経営けいえい/製作せいさく/配給はいきゅう/興行こうぎょうすべて」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1976ねん2がつ下旬げじゅんごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、114、116ぺーじ 
  47. ^ a b c d e f g h ぞくエマニエル…好色こうしょくいちだいおんな東京とうきょうふんどし芸者げいしゃ… ポルノ台風たいふうあき ただいま接近せっきんちゅう くぼえん女史じょしも"はつき"”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃ): p. 11. (1975ねん8がつ23にち) 
  48. ^ 記録きろく製作せいさく 配給はいきゅうかい(邦画ほうが) 日活にっかつ」『映画えいが年鑑ねんかん 1976年版ねんばん(映画えいが産業さんぎょう団体だんたい連合れんごうかい協賛きょうさん)』1975ねん12月1にち発行はっこう時事じじ映画えいが通信つうしんしゃ、100ぺーじ 
  49. ^ 東映とうえい半期はんき45おくえん目標もくひょうだい進撃しんげき 岡田おかだ社長しゃちょう陣頭じんとう指揮しき企画きかく作品さくひん発表はっぴょう」『映画えいが時報じほう』1975ねん8がつごう映画えいが時報じほうしゃ、19ぺーじ 
  50. ^ 岡田おかだ社長しゃちょう陣頭じんとう指揮しきあき東映とうえいだい攻勢こうせい」『月刊げっかんビデオ&ミュージック』1975ねん9がつごう東京とうきょううつおと、44ぺーじ 
  51. ^ a b 東映とうえい合作がっさく映画えいがふくむラインアップ」『月刊げっかんビデオ&ミュージック』1975ねん8がつごう東京とうきょううつおと、43ぺーじ 
  52. ^ a b 「〈LOOK〉 あのシルビアが東映とうえいポルノにる」『週刊しゅうかん現代げんだい』1975ねん8がつ14にちごう講談社こうだんしゃ、31ぺーじ 
  53. ^ a b c 斉藤さいとう守彦もりひこ (2016ねん7がつ18にち). “「ハリウッドがひれした銀行ぎんこうマン」を、まさしく理解りかいするために。”. Cinemas PLUS (株式会社かぶしきがいしゃクラップス). オリジナルの2020ねん7がつ20日はつか時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20191206054342/https://cinema.ne.jp/recommend/hollywoodbanker2016071810/ 2018ねん9がつ27にち閲覧えつらん 
  54. ^ a b c d e f g h i 『エマニエル夫人ふじん女性じょせいターゲット戦略せんりゃくだい成功せいこう社員しゃいんボーナス20ヶ月かげつ伝説でんせつはら正人まさと伝説でんせつ 1/12】
  55. ^ a b c d e f g h i 女性じょせい上位じょういはいおさむしん記録きろく『エマニエル…』8おく個人こじん生活せいかつ』5おく」『月刊げっかんビデオ&ミュージック』1975ねん2がつごう東京とうきょううつおと、26–27ぺーじ 
  56. ^ a b c d e f g 教科書きょうかしょ 2016, pp. 213–215.
  57. ^ a b 日本にっぽんシナリオ作家さっか協会きょうかい へん作品さくひん解説かいせつ 〈1975ねん概観がいかんぶん鬼頭おにがしら麟平」『年鑑ねんかん代表だいひょうシナリオしゅう '75』ダヴィッドしゃ、1975ねん、351ぺーじ 
  58. ^ a b c 黒井くろい和男かずお「1975年度ねんど日本にっぽん映画えいが外国がいこく映画えいが業界ぎょうかい総決算そうけっさん 経営けいえい/製作せいさく/配給はいきゅう/興行こうぎょうすべて」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』1976ねん2がつ下旬げじゅんごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、111、118ぺーじ 
  59. ^ 「レコードでむ『ぞくエマニエル夫人ふじん』」『サンデさんで毎日まいにち』1975ねん12月7にちごう、34ぺーじ
  60. ^ a b 大森おおもりさわこ:ミニシアター再訪さいほうだい15かい芸術げいじゅつ新聞しんぶんしゃ
  61. ^ a b あなたは『エマニエル夫人ふじん』をたか:日経にっけいビジネス電子でんしばん
  62. ^ a b 洋画ようがサロン 試写ししゃしつ」『スタア』1976ねん1がつごう平凡へいぼん出版しゅっぱん、124–125ぺーじ 
  63. ^ そう特集とくしゅう菅原すがわら文太ぶんた-反骨はんこつ肖像しょうぞう- /【討議とうぎ】ヒーローの虚像きょぞう実像じつぞう(1976ねん菅原すがわら文太ぶんた川本かわもと三郎さぶろう」『現代げんだい思想しそう』2015ねん4がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう青土おうづちしゃ、49ぺーじISBN 978-4-7917-1298-4 
  64. ^ a b c 「Bunshun Who's Who 芸能げいのう きけなかっためいセリフ 意外いがいにおとなしかったS・クリステル」『週刊しゅうかん新潮しんちょう』1977ねん2がつ10にちごう新潮社しんちょうしゃ、18ぺーじ 
  65. ^ 富士ふじフイルムのあゆみ AV市場いちばへの進出しんしゅつ富士ふじフイルム公式こうしきサイト - 2019ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  66. ^ 検証けんしょう日本にっぽんビデオソフト 5しょう ハード機種きしゅ混迷こんめいなかで 7. 8ミリフィルムとその日本にっぽん映像えいぞうソフト協会きょうかい。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
  67. ^ a b 山口やまぐちいづみ、映像えいぞう絶賛ぜっさん!「エマニエル夫人ふじん」ブルーレイ18にち発売はつばいせい解放かいほうえがいた官能かんのう映画えいが名作めいさく『エマニエル夫人ふじん』が復刻ふっこく声優せいゆう魅力みりょくかた
  68. ^ a b c d e f g 「〈ワイドコラム・ルック・るっく ひと事件じけん TV〉 『エマニエル夫人ふじん』のテレビばんこえだいモメ 松坂まつさか慶子けいこらにフラれ山口やまぐちいづみに決定けってい」『週刊しゅうかん現代げんだい』1977ねん4がつ21にちごう講談社こうだんしゃ、38ぺーじ 
  69. ^ a b c d 天才てんさいテリー伊藤いとう対談たいだん山口やまぐちいづみ」(4)ステキなお年寄としより、いい目標もくひょうですね!
  70. ^ クロアチアで一番いちばん有名ゆうめい日本人にっぽんじん歌手かしゅ山口やまぐちいづみ。現地げんちではTVカメラが「バーッとならんだ」
  71. ^ ささきいさお:30ねんぶりに「スーパーマン」え 完全かんぜんばん放送ほうそうで「永久えいきゅう保存ほぞんします」(Internet Archive)

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]