座標 ざひょう : 北緯 ほくい 50度 ど 37分 ふん 44秒 びょう 西経 せいけい 97度 ど 2分 ふん 38秒 びょう / 北緯 ほくい 50.62889度 ど 西経 せいけい 97.04389度 ど / 50.62889; -97.04389
ギムリー・グライダー (Gimli Glider )もしくはエア・カナダ143便 びん 滑空 かっくう 事故 じこ (Air Canada Flight 143)は、1983年 ねん 7月 がつ 23日 にち にカナダで発生 はっせい した、民間 みんかん 航空 こうくう 史上 しじょう に残 のこ る有名 ゆうめい な航空 こうくう 事故 じこ 。前者 ぜんしゃ の名称 めいしょう は事故 じこ を起 お こした旅客機 りょかくき の通称 つうしょう としても用 もち いられる。
ギムリー・グライダーの名 な は、この事故 じこ で飛行 ひこう 中 ちゅう に燃料 ねんりょう 切 き れを起 お こし、旧 きゅう カナダ空軍 くうぐん ギムリー空軍 くうぐん 基地 きち へ滑空 かっくう 状態 じょうたい (グライダー )で着陸 ちゃくりく したことに由来 ゆらい する。
1985年 ねん に撮影 さつえい された事故 じこ 機 き
事故 じこ 後 ご 、前 ぜん 脚 あし が修理 しゅうり された後 のち の機体 きたい
1983年 ねん 7月 がつ 23日 にち 、エア・カナダ 143便 びん (ボーイング767 -200)はケベック州 しゅう モントリオール からアルバータ州 しゅう エドモントン への飛行 ひこう 中 ちゅう に高度 こうど 約 やく 1万 まん 2,000m(4万 まん 1,000フィート )で燃料 ねんりょう 切 き れを起 お こした。エンジン停止 ていし 後 ご はパイロットの操縦 そうじゅう により滑空 かっくう し、マニトバ州 しゅう ギムリーにあった旧 きゅう カナダ空軍 くうぐん ギムリー基地 きち の滑走 かっそう 路 ろ (現 げん :ギムリー・インダストリアルパーク空港 くうこう )へ着陸 ちゃくりく した[1] 。
燃料 ねんりょう 量 りょう を監視 かんし する機器 きき の故障 こしょう やヤード・ポンド法 ほう とメ め ートル法 とるほう の混用 こんよう によるヒューマンエラー が事故 じこ の主因 しゅいん とされた。死者 ししゃ はなし。
事故 じこ 当日 とうじつ のエア・カナダ143便 びん [ 編集 へんしゅう ]
モントリオール・ミラベル国際 こくさい 空港 くうこう
使用 しよう 機材 きざい :ボーイング767 -200(機体 きたい 番号 ばんごう :C-GAUN)
フライトプラン :モントリオール 発 はつ オタワ 経由 けいゆ エドモントン 行 い き
乗務 じょうむ 員 いん
コックピットクルー(2名 めい )※年齢 ねんれい は事故 じこ 当時 とうじ
客室 きゃくしつ 乗務 じょうむ 員 いん :6名 めい
乗客 じょうきゃく :61名 めい
給油 きゅうゆ 量 りょう の誤 あやま 計算 けいさん [ 編集 へんしゅう ]
ボーイング767 は通常 つうじょう 「燃料 ねんりょう 搭載 とうさい 量 りょう 情報 じょうほう システム (FQIS)」を使 つか って給油 きゅうゆ する。このシステムは、燃料 ねんりょう ポンプの操作 そうさ と燃料 ねんりょう 搭載 とうさい 量 りょう の状況 じょうきょう をパイロットに提示 ていじ するが、事故 じこ 当時 とうじ の143便 びん のFQISは動作 どうさ に異常 いじょう をきたしていた(後 のち に燃料 ねんりょう タンク内 ない の静 しずか 電 でん 容量 ようりょう ゲージのハンダ付 づ け不良 ふりょう によるものと判明 はんめい )。この代替 だいたい として、タンク内 ない の燃料 ねんりょう 量 りょう は燃料 ねんりょう 計測 けいそく 棒 ぼう (dripstick ) による直接 ちょくせつ 測定 そくてい を行 おこな わざるをえなかった。
事故 じこ の直接 ちょくせつ の原因 げんいん となる過失 かしつ はモントリオール からエドモントン へのフライトに必要 ひつよう な給油 きゅうゆ 量 りょう の計算 けいさん 時 じ に起 お こった。ちょうど当時 とうじ のエア・カナダではヤード・ポンド法 ほう からメ め ートル法 とるほう への移行 いこう (メ め ートル法 とるほう 化 か )の最中 さいちゅう であったこと、そして事故 じこ 機 き は同社 どうしゃ でシステムにメ め ートル法 とるほう を用 もち いる最初 さいしょ の機体 きたい であったことが背景 はいけい にある。必要 ひつよう な燃料 ねんりょう 量 りょう を2万 まん 2,300キログラム と算出 さんしゅつ するまでは正 ただ しかったが、モントリオールでの燃料 ねんりょう 残 ざん 量 りょう 7,682リットル を質量 しつりょう に換算 かんさん する際 さい に、リットルとキログラムによる比重 ひじゅう 0.803 (kg/L) ではなく、係員 かかりいん が誤 あやま って、扱 あつか い慣 な れたリットルとポンド による比重 ひじゅう 1.77 (lb/L) を使用 しよう してしまった。その結果 けっか 、給油 きゅうゆ 量 りょう は
(22,300 - 7,682 × 1.77 ) / 1.77 = 4,916 [L]
とされたが、本来 ほんらい は
(22,300 - 7,682 × 0.803 ) / 0.803 = 20,088 [L]
が必要 ひつよう な量 りょう であった[2] 。
FQISが故障 こしょう していたため、給油 きゅうゆ 後 ご に事故 じこ 機 き の航法 こうほう 装置 そうち には燃料 ねんりょう 搭載 とうさい 量 りょう として"22,300"が手動 しゅどう 入力 にゅうりょく された。装置 そうち のファームウェア は前述 ぜんじゅつ のようにメ め ートル法 とるほう に基 もと づく処理 しょり を行 おこな っていたため、燃料 ねんりょう 搭載 とうさい 量 りょう は22,300キログラムと解釈 かいしゃく されて目的 もくてき 地 ち まで十 じゅう 分 ふん に足 た る量 りょう との出力 しゅつりょく を返 かえ した。しかし、実際 じっさい には 10,116キログラム(12,598リットル)しか燃料 ねんりょう を搭載 とうさい しておらず、モントリオールからエドモントンへのフライトには到底 とうてい 足 た りなかった。
2名 めい のパイロットと給油 きゅうゆ 要員 よういん は装置 そうち の演算 えんざん 結果 けっか に疑問 ぎもん を抱 いだ き、3回 かい ほど再 さい 計算 けいさん を行 おこな ってはいた。しかし、同 おな じ計算 けいさん 結果 けっか であったのでピアソン機長 きちょう は応急 おうきゅう 的 てき にモントリオールからの出発 しゅっぱつ を指示 しじ し、それほど離 はな れていない経由 けいゆ 地 ち であるオタワ で燃料 ねんりょう の再 さい 計測 けいそく を行 おこな うこととした。しかし、燃料 ねんりょう 計測 けいそく 棒 ぼう を用 もち いた再 さい 測定 そくてい でも誤 あやま った換算 かんさん 係数 けいすう を用 もち いて燃料 ねんりょう 残 ざん 量 りょう を 20,400キログラムと見積 みつ もってしまい、燃料 ねんりょう の致命 ちめい 的 てき 不足 ふそく に気付 きづ くことなくオタワを発 た つこととなった。
燃料 ねんりょう 切 き れの発生 はっせい [ 編集 へんしゅう ]
オンタリオ州 しゅう レッドレーク 上空 じょうくう を飛行 ひこう 中 ちゅう 、操縦 そうじゅう 室 しつ の警報 けいほう 装置 そうち が4回 かい 警告 けいこく 音 おん を発 はっ し、左側 ひだりがわ エンジンの燃料 ねんりょう 圧力 あつりょく に問題 もんだい があることを示 しめ した。機長 きちょう は燃料 ねんりょう ポンプの故障 こしょう と考 かんが え、これをオフにした。燃料 ねんりょう タンクはエンジンよりも高 たか い所 ところ にあるため、ポンプを使 つか わないでも燃料 ねんりょう 供給 きょうきゅう は可能 かのう であった。コンピュータは依然 いぜん として燃料 ねんりょう は十分 じゅうぶん と表示 ひょうじ していたが、もちろんこれは誤 あやま った入力 にゅうりょく に基 もと づいた出力 しゅつりょく であった。まもなく2回 かい 目 め の燃料 ねんりょう 圧力 あつりょく 警告 けいこく が鳴 な ったため、機長 きちょう はウィニペグ へ目的 もくてき 地 ち 外 がい 着陸 ちゃくりく (ダイバート )することを決断 けつだん した。その数 すう 秒 びょう 後 ご に左側 ひだりがわ エンジンが停止 ていし し、右側 みぎがわ エンジンのみでの着陸 ちゃくりく を準備 じゅんび することとなった。
パイロットはエンジンの再 さい スタートを試 こころ み、ウィニペグの管制 かんせい 官 かん と緊急 きんきゅう 着陸 ちゃくりく について連絡 れんらく を取 と っていたが、その最中 さいちゅう に警報 けいほう 装置 そうち が「ボーン」という今 いま まで誰 だれ も聞 き いたことのない長 なが い警告 けいこく 音 おん を発 はっ した。これは全 ぜん エンジンの停止 ていし を示 しめ しており、この様 よう な事態 じたい は訓練 くんれん では想定 そうてい されていなかった。警報 けいほう から数 すう 秒 びょう 後 ご 、右 みぎ エンジンも停止 ていし した。143便 びん は全 すべ ての動力 どうりょく を失 うしな い、操縦 そうじゅう 室 しつ は一瞬 いっしゅん の静寂 しじま につつまれた。また、トランスポンダ も停止 ていし したため、二 に 次 じ レーダー での捕捉 ほそく が不可能 ふかのう になった。そのため、ウィニペグの管制 かんせい 官 かん は当時 とうじ 使 つか われなくなった一 いち 次 じ レーダー を引 ひ っ張 ぱ り出 だ してきて、143便 びん の機 き 影 かげ を追跡 ついせき し続 つづ けるとともに、ウィニペグ、およびギムリー までの距離 きょり を逐一 ちくいち 測定 そくてい してパイロット達 たち に伝 つた え続 つづ けた。燃料 ねんりょう が尽 つ きた時点 じてん での高度 こうど は約 やく 8,500メートル(2万 まん 8,000 フィート )で、かなり降下 こうか していた。
ジェットエンジンは航空機 こうくうき に必要 ひつよう となる電力 でんりょく 供給 きょうきゅう のための発電 はつでん 機 き を備 そな えている。本 ほん 機 き の操縦 そうじゅう 席 せき は完全 かんぜん なグラスコックピット ではなく、従来 じゅうらい のアナログ計器 けいき 類 るい を併用 へいよう していたが、それでも多 おお くの計器 けいき 類 るい は作動 さどう に電力 でんりょく を要 よう しており、エンジン停止 ていし と共 とも にそれらも一斉 いっせい に停止 ていし した。ただし、電力 でんりょく を使用 しよう せずに作動 さどう する計器 けいき の一 ひと つである降下 こうか 率 りつ 計 けい によってパイロットはどれくらいの速度 そくど で降下 こうか しているかを知 し ることができ、そこから滑空 かっくう 距離 きょり を求 もと めることができた。また、対 たい 気 き 速度 そくど 計 けい 、高度 こうど 計 けい 、方位 ほうい 磁石 じしゃく も電力 でんりょく なしで作動 さどう する機器 きき であり、航空機 こうくうき を着陸 ちゃくりく させるために必要 ひつよう 最低限 さいていげん の情報 じょうほう を得 え ることができた。
なお、エンジンは機体 きたい 各部 かくぶ の可動 かどう 部 ぶ を制御 せいぎょ する油圧 ゆあつ システムの動力 どうりょく 源 げん にもなっており、油圧 ゆあつ がない状態 じょうたい ではボーイング767型 がた 機 き ほどの大 おお きさの航空機 こうくうき を操縦 そうじゅう することは難 むずか しい。しかしながら、航空機 こうくうき の設計 せっけい ではこうした事態 じたい も考慮 こうりょ し、そのような場合 ばあい は非 ひ 常用 じょうよう 風力 ふうりょく 発電 はつでん 機 き ラムエア・タービン が自動的 じどうてき に機体 きたい 側面 そくめん に展開 てんかい する。航空機 こうくうき の速度 そくど は発電 はつでん 機 き の風車 かざぐるま を回 まわ すには十分 じゅうぶん であり、機体 きたい 制御 せいぎょ のための十分 じゅうぶん な油圧 ゆあつ を得 え ることができた。
ギムリー空軍 くうぐん 基地 きち への着陸 ちゃくりく [ 編集 へんしゅう ]
パイロットは緊急 きんきゅう マニュアルを開 ひら き、両 りょう エンジン停止 ていし 状態 じょうたい で飛行 ひこう させる項目 こうもく を探 さが したが、そのような項目 こうもく は存在 そんざい しないことを知 し りえただけであった。ピアソン機長 きちょう は最良 さいりょう の効率 こうりつ が得 え られる時速 じそく 407キロメートル(220ノット )で機体 きたい を滑空 かっくう させた。副 ふく 機長 きちょう のモーリス・クィンタルは本 ほん 機 き がウィニペグまで到達 とうたつ できるかどうか機械 きかい 式 しき の予備 よび 高度 こうど 計 けい の高度 こうど を元 もと に試算 しさん を行 おこな ったが、19キロメートル(10海 うみ 里 さと )進 すす む間 あいだ に1,500メートル(5,000 フィート )の割合 わりあい で降下 こうか しており、降下 こうか 率 りつ は約 やく 12 : 1 だった。また、空港 くうこう のレーダー 画面 がめん に映 うつ るエコーを元 もと にウィニペグの管制 かんせい 官 かん が算出 さんしゅつ した値 ね も同様 どうよう であり、これは143便 びん がウィニペグにたどり着 つ ける可能 かのう 性 せい はないことを示 しめ していた。
こうした経緯 けいい より、クィンタルは以前 いぜん に勤務 きんむ していたカナダ空軍 くうぐん のギムリー基地 きち を着陸 ちゃくりく 地点 ちてん にしようと考 かんが えた。 なお当時 とうじ のクィンタルは知 し らなかったのだが、彼 かれ の除隊 じょたい 後 ご にギムリー基地 きち は民間 みんかん 空港 くうこう (Gimli Industrial Park Airport )になっており、閉鎖 へいさ された平行 へいこう 滑走 かっそう 路 ろ の1本 ほん は時折 ときおり 開催 かいさい される自動車 じどうしゃ 競走 きょうそう に使用 しよう されていた。ちょうど事故 じこ 当日 とうじつ にも、この地区 ちく の自動車 じどうしゃ やキャンパー達 たち が「家族 かぞく の日 ひ 」のために集 あつ まり、レースが行 おこな われていた。
パイロットはギムリー空軍 くうぐん 基地 きち に接近 せっきん する間 あいだ に降着 こうちゃく 装置 そうち のロックを解除 かいじょ し、降着 こうちゃく 装置 そうち が自重 じちょう で落下 らっか することによる展開 てんかい を試 こころ みた。前述 ぜんじゅつ のように当機 とうき は必要 ひつよう 最低限 さいていげん の動力 どうりょく がかろうじて供給 きょうきゅう されている状態 じょうたい であり、降着 こうちゃく 装置 そうち を展開 てんかい させるための油圧 ゆあつ 装置 そうち を充分 じゅうぶん に作動 さどう させる事 こと ができなかったためである。ロック解除 かいじょ の結果 けっか 、重量 じゅうりょう のある主 しゅ 降着 こうちゃく 装置 そうち は自重 じちょう で展開 てんかい されたものの、前部 ぜんぶ 降着 こうちゃく 装置 そうち は降下 こうか によって発生 はっせい する空気 くうき 抵抗 ていこう に押 お し戻 もど される形 かたち となり、充分 じゅうぶん に展開 てんかい されなかった。ボーイング767型 がた 機 き の前 ぜん 脚 あし は後方 こうほう に向 む かって振 ふ り出 だ す形 かたち となっており、問題 もんだい が発生 はっせい した場合 ばあい でも風 ふう 圧 あつ により後方 こうほう に押 お されて自動的 じどうてき に展開 てんかい する設計 せっけい であったが、本 ほん 機 き は想定 そうてい 外 がい の角度 かくど で降下 こうか していたために通常 つうじょう とは異 こと なる方向 ほうこう 、速度 そくど で空気 くうき 抵抗 ていこう が掛 か かり、前部 ぜんぶ 降着 こうちゃく 装置 そうち が設計 せっけい 時 じ の想定 そうてい 通 どお りには展開 てんかい しなかった。また、降着 こうちゃく 装置 そうち の展開 てんかい による速度 そくど 低下 ていか はラムエア・タービンの発電 はつでん 効率 こうりつ を悪化 あっか させ、姿勢 しせい 制御 せいぎょ はさらに困難 こんなん になった。
機体 きたい がギムリー空軍 くうぐん 基地 きち へ接近 せっきん するに従 したが い、明 あき らかに高度 こうど が高 たか いことが判明 はんめい した。ピアソン機長 きちょう は空気 くうき 抵抗 ていこう を増 ま し、高度 こうど を下 さ げるためにフォワードスリップ 機動 きどう をした。フォワードスリップは一種 いっしゅ の蛇行 だこう 飛行 ひこう で、グライダー や軽 けい 飛行機 ひこうき が同 おな じ状況 じょうきょう に陥 おちい ったときによく使 つか われる操縦 そうじゅう 方法 ほうほう であるが、実 じつ はピアソンはグライダーでの滑空 かっくう を趣味 しゅみ としており、その経験 けいけん がうまく活 い かされた。スリップによって、乗客 じょうきゃく は横向 よこむ きに地面 じめん へ向 む かって落下 らっか するような感覚 かんかく にとらわれた。143便 びん はゴルフコースの上 うえ を通 とお り越 こ したが、ある乗客 じょうきゃく は「ゴルファー がどのクラブ を使 つか っているか見 み えるくらいだった」と興奮 こうふん した様子 ようす で取材 しゅざい に答 こた えている[3] 。
ギムリー空軍 くうぐん 基地 きち の滑走 かっそう 路 ろ に車輪 しゃりん が着 つ くと同時 どうじ に全 ぜん 重量 じゅうりょう を乗 の せてブレーキがかけられた。フルブレーキの影響 えいきょう から、降着 こうちゃく 装置 そうち のいくつかのタイヤ が破裂 はれつ した。前述 ぜんじゅつ のように143便 びん は前部 ぜんぶ 降着 こうちゃく 装置 そうち が固定 こてい されていなかったので機首 きしゅ を接地 せっち する格好 かっこう となったが、胴体 どうたい 着陸 ちゃくりく となったことやドラッグレースのために滑走 かっそう 路 ろ 中央 ちゅうおう 部 ぶ に設置 せっち されていたガードレールを巻 ま き込 こ んだことで抵抗 ていこう が増 ま したことも幸 さいわ いし、滑走 かっそう 路 ろ 端 はし で行 おこな われていた「家族 かぞく の日 ひ 」の会場 かいじょう から数 すう 百 ひゃく フィートの位置 いち で停止 ていし した。
61人 にん の乗客 じょうきゃく は着陸 ちゃくりく の際 さい に負傷 ふしょう することはなかった。しかし、このとき小規模 しょうきぼ の火災 かさい が機体 きたい 前部 ぜんぶ で発生 はっせい し、およそ2か月 げつ 前 まえ に発生 はっせい した797便 びん 火災 かさい 事故 じこ の恐怖 きょうふ から、乗客 じょうきゃく は脱出 だっしゅつ の際 さい パニック状態 じょうたい に陥 おちい った。加 くわ えて前 まえ 傾 かたぶけ 姿勢 しせい で胴体 どうたい 着陸 ちゃくりく したため尾 お 部 ぶ が高 たか くなっており、通常 つうじょう より急 きゅう 角度 かくど で展開 てんかい した後部 こうぶ 扉 とびら の脱出 だっしゅつ 用 よう シュートでの脱出 だっしゅつ の際 さい に軽 かる い怪我 けが を負 お った乗客 じょうきゃく がおり、10人 にん のけが人 にん が出 で た。パイロットも脱出 だっしゅつ 時 じ のチェックリストを完了 かんりょう させた後 のち に143便 びん を降 お り、機体 きたい 前部 ぜんぶ の火災 かさい の消火 しょうか 活動 かつどう を開始 かいし 。消火 しょうか 器 き を携 たずさ えて駆 か けつけたレーサーとコースマーシャルらも合流 ごうりゅう しすぐに消 け し止 と められた。脱出 だっしゅつ の際 さい に負傷 ふしょう した乗客 じょうきゃく はスカイダイバー の飛行 ひこう クラブとして使用 しよう されていたギムリー空軍 くうぐん 基地 きち からちょうど離陸 りりく するところだった医師 いし によって適切 てきせつ に診察 しんさつ された。
興味深 きょうみぶか い後日 ごじつ 譚 たん として、着陸 ちゃくりく 後 ご 、エアカナダの整備 せいび 士 し が修理 しゅうり キットを積載 せきさい したバンに乗 の り、ウィニペグから修理 しゅうり に向 む かったが、彼 かれ らもまた途中 とちゅう で燃料 ねんりょう 切 き れを起 お こし、マニトバ州 しゅう の奥地 おくち で足止 あしど めされた[3] 。
退役 たいえき 後 ご モハーヴェ空港 くうこう に置 お かれている事故 じこ 機 き (C-GAUN)
着陸 ちゃくりく 時 じ に機体 きたい の受 う けたダメージが軽度 けいど だったため、ギムリー空軍 くうぐん 基地 きち に赴 おもむ いたエアカナダの整備 せいび 士 し たちの手 て により、わずか2日 にち で復帰 ふっき を果 は たした。
事故 じこ 後 ご 、ピアソン機長 きちょう らは表彰 ひょうしょう され、「ギムリー」基地 きち に「グライダー」状態 じょうたい でダイバートに成功 せいこう した、奇跡 きせき の着陸 ちゃくりく として、この事故 じこ は「ギムリー・グライダー」と呼 よ ばれるようになり、世界 せかい 的 てき にも有名 ゆうめい となった。
2008年 ねん 1月 がつ 24日 にち 、モントリオール (YUL ) からアメリカ のアリゾナ州 しゅう ツーソン (TUS ) までAC7067便 びん としてフェリーされ、引退 いんたい した。この際 さい 、機長 きちょう 始 はじ め当時 とうじ の乗員 じょういん 8名 めい が搭乗 とうじょう した。その後 ご は、飛行機 ひこうき の墓場 はかば として有名 ゆうめい なモハーヴェ空港 くうこう に部品 ぶひん 取 と り用 よう として保管 ほかん されている。
同様 どうよう の事故 じこ 例 れい [ 編集 へんしゅう ]
2001年 ねん にもカナダの航空 こうくう 会社 かいしゃ 、エア・トランザット236便 びん が不適切 ふてきせつ な整備 せいび が原因 げんいん による燃料 ねんりょう 漏 も れによってアゾレス諸島 しょとう に緊急 きんきゅう 着陸 ちゃくりく するという同種 どうしゅ の事故 じこ が発生 はっせい している。2000年 ねん にはハパックロイド・フルーク3378便 びん が降着 こうちゃく 装置 そうち 不具合 ふぐあい により展開 てんかい したまま飛行 ひこう したが、空気 くうき 抵抗 ていこう 増加 ぞうか による燃料 ねんりょう 切 き れで滑空 かっくう しウィーン国際 こくさい 空港 くうこう の滑走 かっそう 路 ろ 手前 てまえ 500メートルに不時着 ふじちゃく する事故 じこ が、2008年 ねん にはブリティッシュ・エアウェイズ38便 びん (ボーイング777 )が、ロンドン・ヒースロー空港 くうこう への着陸 ちゃくりく 進入 しんにゅう 中 ちゅう にエンジンが燃料 ねんりょう の凍結 とうけつ で2基 き とも停止 ていし して滑空 かっくう 状態 じょうたい となり、滑走 かっそう 路 ろ 手前 てまえ の草地 くさち に不時着 ふじちゃく して多数 たすう の負傷 ふしょう 者 しゃ が出 で るという事故 じこ があった。
1988年 ねん に発生 はっせい したTACA航空 こうくう 110便 びん 不時着 ふじちゃく 事故 じこ と2009年 ねん に発生 はっせい したUSエアウェイズ1549便 びん 不時着 ふじちゃく 水 すい 事故 じこ では、両 りょう エンジン停止 ていし という状態 じょうたい で不時着 ふじちゃく ・着水 ちゃくすい が行 おこな われた。
2010年 ねん にはロシア で電気 でんき 系統 けいとう を喪失 そうしつ したアルロサ航空 こうくう 514便 びん がコミ共和 きょうわ 国 こく イジマにあった閉鎖 へいさ された滑走 かっそう 路 ろ への着陸 ちゃくりく を行 おこ ない、オーバーランしたものの乗員 じょういん 乗客 じょうきゃく 81人 にん 全員 ぜんいん が生還 せいかん した。使用 しよう 機材 きざい だったTu-154M は事故 じこ 後 ご 修理 しゅうり されて運用 うんよう に復帰 ふっき した。
2019年 ねん にもロシアでウラル航空 こうくう 178便 びん (エアバスA321 )がジュコーフスキー空港 くうこう を離陸 りりく 直後 ちょくご に両 りょう エンジンが停止 ていし しトウモロコシ畑 はたけ に不時着 ふじちゃく したものの乗員 じょういん 乗客 じょうきゃく 233人 にん 全員 ぜんいん が生還 せいかん した。
本 ほん 事故 じこ を扱 あつか ったドキュメンタリー[ 編集 へんしゅう ]