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クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルト

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クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルト
Kurt von Hammerstein-Equord
1930ねん撮影さつえいされた肖像しょうぞう写真しゃしん
生誕せいたん 1878ねん9月26にち
ドイツの旗 ドイツ帝国ていこく
メクレンブルク=シュトレーリッツ大公たいこうこく ヒンリヒスハーゲン
死没しぼつ (1943-04-23) 1943ねん4がつ23にち(64さいぼつ
ナチス・ドイツの旗 ドイツこく
プロイセンしゅう ベルリン
所属しょぞく組織そしき  ドイツ帝国ていこく陸軍りくぐん
 ヴァイマル共和きょうわこく陸軍りくぐん
 ドイツ陸軍りくぐん
ぐんれき 1898ねん1939ねん
最終さいしゅう階級かいきゅう 陸軍りくぐん上級じょうきゅう大将たいしょう
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クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルト
Kurt von Hammerstein-Equord

ヴァイマル共和きょうわこく陸軍りくぐん
だい4だい 陸軍りくぐん統帥とうすい長官ちょうかん
在任ざいにん期間きかん 1930ねん11月1にち - 1934ねん1がつ31にち
大統領だいとうりょう パウル・フォン・ヒンデンブルク

在任ざいにん期間きかん 1929ねん9月30にち - 1930ねん10月31にち
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クルト・ゲプハルト・アドルフ・フィリップ・フォン・ハンマーシュタイン[1]=エクヴォルト[2]男爵だんしゃくKurt Gebhard Adolf Philipp Freiherr von Hammerstein-Equord[2], 1878ねん9月26にち - 1943ねん4がつ23にち)は、ドイツ陸軍りくぐん軍人ぐんじん最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん上級じょうきゅう大将たいしょうヴァイマル共和きょうわ国軍こくぐんおよドイツ国防こくぼうぐん)。1929ねん - 1930ねん兵務へいむ局長きょくちょう参謀さんぼう総長そうちょう)を、1930ねん - 1933ねん陸軍りくぐん統帥とうすい長官ちょうかんつとめた。ナチスたいする抵抗ていこう運動うんどうにもくわわっていた。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

1878ねんメクレンブルク=シュトレーリッツ大公たいこうこく高級こうきゅう官吏かんり息子むすことして、軍人ぐんじん輩出はいしゅつしたふる貴族きぞく家系かけいにヒンリヒスハーゲンでまれる。

初期しょきぐんれき[編集へんしゅう]

1888ねん、10さい陸軍りくぐん幼年ようねん学校がっこう入学にゅうがくし、陸軍りくぐん士官しかん学校がっこうて、1898ねんだい3近衛このえ歩兵ほへい連隊れんたい准尉じゅんいとして配属はいぞくされる。おな部隊ぶたいに、ヴァイマル共和きょうわせい時代じだい国防こくぼうしょう首相しゅしょうとなるクルト・フォン・シュライヒャーがおり、二人ふたりしたしくなった。ヴァルター・フォン・リュトヴィッツ将軍しょうぐん(のち1920ねんカップ一揆いっき参加さんか)のむすめ結婚けっこんし、三男さんなんよんじょをもうけた。

1907ねん1910ねん陸軍りくぐん大学だいがく入学にゅうがくて、1911ねん参謀さんぼう本部ほんぶづけとなる。1909ねん中尉ちゅうい任官にんかんし、1913ねん大尉たいい昇進しょうしんだいいち世界せかい大戦たいせんなか参謀さんぼう将校しょうこうとしてさまざまな部局ぶきょく参謀さんぼう次長じちょう副官ふっかんだい7後備こうび軍団ぐんだん作戦さくせん部長ぶちょう参謀さんぼう本部ほんぶ統帥とうすいきょく作戦さくせん部長ぶちょう)に配属はいぞく1914ねんにはフランドル中隊ちゅうたいちょうつとめ、てつじゅうあきら受章じゅしょうしたこともある。1917ねん少佐しょうさ昇進しょうしん戦後せんごヴァイマル共和きょうわこくでもぐんのこり、義父ぎふひきいる軍団ぐんだん参謀さんぼうとなる。1920ねん中佐ちゅうさ昇進しょうしんカッセルだい2ぐん管区かんく作戦さくせん部長ぶちょうとなり、1922ねんミュンヘン駐屯ちゅうとんする部隊ぶたい大隊だいたいちょうつとめた。

兵務へいむ局長きょくちょう陸軍りくぐん統帥とうすい長官ちょうかん[編集へんしゅう]

ハンマーシュタイン=エクヴォルト(左端ひだりはし)、エーリッヒ・レーダーみぎはし)、オスカー・フォン・プロイセンら(1929ねんだいいち世界せかい大戦たいせん戦没せんぼつ衛生えいせいへい記念きねん除幕じょまくしきにて)

その各地かくち部隊ぶたい参謀さんぼうて、中将ちゅうじょう当時とうじ1929ねん10月に兵務へいむ局長きょくちょう任命にんめいされた。兵務へいむ局長きょくちょうとして、敵国てきこく侵攻しんこうたいしては遅滞ちたい防衛ぼうえいしのいで国際こくさい連盟れんめい介入かいにゅうつという、ドイツの防衛ぼうえい戦略せんりゃく策定さくていした。また1930ねんには1923ねん以来いらい総動員そうどういん計画けいかく改訂かいていし、平時へいじ7師団しだん戦時せんじには21個いっこ師団しだん増員ぞういんするとした。1930ねんヴィルヘルム・ハイエ上級じょうきゅう大将たいしょう陸軍りくぐん統帥とうすい長官ちょうかん陸軍りくぐんそう司令しれいかん)を辞任じにんすると、かつての親友しんゆうシュライヒャー国防こくぼう次官じかんヴィルヘルム・グレーナー国防こくぼうしょうハインリヒ・ブリューニング首相しゅしょう支持しじてそのにん就任しゅうにんした。同年どうねんには歩兵ほへい大将たいしょう昇進しょうしん陸軍りくぐんそう司令しれいかんとして、戦時せんじの42師団しだん増員ぞういん徴兵ちょうへいせい導入どうにゅうなどを計画けいかくした。

1933ねん1がつアドルフ・ヒトラーナチスとう政権せいけん獲得かくとくする。ハンマーシュタイン=エクヴォルトはナチスにたいしてぐん中立ちゅうりつたもつようつとめた。はやくも2がつにヒトラーはハンマーシュタイン=エクヴォルトらぐん最高さいこう指導しどうしゃたずねて自分じぶん戦争せんそう計画けいかく説明せつめいしたが、かれらの反応はんのうとぼしく、ヒトラーの回顧かいこによれば「かべかってはなしているようだった」という。しかししん国防こくぼう大臣だいじんヴェルナー・フォン・ブロンベルク将軍しょうぐんがナチスりの姿勢しせい軍部ぐんぶのナチス支配しはいへのみをすすめたため、ハンマーシュタイン=エクヴォルトのようなナチスに親和しんわてきではない軍人ぐんじんたちの立場たちば徐々じょじょきびしいものとなった。1933ねん12月にかれ辞表じひょう提出ていしゅつし、同時どうじ上級じょうきゅう大将たいしょう最後さいごぐん退役たいえきした。後任こうにんにはヴェルナー・フォン・フリッチュ中将ちゅうじょう就任しゅうにんした。

はんナチス活動かつどう[編集へんしゅう]

現役げんえき退しりぞいたものの、ブロンベルク国防こくぼうしょう対立たいりつしたハンマーシュタイン=エクヴォルトは急速きゅうそくおやナチ加速かそくするドイツ国防省こくぼうしょうおよび国防こくぼうぐん忌避きひされるところとなり、ブロンベルクは非公式ひこうしきぐん現役げんえき高官こうかんかれもとたずねることを禁止きんしした。ながいナイフのよる親友しんゆうのシュライヒャーが親衛隊しんえいたいいん殺害さつがいされたおりには、ぐん高官こうかんとしてただ一人ひとり葬儀そうぎった。そのかれ軍部ぐんぶないはんナチス勢力せいりょく接触せっしょくし、その抵抗ていこう運動うんどうとうじた。

だい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつした1939ねん9月には召還しょうかんされて現役げんえき復帰ふっきし、Aぐん集団しゅうだん司令しれいかんとして手薄てうすフランス国境こっきょう防備ぼうびまかされたが、フランスぐん攻勢こうせいないことがあきらかになるとはやくも9がつ21にちには解任かいにんされ、一旦いったんシレジア担当たんとうするだい8ぐん管区かんく司令しれいかんにんじられたが、ほどなく退役たいえきさせられた。イギリスもとエージェントの回顧かいころくによれば、Aぐん集団しゅうだん司令しれいかんつとめていたさいにハンマーシュタイン=エクヴォルトはクーデター画策かくさくしており、それは要請ようせいおうじて西方せいほう前線ぜんせん視察しさつおとずれるヒトラーを拘束こうそくする計画けいかくだったというが、結局けっきょくヒトラーの前線ぜんせん視察しさつおこなわれず、またこの手記しゅき自体じたい信憑しんぴょうせいうたがわれている。

大戦たいせんちゅう1943ねん、ハンマーシュタイン=エクヴォルトはベルリンがんのため死去しきょした。かんハーケンクロイツはたおおわれることをきらい、家族かぞくはベルリンにある軍人ぐんじん墓地ぼちへの埋葬まいそう拒否きょひした。また総統そうとうヒトラーからおくられた追悼ついとう花輪はなわ地下鉄ちかてつえきに「わすれた」という。陸軍りくぐん将校しょうこうだった息子むすこにんは、1944ねん7がつ20日はつかヒトラー暗殺あんさつ計画けいかくくわわり投獄とうごくされている。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

自身じしんすぐれた参謀さんぼう将校しょうこうであったが、同僚どうりょう軍人ぐんじんたちについては懐疑かいぎてきできわめて冷淡れいたんであった。

ドイツぐん再建さいけんつとめたが、自身じしんはいかなる過激かげき主義しゅぎにも反対はんたいしており、とくにナチズムをきらっていた。1923ねんミュンヘン一揆いっきさいは「ミュンヘンでヒトラー伍長ごちょうあたまがおかしくなった」とコメントしたという。1930ねん陸軍りくぐんそう司令しれいかんへの指名しめいは、このような姿勢しせいをブリューニング首相しゅしょうやグレーナー国防こくぼうしょうわれたものである。ナチス政権せいけん樹立じゅりつ即座そくざ陸軍りくぐんそう司令しれいかん辞任じにんしようとしたが、友人ゆうじんぜん首相しゅしょうのシュライヒャーに慰留いりゅうされた。その、ナチス政権せいけん樹立じゅりつ将校しょうこうたちのまえ公然こうぜんとナチスを犯罪はんざいしゃ集団しゅうだんばわりしていたという。

ハンマーシュタイン=エクヴォルトは軍部ぐんぶないおやナチスのブロンベルク国防こくぼうしょうヴァルター・フォン・ライヒェナウなどにたいする対抗たいこう勢力せいりょくとなりえたが、政治せいじ活動かつどう興味きょうみがないこともあってはんナチス勢力せいりょく組織そしきしなかったため、次第しだい状況じょうきょうたいして受身うけみとなり、自身じしん性格せいかくわざわいして軍部ぐんぶない孤立こりつしていかざるをなくなり、実効じっこうせいのある抵抗ていこう運動うんどう展開てんかいすることはできなかった。

将校しょうこうの4分類ぶんるい[編集へんしゅう]

ハンマーシュタイン=エクヴォルトは、軍人ぐんじん特性とくせい組織そしきにおける役職やくしょくについて、副官ふっかん以下いかのようにべたとされる。

"Ich unterscheide vier Arten. Es gibt kluge, fleißige, dumme und faule Offiziere. Meist treffen zwei Eigenschaften zusammen.
Die einen sind klug und fleißig, die müssen in den Generalstab. Die nächsten sind dumm und faul; sie machen in jeder Armee 90 % aus und sind für Routineaufgaben geeignet. Wer klug ist und gleichzeitig faul, qualifiziert sich für die höchsten Führungsaufgaben, denn er bringt die geistige Klarheit und die Nervenstärke für schwere Entscheidungen mit. Hüten muss man sich vor dem, der gleichzeitig dumm und fleißig ist; dem darf man keine Verantwortung übertragen, denn er wird immer nur Unheil anrichten."
(「わたしかんがえるに将校しょうこうには4つの特性とくせいがある。利口りこう愚鈍ぐどん勤勉きんべん怠慢たいまんである。おおくの将校しょうこうはそのうち2つをあわつ。
 まずは利口りこう勤勉きんべんなもので、これは参謀さんぼう将校しょうこうにするべきだ。つぎ愚鈍ぐどん怠慢たいまんなもので、これは軍人ぐんじんの9わりにあてはまり、日常にちじょう業務ぎょうむをこなすことにいている。利口りこう怠慢たいまんなものは高級こうきゅう指揮しきかんいている。なぜなら確信かくしん決断けつだんさい図太ずぶとさをわせているからだ。もっとも注意ちゅういすべきはおろかで勤勉きんべんなもので、このようなものがいおよぼすのみであるので、いかなる責任せきにんある立場たちばあたえてはならない」)[3]

あるとき、どのような視点してん部下ぶか将校しょうこう判断はんだんするのか、とかれたとき、ハマーシュタインはこうった。
わたしはね、部下ぶかを4つのタイプにけるんだ。
 利口りこう将校しょうこう勤勉きんべん将校しょうこう馬鹿ばか将校しょうこうなまもの将校しょうこう、にね。
 たいていの場合ばあい、ふたつのタイプがわさっている。
 まず、利口りこう勤勉きんべんなやつ。
 これは参謀さんぼう本部ほんぶ必要ひつようだ。
 つぎは、馬鹿ばかなまもの
 こいつがどんな軍隊ぐんたいにも9わりいて、まりきった仕事しごといている。
 利口りこうなまものというのが、トップのリーダーとして仕事しごとをする資格しかくがある。
 むずかしい決定けっていをするとき、クリアな精神せいしんつよ神経しんけいをもっているからね。
 用心ようじんしなきゃならんのが、馬鹿ばか勤勉きんべんなやつだ。
 責任せきにんのある仕事しごとまかせてはならない。

 どうころんでもわざわいしかこさないだろうから」”[4]

この“将校しょうこうの4分類ぶんるい”について最初さいしょ記述きじゅつされたのは1932ねんもしくは1933ねん刊行かんこうされたドイツベルリン新聞しんぶんとされている[5]。この記事きじが1933ねん1がつにイギリスで刊行かんこうされた『Army, Navy & Air Force Gazette』に紹介しょうかいされ[5]、また、同年どうねん3がつ刊行かんこうされたアメリカの『United States Naval Institute Proceedings』および同年どうねん9がつ刊行かんこうされた 『Review of Military Literature: The Command and General Staff School Quarterly』に "Selecting Officers"という表現ひょうげん引用いんようされたことからドイツ以外いがいでもられるものとなり[5]1942ねんにはイギリス貴族きぞくいんでスウィントン子爵ししゃく(フィリップ・ロイド・グリーム(Viscount Swinton(Philip Lloyd-Greame)(英語えいごばん)が講演こうえんなかでハンマーシュタイン=エクヴォルトのれないかたち引用いんようしており[5]、ここからアメリカとイギリスの軍人ぐんじん、および上流じょうりゅう階級かいきゅうられ、そのだい世界せかい大戦たいせんのちに『LIFEはじめとして[5]いくつかの雑誌ざっし書籍しょせき紹介しょうかい引用いんようされたことからひろまったと推定すいていされる。

なお、原典げんてんがハンマーシュタイン=エクヴォルトのげんであると明記めいきされないまま引用いんようされているれいや、別人べつじんげんであるとされているれい多々たたられる[6]

「ゼークトの組織そしきろん」としての流布るふ[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは前述ぜんじゅつの“将校しょうこうの4分類ぶんるい”は、どう時期じきのドイツ軍人ぐんじんであったハンス・フォン・ゼークトのものであるとされて「ゼークトの組織そしきろん」なる軍事ぐんじジョークとして記述きじゅつされていることがある[7]

何故なにゆえ“ゼークトのげん”であるとされたのかについての経緯けいいさだかではないが、ひとつに、日本にっぽんにおいては戦争せんそう漫画まんが小林こばやしはじめぶん著作ちょさくである『だい2朝鮮ちょうせん戦争せんそう -ユギオII-』(初出しょしゅつコンバットコミック』(日本にっぽん出版しゅっぱんしゃかん)94ねん9がつごう~96ねん4がつごう掲載けいさい)の作中さくちゅうにおいて

前略ぜんりゃくさい編成へんせいは フォンゼークトりゅうに やるんですか
前略ぜんりゃく)ゼークトいわく 人間にんげんは4種類しゅるい大別たいべつできる 勤勉きんべんあたまのいいやつ なまけものあたまのいいやつ 勤勉きんべんあたまわるやつ なまけものあたまわるやつ後略こうりゃく)」

記述きじゅつされており、この作品さくひん初出しょしゅつ前述ぜんじゅつのハンマーシュタイン・エクヴォルトについての著作ちょさく日本にっぽん和訳わやく出版しゅっぱんされるよりもまえであったため、こちらのほうさきられることになったと推定すいていされる。また、この作品さくひんちゅうでは前掲ぜんけい部分ぶぶんつづけて

軍隊ぐんたい組織そしきだ フォンゼークトは 組織そしきろんをいってるが そのとおりだ

とあり、“ゼークトの組織そしきろん”という通称つうしょう直接的ちょくせつてきにはこの作品さくひん由来ゆらいするものと推定すいていされる。

日本にっぽんでは「愚鈍ぐどん怠慢たいまんなタイプ」について「兵卒へいそついている」「連絡れんらく将校しょうこう程度ていどならこなせるだろう」とされたり、「おろかで勤勉きんべんなタイプ」について「軍人ぐんじんにしてはならない」「無能むのうはたらもの処刑しょけいするしかないとう改変かいへんくわえられているれいがある。前述ぜんじゅつの『だい2朝鮮ちょうせん戦争せんそう -ユギオII-』の作中さくちゅうでは

軍隊ぐんたい一番いちばん必要ひつようなのは 勤勉きんべんあたまのいいやつ 参謀さんぼう適任てきにんつための戦術せんじゅつ立案りつあんできる
つぎになまけものあたまのいいやつ 前線ぜんせん指揮しきかんにすべきだ 必死ひっしのこるために 的確てきかく指揮しきを するだろう
つぎになまけものあたまわるやつ 命令めいれいされたことしか できないが充分じゅうぶんだ すべての障害しょうがいちたおす
最後さいご勤勉きんべんあたまわるやつ そういうやつはさっさと 軍隊ぐんたいからすか 銃殺じゅうさつにすべきだ
なぜなら 間違まちがった命令めいれいでも 延々えんえんつづがついたときは かえしがつかなく なってしまうからだ

かれている。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 日本にっぽんにおけるカタカナ表記ひょうきでは“ハマーシュタイン”もしくは“ハマー(ハンマー)スタイン”とされているれいもある。
  2. ^ a b “エクウォルト”と表記ひょうきされていることがあるが、ドイツにおいて"Q(q)"は基本きほんとして U(u) とともにかれ、qu を /kv/ と発音はつおんする[1]ため、“エクウォルト”はあやまりである。
  3. ^ Horst Poller. "Bewältigte Vergangenheit. Das 20. Jahrhundert, erlebt, erlitten, gestaltet." (ISBN 978-3789283727) Olzog Verlag. 2010. ※ちゅう日本語にほんごやくとう項目こうもく執筆しっぴつ/編集へんしゅうしゃによる
  4. ^ Hans Magnus Enzensberger. "Hammerstein oder der Eigensinn. Eine deutsche Geschichte." (ISBN 978-3518419601) Suhrkamp Verlag AG. 2008.
    邦訳ほうやくばん, ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーちょおかさわ静也しずややく『がんこなハマーシュタイン―ヒトラーにくっしなかった将軍しょうぐん』 (ISBN 978-4794967442) 晶文社しょうぶんしゃかん、2009ねん
  5. ^ a b c d e f Quote Investigator|February 28, 2014|The Person Who is Clever and Lazy Qualifies for the Highest Leadership Posts ※2020ねん10がつ15にち閲覧えつらん
  6. ^ フォン・モルトケ(だいモルトケ)あるいはエーリッヒ・フォン・マンシュタイン、もしくはフリードリヒ大王だいおう(プロイセンおうフリードリヒ2せいまたはクラウゼヴィッツ(およびクラウゼヴィッツの著書ちょしょである『戦争せんそうろん』)のげんである、とされているれいがある[5]
  7. ^ 日本にっぽんにおいてもフォン・モルトケ(だいモルトケ)/マンシュタイン/フリードリヒ大王だいおう/クラウゼヴィッツ/『戦争せんそうろん』のげんである、とされているれいがある。

参考さんこう文献ぶんけん参照さんしょうもと[編集へんしゅう]

ぐんしょく
先代せんだい
ヴィルヘルム・ハイエ
ドイツ陸軍りくぐん統帥とうすい長官ちょうかん
1930ねん - 1933ねん
次代じだい
ヴェルナー・フォン・フリッチュ
先代せんだい
ヴェルナー・フォン・ブロンベルク
ドイツ陸軍りくぐん兵務へいむ局長きょくちょう
1929ねん - 1930ねん
次代じだい
ヴィルヘルム・アダム