グレン・キャンベル

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グレン・キャンベル
Glen Campbell
1967ねん
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい グレン・トラヴィス・キャンベル
Glen Travis Campbell
生誕せいたん (1936-04-22) 1936ねん4がつ22にち
アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくアーカンソーしゅうディライト
死没しぼつ (2017-08-08) 2017ねん8がつ8にち(81さいぼつ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくテネシーしゅうナッシュビル
ジャンル カントリーロックフォークポップフォークロックゴスペル
職業しょくぎょう ミュージシャンソングライター俳優はいゆう
担当たんとう楽器がっき ヴォーカルギターバンジョーベースバグパイプ[1]
活動かつどう期間きかん 1958ねん - 2013ねん
レーベル キャピトルアトランティックMCAリバティサーフドッグ、ニュー・ヘイヴン
共同きょうどう作業さぎょうしゃ チャンプスザ・ビーチ・ボーイズボビー・ジェントリーアン・マレージミー・ウェッブジョン・ハートフォードジェリー・リード
公式こうしきサイト glencampbellmusic.com

グレン・キャンベルGlen Campbell1936ねん4がつ22にち - 2017ねん8がつ8にち[2])は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくカントリー・ミュージック歌手かしゅギター奏者そうしゃ、テレビ司会しかいしゃ俳優はいゆう。1960年代ねんだいおよび1970年代ねんだいおおくのヒットきょくし、CBSのバラエティ番組ばんぐみThe Glen Campbell Goodtime Hour』の司会しかいられる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ショー・ビジネスにおけるやく50年間ねんかんで、キャンベルは70まい以上いじょうのアルバムを発表はっぴょうした。レコード4,500まんまいげ、12まいのゴールド・アルバム、4まいのプラチナ・アルバム、1まいのダブル・プラチナ・アルバムが認定にんていされた。『ビルボードのカントリー・チャート、ホット100、アダルト・コンテンポラリー・チャートに80きょくがランクインし、うち29きょくがトップ10にはいり、うち9きょくだい1になった。

ヒットきょくにはジョン・ハートフォードの「ジェントル・オン・マイ・マインド」、ジミー・ウェッブの「こいはフェニックス」、「ウィチタ・ラインマン」、「ガルベストン」、「おもわせぶり」、ラリー・ワイスの「ラインストーン・カウボーイRhinestone Cowboy)」、アラン・トゥーサンの「サザン・ナイツ」などがある。

1967ねん、「ジェントル・オン・マイ・マインド」がカントリー・アンド・ウエスタンで、「こいはフェニックス」がポップで、カントリーとポップの双方そうほうでグラミーしょう獲得かくとくした[3]初期しょきのヒットきょく3きょくが2000ねん、2004ねん、2008ねんグラミーの殿堂でんどうりをたし、2012ねん自身じしんがグラミー生涯しょうがい功労賞こうろうしょう受賞じゅしょうした。CMAアワードおよびACMアワード双方そうほう男性だんせいヴォーカリストしょう受賞じゅしょうしたことがあり、1968ねんにはCMAの最高さいこうしょうエンターテイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞じゅしょうした。1969ねん俳優はいゆうジョン・ウェイン映画えいが勇気ゆうきある追跡ついせき』にキャンベルを出演しゅつえんさせ、キャンベルはゴールデングローブしょう新人しんじんしょうにノミネートされた。キャンベルがうたったこのタイトルきょくアカデミーしょうにノミネートされた。

2011ねん、アルツハイマーびょう診断しんだんけたと発表はっぴょう

2017ねん8がつ8にち午前ごぜん10ごろ、アメリカ・ナッシュビルの施設しせつ死去しきょ。81さい[2]

経歴けいれき[編集へんしゅう]

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アーカンソーしゅうパイクぐんディライトちかくのちいさなまちビルズタウンにて、ジョン・ウエズリー・キャンベルとキャリー・デル(旧姓きゅうせいストーン)のもとに12にんきょうだいの7番目ばんめとしてまれた[4]かれ父親ちちおやスコットランドけい小作こさくじんであった[5][6]おさなころみをまなばずに叔父おじからギターのかたならった[7]。 1954ねん、キャンベルはアルバカーキ転居てんきょし、叔父おじのバンドであるディック・ビルズ&サンディア・マウンテン・ボーイズに参加さんか[8]叔父おじのラジオ番組ばんぐみにも出演しゅつえん[7]、さらにKOBの子供こどもローカル番組ばんぐみK Circle B Time 』にも出演しゅつえんした[9]。1958ねん、キャンベルは自身じしんのバンドであるウエスタン・ラングラーズを結成けっせいした[8]

1960ねん - 1966ねん: 初期しょき経歴けいれき[編集へんしゅう]

1960ねん、キャンベルはスタジオ・ミュージシャンになるべくロサンゼルス転居てんきょした[10][11]。このころチャンプスにも参加さんかした。すぐにキャンベルはスタジオ・ミュージシャンとしてたか評価ひょうかけ、のちのレッキング・クルーとなるスタジオ・ミュージシャン・グループに参加さんかした[11][12]。この時期じきボビー・ダーリンリッキー・ネルソンディーン・マーティンナット・キング・コールモンキーズナンシー・シナトラマール・ハガードジャン&ディーン[10]エルヴィス・プレスリー[13]フランク・シナトラフィル・スペクターらとレコーディングをおこなった[11][12]。1964ねん12月から1965ねん3がつ上旬じょうじゅん、キャンベルはブライアン・ウィルソン代役だいやくとしてザ・ビーチ・ボーイズのツアー公演こうえん参加さんかした[10]。またかれらのアルバム『ペット・サウンズ』などのレコーディングにギター奏者そうしゃとして参加さんかした。ツアー公演こうえんではベース・ギターおよびファルセットのハーモニーを演奏えんそうした。1966ねん4がつ、リック・ネルソンの極東きょくとうツアーにベース奏者そうしゃとして参加さんかした[14]。1967ねん、キャンベルはスタジオ・グループであるサジタリウスの『My World Fell Down』にクレジットしのリード・ヴォーカルとしてうたった。このきょくは『ビルボード』ホット100のだい70になった[15]

1961ねん - 1966ねん: ソロ活動かつどう初期しょき[編集へんしゅう]

1961ねん1がつまでに[16]、キャンベルは出版しゅっぱんしゃアメリカン・ミュージックで昼間ひるましょくつけ、作曲さっきょくやデモ演奏えんそうおこなった[7]。1961ねん5がつ、チャンプスを脱退だったい[17]、アメリカン・ミュージックの子会社こがいしゃクレスト・レコードと契約けいやくした。1まいのレコード『Turn Around Look At Me』は『ビルボード』ホット100でだい61となった[18]。チャンプスのもとメンバーとギー・シーズを結成けっせいし、ロサンゼルス郊外こうがいヴァン・ナイズにあるクロスボー・インにて演奏えんそうするようになった[19]。ギー・シーズとしてもクレストからAめんBuzz Saw』、BめんAnnie Had A Party』のインストゥルメンタルのシングルを発表はっぴょうしたがチャートりしなかった。

1962ねんキャピトル・レコード契約けいやくした[20]。キャピトルからの1まいToo Late to Worry, Too Blue to Cry』はややヒットしたが、グリーン・リバー・ボーイズft.グレン・キャンベルとしての『Kentucky Means Paradise以降いこうシングルもアルバムを成功せいこうにはいたらなかった。

1964ねんから、ロッド・キャメロンが司会しかいのシンジケートのテレビ番組ばんぐみStar Route[21]ABCの『Shindig!』、『Hollywood Jamboree』にレギュラー出演しゅつえんするようになった[22]。1965ねん、バフィー・セントメリーの「Universal Soldier」のカヴァーがホット100でだい45になった程度ていどで、まだだいヒットにはいたらなかった。ただし、歌詞かしめられた平和へいわへのメッセージについてかれたかれは「戦争せんそう反対はんたい主張しゅちょうする人々ひとびとは、くびるべきだ」とおうじた[23]

1967ねん - 1972ねん: Burning Bridges およびGoodtime Hour[編集へんしゅう]

そののシングルも成功せいこうせず、1966ねん、キャピトルはキャンベルの契約けいやく終了しゅうりょう検討けんとうし、キャンベルはプロデューサーのアル・ド・ロリーとチームをんだ[24]。1967ねん初頭しょとう最初さいしょのコラボレート作品さくひんBurning Bridges 』および同名どうめいアルバムがカントリー・チャートでだい20はいった[25]

1967ねん、キャンベルとド・ロリーはジョン・ハートフォード作曲さっきょくの「ジェントル・オン・マイ・マインド」でふたたびコラボレートした。

「ジェントル・オン・マイ・マインド」はすぐにヒットし、1967ねん後期こうきの「こいはフェニックスBy the Time I Get to Phoenix)」、1968ねんの「I Wanna Live」、「ウィチタ・ラインマンWichita Lineman)」がだいヒットした。1969ねん、キャンベルが出演しゅつえんした映画えいが勇気ゆうきある追跡ついせき』において、作曲さっきょくエルマー・バーンスタイン作詞さくしドン・ブラックによるテーマきょくTrue Grit」をうたい、アカデミーしょう楽曲がっきょくしょうおよびゴールデングローブしょうにノミネートされた。「ジェントル・オン・マイ・マインド」と「こいはフェニックス」でグラミーしょう受賞じゅしょうした。

1960年代ねんだい後期こうき最大さいだいのヒットはジミー・ウェッブ作曲さっきょくの「こいはフェニックス」、「ウィチタ・ラインマン」、「ガルベストン」、「Where's the Playground Susie」であった。「トライ・ア・リトル・カインドネス(Try a Little Kindness)」はビルボードチャートで1970ねん2がつに12記録きろくした[26]。1974ねんのアルバム『Reunion: The Songs of Jimmy Webb』でもウェッブがおも作曲さっきょくおこなったが、シングルのヒットにはならなかった。

1997ねんの『モジョ、2001ねんの『ブレンダー』えらぶ20世紀せいき代表だいひょうきょくに、「ウィチタ・ラインマン」がえらばれた。

1968ねんなつ、テレビのバラエティ番組ばんぐみThe Smothers Brothers Comedy Hour』の司会しかいつとめたのち、1969ねん1がつから1972ねん6がつCBSのバラエティ番組ばんぐみThe Glen Campbell Goodtime Hour』の司会しかいつとめた。かれ人気にんき上昇じょうしょうし、1970ねん、フレダ・クレイマーによる伝記でんきThe Glen Campbell Story』が出版しゅっぱんされた。

1970ねんごろ、ミシガン・ステート・フェア

番組ばんぐみないでキャンベルはビートルズ映像えいぞう)、デヴィッド・ゲイツブレッドモンキーズニール・ダイアモンドリンダ・ロンシュタットジョニー・キャッシュマール・ハガードウィリー・ネルソンウェイロン・ジェニングスロジャー・ミラーなどの著名ちょめいなアーティストとセッションをおこない、またアン・マレーのキャリアアップにつながった。なおこの番組ばんぐみにはメル・ティリスジェリー・リードがレギュラー出演しゅつえんしていた。

1960年代ねんだい後期こうきから1970年代ねんだい初頭しょとう、キャンベルはシングルをつづけ、また1969ねん、ジョン・ウェインやキム・ダービーとも映画えいが勇気ゆうきある追跡ついせき』に、1970ねん、キム・ダービーやジョー・ネイマスとも映画えいがNorwood』に出演しゅつえんした。

1973ねん - 1979ねん: Rhinestone CowboyおよびSouthern Nights[編集へんしゅう]

1972ねん、『Goodtime Hour』が終了しゅうりょうしたのちも、キャンベルは全国ぜんこくネットに出演しゅつえんつづけた。ロバート・カルプやティーン・アイドルのレイフ・ギャレットともにテレビ映画えいがStrange Homecoming』に出演しゅつえんした。1976ねんオリビア・ニュートン=ジョンとも司会しかいつとめた『Down Home, Down Under』などをふくめ、おおくのテレビ番組ばんぐみ司会しかいつとめた。1976ねんから1978ねんアメリカン・ミュージック・アワード共同きょうどう司会しかいつとめ、1976ねんNBCのスペシャル番組ばんぐみGlen Campbell: Back To Basics』にゲストのシールズ&クロフツやブレンダ・リーとも出演しゅつえんした。また『Donny & Marie』、『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン』、『シェール』、『Redd Foxx Comedy Hour』、『マーヴ・グリフィン』『The Midnight Special with ウルフマン・ジャック』、『DINAH!』『Evening at Pops with アーサー・フィードラー』、『The Mike Douglas Show』など全国ぜんこく放送ほうそうおおくのトーク番組ばんぐみやバラエティ番組ばんぐみにゲスト出演しゅつえんした。1982ねんから1983ねん、NBCの30分間ふんかんのシンジケートの音楽おんがく番組ばんぐみThe Glen Campbell Music Show』の司会しかいつとめた。

1970年代ねんだい中期ちゅうき、「Rhinestone Cowboy」、「サザン・ナイツ」(ともにUSだい1)、ニール・ダイアモンド作曲さっきょくSunflower」(USだい39)、「Country Boy (You Got Your Feet in L.A.)」(USだい11)などのヒットきょくした。

Rhinestone Cowboy』は当初とうしょ200まんまい以上いじょうげ、キャンベルにとって最大さいだいのヒットとなった。1974ねんオーストラリアのツアーでラリー・ウエイスがこれをカヴァーした。このきょくはディッキー・グッドマンによる映画えいがジョーズ』のパロディきょくミスター・ジョーズ』にまれ、1975ねん10がつ4にちの『ビルボード』ホット100のトップ10にどちらのきょくもランクインした。『Rhinestone Cowboy』はそのも『デスパレートなつまたち』、『チャーリーと14にんのキッズ』、『High School High』など映画えいがやテレビ番組ばんぐみ使用しようされている。1984ねんドリー・パートンシルヴェスター・スタローン映画えいがクラブ・ラインストーン/今夜こんや最高さいこう!』はこのきょくから着想ちゃくそうられた。

2002ねんイギリスのリッキー&ダズとともにこのきょくのテクノ・ポップばん製作せいさくし、ダンスばんやミュージック・ビデオとともにイギリスのチャートのトップ10にランクインした。

1975ねんには日本にっぽんがわからの企画きかく日本にっぽんコカ・コーラのCMソング「カミング・ホーム」をうたい、これがみずとなり来日らいにち公演こうえんにつながる。このきょくはアルバム『Rhinestone Cowboy』のボーナス・トラックとしてCDされている。

アラン・トゥーサン作曲さっきょくの「サザン・ナイツ」はポップ、ロック、カントリーのチャートでだい1獲得かくとくし、クロスオーヴァー・ヒット、および1977ねんにジュークボックスでもっとながされたきょくとなり、このきょくのイントロ部分ぶぶんのギター演奏えんそうはジミー・ウエブやジェリー・リードに影響えいきょうあたえた(編曲へんきょくチャーリー・カレロ)。

1971ねんから1983ねんPGAツアーのプロゴルフ・トーナメントにおいて、ロサンゼルス・オープン司会しかいつとめた。

1980年代ねんだい - 2000年代ねんだい: キャリア後期こうきおよびカントリー・ミュージックの殿堂でんどう[編集へんしゅう]

1980ねんクリント・イーストウッド主演しゅえん映画えいがダーティファイターえよ鉄拳てっけん』でタイトルきょくうたい、カメオ出演しゅつえんした。

1991ねんドン・ブルース監督かんとく映画えいがRock-A-Doodle』でエルヴィス・プレスリーこえ主役しゅやく雄鶏おんどりシャンティクリアやくこえ担当たんとうした。

1999ねんVH1の『Behind the Music』、2001ねんA&E Networkの『Biography』、そしてカントリー・ミュージック・テレビジョン(CMT)のおおくの番組ばんぐみ特集とくしゅうされた。2003ねん、『CMT's 40 Greatest Men of Country Music』でだい29となった。

2004ねん

またかれアラン・ジャクソンのブレイクの一躍いちやくになった。キャンベルはピードモント航空こうくうのフライト・アテンダントであったジャクソンのつまアトランタ空港くうこう出会であい、彼女かのじょ出版しゅっぱんマネージャーの名刺めいしわたした。1990年代ねんだい初頭しょとう、キャンベルの音楽おんがく出版しゅっぱんビジネスにジャクソンがかかわることになり、のちにキャンベルの会社かいしゃであるセヴンス・サン・ミュージックからおおくのヒットきょくすこととなった。[27]またキース・アーバンはキャンベルから多大ただい影響えいきょうけたとかたった[28][29]

2005ねんカントリー・ミュージック殿堂でんどう殿堂でんどうりした[30]

2008ねん4がつあらたなアルバム『Meet Glen Campbell』の出版しゅっぱんのために15ねんぶりにキャピトル・レコードにもどることを発表はっぴょう[31]、8がつ19にちにこのアルバムを出版しゅっぱんした。このアルバムでトラヴィスU2トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズジャクソン・ブラウンフー・ファイターズなどのきょくをカヴァーし、様々さまざま音楽おんがく方向ほうこうせいしめした。チープ・トリックジェリーフィッシュのミュージシャンもこのアルバムに参加さんかした。このアルバムからの1まいのシングルカットはグリーン・デイの『Good Riddance (Time of Your Life)』のカヴァーであり、2008ねん7がつにラジオで最初さいしょながされた。2010ねん3がつ、『Meet Glen Campbell』の続編ぞくへんとなる『Ghost on the Canvas』の出版しゅっぱん発表はっぴょう[32]、ポール・ウエスタバーグがタイトルきょく作曲さっきょくし、ウォールフラワーズのジェイコブ・ディランクリス・アイザック、リック・ネルソン、スマッシング・パンプキンズビリー・コーガンなどとコラボレートし、2011ねん8がつ30にち出版しゅっぱんした[よう出典しゅってん]

2013ねん1がつ、ロサンゼルスで「I'm Not Gonna Miss You」をレコーディングした。このきょくは2014ねん9がつ30にち公開こうかいのドキュメンタリー映画えいがGlen Campbell: I'll Be Me』で使用しようされた[33][34]。2015ねん1がつ15にち、キャンベルおよびジュリアン・レイモンドがこのきょくだい87かいアカデミーしょうにおいてアカデミー歌曲かきょくしょうにノミネートされた。2月22にちドルビー・シアターおこなわれた授賞じゅしょうしきにおいて、病床びょうしょう参加さんかできないキャンベルのわりにティム・マグロウうたった[35]

2017ねん6がつ23にち自身じしんおわりかつとして2012ねんから13ねんにかけてレコーディングしていた12きょく最後さいごのアルバム「Adiós」として発売はつばい。それからわずか1ヶ月かげつはんの8がつ8にち、このアルバムを遺言ゆいごんとするかのように、ナッシュビルの療養りょうよう施設しせつでこのわかれをげた。

プライベート[編集へんしゅう]

家族かぞく[編集へんしゅう]

キャンベルはこれまで4かい結婚けっこんし、1956ねんから1986ねんまれた5めい息子むすこと3めいむすめ父親ちちおやである。だいいち長女ちょうじょデビーはダイアン・カーク(婚姻こんいん期間きかん1955ねん-1959ねん)とのあいだまれた[36]。カークとの離婚りこんニューメキシコしゅうカールズバッド出身しゅっしん美容びようビリー・ジーン・ナンリーと再婚さいこんし、ケリー、トラヴィス、ケインをもうけ、1975ねん離婚りこんした。その直後ちょくご不倫ふりんすえ、1976ねんマック・デイヴィスの2番目ばんめつまサラ・バーグと再々さいさいこんした。ディロンをもうけたが、生後せいご3週間しゅうかんの1980ねん離婚りこんした[37]

1980ねんから1981ねん、キャンベルは21さいのカントリー歌手かしゅタニヤ・タッカーしたしく交際こうさいし、すうげつあいだタブロイド恰好かっこうのネタになっていた[38]。1982ねん、キンバリー・ウーレン(愛称あいしょうキム)と再々さいさいこんした[39][40]。1982ねんブラインドデートしたとき、ウーレンはラジオシティ・ミュージックホールロケッツ一員いちいんであった。カール、シャノン、アシュリーをもうけ[41]子供こどもたちは2010ねんからキャンベルのツアー・バンドに参加さんかしている[42]Church of Christ信仰しんこうしてきたが[43]ウーレンとともアリゾナしゅうフェニックスのバプティスト教会きょうかい参加さんかした[44]。2008ねんのインタビューで、やく20ねんメシアニック・ジュダイズム信仰しんこうしているとかたった[45]

ゴルフ[編集へんしゅう]

前述ぜんじゅつとおり、70年代ねんだいから80年代ねんだいにかけてPGAツアーのロサンゼルス・オープン(現在げんざいジェネシス・インビテーショナル)のホストをつとめるなど、だいのゴルフきとしてもられていた。日本にっぽんでも『11PM』のまねきにより来日らいにちし、大橋おおはし巨泉きょせんと2、マッチプレーをたたかっている[46]対戦たいせん成績せいせきは1しょう1はい

政治せいじ[編集へんしゅう]

ツアー『The Glen Campbell Goodtime Hour 』において、キャンベルは政治せいじてき話題わだいけた[47][48][49]。この時期じきのインタビューにおいて、「民主党みんしゅとう支持しじしゃであるが、なん共和党きょうわとう投票とうひょうしたことがある」とかた[50][51][52]共和党きょうわとう民主党みんしゅとう双方そうほう政治せいじのために演奏えんそうしたこともある[51][53][54]。1980ねん共和党きょうわとう全国ぜんこく大会たいかい国歌こっか演奏えんそう[55]、1980年代ねんだいから1990年代ねんだい共和党きょうわとう候補者こうほしゃおおくのキャンペーンで演奏えんそうつづけた[56][57][58]

アルツハイマー[編集へんしゅう]

2011ねん6がつ半年はんとしまえにアルツハイマーと診断しんだんされたことを発表はっぴょうした[59]

最後さいごのツアーとして『Goodbye Tour』をおこない、自身じしん子供こども3めいがバック・バンドに参加さんか[60][61]、2012ねん11月30にち、カリフォルニアしゅうナパまくじた[62]。2012ねん2がつ12にち、グラミーしょう授賞じゅしょうしきにおいて、さよならとして『Rhinestone Cowboyうたった[63]

2014ねん4がつ、78さい長期間ちょうきかんのアルツハイマー治療ちりょう施設しせつ入所にゅうしょしたことがほうじられた[64][65]

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

フィルモグラフィ[編集へんしゅう]

とし だい[66][67] やく 特記とっき事項じこう
1965 ハイウェイ
Baby the Rain Must Fall
バンド・メンバー(クレジットし)
1967 FBIアメリカ連邦れんぽう警察けいさつ
The F.B.I.
Larry Dana エピソード: Force of Nature
1967 The Cool Ones Patrick
1969 勇気ゆうきある追跡ついせき
True Grit
La Boeuf
1969ねん - 1972 The Glen Campbell Goodtime Hour 司会しかい
1970 Norwood Norwood Pratt
1976/1977/1978 アメリカン・ミュージック・アワード
American Music Awards
司会しかい
1980 Solid Gold 共同きょうどう司会しかい 2エピソード
1980 ダーティファイター えよ鉄拳てっけん
Any Which Way You Can
ライオン・ダラー・カウボーイ・バーの歌手かしゅ
1982 The Glen Campbell Music Show 司会しかい 24エピソード
1986 元気げんきるウエスタン/荒野あらの最高さいこう!
Uphill All the Way
Capt. Hazeltine
1991 子猫こねこになった少年しょうねん
Rock-A-Doodle
シャンテクレア(こえ
1997 Players Jesse Dalton エピソード: In Concert
2014 I'll Be Me ドキュメンタリー

受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

グラミーしょう

受賞じゅしょうねん 部門ぶもん 作品さくひん 結果けっか
1967 男性だんせいカントリー・ヴォーカルしょう ジェントル・オン・マイ・マインド」 - "Gentle on My Mind" 受賞じゅしょう
カントリー・アンド・ウェスタン・レコーディングしょう 「ジェントル・オン・マイ・マインド」 - "Gentle on My Mind" 受賞じゅしょう
男性だんせいヴォーカルしょう こいはフェニックス」 - "By the Time I Get to Phoenix" 受賞じゅしょう
コンテンポラリー・グループしょう こいはフェニックス」 - "By the Time I Get to Phoenix" 受賞じゅしょう
1968 アルバム・オブ・ジ・イヤー こいはフェニックス』 - By the Time I Get to Phoenix 受賞じゅしょう
男性だんせいカントリー・ヴォーカルしょう "I Wanna Live" ノミネート
男性だんせいポップ・ヴォーカルしょう ウィチタ・ラインマン」 - "Wichita Lineman" ノミネート
レコード・オブ・ジ・イヤー 「ウィチタ・ラインマン」 - "Wichita Lineman" ノミネート
1976 男性だんせいカントリー・ヴォーカルしょう "Country Boy (You Got Your Feet in L.A.)" ノミネート
男性だんせいポップ・ヴォーカルしょう "Rhinestone Cowboy" ノミネート
レコード・オブ・ジ・イヤー "Rhinestone Cowboy" ノミネート
1981 カントリー・デュオ/グループ・パフォーマンスしょう "Dream Lover"(タニヤ・タッカーとのデュエット) ノミネート
1982 子供こどもけアルバムしょう Sesame Country複数ふくすうのアーティスト。『セサミストリート』サウンドトラック) 受賞じゅしょう
1986 インスピレーショナル・パフォーマンスしょう No More Night ノミネート
1988 カントリー・アンド・ウエスタン・ヴォーカルしょう "The Hand That Rocks the Cradle"(スティーヴ・ウォリナーとのデュエット) ノミネート
カントリー・アンド・ウエスタン・ヴォーカルしょう "'You Are"(エミルー・ハリスとのデュエット) ノミネート
2000 グラミーの殿堂でんどう 「ウィチタ・ラインマン」 - "Wichita Lineman" (1968ねん) 受賞じゅしょう
2004 グラミーの殿堂でんどう こいはフェニックス」 - "By the Time I Get to Phoenix" (1967ねん) 受賞じゅしょう
2008 グラミーの殿堂でんどう 「ジェントル・オン・マイ・マインド」 - "Gentle on My Mind" (1967ねん) 受賞じゅしょう
2012 グラミー生涯しょうがい功労賞こうろうしょう[68] 受賞じゅしょう
2015 カントリー楽曲がっきょくしょう "I'm Not Gonna Miss You"(ども作者さくしゃジュリアン・レイモンドと) 受賞じゅしょう
最優秀さいゆうしゅう楽曲がっきょくしょう映画えいが、テレビ、その映像えいぞう部門ぶもん "I'm Not Gonna Miss You" ノミネート

ACMしょう[69]

受賞じゅしょうねん 部門ぶもん 作品さくひん 結果けっか
1967 シングルしょう ジェントル・オン・マイ・マインド 受賞じゅしょう
アルバムしょう Gentle on My Mind 受賞じゅしょう
男性だんせいヴォーカリストしょう Gentle on My Mind 受賞じゅしょう
1968 アルバムしょう Bobbie Gentry & Glen Campbell 受賞じゅしょう
男性だんせいヴォーカリストしょう 受賞じゅしょう
TV司会しかいしゃしょう 受賞じゅしょう
1971 TV司会しかいしゃしょう 受賞じゅしょう
1975 シングルしょう Rhinestone Cowboy 受賞じゅしょう
1998 パイオニアしょう 受賞じゅしょう
2015 ビデオしょう I'm Not Gonna Miss You[70] 決定けってい
  • CMAアワード
    • 1968ねん: エンターテイナー・オブ・ザ・イヤー(最高さいこうしょう
    • 1968ねん: 男性だんせいヴォーカリストしょう
  • GMA Dove Awards[71](ゴスペル・ミュージック・アソシエーションによる)
    • 1986ねん: 宗教しゅうきょうてきアーティストによるアルバムしょうNo More Night
    • 1992ねん: 南部なんぶゴスペル楽曲がっきょくしょうWhere Shadows Never Fall
    • 2000ねん: カントリー・アルバムしょうA Glen Campbell Christmas

日本にっぽん公演こうえん[編集へんしゅう]

  • 1975ねん
5月16にち 中野なかのサンプラザ、19にち,20日はつか 大阪おおさか厚生こうせい年金ねんきん会館かいかん、24にち 名古屋なごや公会堂こうかいどう、25にち 中野なかのサンプラザ、28にち,29にち 東京厚生年金会館とうきょうこうせいねんきんかいかん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Planer, Lindsay. “Old Hometown review”. allmusic. 2011ねん11月12にち閲覧えつらん
  2. ^ a b べいカントリーかいだい御所ごせグレン・キャンベルさん死去しきょ 81さい”. AFP (2017ねん8がつ9にち). 2017ねん8がつ9にち閲覧えつらん
  3. ^ Grammy Winners 1967”. Grammy Awards Official Site. 2011ねん11月12にち閲覧えつらん
  4. ^ https://encyclopediaofarkansas.net/entries/glen-campbell-603/
  5. ^ Dwyer, Michael (2009ねん11月20にち). “Through a rhinestone darkly”. The Age (Australia). https://www.theage.com.au/entertainment/music/through-a-rhinestone-darkly-20091120-ge8712.html 2011ねん6がつ26にち閲覧えつらん 
  6. ^ Gray, Michael (1998ねん12月2にち). “A Glen Campbell Christmas The Rhinestone Cowboy Celebrates Holiday Season with New Album, TNN Special and Tour”. Country Music Television. https://www.cmt.com/news/country-music/1473574/a-glen-campbell-christmas.jhtml 2011ねん6がつ26にち閲覧えつらん 
  7. ^ a b c Antus, Paul L.. “'Turn Around, Look at Me' A Glen Campbell Invitation”. Branson's Review. 2012ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]