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ジョニー・キャッシュ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョニー・キャッシュ
1969ねんのジョニー・キャッシュ
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい J. R. Cash
生誕せいたん 1932ねん2がつ26にち
死没しぼつ (2003-09-12) 2003ねん9月12にち(71さいぼつ
ジャンル カントリーロカビリー、フォーク、ロック、ブルース、クリスチャン・ミュージック
担当たんとう楽器がっき ボーカルギター
活動かつどう期間きかん 1954ねん - 2003ねん
公式こうしきサイト johnnycash.com

ジョン・R・"ジョニー"・キャッシュ(John R. "Johnny" Cash、1932ねん2がつ26にち - 2003ねん9月12にち)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくシンガーソングライター俳優はいゆう作家さっか[1]カントリーロック、ロカビリー歌手かしゅ作曲さっきょく

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

カントリー・ミュージシャンを中心ちゅうしんに、20世紀せいき一部いちぶのミュージシャンに影響えいきょうあたえたとられている[2]カントリーのアイコンとしてられているが、きょくやサウンドのジャンルのはばロックロカビリーブルースロック、クリスチャン・ミュージックと多岐たきわたる。この多様たようせいにより、カントリー・ミュージック殿堂でんどうロックの殿堂でんどうゴスペル・ミュージックの殿堂でんどう複数ふくすう殿堂でんどうりをたした。活動かつどう初期しょきにはサン・レコードに所属しょぞくし、ロカビリーのレコードを発表はっぴょうした。エルヴィス・プレスリーとは、レーベル・メイトであった。

特徴とくちょうのあるふかいバス=バリトンのこえ[a][4]、バックバンドのザ・テネシー・スリー独特どくとくのサウンド、憂鬱ゆううつ謙虚けんきょ[3]あわ反逆はんぎゃくのイメージ[5][6]刑務所けいむしょ無料むりょうコンサート[7][8]ニックネーム「メン・イン・ブラック」のもととなったトレードマークのくろふく着用ちゃくようられている[b]。コンサートではつねにシンプルに「Hello, I'm Johnny Cash. 」ではじまり[c]つづいて名曲めいきょくFolsom Prison Blues 』を演奏えんそうしていた。

キャッシュの音楽おんがくおおく、とく後年こうねん作品さくひん悲哀ひあい道徳どうとくてき試練しれん贖罪しょくざいをテーマにしている[3][11]。『I Walk the Line 』、『Folsom Prison Blues 』、『Ring of Fire 』、『Ghost Riders in the Sky[12]』、『Guess Things Happen That Way 』、『Man in Black 』などのきょくられている。ほかにも『One Piece at a Time 』、『A Boy Named Sue[13]のちつまとなるジューン・カーター・キャッシュen:June Carter Cash)とのデュエット『Jackson 』、鉄道てつどうをテーマにした『ヘイ・ポーター』、『Rock Island Line 』などユーモラスなきょくもある[14]後年こうねん、キャッシュはナイン・インチ・ネイルズの『Hurt 』など、20世紀せいきのロックをいくつかカヴァーした。

2003ねん死去しきょするまでにはなったヒットきょくすうは140きょく以上いじょうで、そのヒットきょく最多さいた売上うりあげきょくすう世界せかい記録きろく保持ほじしゃエルヴィス・プレスリーの151きょくせま数字すうじである。年間ねんかん4まい以上いじょうアルバムを発売はつばいしたとしおおい。レコードとCD累計るいけい売上うりあげがこれまでに5,000まんまい記録きろくしており、グラミーしょうも11かい受賞じゅしょうし、ほかにも数々かずかず受賞じゅしょうれきっている。「ロックの反逆はんぎゃくせいと、カントリーの哀愁あいしゅうフォークかたくち」といわれる独自どくじ世界せかいかんうた特徴とくちょうで、クリス・クリストファーソンリック・ルービン、マール・ハガード、U2のボノ、ボブ・ディランウィリー・ネルソンウェイロン・ジェニングスアル・ゴア[15]らから共感きょうかん尊敬そんけいている。支持しじ政党せいとうアメリカ民主党みんしゅとう

キャッシュは53さいときに、カントリーぎらいで有名ゆうめいフランク・ザッパ出会であった。両者りょうしゃとも民主党みんしゅとう支持しじだったため相性あいしょうかったのか、後日ごじつザッパはコンサートでキャッシュの「リング・オブ・ファイア」をうたった[16]

前妻ぜんさいとのむすめローザンヌ・キャッシュ[17](81ねんに「セブン・イヤー・エイク」のヒットあり)や、ジューンとの息子むすこジョン・カーター・キャッシュ、ジューンとぜん前夫ぜんふむすめカーリーン・カーターなども歌手かしゅである。

ローリング・ストーンのえら歴史れきしじょうもっと偉大いだいな100にんのシンガー」においてだい21[18]

「ローリング・ストーンのえら歴史れきしじょうもっと偉大いだいな100くみのアーティスト」においてだい31[19]

Qえら歴史れきしじょうもっと偉大いだいな100にんのシンガー」においてだい14[20]

プロフィール[編集へんしゅう]

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1932ねんアーカンソーしゅうキングスランドに[21]レイ・キャッシュ(1897ねん5がつ13にち - 1985ねん12月23にち)[22]とキャリー・クロヴリー(旧姓きゅうせいリヴァーズ、1904ねん3がつ13にち - 1991ねん3がつ11にち)[23][24]のもとに7にんきょうだいの4番目ばんめとしてまれた。空軍くうぐん入隊にゅうたいするさい、イニシャルの使用しようができなかったため法的ほうてきにジョン・R・キャッシュと名付なづけた。1955ねんサン・レコード契約けいやくするさい芸名げいめいとしてジョニー・キャッシュと名付なづけた[25]

キャッシュの兄弟きょうだいは、ロイ、マーガレット・ルイーズ、ジャック、J・R、リーバ、ジョアンヌ、トミーである[26][27]。キャッシュのすえおとうとトミー・キャッシュもカントリー・アーティストとして成功せいこうをおさめた。

1935ねん3がつ、キャッシュが3さいとき、アーカンソーしゅうダイエスにんでいた。一家いっかどうしゅうダイエスの失業しつぎょう救済きゅうさいきょく作業場さぎょうば綿花めんかそだ生計せいけいてており、かれも5さいごろからあにジャックとともに家族かぞく農業のうぎょう手伝てつだいをし、はたらきながら家族かぞくうたっていた。この農場のうじょうすくなくとも2かい洪水こうずい被害ひがいっており、この経験けいけんもとのちに『Five Feet High and Rising 』を作曲さっきょくした[28]世界せかい恐慌きょうこうのあおりをけて家計かけい逼迫ひっぱくし、この経験けいけんもとおおくのきょく作曲さっきょくした。

キャッシュはあにのジャックととてもなかかった[29]。1944ねん5がつ農場のうじょう機械きかいまれ、あやうく2人ふたりとも被害ひがいうところであったが、1週間しゅうかん重体じゅうたいのち1944ねん5がつ20日はつかジャックのみが15さいくなった[28]。キャッシュはこの出来事できごとかんしてしばしば罪悪ざいあくかんくちにしていた。自伝じでんCash: The Autobiography 』によると、あのあさちちはいなかったが、ちちははもそしてジャックもまるで予兆よちょうかんじていたかのようで、はははジャックに仕事しごとかずにりにくよううながしていた。ジャックは家計かけいのことをかんが仕事しごとえらんだ。ふちでジャックは天国てんごく天使てんしえるとかたった。かずじゅうねん、キャッシュは天国てんごくあにえることがたのしみだとかたった。

幼少ようしょうころゴスペルやラジオからおおきな影響えいきょうけた。おも幼馴染おさななじみからギターをならい、12さい演奏えんそうおよび作曲さっきょくはじめた。わかころたかめのテナーのこえで、そのバス=バリトンになった[30]。カーター・ファミリーのメンバーでカーター次女じじょジューン・カーターは、のちにかれつまとなった。高校生こうこうせいとき地元じもとのラジオきょくうたっていた。かずじゅうねん伝統でんとうてきなゴスペルきょくあつめたアルバム『My Mother's Hymn Book 』を発表はっぴょうした。ジャック・ベニーのラジオ番組ばんぐみ毎週まいしゅうデニス・デイうたっていた伝統でんとうてきアイルランド音楽おんがくにもおおきな影響えいきょうけた[31]

1950ねん7がつ7にちアメリカ空軍くうぐん入隊にゅうたいした[32]テキサスしゅうサンアントニオにあるラックランド空軍くうぐん基地きちでの基礎きそ訓練くんれん、ブルックス空軍くうぐん基地きちでの技術ぎじゅつ訓練くんれんのちドイツランヅバーグにある合衆国がっしゅうこく空軍くうぐん通信つうしん保安ほあんだい12通信つうしんたいにソビエトぐんモールス信号しんごう傍受ぼうじゅオペレーターとして配属はいぞくされた[33]。ここでかれは「ザ・ランヅバーグ・バーバリアンズ」というのバンドをはじめて組織そしきした[34]かれはじめて傍受ぼうじゅしたニュースはヨシフ・スターリンであった[35]。1954ねん7がつ3にちさんとう軍曹ぐんそうとなり、テキサスしゅうもどった[36]

結婚けっこんおよび家族かぞく[編集へんしゅう]

1951ねん7がつ18にち空軍くうぐん訓練くんれんちゅう、サンアントニオのローラースケートじょう地元じもとの17さいのヴィヴィアン・リベルトと出会であった。交際こうさい3週間しゅうかん、キャッシュはドイツに3年間ねんかん赴任ふにんすることになった。このあいだ2にん全部ぜんぶなんひゃくページにもおよぶラブレターを交換こうかんした[37]退役たいえきから1かげつの1954ねん8がつ7にち2人ふたりはサンアントニオにあるセント・アン・カトリック教会きょうかい結婚式けっこんしきげた。しき彼女かのじょのおじのヴィンセント・リベルトがつかさどった。2人ふたりロザンヌ・キャッシュ、キャシー、シンディ、タラの4にん姉妹しまいをもうけた。リベルトによると、キャッシュの薬物やくぶつおよびアルコール依存いぞんしょう、コンサート・ツアーによるすれちがい、浮気うわきなどになやまされ、ジューン・カーターとの関係かんけいがねとなり1966ねん離婚りこんした。

キャッシュのキャリアはロンドンのプロモーターであるソウル・ホリフにまかせており、2人ふたり関係かんけいはソウルの息子むすこ製作せいさくしたドキュメンタリー映画えいがMy Father and the Man in Black 』にえがかれている[38]

1977ねん

グランド・オール・オープリー』の舞台裏ぶたいうらはじめて出会であってから13ねんの1968ねんカナダオンタリオしゅうロンドンでのライヴ演奏えんそうちゅう、キャッシュは有名ゆうめいカーター・ファミリーのジューン・カーターにプロポーズした[39]。1968ねん3がつ1にちケンタッキーしゅうフランクリンで2人ふたり結婚けっこんした。1970ねん3がつ3にち1人ひとり息子むすこジョン・カーター・キャッシュをもうけた。2003ねんにカーターがくなるまでの35年間ねんかん2人ふたりはコンサート・ツアーをふく音楽おんがく活動かつどうともった。キャッシュはカーターがくなった4かげつくなった。

祖先そせん[編集へんしゅう]

キャッシュは自身じしんのルーツをさぐり、おもスコットランドイングランド祖先そせんつことをった。父方ちちかた祖先そせんにはスコットランド王家おうけマルカム4せいながれをんでいた[40][41][42]。スコットランドのファイフのフォークランドの当時とうじ地主じぬしであったMajor Michael Crichton-Stuart との面会めんかい11世紀せいきまでさかのぼってキャッシュ家系かけい製作せいさくした[43][44][45]。キャッシュなど、キャッシュ由来ゆらいする名前なまえがファイフのあちこちにある[43]

ネイティブ・アメリカンいていないことがわかってからも、かれらにたいする共感きょうかん慈悲じひよわまることはなかった。かれらへの感情かんじょうは『Apache Tears 』、『The Ballad of Ira Hayes 』、アルバム『Bitter Tears: Ballads of the American Indian 』など様々さまざまきょくでみることができる。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

初期しょき[編集へんしゅう]

1954ねん、キャッシュとリベルトはテネシーしゅうメンフィスうつみ、ラジオのアナウンサーになる勉強べんきょうをしながら電化でんか製品せいひん販売はんばい生計せいけいてて、よるルーサー・パーキンスギター)、マーシャル・グラントダブルベースのちエレキベース)ととも演奏えんそうしていた。パーキンスとグラントはテネシー・トゥとしてられていた。キャッシュはレコード契約けいやくるために、徐々じょじょサン・レコードおとずれる勇気ゆうきいてきていた。同年どうねんまつにメンフィスのローカル・レーベル「サン・レコード」のメンフィス・レコーディング・サーヴィスでレコードづくりを依頼いらい、「製作せいさくりょうは4ドル」とかされた金欠きんけつのジョニーはおどろくが当時とうじエルヴィス・プレスリー(1954ねんデビュー)のプロデュースにいそがしかったサン社長しゃちょうでプロデューサーのサム・フィリップスのオーディションをけた。サム・フィリップスによるオーディションでおもにゴスペルきょくうたったが、フィリップスはもうゴスペルきょく採用さいようしていないとかたった。このときフィリップスは「いえかえって犯罪はんざいでもしろ。それできょくつくってってきたら採用さいようしてやる」とかたったといううわさがあったが、2002ねんのインタビューでキャッシュはフィリップスはそのようなことはっていないと否定ひていした[46]。キャッシュは以前いぜんのロカビリーのスタイルで新曲しんきょく披露ひろうし、契約けいやくけた。ちなみにカントリー歌手かしゅになったのちもキャッシュはゴスペルをしばしばライヴなどでうたっている。サン・レコードはほかにもにジョニーの紹介しょうかい契約けいやくするロイ・オービソンカール・パーキンスジェリー・リー・ルイスといったおおくの初期しょきのロックスターを輩出はいしゅつしていく。

1955ねん

1955ねん6がつ下旬げじゅん、サン・レコードからシングル『ヘイ・ポーター(Hey Porter )』(BめんCry! Cry! Cry! 』)を発売はつばいし「ジョニー・キャッシュとテネシー2」としてデビューした。ビルボード全米ぜんべいカントリーチャート14記録きろくするヒットになった(以下いか、ポップ・チャートもふく記録きろくすべてビルボードによる)。

同年どうねん12がつ、シングル『フォーサム・プリズン・ブルース』を発売はつばいした。カントリー・チャート4だいヒットとなった。エルヴィス・プレスリーはインディーのサン・レコードから、メジャーのRCAレコード移籍いせきした。キャッシュは低音ていおんで「やあ、わたしはジョニー・キャッシュです。("Hello,I'm Johnny Cash.")」という舞台ぶたいじょう挨拶あいさつ開始かいしした。

1956ねん4がつ、シングル『アイ・ウォーク・ザ・ライン(I Walk The Line )』を発売はつばいはつの6しゅう連続れんぞく1獲得かくとく。ポップ・チャートでも20にランクインし人気にんき歌手かしゅをほしいままにした。

1956ねん12月4にちジェリー・リー・ルイスのピアノ演奏えんそうによりカール・パーキンスがサン・スタジオで新曲しんきょくのレコーディングちゅうエルヴィス・プレスリーがフィリップスのもとをおとずれた。このときキャッシュもスタジオにおり、4にん即興そっきょうでジャム・セッションをはじめた。このとき演奏えんそうのほぼ半数はんすうはゴスペルで、フィリップスはこの模様もよう録音ろくおんしてのちに『ミリオン・ダラー・カルテット』として発表はっぴょうされた。自伝じでんCash: the Autobiography 』のなかで、キャッシュはマイクから一番いちばんとおく、プレスリーにわせていつもよりたかいピッチでうたっていたとしるした。

1957ねん7がつ、『Home of the Blues 』をレコーディングし、同年どうねん、キャッシュはサン・レコードではじめてLPレコードを発表はっぴょうした。当時とうじサン・レコードでげも作品さくひんすう最高さいこうであったが、フィリップスはキャッシュがゴスペルをレコーディングすることに意欲いよくてきでなく、また一般いっぱんてきに5%であったロイヤルティーたいし3%であったため、このちいさなレコード会社かいしゃ契約けいやくしていることを窮屈きゅうくつかんじるようになっていた。プレスリーはすでにサン・レコードをはなれており、フィリップスはルイスのプロモーションにちかられていた。翌年よくねんキャッシュはサン・レコードをはなれ、大手おおてコロムビア・レコードげんソニー・ミュージックエンタテインメント)と契約けいやくしてシングル『Don't Take Your Guns to Town 』を発表はっぴょうし、だいヒットさくの1つとなった。

このころからロックンロールの紹介しょうかいしゃであるアラン・フリードDJ)の「ペイオラ賄賂わいろ疑惑ぎわく事件じけん」による解雇かいこ(1958ねん)やエルヴィスの陸軍りくぐん入隊にゅうたい(1958ねん)、チャック・ベリー裁判さいばん沙汰さたによる失速しっそく(1959ねん)、バディ・ホリーらの事故死じこし(1959ねん2がつ)など初期しょきのロックンローラーが様々さまざま事件じけん事故じこまれた。

1960ねん、"フルーク"の愛称あいしょうしたしまれるドラマーのW.S.ホランドがバンドに加入かにゅうし、バンドめいは「ジョニー・キャッシュとテネシー3」になった。ホランドはカントリーかい最初さいしょのドラマーの1人ひとりである。

1960年代ねんだい初頭しょとう、キャッシュはカーター・ファミリーのマザー・メイベル & カーター・シスターズ(アニタ、ジューン、ヘレン)とともにコンサート・ツアーをおこなうようになった。また、マルチプレイヤーのロイ・クラークともこのころから共演きょうえんをしたりしていた。

1960年代ねんだいピート・シーガー短命たんめい番組ばんぐみRainbow Quest 』に出演しゅつえんした[47]。1961ねん映画えいがFive Minutes to Live 』に主演しゅえん、オープニング・テーマきょく作曲さっきょくおよび演奏えんそうおこなった。

アウトローのイメージ[編集へんしゅう]

1950年代ねんだい後期こうきにキャリアがはじまり、キャッシュは大量たいりょう飲酒いんしゅおよびアンフェタミンバルビツレート中毒ちゅうどくになった。短期間たんきかん重度じゅうどのアンフェタミン中毒ちゅうどくウェイロン・ジェニングスナッシュビルのアパートをシェアしていた。コンサート・ツアーちゅう自分じぶん覚醒かくせいさせるために上記じょうき薬物やくぶつ使用しようしていた。友人ゆうじんたち冗談じょうだんで「神経質しんけいしつ」、変人へんじんなどとい、おおくのものかれ薬物やくぶつ中毒ちゅうどく危険きけん信号しんごう見逃みのがしていた。『The Johnny Cash Show 』の舞台裏ぶたいうらでキャッシュは「すべての薬物やくぶつためした」とかたった。

まけ連鎖れんさつづいていたが、キャッシュのあつ創作そうさく意欲いよくによりヒットさく連発れんぱつしていた。1963ねん、『リング・オブ・ファイア(Ring Of Fire )』がカントリー・チャート7しゅう連続れんぞく1に、ポップ・チャートでトップ20以内いないにランクインし、クロスオーバーでヒットした。このきょくはジューン・カーターとマール・キルゴアが作曲さっきょくした。このきょく元々もともとジューンの姉妹しまい演奏えんそうしていたのだが、キャッシュが自分じぶんゆめとおりにマリアッチ・スタイルの管楽器かんがっきくわえた[48]。ヴィヴィアン・リベルトは彼女かのじょ著書ちょしょI Walked the Line: My Life with Johnny 』で異論いろんとなえ、経済けいざいてき事情じじょうにより作曲さっきょくしゃめいをキャッシュがカーターに変更へんこうしたのだとかたった[49]

1964ねん

1965ねん6がつ車輪しゃりん軸受じくうけ過熱かねつかれのトラックから出火しゅっかし、これががねとなりカリフォルニアしゅうのロス・パドレス国有こくゆうりんなんひゃくエーカーにもおよぶ森林しんりん火災かさいこした[50][51]裁判官さいばんかんがキャッシュにこれについてたずねるとキャッシュは「わたしはやってない。トラックが勝手かってにやって自爆じばくした。あなたはわたし質問しつもんすることはできない」とこたえた[28]。この火災かさいで508エーカー(206ヘクタール)、3やまき、53しかいなかった絶滅ぜつめつ寸前すんぜんカリフォルニアコンドルのうち49ってしまった[52]。キャッシュは反省はんせいもなく「ハゲタカのことなんかどうでもいい」とかたった。連邦れんぽう政府せいふかれうったえ、125,172ドル(2014ねん貨幣かへい価値かちで936,741ドル).をした。最終さいしゅうてき示談じだんによりキャッシュは82,001ドルを支払しはらった[53]森林しんりん火災かさいこし、連邦れんぽう政府せいふからうったえられたのはキャッシュだけである[28]

キャッシュはクールなアウトローのイメージをつくげようとしていたが、実際じっさい実刑じっけい判決はんけつけたことはなかった。微罪びざいにより収監しゅうかんされたことはなんかあったが、一夜いちやのみで出獄しゅつごくした。かれ刑事けいじ事件じけんこしたケースとしては1965ねんのツアーちゅう麻薬まやくをメキシコ国境こっきょうからちこもうとしてテキサスしゅうエルパソ逮捕たいほされたことがある。警察官けいさつかんたちはキャッシュがメキシコからヘロインを密輸みつゆしたのではないかと容疑ようぎをかけたが、ギター・ケースにかくしたデキセドリンのカプセル688じょう、エクワニル475じょうつかったのみであった。これらは不法ふほう麻薬まやくではなく処方しょほうやくであり、執行しっこう猶予ゆうよけた。映画えいが「ウォーク・ザ・ライン/くんにつづくみちげきちゅう、キャッシュが薬物やくぶつしたきっかけとなるシーンではミュージシャン仲間なかまのどんちゃんさわぎのなかでカール・パーキンスが薬物やくぶつ服用ふくようした状態じょうたいのプレスリーの様子ようすをジョニーにせ「スカッとするぜ」とあおっている。このトラブルがもとつま・ヴィヴィアンとも離婚りこんむすめたちつまがわられる。

1965ねん5がつ11にちミシシッピしゅうスタークヴィルで深夜しんや私有地しゆうち不法ふほう侵入しんにゅうしてはなつまもうとして逮捕たいほされた。刑務所けいむしょ収録しゅうろくされたライヴ・アルバム『At San Quentin 』によると、これをもとに『Starkville City Jail 』を作曲さっきょくした。

1965ねん映画えいが007 サンダーボール作戦さくせん』の主題歌しゅだいか候補こうほとして「サンダーボール作戦さくせん」(きょくことなる)をうたうが、最終さいしゅう選考せんこうトム・ジョーンズやぶれた[54]

1960年代ねんだいなかば、キャッシュのナレーションをれた『Sings the Ballads of the True West 』(1965ねん)、ネイティヴ・アメリカンに焦点しょうてんてた『Bitter Tears 』(1964ねん)などおおくのコンセプト・アルバム発表はっぴょうした。薬物やくぶつ中毒ちゅうどく状態じょうたいはこのとき最悪さいあくで、かれ破壊はかいてき行動こうどうにより最初さいしょつま離婚りこんすることになり、コンサートも中止ちゅうしになった。

1967ねん、ジューン・カーターとのデュエット『Jackson 』がグラミーしょう受賞じゅしょうした。

1967ねんジョージアしゅうウォーカーぐん処方しょほうやくりのバッグを所持しょじし、交通こうつう事故じここして逮捕たいほされた。保安ほあんかん買収ばいしゅうしようとしたが、保安ほあんかんかねはらいのけてキャッシュはジョージアしゅうラファイエットの刑務所けいむしょ一夜いちやごすことになった。キャッシュの危険きけん行動こうどう将来しょうらいせい無駄むだにしていることを心配しんぱいしたラルフ・ジョーンズ保安ほあんかん長時間ちょうじかん説教せっきょうされてから釈放しゃくほうされた。この経験けいけん人生じんせいかんがなおしたキャッシュはのちにラファイエットを再訪さいほうしてチャリティ・コンサートをひらき、人口じんこう9せんにんたないまちに12,000にん来場らいじょう高等こうとう学校がっこうへの寄付きふ75,000ドルがあつまった[55]。1997ねんのインタビューで「しばらく薬物やくぶつんでいたが、いつのにか薬物やくぶつ自分じぶんんでいた」とかたった[56]

薬物やくぶつ完全かんぜんるまですう年間ねんかんかかり、おも禁断症状きんだんしょうじょうによりニッカジャック洞窟どうくつ自殺じさつくわだてた。洞窟どうくつ奥深おくふかくにはいっていき、気絶きぜつゆかせたとき、ただぬのだとかんがえた。つかはてて、限界げんかいがきたときかみ存在そんざいしんかんじ、かすかなひかりとそよかぜかれ洞窟どうくつからそとみちびいた。かれにとってこれが再生さいせいときであり、カーターのジューン、メイベル、エズラがキャッシュの邸宅ていたくしてきて1かげつかけて薬物やくぶつ克服こくふく手伝てつだいをした。1968ねん2がつ22にち、オンタリオしゅうロンドンにあるロンドン・ガーデンズでのコンサートで,演奏えんそうちゅうにジューン・カーターにプロポーズした[57]後世こうせいかたられる伝説でんせつのプロポーズとなった。翌週よくしゅう3がつ1にち2人ふたりはケンタッキーしゅうフランクリンで結婚けっこんした。ジューンはキャッシュがすべてを精算せいさんしたうえ結婚けっこん同意どういした[58]。キャッシュは信仰しんこうしんさい認識にんしきし、ナッシュビル近郊きんこうにあるちいさな教会きょうかいEvangel Temple でカントリーかい巨匠きょしょうハンク・スノウ息子むすこReverend Jimmie Rodgers SnowつかさどAltar callけた。

長年ながねん友人ゆうじんであるマーシャル・グラントによると、1968ねんのキャッシュの再生さいせい完全かんぜん薬物やくぶつをやめられたわけではなかった。しかし1970ねん、7年間ねんかん薬物やくぶつ使用しよう完全かんぜんにやめた。息子むすこジョン・カーター・キャッシュの誕生たんじょうが、キャッシュに薬物やくぶつ完全かんぜんにやめさせたのだ。1977ねん再度さいどアンフェタミンにしてしまった。1983ねんまでにまた薬物やくぶつ中毒ちゅうどくになり、リハビリのためカリフォルニアしゅうランチョ・ミラージュにあるベティ・フォード・クリニックに入院にゅういんした。なん年間ねんかんかは薬物やくぶつからとおざかっていたが、1989ねんまでにまた依存いぞんしょうになり、ナッシュビルのカンバーランド・ハイツに入院にゅういんした。1992ねん最後さいごのリハビリのためカリフォルニアしゅうロマ・リンダにあるロマ・リンダ行動こうどう医療いりょうセンターに入院にゅういんした。すうげつ息子むすこもこの施設しせつ入院にゅういんした[59][60][61]

フォーサム・プリズン・ブルース[編集へんしゅう]

キャッシュは囚人しゅうじんたいしておおきな慈悲じひかんじていた。1950年代ねんだい終盤しゅうばんから刑務所けいむしょでのコンサート活動かつどうはじめた。1958ねん1がつ1にち、サン・クエンティン州立しゅうりつ刑務所けいむしょでのコンサートが最初さいしょであった[62]。これらのコンサートによりライヴ・アルバム『アット・フォーサム・プリズン(At Folsom Prison )』[63](1968ねん)、『At San Quentin 』(1969ねん)がだいヒットした。『アット・フォーサム・プリズン』はカントリー・チャートに92しゅう、ポップ・チャートに122しゅうもランクしつづけるだいヒットとなった。

フォーサム刑務所けいむしょでは『フォーサム・プリズン・ブルース』、サン・クエンティンではクロスオーヴァーでヒットしたシェル・シルヴァスタイン作詞さくしの『A Boy Named Sue 』を披露ひろうした。『A Boy Named Sue 』はスーという女性じょせいめいけられたおとこ父親ちちおや復讐ふくしゅうするという歌詞かしで、サン・クウェンティンではだい歓声かんせいむかえられた[64]A Boy Named Sue 』はカントリー・チャートでだい1、ポップ・チャートでだい2獲得かくとくした。またこのきょくには乱暴らんぼう言葉ことばふくまれていたため、編集へんしゅうされた。現在げんざいのCDばんでは編集へんしゅうされておらず、レコードばんよりながい。

1972ねんスウェーデンÖsteråker Prison でコンサートがおこなわれ、1973ねん、ライヴ・アルバム『På Österåker 』が発表はっぴょうされた。「サン・クエンティン」という歌詞かしは「Österåker 」にえられた。

メン・イン・ブラック[編集へんしゅう]

1969ねんから1971ねんABCかれがMCをつとめる『ジョニー・キャッシュ・ショー』が放映ほうえいされた。ザ・スタトラー・ブラザーズ毎回まいかいオープニングの演奏えんそうをし、カーター・ファミリーとロカビリー巨匠きょしょうカール・パーキンスがレギュラー出演しゅつえんしていた。ゲストでニール・ヤングルイ・アームストロングケニー・ロジャース&ザ・ファースト・エディション(最多さいた4かい出演しゅつえん)、ジェームス・テイラーレイ・チャールズロジャー・ミラーデレク・アンド・ザ・ドミノスボブ・ディランジョニ・ミッチェル多数たすうのミュージシャンが出演しゅつえんした。またこのころロバート・レッドフォードマイケル・J・ポラードロウレン・ハットン主演しゅえん映画えいが『おまえおれ』のサウンドトラック『Little Fauss and Big Halsy 』にテーマきょくふくなんきょくかを提供ていきょうした。カール・パーキンス作曲さっきょくの『The Ballad of Little Fauss and Big Halsey 』はゴールデングローブしょうにノミネートされた。

1960年代ねんだいなかば、キャッシュはディランと出会であい、1960年代ねんだい終盤しゅうばんニューヨークしゅうウッドストック近所きんじょになってからよりしたしくなった。キャッシュはきこもりがちなディランを観客かんきゃくまえした。ディランのカントリーのアルバム『ナッシュヴィル・スカイライン』のなかでディランと『北国きたぐに少女しょうじょGirl from the North Country)』をデュエットで録音ろくおん発表はっぴょうした。

シンガーソングライターとしててきていたクリス・クリストファーソンも『ジョニー・キャッシュ・ショー』に出演しゅつえんした。クリストファーソンのきょくSunday Mornin' Comin' Down 』のなかにマリファナに言及げんきゅうする歌詞かしがあり、テレビ局てれびきょく重役じゅうやくわせて歌詞かしえることをキャッシュはこばんだ[65]

1970ねん初頭しょとうまでに、かれのイメージは「メン・イン・ブラック」になった。いつも全身ぜんしんくろ衣裳いしょうひざたけくろのロング・コートを着用ちゃくようしていた。当時とうじおおくのカントリー・アーティストはラインストーンのついたスーツにカウボーイブーツ主流しゅりゅうだったため、キャッシュの衣裳いしょうはとても目立めだった。1971ねん、キャッシュは『Man in Black 』を作曲さっきょくし、ドレスコードについて言及げんきゅうした。

キャッシュは貧困ひんこんくるしむひと長年ながねんざいつぐなつづけている囚人しゅうじん[66]いや薬物やくぶつたたかっているひと[66]がわってくろをまとった。またそれ以外いがいに、キャッシュは「おおくのアメリカじん同様どうようベトナム戦争せんそうについてしんいためており、うしなわれたいのちへの追悼ついとう気持きもちもあってくろている。終戦しゅうせんからだいぶったが、この気持きもちをえる理由りゆうつからない。年老としおいた人々ひとびと放置ほうちされ、まずしい人々ひとびとまずしいまま、わかくしていのちとすひともおり、我々われわれはまだ解決かいけつさくつけられないでいる。なかにはまだ暗闇くらやみひろがっている」とかたった[66]

かれとバンドのメンバーは当初とうしょ、それぞれがっている衣服いふくなか唯一ゆいいつ全員ぜんいんっているいろだったためにくろていた[28]。デビュー当初とうしょいろていたが、オンもオフもくろているのがきだとかたった。かれがこうった背景はいけいには政治せいじてき意図いともあったが、かれ普通ふつうくろ衣裳いしょうきだった[28]。シャツ、タイ、ズボンがくろ古風こふうなアメリカ海軍かいぐん制服せいふく隊員たいいんから「ジョニー・キャッシュふう」とわれていた[67]。1971ねんベトナム戦争せんそうへのみずからの意見いけんんだアルバム『メン・イン・ブラック(Man In Black)』を発表はっぴょうしカントリー・チャート1となった。

1970年代ねんだいなかば、キャッシュの人気にんきとヒットきょくすう下降かこうはじめた。消費しょうひしゃ石油せきゆ不足ふそく価格かかく高騰こうとう困惑こんわくしていたころたか利益りえきていたことで当時とうじ不人気ふにんきだった石油せきゆ会社かいしゃAmoco のコマーシャルに出演しゅつえんした。しかし1975ねん出版しゅっぱんされた最初さいしょ自伝じでんMan in Black 』は130まんさつげ、1997ねんには2さつ自伝じでんCash: The Autobiography 』を出版しゅっぱんした。ビリー・グラハム親交しんこうがあり、イエス・キリストの生涯しょうがいについての映画えいがThe Gospel Road 』を共同きょうどう執筆しっぴつおよびナレーターをつとめた。

1970年代ねんだいCBSのクリスマス特別とくべつ番組ばんぐみ司会しかいなんねんつとめた。1974ねん、TVドラマ『刑事けいじコロンボだい24白鳥はくちょううた」に、つまらを謀殺ぼうさつするミュージシャン「トミー・ブラウン」やく出演しゅつえんした[68]犯人はんにんのキャラクターは前科ぜんかちながら人気にんき歌手かしゅとなるなど、キャッシュ自身じしん共通きょうつうするイメージをもったものであった[68]。 また1976ねん、『だい草原そうげんちいさないえ』の『The Collection 』のエピソードにつまとも出演しゅつえんし、1985ねん南北戦争なんぼくせんそうについてのミニシリーズ『南北戦争なんぼくせんそう物語ものがたり あい自由じゆうへの大地だいち』でジョン・ブラウンやくえんじた。さらにキャッシュとジューンは『ドクタークイン だい西部せいぶ女医じょい物語ものがたり』にもなん出演しゅつえんした。

ニクソンとの面会めんかい[編集へんしゅう]

キャッシュはリチャード・ニクソン以降いこうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう親交しんこうっていた。ジミー・カーターとはとくしたしく、親友しんゆうとなった[28]。キャッシュはこの大統領だいとうりょうたちすべ魅力みりょくてき人々ひとびとで、これが当選とうせん秘訣ひけつだったのだろうとかたった[28]

ジョニー・キャッシュとニクソン大統領だいとうりょう、キャッシュはこのときニクソンに監獄かんごくほう改正かいせいうったえた。1972ねん7がつホワイトハウスにて。

1970ねん当時とうじアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう保守ほしゅリチャード・ニクソン共和党きょうわとう)にまねかれ、はじめてホワイトハウス演奏えんそうした。ニクソンは、わか薬物やくぶつ使用しようしゃ戦争せんそう抗議こうぎしゃ軽蔑けいべつする人々ひとびとかんするマール・ハガード風刺ふうしきょくOkie from Muskogee 』、生活せいかつ保護ほご受給じゅきゅうしゃ誠実せいじつさを否定ひていしたガイ・ドレイクの『Welfare Cadillac 』をリクエストした。キャッシュはどちらのきょく辞退じたいし、ネイティヴ・アメリカンでだい世界せかい大戦たいせん退役たいえき軍人ぐんじんアリゾナしゅうもどったのち虐待ぎゃくたいされていたアイラ・ヘイズについてのきょくThe Ballad of Ira Hayes 』のほか、『What Is Truth 』、『Man in Black 』を演奏えんそうした。リクエストをことわった理由りゆうについてキャッシュは、よくらないきょく練習れんしゅうする時間じかんもなかっただけで、政治せいじてき理由りゆうはないとかたった[28]。しかしキャッシュは練習れんしゅうするときあいだ充分じゅうぶんあたえられたとしても「アンチ・ヒッピーでアンチ・ブラック」なこれらのきょく演奏えんそうしなかったとされる[69]。なお、「Okie from Muskogee」をうたったマール・ハガードは、2000年代ねんだい以降いこうには民主党みんしゅとうのバラク・オバマやヒラリー・クリントンを支持しじした。

ハイウェイマン[編集へんしゅう]

1980ねん史上しじょう最年少さいねんしょうの48さいカントリー・ミュージック殿堂でんどうりし、コンサート・ツアーでは成功せいこうつづけていたが1980年代ねんだいはカントリーのヒットきょくまれなかった。1980年代ねんだいなかば、いずれもカントリーかい重鎮じゅうちんであるウェイロン・ジェニングズウィリー・ネルソンクリス・クリストファーソンとともにスーパーバンド「ハイウェイマン」を結成けっせいしてレコーディングおよびコンサート・ツアーをおこない、1985ねんHighwaymen 』、1990ねんHighwaymen 2 』、1995ねんHighwaymen – The Road Goes on forever 』を発表はっぴょうした。ちなみにキャッシュ以外いがいの3にんすべてテキサスしゅう出身しゅっしんである。

このころキャッシュはおおくのテレビ番組ばんぐみ出演しゅつえんした。1981ねん、『The Pride of Jesse Hallam 』に主演しゅえんし、好評こうひょうた。同年どうねんマペット・ショー』に「とても特別とくべつなゲスト・スター」として出演しゅつえんした。1983ねん、ジョージアしゅう実際じっさいこった事件じけんもとにした『Murder in Coweta County 』で英雄えいゆうてき保安ほあんかんえんじ、宿敵しゅくてきやくアンディ・グリフィスえんじた。すう年間ねんかん映画えいが製作せいさくたずさわり、称賛しょうさんた。

1983ねん自身じしん農場のうじょうつづけていたダチョウにられておも腹部ふくぶ損傷そんしょうい、処方しょほうされた鎮痛ちんつうざいから薬物やくぶつ中毒ちゅうどく再発さいはつしてしまった[70]

1988ねん心臓しんぞう発作ほっさからの療養りょうようちゅうのウェイロン・ジェニングスを見舞みまいに病院びょういんったさい、ジェニングスはキャッシュに心臓しんぞう健診けんしんけるようすすめた。医者いしゃ予防よぼうのための心臓しんぞう手術しゅじゅつすすめ、キャッシュはどう病院びょういんで2箇所かしょ冠動脈かんどうみゃく大動脈だいどうみゃくバイパス移植いしょくじゅつけた。キャッシュは依存いぞんしょう再発さいはつおそれて処方しょほう鎮痛ちんつうやくことわったが2人ふたりども回復かいふくした。キャッシュはこの手術しゅじゅつについてのちに「臨死りんし体験たいけん経験けいけんした」とかたった。

1980年代ねんだい、キャッシュのレコーディングのキャリア、ナッシュビルの機関きかんとの関係かんけいつねひくかった。やく30年間ねんかん所属しょぞくしていたコロムビアはもはやキャッシュに興味きょうみしめさず、まったかれそうとしなかった。かれは、キャッシュののうにわとりのう移植いしょくした『チキン・イン・ブラック』を作曲さっきょくした。皮肉ひにくにもこのすうねんあいだでよりおおきなヒットきょくとなった。1981ねんから1984ねんあいだ著名ちょめいなプロデューサーのビリー・シェリルともにセッションをレコーディングしたが発売はつばい延期えんきになり、2014ねん3がつ25にち、コロムビアの姉妹しまい会社かいしゃレガシー・レコーディングスから『Out Among the Stars 』が発売はつばいされた[71]。しかしキャッシュはかれらからクビになるまえ自分じぶんからめたがっており、『チキン・イン・ブラック』からもなくキャッシュはコロムビアをはなれた。

1986ねん、ロイ・オービソン、ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンスとともにアルバム『Class of '55 』のレコーディングのためメンフィスのサン・レコードにもどった。また同年どうねんサウロ改宗かいしゅうにより使徒しとパウロとなったことについて、キャッシュは唯一ゆいいつ小説しょうせつMan in White 』を出版しゅっぱんした。1988ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょでテネシーしゅう上院じょういん議員ぎいん民主党みんしゅとう候補こうほアル・ゴア支持しじした。キャッシュは、もともと民主党みんしゅとう支持しじである。1990ねん新約しんやく聖書せいしょ題材だいざいにした『Johnny Cash Reads The Complete New Testament 』をレコーディングした。

アメリカン・レコーディングス[編集へんしゅう]

コロムビアとの契約けいやく終了しゅうりょうしたのち、1987ねんから1991ねんマーキュリー・レコード短期間たんきかん契約けいやくしたが、ヒットしなかった。

1990年代ねんだい伝統でんとうてきなカントリーのファン以外いがいからも注目ちゅうもくされるようになり、ふたた脚光きゃっこうびるようになった。1991ねんクリスチャン・パンク・バンドのワン・バッド・ピッグのアルバム『I Scream Sunday 』で『メン・イン・ブラック』をうたった。1993ねんアイルランド出身しゅっしんロックバンドU2のアルバム『ズーロッパちゅうの『ワンダラー(The Wanderer )』にゲスト参加さんかした。これ以上いじょうメジャーなレコード会社かいしゃさがすことはせず、ラップハードロック有名ゆうめい気鋭きえいプロデューサー、リック・ルービンアメリカン・レコーディングスからオファーを本格ほんかくてきにソロ活動かつどう再開さいかいした。ちなみにルービンはもとラップのプロデューサーでRun-D.M.C.のプロデュースによりエアロスミス復活ふっかつにも貢献こうけんした人物じんぶつだが自身じしんのレーベル「アメリカン」を創始そうしトム・ペティらと契約けいやくするのをかわきりにドノヴァンらルーツ・ミュージックのアーティストの復活ふっかつ貢献こうけんした。リック・ルービンは、そのも2007年度ねんどグラミーしょうでベスト・プロデューサー・オブ・イヤーを受賞じゅしょうしている。

1994ねん、ルービンの指示しじのもとかれのリビング・ルームでキャッシュと長年ながねんとも演奏えんそうしてきたマーティン・ドレッドノートのギター演奏えんそうで『American Recordings 』をレコーディングした[72]。ルービンがえらんだコンテンポラリー・アーティストのカヴァーを特徴とくちょうとし、こう評価ひょうか商業しょうぎょうてきにも成功せいこうし、グラミーしょう最優秀さいゆうしゅうコンテンポラリー・フォーク・アルバムしょう受賞じゅしょうした。MTVビデオクリップがオンエアされ、ロック世代せだい若者わかものファンをすこ獲得かくとくした。またキャッシュは1994ねんグラストンベリー・フェスティバルでの歓迎かんげいぶりはかれ経歴けいれきなかでもおおきなできごとの1つだったとしるした。以降いこうやく10年間ねんかん音楽おんがく業界ぎょうかいでの称賛しょうさんおよび商業しょうぎょうてき成功せいこうつづくこととなった。Red Hot Organization によるエイズのチャリティ・アルバム『Red Hot + Country 』のなかで『フォーサム・プリズン・ブルース』をうたうためにブルックス&ダンんだ。またこのアルバムのなかでボブ・ディランのきょくForever Young 』も演奏えんそうした。

キャッシュとつまジェーン・シーモア主演しゅえんの『ドクタークイン だい西部せいぶ女医じょい物語ものがたり』に出演しゅつえんした。シーモアはキャッシュをたか評価ひょうかし、双子ふたご息子むすこ1人ひとりかれ名前なまえけた。『ザ・シンプソンズ』のエピソード『El Viaje Misterioso de Nuestro Jomer (The Mysterious Voyage of Homer) 』でホーマー・シンプソンをスピリチュアル・クエストに案内あんないするのスペース・コヨーテやくこえカメオ出演しゅつえんした。1996ねん、キャッシュはトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズともに『Unchained』を発表はっぴょうし、グラミーしょう最優秀さいゆうしゅうカントリー・アルバムしょう受賞じゅしょうした。1975ねん自伝じでんMan in Black 』でききれなかったことを1997ねんの『Cash: The Autobiography 』でいたとされる。

後年こうねん[編集へんしゅう]

1997ねん神経しんけい変性へんせい疾患しっかんによる系統けいとう萎縮いしゅくしょう診断しんだんされた。この診断しんだんのち糖尿とうにょうびょう関連かんれんする自律じりつ神経しんけい失調しっちょうしょう変更へんこうされた。これによりコンサート・ツアーは中止ちゅうしとなった。1998ねん重度じゅうど肺炎はいえん入院にゅういんした。2000ねん、アルバム『American III: Solitary Man 』、2002ねん、アルバム『American IV: The Man Comes Around 』を発表はっぴょうした。病気びょうき影響えいきょうで、アメリカン・レコーディングスでの最初さいしょの2まいくらべてくらいイメージになっている。『American IV 』から、キャッシュの過去かこ視点してん後悔こうかいあらわナイン・インチ・ネイルズのカヴァーきょくHurt 』を発表はっぴょうした。このきょくプロモーションビデオこう評価ひょうかており、一般いっぱんてき墓碑銘ぼひめいかんがえられている[73]。2003ねんに、MTV Video Music Awards最優秀さいゆうしゅう撮影さつえいしょう獲得かくとくした。ナイン・インチ・ネイルズのフロントマンであるトレント・レズナーは、このPVについて「なみだた。背中せなかされた気持きもちになった」[74]とコメントし、当時とうじのスランプからの脱出だっしゅつ契機けいきの1つになったとしている。

2003ねん5がつ15にちつまジューン・カーター・キャッシュが73さい死去しきょした。ジューンは生前せいぜん、キャッシュに仕事しごとつづけるようかたったため、キャッシュはレコーディングをつづけてそのの4かげつあいだで60きょく以上いじょう完成かんせいさせ、バージニアしゅうブリストル郊外こうがいにあるカーター・ファミリー・フォールドに2かいサプライズ出演しゅつえんした。2003ねん7がつ5にちかれ最後さいごのコンサートで『Ring of Fire 』のまえに、舞台ぶたいがる直前ちょくぜんいたつまへのおもいをげた。

今夜こんや彼女かのじょわたしへのあいわたし彼女かのじょへのあいともにジューン・カーターのたましいわたしおとずれる。わたしたちはここと天国てんごくあいだつながっている。今夜こんや彼女かのじょ天国てんごくからすこしのあいだおとずれた。きっとわたし彼女かのじょがいつもわせていた勇気ゆうき創造そうぞうりょくあたえるために。

死去しきょ[編集へんしゅう]

ジョニー・キャッシュのはか

ナッシュビルのバプティスト病院びょういん入院にゅういんちゅうつまくなってから4かげつたない2003ねん9がつ12にち午前ごぜん2ごろ糖尿とうにょうびょうによる合併症がっぺいしょうくなった。作家さっかDulce Zamora人々ひとびとは、ジューンの死去しきょによる傷心しょうしん原因げんいん病状びょうじょう悪化あっかしたのではないかとかたった[75][76]。テネシーしゅうヘンダーソンヴィル自宅じたくちかくにあるヘンダーソンヴィル・メモリー・ガーデンズでつまとなり埋葬まいそうされた。

2005ねん6がつ、ヘンダーソンヴィルのコーディルどおりにあった湖畔こはん邸宅ていたくりにされた。2006ねん1がつビージーズのヴォーカリストのバリー・ギブつまリンダが推定すいてい230まんドルで購入こうにゅうした。上場じょうじょう代理人だいりにんはキャッシュのおとうとトミー・キャッシュがつとめた。1968ねんから晩年ばんねんまで居住きょじゅうした邸宅ていたくが、2007ねん4がつ10日とおか大幅おおはば改修かいしゅうおこなっていたとき、アマニ製品せいひんから自然しぜん点火てんか燃焼ねんしょう火事かじ全焼ぜんしょうした[77]

2006ねん7がつ4にち、ルービンとの最後さいごのコラボレート作品さくひんAmerican V: A Hundred Highways 』がキャッシュの没後ぼつご発表はっぴょうされた。7月22にちしゅう、『ビルボード』のアルバム・チャートではつ登場とうじょうだい1獲得かくとくした。

2010ねん2がつ23にち、キャッシュの78さい誕生たんじょうの3にちまえ、キャッシュ、ルービン、ロスト・ハイウェイ・レコードはキャッシュ没後ぼつご2まいのアルバム『American VI: Ain't No Grave 』を発表はっぴょうした。

派生はせい作品さくひん[編集へんしゅう]

1999ねん数々かずかずしょう受賞じゅしょうしたジョン・ロイド・ミラー監督かんとく短編たんぺん映画えいがI Still Miss Someone 』でカントリー歌手かしゅマーク・コリーがキャッシュやくえんじた。

2005ねん11月、かれ題材だいざいにしたジェームズ・マンゴールド監督かんとく映画えいがウォーク・ザ・ライン/くんにつづくみちWalk The Line )』が公開こうかいされ、批評ひひょうからもたか評価ひょうかけた。だい78かいアカデミーしょうでジョニーやくホアキン・フェニックス主演しゅえん男優だんゆうしょうにノミネート、ジューンやくリース・ウィザースプーン主演しゅえん女優じょゆうしょう受賞じゅしょうし、アリアンヌ・フィリップス衣裳いしょうデザインしょうなど5部門ぶもんでノミネートされた。まただい63かいゴールデングローブしょうのミュージカル・コメディ部門ぶもんでフェニックスは主演しゅえん男優だんゆうしょう、ウィザースプーンは主演しゅえん女優じょゆうしょう受賞じゅしょうした。フェニックスはこのやくのためにギターをならい、りょう者共ものどもしでうたにも挑戦ちょうせんした。だい49かいグラミーしょうにおいてフェニックスはサウンドトラック『Walk the Line 』で最優秀さいゆうしゅう編集へんしゅうサウンドトラック・アルバムしょう映画えいが、テレビその映像えいぞう部門ぶもん受賞じゅしょうした。ジョニーとジューンの息子むすこであるジョン・カーター・キャッシュがエグゼクティヴ・プロデューサーをつとめた。

2006ねん3がつ12にち、キャッシュの作品さくひん使用しようしたジュークボックス・ミュージカルRing of Fire 』がブロードウェイのエセル・バリモア・シアターで開幕かいまくしたが、きびしい批評ひひょうとチケット不調ふちょうにより4がつ30にち閉幕へいまくした。2010ねん4がつ11にち、サン・レコードでおこなわれたキャッシュ、エルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンスによるセッションをミュージカルにした『ミリオン・ダラー・カルテット』が開幕かいまくした。俳優はいゆうランス・ゲストがキャッシュやくえんじた。2010ねんだい64かいトニーしょうにおいてミュージカル作品さくひんしょうふくむ3部門ぶもんにノミネートされ、ルイスやくえんじたリーヴァイ・クライスがミュージカル助演じょえん男優だんゆうしょう受賞じゅしょうした。

ロサンゼルス・タイムズのポップ音楽おんがく評論ひょうろんロバート・ヒルバンは1968ねんのキャッシュのフォーサム・プリズン・ツアーに同行どうこうし、キャッシュのすうげつまえまでインタビューをつづけ、2013ねん、16ページの写真しゃしんふくむ、688ページの伝記でんき出版しゅっぱんした[78]詳細しょうさい取材しゅざいにより、中毒ちゅうどく不貞ふていとのたたかいなどそれまでられていなかったキャッシュの人生じんせい記述きじゅつが8わりにもおよんだ[79]。またこのほんはキャッシュの暗部あんぶかくすことなく、ジューン妊娠にんしんちゅう彼女かのじょあねまたはいもうと浮気うわきをしたことなどもふくまれている[80]

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

アルバム[編集へんしゅう]

  • 1957ねん – Johnny Cash with His Hot and Blue Guitar
  • 1958ねん – Sings the Songs That Made Him Famous
  • 1959ねん – Greatest!
  • 1960ねん – Sings Hank Williams
  • 1961ねん – Now Here's Johnny Cash
  • 1962ねん – All Aboard the Blue Train
  • 1958ねん – The Fabulous Johnny Cash
  • 1959ねん – Hymns by Johnny Cash
  • 1959ねん – Songs of Our Soil
  • 1960ねん – Ride This Train
  • 1960ねん – Now, There Was a Song!
  • 1961ねん – The Lure of the Grand Canyon
  • 1962ねん – Hymns from the Heart
  • 1962ねん – The Sound of Johnny Cash
  • 1963ねん – Blood, Sweat, and Tears
  • 1963ねん – Ring of Fire: The Best of Johnny Cash
  • 1963ねん – The Christmas Spirit
  • 1964ねん – I Walk the Line
  • 1964ねん – Bitter Tears: Ballads of the American Indian
  • 1965ねん – Orange Blossom Special
  • 1965ねん – Sings the Ballads of the True West
  • 1966ねん – Everybody Loves a Nut
  • 1966ねん – Happiness Is You
  • 1967ねん – Carryin' On with Johnny Cash and June Carter
  • 1968ねん – From Sea to Shining Sea
  • 1968ねん – At Folsom Prison(live)
  • 1968ねん – Old Golden Throat
  • 1968ねん – Heart of Cash
  • 1968ねん – The Holy Land
  • 1969ねん – At San Quentin(live)
  • 1969ねん – More of Old Golden Throat
  • 1970ねん – Hello, I'm Johnny Cash
  • 1970ねん – The Johnny Cash Show(live)
  • 1970ねん – I Walk the Line - Movie Soundtrack
  • 1970ねん – Little Fauss and Big Halsy - Movie Soundtrack
  • 1971ねん – Man in Black
  • 1972ねん – A Thing Called Love
  • 1972ねん – America: A 200-Year Salute in Story and Song
  • 1972ねん – The Johnny Cash Family Christmas
  • 1972ねん – International Superstar
  • 1973ねん – På Österåker(live)
  • 1973ねん – Any Old Wind That Blows
  • 1973ねん – The Gospel Road
  • 1973ねん – Johnny Cash and His Woman
  • 1974ねん – Ragged Old Flag
  • 1974ねん – Junkie and the Juicehead Minus Me
  • 1975ねん – The Children's Album
  • 1975ねん – Sings Precious Memories
  • 1975ねん – John R. Cash
  • 1975ねん – Look at Them Beans
  • 1975ねん – Strawberry Cake(live)
  • 1976ねん – One Piece at a Time
  • 1977ねん – The Last Gunfighter Ballad
  • 1977ねん – The Rambler
  • 1978ねん – I Would Like to See You Again
  • 1978ねん – Gone Girl
  • 1979ねん – Silver
  • 1980ねん – Rockabilly Blues
  • 1980ねん – Classic Christmas
  • 1981ねん – The Baron
  • 1982ねん – The Adventures of Johnny Cash
  • 1983ねん – Johnny 99
  • 1986ねん – Rainbow
  • 1968ねん – Golden Sounds of Country Music
  • 1969ねん – This Is Johnny Cash
  • 1970ねん – The Walls of a Prison
  • 1972ねん – Understand Your Man
  • 1972ねん – Give My Love to Rose
  • 1972ねん – The Johnny Cash Songbook
  • 1973ねん – Ballads of the American Indian
  • 1973ねん – This Is Johnny Cash
  • 1966ねん – Mean as Hell
  • 1967ねん – Johnny Cash's Greatest Hits
  • 1970ねん – The World of Johnny Cash
  • 1971ねん – The Johnny Cash Collection: Greatest Hits Volume II
  • 1973ねん – Sunday Morning Coming Down
  • 1974ねん – Five Feet High and Rising
  • 1978ねん – Greatest Hits, Vol. 3
  • 1981ねん – Encore
  • 1982ねん – Biggest Hits
  • 1979ねん – A Believer Sings the Truth
  • 1984ねん – I Believe
  • 1986ねん – Believe in Him(Word Records)
  • 2000ねん – Return to the Promised Land(Renaissance Records)
  • 1978ねん – The Unissued Johnny Cash
  • 1978ねん – Johnny & June
  • 1979ねん – Tall Man
  • 1990ねん – The Man in Black 1954-1958
  • 1991ねん – Come Along and Ride this Train
  • 1991ねん – The Man in Black 1959-1962
  • 1995ねん – The Man in Black 1963-1969
  • 1987ねん – Johnny Cash Is Coming to Town
  • 1987ねん – Classic Cash: Hall of Fame Series
  • 1988ねん – Water from the Wells of Home
  • 1989ねん – Boom Chicka Boom
  • 1991ねん – The Mystery of Life
  • 1994ねん – Wanted Man
  • 1996ねん – Johnny Cash: The Hits
  • 1998ねん – The Best of Johnny Cash
  • 2000ねん – The Mercury Years
  • 2002ねん – Johnny Cash & Friends

シングル[編集へんしゅう]

  • 1955ねん
    • Cry! Cry! Cry!
  • 1956ねん
    • Folsom Prison Blues
    • Get Rhythm
    • I Walk the Line
    • So Doggone Lonesome
  • 1957ねん
    • Don't Make Me Go
    • Give My Love to Rose
    • Home of the Blues
    • Next in Line
    • There You Go
    • Train of Love
  • 1958ねん
    • All Over Again
    • Ballad of a Teenage Queen
    • Big River
    • Come in Stranger
    • Guess Things Happen That Way
    • What Do I Care
    • You're the Nearest Thing to Heaven
    • The Ways of a Woman in Love
  • 1959ねん
    • Don't Take Your Guns to Town
    • Five Feet High and Rising
    • Frankie's Man, Johnny
    • Goodbye Little Darlin'
    • I Got Stripes
    • It's Just About Time
    • Katy Too
    • Luther Played the Boogie
    • Thanks a Lot
    • You Dreamer You
    • Little Drummer Boy
  • 1960ねん
    • Down the Street to 301
    • I Love You Because
    • Mean Eyed Cat
    • Seasons of My Heart
    • Second Honeymoon
    • Smiling Bill McCall
    • Straight A's in Love
  • 1961ねん
  • 1962ねん
    • Bonanza
    • In the Jailhouse Now
    • The Big Battle
  • 1963ねん
    • Busted
    • Ring of Fire
    • The Matador
  • 1964ねん
    • Bad News
    • Dark as a Dungeon
    • It Ain't Me, Babe
    • Understand Your Man
    • The Ballad of Ira Hayes
  • 1965ねん
    • Mister Garfield
    • Orange Blossom Special
    • The Sons of Katie Elder
  • 1966ねん
    • Boa Constrictor
    • Everybody Loves a Nut
    • Happy to Be with You
    • The One on the Right Is on the Left
  • 1967ねん
    • Jackson
    • Long-Legged Guitar Pickin' Man
    • You Beat All I Ever Saw
    • The Wind Changes
  • 1968ねん
    • Folsom Prison Blues
    • Rosanna's Going Wild
  • 1969ねん
  • 1970ねん
    • Big River
    • If I Were a Carpenter
    • Rock Island Line
    • Sunday Morning Coming Down
    • What Is Truth
  • 1971ねん
    • Flesh and Blood
    • Man in Black
    • Papa Was a Good Man
    • Singin' in Vietnam Talkin' Blues
  • 1972ねん
    • If I Had a Hammer
    • Kate
    • Oney
    • A Thing Called Love
    • The World Needs a Melody
  • 1973ねん
    • Allegheny
    • Any Old Wind That Blows
    • Praise the Lord and Pass the Soup
  • 1974ねん
    • Pick the Wildwood Flower
    • Ragged Old Flag
  • 1975ねん
    • Lady Came from Baltimore
    • Look at Them Beans
    • My Old Kentucky Home(Turpentine and Dandelion Wine)
  • 1976ねん
    • One Piece at a Time
    • Sold Out of Flagpoles
    • Strawberry Cake
  • 1977ねん
    • After the Ball
    • Lady
    • Old Time Feeling
    • The Last Gunfighter Ballad
  • 1978ねん
    • Gone Girl
    • I Would Like to See You Again
    • It'll Be Her
    • There Ain't No Good Chain Gang
  • 1979ねん
    • (Ghost) Riders in the Sky
    • I Will Rock and Roll with You
    • I'll Say It's True
  • 1980ねん
    • Bull Rider
    • Cold Lonesome Morning
    • I Wish I Was Crazy Again
    • Song of the Patriot
    • The Last Time
  • 1981ねん
    • Mobile Bay
    • Without Love
    • The Baron
  • 1982ねん
    • Chattanooga City Limit Sign
    • The General Lee
    • The Reverend Mr. Black
  • 1983ねん
    • I'm Ragged But I'm Right
    • We Must Believe in Magic
  • 1984ねん
    • Chicken in Black
  • 1986ねん
    • Even Cowgirls Get the Blues
  • 1987ねん
    • The Night Hank Williams Came to Town
  • 1988ねん
    • That Old Wheel
  • 1989ねん
    • Ballad of a Teenage Queen
  • 1990ねん
    • Goin' by the Book
  • 2003ねん
    • Hurt
  • 2005ねん
    • Folsom Prison Blues
    • I Walk the Line
    • Ring of Fire

おも出演しゅつえん作品さくひん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ Although Cash's voice type endured over the years, his timbre changed noticeably: "Through a recording career that stretche[d] back to 1955", Pareles writes, Cash's "bass-baritone voice [went] from gravelly to grave".[3]
  2. ^ For Cash, black stage attire was a "symbol of rebellion—against a stagnant status quo, against... hypocritical houses of God, against people whose minds are closed to others' ideas".[9]
  3. ^ Schultz refers to this phrase as Cash's "trademark greeting", and places his utterance of this line, on Cash's At Folsom Prison album, "among the most electrifying [seconds] in the history of concert recording."[10]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]