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ラップ

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ラップをするKRS-One

ラップ (rap) は、音楽おんがく手法しゅほう歌唱かしょうほうひと[出典しゅってん 1]。「韻律いんりつ、リズミカルな演説えんぜつ、ストリートの言葉ことば[4]み、バックビートや伴奏ばんそうなど様々さまざま方法ほうほうとなえられる[4]。ラップの要素ようそには、「内容ないよう」(なにわれているか)、「フロウ」(リズムいん)、「はなかた」(終止しゅうし声調せいちょう[5]ふくまれる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ラップはインストルメンタルトラックの時間じかんどおりに実行じっこうされるというてんで、スポークン・ワードとはことなる[6]。ラップはしばしばヒップホップ・ミュージック関連かんれんしており、ヒップホップ・ミュージックの主要しゅよう要素ようそではあるが、この現象げんしょう起源きげんヒップホップ文化ぶんかより先立さきだっている。近代きんだいてきなラップのもっと初期しょき先駆さきがけは、西にしアフリカグリオ伝統でんとうである。それは「口頭こうとう伝承でんしょうしゃ[7] や「賛歌さんか歌手かしゅ[7] が、伝承でんしょう系譜けいふひろめるか、あるいは「称賛しょうさんまたは個人こじん批評ひひょう[7] のためにおそれるべき修辞しゅうじてき技術ぎじゅつ使用しようしていた。

英語えいごではラップのことを rhyming(ライミング)、spitting (スピッティング[8]、emceeing / MCing(エムシーイング[9]ともう。ラップをするひとのことをラッパー (rapper) [出典しゅってん 2]MCう。

ラップは、メロディをあまり必要ひつようとせず[3]言葉ことば語尾ごびおな言葉ことばかえ[3]いん(ライム)をむのが特徴とくちょうてき[3]口語こうごちか抑揚よくようをつけて発声はっせいする[3]きょくはく感覚かんかくわせる方法ほうほう(オン・ビート)とわせない方法ほうほう(オフ・ビート)がある。レゲエにおけるディージェイおこなトースティングはよくているが、抑揚よくようかたことなり、トースティングは独特どくとくのメロディをけることがおおいというちがいもある[11]

普通ふつううたのようにメロディをけたもの[注釈ちゅうしゃく 1] や、トースティングのような抑揚よくようかたやメロディのもの[注釈ちゅうしゃく 2] でラップとばれるものもある。ラップのスタイルはラッパーがどのような手法しゅほう得意とくいとしているかにもることがある。

ラップ/ヒップホップとハウス・ミュージック合体がったいさせたヒップ・ハウスも存在そんざいし、ヒップハウスのグループには、ツイン・ハイプ[12]などがいた。

語源ごげん[編集へんしゅう]

英語えいごでラップは字義じぎてきにはいくつかの意味いみがあり[13]、1つは「つ、たたく」などの擬音ぎおんで、トントン、コツコツ、といった物音ものおと[13]。2つは「叱責しっせき非難ひなん告訴こくそ告発こくはつ[13]。3つ黒人こくじん英語えいごである「おしゃべり」や「軽口かるくち言葉ことば[出典しゅってん 3]、「会話かいわ」という意味いみ[14]、もとは俗語ぞくごとしてはさまざまな意味いみてんじたが、そこから「しゃべるようなうた」という意味いみひろがった。今日きょう英語えいご辞典じてんでは3つ意味いみとしてほとんど記載きさいされており[13]、「1970年代ねんだいにアメリカではじまった黒人こくじん音楽おんがくDJなどとともにかたるようにうたわれるダンスミュージック」などといった解説かいせつくわえられているものもある[13]。これらの意味いみから文学ぶんがくなどでは「いそいでむ」「早口はやくちしゃべる」などの意味いみ転用てんようされることもある[13]

歴史れきし[編集へんしゅう]

早口はやくち(リズミカル)な言葉ことば使つかって相手あいてをやりこめる黒人こくじんどくもち話術わじゅつ音楽おんがく[出典しゅってん 4]、1970年代ねんだい後半こうはん[出典しゅってん 5]アメリカニューヨーク黒人こくじんDJからまれた[出典しゅってん 6]誕生たんじょう70年代ねんだい後半こうはん[出典しゅってん 7]、ニューヨークでみられたブロック・パーティーである[出典しゅってん 8]ふるくはアフリカン・グリオ文盲もんもうもの口伝くでん歴史れきしつたえるものたち)にそのルーツられ、マルコムXキング牧師ぼくしといった政治せいじてき指導しどうしゃスピーチおおきく影響えいきょうあたえている。モハメド・アリインタビューなどでられた言葉ことばあそによって、よりひろまったといわれる。レゲエにおけるトースティングにも影響えいきょうけているとかんがえられており、トースティングがレコード収録しゅうろくされているインストゥルメンタルせておこなうように、DJがプレイするブレイクビーツせてったのが初期しょきのラップのかたちだとかんがえられている[出典しゅってん 9]。あらかじめ用意よういした歌詞かし(リリック)ではなく、即興そっきょう歌詞かしつくり、歌詞かしとライムの技術ぎじゅつきそフリースタイルもある。

また、「ラップするもの」を意味いみするラッパー(rapper)は、1979ねん、ファットバックの「キング・ティムIII」やシュガーヒル・ギャングシングルRapper's Delight[19]話題わだいになってからひろまった呼称こしょうである。ひとによってはこの呼称こしょういやがるものもいる。かれらはRun-D.M.C.名付なづけたMC(microphone controller)という呼称こしょう使用しようする。1981ねんブロンディはシングル「ラプチュア(Rapture)[:en]」のなか間奏かんそう部分ぶぶんにラップをれて、ビルボード1年間ねんかんチャート19のヒットを記録きろくした[20]。グランドマスター・フラッシュの「ザ・メッセージ」は社会しゃかい問題もんだいについてラップした作品さくひんとして、話題わだいになった[注釈ちゅうしゃく 3]。1986ねんにはランDMCがビッグヒットをして、1989ねんにはビッグ・ダディ・ケイン、デラ・ソウルらのソウル・ヒットにより、ラップは黄金おうごん時代じだいむかえた。

2018ねん1がつ8にちNHK-FMラジオ今日きょういちにち○○三昧ざんまいだい189かいで「今日きょういちにち“RAP”三昧ざんまい」 がやく10あいだわた放送ほうそうされた[出典しゅってん 10]出演しゅつえん宇多うたまるRHYMESTER)、高橋たかはし芳朗よしろう、DJ YANATAKE(DJ・ディレクター・音楽おんがくライター)、渡辺わたなべ志保しほ音楽おんがくライター)、ゲスト:いとうせいこう、Bose(スチャダラパー)、Zeebraかん a.k.a. GAMIBAD HOP[出典しゅってん 11]日米にちべいのラップ40ねん紐解ひもとかれ、書籍しょせきもされている[出典しゅってん 12]。まずラップのぜん段階だんかいとしてヒップホップがあり、ヒップホップ発祥はっしょうは、ニューヨークウエスト・ブロンクスモーリスハイツ地区ちくセジウィックどおり1520番地ばんちで、ここはニューヨーク史跡しせき保存ほぞんきょくによって公式こうしきに「ヒップホップ発祥はっしょう」として認定にんていされているという[出典しゅってん 13]ジャマイカからの移民いみんクール・ハークがここできょくドラム間奏かんそう部分ぶぶんつなげてブレイクビーツという技術ぎじゅつ発明はつめい[出典しゅってん 14]当初とうしょどう地区ちく公営こうえい住宅じゅうたくなか娯楽ごらくしつ開催かいさいされたパーティでそれが演奏えんそうされ、若者わかものがそれにわせておどった[出典しゅってん 15]。さらにきゃくあおるため、クール・ハークはMCやとい、MCがマイクをち、ユーモアをまじえたりリズミカルなしゃべりできゃくかした[出典しゅってん 16]。これがラップの誕生たんじょう[出典しゅってん 17]。クール・ハーク、グランドマスター・フラッシュアフリカ・バンバータ初期しょきのヒップホップDJさんきょう技術ぎじゅつ改良かいりょう[出典しゅってん 18]当時とうじはあくまでパーティという感覚かんかく音源おんげんするという発想はっそうはなく、レコードはなく、パーティの様子ようすろくったカセットテープ出回でまわった[出典しゅってん 19]。これに「ラップがいま若者わかもの流行はやってるらしいから、レコードをせばもうかるんじゃない」と発想はっそうしたソウルシンガー・シルヴィア・ロビンソンが、ラップが出来できそうなピザはたらいている連中れんちゅうとかを適当てきとうあつめてつくったのがシュガーヒル・ギャングで[出典しゅってん 20]かれらの1979ねん9がつ16にちリリースのシングルRapper's Delight」が世界せかいはじめてのヒップホップ/ラップのレコードのだいヒットきょくになった[出典しゅってん 21]

ヒップホップの起源きげん前述ぜんじゅつのように比較的ひかくてきあきらかとされ[13]、クール・ハークこと、本名ほんみょう:クライブ・キャンベル発祥はっしょうである[13]ジャマイカキングストンまれのクライブが[13]家族かぞくでアメリカニューヨークのブロンクスにうつんでからその歴史れきしがスタートした[13]重要じゅうようなのはジャマイカキングストンでは巨大きょだいスピーカーがったサウンド・システム、ソマーセット・レインからスカレゲエだい音量おんりょうながれ、それにわせて自分じぶんなどを朗読ろうどくしたり即興そっきょうかたりを披露ひろうしたりするスタイルが日常にちじょうてきおこなわれていたことで[13]、これは、ジャマイカではトースティングばれるひとつの音楽おんがくスタイルになっていた[13]。12さいだったクライブのみみには、キングストンの音響おんきょうシステムとトースティングの体験たいけんがくっきりと脳裏のうりのこっていた[13]。アメリカ移住いじゅうにブロンクスのラジオからながれてくるロックディスコDJカズン・ブルージーウルフマン・ジャックなどにも影響えいきょうけた[13]。クライブ・キャンベルは15さいでブロンクスでハウス・パーティを定期ていきてき開催かいさいし、まだだれにもられていない存在そんざいながら、DJクール・ハークを名乗なのみずからDJをはじめた[13]。DJクール・ハークのパーティーの評判ひょうばん次第しだいにブロンクスちゅうひろまり、やがてジャマイカの移民いみん仲間なかまであるコーク・ラ・ロックDJクラーク・ケントの3にんで「ハーキュロイズ」を結成けっせい[13]。ジャマイカで体験たいけんしたサウンドシステムをベースに、きょくちゅうのリズム・セッションやパーカッションだけのブレイクの部分ぶぶんを「メリーゴーラウンド」とばれるテクニックで延々えんえんばした[13]おなじレコードを2まい用意よういして、ブレイク部分ぶぶんかえつな手法しゅほう[13]。こうしてブレイクが何分なにぶんつづくことでダンサーたちは興奮こうふんし、おどくる[13]。1976ねんごろにこのブレイク部分ぶぶんになるとんできておどりまくるアクロバティックなダンサーたちをクール・ハークがブレイク・ボーイズ、りゃくしてBボーイズんだ。これがブレイクダンス(breakdancing,breakin')の誕生たんじょうとなる[13]

ヒップホップ/ラップ/ブレイクダンスはすべて1970年代ねんだいまれたものであるが、アメリカではラップの先駆せんくきょくコメディアンピグミート・マーカムによる1968ねんの「Here Comes the Judge」と評価ひょうかされているという[13]。またラップミュージックの基本きほんてきリズムパターンしたのはファンク元祖がんそジェームス・ブラウンという見方みかたもある[13]。ブラウンの後継こうけい世代せだいによるPファンクは、ブラウンとラップをつな役割やくわりたした[13]。ラップミュージックはリズムビート部分ぶぶんおおくをファンクのグループにっている[13]デ・ラ・ソウルスヌープ・ドギー・ドッグドクター・ドレーなど、きわめておおくのヒップホップミュージシャンがそのサウンドをカバーリミックスする[13]

日本にっぽんにおけるラップ[編集へんしゅう]

歴史れきし[編集へんしゅう]

1980年代ねんだい初頭しょとうはまだアメリカでもヒップホップ/ラップは、ニューヨークのごく一部いちぶにイケてるひとだけがっている音楽おんがくかんがえられ[出典しゅってん 22]、ニューヨーク以外いがいひと以外いがいまったらない状態じょうたいのため、1970年代ねんだい以前いぜん日本にっぽんにおけるヒップホップ/ラップについては記録きろくはない[出典しゅってん 23]

日本にっぽん輸入ゆにゅうされるのはだいぶのちになってからで[出典しゅってん 24]スネークマンショーが1981ねん2がつ21にちにリリースしたアルバムスネークマン・ショー』に収録しゅうろくされた「咲坂さきさか桃内ももないのごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」(作詞さくし:スネークマン・ショー 作曲さっきょく細野ほその晴臣はるおみ)は、非常ひじょうはや日本語にほんごラップの事例じれいである[出典しゅってん 25]制作せいさく経緯けいいについては、スネークマンショーのメンバーだった小林こばやし克也かつやは「(なんねんだったかはわすれたが)六本木ろっぽんぎあるいていたら、あるスタッフにびとめられて、スクラッチとラップをかされた、アーティストめいわすれたが、それをいて衝撃しょうげきけた、これで世界せかいわるかもしれないとおもうほどで、パンクにやられたときとおなじような衝撃しょうげきかんじた。それですぐ、これをやりたいなとブロンディの『ラプチュアー』のアナログばんをいじって「咲坂さきさか桃内ももないのごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」をつくり、『スネークマン・ショー』に収録しゅうろくした」とはなしている[出典しゅってん 26]宇多うたまるは「小林こばやし克也かつやさんに直接ちょくせつはなしいたときに証言しょうげんがあります。シュガーヒル・ギャングの『Rapper's Delight』がアメリカで1979ねんにリリースされてだいヒットしているときに、それをニューヨークでいた桑原くわばら茂一もいちさんが、『番組ばんぐみでもこんなかんじのきょくをやろう!』と。当時とうじはまだサンプラーもないですから、『Rapper’s Delight』のもととなった、シックの『Good Times』の、あたまの「ドンドンドンドン……♪」の部分ぶぶんを、テープをりして、っかをつくってトラックのループとする擬似ぎじてきなサンプリングループみたいな制作せいさくで、桑原くわばらさんがニューヨークからかえってきてすぐ、1980ねん初頭しょとうくらい」といた」とべている[出典しゅってん 27]。「つまり『咲坂さきさか桃内ももないのごきげんいかがワン・ツゥ・スリー』は『Rapper's Delight』から直接的ちょくせつてき影響えいきょうけて日本にっぽん音楽おんがくとしてえたもので、ヒップホップは、1980年代ねんだい初頭しょとうにはほぼリアルタイムで日本にっぽん輸入ゆにゅうされていたことになる」とろんじている[出典しゅってん 28]反復はんぷくフレーズって登場とうじょうする2人ふたりキャラクターなにかと自慢じまんしあう[出典しゅってん 29]どうきょくが「日本にっぽんはつのラップ」である[出典しゅってん 30]小林こばやしは「えず音楽おんがく紹介しょうかいしているから、あたらしいものがてくると、ぼくなりにめる。最初さいしょのころのラップは『ふくをたくさんっている』とひたすら自慢じまんするとか、そういうかんじの歌詞かしだったんです」べており[23]、それが自身じしん音楽おんがく反映はんえいした[23]

その本格ほんかくてきにラップをやるため[24]、ザ・ナンバーワン・バンドを結成けっせい[24]1982ねん6月21にち発売はつばいのアルバム『もも』に広島ひろしまべんのラップ「うわさのカム・トゥ・ハワイ」を収録しゅうろく[出典しゅってん 31]どうきょく日本にっぽん最初さいしょのラップという評価ひょうかもある[出典しゅってん 32]。「うわさのカム・トゥ・ハワイ」は、きょくポップながら、移民いみん苦労くろう真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきなど、反戦はんせんてき内容ないよう方言ほうげんもちいてラップで自虐じぎゃくてきうたうという[23]、その日本にっぽんけるラップのプラットフォーム準備じゅんびする楽曲がっきょくになった[23]

磯部いそべすずかは「日本にっぽん最初さいしょにラップ・ミュージックの要素ようそアレンジれたのは『咲坂さきさか桃内ももないのごきげんいかがワン・ツゥ・スリー』。その1980年代ねんだい前半ぜんはんまではどうきょくどう傾向けいこう歌謡かようラップが数多かずおお制作せいさくされた」とろんじている[28]いとうせいこうも「『咲坂さきさか桃内ももないのごきげんいかがワン・ツゥ・スリー』はラップ」とはなしている[29]テクノ得意とくいとする音楽おんがくライター・四方よも宏明ひろあきは「『咲坂さきさか桃内ももないのごきげんいかがワン・ツゥ・スリー』は、元祖がんそ日本語にほんごラップでもあり、おわらいテクノの元祖がんそでもある」とうろんじている[27]

咲坂さきさか桃内ももないのごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」につづ日本にっぽんのラップきょくは、1981ねん3がつ21にちにリリースされたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)5まいのアルバム『BGM』に収録しゅうろくされた「RAP PHENOMENA/ラップ現象げんしょう」(作詞さくし:細野ほその晴臣はるおみピーター・バラカン作曲さっきょく:細野ほその晴臣はるおみ)である[25]ラップ現象げんしょうとラップをかけた言葉ことばあそのような歌詞かしではあるが、日本にっぽんのラップで曲名きょくめいに「ラップ」が使用しようされた最初さいしょ楽曲がっきょく。ただこのきょく細野ほその作詞さくしをピーター・バラカンが英訳えいやくしたものを細野ほその自身じしん全編ぜんぺん英語えいごでラップしており、日本にっぽんかたり)のラップではない[25]。メロディも本格ほんかくてきテクノサウンドである。

山田やまだ邦子くにこは1981ねん12月5にち発売はつばいのシングル「邦子くにこのかわいぶりっ(バスガイドへん)」(作詞さくし:山田やまだ邦子くにこ作曲さっきょく:渡辺わたなべ直樹なおき)と[出典しゅってん 33]、1982ねん12月5にち発売はつばいのセカンドアルバム『贅沢ぜいたくしゃ』に収録しゅうろくの「哲学てつがくしよう」(作詞さくし:山田やまだ邦子くにこ作曲さっきょく細野ほその晴臣はるおみ)でラップを披露ひろうしている[26]

日本にっぽん事典じてん用語ようご辞典じてんで「ラップ」という言葉ことば紹介しょうかいされたのは『現代げんだい用語ようご基礎きそ知識ちしき(1984年版ねんばん)』が最初さいしょ[3]執筆しっぴつ中村なかむらとうようで、ラップを「1970年代ねんだいわりから82ねんにかけてニューヨークでだい流行りゅうこうしたファンク・サウンド。とってもじつはこれはメロディのないシャベリ(ナレーション)で、ディスコ・ビートって語呂ごろのいい言葉ことばをリズミカルにポンポンとしゃべりまくる。シュガーヒル・ギャング、グランドマスター・フラッシュなどがラップのレコードをだいヒットさせた。ラップをやるひとをラッパーとぶ」とかれている(原文げんぶんママ[3]中村なかむらはラップは、ファンクやディスコミュージックからの派生はせい解釈かいしゃくしていたものとられる。このしょは1984ねん1がつ1にち発行はっこうのため、「ラップ」という言葉ことば音楽おんがく関係かんけいしゃあいだ認知にんちされたのは1983ねんごろかんがえられる。

1970年代ねんだい以前いぜん日本にっぽんきょくなかにもラップのような事例じれいもあるが[出典しゅってん 34]日本にっぽんにはむかしから「五七調ごしちちょう」や「阿呆陀羅経あほだらきょう」「オッペケペーぶし」、トニーたにや、早口はやくち言葉ことばのようなラップにたリズムを言葉ことばあそのようなものがあり[出典しゅってん 35]、ラップの起源きげんについては諸説しょせつるが、一般いっぱんてきに1970年代ねんだい後半こうはんにニューヨークでまれ[出典しゅってん 36]商業しょうぎょうてきにもはじめて成功せいこうおさめたラップとわれるシュガーヒル・ギャングの「Rapper's Delight」のリリースが1979ねん9がつ16にちであり[出典しゅってん 37]前述ぜんじゅつのように70年代ねんだいのラップはアメリカでも音源おんげんがほとんどないとされ[出典しゅってん 38]、ラップはすぐにはアメリカでも市民しみんけんられなかったとされることから[出典しゅってん 39]、これ以前いぜん日本にっぽん海外かいがいのラップの影響えいきょうけたラップがあったとはかんがえにくい[24]音楽おんがくライター・二木ふたきしんは「ラップは1980年代ねんだい初頭しょとうにアメリカのNYから日本にっぽん輸入ゆにゅうされたもの」とべている[33]

1980年代ねんだい以降いこう欧米おうべいではラップをフィーチャーしたヒットきょく続々ぞくぞくまれた[31]

1984ねん3月25にち発売はつばいスーパー・エキセントリック・シアターのアルバム『THE ART OF NIPPONOMICS』に収録しゅうろくされた「BEAT THE RAP」(作詞さくし高橋たかはし幸宏ゆきひろピーターバラカン、SET、作曲さっきょく編曲へんきょく高橋たかはし幸宏ゆきひろ)は、あきらかにラップミュージックを意識いしきして制作せいさくされていると評価ひょうかされる[26]佐野さの元春もとはるは1984ねん6がつ21にちリリースのシングル「COMPLICATION SHAKEDOWN」、11月21にちリリースのシングル「NEW AGE」でラップへの接近せっきんこころ[出典しゅってん 40]よし幾三いくぞうがアメリカのラップを参考さんこうにして制作せいさくした「おれ東京とうきょうぎょうぐだ」は、1984ねん11月25にちにリリースされ、オリコンシングルチャート4のヒットを記録きろくした[出典しゅってん 41]。また同年どうねん12がつ21にちのシングル「なみだのtake a chance」で、ブレイクダンス導入どうにゅうした風見かざみしんごは、1985ねん4がつ24にちリリースのシングル「BEAT ON PANIC」で一部いちぶラップをれた。1980年代ねんだい前半ぜんはんにラップミュージックを意識いしきして制作せいさくされた楽曲がっきょくにはに、1984ねんイラマゴ「TYOロック」がある[26]ただし1980年代ねんだい前半ぜんはん日本語にほんごラップは「五七調ごしちちょう」のような、いかにも日本にっぽんてきなリズムという評価ひょうかもある[26]以後いごラップはJ-POPなど日本にっぽんポピュラー音楽おんがくにもれられる手法しゅほうとなった。

いとうせいこう早稲田大学わせだだいがく入学にゅうがくしてすぐ1980ねんか1981ねんくらいに極東きょくとう放送ほうそう(FEN)からながれてきたあいだのすごくあるビートのうえ言葉ことばってくるファンキーなきょくを、まだラップとはらなかったがカッコよくて認識にんしきはしていた[出典しゅってん 42]、それで大学だいがくの「FEN研究けんきゅうかい」でラップの真似事まねごとのようなことをやった[26]、また1982ねん12月にオープンした六本木ろっぽんぎインクスティック[39]、1984ねん10がつにオープンした「クラブD」でDJをやっていた藤原ふじわらヒロシにステージにばれ、マイクたされラップの真似事まねごとやった[26]、「それがはじめてクラブから発生はっせいした日本語にほんごのヒップホップだったんじゃないかな」「スクラッチもヒロシとK.U.D.O.とかすうにんくらいしかできなかったとおもう」とうはなしている[40]。いとうのラップを今日きょう音源おんげん確認かくにんできるのは1985ねん12月21にちリリースされたアルバム『業界ぎょうかいくん物語ものがたり』となる[26]。いとうは「日本語にほんごラップは80年代ねんだい後半こうはんまれたもの」とべている[39]。1980年代ねんだいなかばから藤原ふじわらヒロシらがラップに[17]近田ちかだ春夫はるお1986ねんにビートにせてしゃべりまくるラップをはじめて[41]、「日本語にほんごはロックにかない」との定説ていせつ挑戦ちょうせんした[41]

アメリカではパブリック・エネミーエリックb&ラキームといったヒップホップ・グループ続々ぞくぞく登場とうじょうし、エアロスミスのシングル「ウォーク・ディス・ウェイ」をヒップホップ・グループ・Run-D.M.C.カバー、1986ねん7がつ4にちにシングルリリースして世界せかいてきだいヒットした[出典しゅってん 43]。Run-D.M.C.はこのとし来日らいにちしている[25]。1986ねん日本にっぽんはじめてのヒップホップせんもんクラブ「HIP HOP」が渋谷しぶやにオープンした[25]同店どうてん当時とうじのDJZOLA、こと長峰ながみね弘樹ひろきは「当時とうじのヒップホップといっても一般いっぱんてきには馴染なじみがうすく、ジャンルとしても確立かくりつされたものではありませんでしたが、Run-D.M.C.の『ウォーク・ディス・ウェイ』のヒットにより注目ちゅうもくあつはじめたころでした。最初さいしょにこのきょくいたときは『なんだーロックじゃねーか!』といまひとつピンとなかった」と証言しょうげんしている[25]日本にっぽんでも最先端さいせんたんでヒップホップやラップにかかわっていたひとが、ロックとヒップホップやラップのちがいがよくからない時代じだいに、日本にっぽんでどれだけのひとがヒップホップやラップを認識にんしきしていたのかという問題もんだいこってくる[25]

パブリック・エネミーも1987ねん来日らいにち[25]日本にっぽん音楽おんがくシーンにヒップホップが次第しだい定着ていちゃくしていく[25]当時とうじとしてはめずらしい黒人こくじん映画えいが監督かんとくスパイク・リーの『ドゥ・ザ・ライト・シング』が1989ねん、アメリカで公開こうかいされたか評価ひょうかけた[43]日本にっぽん公開こうかいよく1990ねんだったが、タイトルロールからそのパブリック・エナミーの「ファイト・ザ・パワー」がひび[43]、ヒップホップ/クラブカルチャーとう興味きょうみのある一部いちぶ若者わかものたちが劇場げきじょうめかけた[43]。ただ当時とうじミニシアターブームで、ヨーロッパのアートけい映画えいがなどがさかんに日本にっぽんでもてはやされた時期じき[44]バブル日本にっぽんでは現実げんじつ映画えいがであったかもしれない[43]

M.C.ハマーも1990ねん前後ぜんこうに「U Can't Touch This」が人気にんきとなり、ハマーのダンスは日本にっぽんでも人気にんきはくした[17]。アメリカでは1980年代ねんだい後半こうはんから黒人こくじん地位ちい向上こうじょううったえる政治せいじてききょく増加ぞうかした[45]。M.C.ハマーの1991ねん来日らいにち公演こうえんで「日本にっぽんにラップが完全かんぜん定着ていちゃくするか」とかれた文献ぶんけん[45]、「Run-D.M.C.とM.C.ハマーによって日本にっぽんでラップがひろがりをせた」とかれた文献ぶんけんもある[17]

1989ねんデビューした電気でんきグルーヴは、コンピューター駆使くししたテクノサウンドりだが[17]きょくによってラップを導入どうにゅうした[17]1990ねんデビューのスチャダラパーのMCボーズは「Run-D.M.C.に衝撃しょうげきけて、ラップグループを結成けっせいした」とはなしている[17]。1980年代ねんだい後半こうはんからラップ・コンテストがさかんにおこなわれ、磯部いそべすずかは「1989ねん3がつ開催かいさいのラップ・コンテストに彗星すいせいのごとくあらわれたスチャダラパーがつポピュラリティによって、ラップ・ミュージックは日本にっぽん決定的けっていてき認知にんちされるにいたる」とろんじている[28]1990年代ねんだいになると1993ねん11月21にちリリースのm.c.A・TBomb A Head![28]1994ねん3月9にちリリース、小沢おざわ健二けんじとスチャダラパーのコラボ楽曲がっきょく今夜こんやはブギー・バック」などのヒットきょくまれ[出典しゅってん 44]、"J–RAP"としょうされた[28]バブルガム・ブラザーズもラップをれブームをこし[出典しゅってん 45]、1994ねん8がつ21にち発売はつばいされたEAST END×YURIの「DA.YO.NE」は、アメリカのラップが政治せいじ社会しゃかいへの批判ひはんうたっていたのにたいして、友人ゆうじん同士どうし会話かいわがテーマで[14]純粋じゅんすいなラップファンは敬遠けいえんしたが[14]若者わかもの最先端さいせんたん俗語ぞくご流行りゅうこう積極せっきょくてきれられ、若者わかもの共感きょうかん日本にっぽんのラップきょくとしてはじめてミリオンセラーになった[出典しゅってん 46]おおくの日本人にっぽんじんにヒップホップやラップなる音楽おんがくがあることがはじめて認識にんしきされたのはこの1994ねんられる[25]

1991ねん1がつに7かい来日らいにちをしたビリー・ジョエルは、読売新聞よみうりしんぶんのインタビューで「ラップはきら以前いぜんに、ぼくにとっては音楽おんがくではない。そこにはメロディーもコードもない。せたリズムだとおもう。だから、ラップ・ミュージックというのは、ジャンボ・シュリンプ(巨大きょだいエビ)とおなじで矛盾むじゅんした言葉ことばだよ」とひょうした[47]。ラップやサンプリング出現しゅつげん古典こてんてき意味いみでの音楽おんがく解体かいたいすす[48]、1990年代ねんだいポピュラー音楽おんがく迷路めいろはいんだともひょうされた[48]。ラップの歴史れきしながくなるにつれ、マンネリづまり、閉塞へいそくじょうきょうまれ、日本語にほんごラップの一部いちぶにも偏向へんこうした思想しそう差別さべつなどのネガティブ傾向けいこうあらわれるようになった。

それまでミクスチャー・ロックてきなイメージがあったDragon Ashが、1999ねん5月リリースの5まいシングルGrateful Days」でヒップホップをんだことは、日本にっぽんのシーンにたいする影響えいきょう絶大ぜつだいだった[25]21世紀せいきはいると、アメリカのヒップホップの影響えいきょうから完全かんぜん決別けつべつ日本にっぽんのシーンが独自どくじみちあるはじめるようになり[25]日本にっぽんのヒップホップ/ラップは完全かんぜんにメジャーシーンに影響えいきょうはじめていく[25]

言語げんご技法ぎほう[編集へんしゅう]

日本人にっぽんじんアーティストによるラップは日本語にほんごによっておこなわれることがおお[49]。しかし、日本語にほんご英語えいごとは文法ぶんぽう発声はっせいほう音韻おんいんおおきくことなる。そのため、日本語にほんごのラップはしばしば倒置とうちほう喚体などの修辞しゅうじ技法ぎほうや、はんいん多重たじゅういん英語えいごふう発音はつおん使用しようされ[49]、しばしばしゃべり言葉ことばとはかけはなれた語調ごちょう文体ぶんたいとなる。

近田ちかだ春夫はるおなどは、この日本語にほんごのラップにおける不自然ふしぜん日本語にほんごたい否定ひていてき見解けんかいしめしている[50]。また、その独特どくとくかたくち調ちょう日本人にっぽんじん音楽おんがく風土ふうどわないという指摘してきもあり、生理せいりてきけないものおおく、日本にっぽんではあまりこのまれないジャンルでもある。ひとによっては「(ラップは)音楽おんがくではない」とし、音楽おんがくのジャンルとしてみとめないものすくなくない。

一方いっぽうMummy-Dなどのように、日本語にほんごのラップが既存きそん日本語にほんごとはことなる表現ひょうげん技法ぎほう詩情しじょう開拓かいたくしたてん肯定こうていてきとらえる意見いけん存在そんざいする[51]音楽おんがく評論ひょうろん中村なかむらとうようは、幕末ばくまつ流行りゅうこうした芸能げいのう阿呆陀羅経あほだらきょう」が日本語にほんごラップの源流げんりゅうであるという見解けんかいしめしている[52]

関連かんれん用語ようご[編集へんしゅう]

おもなものをげる。

  • リリック(lyric) - いわゆる歌詞かし普通ふつう抒情詩じょじょうし意味いみ使つかわれる言葉ことばだが、叙事じょじてき内容ないよう場合ばあいもリリックという。
  • いん - 語尾ごび母音ぼいんわせることや、子音しいんふくめてひびきの言葉ことばかえし。単語たんご単位たんいかぎらず、ぶん全体ぜんたいとしてひびきをかえしたりもする。動詞どうし場合ばあいは「いんむ」と表現ひょうげんする。
  • ライム(rhyme) - いん行為こうい
  • フロウ(flow) - ラップの節回ふしまわし、ふしげなどのラップを使つかった表現ひょうげん個性こせい、オリジナリティなどをう。そのためかれのラップにはフロウがある」とったひょうかたもある。日本にっぽんにおいてはもうすこせま意味いみ使つかかたおおため、「フロウ」という単語たんご使つかいつつ重複じゅうふくしたべつ言葉ことばてくることもある。
  • フリースタイル(free style) - 構成こうせいおと自由じゆうかたのラップをハメること。また、最近さいきんでは、ある程度ていど即興そっきょうでリリックをかんがえ、ラップすることもフリースタイルとばれるようになってきている。フリースタイルバトルでは、おたがいがリリックの内容ないよう攻撃こうげきう。実際じっさい大会たいかいでは、有能ゆうのう対戦たいせん相手あいて弱点じゃくてん研究けんきゅうし、対策たいさくリリックをある程度ていどつくってからのぞむこともある。一方いっぽうとく即興そっきょうせいたかいものはトップ・オヴ・ザ・ヘッドばれる。 フリースタイルのイベント・大会たいかいなども開催かいさいされている。海外かいがいアーティストではJINなどがフリースタイル大会たいかい出身しゅっしんしゃである。
  • ワック(wack) - スラングで不出来ふできな、あるいは偽物にせもの。「ワックMC」など、のアーティストをディスる(批判ひはんする)とき使用しようする。
  • マイクリレー(mic relay) - 複数ふくすうのMCがめられた小節しょうせつ担当たんとうし、楽曲がっきょくをつないでいくこと。
  • ビーフ(beef) - アーティストあいだののしりあい、喧嘩けんかのこと[注釈ちゅうしゃく 4]1984ねん放送ほうそうされたアメリカのハンバーガー・チェーンのCMは、ウェンディーズが競争きょうそう相手あいてマクドナルドバーガーキングより中身なかみ牛肉ぎゅうにくのパティがおおいことを印象いんしょうづけるためのものであった。流行りゅうこうとなり、1984ねん民主党みんしゅとう大統領だいとうりょう候補こうほ決定けっていする予備よび選挙せんきょで、政策せいさく中身なかみ優劣ゆうれつ議論ぎろんするさいにスローガンとして使つかわれた。候補こうほにはモンデール候補こうほえらばれた。

ラップを主題しゅだいとするイベント・番組ばんぐみ[編集へんしゅう]

番組ばんぐみ
  • フリースタイルティーチャー - テレビ朝日てれびあさひ
  • フリースタイルダンジョン - テレビ朝日てれびあさひ[53]
  • YO!ラップ - 中京ちゅうきょうテレビ
  • Epic Rap Battles of History - 歴史れきしじょう人物じんぶつ有名人ゆうめいじんなどがラップできそうYoutube番組ばんぐみ日本語にほんごでは、ERB公認こうにん日本語にほんご字幕じまくがあった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ネリー「Dillemma」など。
  2. ^ KRS-One「The Bridge is Over」など。
  3. ^ ニューヨークとその周辺しゅうへんだけで、50まんまいのヒットになったという。
  4. ^ KRSワンとMCシャンのビーフ、NWAとティム・ドッグのあいだのビーフがられている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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出典しゅってん(リンク)[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]