シドニー・ブレナー

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シドニー・ブレナー
Sydney Brenner
シドニー・ブレナー(2008)
生誕せいたん Sydney Brenner
(1927-01-13) 1927ねん1がつ13にち
みなみアフリカ連邦れんぽうトランスヴァールしゅうげん南アフリカ共和国の旗 みなみアフリカ共和きょうわこくハウテンしゅう
死没しぼつ 2019ねん4がつ5にち(2019-04-05)(92さい
シンガポールの旗 シンガポール
居住きょじゅう 南アフリカ共和国の旗 みなみアフリカ共和きょうわこく
イギリスの旗 イギリス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
国籍こくせき 南アフリカ共和国の旗 みなみアフリカ共和きょうわこく
イギリスの旗 イギリス
研究けんきゅう分野ぶんや 生物せいぶつがく
研究けんきゅう機関きかん ケンブリッジ大学けんぶりっじだいがく
カリフォルニア大学だいがくバークレーこう
ソーク研究所けんきゅうじょ
MRC分子生物学ぶんしせいぶつがく研究所けんきゅうじょ
出身しゅっしんこう オックスフォおっくすふぉド大学どだいがく
論文ろんぶん The physical chemistry of cell processes: a study of bacteriophage resistance in Escherichia coli, strain B (1954)
博士はかせ課程かてい
指導しどう教員きょういん
シリル・ヒンシェルウッド
おも業績ぎょうせき 伝令でんれいRNA
おも受賞じゅしょうれき アルバート・ラスカー基礎きそ医学いがく研究けんきゅうしょう(1971)
ロイヤル・メダル(1974)
ガードナー国際こくさいしょう(1978)
コプリ・メダル(1991)
ノーベル生理学せいりがく医学いがくしょう(2002)
旭日大綬章あさひだいじゅしょう(2017)
プロジェクト:人物じんぶつでん
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ノーベルしょう受賞じゅしょうしゃノーベル賞
受賞じゅしょうねん2002ねん
受賞じゅしょう部門ぶもんノーベル生理学せいりがく医学いがくしょう
受賞じゅしょう理由りゆう器官きかん発生はっせいと、プログラムされた細胞さいぼう遺伝いでん制御せいぎょかんする発見はっけん

シドニー・ブレナー (Sydney Brenner, 1927ねん1がつ13にち - 2019ねん4がつ5にち[1][2])はみなみアフリカ連邦れんぽうまれの生物せいぶつ学者がくしゃせんちゅうもちいたアポトーシス研究けんきゅうにより、ロバート・ホロビッツジョン・サルストンとともに2002ねんノーベル生理学せいりがく医学いがくしょう受賞じゅしょうした。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

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みなみアフリカ連邦れんぽうトランスヴァールしゅう現在げんざいではみなみアフリカ共和きょうわこくハウテンしゅうジャーミンストン英語えいごばんで、ロシア帝国ていこくりょうリトアニアからのユダヤじん移民いみんとしてまれた。1942ねんヨハネスブルグウィットウォータースランド大学だいがく英語えいごばん入学にゅうがく医学いがくまなび、1951ねん卒業そつぎょう医師いしとして勤務きんむしたのちわたりすぐるし、1954ねんエクセター・カレッジM.D.取得しゅとくした。指導しどう教授きょうじゅシリル・ヒンシェルウッドであった。1956ねんケンブリッジMRC分子生物学ぶんしせいぶつがく研究所けんきゅうじょ移籍いせきし、1996ねんから2000ねんまで、アメリカカリフォルニアしゅうラホヤソーク研究所けんきゅうじょおよびバークレー自身じしん設立せつりつした分子ぶんし科学かがく研究所けんきゅうじょ所長しょちょうおよび科学かがくディレクターとして研究けんきゅうおこなった。

生物せいぶつ学者がくしゃ[編集へんしゅう]

1960年代ねんだい登場とうじょうした分子生物学ぶんしせいぶつがく分野ぶんやにおいて、フランシス・クリックジェームズ・ワトソンらとともに、翻訳ほんやくにおける遺伝子いでんし暗号あんごう解読かいどくメッセンジャーRNA概念がいねん提唱ていしょうをはじめとした独創どくそうてき貢献こうけんをした。

そのMRC分子生物学ぶんしせいぶつがく研究所けんきゅうじょにてせんちゅう C. elegansモデル生物せいぶつとしてもちいた動物どうぶつ発生はっせい研究けんきゅう樹立じゅりつし、神経しんけいけい形成けいせいなどを解明かいめいした。C. elegans体長たいちょう 1 mm ほどちいさな土壌どじょう動物どうぶつで、透明とうめいからだ単純たんじゅんながらいちとおりの細胞さいぼう体制たいせいをもち、発生はっせい生物せいぶつがく研究けんきゅうてきした生物せいぶつであった。また飼育しいく容易よういであり、生活せいかつたまきみじかく、遺伝いでんがくもちいた研究けんきゅう手法しゅほうおこないやすい。ブレナーはこの生物せいぶつもちいてゲノムプロジェクトげ、細胞さいぼう生物せいぶつにおけるゲノミクス先駆さきがけとなった。そのトラフグゲノム解読かいどくがけた。

ブレナーは分子ぶんし科学かがく研究所けんきゅうじょ設立せつりつし、ソーク研究所けんきゅうじょとジャナリアファーム(HHMI)に所属しょぞくしていた。1965ねん王立おうりつ協会きょうかいフェロー選出せんしゅつ

2005ねん発足ほっそくから2011ねんまで独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん沖縄おきなわ科学かがく技術ぎじゅつ研究けんきゅう基盤きばん整備せいび機構きこう理事りじちょうとして沖縄おきなわ科学かがく技術ぎじゅつ大学院だいがくいん大学だいがく創設そうせつかかわり[3]2017ねん4がつ29にちづけはる叙勲じょくんで、「日本にっぽん科学かがく技術ぎじゅつ研究けんきゅう教育きょういく発展はってん寄与きよした」として旭日大綬章あさひだいじゅしょう受章じゅしょうした[4]

2019ねん4がつ5にち自宅じたくのあるシンガポール死去しきょ。92さいぼつ

顕彰けんしょう[編集へんしゅう]

シドニー・ブレナーの顕彰けんしょうぞう沖縄おきなわけん国頭くにがみぐん恩納おんなむら

沖縄おきなわ科学かがく技術ぎじゅつ研究けんきゅう基盤きばん機構きこう理事りじちょうつとめたことから、没後ぼつご沖縄おきなわけん沖縄おきなわ科学かがく技術ぎじゅつ大学院だいがくいん大学だいがく促進そくしん県民けんみん会議かいぎにより顕彰けんしょうぞう制作せいさくされた[5]沖縄おきなわけん国頭くにがみぐん恩納おんなむら建立こんりゅうされ[5]、2020ねん11月26にち除幕じょまくしきおこなわれた[5]沖縄おきなわけんふく知事ちじ謝花じゃはな喜一郎きいちろうは、これまでの功績こうせきについて「かつて、ここに世界せかい最高さいこう水準すいじゅん大学院だいがくいん大学だいがくをつくる、という壮大そうだい構想こうそういどみ、実現じつげんされました。博士はかせがこれまでにした偉業いぎょうたいし、145まんにん沖縄おきなわ県民けんみん代表だいひょうして、しんから敬意けいい感謝かんしゃささげ、顕彰けんしょうもうげます」[5]べている。また、沖縄おきなわ県知事けんちじ玉城たまきデニーによる顕彰けんしょうじょうおくられており[6]、これまでの功績こうせきについてとなえている。

おも受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Sim Shuzhen (2019ねん4がつ5にち). “Sydney Brenner, ‘father of the worm’ and decoder of DNA, dies at 92” (英語えいご). Asian Scientist Magazine. Wildtype Media Group. 2019ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  2. ^ 大久保おおくぼ知美ともみ (2019ねん4がつ5にち). “訃報ふほう沖縄おきなわ科学かがく技術ぎじゅつ研究けんきゅう基盤きばん整備せいび機構きこう初代しょだい理事りじちょう シドニー・ブレナー博士はかせ”. 沖縄おきなわ科学かがく技術ぎじゅつ大学院だいがくいん大学だいがく. 2019ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  3. ^ 沖縄おきなわ科学かがく技術ぎじゅつ研究けんきゅう基盤きばん整備せいび機構きこう初代しょだい理事りじちょう シドニー・ブレナー博士はかせ 旭日大綬章あさひだいじゅしょう受章じゅしょう”. 沖縄おきなわ科学かがく技術ぎじゅつ大学院だいがくいん大学だいがく (2017ねん8がつ22にち). 2019ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  4. ^ 読売新聞よみうりしんぶん 2017ねん4がつ29にち 13めん
  5. ^ a b c d 中尾なかお享二きょうじシドニー・ブレナー博士はかせ功績こうせきとなえて――沖縄おきなわけんからブレナー博士はかせ顕彰けんしょうぞう贈呈ぞうていされ、OISTで顕彰けんしょうぞう除幕じょまくしき開催かいさい」『シドニー・ブレナー博士はかせ功績こうせきとなえて | 沖縄おきなわ科学かがく技術ぎじゅつ大学院だいがくいん大学だいがく(OIST)沖縄おきなわ科学かがく技術ぎじゅつ大学院だいがくいん大学だいがく、2020ねん11月27にち
  6. ^ 「ブレナー博士はかせ功績こうせきたたえる顕彰けんしょうじょう」『ブレナー博士はかせ功績こうせきたたえる顕彰けんしょうじょう | 沖縄おきなわ科学かがく技術ぎじゅつ大学院だいがくいん大学だいがく(OIST)沖縄おきなわ科学かがく技術ぎじゅつ大学院だいがくいん大学だいがく、2020ねん11月27にち

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]