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ローマのトラム(イタリア語: Rete tranviaria di Roma)は、イタリア ローマ市内でATAC(ローマの公共交通企業)が運営する路面電車。かつてはイタリア国内で最大の路線網を誇っていたが、廃止が進み他の交通機関にその地位を譲っている。
主要路線の結節点(ハブ)はマッジョーレ門であり、ATAC運営の全6路線のうち4路線がここを通過する。また一部併用軌道である都市鉄道ローマ=ジャルディネッティ線もマッジョーレ門を通過している。現在運行されているのは、次の6路線である。
1845年、ローマ教皇グレゴリウス16世が巡礼者のためにヴェネツィア広場からサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂の間を乗合馬車で結ぶことを認可したのが、ローマで初めての公共交通機関である。この乗合馬車は、しばしば満員となり時刻表通りには運行出来なかったようである。1877年には、フラミニーオ広場からミルヴィオ橋の間、現在の2系統トラムとほぼ同じルートに馬車鉄道が開業した。1895年には、テルミニ駅からサン・シルベストロ広場(イタリア語版)の間に初めて電化されたトラムが登場した。その後1904年までに全ての馬車鉄道の路線が電化された。最後に電化されたのはミルヴィオ橋に向かう路線であった。1905年には、全17路線を144両の電車が運行されていた。1929年末には路線網が最大となり、59系統(同一路線に重複して複数の系統が乗り入れている場合あり)で路線総延長は140 kmに達した。1930年には運行系統の整理が行われ、内周・外周の2つの環状路線と、それらの間を結ぶ路線に集約され、多くの車両が廃棄された。第二次世界大戦後に運行主体がATACとなり、路線網の縮小も引き続き行われた。1959年には内周の環状路線が廃止された。
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