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ドリームガールズ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドリームガールズ
Dreamgirls
作曲さっきょく ヘンリー・クリーガー
作詞さくし トム・アイン
脚本きゃくほん トム・アイン
原作げんさく スプリームスおよびモータウン歴史れきし
上演じょうえん 1981ねん ブロードウェイ
1983ねん 全米ぜんべいツアー
1985ねん 世界せかいツアー
1987ねん ブロードウェイ再演さいえん
1994ねん ジョージアしゅうアトランタ
1997ねん イリノイしゅうシカゴ
1997ねん 全米ぜんべいツアー
2001ねん ブロードウェイ・コンサート
2002ねん ジョージアしゅうアトランタ
2006ねん 映画えいがドリームガールズ
2007ねん ジョージアしゅうアトランタ
2009ねん 全米ぜんべいツアー
2012ねん ミズーリしゅうセントルイス
2013ねん ブリティッシュコロンビアしゅうバンクーバー
2016ねん ロンドン
受賞じゅしょう 1982ねん トニーしょうミュージカル脚本きゃくほんしょう
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ドリームガールズ(Dreamgirls)は、ヘンリー・クリーガー作曲さっきょく、トム・アイン脚本きゃくほんおよび作詞さくしによるブロードウェイミュージカルスプリームス、シュレルズ、ジェームス・ブラウンジャッキー・ウィルソンなどのR&Bアーティストのショー・ビジネスへのあこがれから成功せいこうもとにし[1]イリノイしゅうシカゴわか女性じょせいたちによる「ザ・ドリームス」がスーパースターとなっていく過程かていえがいている。大半たいはんアフリカけいアメリカじんによるパフォーマンスで、ソウル/R&Bレーベルとしてられるモータウンダイアナ・ロススプリームスをモデルにえがかれている。

1981ねん12がつ20日はつか、インペリアル・シアターで開幕かいまくし、1982ねんトニーしょうにおいてミュージカル作品さくひんしょうふくむ13部門ぶもんにノミネートされ、6部門ぶもん受賞じゅしょうした。4年間ねんかんかけて1,522かい公演こうえんし、1985ねん8がつ11にち閉幕へいまくした。2006ねんドリームワークスパラマウント映画えいがにより映画えいがされ『ドリームガールズ』が公開こうかいされた。この映画えいがジェニファー・ハドソンビヨンセアニカ・ノニ・ローズジェイミー・フォックスエディ・マーフィダニー・グローヴァー、キース・ロビンソンが出演しゅつえんした。

あらすじ[編集へんしゅう]

だい1まく: 1960年代ねんだい[編集へんしゅう]

1962ねん、シカゴの将来しょうらい有望ゆうぼうガール・グループであるザ・ドリーメッツはニューヨークしゅうハーレムにあるアポロ・シアター有名ゆうめいな「アマチュア・ナイト」に出演しゅつえんしようとする("I'm Lookin' for Something", "Goin' Downtown", "Takin' the Long Way Home")。このグループはふくよかなリード・シンガーのエフィ・ホワイトと親友しんゆうディーナ・ジョーンズおよびロレル・ロビンソンで構成こうせいされている。このコンテストでザ・ドリーメッツはエフィの兄弟きょうだいC.C.が作曲さっきょくした『Move (You're Steppin' on My Heart) 』をうたうことになっており、C.C.も同行どうこうする。残念ざんねんながらコンテストでは落選らくせんしたが、舞台裏ぶたいうらでザ・ドリーメッツとC.C.は中古ちゅうこしゃ販売はんばいいんのカーティス・テイラー・ジュニアと出会であい、カーティスはザ・ドリーメッツのマネージャーとなる。

カーティスは人気にんきR&Bスターのジェイムズ・アーリー(愛称あいしょうサンダー)とかれのマネージャーのマーティを説得せっとくしてザ・ドリーメッツをバックアップ・シンガーとしてやとわせる。ジェイムズとザ・ドリーメッツのはじめての演奏えんそう成功せいこうしたが("Fake Your Way to the Top")、ジェイムズは新曲しんきょくのことであたまがいっぱいである。カーティスはジェイムズとマーティに、伝統でんとうてきなR&Bとソウルわくえてポップ市場いちばねらうべきだと説得せっとくする。C.C.はジェイムズとザ・ドリーメッツのために『Cadillac Car 』を作曲さっきょくし、かれらはツアー公演こうえんおこない("Cadillac Car (On the Road)")、もどるとシングルをレコーディングする("Cadillac Car (In the Recording Studio)")。『Cadillac Car 』はポップ・チャートでヒットしはじめるが、白人はくじんのポップ・シンガーのデイヴ・アンド・ザ・スウィートハーツがこれをカバーして("Cadillac Car" (リプライズ))ヒットをうばう。これにおこったカーティス、C.C.、ジェイムズのプロデューサーのウェインは、全米ぜんべいのDJにつぎのシングル『Steppin' to the Bad Side 』をかけるよう賄賂わいろおくる。この結果けっか、このきょくはポップ・チャートでだいヒットする。カーティスがマーティの領域りょういきであるジェイムズの活動かつどう干渉かんしょうし、カーティスとマーティは対立たいりつするようになる。エフィとカーティスが交際こうさいはじめ、既婚きこんしゃのジェイムズがロレルと不倫ふりんはじめたことから事態じたいはさらに複雑ふくざつなものになっていく("Party, Party")。

カーティスはジェイムズをペリー・コモのようなポップ歌手かしゅにしようとくわだてて("I Want You Baby")、ザ・ドリーメッツを独自どくじにヒットさせようと、「ザ・ドリームズ」に改名かいめいしてより洗練せんれんさせて音楽おんがくもポップに近付ちかづける。最大さいだい変化へんかはリード・シンガーがエフィからディーナにわったことである。エフィはこれに憤慨ふんがいする。C.C.はエフィにカーティスのプランにしたがうよう説得せっとくする("Family")。カーティスとマーティは喧嘩けんかとなり、マーティはジェイムズのマネージャーをめたためカーティスが後任こうにんとなる。新生しんせいザ・ドリームズはオハイオしゅうクリーブランドのクラブであるクリスタル・ルームでデビューし、ファースト・シングルをうたう("Dreamgirls")。ショーは成功せいこうし、マスコミがせる("Press Conference")。カーティスはディーナに「史上しじょうもっと有名ゆうめい女性じょせいにしてみせる」と宣言せんげんし、ないがしろにされたエフィは「わたしは?」とたずねる("Only the Beginning")。すうねんでザ・ドリームズはシングルがヒットしつづけて主流しゅりゅうる("Heavy")。ディーナがスターとしての名声めいせい向上こうじょうする一方いっぽう、エフィは神経質しんけいしつ我儘わがままになっていく。エフィはカーティスがディーナと浮気うわきをしているのではないかとうたがう。ロレルはかれらと穏便おんびんごそうとするが、事態じたい修復しゅうふく不可能ふかのうなことを痛感つうかんする。

1967ねん、グループは「ディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズ」となり、ラスベガスはつ登場とうじょうする。ジェイムズがると("Drivin' Down the Strip")、エフィが病気びょうき休演きゅうえんちゅうであるとる(のちにカーティスの妊娠にんしんしていることがかされる)。カーティスとディーナはエフィが公演こうえん妨害ぼうがいするためにやすんでいるのだとかんがえる。カーティスはエフィのわりに新人しんじん歌手かしゅミシェル・モリスを出演しゅつえんさせ、エフィはこのことをだれかからまえってしまう。エフィはカーティス、C.C.、メンバーたちとい("It's All Over")、カーティスに個人こじんてきはなおうとするが("And I Am Telling You I'm Not Going")、傷心しょうしんのエフィはディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズが自分じぶんなしでどんどんヒットするのを横目よこめっていく("Love Love Me Baby")。

だい2まく: 1970年代ねんだい[編集へんしゅう]

1972ねんまでに、ディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズは全米ぜんべいもっと成功せいこうしたガール・グループとなる("Act II Opening" 1)。ディーナはカーティスと結婚けっこんし、C.C.はミシェルと交際こうさいする。ジェイムズはなんねんもヒットきょくがない。カーティスはジェイムズの再生さいせいすこ興味きょうみせる。ディーナとジェイムズのファンクふう特徴とくちょうをジェイムズのつポップふうきょくれることをかんがえたのである。エフィがむすめマジック(公演こうえんによってはロナルド)をれてシングル・マザーとしてシカゴにもどってくる。エフィのマネージャーとなったマーティはなんとかエフィの信頼しんらい回復かいふくさせようとする。一旦いったんエフィはショー・ビジネスにカムバックする("I Am Changing")。エフィが音楽おんがく業界ぎょうかい困難こんなんながらも復帰ふっきする一方いっぽう、ディーナはうたうことをやめて女優じょゆうになりたがっている。ディーナは『ヴォーグ撮影さつえいちゅう、カーティスに転身てんしん計画けいかくかたるが("One More Picture Please")、カーティスはききながす("When I First Saw You")。カーティスのコントロールでイライラしているのはディーナだけではなかった。C.C.は自分じぶん作曲さっきょくしたきょくをカーティスが編曲へんきょくくわえることに激怒げきどする。カーティスはC.C.が作曲さっきょくした感情かんじょうてきなバラード『One Night Only 』でさえディスコ調ちょうでレコーディングしようとするのである。

ディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズとジェイムズ・アーリーはザ・ファイブ・タキシードズ("Got to Be Good Times")などが出演しゅつえんする民主党みんしゅとう資金しきんあつめイベントで演奏えんそうすることになる。舞台裏ぶたいうら出番でばんっているとき、ロレルがジェイムズにつま自分じぶんたちの関係かんけいかすがあるのかと口論こうろんとなる("Ain't No Party")。ジェイムズが舞台ぶたいがり、ロレルはいてディーナはなぐさめる。ジェイムズはきょくつうじてロレルにかたり("I Meant You No Harm")、ディーナはロレルが問題もんだい解決かいけつできるようたすけるつもりである。ミシェルはC.C.に姉妹しまいであるエフィをさがして仲直なかなおりするよう説得せっとくする("Quintette")。『I Meant You No Harm演奏えんそうちゅう、ジェイムズは動揺どうようして「もうかなしいきょくうたえない」とかたる。予定よていきょくがあったにもかかわらずジェイムズはファンクのきょくうたい("The Rap")、ズボンをおろす。はじをかかされたカーティスはジェイムズが舞台ぶたいりた直後ちょくご、ジェイムズを解雇かいこする。ロレルもジェイムズとの関係かんけいをこれでわりにする。傷心しょうしんのジェイムズは徐々じょじょおもて舞台ぶたいからえていき、カーティスにたすけをもとめることを拒否きょひする。

マーティはC.C.とい、レコーディング・スタジオでエフィと仲直なかなおりさせる("I Miss You, Old Friend")。C.C.はこれまでエフィのキャリアをたすけることができず謝罪しゃざいし、エフィはC.C.の『One Night Only 』をオリジナルのバラードでレコーディングする。『One Night Only 』はチャートで順位じゅんいはじめるが、カーティスはこれに激怒げきどしディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズばん発売はつばいいそがせるだけでなく、巨額きょがくとうじてDJを買収ばいしゅうしてエフィばんをかけずにディーナばんをかけるようはたらきかける("One Night Only (Disco)")。エフィ、C.C.、マーティはカーティスの陰謀いんぼうり、ドリームズのコンサートの舞台裏ぶたいうらでカーティスと対峙たいじし、法的ほうてき訴訟そしょうこすとおどす("I'm Somebody", "Chicago/Faith in Myself")。カーティスは不正ふせい行為こういをなかったことにするためエフィの弁護士べんごしう。エフィとディーナは仲直なかなおりをし、ディーナはエフィのむすめのマジックがカーティスのであることに気付きづく。カーティスの正体しょうたいったディーナはついにカーティスのもとをはなれ、自分じぶん自分じぶん人生じんせいあゆんでいく決心けっしんをする("Listen" 2)。エフィの『One Night Only 』はだい1のヒットとなり、ザ・ドリームズは解散かいさんしたためディーナは映画えいがかいすすむ("Hard to Say Goodbye, My Love")。ザ・ドリームズの解散かいさんコンサート最後さいごにエフィが舞台ぶたい合流ごうりゅうし、4めいのドリームズが最後さいごきょくうたう("Dreamgirls (リプライズ)")。

オリジナル・ブロードウェイ・プロダクション[編集へんしゅう]

背景はいけい[編集へんしゅう]

『ドリームガールズ』はネル・カーターへのプロジェクトからはじまった。1975ねん脚本きゃくほんトム・アインと作曲さっきょくヘンリー・クリーガーはアインの脚本きゃくほんThe Dirtiest Show in Town 』のミュージカルばんとも活動かつどうしたことがあった。カーターはこのミュージカルに出演しゅつえんし、カーターの演技えんぎはアインとクリーガーに黒人こくじんバックアップ・シンガーについてのミュージカル『One Night Only 』を想起そうきさせ、その『プロジェクトNo.9』とばれるようになった[2]。『プロジェクトNo.9』はプロデューサーで演出えんしゅつジョセフ・パップのためにワークショップがおこなわれた。ネル・カーターのほか、シェリル・リー・ラルフ、ロレッタ・デヴァイン参加さんかした。しかし1978ねんにカーターがソープ・オペラ『Ryan's Hope 』に出演しゅつえんすることになったため延期えんきになった。

1ねん、『プロジェクトNo.9』は当時とうじコーラスライン』で成功せいこうをおさめていた演出えんしゅつマイケル・ベネットのまり、再開さいかいされることになった。ラルフとデヴァインがふたた参加さんかし、『Big Dreams 』としてベネットはアインにワークショップを開始かいしさせた。このときのキャストはベン・ハーニー、オッバ・ババタンデ、クリーヴァント・デリックスで、カーターがNBCの『Gimme a Break 』の主演しゅえんけたため後任こうにんに20さいのゴスペル・シンガーのジェニファー・ホリデイがいた。しかしワークショップ期間きかんちゅう、ホリデイはこの物語ものがたりきではなく、エフィ・ホワイトやくくなってわることに落胆らくたんしたため降板こうばんした。アイン、ベネット、クリーガーは物語ものがたり楽曲がっきょく見直みなおしをつづけた。シェリル・ゲインズと歌手かしゅ女優じょゆうのフィリス・ハイマンがホリデイの後任こうにん候補こうほがった。

ジェニファー・ルイスがエフィやくえんじたのをふくむ2かいのワークショップが成功せいこうしたのち、『Dreamgirls 』のとなったプロジェクトにホリデイがもどってきた。しかしシェリル・リー・ラルフえんじるディーナのやくくらべてエフィやく出番でばん大幅おおはばけずられたことをり、ホリデイは再度さいど降板こうばんした。音楽おんがく業界ぎょうかい重鎮じゅうちんデヴィッド・ゲフィンおよびABCエンタテイメント、メトロメディア、シュバート・ファミリーからの資金しきん援助えんじょけ、ベネットはホリデイをもどし、だい2まくなおしてホリデイの出番でばんやすことを約束やくそくした[3]

ブロードウェイ[編集へんしゅう]

1981ねん12がつ20日はつかブロードウェイのインペリアル・シアターで開幕かいまくし、1,521かい上演じょうえんの1985ねん8がつ11にち閉幕へいまくした。マイケル・ベネットが演出えんしゅつ、ベネット、ボブ・エイヴィアン、ゲフィン・レコード、シュバート・オーガニゼイションがプロデュース、ベネットとマイケル・ピータース振付ふりつけ担当たんとうした。シェリル・リー・ラルフがディーナ・ジョーンズやく、ジェニファー・ホリデイがエフィ・ホワイトやくロレッタ・デヴァインがロレル・ロビンソンやく、ベン・ハーニーがカーティス・テイラー・ジュニアやくクリーヴァント・デリックスがジェイムズ"サンダー"アーリーやく、オッバ・ババタンデがC.C.ホワイトやく配役はいやくされた。『ドリームガールズ』出演しゅつえんしゃはスターとなることがあり、とくにホリデイはエフィやく演技えんぎ多大ただいなる称賛しょうさんた。

1982ねん、ホリデイによるエフィのソロきょくAnd I Am Telling You I'm Not Going 』は『ビルボードのR&Bシングル・チャートでだい1獲得かくとくした。オリジナル・ブロードウェイ・キャスト・アルバムのためにかくきょく半分はんぶんくらいにカットしてリミックスした。グラミーしょうにおいてこのアルバムはミュージカル・アルバムしょう、ジェニファー・ホリデイの『And I Am Telling You I'm Not Going 』はヴォーカル・パフォーマンスしょう受賞じゅしょうした。

フィリシャ・ラシェッド(当時とうじフィリシャ・エイヤーズ・アレン)はこの作品さくひん出演しゅつえんしていた。ラシェッドはシェリル・リー・ラルフの代役だいやくであったが、ラルフが降板こうばんしたさいラシェッドは後任こうにんけず降板こうばんした。

そののプロダクション[編集へんしゅう]

全米ぜんべいツアー[編集へんしゅう]

1983ねん、ベネットは全米ぜんべいツアーを計画けいかくし、ジェニファー・ホリデイはエフィやく続投ぞくとうし、にラリー・ライリー、リンダ・リラニ・ブラウン、アネシャ・ウォーカー、ローレンス・クレイトン、そしてクリーヴァント・デリックスの双子ふたご兄弟きょうだいクリントン・デリックス・キャロルが出演しゅつえんすることとなった。しかしコストがかさむため、3都市としでしか上演じょうえんできなかった。1985ねん、2度目どめのツアーが開催かいさいされ、シャロン・ブラウンがエフィやく配役はいやくされた。1987ねんまでにジェニファー・ホリデイの代役だいやくであったリリアス・ホワイトがこのやく後継こうけいとなり、アンバサダー・シアターでのブロードウェイ再演さいえんでツアーは閉幕へいまくした。このときまでにマイケル・ベネットはAIDS関連かんれん合併症がっぺいしょうたおれ、1987ねん7がつ2にちくなった。

1997ねんに3度目どめ全米ぜんべいツアーが開始かいしされ、1998ねん7がつのブロードウェイ再演さいえんでツアーは閉幕へいまくする予定よていであったが、ブロードウェイ直前ちょくぜんアップステート・ニューヨークづまった。演出えんしゅつ振付ふりつけはオリジナルのマイケル・ベネットの方針ほうしんしたがいトニー・スティーヴンスがつとめた。ラ・タニヤ・ホールがディーナやく、トニヤ・ディクソンがロレルやく、ロズ・ホワイトがエフィやく配役はいやくされた。にゲイリー・E・ヴィンセントがC.C.やく、ブライアン・イヴレットがカーティスやく、ケヴィン・アンソニーがジェイムズやく、ダリン・ラモント・バードがマーティやく配役はいやくされ、のちにキンバリー・ヤハンがエフィやく後継こうけいした。音楽おんがく監督かんとくおよび特殊とくしゅ効果こうかはキース・レヴンソンが担当たんとうした。『ヴァニティ』のレビューは「演出えんしゅつの スティーヴンスは70年代ねんだいから80年代ねんだい初頭しょとう衣裳いしょう髪型かみがた音楽おんがく、ダンスを次々つぎつぎ披露ひろうして感情かんじょうしや風刺ふうしおこない素晴すばらしい作品さくひんつくげている」としるした[4]。『ハリウッド・リポーター』のレビューは「ロビン・ワグナーによる58場面ばめんせる4つのメタル照明しょうめいとう装置そうちデザイン、テオニ・V・アルドレッジによる豪華ごうかうつくしい衣裳いしょう巨匠きょしょうタロン・マッサーによるドラマティックな照明しょうめい」としるした[5]

2004ねん、4度目どめ全米ぜんべいツアーが開始かいしされ、『アメリカン・アイドル出場しゅつじょうしゃのフランチー・デイヴィスがエフィやくえんじて称賛しょうさんた。

2009ねん11月7にち、アポロ・シアターでプレビュー公演こうえん開幕かいまくし、11月22にち正式せいしき開幕かいまくして12月12にち閉幕へいまく、5度目どめ全米ぜんべいツアーが開始かいしした。ロバート・ロングボトムが演出えんしゅつ振付ふりつけつとめた[6]。『アメリカン・アイドル』出場しゅつじょうしゃのサイシャ・メルカドがディーナやくにエイドリエン・ウォレンがロレルやく、モヤ・アンジェラがエフィやく、チェスター・グレゴリーがジェイムズやく、チャズ・ラマー・シェファードがカーティスやく配役はいやくされた。オリジナルのロビン・ワグナーが装置そうちデザインを一新いっしんし、またウィリアム・アイヴィ・ロング衣裳いしょう一新いっしんした[7]。さらにだい2まく冒頭ぼうとうのディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズの新曲しんきょく追加ついかされ、また映画えいがばん使用しようされた『Listen 』が追加ついかされてディーナとエフィのデュエットになおされた。

再現さいげん[編集へんしゅう]

オリジナルの成功せいこうにより、様々さまざま再現さいげんおこなわれている。2001ねん、ブロードウェイ・コンサートが開催かいさいされ、リリアス・ホワイト、オードラ・マクドナルド、ヘザー・ヘドリー、ビリー・ポーター、ノーム・ルイス出演しゅつえんし、録音ろくおんされてCDで出版しゅっぱんされた。このコンサートはアメリカ俳優はいゆう基金ききんのチャリティであり、9月11にちアメリカ同時どうじ多発たはつテロ事件じけん以降いこうはつ公衆こうしゅうあつまりの1つとなった。このコンサートに出演しゅつえんしたオリジナル・ブロードウェイ・プロダクション出演しゅつえんしゃはリー・サマーズのみであった。

2005ねん終盤しゅうばんから2006ねん初頭しょとうペンシルバニアしゅうフィラデルフィアにあるプリンス・ミュージック・シアターにて上演じょうえんされた公演こうえん批評ひひょう称賛しょうさん上演じょうえん期間きかんが3ヶ月かげつ以上いじょう拡大かくだいされた。この公演こうえんはリ チャード・ペリゾンが演出えんしゅつ、ジェス・ヴァーガスが音楽おんがく監督かんとく、メルセデス・エリントンが振付ふりつけ担当たんとうした。この公演こうえん複数ふくすうのブロードウェイなどの商業しょうぎょうてきプロデューサーたちから称賛しょうさんけた。作曲さっきょくヘンリー・クリーガーはオリジナル公演こうえん以降いこうもっと素晴すばらしい再現さいげんだったとかたった[8]

みなみアフリカ・ツアー[編集へんしゅう]

2011ねん3がつ11にち、モンテカジノのシアターでみなみアフリカ公演こうえん開幕かいまくした。2009ねん全米ぜんべいツアーの製作せいさくチームが参加さんかし、装置そうち衣裳いしょうおなぶつ使用しようして、ディーナやくのトレイシー・リー・オリヴァー、ロレルやくのキャンディダ・モソマ、ミシェルやくのヘイリー・クリスチャン、エフィやくのリンディウィ・バンゲイン、カーティスやくのオーブリー・プー、ジェイムズやくのピョン・ブリノート、C.C.やくのレボ・トコ、マーティやくはシェーン・ウェリントンと、出演しゅつえんしゃすべ地元じもとみなみアフリカじんそろえた。みなみアフリカの製作せいさくチームは音楽おんがく監督かんとくのブライアン・シメルとプロダクション音楽おんがく監督かんとくのTshepo Mngomaがひきいた。トゥルディ・フレデリクスは現地げんち振付ふりつけおよびダンス・キャプテンをつとめ、フィリップ・ゴダワが現地げんち演出えんしゅつとして地元じもとチームをまとめた。批評ひひょうからの称賛しょうさんて、みなみアフリカにおけるミュージカルの代表だいひょうさくとなったにもかかわらず、ケープタウンをふくのこりのツアーを完遂かんすいすることなく早期そうき閉幕へいまくした[9]

マレーシア・プロダクション[編集へんしゅう]

2011ねん7がつ14にち、クアラルンプールにあるIstana Budayaにてマレーシア・プロダクションが開幕かいまくした。

コロンビア・プロダクション[編集へんしゅう]

2014ねん5がつ30にち、ボゴタにあるウィリアム・シェイクスピア・シアターにてコロンビア・プロダクションが開幕かいまくした。

スプリームスとの類似るいじ[編集へんしゅう]

マイケル・ベネット、ヘンリー・クリーガー、トム・アインおよびプロデューサーたちはこの作品さくひんとスプリームスとの関連かんれんせい否定ひていしている。スプリームスにかかわる実際じっさい出来事できごととこの作品さくひんなか出来事できごとているが、モータウン、ベリー・ゴーディ、スプリームスからの法的ほうてき訴訟そしょうけるために関連かんれんせい否定ひていしている。スプリームスのメアリー・ウィルソンはこの作品さくひんをとてもり、はじめての自伝じでんに『Dreamgirl: My Life As a Supreme 』と名付なづけた。1983ねん7がつ、ダイアナ・ロスはニューヨークのセントラル・パークで開催かいさいされた無料むりょうコンサートにおいて『ドリームガールズ』だい1まく使用しようされる『Family 』を演奏えんそうした。ディーナやくはロスをモデルにしているとされるが、ディーナやくえんじたシェリル・リー・ラルフはロスの物真似ものまねをしてはいないが、ロスに類似るいじしている。

実際じっさい出来事できごととの類似るいじてん以下いかしめす:

  • デビューがスプリームスはプライメッツ、ドリームズはドリーメッツでどちらもうしろに「ettes」――複数ふくすうがたゆびしょう語尾ごびをつくる――がく。
  • スプリームスはデビュー当時とうじフローレンス・バラードがリード・シンガーであり、ドリームズのエフィ・ホワイトと同様どうようである。
  • スプリームスもドリームズも有名ゆうめいになるまえはプロのアーティストのバックグラウンド・ヴォーカルであった。
  • スプリームスのリード・シンガーは柔軟じゅうなん大衆たいしゅうけするこえのダイアナ・ロスに変更へんこうされたように、ドリームズでもディーナ・ジョーンズに変更へんこうされる。
  • ディーナとカーティスの浮気うわきはロスとゴーディの浮気うわきをモデルにしており、以降いこうゴーディはロスのキャリアにちかられるようになった。
  • ロレルとジェイムズの関係かんけいはメアリー・ウィルソンとウェールズじん歌手かしゅトム・ジョーンズほか、モータウンのアーティストたちとの関係かんけいせいている。
  • 記者きしゃ会見かいけんさい、スプリームスの代表だいひょうとしてロスがはなすように、ドリームズの代表だいひょうとしてディーナがはなす。
  • マスコミがロスを「ミス・ロス」とぶように、ディーナは「ミス・ジョーンズ」とばれる。
  • スプリームスないでロスが前面ぜんめんされ、フローレンス・バラードがバックグラウンドにしやられた結果けっか嫉妬しっと敵意てきいつようになったのと、エフィの態度たいどている。
  • フローレンス・バラードが公演こうえん、レコーディング・セッションをやすむことを仮病けびょうととらえられ、体重たいじゅう増加ぞうかし、1967ねんにラスベガスで解雇かいこされたのと、エフィの処遇しょぐうている。
  • フローレンス・バラードが解雇かいこされた同日どうじつ、シンディ・バードソングが後継こうけいしたのと、ミシェル・モリスがエフィの後継こうけいになったのとている。
  • 1967ねんのラスベガス公演こうえんでスプリームスが「ダイアナ・ロス・アンド・ザ・スプリームス」となったのと同様どうよう、1967ねんのラスベガス公演こうえんでドリームズも「ディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズ」となる。
  • 1970ねんにロスがスプリームスを脱退だったいしたのち映画えいがかい進出しんしゅつし、1972ねんにモータウンがプロデュースした『Lady Sings the Blues 』で映画えいがデビューしたように、ディーナもドリームズを脱退だったいして1972ねん女優じょゆうとなる。

映画えいが[編集へんしゅう]

1980年代ねんだい、ゲフィン・レコード創立そうりつしゃ舞台ぶたいばん出資しゅっししゃ1人ひとりであるデイヴィッド・ゲフィンは自身じしんのゲフィン・ピクチャーズをつうじてワーナー・ブラザースに『ドリームガールズ』の映画えいがけんをリースした。ディーナやくホイットニー・ヒューストンローリン・ヒル、エフィやくにケリー・プライスなどが名前なまえがあがり、その映画えいがなん発表はっぴょうされたが結局けっきょく頓挫とんざした[10]。2004ねん、ゲフィンは自身じしん創立そうりつしゃ1人ひとりであるドリームワークスSKGに映画えいがけんをリースした。元々もともと映画えいがけん所有しょゆうしていたワーナー・ブラザースは共同きょうどう出資しゅっししゃとして発表はっぴょうされたが、撮影さつえい開始かいしまえにワーナーが予算よさん不安ふあん表明ひょうめいしたことからパラマウント映画えいが参入さんにゅうしてきた。ローレンス・マークがプロデューサーとなり、2006ねんドリームワークス/パラマウント映画えいがにより映画えいがされた。監督かんとくおよび脚本きゃくほん映画えいがシカゴ』でアカデミーしょう脚本きゃくほんしょうにノミネートされたビル・コンドンつとめることとなった。

映画えいがばん『ドリームガールズ』はカーティスやくジェイミー・フォックス、ディーナやくビヨンセ・ノウルズ、ジミーやくエディ・マーフィ、マーティやくダニー・グローヴァー、エフィやくジェニファー・ハドソン、ロレルやくアニカ・ノニ・ローズ、C.C.やくにキース・ロビンソン、ミシェルやくにシャロン・リール、ウェインやくにヒントン・バトルが配役はいやくされた。2006ねん12月15にちから10日間にちかんロードショーおこなわれ、12月25にちから全米ぜんべい公開こうかいされた[11]日本にっぽんは2007ねん公開こうかい。ロレルやくのオリジナル・ブロードウェイ・キャストであるロレッタ・デヴァイン映画えいがのジャズ歌手かしゅやくでカメオ出演しゅつえんしている。ブロードウェイ・キャストではにジェイムズやくのヒントン・バトルとシャーリーンやくおよびエフィの代役だいやくであったイヴェット・ケイソンも映画えいがばん出演しゅつえんしている。映画えいがばん音楽おんがく舞台ぶたいばんおおむ沿っているが、舞台ぶたいばんの『Ain't No Party 』が削除さくじょされ、4きょく新曲しんきょく追加ついかされた。映画えいがばんではよりスプリームスやモータウンに近付ちかづけたものとなり、ジェイムズの追加ついかされ、場所ばしょがシカゴからデトロイトとなった。映画えいがばんはアカデミーしょうにおいて音響おんきょうしょうほか、ジェニファー・ハドソンが助演じょえん女優じょゆうしょう受賞じゅしょうした。

映画えいが公開こうかいまえ話題わだいづくりのため、ドリームワークスと、オリジナルの舞台ぶたいけんつタムズ・ウィットマーク・ミュージック・ライブラリーは2006ねんないに『ドリームガールズ』を上演じょうえんする営利えいり団体だんたい上演じょうえんけん費用ひよう肩代かたがわりすることを発表はっぴょうした。ドリームワークスは『ドリームガールズ』のアマチュア・プロダクションを支援しえんし、この作品さくひんをよりおおくのひとってもらうことをのぞんだ。その結果けっか、2006ねんには高校こうこう大学だいがく市民しみん劇団げきだんなど50以上いじょうもの営利えいり団体だんたいが『ドリームガールズ』を上演じょうえんし、ドリームワークスは25まんドルの上演じょうえんけん費用ひよう支援しえんした[12]

キャスト[編集へんしゅう]

おもなプロダクションのキャスト[編集へんしゅう]

役名やくめい 1981ねん
ブロードウェイ
1983ねん
全米ぜんべいツアー
1987ねん
ブロードウェイ再演さいえん
1997ねん
全米ぜんべいツアー
2006ねん
映画えいが
2009ねん
全米ぜんべいツアー
エフィ・メロディ・ホワイト ジェニファー・ホリディ リリアス・ホワイト ロズ・ホワイト ジェニファー・ハドソン モヤ・アンジェラ
ディーナ・ジョーンズ シェリル・リー・ラルフ リンダ・リラニ・ブラウン アリサ・ガイス ラ・タニヤ・ホール ビヨンセ・ノウルズ サイシャ・メルカド
ロレル・ロビンソン ロレッタ・デヴァイン アーネシャ・ウォーカー トニヤ・ディクソン アニカ・ノニ・ローズ エイドリエン・ウォレン
カーティス・テイラー・ジュニア ベン・ハーニー ラリー・ライリー ウェイマン・トンプソン ブライアン・イヴレット・チャンドラー ジェイミー・フォックス チャズ・ラマー・シェファード
ジェイムズ"サンダー"アーリー クリーヴァント・デリックス クリントン・デリックス・キャロル ハーバート・リー・ロウリングス・ジュニア ケヴィン・アンソニー エディ・マーフィ チェスター・グレゴリー
C.C.ホワイト オッバ・ババタンデ ローレンス・クレイトン ケヴィン・モロウ ゲイリー・E・ヴィンセント キース・ロビンソン トレヴォン・デイヴィス
ミシェル・モリス デボラ・バレル スーザン・ビュービアン キンバリー・ジャジュアン シャロン・リール マーガレット・ホフマン
マーティ・マディソン ヴォンディ・カーティス=ホール ウェイマン・トンプソン ロイ・L・ジョーンズ ダリン・ラモント・バード ダニー・グローヴァー ミルトン・クレイグ・ニーリー
ウェイン トニー・フランクリン モウリス・フェルダー ミルトン・クレイグ・ニーリー ロン・ケラム ヒントン・バトル テランス・ルマー・トーマス
エフィ代役だいやく シェリア・エリス ロズ・ライアン[13] イヴェット・ルイス・ケイソン N/A N/A ペイトリス・コヴィントン
ディーナ代役だいやく フィリシャ・ラシェッド デボラ・バレル ラチェンジ ナパイラ・グローヴス N/A N/A
ロレル代役だいやく シェリル・アレキサンダー スーザン・ビュービアン ブレンダ・バクストン カイラ・リトル N/A N/A
コンサート・キャスト
役名やくめい 2001ねん、20周年しゅうねんチャリティ・コンサート
エフィ・メロディ・ホワイト リリアス・ホワイト
ディーナ・ジョーンズ オードラ・マクドナルド
ロレル・ロビンソン ヘザー・ヘドリー
カーティス・テイラー・ジュニア ノーム・ルイス
ジェイムズ"サンダー"アーリー ビリー・ポーター
C.C.ホワイト ダリアス・デ・ハース
ミシェル・モリス タマラ・トゥニー
マーティ・マディソン ジェイムズ・ストヴァル
ウェイン ボビー・デイ

使用しよう楽曲がっきょく[編集へんしゅう]

特記とっき[編集へんしゅう]

  • 1 オリジナルのだい2まくのオープニングは"Dreamgirls", "Move (You're Steppin' on My Heart)", "Love Love Me Baby", "Family", "Heavy", and "Cadillac Car"のリプライズで、ディーナ・ジョーンズ・アンド・ザ・ドリームズが演奏えんそうし、その"Press Conference"でカンパニーのほとんどが参加さんかしていた。1983ねん全米ぜんべいツアーが開始かいししたさいだい2まくのオープニングは"Dreamgirls"のリプライズからり、新曲しんきょく"Step on Over"が演奏えんそうされた。2009ねん全米ぜんべいツアーでは新曲しんきょく"What Love Can Do"が使用しようされた。映画えいがばんのためにヘンリー・クリーガーとともに“Patience”を作曲さっきょくしたウィリー・リールがこのきょく作詞さくしをした[14]
  • 2 元々もともと映画えいがばんのために作曲さっきょくされたきょくで、2009ねん再演さいえんから使用しようされている[14]。ヘンリー・クリーガー、スコット・カトラー、アン・プレヴン、ビヨンセ・ノウルズ、ウィリー・リールにより作詞さくし作曲さっきょくされた[14]

受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

オリジナル・ブロードウェイ・プロダクション[編集へんしゅう]

とし しょう 部門ぶもん ノミネートしゃ 結果けっか
1982 ドラマ・デスク・アワード ミュージカル作品さくひんしょう ノミネート
ミュージカル脚本きゃくほんしょう トム・アイン 受賞じゅしょう
ミュージカル女優じょゆうしょう ジェニファー・ホリデイ 受賞じゅしょう
シェリル・リー・ラルフ ノミネート
ミュージカル助演じょえん男優だんゆうしょう クリーヴァント・デリックス 受賞じゅしょう
ベン・ハーニー ノミネート
ミュージカル演出えんしゅつしょう マイケル・ベネット ノミネート
作詞さくししょう トム・アイン ノミネート
装置そうちデザインしょう ロビン・ワグナー 受賞じゅしょう
衣裳いしょうデザインしょう セオニ・V・アルドリッジ ノミネート
照明しょうめいデザインしょう タロン・マッサー 受賞じゅしょう
トニーしょう ミュージカル作品さくひんしょう ノミネート
ミュージカル脚本きゃくほんしょう トム・アイン 受賞じゅしょう
ミュージカル主演しゅえん男優だんゆうしょう ベン・ハーニー 受賞じゅしょう
ミュージカル主演しゅえん女優じょゆうしょう ジェニファー・ホリデイ 受賞じゅしょう
シェリル・リー・ラルフ ノミネート
ミュージカル助演じょえん男優だんゆうしょう クリーヴァント・デリックス 受賞じゅしょう
オッバ・ババタンデ ノミネート
オリジナル楽曲がっきょくしょう ヘンリー・クリーガー、トム・アイン ノミネート
ミュージカル演出えんしゅつしょう マイケル・ベネット ノミネート
振付ふりつけしょう マイケル・ベネット、マイケル・ピータース 受賞じゅしょう
装置そうちデザインしょう ロビン・ワグナー ノミネート
衣裳いしょうデザインしょう セオニ・V・アルドリッジ ノミネート
照明しょうめいデザインしょう タロン・マッサー 受賞じゅしょう
1983 グラミーしょう ベスト・キャスト・ショー・アルバムしょう ヘンリー・クリーガー (作曲さっきょく), トム・アイン (作詞さくし), デイヴィッド・フォスター (プロデューサー) 受賞じゅしょう
女性じょせいR&Bヴォーカル・パフォーマンスしょう ジェニファー・ホリデイ
("And I Am Telling You I'm Not Going")
受賞じゅしょう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Tom Eyen denied that he had the Supremes in mind when he wrote the book. "I didn’t grow up with the Supremes, I grew up with the Shirelles. Dreamgirls isn’t about any one group. It’s a cavalcade of black Motown singers, ...all larger than life." retrieved February 27, 2007
  2. ^ One Singular Sensation: The Michael Bennett Story, by Kevin Kelly, Doubleday, 1990
  3. ^ Hill, Jeremy. "Pre-Broadway. Dreamgirls: Your Virtual Coffee Table Book of the Musical.
  4. ^ Taylor, Markland.Dreamgirls reviewVariety, Oct. 19, 1997
  5. ^ Kaufman, Ed.[1]The Hollywood Reporter"" (reprint in allbusiness.com), December 4, 1997
  6. ^ Jones, Kenneth."Not Going" So Fast: Dreamgirls Extends by a Week at NYC's Apollo Archived 2009ねん11がつ20日はつか, at the Wayback Machine. playbill.com, November 17, 2009
  7. ^ Dodds, Richard. 2010. "Master of the Silhouettes: "Dreamgirls" Costume Designer William Ivey Long," Bay Area Reporter ("Arts & Entertainment" section) Vol. 40. No. 33 (19 August 2010), pp. 21, 32.
  8. ^ Jones, Kenneth."Dreamgirls Is a Philly Hit — and Might Have Legs; Resident Run Extends to Feb. 26" Archived 2009ねん3がつ1にち, at the Wayback Machine., playbill.com, January 24, 2006
  9. ^ Dreamgirls South Africa dreamgirls.co.za
  10. ^ Hill, Jeremy. "Film Version (2006): History". Dreamgirls: Your Virtual Coffee Table Book of the Musical.
  11. ^ McClintock, Pamela (Nov. 6, 2006). "D'Works takes 'Girls' on road." Daily Variety. Retrieved from http://www.variety.com/article/VR1117953449.html?categoryid=13&cs=1&s=h&p=0 on November 11, 2006.
  12. ^ Olsen, Mark (Dec. 12, 2006). "One stage of film's marketing is on stage". Los Angeles Times. Retrieved from http://www.calendarlive.com/printedition/calendar/cl-et-dreamgirls12dec12,0,693678.story on December 15, 2006
  13. ^ Nemy, Enid. "Broadway". The New York Times. September 21, 1984, Section C, p.2
  14. ^ a b c Dreamgirls Tour to Feature Duet Version of 'Listen' and New Act II Opener”. Playbill. Playbill, Inc. (2009ねん9がつ1にち). 2015ねん2がつ1にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]