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バレーボールイタリア女子じょし代表だいひょう

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バレーボールイタリア女子じょし代表だいひょう
くにまたは地域ちいき イタリアの旗 イタリア
大陸たいりく連盟れんめい 欧州おうしゅうバレーボール連盟れんめい
協会きょうかい イタリアバレーボール連盟れんめい
監督かんとく アルゼンチンの旗フリオ・ベラスコ
国名こくめいコード ITA (Italy)
FIVBランキング 5(2024ねん3がつばん[1]
オリンピック
出場しゅつじょう回数かいすう 6かい
はつ出場しゅつじょう 2000 シドニー
最高さいこう成績せいせき 5(2004、2008、2012)
世界せかい選手権せんしゅけん
出場しゅつじょう回数かいすう 11かい
はつ出場しゅつじょう 1978 世界せかい選手権せんしゅけん
最高さいこう成績せいせき 1位きんメダル(2002)
ワールドカップ
出場しゅつじょう回数かいすう 4かい
はつ出場しゅつじょう 1999 ワールドカップ
最高さいこう成績せいせき 1位優勝ゆうしょう(2007、2011)
欧州おうしゅう選手権せんしゅけん
出場しゅつじょう回数かいすう 26かい
最高さいこう成績せいせき 1位優勝ゆうしょう(2007、2009)
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バレーボールイタリア女子じょし代表だいひょう(バレーボールイタリアじょしだいひょう、イタリア: Nazionale italiana di pallavolo femminile)は、バレーボール国際こくさい大会たいかい編成へんせいされるイタリア女子じょしバレーボールナショナルチームである。

愛称あいしょうは「アズーレ(Azzurre)」で、「アズーリ」の女性じょせいがたとしてバレーボールにかぎらず女子じょしのイタリアナショナルチームの愛称あいしょうとして使つかわれている。

歴史れきし

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1947ねん国際こくさいバレーボール連盟れんめい加盟かめい[2]。 バレーボールはイタリアの女子じょしスポーツのなかもっと競技きょうぎ人口じんこうおおく10まんにん以上いじょうイタリアバレーボール連盟れんめい選手せんしゅ登録とうろくをしている。

2001ねんマルコ・ボニッタ監督かんとく就任しゅうにんすると、同年どうねん欧州おうしゅう選手権せんしゅけんぎんメダルを獲得かくとく2002ねん世界せかい選手権せんしゅけん下馬評げばひょうくつがえし、はつ優勝ゆうしょうたした。2004ねんアテネ五輪ごりんではベスト8まり。

2006ねんの9がつにボニッタ監督かんとく解任かいにんし、同年どうねん世界せかい選手権せんしゅけんまえにマッシモ・バルボリーニ監督かんとく就任しゅうにんした。どう大会たいかいで2連覇れんぱねらったが準決勝じゅんけっしょうロシア敗戦はいせんし、3決定けっていせんセルビア・モンテネグロ当時とうじ)にストレートでやぶれ、4わった。

2007ねんよりもとキューバ代表だいひょう五輪ごりんきんメダリストであるアゲロ加入かにゅうで、同年どうねん欧州おうしゅう選手権せんしゅけんはつ栄冠えいかんかがやくと、同年どうねん11がつワールドカップではデータバレーと緻密ちみつなコンビバレーがうまく機能きのうブラジルストレすとれト勝とがちするなど、11せん全勝ぜんしょうというかい進撃しんげききんメダルを獲得かくとくし、北京ぺきん五輪ごりん出場しゅつじょうけん獲得かくとくした。なお、どう大会たいかいでは3ねんぶりに代表だいひょう復帰ふっきしたジョーリがMVPにえらばれた。 2008ねん北京ぺきん五輪ごりんでは予選よせんラウンドを2通過つうかしたが、準々じゅんじゅん決勝けっしょうアメリカに2-3でやぶれ、ベスト8まりだった。

2009ねん若手わかて主体しゅたいいどんだモントルーバレーマスターズでじゅん優勝ゆうしょう、ベテランぜい復帰ふっきしたヨーロッパ選手権せんしゅけん決勝けっしょうオランダくだし2連覇れんぱたした。この結果けっか同年どうねん11がつワールドグランドチャンピオンズカップはつ出場しゅつじょうどう大会たいかいブラジル日本にっぽん勝利しょうりし5せん全勝ぜんしょうはつ優勝ゆうしょうした。 2010ねんはいると有望ゆうぼう若手わかて起用きようされ、ワールドグランプリで3となる。世界せかい選手権せんしゅけんでは1ラウンドでブラジル、チェコ敗戦はいせんきっし3通過つうかとなった。2ラウンドではアメリカから白星しろぼしげたが、5-8順位じゅんい決定けっていせんまわ最終さいしゅう順位じゅんいは5であった。

2011ねん、3連覇れんぱねらった欧州おうしゅう選手権せんしゅけんで4とメダルをのが結果けっかわる。同年どうねん11がつワールドカップにはFIVBの推薦すいせんわく出場しゅつじょうすると、そのとし代表だいひょうりしたコスタグランデ活躍かつやくもあって、初戦しょせん日本にっぽんせん皮切かわきりに連勝れんしょう街道かいどうすすみ、最終さいしゅうてきには大会たいかい2連覇れんぱたした。 2012ねんロンドン五輪ごりんでは予選よせんラウンドでロシアにフルセットでやぶれるも2通過つうかした。しかし、準々じゅんじゅん決勝けっしょう韓国かんこくせんでまさかの敗戦はいせんにより3大会たいかい連続れんぞくでベスト8敗退はいたいとなった。

2013ねん世代せだい交代こうたいはかるべく、ディウフキリケッラなど積極せっきょくてき若手わかて起用きよう目立めだつも欧州おうしゅう選手権せんしゅけんでは6惨敗ざんぱい2014ねんにかつて代表だいひょうチームをひきいて世界せかい選手権せんしゅけん制覇せいはみちびいたボニッタふたた監督かんとく就任しゅうにんした。ロンドン五輪ごりん以来いらい代表だいひょうからはなれていたピッチニーニロビアンコなどベテラン選手せんしゅ復帰ふっきさせた。同年どうねん9-10月に地元じもと開催かいさいされた世界せかい選手権せんしゅけんでは3ラウンドへ順調じゅんちょう進出しんしゅつし、アメリカロシアくだしてセミファイナルへ進出しんしゅつしたが、準決勝じゅんけっしょう中国ちゅうごくやぶれ、3決定けっていせんブラジル惜敗せきはいし、しくもメダルをのが結果けっかになった。

2015ねんあき開催かいさいされたワールドカップでは、前回ぜんかい大会たいかい優勝ゆうしょうチームではあったが、出場しゅつじょうかなわなかった。同年どうねん開催かいさいされた欧州おうしゅう選手権せんしゅけん準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたいし7わった。2016ねんリオ五輪ごりん欧州おうしゅう大陸たいりく予選よせんでは、当時とうじ17さいだったオッロエゴヌをスタメン起用きようし、3決定けっていせんでトルコとのフルセットの激闘げきとうせいして、世界せかい最終さいしゅう予選よせんへの出場しゅつじょうけん獲得かくとくした。同年どうねん5がつ開催かいさいされたリオ五輪ごりん世界せかい最終さいしゅう予選よせん首位しゅい通過つうかしたが、リオ五輪ごりんでは予選よせんラウンドで敗退はいたいし、4大会たいかいぶりに9という成績せいせきわった。

2017ねん、ダヴィデ・マッツァンティ監督かんとく就任しゅうにんワールドグランプリでは予選よせんラウンドを5通過つうかすると、決勝けっしょうラウンドの準決勝じゅんけっしょうでリオ五輪ごりん優勝ゆうしょうこく中国ちゅうごくにセットカウント3-1で勝利しょうりした。決勝けっしょうせんではブラジル相手あいて惜敗せきはいしたものの、2005ねん大会たいかい以来いらい3度目どめとなるぎんメダルを獲得かくとくした。同年どうねん9がつ開催かいさいされた欧州おうしゅう選手権せんしゅけんでは、準々じゅんじゅん決勝けっしょうでオランダに惨敗ざんぱいし、5という結果けっかわった。

2018ねんなつ開催かいさいされたモントルーバレーマスターズではつ優勝ゆうしょうたすと、同年どうねん9-10月の世界せかい選手権せんしゅけんでは3ラウンドだい1せん日本にっぽんせんまで10せんけなしのつよさをせつけた。準決勝じゅんけっしょうでは中国ちゅうごくをフルセットの激戦げきせんすえやぶり、2002ねん大会たいかいぶりの表彰台ひょうしょうだい確実かくじつにした。つづ決勝けっしょうではセルビアと対戦たいせんし、ふたたびフルセットの激闘げきとうとなったがあといちおよばずじゅん優勝ゆうしょうとなった。

2019ねんがつ地元じもと開催かいさいされた2020ねん東京とうきょう五輪ごりん大陸たいりくあいだ予選よせんでは、3せん全勝ぜんしょうしてほん大会たいかいへの出場しゅつじょうけん獲得かくとくした。同年どうねん9がつ開催かいさいされた欧州おうしゅう選手権せんしゅけんでは、3決定けっていせんでポーランドをやぶり、2009ねん大会たいかい以来いらいとなるメダルを獲得かくとくした。

過去かこ成績せいせき

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オリンピックの成績せいせき

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1964ねんから1992ねんまで不参加ふさんか

世界せかい選手権せんしゅけん成績せいせき

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1952ねんから1974ねんまで不参加ふさんか

ワールドカップの成績せいせき

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1973ねんから1995ねんまで不参加ふさんか

欧州おうしゅう選手権せんしゅけん成績せいせき

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現在げんざい代表だいひょう

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2020ねん東京とうきょう五輪ごりん大陸たいりくあいだ予選よせん登録とうろくされたメンバー[3]

監督かんとく イタリアの旗 ダヴィデ・マッツァンティ
No. 選手せんしゅめい シャツネーム 身長しんちょう 所属しょぞく P 備考びこう
1 インドレ・ソロカイテ Sorokaite 188 Azzurra Volley San Casciano SSD OP
5 オフェーリア・マリノブ Malinov 185 Pallavolo Scandicci SDB SSDRL S
6 モニカ・デジェンナーロ De Gennaro 174 Imoco Volley SRL SSD L
7 ラファエラ・フォリエ Folie 187 Imoco Volley SRL SSD MB
8 アレッシア・オッロ Orro 180 UYBA Volley SSDRL S
10 クリスティーナ・キリケッラ Chirichella 194 Agil Volley SSDARL MB キャプテン
11 アンナ・ダネージ Danesi 198 Imoco Volley SRL SSD MB
13 サラ・ファール Fahr 194 Club Italia MB
14 エレーナ・ピエトリーニ Pietrini 190 Club Italia WS
15 シルビア・ヌワカロール Nwakalor 180 Club Italia OP
16 ルチア・ボゼッティ Bosetti 178 Pallavolo Scandicci SDB SSDRL WS
17 ミリアム・シッラ Sylla 184 Imoco Volley SRL SSD WS
18 パオラ・エゴヌ Egonu 193 Agil Volley SSDARL OP
20 ベアトリーチェ・パロッキアーレ Parrocchiale 168 Azzurra Volley San Casciano SSD L

歴代れきだい監督かんとく

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歴代れきだい代表だいひょう選手せんしゅ

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ギャラリー

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ FIVB. “FIVB Women’s Volleyball World Ranking”. 2024ねん3がつ3にち閲覧えつらん
  2. ^ Confédération Européenne de Volleyball (CEV)”. FIVB. 2010ねん7がつ27にち閲覧えつらん
  3. ^ TEAM ROSTER

関連かんれん項目こうもく

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 佐藤さとう直司なおじ『コートのなかのイタリア』コシーナブックス、2010ねん4がつ5にちISBN 9784904620083 

外部がいぶリンク

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