ピエール・エルメ

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ピエール・エルメ
生誕せいたん (1961-11-20) 1961ねん11月20にち(62さい
国籍こくせき フランスの旗 フランス
職業しょくぎょう パティシエショコラティエ
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ピエール・エルメPierre Hermé, 1961ねん11月20にち - )は、フランスパティシエショコラティエ。「パティスリーかいのピカソ」といわれている人物じんぶつであり、みずからの名前なまえ使用しようした「PIERRE HERMÉ PARIS」(ピエール・エルメ・パリ)というパティスリーショップを展開てんかいしている。

芸術げいじゅつ頂点ちょうてんきわめたパティシエ[編集へんしゅう]

アルザス中世ちゅうせい街並まちなみがのこコルマールブーランジュリー(パン)の4代目だいめとしてまれた。14さいのときガストン・ルノートル英語えいごばんもと修行しゅぎょうはじめた。24さいフォションのシェフ・パティシエとなりみずからの芸術げいじゅつ頂点ちょうてん目指めざした。そのオリジナルな作品さくひん技量ぎりょうおよ独自どくじの“オート・パティスリー高級こうきゅうなバティスリー)”の伝授でんじゅゆえに斯界しかい畏敬いけいされている。

1996ねんすえにフォションをり、ラデュレふく社長しゃちょうて、共同きょうどう経営けいえいしゃシャルル・ズナティとともにピエール・エルメ・パリ創業そうぎょうした。

1998ねん東京とうきょう紀尾井町きおいちょうにある、ホテルニューオータニにてだい1ごうてんをオープン、2000ねん7がつだい2ごうてん千葉ちばイクスピアリにて「ピエール・エルメ・サロン・ド・テ」もスタートさせた。(2012ねん2がつ15にちにて閉店へいてん。)

2001ねんには本国ほんごくフランスでも存在そんざいかん発揮はっきし、パリ6のボナパルトどおり72番地ばんちブティックをオープンさせた。サン=ジェルマン=デ=プレのファッションがい中心ちゅうしん位置いちするこのみせはすぐに人気にんきはくして熱狂ねっきょうてきなファンが毎日まいにちおとずれ、世界中せかいじゅうのスイーツどおりにとってかすことのできないスポットになっている。

2004ねんすえには、斬新ざんしん店舗てんぽデザインのパリ2ごうてんパリ15ヴォジラールどおり185番地ばんちにオープンさせ、「ピエール・エルメ高級こうきゅうパティスリー研修けんしゅう工房こうぼうエコール・フェランディ」も開校かいこうはこびとなった。この研修けんしゅう工房こうぼうはパリ商工しょうこう会議かいぎしょ威信いしんある料理りょうり学校がっこうフェランディこうとタイアップしたものである。

2005ねん2がつには、“ラグジュアリー・コンビニエンスストア”のしんコンセプトをかかげた日本にっぽんだい3ごうてんを、「バー・ショコラ」を併設へいせつするかたち東京とうきょう表参道おもてさんどう界隈かいわい南青山みなみあおやま5丁目ちょうめ交差点こうさてん神宮前じんぐうまえ5丁目ちょうめ青山あおやまどお沿い)でスタートさせた。

2022ねん6がつ現在げんざい、ピエール・エルメ・パリは日本にっぽん国内こくないに14店舗てんぽ東京とうきょう8、神奈川かながわ1、愛知あいち1、京都きょうと2、兵庫ひょうご1、北海道ほっかいどう1)のほか日本にっぽん国外こくがいではフランスのほか海外かいがい8かこく展開てんかいしている[1]。2018ねんからはこのほか、「Made in ピエール・エルメ」の事業じぎょう展開てんかいしている[2]

大相撲おおずもう平成へいせい23ねん7がつ場所ばしょより、表彰ひょうしょうしき優勝ゆうしょう力士りきし直径ちょっけい41cm、あつさ23cmの巨大きょだいマカロン手渡てわたされている。この巨大きょだいマカロンは式典しきてんようべられず、優勝ゆうしょう力士りきしには副賞ふくしょうとして金箔きんぱくでコーティングされた22黄金おうごんのマカロンがおくられている[3]

コラボ商品しょうひん[編集へんしゅう]

2013ねんにはオハヨおはよ乳業にゅうぎょう提携ていけいし、エルメの代表だいひょうてきなフレーバー、"イスパハン(Ispahan)"の風味ふうみをきかせたヨーグルト、『PIERRE HERMÉ ヨーグルト Ispahan』が発売はつばいされた[4]どう商品しょうひんにはほかにも“サティーヌ(Satine)”、“アンフィニマン ヴァニーユ(Infiniment Vanille)”、“コンステラシヨン(Constellation)”のフレーバーが商品しょうひんされている。

また、2016ねんには赤城乳業あかぎにゅうぎょうとのコラボ商品しょうひんとして、イスパハン風味ふうみアイスクリーム発売はつばい翌年よくねんには“キャレマン・ショコラ(Carrément Chocolat)”風味ふうみ発売はつばいされた[5]

2020ねんミスタードーナツとの共同きょうどう開発かいはつで「ポン・デ・イスパパン」、「クロエ」、「サティーヌファッション」、「モガドール」、「キャレマン ショコラ」、「プレニチュード」の6種類しゅるいのドーナツが発売はつばいされた。[6]

世界せかいみとめられた才能さいのう[編集へんしゅう]

ピエール・エルメの代表だいひょうてきフレーバー"イスパハン(Ispahan)"のマカロン

いまやフランス、日本にっぽんおよびアメリカでも著名ちょめいなピエール・エルメはパティスリーかいあらたなセンスと近代きんだいせいをもたらし、ヴォーグから“パティスリーかいのピカソ”と賞賛しょうさんされている。ピエール・エルメ・パリでは菓子かしるいのデコレーションはひかえめにして、えず技術ぎじゅつめんさい検討けんとうはかっている。ピエール・エルメのオリジナル作品さくひん大人おとなのためのスイーツであり、かならずしも過去かこ手法しゅほうにとらわれず、子供こども時代じだいのノスタルジーてき菓子かしづくりからも脱却だっきゃくして、堂々どうどうとガストロミーかいにデビューをたした。「味覚みかくよろこびだけが唯一ゆいいつ指針ししん」をモットーとするエルメは、その完全かんぜん独創どくそうてきな『味覚みかく感性かんせい歓喜かんき世界せかい』をつくすことに成功せいこうしたのである。

ピエール・エルメはちょう一流いちりゅうシェフたちともコラボレーションして、リサイタルのかたち豪奢ごうしゃなガラディナーを各国かっこくもよおしている。エルメは世界中せかいじゅうで“もっと偉大いだいなフランスじんパティシエ”との称賛しょうさんている。これまでにすうおおくの書籍しょせきしており、そのなかにはアメリカとイギリスで2005ねん10がつ刊行かんこうされた“The Cook’s Book”もふくまれている。同書どうしょは、だい11かいグルマン世界せかい料理りょうりほんしょう(Gourmand World Cookbook Award 2005)のベスト・クックブック・デザインしょう(Best Cookbook Design)にかがやいた。

ピエール・エルメはパティシエの仕事しごとというものについて独自どくじのアプローチをり、かつてはるぎないとおもわれていた伝統でんとうてき手法しゅほう革命かくめいてきえた。たとえば、お菓子かしをごてごてとかざてていた旧来きゅうらい装飾そうしょくおもってはいする一方いっぽう、「砂糖さとうしおおなじように、のフレーバーのニュアンスをてるための調味ちょうみりょうとして使つかうこと」を実践じっせんしたのであった。また、あたらしい味覚みかく領域りょういき探索たんさくしたり自分じぶんのレシピを定期ていきてきさい検討けんとうしたりして、自身じしんしてきた仕事しごとたいしてさえもあらたななおしをいとわないのである。

こうした比類ひるいない天分てんぶんゆえに、ピエール・エルメは“パティスリーかいのピカソ”(ヴォーグ)、“パティスリーかい挑発ちょうはつしゃ”(フード&ワイン)、“前衛ぜんえいてきパティシエにしてフレーバーの魔術まじゅつ”(パリマッチ)、“キッチン・エンペラー”(ニューヨーク・タイムズかみ)、“現代げんだいパティスリーのおう”(ザ・ガーディアン)といった賛辞さんじくわえて種々しゅじゅ栄誉えいよ勲章くんしょうた。しかし、エルメにとってはスイーツファンから素晴すばらしいとみとめてもらえたことがなによりも価値かちがあることだとう。

ピエール・エルメ・パリのあゆ[編集へんしゅう]

1998ねん
  • 東京とうきょうホテルニューオータニで、ピエール・エルメ・パリブランドのだい1ごうてんがオープン。
1999ねん
  • “カフェ・ショコラ・キャラメル”(“Café, Chocolat, Caramel”)をテーマとする秋冬あきふゆコレクションを発表はっぴょう
2000ねん
  • デザイナーのアンドレ・プットマン(Andrée Putman)が内装ないそう担当たんとうした「ピエール・エルメ サロン・ド・テ」が東京とうきょうディズニーランドイクスピアリ(IKSPIARI)で開店かいてん
2001ねん
  • 透明とうめいコップにれてテイクアウトできる<エモーション>(Emotion)を発表はっぴょう
  • アメだまのようにかみつつんだ<シュープリーズ>(Surprise)を発表はっぴょう
  • ≪ピエール・エルメ・パリ≫の<ガレット・デ・ロワ>(Galettes des Rois)のためにツェ&ツェ・アソシエ(Tsé & Tsé associées)がフェーブと王冠おうかんのデザインを創作そうさく
2002ねん
  • 手織ておりのホワイト”(“Blanc Cousu Main”)と銘打めいうった秋冬あきふゆコレクションを発表はっぴょう
  • <ボンボンショコラ>ラインナップを創作そうさく
  • パリ6のボナパルトどおり(72 rue Bonaparte Paris 6e)72番地ばんちに、ヤン・ペノー(‘Yan D. Pennor’s)の店舗てんぽデザインによるブティックをオープン。
2003ねん
  • “Kawaii(かわいい)”のタイトルで秋冬あきふゆコレクションを発表はっぴょうし、パレ・ド・トーキョー現代げんだい創造そうぞうセンター(Centre de Création Contemporaine de la Ville de Paris, Palais de Tokyo)の「お菓子かしのファッションショー」でプレゼンテーションを実施じっし
  • アイスクリームとシャーベットの<ミス・グラグラ>(Miss Gla’Gla)シリーズを創作そうさく
  • チョコレートで原始げんし美術びじゅつオブジェをかたどった<アール・プルミエ>シリーズを創作そうさく
2004ねん
  • 回顧かいこ展望てんぼう』(“Rétrospective / Perspectives”)の年間ねんかんテーマでコレクションを展開てんかい
  • パリ15のヴォジラールどおり(185 rue de Vaugirard Paris 15e)185番地ばんちに、建築けんちくクリスチャン・ビシェール(Christian Biecher)がデザインしたしん店舗てんぽをオープン。
2005ねん
  • パリ6に「ピエール・エルメ高級こうきゅうパティスリー研修けんしゅう工房こうぼうエコール・フェランディ」(Atelier de Formation à la Haute Pâtisserie Pierre Hermé − Ecole Ferrandi)を創立そうりつ
  • 東京とうきょう南青山みなみあおやま5丁目ちょうめ交差点こうさてん界隈かいわいのラ・ポルト青山あおやまにおいて、インテリアデザイナー片山かたやまただしどおり手掛てがけたしんブティック(“バー・ショコラ”併設へいせつ)をオープン。
2006ねん
  • 東京とうきょう伊勢丹いせたんうちにピエール・エルメ・パリのコーナーてん設置せっち
  • 味覚みかく感性かんせい歓喜かんき世界せかい』の熱狂ねっきょうてきファンにけた“Fetish”(フェティッシュ)の創作そうさく開始かいし
  • ≪ピエール・エルメ・パリ≫のホームページとオンライン店舗てんぽ「e-GOURMANDISES」を開設かいせつ
2007ねん
  • “アントル(ENTRE)(あいだ(ま))”のテーマのもと、くろ磁器じきのエレガントなカップにれて登場とうじょうする「感動かんどうかちう」4作品さくひんシリーズ(6~8にんようのデザート)を発表はっぴょう
  • 2007ねんクリスマスのための特別とくべつ作品さくひんとして、くろトリュフりのビュッシュ、くろトリュフりのマカロンおよ熟成じゅくせい期間きかん25ねんのアチェート・バルサミコ・トラディツィオナーレ・ディ・モデナ(さい高級こうきゅうのバルサミコりマカロンの3つを創作そうさく
2008ねん
  • オリヴィエ・ランプルールが店舗てんぽデザインを手掛てがけたブティック(マカロンとチョコレート専門せんもんてん)がパリ1サントノレどお界隈かいわいカンボンどおり4番地ばんちにオープン。
  • オリヴィエ・ランプルールが店舗てんぽデザインを手掛てがけたブティック(マカロンとチョコレート専門せんもんてん)がパリ・シャンゼリゼどおにオープン。
  • 愛好あいこう趣味しゅみ個性こせいわせてオーダーメイドされ、永遠えいえん本人ほんにんだけのものとなるオートクチュールのマカロンを創作そうさく
  • ヨーロッパのインターネットサイトを開設かいせつ

テレビ出演しゅつえん[編集へんしゅう]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • 1993ねん 「Secrets Gourmands」Larousse(フランス)
  • 1994ねん 「La Pâtisserie de Pierre Hermé」Montagud Editores(スペイン)
  • 1996ねん 「Larousse Gastronomique」(共著きょうちょ)(フランス)
  • 1997ねん 「Le Larousse des Desserts」Larousse(フランス)
  • 1997ねん 「Plaisirs Sucrés」Hachette(フランス)
  • 1998ねん 「Desserts by Pierre Hermé」Little & Brown(アメリカ)
  • 1999ねん 「ピエール・エルメのお菓子かし世界せかい」(Secrets Gourmands日本語にほんごばん柴田しばた書店しょてん日本にっぽん
  • 2000ねん 「Desserts à la carte」Hachette(フランス)
  • 2000ねん 「Secrets Gourmands」Noésis(フランス)
  • 2001ねん 「La Pasticceria di Pierre Hermé」Edizioni Finedit(イタリア)
  • 2001ねん 「Chocolate Desserts by Pierre Hermé」Little & Brown(アメリカ)
  • 2002ねん 「Le Larousse des Desserts」Larousse(フランス)
  • 2002ねん 「Mes Desserts au Chocolat」Agnès Viénot Éditions(フランス)
  • 2002ねん 「Plaisirs Sucrés」(再版さいはん)Hachette(フランス)
  • 2003ねん 「Mes Desserts Préférés」Agnès Viénot Éditions(フランス)
  • 2004ねん 「Die Pâtisserie von Pierre Hermé」Mathaes(ドイツ)
  • 2005ねん 「Le Larousse du Chocolat」Larousse(フランス)
  • 2005ねん 「The Cook’s Book」Dorling Kindersley(イギリス)
  • 2005ねん 「ph10」Agnès Viénot Éditions(フランス)
  • 2006ねん 「Gourmandises」Agnès Viénot Éditions(フランス)
  • 2006ねん 「Comme un chef」Larousse(フランス)
  • 2006ねん 「Le Larousse des desserts」Larousse(フランス)
  • 2007ねん 「Confidences Sucrées」Agnès Viénot Editions(フランス)
  • 2008ねん 「Macaron」Agnès Viénot Editions (フランス)

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ピエール・エルメ・パリ(日本にっぽん)の店舗てんぽ検索けんさく 国内こくないブティック・海外かいがいブティックより
  2. ^ ピエール・エルメ・パリのしんジャンル「Made in ピエール・エルメ」まるうちにコンセプトショップも”. ファッションプレス (2018ねん11月8にち). 2022ねん6がつ29にち閲覧えつらん
  3. ^ 大相撲おおずもう優勝ゆうしょう力士りきしおくられる「巨大きょだいマカロン」の正体しょうたい”. ウィズニュース (2014ねん10がつ9にち). 2015ねん4がつ26にち閲覧えつらん
  4. ^ パティスリーかいのピカソ「ピエール・エルメ」の代表だいひょうさくをヨーグルトで表現ひょうげん『PIERRE HERMÉ  ヨーグルト Ispahan』10がつ8にちより順次じゅんじ全国ぜんこく発売はつばい”. オハヨおはよ乳業にゅうぎょう公式こうしきHP (2013ねん10がつ3にち). 2017ねん3がつ16にち閲覧えつらん
  5. ^ イスパハン しん発売はつばい”. 赤城乳業あかぎにゅうぎょう公式こうしきHP (2016ねん12月16にち). 2017ねん3がつ16にち閲覧えつらん
  6. ^ パリスティードーナツコレクション https://www.misterdonut.jp/m_menu/new/200110_001/
  7. ^ 隔月かくげつかん〉『3ふんクッキング』(No.146、2001ねん4がつ・5がつごうだい28かん2ごう。2001ねん4がつ1にち発行はっこう日本テレビ放送網にほんてれびほうそうもう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]