ヘルマン・ロエスレル
1834 バイエルン | |
1894 オーストリア=ハンガリー | |
ドイツ | |
アグネス・ロエスレル | |
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『 | |
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カール・フリードリヒ・ ヘルマン・ロエスレル Karl Friedrich Hermann Roesler | |
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1878 | |
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カール・フリードリヒ・ヘルマン・ロエスレル(Karl Friedrich Hermann Roesler、1834
名称 [編集 ]
1887
人物 [編集 ]
教授 ヘルマン・ロェスラー博士 は法律 顧問 として東京 の外務省 に勤務 する。この地位 により、同氏 は外務省 職員 (ただし公用 旅行 の権利 をもたない)として外務省 の事務 局 に配属 され、事務 局 から指示 を受 ける。同氏 の職務 は、国際 公法 ないし国内 法 上 の諮問 に答申 すること、同氏 に対 して外務省 の長 より提示 された関連 法案 を作成 すること、およびその他 同種 の事務 に従事 することにある。同氏 の勤務 時間 は外務省 のそれと同様 である。同氏 はその地位 公務員 の公法 上 の職権 を有 するものではない。同氏 は政府 に対 して私人 としての権利 、すなわち、この契約 の取 り決 めおよび私法 の一般 原則 から生 じる権利 のみを有 する。しかしながら同氏 は職務 に関 して公務員 と同様 に職務 上 の秘密 を守 らなければならない。 — 1878年 10月 5日
1881
1885
1886
この憲法 の草案 を拵 えるについて非常 の力 を与 えたは井上 毅 で、その他 伊東 巳代治 、それに金子 堅太郎 位 な人数 でやった。ドイツのロエスレルと云 う人 は博学 の人 で、ドイツ英 仏 のことに明 らかで、経済 にも法律 にも明 らかで、立派 な博士 で、これと争論 して日本 文 に書 いたものを英文 に直 し、また英文 になったものを日本 文 に改 めて、両方 照 らし合 わせて法理 的 に喰 い合 うところを見合 わせねばならぬ。そして大概 調 べ合 わせて草稿 を起 こしたが、17年 からは虚 日 なく政治 のことをやっている傍 らに、憲法 のことを調 べつつやって、その傍 らに皇室 典範 もやらねばならず、それに付帯 する選挙 法 から議院 法 を皆 やらねばならぬ。 — 『明治 十 二 傑 』、1909年 [6]
経歴 [編集 ]
- 1834
年 バイエルン王国 フランケン地方 ラウフ・アン・デア・ペーグニッツで誕生 。 - 1878
年 当時 の駐 独 公使 青木 周蔵 の周旋 により、外務省 の公報 顧問 として招聘 される。 - 1881
年 ~1887年 明治 政府 において大日本帝国 憲法 の作成 および、商法 草案 の作成 に携る。 - 1885
年 5月12日 、独逸 学 協会 で演説 。中根 重一 が内容 を邦訳 し「独逸 学 協会 雑誌 」に掲載 。 - 1893
年 帰国 (ドイツではなく妻子 のいるオーストリアへ)。 - 1894
年 ボーツェンにて死去 。
主 な著述 [編集 ]
- 『
貴族 特権 』、中根 重一 編 。 - 『
独逸 学 の利害 及国家 に対 するの損失 』。独逸 学 協会 、1883年 。 - 『ロエスレル
氏 起稿 商法 草案 』(上 、下 )。司法省 、1884年 。 - 『
行政 裁判 法 草案 』(上 、下 )。制度 取調 局 、1885年 。 - 『
社会 行政 法論 』。警視庁 、1885年 。 - 『
仏 国 革命 論 』、独逸 学 協会 、1885年 。 - 『
独逸 学 方針 』、1884年 、1889年 。 - 『ロエスレル
氏 起案 日本 帝国 憲法 草案 』。『伊東 巳代治 関係 文書 』、1887年 。
脚注 [編集 ]
参考 文献 [編集 ]
井上 毅 『ロエスレル氏 答 儀 』。国学院大学 『近代 日本 法制 史料 集 』。岸上 操 ,博文 館 『明治 十 二 傑 』博文 館 、1899年 。doi:10.11501/778808。 NCID BN11838958。全国 書誌 番号 :40016689。鈴木 安蔵 『憲法 制定 とロエスレル :日本 憲法 諸 原案 の起草 經緯 と其 の根本 精神 』東洋經濟新報社 、1942年 。doi:10.11501/1710505。 NCID BN05419214。全国 書誌 番号 :49011995 。鈴木 安蔵 1904-1983『憲法 制定 とロエスレル :明治 憲法 諸 原案 の起草 経緯 と其 の根本 精神 』京都大 学 〈法学 博士 報告 番号 不明 〉、1950年 。NAID 500000486933。
- ヨハネス・ジーメス『
日本 国家 の近代 化 とロェスラー』、本間 英世 訳 。未来社 、1970。- Johannes Siemes(1975). Die Gründung des modernen japanischen Staates und das deutsche Staatsrecht: der Beitrag Hermann Roeslers. Duncker & Humblot. 1975, ISBN 978-3-428-03221-1.
堅田 剛 「ロェスラーと独逸 学 協会 :明治 憲法 との関連 で」『獨 協 法学 』第 44巻 、獨協大 学 法 学会 、1997年 6月 、229-262頁 、ISSN 0389-9942、NAID 120006306992。堅田 剛 『明治 憲法 の起草 過程 : グナイストからロェスラーへ』御茶 の水 書房 、2014年 。ISBN 9784275010841。 NCID BB17604117。全国 書誌 番号 :22520098。
関連 項目 [編集 ]
築地 精養軒 東洋 艦隊 (ドイツ)東郷 坂 教会 (クロイツキルヒェ東京 、Kreuzkirche Tokyo)- ルドルフ・レーマン (
機械 工学 技師 ) - パウル・マイエット
- ギュスターヴ・エミール・ボアソナード
- ジャスパー・ウィルソン・ジョーンズ
穂積 陳重 独逸 学 協会 (1881-1895, Society for German Sciences, Verein für die deutschen Wissenschaften)
外部 リンク[編集 ]
伊東 巳代治 関係 文書 『ロエスレル氏 起案 日本 帝国 憲法 草案 』