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ベネリ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベネリ
種類しゅるい
子会社こがいしゃ
業種ぎょうしゅ オートバイ 製造せいぞうぎょう
設立せつりつ 1911ねん (114ねんまえ) (1911), ペーザロ
創業そうぎょうしゃ テレサ・ボーニ・ベネリとその子供こどもたち:
ジュゼッペ・ベネリ
ジョバンニ・ベネリ
フランチェスコ・ベネリ
フィリッポ・ベネリ
ドメニコ・ベネリ
アントニオ・"トニーノ"・ベネリ
本社ほんしゃ
イタリア
事業じぎょう地域ちいき
ぜん世界せかい
主要しゅよう人物じんぶつ
Yan Haimei(CEO)
製品せいひん オートバイ
スクーター
電動でんどう自転車じてんしゃ
親会社おやがいしゃ ぜにこうグループ
ウェブサイト www.benelli.com
脚注きゃくちゅう / 出典しゅってん
スローガン: 1911 ねん以来いらい純粋じゅんすい情熱じょうねつ
ベネリ Monalbero Sport 500cc(1935ねん

ベネリBenelli)はイタリアオートバイメーカーである。現在げんざい中国ちゅうごく浙江せっこう吉利よしとしひかえまた集団しゅうだん傘下さんかぜにこうグループ傘下さんかにある。かつてはショットガンひとし銃器じゅうき製造せいぞうおこなっていたが、現在げんざい銃器じゅうき製造せいぞう部門ぶもんべつ会社かいしゃとなっている。

設立せつりつ初期しょき

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ベネリ500(1939ねん

ベネリは1911ねん、イタリアのペーザロ設立せつりつされた。

未亡人みぼうじんであるテレサ・ベネリは、6にん息子むすこ(ジュゼッペ、ジョバンニ、フランチェスコ、フィリッポ、ドメニコ、"トニーノ"ことアントニオ)の将来しょうらいかんがえ、財産ざいさんすべてを投資とうししてベネリしゃ設立せつりつした。最初さいしょくるまとオートバイの修理しゅうりせんもんの「ベネリ修理しゅうり工場こうじょう」といった程度ていど規模きぼであったが、ほどなくして修理しゅうりようのパーツを自社じしゃ製作せいさくするようになった[1]

1920ねん最初さいしょ完全かんぜん自社じしゃせいエンジンを発売はつばいするが、これは自転車じてんしゃのフレームに搭載とうさいするための75ccの2サイクルたん気筒きとうエンジンだった。1921ねんわりにはこのエンジンは98ccまで拡大かくだいされ、これを搭載とうさいしたベネリしゃ最初さいしょオートバイ製造せいぞう開始かいしした。

2ねんトニーノ・ベネリ競技きょうぎ仕様しよう自社じしゃせいオートバイを使つかってレースをはじめる。トニーノはライダーとして並外なみはずれた才能さいのうせており、テストライダーとしてもオートバイの開発かいはつ生産せいさんおおいに貢献こうけんしていた。

トニーノは1927ねん、1928ねん、1930ねん、1931ねんベネリ175ってイタリアチャンピオンとなった。ところがよく1932ねん、レースちゅう不運ふうんなクラッシュによってトニーノのレーサーとしてのキャリアはわりをむかえ、さらに5ねんの1937ねん9がつ27にち、つまらない交通こうつう事故じこによってトニーノはいのちとしてしまった。

だい世界せかい大戦たいせんせまりつつあるなか、ベネリしゃスーパーチャージャー搭載とうさいした250cc4気筒きとうのレースようマシンをデビューさせた。これは1939ねんマンとうTTレースのライトウェイトクラスでベネリの250ccマシンが優勝ゆうしょうしたのをけ、連覇れんぱけて1940ねんのマンとうおくむために開発かいはつしたマシンだった。しかし、戦争せんそうはじまってしまったために、この4気筒きとうマシンはイタリア国内こくないのレースをたたかうのみにわった。

だい世界せかい大戦たいせん

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トルネード650S(1971ねん
ベネリ125コブラ(1965ねん

戦争せんそうによって工場こうじょう破壊はかいされたため、ベネリしゃは1949ねんまで生産せいさん再開さいかいすることができなかった。生産せいさん再開さいかいしたときも、戦前せんぜんふるいデザインのモデルをもとにしたものだった。

1949ねん、ベネリ兄弟きょうだい長兄ちょうけいジュゼッペ・ベネリが親族しんぞく会社かいしゃから独立どくりつしてモトビしゃ設立せつりつした。

1951ねんまでにベネリは排気はいきりょう98ccと125ccのラインナップをレオンチーノ(「ちいさなライオン」の)とばれる小型こがた軽量けいりょうモデルと、350ccと500ccのたん気筒きとうモデルを販売はんばいしていた。レオンチーノはさら2サイクルエンジン4サイクルエンジン選択せんたく可能かのうなモデルで、手頃てごろ輸送ゆそう手段しゅだんもとめられていた戦後せんごのイタリアにおいてだい成功せいこうおさめた。当時とうじモト・グッツィドゥカティラヴェルダといった現在げんざいではだい排気はいきりょうオートバイでられているメーカーもおなじような小型こがた軽量けいりょうモデルを発売はつばいしており、同様どうよう理由りゆうによってベスパランブレッタスクーター普及ふきゅうはじめていた。

1962ねん、ジュゼッペ・ベネリが他界たかいするとベネリはモトビしゃ吸収きゅうしゅう合併がっぺいした。この合併がっぺいによってベネリは従業じゅうぎょういんすう550にん日産にっさんやく300だいのオートバイメーカーとなった。モトビブランドのオートバイは、こののちもベネリのした生産せいさんされつづけた。

1969ねん、ベネリはイギリスとアメリカをおもなマーケットとする直列ちょくれつ2気筒きとうエンジンのモデル、トルネード650発表はっぴょうした。トルネードは450ポンド(やく220kg)という重量じゅうりょうにもかかわらず、57馬力ばりき(7400rpm)、最高さいこう速度そくど117mphやく190km/h)という高性能こうせいのうたか信頼しんらいせい人気にんきモデルとなった[2]

トルネードは1974ねん(このころには後期こうきモデルのトルネードSとなっていた)をもって生産せいさん中止ちゅうしとなり、以後いごベネリは3気筒きとうや4気筒きとう日本にっぽんせいオートバイに対抗たいこうするために気筒きとうエンジンのモデルを投入とうにゅうしていくことになる。

レース活動かつどう

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ベネリ兄弟きょうだい末弟ばっていであるトニーノ・ベネリは、戦前せんぜんのモーターサイクル・レースにおいては主役しゅやく一人ひとりであった。トニーノは、そのライディングにかんする並外なみはずれた才能さいのうかして会社かいしゃおおきな名声めいせいをもたらし、同時どうじにベネリしゃのオートバイの技術ぎじゅつてき革新かくしん貢献こうけんした。

1927ねん、1928ねん、1930ねんSOHCベネリ175でイタリアチャンピオンとなったトニーノは、1931ねんにはDOHC進化しんかしたマシンでタイトルを獲得かくとくした。

この時代じだい、ヨーロッパでグランプリをたたかすべてのオートバイメーカーにとってもっと重要じゅうようなレースはマンとうTTレースであった。ベネリも例外れいがいではなく、1939ねんベネリ250テッド・メローのライディングによってマンとうはつ優勝ゆうしょうかざった。だい大戦たいせんはさんだ1950ねんには、同年どうねんのイタリアチャンピオンと世界せかいチャンピオンを獲得かくとくしたダリオ・アンブロジーニがマンとうでも勝利しょうりして、自身じしんのタイトルにはなえた。

1960年代ねんだいには、二人ふたり偉大いだいなライダーがイタリア選手権せんしゅけんでベネリのマシンをって活躍かつやくした。一人ひとりは1965ねんの250ccチャンピオンのタルクィニオ・プロヴィーニ、もう一人ひとりは1968ねんと1969ねんの2ねん連続れんぞくで250ccと350ccのダブルタイトルを獲得かくとくしたレンツォ・パゾリーニである。

そして1969ねん、ベネリがレース活動かつどうにつぎんだ多大ただい努力どりょくケル・キャラザースロードレース世界せかい選手権せんしゅけん250ccクラスのタイトル獲得かくとくすることでむくわれた。キャラザースはこのとしのマンとうでも勝利しょうりしている。また、世界せかい選手権せんしゅけんの250ccクラスで4ストロークエンジンのマシンが勝利しょうりするのは、このとしのベネリが最後さいごになった。

ほかにもおおくの有名ゆうめいなライダーがベネリのマシンでレースをしており、そのなかにはマイク・ヘイルウッドヤーノ・サーリネンふくまれる。

デ・トマソ傘下さんか

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500クアトロ
750セイ

1960年代ねんだいわり、世界せかい進出しんしゅつした日本にっぽんのオートバイメーカーの攻勢こうせいによってヨーロッパのオートバイ産業さんぎょう深刻しんこく危機ききむかえていた。

そのころ、ベネリはモンゴメリー・ウォードしゃ通信つうしん販売はんばいで350 cc以下いかしょう排気はいきりょうオートバイを販売はんばいするという方法ほうほうでアメリカ市場いちば参入さんにゅうしようとして苦労くろうしていた。そんなところに日本にっぽんから強力きょうりょく競争きょうそう相手あいてがやってきたのである。

ホンダせいセルフスターターそなえたOHC気筒きとうエンジンのオートバイにくらべると、いまOHVたん気筒きとうエンジンであるベネリの製品せいひんはいかにも時代遅じだいおくれにえ、急速きゅうそく人気にんきうしなっていった。これはベネリにかぎったことではなく、だい排気はいきりょうクラスにおいてもノートンBSAトライアンフといったイギリスのオートバイメーカーが、おなじように日本にっぽんせいオートバイの影響えいきょうけていた。

こうして経営けいえい不振ふしんおちいりつつあったベネリは1973ねん、かつてのライバルであったモト・グッツィとともにアルゼンチン出身しゅっしん実業じつぎょうアレハンドロ・デ・トマソによって買収ばいしゅうされた。デ・トマソ傘下さんかとなったベネリは、4気筒きとう350クアトロ500クアトロ、そして日本にっぽんせいのマルチシリンダーエンジンに対抗たいこうするため直列ちょくれつ6気筒きとう750セイ発売はつばいした。これらのマルチシリンダーエンジンはホンダ・CB500けいのOHC2バルブのエンジンをはん設計せっけいされたものとわれている。

技術ぎじゅつてき進歩しんぽはあったものの、1980年代ねんだいのベネリのオートバイは様々さまざま問題もんだいかかえており、ついに1988ねん会社かいしゃはモト・グッツィとの合併がっぺいによってグッツィ・ベネリ・モト S.p.A.となり、ペーザロの生産せいさん工場こうじょう売却ばいきゃくされてベネリブランドのオートバイは消滅しょうめつした。

復活ふっかつ

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トルネード900Tre
TNT 1300

1989ねんに、ペーザロのマニュファクチュア・オーナーであるジャンカルロ・セルチの支援しえんによってベネリブランドが復活ふっかつするといううわさがあった。しかしこの計画けいかく実現じつげんせず、ベネリの本当ほんとう復活ふっかつにはもうしばらく時間じかん必要ひつようだった。

ベネリブランドが本当ほんとう復活ふっかつしたのは1995ねんしんオーナーのアンドレア・メルローニ決断けつだんによるものだった。1996ねんには、スクーターブランド、アディバげた。

2002ねんにはフラッグシップモデルとなるスポーツモデル・トルネード900Treと、どうモデルのロードスタータイプ(ネイキッドモデル)TNTをリリースした。同年どうねんルノー・スポールとのOEM提携ていけいによりルノー・キャンパスルノー・フルタイムルノー・スペシメンルノー・クラノスのブランドめいでスクーターを製造せいぞうしていたが、2003ねんルノー・スポールスクーターからの撤退てったい発表はっぴょう同時どうじにOEMを解消かいしょうし、製造せいぞう中止ちゅうしとなった。

モータースポーツの世界せかいにも復活ふっかつげており、2001ねんにオーストラリアじんピーター・ゴダードのライディングによりトルネード900をスーパーバイク世界せかい選手権せんしゅけん参戦さんせんさせた[3]

2011ねんには電動でんどうアシスト自転車じてんしゃ製造せいぞう販売はんばい開始かいしした。

2005ねん12月、ベネリは中国ちゅうごく南東なんとうにあるゆたかみね拠点きょてんとする中国ちゅうごく有数ゆうすうのオートバイメーカーであるぜにこうグループ浙江せっこう吉利よしとしひかえまた集団しゅうだん傘下さんか)に買収ばいしゅうされた[4]

ベネリ・アルミ SpA

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ベネリ・アルミ SpA
Benelli Armi SpA
種類しゅるい società per azioni
略称りゃくしょう ベネリしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち イタリアの旗 イタリア
ウルビーノ
設立せつりつ 1967ねん
業種ぎょうしゅ 軍需ぐんじゅ産業さんぎょう
事業じぎょう内容ないよう 銃器じゅうき製造せいぞう販売はんばい
主要しゅよう株主かぶぬし ベレッタ・ホールディングS.p.A.
関係かんけいする人物じんぶつ ジョヴァンニ・ベネリ創業そうぎょうしゃ
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ベネリ・アルミ SpAえい: Benelli Armi SpA)は、1967ねん設立せつりつされたおなじくイタリアのウルビーノ本社ほんしゃくベネリしゃ銃器じゅうき製造せいぞう部門ぶもんである。2000ねん以降いこうはアメリカ法人ほうじんベネリ USAともベレッタしゃグループの傘下さんかにある[5]

銃器じゅうき

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オートマチックピストル

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ショットガン

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ライフル

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サブマシンガン

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車種しゃしゅ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Benelli Motorcycle History Archived 2005ねん12がつ10日とおか, at the Wayback Machine.
  2. ^ 1973 Benelli 650S Tornado
  3. ^ Peter Goddard - Races SBK 2001
  4. ^ Our Story : 1990-Today”. Beneli. 2024ねん7がつ28にち閲覧えつらん
  5. ^ Fabbrica D' Armi Pietro Beretta S.p.A.”. 2019ねん9がつ7にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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2021ねんより、2りん4りんのアフターパーツの製造せいぞう販売はんばい会社かいしゃ株式会社かぶしきがいしゃプロト」が日本にっぽん正規せいき輸入ゆにゅうけん取得しゅとく全国ぜんこく販売はんばい開始かいしした。