ペター・ソルベルグ

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ペター・ソルベルグ
2018年 ポルトガルにて
2018ねん ポルトガルにて
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき  ノルウェー
生年月日せいねんがっぴ (1974-11-18) 1974ねん11月18にち(49さい
出身しゅっしん ノルウェー アスキム
WRCでの経歴けいれき
活動かつどう時期じき 1998ねん - 2012ねん2018ねん - 2019ねん
所属しょぞくチーム フォードスバルシトロエン
出走しゅっそう回数かいすう 190
チャンピオン回数かいすう 1 (2003ねん)
優勝ゆうしょう回数かいすう 13
表彰台ひょうしょうだい回数かいすう 52
ステージ勝利しょうりすう 460
通算つうさん獲得かくとくポイント 728
初戦しょせん 1998 ラリー・スウェーデン
はつ勝利しょうり 2002 ラリーGB
最終さいしゅう勝利しょうり 2005 ラリーGB
最終さいしゅうせん

2019 ラリーGB

基本きほん情報じょうほう
ヨーロッパ・ラリークロス選手権せんしゅけんでの経歴けいれき
くるまばん 11
出走しゅっそう回数かいすう 9
優勝ゆうしょう回数かいすう 0
シリーズ最高さいこう順位じゅんい 8 (2013)
基本きほん情報じょうほう
世界せかいラリークロス選手権せんしゅけんでの経歴けいれき
くるまばん 11
過去かこ所属しょぞく SDRX
出走しゅっそう回数かいすう 61
優勝ゆうしょう回数かいすう 10
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ペター・ソルベルグだく: Petter Solberg 1974ねん11月18にち[1]-)はノルウェーアスキム英語えいごばん出身しゅっしんラリー・ドライバー[1]2003ねん世界せかいラリー選手権せんしゅけん (WRC) と2014ねん2015ねん世界せかいラリークロス選手権せんしゅけん(World RX、WRX)のチャンピオン。WRC参戦さんせんスバル・ラリーチームのエースとして活躍かつやくした。あにヘニング・ソルベルグ息子むすこオリバー・ソルベルグおいオスカー・ソルベルグスペインばんもラリードライバーとして活躍かつやくしている。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

ラリーデビューからWRC参戦さんせん[編集へんしゅう]

両親りょうしんともラリークロスのドライバーで、ペターは8さいころには両親りょうしん農場のうじょうくるま運転うんてんしていた[1]免許めんきょ取得しゅとくまえには、13さいでラジコンカーレースの国内こくないチャンピオンになる[1]。タミヤニュースのインタビュー記事きじ当時とうじRCバギーカー「ビッグウィッグ」でレースにいどみ、そこでモータースポーツ競技きょうぎ基本きほんまなんだと述懐じゅっかいしている[2]競技きょうぎデビューは1992ねんで、ノルウェー・オートクロス選手権せんしゅけんにて2せん優勝ゆうしょう[1]。そのあにヘニングのおさがりのくるまりながら、1995ねん・1996ねんにラリークロス、ヒルクライムのノルウェーチャンピオンとなる[1]。1996ねんトヨタ・セリカST165りラリーにはつ出場しゅつじょうする[1]

1998ねんにはノルウェー・ラリー選手権せんしゅけん総合そうごう優勝ゆうしょうたし、このとしラリー・スウェーデンセリカST205りWRCデビューをたす[1]1999ねんからフォード・ラリーチームで参戦さんせん[1]。コ・ドライバーもこのとしからフィル・ミルズになった[1](それまでペターのコ・ドライバーをつとめていたひとは、そのとしからあにヘニングのコ・ドライバーになった)。スウェーデンにてフォード・エスコートでワークス・デビューをかざると、トーマス・ラドストローム負傷ふしょう欠場けつじょうのためにサファリラリーフォード・フォーカス WRCることになり、WRカーはつ体験たいけんにもかかわらず5でフィニッシュをたす[1]

2000ねん中盤ちゅうばんせんまでフォードでドライブし、サファリで5アルゼンチンで6確実かくじつ成長せいちょうせるようになる。しかし、フル参戦さんせん機会きかいをなかなかあたえられないことに不満ふまんいだき、フォードからかたちで2000ねん8がつにスバル・ワールド・ラリーチーム(SWRT)に移籍いせきする。

ワールドチャンピオンへ[編集へんしゅう]

2001ねんラリー・フィンランド

ソルベルグのドライビングは荒々あらあらしく、それゆえしゃこわすこともおおかった。そのめんはスバルにはつのWRCタイトルをもたらしたコリン・マクレーている。しかしスバルに加入かにゅうして経験けいけんをつむうちに安定あんていせいし、確実かくじつ成績せいせきのこすようになっていく。2001ねんは、アクロポリスはつの2表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく2002ねん最終さいしゅうせんグレートブリテンにてマルコ・マルティンとの激戦げきせんすえ自身じしんはつ優勝ゆうしょうをあげ、シリーズランキングも2になる。

2002ねんからの2年間ねんかんは、4のWRCドライバーズチャンピオンにかがやいたトミ・マキネンをチームメイトにむかえ、様々さまざまなことをおそわった。2003ねんシーズンはそのマキネンを圧倒あっとうするようになり、マキネンはこのシーズンをもって引退いんたい表明ひょうめいする。スバルのソルベルグとフォードのマルコ・マルティンシトロエンセバスチャン・ローブらはWRCの世代せだい交代こうたい象徴しょうちょうする存在そんざいとなっていく。

2003ねんはシーズン序盤じょばん不振ふしんだったものの、中盤ちゅうばんせんから勝利しょうりかさねるようになり、カルロス・サインツ、セバスチャン・ローブ、リチャード・バーンズとの4つともえのチャンピオンあらそいを展開てんかいする。最終さいしゅうせんグレートブリテンをむかえる時点じてん獲得かくとくポイントはローブとサインツが63てん勝利しょうりすうでローブが首位しゅい)、ソルベルグが62てん、バーンズが58てんだったが[3]、バーンズはラリー直前ちょくぜん脳腫瘍のうしゅようやまいたお欠場けつじょうとなった。ラリー本番ほんばんではサインツが初日しょにちにリタイアし、ソルベルグとローブのいち様相ようそうとなる。ソルベルグがまえ豪快ごうかいめでSSベストタイムを連発れんぱつする一方いっぽう、ローブはシトロエンのマニファクチャラーズタイトルがかかっていたこともあり、終盤しゅうばん堅実けんじつはしりにてっするようになった。最終さいしゅう結果けっかはソルベルグがシーズン4しょうたしローブは2獲得かくとくポイントは72てんたい71てんと1てんでソルベルグが逆転ぎゃくてんし、自身じしんはつのワールドチャンピオンを獲得かくとくした[4]

スバルでの苦闘くとう時代じだい[編集へんしゅう]

2006ねんキプロス・ラリー

2004ねん王者おうじゃソルベルグは序盤じょばん堅実けんじつはしりをせるが、アルゼンチン、フィンランドドイツ中盤ちゅうばん3せん連続れんぞくリタイアをきっしてしまう。一方いっぽうはつ開催かいさいラリー・ジャパン、グレートブリテン、サルディニアでは3連勝れんしょうをあげる。シーズン5しょう最多さいたのステージベスト95かい記録きろくしたが、6しょうして確実かくじつこうポイントをかさねたローブがはつチャンピオンを獲得かくとくし、ソルベルグのタイトル防衛ぼうえいはならなかった。

2005ねんは、スウェーデン、メキシコで2しょうをあげたが、そのミシュランせいグラベルタイヤを武器ぶきにローブのかい進撃しんげきつづく。ソルベルグは日本にっぽんでは勝利しょうり目前もくぜんにしながら不運ふうんなリタイアをきっ[5]オーストラリアでも首位しゅい走行そうこうちゅうカンガルー激突げきとつおなじ1974ねんまれのライバルだったふたりは「つづけるローブと勝利しょうり見放みはなされるソルベルグ」という対照たいしょうてき関係かんけいになっていく。

2006ねんも、インプレッサWRC戦闘せんとうりょく向上こうじょうすすまず、成績せいせき得点とくてん圏内けんない入賞にゅうしょうするのがやっとという散々さんざん展開てんかいとなった。ドライビングてき問題もんだいよりも、マシンの不具合ふぐあい突然とつぜんのトラブルといったものがあしり、ソルベルグ自身じしんのろわれている」とあたまかかえる始末しまつであった。

2007ねん同様どうようにポディウムあらそいからはとおのく。同年どうねんフルモデルチェンジしたインプレッサがハッチバックスタイルになったのも、「ライバルがハッチバックだからインプレッサもハッチバックがい」というペターの一言ひとことまったともわれている。[よう出典しゅってん]

2008ねんは、インプレッサの新型しんがたWRカーがデビューし、ソルベルグが一時いちじSSでトップタイムをたたすなど、あかるいきざしがえてきたシーズンでもあった。しかし世界せかい金融きんゆう危機きき影響えいきょう業績ぎょうせき悪化あっかしたスバルは、12月16にち突如とつじょWRCからの撤退てったい表明ひょうめいした。これについてソルベルグは"I don't know what will happen now.(現状げんじょうでは、どうなるかからない。)"とコメントした[6]

チームからの参戦さんせん[編集へんしゅう]

2010ねんラリー・カタルーニャ

スバル撤退てったい2009ねんは、メーカーのワークスシートを獲得かくとくできず、ノルウェーでラリーチーム「ペター・ソルベルグ・ワールド・ラリー・チーム」(PSWRT)をげ、シトロエン・クサラWRC 05に出場しゅつじょうした[7]旧式きゅうしきのマシンにるプライベーターながら、ときおりワークスチームと同等どうとうのタイムをたたすなど健闘けんとうひかる。終盤しゅうばん2せんカタルニアとグレートブリテンには2008ねんスペックのシトロエン・C4 WRCでエントリーし[8]、2せん連続れんぞく4入賞にゅうしょうした。また、耐久たいきゅうレースにも興味きょうみしめし、ル・マン24あいだレース出場しゅつじょうするクラージュ・オレカ LC70Eのテスト走行そうこうおこなった[9]

2010ねんみずからのチームでの参戦さんせんとなり、2009ねんスペックのシトロエン・C4を購入こうにゅうしてぜんせん参戦さんせんながくコンビをんできたコ・ドライバーのフィル・ミルズ引退いんたいしたため、クリス・パターソンしんコンビをんだ。このとし勝利しょうりわったが13戦中せんちゅう8せん表彰台ひょうしょうだいはいり、2しょうげたセバスチャン・オジェ上回うわまわりランキング3はいった。

2011ねんチームから参戦さんせん前年ぜんねんまではプライベーターとしてのあつかいだったが、ワークスが出来できない地元じもとでのテストが出来できるとMスポーツから異議いぎがあったため、マニュファクチャラーチーム登録とうろくされた。2011ねん規定きていわせたシトロエン・DS3 WRCぜんせん参戦さんせんしたが、2010ねんまでたチームマネージャーが離脱りだつし、シトロエンからスタッフがおくまれている。

フォードへ復帰ふっき[編集へんしゅう]

2012ねんラリー・ド・フランス

2011ねんシーズン終了しゅうりょうミッコ・ヒルボネンがシトロエンに移籍いせきしたのをけ、フォードはソルベルグの起用きよう発表はっぴょう。2000ねん以来いらい久々ひさびさにフォードワークスへ復帰ふっきし、4シーズンぶりにワークスマシンではしることになった。契約けいやくは1ねんで、ヤリ=マティ・ラトバラのNo.2あつかいとなる[10]

2012ねんは、開幕かいまくせんモンテカルロで3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく。そのもコンスタントに成績せいせきのこし、前半ぜんはんせんはランキング3けて9ねんりのタイトル獲得かくとく期待きたいされた。後半こうはんせんは3せん連続れんぞくリタイアがひびき、同郷どうきょう若手わかてマッズ・オストベルグかれランキング5わった。

ラリークロスへの転向てんこう[編集へんしゅう]

2014ねん初代しょだいWorld RX王者おうじゃとなったソルベルグ

2013ねんはフォードとの契約けいやく延長えんちょう交渉こうしょうがまとまらず、WRC参戦さんせん断念だんねんわりにみずからのラリー活動かつどう原点げんてんとなったラリークロスへの回帰かいき発表はっぴょうした[11]スウェーデンのトルスビーでラリークロスチーム「ペター・ソルベルグ・ラリー・クロス」(PSRX)をげ、ヨーロッパ・ラリークロス選手権せんしゅけん英語えいごばん(Euro RX、 ERX) に参戦さんせんし、最終さいしゅうランキングは8。ソルベルグ自身じしんは2014ねんにWRCへ復帰ふっきすることを希望きぼう[12]新規しんき参戦さんせんするヒュンダイのドライバー候補こうほにもげられた。しかし、国際こくさい自動車じどうしゃ連盟れんめい(FIA)がラリークロス選手権せんしゅけん規模きぼ拡大かくだいし、2014ねんから世界せかいラリークロス選手権せんしゅけん (World RX) が開催かいさいされることから、つづきラリークロスに参戦さんせんすることをめた[13]

2014ねんはPSRXのシトロエン・DS3りWorld RXへ参戦さんせん。シーズンをとおして安定あんていして上位じょうい成績せいせきげ、のこり2せんのこしてだい10せんイタリアにおいて初代しょだいチャンピオンを獲得かくとく史上しじょうはじめて、2つのFIA世界せかい選手権せんしゅけんシリーズでチャンピオンを獲得かくとくしたドライバーとなった[14]。2015ねんはリアム・ドランとの共同きょうどうチームである「ソルベルグ・ドラン・ラリー・クロス」(SDRX)から参戦さんせん。プジョーワークスの新鋭しんえいティミー・ハンセン (Timmy Hansenとタイトルをあらそい、最終さいしゅうせん選手権せんしゅけん連覇れんぱめた。

2016ねん開幕かいまくせんポルトガルで勝利しょうりげるも、のレースではなかなかポイントがられず、ランキング4わった。2017ねんはWRCに復帰ふっきするトヨタからオファーをけたものの、つづきラリークロス選手権せんしゅけんフォルクスワーゲン技術ぎじゅつ支援しえんけ、ポロGTi RX参戦さんせん[15]。2017ねん・2018ねんにPSRXフォルクスワーゲン・スウェーデンがチームタイトルを連覇れんぱし、チームメイトのヨハン・クリストファーソン (Johan Kristofferssonがドライバーズタイトルを連覇れんぱするという成功せいこうおさめた。ソルベルグ自身じしんはカスタマーけのラリーカー、フォルクスワーゲン・ポロGTI R5の開発かいはつたずさわり、2018ねんのWRCカタルーニャにて6ねんぶりにWRCにスポット参戦さんせんし、WRC2クラスで3入賞にゅうしょうたした。

2019ねんはフォルクスワーゲンのWorld RXプログラムが終了しゅうりょうしたため活動かつどう休止きゅうしとなり、ソルベルグは同年どうねんかぎりで世界せかい選手権せんしゅけんレベルのトップカテゴリから引退いんたいすることを表明ひょうめいした[16]。WRCはつ優勝ゆうしょうとチャンピオンをめたおものラリーGBにてWRCキャリアにピリオドを[17]一方いっぽう息子むすこのオリバーがWRCデビューをたした。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

きわめて陽気ようき開放かいほうてき性格せいかくと、前向まえむきな思考しこうぬしであり、派手はできでもあることられている。ファンの存在そんざい大事だいじかんがえ、応援おうえんたいする感謝かんしゃとサービスとして派手はでなパフォーマンスをせる。あだハリウッド、また日本にっぽんでは、そのばすさまから全開ぜんかいともばれる。

性別せいべつわずファンのそうあつく、ラリードライバーのあいだでもソルベルグの存在そんざい好意こうい対象たいしょうとなっており、(派手はですぎるパフォーマンスに苦言くげんていすることはあっても)かれわる人間にんげんはほとんどいない。とくマーカス・グロンホルムとのなかさは有名ゆうめいであり、イベントまえ競技きょうぎ合間あいま二人ふたりがよくしゃべり、ときにじゃれあっている姿すがたはおなじみの風景ふうけいになっている。例外れいがいとしては、チーム離脱りだつまでの経緯けいい起用きようたいして不満ふまんつのったてに離脱りだつ)をめぐりフォード・ワークスのリーダー、マルコム・ウィルソンとの関係かんけい険悪けんあくになったことがあったが、ソルベルグがチャンピオンになったときにウィルソンが祝福しゅくふくしたことを契機けいき和解わかいすすみ、現在げんざいではなに問題もんだいもなく会話かいわできるほど2人ふたり関係かんけい修復しゅうふくされている。

楽観らっかん主義しゅぎしゃにもられがちだが、困難こんなん問題もんだい直面ちょくめんしたときには、解決かいけつためならば自分じぶん自身じしんやスタッフにたいする容赦ようしゃない批判ひはんくちにし、マシンの改良かいりょうてんについてアイディアをおもいついたら即座そくざ携帯けいたい電話でんわ担当たんとうしゃ連絡れんらくをとるなど、なりふりかまわぬ行動こうどうをとる。2007ねんがたのラリーカーについてほかのドライバーが好意こういてき感想かんそうべたのにたいし、ソルベルグだけは率直そっちょく問題もんだいてん指摘してき批判ひはんした。

観客かんきゃくに「ハコり」を披露ひろうするソルベルグ(2008ねんグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードにて)

走行そうこうくちをぽかんとけた状態じょうたい運転うんてんするという独特どくとくのスタイルをっている。優勝ゆうしょうするさい、ラリーカーのなか雄叫おたけびのようなおおきなこえをあげてはしゃぐ姿すがた有名ゆうめいである。このめんがライバルのセバスチャン・ローブ冷静れいせい沈着ちんちゃくぶりとは対照たいしょうてきである。

パフォーマンスとして、ドアやドアをけた状態じょうたいでロールケージにりながら運転うんてんする「ハコり」やその状態じょうたいでドーナツターンをおこなう「ハコりドーナツ」のほか、2004ねんのGBラリーではロールケージとドアのうえつ「り」を披露ひろうした。そのさいには助手じょしゅせきのミルズがステアリングをにぎっている。なお、おなじくパフォーマーとしてられるジジ・ガリ披露ひろうした「低速ていそく走行そうこうちゅうくるまからり、いかけてふたたる」パフォーマンスになか本気ほんき嫉妬しっとした様子ようす。そんなソルベルグも2008ねんに「り」をおこなっている最中さいちゅうくるまのドアがまってしまい、それに気付きづかず転落てんらくし、すぐさまきあがってくるまいかけてふたたむという珍事ちんじこしている。

最初さいしょのスポンサーがラジコンられるニッコーだったことにはじまり、イベントなどで来日らいにちすることがおおく、また日本にっぽんのファンの熱心ねっしんさもあって日本にっぽんっている。ある雑誌ざっし取材しゅざい[よう出典しゅってん]もっときなラリーイベントは?との質問しつもんに、祖国そこくノルウェーにちか北欧ほくおうのイベントではなく「ラリー・ジャパン」と断言だんげんしていた。近年きんねんでは来日らいにちのたびに馴染なじみのみせ神戸こうべうしのステーキを注文ちゅうもんしたり、機会きかいがあれば寿司すしべにくなど日本にっぽんもの夢中むちゅうになり、つまパニエラに寿司すしカツ丼かつどんつくかたおぼえさせたほど。さらに、ソルベルグの公式こうしきホームページには、かつては祖国そこくのノルウェーばん世界せかい共通きょうつう英語えいごばんともに、日本語にほんごばんのサイトがあった。(2019ねん現在げんざい英語えいごばんのみ)

非常ひじょうけずぎらいな性格せいかくであり、ミッコ・ヒルボネンとグランツーリスモ対戦たいせんしたときもソルベルグがつまでやめなかった。

家族かぞく[編集へんしゅう]

ソルベルグはラリーと非常ひじょう所縁しょえんふか一族いちぞくである。両親りょうしんともラリークロスの経験けいけんしゃで、あにヘニング・ソルベルグ現役げんえきラリードライバーとしてながくWRCに参戦さんせんしている。

夫人ふじんのパニエラはラリー・ドライバーを多数たすう輩出はいしゅつしたワルフリッドソン一員いちいんで、自身じしんグループN車両しゃりょうでのラリー参戦さんせん経験けいけんがあり、2000ねんにはノルウェーチャンピオンになっている。2人ふたりのなれそめも、ラリー会場かいじょうったことがきっかけである。

長男ちょうなんオリバー・ソルベルグちちおなじくオートクロス出発しゅっぱつてんとして、15さいからプロラリー競技きょうぎ参加さんかしている[18]。2019ねんはアメリカン・ラリー・アソシエーション(ARA)でスバルUSAと契約けいやくし、ちち往年おうねんあいおなじブルー×ゴールドのカラーリングのスバル・WRX STIをドライブした[19]

また、おいのオスカー・ソルベルグとその義兄ぎけいであるポンタス・ティデマンド(ヘニングの後妻ごさい)もまたラリー選手せんしゅである。

出来事できごと[編集へんしゅう]

  • 2003ねんツール・ド・コルスでは木曜日もくようびシェイクダウンなかにマシンを大破たいはさせてしまい、翌日よくじつ競技きょうぎ出走しゅっそう不可能ふかのうかとおもわれた。しかし、スバルチームの懸命けんめい修復しゅうふく作業さぎょうのおかげでスタートにい、不安定ふあんてい天候てんこうでのタイヤ選択せんたくにも成功せいこうして[20]奇跡きせきてき勝利しょうりおさめた。結果けっかてきに、この勝利しょうり最終さいしゅうせんでの逆転ぎゃくてんチャンピオン獲得かくとくにつながることになる。
  • 2005ねんのラリーGBでは最終さいしゅうマルコ・マルティンのコースアウトにともなうアクシデントによりコドライバーのマイケル・パーク死亡しぼう。これをけ、のこり2ステージがキャンセルされた。この時点じてんでローブ1、ソルベルグ2という結果けっかであったため、ローブのタイトル防衛ぼうえいまったかにおもえたが、「ひとによるタイトル防衛ぼうえい」をきらったローブが故意こいにペナルティをけて順位じゅんいげたため、結果けっかとしてソルベルグの優勝ゆうしょうとなった。優勝ゆうしょうゆずられたかたちとなったソルベルグはローブの行為こういかなしみといきどおりをおぼえ、セレモニー会場かいじょうにインプレッサで入場にゅうじょうしたさいにエンジンをそらぶかしし抗議こうぎしめした。
  • 2011ねんのラリー・スウェーデンでは、ラリー初日しょにちのリエゾン(SSとSSのあいだ移動いどう区間くかんでスピード違反いはんおかし、現地げんち警察けいさつから免許めんきょ停止ていし処分しょぶんけてしまう。めんとま処分しょぶんには発効はっこうまで48あいだ猶予ゆうよ期間きかんがあったため、ラリー2にちまでは問題もんだいなく競技きょうぎ参加さんかできたものの、3にち最終さいしゅうSSを目前もくぜんにしてまぬかれとま発効はっこうしたためどうステージではナビゲータークリス・パターソンがソルベルグにわりマシンをドライブするという、WRCでは非常ひじょうめずらしい場面ばめんられた[21]
  • 2012ねんのラリー・ド・フランスではコースサイドに転落てんらくして葡萄ぶどうはたけなかり、電柱でんちゅう激突げきとつしてなぎたおすという派手はでなクラッシュをえんじた[22]。そのはたけ収穫しゅうかくされたブドウからつくったワインが「ペター・ソルベルグ」の限定げんてい発売はつばいされた[23]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h i j k ペター・ソルベルグ選手せんしゅ”. subaru.jp. 2017ねん3がつ23にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2017ねん3がつ22にち閲覧えつらん
  2. ^ タミヤニュース 428.
  3. ^ FIA世界せかいラリー選手権せんしゅけんだい14せんグレートブリテン 事前じぜん情報じょうほう”. SUBARU モータースポーツ (2003ねん11月4にち). 2013ねん2がつ4にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん12がつ20日はつか閲覧えつらん
  4. ^ FIA世界せかいラリー選手権せんしゅけんだい14せんグレートブリテン P.ソルベルグが総合そうごう優勝ゆうしょう!2003ねんWRCワールドチャンピオン獲得かくとく!! T.マキネンは3ポディウムフィニッシュ!”. SUBARU モータースポーツ (2003ねん11月9にち). 2013ねん2がつ5にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん12がつ20日はつか閲覧えつらん
  5. ^ だい13せんラリージャパン グロンホルム優勝ゆうしょう年間ねんかんチャンピオンはローブ”. 中島なかじまさち. 日本にっぽんレンタカー (2005ねん10がつ). 2021ねん1がつ21にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2017ねん3がつ22にち閲覧えつらん
  6. ^ Petter Solberg”. 2008ねん12月16にち閲覧えつらん[リンク]
  7. ^ ソルベルグがチーム設立せつりつ、チームオレカとルマン24あいだ参戦さんせんも? Racing OnNo.437 118ぺーじ 2009年月日ねんがっぴ発行はっこう
  8. ^ “ペター・ソルベルグ、WRCのこり2せんはシトロエンC4で出場しゅつじょう! 08スペックのドライブが決定けってい. https://as-web.jp/news/info.php?c_id=3&no=22021 2009ねん9がつ8にち閲覧えつらん 
  9. ^ Oreca Testing”. 2012ねん2がつ20日はつか時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2009ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  10. ^ 古賀こが敬介けいすけ (2012ねん1がつ15にち). “2012WRCプレビュー 不安定ふあんてい要素ようそれるしんシーズンの開幕かいまく(1/3)”. OCNスポーツ. オリジナルの2012ねん4がつ15にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120415133856/http://sportsnews.blog.ocn.ne.jp:80/column/motor120116_1_1.html 2012ねん1がつ20日はつか閲覧えつらん 
  11. ^ “ペター、2013ねんはラリークロスに挑戦ちょうせん. RALLY PLUS.NET. (2013ねん1がつ31にち). https://www.rallyplus.net/4754 2013ねん12がつ20日はつか閲覧えつらん 
  12. ^ “ペター・ソルベルグ、2014ねんのWRC復帰ふっき目指めざす”. F1-Gate.com. (2013ねん7がつ27にち). https://f1-gate.com/wrc/solberg_20306.html 2013ねん12がつ20日はつか閲覧えつらん 
  13. ^ “ペター・ソルベルグ、来季らいきもラリークロス参戦さんせんへ”. RALLY Xモバイル. (2013ねん10がつ17にち). http://rallyx.net/news/%E3%83%9A%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%80%81%E6%9D%A5%E5%AD%A3%E3%82%82%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E5%8F%82%E6%88%A6%E3%81%B8-9741/ 2013ねん12がつ20日はつか閲覧えつらん 
  14. ^ “ペター、史上しじょうはつ2種目しゅもく世界せかいタイトル獲得かくとく!!”. RALLY PLUS.NET. (2014ねん9がつ28にち). https://www.rallyplus.net/1787 2014ねん9がつ29にち閲覧えつらん 
  15. ^ ““最強さいきょう”ポロR WRCがベース。フォルクスワーゲン、世界せかいラリークロスよう新型しんがたポロGTi公開こうかい. AUTOSPORT.web. (2017ねん3がつ21にち). https://www.as-web.jp/rally/100613?all 2017ねん3がつ22にち閲覧えつらん 
  16. ^ “2003ねんのWRC世界せかい王者おうじゃペター・ソルベルグが世界せかい選手権せんしゅけんから引退いんたい。レーサーとしての活動かつどう継続けいぞく. autosport web. (2019ねん4がつ11にち). https://www.as-web.jp/rally/470537?all 2019ねん8がつ14にち閲覧えつらん 
  17. ^ “WRC:ペターとオリバーのソルベルグ親子おやこ、10がつラリーGBに参戦さんせん. autosport web. (2019ねん7がつ24にち). https://www.as-web.jp/rally/505264?all 2019ねん8がつ14にち閲覧えつらん 
  18. ^ “ペター・ソルベルグ、息子むすこのラリー参戦さんせん感無量かんむりょう. Rallyplus.net. (2017ねん2がつ11にち). http://www.rallyplus.net/29716 2017ねん3がつ21にち閲覧えつらん 
  19. ^ “オリバー・ソルベルグ、北米ほくべいデビューせんで2獲得かくとく。「ちちおなじカラーのマシンをドライブできて感動かんどうてきだった」”. autosport web. (2019ねん3がつ22にち). https://www.as-web.jp/rally/464544?all 2019ねん8がつ14にち閲覧えつらん 
  20. ^ FIA世界せかいラリー選手権せんしゅけんだい12せん ツール・ド・コルス レグ2”. SUBARU モータースポーツ (2003ねん10がつ18にち). 2013ねん12月20にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん12がつ20日はつか閲覧えつらん
  21. ^ “ペター・ソルベルグ、まぬかれとま顛末てんまつかたる”. RALLYPLUS.NET. (2011ねん2がつ14にち). オリジナルの2013ねん10がつ22にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131022171111/http://as-web.jp/rallyplus/news/info.php?no=24554 2011ねん3がつ4にち閲覧えつらん 
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 『タミヤニュース』だい428かんタミヤ、2004ねん12月。 
    • (さいろく) 「タミヤの功績こうせき レーシングマインドをった世界せかいたくみ タミヤニュースをかざった17にん」『Racing onだい23かんだい4ごう三栄書房さんえいしょぼう、2008ねん3がつ、50-55ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]