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ラケス (将軍しょうぐん)

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ラケスまれ: Λάχης、ラテン文字もじ転記てんき:Laches、?-紀元前きげんぜん418ねん)はペロポネソス戦争せんそうアテナイ将軍しょうぐんである。

ラケスはメラノポスので、ティモクラテスちちである[1][2]紀元前きげんぜん427ねんシュラクサイレオンティノイとのたたかいでレオンティノイを援助えんじょするためにラケスはカロイアデスユスティヌスによればカリアデス[3])を共同きょうどう指揮しきかんとして20せき艦隊かんたいともシケリアへとおくられた[1]レギオン基地きちいたアテナイぐんはシュラクサイの同盟どうめいこくリパラとうらしてロクリス攻撃こうげきしたのち紀元前きげんぜん426ねんなつメッセネりょうミュライへとむかった。その途上とじょうかれらはメッセネじん襲撃しゅうげきされるもそれをやぶり、メッセネを降伏ごうぶくさせて人質ひとじちさせた[4]。そのかれらはミュライを包囲ほういし、ミュライの援軍えんぐんたシケリアのギリシアじんたたかってそれをやぶり、1000にん以上いじょうころし、600にん以上いじょう捕虜ほりょ[5]。そのふゆにラケスはシュラクサイじんアクロポリス占拠せんきょされていたシケロイじん(ギリシアじん入植にゅうしょくするまえのシケリアの先住民せんじゅうみんぞく)のまちアエトナをシケロイじんともめるもとせず退却たいきゃくし、さらにってたシュラクサイぐんによって敗走はいそうさせられた。しかし、そのロクリスりょうへと転進てんしんしてロクリスぐんやぶり、300にん戦死せんししゃさせた[6]。その、シケロイじん協力きょうりょくつつ、ラケスはヒメラ上陸じょうりくし、いでアイオロス諸島しょとう攻撃こうげきしてレギオンにげたのちピュトドロス交替こうたい解任かいにんされた[7]

ラケスは紀元前きげんぜん421ねん年間ねんかん休戦きゅうせん条約じょうやく締結ていけつかかわったのち紀元前きげんぜん418ねんニキアスのやく宣言せんげんしゃ一人ひとりとなった[8]。しかし、アテナイとスパルタりょう陣営じんえい対立たいりつをやめなかったため、紀元前きげんぜん418ねんにラケスはスパルタと対立たいりつしていたアルゴスへの援軍えんぐん歩兵ほへい1000と騎兵きへい300)としてニコストラトスともペロポネソス半島はんとうおくられ、同年どうねんマンティネイアのたたか戦死せんしした[9][10]

また、ラケスはプラトンの『ラケス』にニキアスとも登場とうじょうしてもいる。

  1. ^ a b トゥキュディデス, III. 86
  2. ^ ティモクラテス弾劾だんがい, 127
  3. ^ ユスティヌス, IV. 3
  4. ^ トゥキュディデス, III. 90
  5. ^ ディオドロス, XII. 54
  6. ^ トゥキュディデス, III. 103
  7. ^ トゥキュディデス, III. 115
  8. ^ トゥキュディデス, IV. 118, V. 19, 24
  9. ^ トゥキュディデス, V. 61, 74
  10. ^ ディオドロス, XII. 79

参考さんこう文献ぶんけん

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