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ラケス (対話たいわへん)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ラケス』(ラケース、まれ: Λάχηςえい: Laches)は、プラトン初期しょき対話たいわへんの1つ、またそのなか登場とうじょう人物じんぶつ副題ふくだいは「勇気ゆうき[1]について」。

構成こうせい[編集へんしゅう]

登場とうじょう人物じんぶつ[編集へんしゅう]

時代じだい場面ばめん設定せってい[編集へんしゅう]

ペロポネソス戦争せんそうなかデリオンのたたか紀元前きげんぜん424ねん)からあいだ時期じきの、アテナイのとある体育たいいくじょうギュムナシオン)。

老年ろうねんのリュシマコスとメレシアスは、青年せいねんとなった息子むすこたち教育きょういくのため、かれらと、助言じょげんやくのラケス、ニキアスをれてここをおとずれ、じゅうそう歩兵ほへい教師きょうし模範もはん演技えんぎ見学けんがくしていた。それをわったのち、リュシマコスがこと経緯けいいをラケス、ニキアスにけるところから、はなしはじまる。

たまたまそこに居合いあわせたソクラテスをみながら、かれらの教育きょういく問答もんどう進行しんこうしていく。

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

ほんへんは、初期しょき対話たいわへん頻出ひんしゅつする、論題ろんだい結論けつろんまったまま問答もんどうわる、いわゆる「アポリアてき対話たいわへん」の1つ。

内容ないよう[編集へんしゅう]

息子むすこたちの教育きょういくなやむリュシマコスとメレシアスに相談そうだんされ、若者わかもの教育きょういく、そして「勇気ゆうき」について、当時とうじアテナイ代表だいひょうする将軍しょうぐんにん好戦こうせんてきなラケスと、理知的りちてき穏健おんけんてきなニキアスが、ソクラテスと問答もんどうわす。

結局けっきょく、「勇気ゆうき」をめることに失敗しっぱいしたさんにんだが、ソクラテスがリュシマコスとメレシアスの息子むすこたちの教育きょういく手助てだすけをすることで合意ごういしてはなしわる。

原典げんてんにはしょう区分くぶんいが、慣用かんようてきには31のしょうけられている[4]以下いか、それをもとに、かくしょう概要がいようしるす。

導入どうにゅう[編集へんしゅう]

  • 1. とある体育たいいくじょうギュムナシオン)でじゅうそう歩兵ほへい教師きょうし模範もはん演技えんぎわったのち、リュシマコスは、ニキアスとラケスにたいして、自分じぶんとメレシアスは、息子むすこたちをどうそだてれば立派りっぱ人間にんげんになるかなやんでいるので助言じょげんしいとす。
  • 2. リュシマコスは、自分じぶんとメレシアスは、父親ちちおや立派りっぱ若者わかものたちにそのことをおおかたることはできるが、自分じぶんたち自身じしんについてはなにかたれないほど自分じぶんたち存在そんざいであり、息子むすこたちにはそうなってしくないので、なにまなばせたらいいか思案しあんちゅうであるとべる。
  • 3. ニキアスとラケスは相談そうだんおうじることを快諾かいだくする。そして、そこに居合いあわせたソクラテスもそれにくわわることになった。リュシマコスはそこではじめておなじアロペケ出身しゅっしん友人ゆうじんソクラテスが、青年せいねんたち教育きょういく熱心ねっしん人物じんぶつであることをらされる。ニキアスは、最近さいきん自分じぶん息子むすこ音楽おんがく教師きょうしとして、アガトクレス弟子でしダモンをソクラテスに紹介しょうかいしてもらったことをはなす。
  • 4. リュシマコスは、ソクラテスにたいして、自分じぶんはソクラテスの父親ちちおやソプロニスコスとも親友しんゆうであったし、助言じょげんできるのなら是非ぜひねがいしたいとべる。また、息子むすこたちがいえでしょっちゅうソクラテスのしてとなえていたが、それがソプロニスコスの息子むすこであるとらなかったとべる。ラケスは、ソクラテスはついさきごろとも従軍じゅうぐんしたデリオンのたたかでも勇敢ゆうかんだったとべる。リュシマコスは、ソクラテスにたいする称賛しょうさんべつつ、あらためて教育きょういく問答もんどうはじめる。まず、いましがたたようなじゅうそう歩兵ほへいじゅつまなぶことは、青年せいねんたち有益ゆうえきう。

じゅうそう歩兵ほへいじゅつ」の利益りえき[編集へんしゅう]

  • 5. ソクラテスは、自分じぶんにん(ニキアスとラケス)よりもとしわかく、この問題もんだい不慣ふなれなので、さきにんはなしてもらい、それとちがかんがえがあったらくわえるとべる。うながされてニキアスがはなしはじめる。ニキアスは、青年せいねんじゅうそう歩兵ほへいじゅつまなぶことは、様々さまざまめん有益ゆうえきであるとべる。あそびにかまけることもなくなるし、身体しんたいつよくなるし、馬術ばじゅつなら自由じゆう市民しみん戦士せんしとして勝負しょうぶするさい訓練くんれんにもなる、また、じゅうそう歩兵ほへいじゅつまなぶと、つぎ陣形じんけいについてまなび、つぎ将軍しょうぐん戦術せんじゅつについてもまなびたくなるといった具合ぐあいに、立派りっぱなこともまなびたくなる。さらに、じゅうそう歩兵ほへいじゅつにつけることは、戦場せんじょうにおいてより大胆だいたん勇敢ゆうかんになれる。したがって、是非ぜひまなばせるべきだと。
  • 6. ラケスは、じゅうそう歩兵ほへいじゅつ喧伝けんでんされているようにまなぶにあたいするじゅつであるならばまなんだほうがいいが、実際じっさいはそうであるかあやしいと指摘してきする。その理由りゆうとして、かれじゅうそう歩兵ほへい教師きょうしたちは、戦争せんそうごとにかんしてはもっと熱心ねっしん中心ちゅうしんともえるラケダイモンスパルタ)をけ、くに転々てんてんとしているとべる。
  • 7. さらにラケスは、かれじゅうそう歩兵ほへい教師きょうしすくなからず戦場せんじょうともにしたが、いまだかつてかれらのなか戦場せんじょうせたもの一人ひとりもいないと指摘してきする。また、いましがたまえ模範もはん演技えんぎおこなったステシレオスという教師きょうしも、ここでは威張いばってはいるが、戦場せんじょう失態しったいえんじた姿すがた目撃もくげきしているとべる。
  • 8. ラケスは、したがってじゅうそう歩兵ほへいじゅつまな価値かちいとべる。ニキアスとラケスの意見いけんれ、リュシマコスは、ソクラテスににん意見いけんのどちらに賛成さんせいひょうれるかう。

たましい世話せわかんする技術ぎじゅつ[編集へんしゅう]

  • 9. ソクラテスは、ただしい判断はんだん多数決たすうけつではなく、知識ちしきらなければならないと指摘してき。メレシアスも同意どうい。ソクラテスは、この場合ばあい我々われわれうちだれもっと体育たいいく精通せいつうしているか調しらべなければならないが、そのまえに、その事柄ことがら一体いったいなにであって、なぜ我々われわれがその教師きょうしさがしているのかをかんがえなければならないと指摘してきする。メレシアスはどういうことかう。
  • 10. ソクラテスは、我々われわれはそもそも一体いったいなに問題もんだいについて審議しんぎしているのかについて同意どういしていなかったと指摘してき。「じゅうそう歩兵ほへいじゅつについて」ではなかったのかとうニキアスにたいし、ソクラテスはその本来ほんらい目的もくてき、ここでえば「若者わかものたちのたましいのためのまなびごと(技術ぎじゅつ」について我々われわれ調しらべているのであって、その「たましい世話せわかんする技術ぎじゅつ」に、我々われわれうちだれ精通せいつうしているのか調しらべる必要ひつようがあるとべる。ラケスも同意どういする。
  • 11. ソクラテスは、「たましい世話せわかんする技術ぎじゅつ」にかんして、自分じぶんにはいまだかつて先生せんせいはいなかったし、また、自分じぶんでそのじゅつつけすことも、いまなおできずにいるとべる。さらに、ラケスとニキアスの二人ふたりは、こうして若者わかもの従事じゅうじすべき事柄ことがら意見いけんべている以上いじょうは、そのことについてのちからっているのだろうから、リュシマコスはかれらに、そのことについての先生せんせいだれだったのか、あるいは、自分じぶんつけしたというなら、その実績じっせきべてもらうよううことを催促さいそくする。

「ソクラテスしき問答もんどう[編集へんしゅう]

  • 12. リュシマコスは、ラケスとニキアスにたいし、こんソクラテスがったことにこたえるかどうかは、二人ふたりまかせるとべる。ニキアスは、リュシマコスがソクラテスの性格せいかくをよくらないと指摘してきする。
  • 13. ニキアスは、ソクラテスとはなしをすると、その言葉ことばまわされ、現在げんざい自分じぶんかた、これまでの人生じんせいわされるはめになり、その言葉ことばをソクラテスがきちんと吟味ぎんみわるまではなしてくれないとべる。また、自分じぶんはソクラテスと馴染なじみなので、こうなることはかっていたし、それをたのしんでもいるので、ソクラテスが要望ようぼうするようにはなしてもかまわないが、ラケスはどうなのかいてほしいとう。
  • 14. ラケスは、自分じぶんは「ドリア調ちょう」の音楽おんがくのごときすぐれた人間にんげんたち調和ちょうわしたはなしくのがきであり、ソクラテスのはなしいたことがいが、戦場せんじょうかれ姿すがた立派りっぱだったので、かれはなしにもうとべる。

とく一部分いちぶぶん」としての「勇気ゆうき[編集へんしゅう]

  • 15. リュシマコスはソクラテスにはなし進行しんこうしてもらうようたのむ。ソクラテスは、先程さきほど各自かくじおそわった先生せんせいだれか、他者たしゃくした実績じっせきはどうだったかべることを提案ていあんしたが、それよりも、ちょうど「視力しりょくしょうじることで、をよりいものにする」場合ばあいの「視力しりょく」のごとく、「それがあることで、そのものをよりきものにする」ものについての、より根本こんぽんてきはなしをしたいといいだす。
  • 16. ソクラテスは、この場合ばあい、「とくかれらの息子むすこたちのたましいしょうじて、たましいをよりくする」ことについて相談そうだんされているのだから、「とくとは一体いったいなにであるか」をまず我々われわれっている必要ひつようがあるとべる。ラケスも同意どういする。ソクラテスは、そこでまずは「とく全体ぜんたい調しらべるというだい仕事しごとをするのではなく、「とく」の一部分いちぶぶん、この場合ばあいじゅうそう歩兵ほへいじゅつ関係かんけいしている「勇気ゆうき」について調しらべていこうと提案ていあんする。

勇気ゆうき」についての問答もんどう[編集へんしゅう]

戦列せんれつみとどまっててきふせぎ、げようとしないこと」[編集へんしゅう]

  • 17. ラケスは、「戦列せんれつみとどまっててきふせぎ、げようとしないこと」が「勇気ゆうき」だとべる。ソクラテスは、スキュティアひと騎馬きばへいげながらたたかうこともあるし、ホメロスは『イーリアス』でアイネイアス戦車せんしゃうまげるようとなえていることを指摘してき。ラケスは、ホメロスは戦車せんしゃ場合ばあいについてべており、スキュティアじん騎馬きばへいなのだから、ここで自分じぶんはなしているじゅうそう歩兵ほへい場合ばあいとはちがうとべる。ソクラテスは、ラケダイモンスパルタ)のじゅうそう歩兵ほへいがペルシアにプラタイアイのたたか勝利しょうりしたさいには、一旦いったん逃走とうそうしたことを指摘してき。ラケスもみとめる。
  • 18. ソクラテスは、自分じぶん質問しつもんわるかったとべる。自分じぶんきたかったのは、そうした個別こべつ具体ぐたいてきはなしではなく、あらゆる種類しゅるいたたかい、さらには、あらゆるいとなみに共通きょうつうしててはまる勇気ゆうき勇敢ゆうかん」であると。ラケスはよく理解りかいできない。
  • 19. ソクラテスは、たとえば「迅速じんそく」であれば、はし場合ばあいも、キタラ場合ばあいも、しゃべる場合ばあいも、理解りかいする場合ばあいも、その様々さまざま行為こういなかにもそれは潜在せんざいしているし、我々われわれはそれを「みじか時間じかんおおくのことを仕上しあげる能力のうりょく」と表現ひょうげんすることができるとべる。ラケスも同意どういする。ソクラテスは、「勇気ゆうき」についてもこのようにべてほしいとう。

「(思慮しりょある)忍耐にんたいつよさ」[編集へんしゅう]

それをけてラケスは、「勇気ゆうき」とは、たましい一種いっしゅの「忍耐にんたいつよ」であるとべる。ソクラテスは、「すべての忍耐にんたいしん」が「勇気ゆうき」であるとはラケスもかんがえていないだろうと指摘してきする。「勇気ゆうき」をうつくしいものだとラケスはかんがえているだろうし、「思慮しりょある忍耐にんたいしん」はうつくしいが、「思慮しりょ忍耐にんたいしん」はうつくしくないので、ラケスは「思慮しりょある忍耐にんたいしん」こそが「勇気ゆうき」であると主張しゅちょうしているのだろうと指摘してきする。ラケスも同意どういする。
  • 20. ソクラテスは、それでは「なにについて」思慮しりょがある忍耐にんたいしんが、「勇気ゆうき」であるかを考察こうさつする。利益りえきようと辛抱強しんぼうづよ思慮しりょふか出資しゅっししているものいするものもとめる肺炎はいえん患者かんじゃたいして拒否きょひつづける医者いしゃなどは、「勇気ゆうき」があるとはわない。それでは、戦場せんじょうにおいて、有利ゆうり情勢じょうせいりつつ辛抱強しんぼうづよたたかおうとしているものと、反対はんたい陣営じんえい不利ふり情勢じょうせいにもかかわらず辛抱しんぼうしているもの場合ばあいはどうか、ソクラテスがう。ラケスは、後者こうしゃほうが「勇気ゆうき」をっているようにおもうとべる。ソクラテスは、しかし、後者こうしゃほうはより「思慮しりょ」であると指摘してきする。ラケスも同意どういする。その、いくつかのれいしながら、ソクラテスは、自分じぶんたちが「思慮しりょ危険きけんおか我慢強がまんづよ」を「勇気ゆうき」とんでしまっていることを指摘してき、ここまでの議論ぎろん失敗しっぱいしたことをべる。ラケスも同意どういする。

おそろしいものと、おそろしくないものを、見分みわける知識ちしき[編集へんしゅう]

  • 21. ソクラテスとラケスは辛抱強しんぼうづよ議論ぎろん探求たんきゅうつづけていくことを確認かくにん。ニキアスも議論ぎろんくわえることにする。
  • 22. ニキアスは、「おそろしいものと、おそろしくないものを、見分みわける知識ちしき」が「勇気ゆうき」であるとう。ラケスは「知識ちしき」と「勇気ゆうき」はべつものだと反発はんぱつする。ニキアスは、ラケスが自分じぶん議論ぎろん失敗しっぱいしたものだからわたし議論ぎろん失敗しっぱいさせようとしていると対抗たいこうする。
  • 23. ラケスは、実際じっさいニキアスは無意味むいみなことをっているとべる。病気びょうきのことでおそろしいものをっている医者いしゃや、農業のうぎょうのことでおそろしいものをっている農夫のうふ、その様々さまざま技術ぎじゅつ分野ぶんやおそろしいものをっている人々ひとびとを、「勇者ゆうしゃ」とはばないと指摘してきする。ニキアスは、それぞれの技術ぎじゅつしゃは、その技術ぎじゅつ対象たいしょう見分みわけることができるだけであって、「おそろしいものとおそろしくないものを見分みわける」ことができるわけではないとべる。ラケスは、ニキアスは「うらな」を「勇者ゆうしゃ」とでもぶつもりかと反発はんぱつする。
  • 24. ニキアスは、「うらな」もまた予言よげんができるだけであって、「おそろしいものとおそろしくないものを見分みわける」ことはできないと指摘してきする。ラケスは、ニキアスは自分じぶんう「勇者ゆうしゃ」を明示めいじもせず、いいのがれをしているだけだと反発はんぱつ。ソクラテスと交代こうたいする。
  • 25. ソクラテスが真意しんいうと、ニキアスは、自分じぶんは「無知むちであるがゆえにおそろしいものをおそれないもの」を「勇者ゆうしゃ」とはばず「おそらずのおろもの」とぶのであり、おそれをらないこと」と「勇気ゆうきがあること」はことなる、そして、「こうず」「おそらず」はおおくのひとっているが、「勇気ゆうき」や「さきおもんばか」はごく一部いちぶひとしかっていないというかんがえをべる。
  • 26. ソクラテスは、ニキアスのこうしたかんがえは、ソフィストであるプロディコスにもおしえをけたダモン上記じょうき3参照さんしょう)からたものだろうと推察すいさつしつつ、はなしつづける。
未来みらいぜんあく見分みわける知識ちしき[編集へんしゅう]
  • 27. ソクラテスは、ニキアスのう「おそろしいもの」とは「未来みらい予期よきされるわるいもの」で、「おそろしくないもの」とは「未来みらい予期よきされるわるくないもの・きもの」ということでいいかう。ニキアスも同意どういする。ソクラテスは、それらをっていることが「勇気ゆうき」ということでいいかう。ニキアスも同意どういする。
  • 28. ソクラテスは、「知識ちしき技術ぎじゅつ」は、対象たいしょう過去かこのものであれ、現在げんざいのものであれ、未来みらいのものであれ、1つの統一とういつされたものとしてあると指摘してき対象たいしょうとき関係かんけいく、医術いじゅつが、農作のうさくじゅつが、将軍しょうぐんじゅつが、法律ほうりつが、そうであるように。ニキアスも同意どういする。ソクラテスは、それではニキアスの「おそろしいもの(未来みらいあく)とおそろしくないもの(未来みらいあくぜん)を見分みわける知識ちしき」が「勇気ゆうき」であるという定義ていぎは、対象たいしょう未来みらい限定げんていしている以上いじょうせまぎる指摘してき。ニキアスも同意どういする。
よしあく見分みわける知識ちしき[編集へんしゅう]
  • 29. ソクラテスは、それではニキアスは「勇気ゆうき」の3ぶんの1(未来みらいについてのみ)べたにぎず、また、さき議論ぎろんしたがえば、過去かこ現在げんざい未来みらいふくむ「ぜんあく見分みわける知識ちしき」が「勇気ゆうき」ということになると指摘してき。ニキアスも同意どういする。ソクラテスは、そうなると、それはもはや「とくそのもの」ともえるものであり、「勇気ゆうき」を「とく一部分いちぶぶん」としたさき合意ごうい上記じょうき16)と矛盾むじゅんすることになり、今回こんかいの「勇気ゆうき」の探求たんきゅう失敗しっぱいしたことになると指摘してき。ニキアスもみとめる。ラケスは、ニキアスを皮肉ひにくじりに嘲笑ちょうしょうする。

終幕しゅうまく[編集へんしゅう]

  • 30. ニキアスは、ラケスの態度たいど批判ひはんし、自分じぶんのちほどダモン(上記じょうき3、26参照さんしょうとう議論ぎろん内容ないよう検討けんとうしてただしたいし、それがたしかなものになったらラケスにもおしえてあげようとやりかえす。ラケスは、リュシマコスとメレシアスは、青年せいねんたち今日きょうかんして、自分じぶんたちよりもソクラテスにまかせることを提案ていあんする。ニキアスも賛成さんせいする。リュシマコスも賛成さんせいしてソクラテスにたのむ。
  • 31. ソクラテスは、ひとすぐれた人間にんげんになろうとしているのをたすけないわけにはいかないと要請ようせいれる。ただし、さき議論ぎろんまりから、自分じぶんたちだれすぐれているわけでもなくみなおなじだということを指摘してきしつつ、息子むすこたちだけではなく、自分じぶんたち現状げんじょう満足まんぞくせず、みなすぐれた先生せんせいさがしてまなぼうと提案ていあんする。リュシマコスも賛成さんせいし、自分じぶん息子むすこたちと一緒いっしょまなぶとべる。また、このはなしつづきをするために、ソクラテスには、明日あしたあさはや自分じぶんいえてほしいと要請ようせいする。ソクラテスは同意どういする、「それがかみおぼしであるならば」。

論点ろんてん[編集へんしゅう]

勇気ゆうき[編集へんしゅう]

ほんへんでは、「勇気ゆうき」という概念がいねん明確めいかくめぐって、好戦こうせんてき将軍しょうぐんラケスと穏健おんけんニキアスを相手あいてに、ソクラテスによる執拗しつよう追及ついきゅう問答もんどうひろげられる。

作中さくちゅう、「勇気ゆうき」の定義ていぎとして、

  • 戦列せんれつみとどまっててきふせぎ、げようとしないこと」 (← ソクラテス「個別こべつ具体ぐたいてきぎる」)
  • 忍耐にんたいつよ」 (← ソクラテス「「すべての忍耐にんたいしん」が「勇気ゆうき」であるわけではない」)
    • 思慮しりょある忍耐にんたいしん」 (← ソクラテス「実際じっさいは「思慮しりょ危険きけんおか我慢強がまんづよさ」」)
  • おそろしいものと、おそろしくないものを見分みわける知識ちしき」 (← ラケス「かく対象たいしょう個別こべつ知識ちしき技術ぎじゅつければ見分みわけられるわけがない」)
    • 未来みらい予期よきされるわるいもの」と、「未来みらい予期よきされるわるくないもの・きもの」をっていること」 (← ソクラテス「知識ちしき技術ぎじゅつ対象たいしょうは、過去かこ現在げんざい未来みらいなど時間じかんてき限定げんていされない」)
    • ぜんあく見分みわける知識ちしき」(← ソクラテス「それはもう「とくそのもの」とえるようなものであり、「とく一部分いちぶぶん」としての「勇気ゆうき」の範疇はんちゅうえてしまっている」)

ひとし提示ていじされるが、ソクラテスの執拗しつよう追及ついきゅうによって、ことごとく提示ていじされたしょ定義ていぎ欠陥けっかんあらわにされ、堂々巡どうどうめぐり・まり(アポリア)におちいってしまう。


たいとなる概念がいねんである「節制せっせい思慮しりょ健全けんぜんさ)」とともに、伝統でんとうてき主要しゅよう徳目とくもく枢要すうようとく)の1つとしてあつかわれてきた「勇気ゆうき」だが、プラトンはこの概念がいねんを、「ぜんあく見分みわける知識ちしき」と一緒いっしょになってはじめて機能きのうする概念がいねんであることを、ソクラテスの問答もんどうとおして論証ろんしょうしている。こうした、徳目とくもくをめぐる議論ぎろん問答もんどうによって、究極きゅうきょくてき重要じゅうようなのは「ぜんあく見分みわける知識ちしき」であるとあきらかにされる、という構成こうせいは、初期しょきアポリアてき対話たいわへん共通きょうつうする特徴とくちょうである。

この「勇気ゆうき」は、初期しょき対話たいわへんプロタゴラス』においても、しゅたる論題ろんだいとしてあつかわれ、類似るいじ議論ぎろん展開てんかいされている。

(なお、この「勇気ゆうき」は、中期ちゅうき対話たいわへん国家こっか』においては、たましいの「気概きがいてき部分ぶぶんや「名誉めいよ支配しはいせい」、すなわち「軍人ぐんじん気質きしつ」ともっぱ関連かんれんしたものとして、枢要すうようとくよりややひくあつかいをけるが、後期こうき (最後さいご) の対話たいわへんである『法律ほうりつ』のだい1かん (だい5しょう-だい6しょう) においては、より露骨ろこつ枢要すうようとくなかの「最下位さいかい」として言及げんきゅうされており、プラトンの思想しそうにおいては、(軍事ぐんじ同様どうように、けっして軽視けいしされているわけではないものの) 比較的ひかくてき重視じゅうしされていないことがかる。)

ちなみに、この「勇気ゆうき」と同様どうように、プラトンが「ぜんあく見分みわける知識ちしき」と一緒いっしょになってはじめて機能きのうする、積極せっきょくてき能動のうどうてき概念がいねんとしてげているものとしては、には「快楽かいらく」があり、『ヒッピアス (だい)』『プロタゴラス』『ゴルギアス』といった初期しょき対話たいわへんや、後期こうき対話たいわへんピレボス』などで言及げんきゅうされている。

とく(アレテー)[編集へんしゅう]

ほんへんでは、「勇気ゆうき」を「とく」(アレテー)の一部いちぶ規定きていして議論ぎろんはじめるが、それを探求たんきゅうする過程かていで、「ぜんあく見分みわける知識ちしき」としてのとく」(アレテー)そのものにまで遡及そきゅうしてしまうことになった。

これとた、概念がいねんの、その根源こんげんへの拡張かくちょう遡及そきゅう構図こうずは、どう時期じき作品さくひんとしては、(ぜんとも)を追求ついきゅうした結果けっか、「だいいち根源こんげんてきぜんとも)」まで遡及そきゅうしてしまった)『リュシス』の議論ぎろんなどにもられる。

日本語にほんごやく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ギリシアの「アンドレイア」(まれ: ἀνδρεία、andreia)の訳語やくご
  2. ^ a b ともにソクラテスとおなデモス)の出身しゅっしんであり、ソクラテスのちちソプロニスコス親交しんこうがあった。
  3. ^ 歴史れきしトゥキュディデスとは別人べつじん参考さんこう: トゥキュディデスとは - 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん 平凡社へいぼんしゃ/コトバンク
  4. ^ 参考さんこう: 『プラトン全集ぜんしゅう7』 岩波書店いわなみしょてん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]