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リバイバル (キリストきょう)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

キリスト教きりすときょう用語ようごとしてのリバイバルえい: revival)は、敬虔けいけん信仰しんこうしゃ急速きゅうそく増加ぞうかともな信仰しんこう運動うんどうす。

概要がいよう[編集へんしゅう]

国民こくみんのほとんどがキリスト教徒きりすときょうとわれてはいるが、全員ぜんいん信仰しんこうっているとはいえなかった18世紀せいきアメリカにおいて、信仰しんこうてき熱心ねっしんさと教会きょうかい成長せいちょうともな信仰しんこう運動うんどう勃発ぼっぱつ拡散かくさんした歴史れきしてき事象じしょうは、「信仰しんこう復興ふっこう」のでリバイバルとばれてきた。ウェスレーホイットフィールドジョナサン・エドワーズリバイバリスト指導しどうによるリバイバルはとくだい覚醒かくせいばれている。

したがって、日本にっぽんふくアジアアフリカのような元来がんらいキリスト教きりすときょうけんではない新規しんき伝道でんどうでのキリスト教きりすときょう躍進やくしんを「リバイバル」とぶべきかどうかは教派きょうはにより意見いけんかれるが、イギリスとアメリカにおけるリバイバリズムを継承けいしょうする教派きょうは(=福音ふくいん)においては、それを躊躇ちゅうちょなく「リバイバル」として目標もくひょうかかげ、いのもとめる。その視点してんでは、日本にっぽんにおいて明治めいじおよび終戦しゅうせん大都市だいとし中心ちゅうしんキリスト教徒きりすときょうとかず増加ぞうかした現象げんしょうをリバイバルと位置いちづけ、プロテスタント教派きょうはえた一致いっちがあったとする。日本にっぽんのリバイバルとしては戦前せんぜんホーリネス・リバイバル1919ねん1930ねんから1933ねんの2かい)が有名ゆうめいである。

リバイバルへの非難ひなん反対はんたい運動うんどうつねられた。そのれいとして、ウェスレーやホイットフィールドは、当時とうじ教義きょうぎがく重視じゅうしする教会きょうかいから熱狂ねっきょう主義しゅぎしゃ非難ひなんされた。ジョナサン・エドワーズは、聖餐せいさん改心かいしん体験たいけん告白こくはく必須ひっすとしたことから反発はんぱつけ、牧師ぼくし職務しょくむ解任かいにんされた。現在げんざいエキュメニカル典礼てんれいてき志向しこうつよいプロテスタントやローマ・カトリック)はリバイバルを否定ひていてき傾向けいこうつよい。プロテスタント教会きょうかいのなかでは、急激きゅうげきえる信者しんじゃ背景はいけいとしたリバイバルの事実じじつたいし、牧師ぼくし按手条件じょうけんとされる神学しんがく修得しゅうとく軽視けいし一般いっぱん信徒しんとによる説教せっきょうふくむ)や、かならずしも伝統でんとうてき教義きょうぎ回帰かいきしないことを理由りゆうに、リバイバルをはん世紀せいきたない運動うんどう(Movement)として理解りかいしているめんがある。また、ローマ・カトリックにおいても聖霊せいれいによるカリスマ運動うんどう存在そんざいするが、プロテスタントのリバイバルとの交流こうりゅうはみられない。ローマ・カトリックによる批判ひはんは、使徒しと権威けんい継承けいしょう聖餐せいさん中核ちゅうかくとする教会きょうかいろんちがいによるところがだい部分ぶぶんめており、リバイバルに特有とくゆう熱狂ねっきょうてきいそのものはあまり問題もんだいしない。いずれにせよ、リバイバルにおける教会きょうかい形成けいせいのプロセスが問題もんだいされており、信仰しんこう正統せいとうせい問題もんだいとするような事態じたいはあまりしょうじないとえる。ジョナサン・エドワーズの牧師ぼくし解任かいにんれいでも、リバイバルをこした当初とうしょ問題もんだいではなく、むしろ教会きょうかい形成けいせい規律きりつ緩和かんわぎにたいするかれなりの信念しんねんによるものである。これがキリストの神性しんせいおかすような異端いたんとのおおきなちがいである。 八巻はちまき正治しょうじ自著じちょ聖書せいしょとハンディキャップ[1]』のなかで「わたしはこれまでなん韓国かんこく教会きょうかい訪問ほうもんしてきましたが、そのごとにパワーあふれる韓国かんこく教会きょうかい様子ようす実際じっさい体験たいけんしてきました。わたしたちがそうした事実じじつり、そしてそれを自分じぶんなか強烈きょうれつにイメージするとき、一人ひとりひとりのクリスチャンがえられ、この日本にっぽんにおいてもやがては韓国かんこくおなじリバイバルがかならがるのです。そのことをしんじるべきです。」と主張しゅちょうしている。(『同署どうしょ』pp.147-148)

イギリスやアメリカの信仰しんこう復興ふっこう運動うんどうなみだい覚醒かくせいのち定期ていきてき発生はっせいし、欧州おうしゅうにも波及はきゅうし、アメリカを基点きてんとして世界せかいにプロテスタントの宣教師せんきょうし派遣はけんする原動力げんどうりょくとなった。リバイバルの概念がいねんキリスト教きりすときょうけん以外いがい適用てきようすること慎重しんちょう学者がくしゃも、明治めいじ来日らいにちした宣教師せんきょうしらがリバイバリズムに後押あとおしされていたこと、リバイバリズムはカトリックやプロテスタント内部ないぶ教派きょうは同士どうしでの論争ろんそう熱心ねっしんで、キリストきょう圏外けんがい世界せかい宣教せんきょうにあまり関心かんしんはらってこなかったそれ以前いぜんプロテスタンティズムとは一線いっせんかくしており、世界せかいてきなプロテスタントの拡大かくだい功績こうせきがあることみとめている。最近さいきんでは、より伝統でんとうてきなカトリックや国教こっきょうかいにも、リバイバルのワーシップ・ソングを礼拝れいはいれる傾向けいこうえており、礼拝れいはい形式けいしきじょうちがいは曖昧あいまいになってきている。これはリバイバルの恩恵おんけい教会きょうかいもうとするうごきともかんがえられる。

また、リバイバルを強調きょうちょうする諸派しょはは、キリストきょう伝道でんどう成功せいこうした結果けっかとしてキリスト教きりすときょう精神せいしん浸透しんとうし、悪化あっかしていた政治せいじ経済けいざい、さらには自然しぜん環境かんきょうまでもが改善かいぜんされ、こう循環じゅんかん方向ほうこう変質へんしつする事例じれいを「トランスフォーメーション」とび、それがげられた国家こっかれいすで実在じつざいし、そこでも教派きょうはえたはたらきがみられた、とする。ただし伝統でんとうてき教派きょうはにも、政治せいじ経済けいざい分野ぶんやまらず、地球ちきゅう環境かんきょう保護ほご信徒しんと義務ぎむとするかんがかた浸透しんとうしつつあり、キリスト教会きょうかいのエキュメニカルなはたらきのひとつとなっている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 一粒ひとつぶしゃ、1991ねん

関連かんれん書籍しょせき[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]