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レオンナトス

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レオンナトスまれ: Λεόννατος, ラテン文字もじ表記ひょうき:Leonnatos, 紀元前きげんぜん356ねん - 紀元前きげんぜん322ねん)は、マケドニアおうアレクサンドロス3せいつかえたマケドニア王国おうこく武将ぶしょうで、ディアドコイ一人ひとりである。

アレクサンドロスのした

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レオンナトスは紀元前きげんぜん356ねんにマケドニア王国おうこくめんするしょう王国おうこくリュンケスティス (Lynkestis) の王家おうけアンテアスとしてまれ(生地きじペラ)、おなどしのアレクサンドロス3せい幼年ようねん時代じだいからの友人ゆうじんであった[1]

マケドニアの家臣かしんとなったレオンナトスはヘタイロイ一人ひとりとしてアレクサンドロスの東方とうほう遠征えんせい参加さんかし、紀元前きげんぜん331ねんイッソスのたたかとらえられたペルシアおうダレイオス3せいつまむすめもとにレオンナトスはおうによってつかわされ、ダレイオスのかなしむ彼女かのじょらにダレイオスの存命ぞんめいつたえた[2]同年どうねんエジプトメンフィスでのアリュバス病死びょうしを以ってそのにん側近そっきん護衛ごえいかんになった[3]。ダレイオス3せい死後しご紀元前きげんぜん328ねん、ある酒宴しゅえんにてペルシアの跪拝きはいれい話題わだいがり、そのとき従軍じゅうぐんしていた哲学てつがくしゃカリステネスはペルシアふう跪拝きはいれいへの反対はんたいろん展開てんかいし、レオンナトスもまたペルシアじん跪拝きはいとき格好かっこう卑屈ひくつとしてあざわらった。のち仲直なかなおりするものの、このときレオンナトスは東西とうざい融和ゆうわはかおう不興ふきょうった[4]

紀元前きげんぜん327ねんにレオンナトスはアスパシオイじんグライオイじんアッサケノイじんでのたたかいでプトレマイオスとも負傷ふしょう[5]パレイタカイじんの「コリエネスとりで攻略こうりゃくさいには攻略こうりゃくのための工事こうじペルディッカス、プトレマイオスの部隊ぶたい交代こうたいおこなった[6]。アリガイオン(ナワガイちかくのやまでのたたかいではおうさんふんしたぐんのうちいちたいひきい、勝利しょうりした[7]紀元前きげんぜん326ねんヒュダスペスがわください、レオンナトスはさんだんかいせん艤装ぎそう奉仕ほうし担当たんとうしゃ一人ひとりとなった[1]紀元前きげんぜん325ねんマラヴァス攻囲こういではとりでなか一人ひとりたたかっているおうペウケスタスアブレアスともかばって奮戦ふんせんした[8][9]。その、レオンナトスはオレイタイじん土地とち太守たいしゅアポロパネスともにその補佐ほさのためにアグリアネスじん部隊ぶたい全員ぜんいんゆみへいたい騎兵きへいたいかく一部いちぶ、そのギリシアじん傭兵ようへい歩兵ほへい騎兵きへいひきいて残留ざんりゅうし、ネアルコス艦隊かんたいるまで待機たいきした[10]残留ざんりゅうちゅうにオレイタイじん反乱はんらんこり、アポロパネスは戦死せんしするも、レオンナトスはそれを鎮圧ちんあつしたのちオレイティス沿岸えんがんでネアルコスの艦隊かんたい邂逅かいこうして食料しょくりょう人員じんいん補充ほじゅうした[11]以上いじょう功績こうせきによりレオンナトスは東征とうせいにおける勲功くんこうではペウケスタスにだい2となり、スサで黄金おうごんかんむりさづけられた[12][13]

アレクサンドロスの死後しご

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紀元前きげんぜん323ねんのアレクサンドロスのさいして、レオンナトスはペルディッカス、クラテロスアンティパトロス有力ゆうりょくしゃたちとともロクサネからまれる子供こどもアレクサンドロス4せい)の暫定ざんていてき後見人こうけんにん指名しめいされ[14]バビロン会議かいぎでの帝国ていこく分割ぶんかつさいしてはレオンナトスはヘレスポントス・フリュギア太守たいしゅとなった[15][16][17][18]

バビロン会議かいぎでの決定けっていいまだマケドニアの勢力せいりょくはいっていないカッパドキアパフラゴニア英語えいごばんてられたエウメネスはそれらの地方ちほうへの遠征えんせいおこなおうとし、レオンナトスとアンティゴノス援軍えんぐん要請ようせいした。(おそらくエウメネスがしょうアジアでのライバルとなることをおそれた)アンティゴノスはそれをことわったが、レオンナトスはれ、へいれてバビロニアからフリュギアまでエウメネスに同行どうこうした。しかしときおなじくしてアレクサンドロスのじょうじたギリシアでの反乱はんらんラミア戦争せんそう)が勃発ぼっぱつし、ギリシア連合れんごうぐんによってラミアふうめられたアンティパトロスからの援軍えんぐん要請ようせいがレオンナトスにた。レオンナトスはそれにおうじ、カッパドキア遠征えんせいのためのぐんのほとんどをれてギリシアにわたった[19]。しかし、のところレオンナトスはアレクサンドロス3せいいもうとで、エピロスおうアレクサンドロス1せい未亡人みぼうじんクレオパトラ結婚けっこんしてアンティパトロスの実権じっけんうばうつもりであるとエウメネスにかたり、かれ味方みかたもうとした。それと同時どうじに、エウメネスにアンティパトロス救援きゅうえんうったえた人物じんぶつで、エウメネスとは政治せいじてき対立たいりつしていたカルディア僭主せんしゅヘカタイオス和解わかいし、一緒いっしょこうとさそったがエウメネスはそれをことわり、ペルディッカスのもとはしった[20]。ラミアでレオンナトスはアンティパトロスを脱出だっしゅつさせるのには成功せいこうしたものの、自身じしんてき騎兵きへいとのたたかいで戦死せんしし、かれぐんはアンティパトロスに吸収きゅうしゅうされた[21]

  1. ^ a b アッリアノス, 『インド』, 18
  2. ^ アッリアノス, 『アレクサンドロス大王だいおう東征とうせい』, II. 12
  3. ^ ibid, III. 5
  4. ^ ibid, IV. 12
  5. ^ ibid, IV. 23
  6. ^ ibid, IV. 21
  7. ^ ibid, IV. 24-25
  8. ^ アッリアノス, 『アレクサンドロス大王だいおう東征とうせい』, VI. 9-10
  9. ^ アッリアノス, 『インド』, 19
  10. ^ アッリアノス, 『アレクサンドロス大王だいおう東征とうせい』, VI. 22
  11. ^ アッリアノス, 『インド』, 22
  12. ^ アッリアノス, 『アレクサンドロス大王だいおう東征とうせい』, VII. 5
  13. ^ アッリアノス, 『インド』, 42
  14. ^ ユスティヌス, XIII, 2
  15. ^ ディオドロス, XVIII, 3
  16. ^ クルティウス, X. 10. 2
  17. ^ フォティオス, cod. 82
  18. ^ フォティオス, cod. 92
  19. ^ ディオドロス, XVIII, 14
  20. ^ プルタルコス, 「エウメネス」, 3
  21. ^ ディオドロス, XVIII, 15-16

参考さんこう文献ぶんけん

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参考さんこうサイト

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