ロプノール

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ロプノール
ロプノールの衛星えいせい画像がぞう
中央ちゅうおうみみのようなかたちがロプノールの干上ひあがったみずうみゆか画面がめん左下ひだりしたないし下方かほうきた
ロプノールの位置 (新疆ウイグル自治区・地形図)
ロプノールの位置 (新疆ウイグル自治区・地形図)
ロプノール
ロプノールの位置いち
新疆しんきょうウイグル自治じち地形ちけい
中国ちゅうごく
繁体字はんたいじ ぬのはく
簡体字かんたいじ 罗布はく
発音はつおん記号きごう
標準ひょうじゅん中国語ちゅうごくご
漢語かんご拼音Luóbù Pō
ウェードしきLo2-pu4 P'o1
IPA[lwɔ̌pû pʰɔ́]
別名べつめい
繁体字はんたいじ ぬの淖爾
簡体字かんたいじ 罗布淖尔
発音はつおん記号きごう
標準ひょうじゅん中国語ちゅうごくご
漢語かんご拼音Luóbù Nào'ěr
ウェードしきLo2-pu4 Nao4-'erh3
IPA[lwɔ̌pû nɑ̂ʊɑ̀ɻ]
モンゴル
モンゴルᠯᠣᠪ ᠨᠠᠭᠤᠷ
Лоб Нуур
ウイグル
ウイグル
لوپنۇر
発音はつおん記号きごう
新式しんしきLopnur
旧式きゅうしきLopnur
キリル文字もじЛопнур

ロプノールあるいはロブノールドイツ: Lop Nor[注釈ちゅうしゃく 1])は、中央ちゅうおうアジアタリム盆地ぼんちタクラマカン砂漠さばく北東ほくとうに、かつて存在そんざいした内陸ないりくみずうみで、「さまよえるみずうみ」としてられている[1]。このみずうみがあったのは、現在げんざい中国ちゅうごく新疆しんきょうウイグル自治じちバインゴリン・モンゴル自治じちしゅうチャルクリクけんであり、隣接りんせつするロプノールけんではない。

ロプノールには、タリム盆地ぼんちかこ山脈さんみゃく雪解ゆきどすいあつめるタリムがわ正確せいかくにはタリムがわ分流ぶんりゅう)とチャルチャンがわながむが、みずうみからながかわはない。つまりロプノールは、内陸ないりく河川かせんであるタリムがわ末端まったんみずうみのひとつであり、湖水こすいつよ陽射ひざしで蒸発じょうはつするか地中ちちゅう浸透しんとうしてえていくため、次第しだい塩分えんぶん蓄積ちくせきしてしおみずうみとなった。紀元前きげんぜん1世紀せいきころにはまだおおきなみずうみであったという記録きろくのこされているが、4世紀せいき前後ぜんご干上ひあがったとられている。

概要がいよう[編集へんしゅう]

タリム盆地ぼんちヒマラヤ造山つくりやま運動うんどうともなって形成けいせいされた地形ちけいであり、いまからおよそ2まんねんまえ最後さいごこおりから現在げんざいあいだごおりへとうつかわわるころには、盆地ぼんちのほぼ全域ぜんいきカスピ海かすぴかいのようなきわめて広大こうだいみずうみとなったが、その気候きこう温暖おんだんするにつれて次第しだいみずうしなわれ、だい部分ぶぶん砂漠さばくになったとかんがえられている[2]

このせつしたがうなら、ロプノールなどタリム盆地ぼんち散在さんざいする湖沼こしょうは、そのみずうみ最後さいご名残なごりということになる。

1901ねん中央ちゅうおうアジア探検たんけんによって、「ロプノールの周辺しゅうへん地域ちいき標高ひょうこうがわずかしかなく、堆積たいせき侵食しんしょく作用さようなどによってタリムがわりゅうおおきく変動へんどうするために、みずうみ位置いち南北なんぼく移動いどうするのだ。ロプノールはいつかきっともと位置いちもどってくる」とする「さまよえるみずうみせつ提示ていじされ、それからわずか20ねん1921ねんに、予言よげんどおりタリムがわながれがわってみずうみ復活ふっかつしたことからひろられるようになった[1]

復活ふっかつは、上流じょうりゅう天山あまやま山脈さんみゃくなどの降雪こうせつ降雨こううりょうによってなが水量すいりょうわるため、消長しょうちょうかえしながらも20世紀せいきなかばまではみずをたたえていた。

しかし、タリムがわにダムが建設けんせつされたことなどもあって、現在げんざいふたた完全かんぜん干上ひあがっている。衛星えいせい画像がぞうではかわいたみずうみゆか人間にんげんみみのようなかたちえ、湖心こしんをかすめるようにはぶけどう235号線ごうせんつらぬいている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

「さまよえるみずうみ[編集へんしゅう]

古来こらい中国ちゅうごく西域せいいきばれる地域ちいきにあるロプノールは、「塩沢しおざわ」あるいは「かばあきらうみ」などというられ、紀元前きげんぜん1世紀せいきごろかん時代じだいには、「縦横じゅうおうともに300さと鹹湖かんこ(かんこ)で、ふゆなつ水量すいりょうわらない」と『漢書かんしょ西域せいいきでんじょ』にしるされた広大こうだいみずうみであった。

西岸せいがんには都市とし国家こっかろうらんさかえ、シルクロード要衝ようしょうとなっていた。

しかし、3世紀せいきころからこの地域ちいき一帯いったい乾燥かんそうすすんだとられており、豊富ほうふみずうしなったろうらん4世紀せいき以降いこう急速きゅうそく衰退すいたいしていった。

このためシルクロードのいわゆる「オアシスのみちも、ろうらん経由けいゆするルートは往来おうらい困難こんなんになり、とう時代じだいまでには敦煌とんこうまたはすこ手前てまえ安西あんざいから北上ほくじょう西進せいしんしてトルファンとおり、天山あまやま山脈さんみゃくみなみふもとコルラるルートが中心ちゅうしんとなった。

こうしてろうらんとロプノールはいつしか流砂りゅうしゃなかえてゆき、ついにはどこにあったのかもわからない伝説でんせつじょう存在そんざいとなった。13世紀せいきもとおとずれたヴェネツィア商人しょうにんマルコ・ポーロは、カシュガルから西域せいいき南道みなみどう辿たどり、みずうみみなみえんをかすめるルートで敦煌とんこうたっしたとされているが、『東方とうほう見聞けんぶんろく』のなかでロプノールにはまった言及げんきゅうしていない。

1876ねんから1877ねんにかけて内陸ないりくアジアの冒険ぼうけん旅行りょこう敢行かんこうしたロシアぐん大佐たいさニコライ・プルジェヴァリスキーは、タリムがわ下流かりゅう南東なんとうないしなんかってながれており、砂漠さばく南部なんぶにカラ・ブランとカラ・コシュンという2つのみずうみ形成けいせいしているのを発見はっけんした。これらのみずうみは、中国ちゅうごく古文書こもんじょなどから推定すいていされるロプノールの位置いちより緯度いどにしておよそ1みなみにあったが、プルジェヴァリスキーはこれがロプノールであると主張しゅちょうした。

この発見はっけん賞賛しょうさんするこえがある一方いっぽう、「シルクロード」という呼称こしょう最初さいしょ提唱ていしょうしたドイツ地理ちり学者がくしゃリヒトホーフェンは、これらが淡水たんすいみずうみであることから、まだまれてあいだもないあたらしいみずうみちがいなく、しおみずうみであるとされるロプノールはタリムがわひがしかう支流しりゅうさきにあるはずだから、どこかで支流しりゅう見落みおとしたのだろうと指摘してきした。

しかし、「かわわたるのはいつも苦労くろうたねだったから、もしそのような支流しりゅうがあれば見逃みのがすはずがない」とプルジェヴァリスキーは反論はんろんし、決着けっちゃくはつかなかった。

フォルケ・ベリイマンによるロプノール周辺しゅうへん地図ちず1935ねん
みぎじょうのヒョウタンのようなかたち当時とうじ湖面こめん。このしたはんが、干上ひあがったのち人間にんげんみみのようなかたちえている。ロプノールの南西なんせいひだり下方かほう)にカラコシュン湿地しっちちいさなタイテマ湿地しっちえる。

リヒトホーフェンの弟子でしで、スウェーデン地理ちり学者がくしゃ中央ちゅうおうアジア探検たんけんであったスヴェン・ヘディンは、19世紀せいきすえから20世紀せいき初頭しょとうにかけてこの一帯いったい踏査とうさし、1900ねんにカラ・コシュンのはるか北方ほっぽうろうらん遺跡いせき発見はっけんした。その北側きたがわにはクルク・ダリヤ(かわいたかわ)とばれる東西とうざい方向ほうこうびる干上ひあがった川床かわどこ存在そんざいすることもられていたことから、ヘディンはタリムがわがかつてはこの川床かわどこひがしかってながれており、ろうらんひがしからみなみにかけてひろがっている低地ていちそそいでいたにちがいないとかんがえ、これこそがロプノールであると確信かくしんした。綿密めんみつ調査ちょうさ結果けっかカラ・コシュン流入りゅうにゅうする泥土でいど繁茂はんもする植物しょくぶつ残骸ざんがいなどの沈積ちんせきによって次第しだいあさくなっていき、一方いっぽう干上ひあがっているロプノールはつよ東北東とうほくとうふうによる風食ふうしょく表土ひょうどけずられて標高ひょうこうがり、やがて高低こうてい逆転ぎゃくてんすると、タリムがわふたたながれをえて、かつてのロプノールにもどるはずだとヘディンはかんがえた。

およそ1600ねんまえにはその反対はんたい現象げんしょうこってロプノールは干上ひあがり、砂漠さばくみなみあらたなみずうみまれたにちがいない。

つまり、この一帯いったい標高ひょうこうがわずかしかないため、末端まったんみずうみ川床かわどこたいする堆積たいせき侵食しんしょく作用さようによってタリムがわりゅうがある期間きかんおおきく変化へんかし、それにともなってみずうみ位置いち移動いどうするのだとする学説がくせつて、ロプノールを「さまよえるみずうみ」とんだのである。

1928ねん、トルファンに滞在たいざいしていたヘディンは、この商人しょうにんから1921ねんにタリムがわひがしかってながれをえたというはなしいた。当時とうじ中国ちゅうごく国内こくない複雑ふくざつ事情じじょうで、すぐには現地げんちれなかったが、1934ねんにヘディンは干上ひあがってクルク・ダリヤとばれていたかわみずもどってきてからはクム・ダリヤ(すなかわ)とばれるようになったかわをカヌーでくだって満々まんまんみずをたたえたロプノールに到達とうたつし、予言よげんただしかったことをみずからのたしかめることができた[1]

  • こうした事実じじつとヘディン自身じしん著書ちょしょによって、「さまよえるみずうみせつひろられているが、これはあくまでもひとつの仮説かせつである。ロプノールについてはヘディンのほかにもおおくの学者がくしゃ研究けんきゅう成果せいか発表はっぴょうしており、それらのなかには「みずうみ移動いどうなどはきていない」とするせつ存在そんざいする[2]

「1600ねん周期しゅうき」という誤解ごかい[編集へんしゅう]

ヘディンのとなえた「さまよえるみずうみせつというのは「1600ねんあるいは1500ねんなど一定いってい周期しゅうきみずうみわたどりのように南北なんぼく移動いどうかえすということ」であると解説かいせつされることがおお[3][4]井上いのうえやすしも、1958ねん発表はっぴょうした小説しょうせつろうらん[5]なかで「せんひゃくねん周期しゅうきをもって、南北なんぼく移動いどうするみずうみであるという推定すいていおこなわれ、それがひとつのうごかすべからざる定説ていせつとなった」とべているし、1980ねん放送ほうそうされた『NHK特集とくしゅう シルクロード -いと綢之-』の『だい5しゅう ろうらん王国おうこくる』でも同様どうよう解説かいせつがなされていた。しかし、ヘディン自身じしんがそのようなことをべた形跡けいせきまった存在そんざいしない。

たしかに、1901ねんにヘディンが予言よげんしたのは、「タリムがわみずは、いつかきっとロプノールにもどってる。そのときがくればみずうみ移動いどうする周期しゅうきながさもわかるだろう」ということであるから、この時点じてんでは周期しゅうきはまだわからないものの、移動いどうがほぼ一定いってい間隔かんかくかえされるとかんがえていたことは間違まちがいない。

しかし、ヘディンが想定そうていしていた堆積たいせき侵食しんしょくといった原動力げんどうりょくによってそのようなおおきな変化へんかきるまでには「なんせんねんはおろかなんまんねんもかかる」とていたことが、『さまよえるみずうみ[1]なかにもしるされており、とお将来しょうらいほんとうに予言よげんとおりになったとしても、「そのときはもう予言よげんした当人とうにんもその著作ちょさくもとっくにわすれられている」とまでいている。

それなのに、その予言よげんからわずか20ねん、ロプノールが干上ひあがってからたった1600ねんほどでみずうみがもとの場所ばしょもどってたことをってからは、今回こんかいはたまたまおよそ1600ねんきたが、過去かこのことはわからないし、未来みらいかならおな周期しゅうきとはかぎらない、このつぎにどこへ移動いどうするかもかくたることはえないというようにかんがえがわっていったことが、同書どうしょなかにはっきりとかれている。

本文ほんぶんちゅうに「1600ねん周期しゅうき」などということばはいちとしててこない。つまり、自身じしん想定そうていした原動力げんどうりょくだけでは説明せつめい困難こんなんなほどみじか期間きかんおおきな変化へんかきたことをったヘディンが、同書どうしょ執筆しっぴつ時点じてん最終さいしゅうてき到達とうたつした「さまよえるみずうみせつは、ロプノールはかならずしもわたどりのように一定いってい周期しゅうき移動いどうかえすわけではなく、文字通もじどおり "さまよえるみずうみ" なのだということであり、「いまはじまった周期しゅうきながさについては、一切いっさい予断よだんをひかえるのが最良さいりょうである紀元きげん330ねんかわみずうみがその川床かわどこてるまえに、なんひゃくねんあいだろうらんちかくにあったのか、わたしたちにはわからない。つぎおおきい周期しゅうきもやはり1600ねんつづくのであろうか。(中略ちゅうりゃく)この疑問ぎもんこたえられるのは未来みらいだけである」とべている[1]

こうした主張しゅちょう本文ほんぶんちゅうきわめて率直そっちょくかつ明瞭めいりょうべられているにもかかわらず、「1600ねん周期しゅうき移動いどうかえす」というような誤解ごかい蔓延まんえんした原因げんいんは、ヘディンの著書ちょしょひろ紹介しょうかいされる過程かていで、いつのにか予言よげんなかの「周期しゅうき」ということばと、今回こんかいはたまたま「1600ねん」だったという事実じじつとがつなぎわされて「1600ねん周期しゅうき」ということばがつくられ、これが一人ひとりあるきしてしまったことによるのである。

実際じっさい岩波いわなみ文庫ぶんこはん『さまよえるみずうみ[1]ると、翻訳ほんやくしゃ福田ふくだひろしねんが「訳者やくしゃあとがき」において、本文ほんぶんちゅうには存在そんざいしない「1600ねん周期しゅうき」ということばを使つかって、ヘディンの学説がくせつたいするあやまった内容ないよう解説かいせつをしているうえほんのカバーのキャッチコピーにまで「1600ねん周期しゅうき」と印刷いんさつされている[6]

こうしたことがおおくの読者どくしゃ重大じゅうだい誤解ごかいあたえ、あやまったせつ流布るふされる結果けっかにつながったのである[注釈ちゅうしゃく 2]

しかしながら、岩波いわなみ文庫ぶんこばん上梓じょうしされたのは1990ねんである。井上いのうえやすしの『ろうらん』は1958ねんであるから、1950年代ねんだいにはすでに「1600ねん周期しゅうきせつが "うごかすべからざる定説ていせつ" となっていたわけで、岩波いわなみ文庫ぶんこばん[7]よりはるかにまえのことになる。

いつどこで最初さいしょにこのような誤解ごかい発生はっせいしたのか、これまでのところたしかなことはわかっていない。ちなみに『さまよえるみずうみ』は岩波いわなみ文庫ぶんこばん先立さきだって、筑摩書房ちくましょぼうばん[8]白水しろみずしゃばん[9]角川かどかわ文庫ぶんこばん[10]中公ちゅうこう文庫ぶんこばん[11]などが出版しゅっぱんされているが、ここにげた4しょなかでは白水しろみずしゃばんのみ、監修かんしゅうしゃのひとりである深田ふかた久弥ひさや巻末かんまつ解説かいせつなかで「ロプ・ノールはせんろくひゃくねん周期しゅうきとして、その位置いちえることが立証りっしょうされた」とべている[12]

しかし、これも1964ねん発行はっこうなので、いわゆる "震源しんげん" ではないことになる。の3しょにはあやまった内容ないよう解説かいせつられない。ヘディンの紀行きこうぶんにはほかにもよくられているものがあり([13][14][15][16]など)、それらのなかにもロプノールに言及げんきゅうしている部分ぶぶんはあるが、すくなくともひだりげた3しょと1叢書そうしょ本文ほんぶんちゅうに「1600ねん周期しゅうき移動いどうかえす」といったような記述きじゅつ一切いっさい存在そんざいしない。ヘディンの伝記でんき[17]自伝じでん[18]にも誤解ごかいまねくような表現ひょうげん見当みあたらない。

かく実験じっけん[編集へんしゅう]

ロプノール周辺しゅうへん地域ちいきは、1964ねんからかく実験じっけんじょうとして使つかわれていた。このため、1950年代ねんだいから1960年代ねんだいにかけて軍事ぐんじじょう禁止きんし区域くいきとなったが、ロプノールのみずうみゆか実験じっけんじょうとなったことはない[19]1980年代ねんだい禁止きんし解除かいじょされてからは、ふたた探検たんけんしゃ学者がくしゃ、メディア、観光かんこうきゃくなどがおとずれるようになっている。

現在げんざい[編集へんしゅう]

塩田えんでんとされる構造こうぞうぶつ(2009/10)
ちょうあたりはおおよそ20km。ほぼ上方かみがたきた左下ひだりしたみみのようなロプノールのみずうみゆか。そのなかはぶけどう235号線ごうせんはしっている。

1952ねんタリムがわ孔雀くじゃくかわ人間にんげん介入かいにゅうによって分離ぶんりされ、終点しゅうてんみずうみカラコシュンのちタイテマうつり、ロプノールは 1964ねんまでにふたた干上ひあがった。1972ねんにティカンリクにだい西海子さいかいし貯水池ちょすいち建設けんせつされ、みずうみへの給水きゅうすい遮断しゃだんされた。その、すべてのみずうみだい部分ぶぶん干上ひあがり、タイテマの地元じもと窪地くぼちぶし限定げんていちいさなみずうみ形成けいせいされるだけとなった[20]。 タリム川下かわしも流域りゅういきへのみず喪失そうしつは、いわゆる「みどり回廊かいろう」を形成けいせいしていたタリム川下かわしも流域りゅういき沿って広範囲こうはんい分布ぶんぷしていたポプラりんタマリクス低木ていぼく劣化れっか消失しょうしつにもつながった。2000ねん生態せいたいけいのさらなる悪化あっかふせぐために、タイテマめるためにボステンみずうみからみず迂回うかいさせた[21]。しかし、砂漠さばく拡大かくだいもあり、タイテマ過去かこ40年間ねんかんに30~40キロメートル西にし移動いどうした。砂漠さばく不安定ふあんていのもうひとつの原因げんいんは、たきぎのためのポプラやヤナギの伐採ばっさいであった。これにおうじて、ポプラのもりもど修復しゅうふくプロジェクトが開始かいしされた[22]

ロプノールは、復活ふっかつ20世紀せいきなかばまでみずをたたえていたが、2010ねん現在げんざい干上ひあがっており、湖面こめん存在そんざいしない。この地域ちいき乾燥かんそうすすんだことや、タリムがわ上流じょうりゅうダム建設けんせつされたことなどが消滅しょうめつ一因いちいんかんがえられているが、たしかなことはわかっていない。

中国科学院ちゅうごくかがくいんによると、1959ねんには湖面こめん存在そんざい確認かくにんされていた[23]が、1972ねんにはすでに消滅しょうめつしていた[24]同院どういん完全かんぜん干上ひあがった時期じき1962ねん推定すいていしている[25]2004ねんには同院どういん現地げんち調査ちょうさによってロプノールの復活ふっかつほうじられたが、1km2ほどのちいさな湖面こめんぎず、翌年よくねんにはふたた消滅しょうめつした[4]

現在げんざいは、干上ひあがったみずうみゆか縦貫じゅうかんするしょうどう235号線ごうせん敷設ふせつされており、みずうみゆかおとずれるツアーなどもまれている。みずうみ中心ちゅうしんにはおおくの旅行りょこうしゃ探検たんけんによって湖心こしん到達とうたつ記念きねんするいしぶみてられており[26]、Googleの地図ちず航空こうくう写真しゃしん)でもその様子ようすがかろうじて確認かくにんできる。

  • 2002ねんころから、みずうみゆか東北とうほくはししょうどう235号線ごうせん沿った位置いちに「塩田しおだ」とされるきわめて巨大きょだい構造こうぞうぶつきずかれたことが、衛星えいせい画像がぞうによってあきらかになっている[27]硫酸りゅうさんカリウムなどをふく肥料ひりょう生産せいさんするプラントであるといわれており[28]、Googleの地図ちず航空こうくう写真しゃしん)ではかなり細部さいぶまでえる。肥料ひりょうはこぶため、ロプノールとハミ(クムル)むす鉄道てつどう建設けんせつされた[29]
  • 2010ねん11月の成都せいと商業しょうぎょうほうによると、中国科学院ちゅうごくかがくいんはロプノール地区ちく砂漠さばく対策たいさく計画けいかくしんローラン計画けいかく」の一環いっかんとして、ロプノールに人造湖じんぞうこ建設けんせつすることを計画けいかくしている[30]。タリム盆地ぼんち地下ちかには巨大きょだい水源すいげん存在そんざいするとの情報じょうほうもある[31]
  • 周辺しゅうへん一帯いったいはロプノル野生やせいラクダ国家こっか自然しぜん保護ほご設定せっていされており、砂漠さばくないへの自由じゆうりは禁止きんしされている[32]

参照さんしょう項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ ロプ・ノール、ロブ・ノール、ロプ、ロブとも。(ドイツ: Lop Norフランス語ふらんすご: Lob Nor英語えいご: Lop Nurウイグル: لوپنۇر‎、中国ちゅうごく: 罗布はく/ぬのはくモンゴル: Лоб нуур/ᠯᠣᠪ
    ᠨᠠᠭᠤᠷ
  2. ^ Wikipediaの言語げんごばんスウェーデンばんドイツばん英語えいごばんフランス語ふらんすごばんイタリアばんスペインばんポルトガルばん中国語ちゅうごくごばんモンゴルばんロシアばん)をても、「1600ねん周期しゅうきせつなどまったかれていない。これは日本にっぽん国内こくないでのみ発生はっせいした誤解ごかいである。

出典しゅってん

  1. ^ a b c d e f ヘディンちょ福田ふくだひろしねんわけ) 『さまよえるみずうみうえした)』 岩波いわなみ文庫ぶんこ、1990ねん ISBN 4-00-334523-1, ISBN 4-00-334524-X
  2. ^ a b 石井いしい良治よしはるみずうみがきえた(ロプ・ノールのなぞ)』 築地つきじしょかん、1988ねん ISBN 4-8067-1059-8
  3. ^ 「さまよえるみずうみ」のなぞいたヘディン:ロプ・ノールとろうらん - ディジタル・シルクロードプロジェクト 国立こくりつ情報じょうほうがく研究所けんきゅうじょ
  4. ^ a b 1600ねんみずたび〜ロプ・ノールとタリムがわ - みずだい事典じてんたびするみず」 SUNTORY
  5. ^ 井上いのうえ やすしろうらん新潮しんちょう文庫ぶんこ、1968ねん ISBN 978-4-10-106314-0単行たんこうばん講談社こうだんしゃ、1958ねん
  6. ^ 岩波いわなみ文庫ぶんこ#『さまよえるみずうみ誤解ごかいせつ問題もんだい
  7. ^ 訳者やくしゃ福田ふくだひろしねんは、井上いのうえやすし親族しんぞくで『ろうらん』もふくおおくの著作ちょさく解説かいせつ伝記でんき刊行かんこうしているので、解説かいせつまえたものとなっている。
  8. ^ スウェン・ヘディンちょ岩村いわむら しのぶ矢崎やさき秀雄ひでおわけ)『彷徨ほうこうへるみずうみ筑摩書房ちくましょぼう、1943ねん
  9. ^ せき くすのきせいわけ深田ふかた久弥ひさやえのき 一雄かずお監修かんしゅう)『ヘディン中央ちゅうおうアジア探検たんけん紀行きこう全集ぜんしゅう 10 さまよえるみずうみ白水しろみずしゃ、1964ねん
  10. ^ スウェン・ヘディン(ちょ岩村いわむら しのぶわけ)『さまよえるみずうみ角川かどかわ文庫ぶんこ、1968ねん
  11. ^ スヴェン・へディン(ちょ鈴木すずきあきらづくりわけ) 『さまよえるみずうみ中公ちゅうこう文庫ぶんこ、2001ねん ISBN 4-12-203922-3旧版きゅうばん旺文社おうぶんしゃ文庫ぶんこ、1975ねん
  12. ^ もちろん本文ほんぶんちゅうにそのような記述きじゅつまった存在そんざいしない。
  13. ^ スウェン・ヘディン(ちょ岩村いわむら しのぶわけ) 『中央ちゅうおうアジア探検たんけん角川かどかわ文庫ぶんこ、1953ねん
  14. ^ スヴェン・へディン(ちょ小野おの しのぶわけ) 『うまなかえい逃亡とうぼう中公ちゅうこう文庫ぶんこ、2002ねん ISBN 4-12-204015-9初出しょしゅつ改造かいぞうしゃ、1938ねん
  15. ^ スヴェン・ヘディン(ちょ西にし 義之よしゆきわけ) 『シルクロード』 中公ちゅうこう文庫ぶんこ、2003ねん ISBN 4-12-204187-2初出しょしゅつ旺文社おうぶんしゃ、1975ねん
  16. ^ 深田ふかた久弥ひさやえのき 一雄かずお監修かんしゅう) 『ヘディン中央ちゅうおうアジア探検たんけん紀行きこう全集ぜんしゅうぜん11かん白水しろみずしゃ、1964〜1966ねん : このなかだい10かん前述ぜんじゅつ白水しろみずしゃばん『さまよえるみずうみ』、だい11かん後述こうじゅつ自伝じでんである。
  17. ^ 金子かねこ民雄たみお 『ヘディンでん偉大いだいなシルクロードの探検たんけんしゃ)』 中公ちゅうこう文庫ぶんこ、1989ねん ISBN 4-12-201581-2初出しょしゅつ新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、1972ねん
  18. ^ 山口やまぐち四郎しろうわけ深田ふかた久弥ひさやえのき 一雄かずお監修かんしゅう) 『ヘディン中央ちゅうおうアジア探検たんけん紀行きこう全集ぜんしゅう 11 探検たんけんとしてのわが生涯しょうがい白水しろみずしゃ、1966ねん
  19. ^ Lop Nor - Chinese Nuclear Forces - June 14, 1998
  20. ^ Evolution of the Lop Desert and the Lop Nor (The Geographical Journal, 1984)
  21. ^ Quenching thirst in Tarim Basin [とうさと (China Daily, 2004)]
  22. ^ China Creates 'Man-made Oasis' Along Longest Inland River (Chinagate, 2007)
  23. ^ Xuncheng Xia, Sanbao Wu, The mysterious Lop Lake, Science Press, 1985
  24. ^ オウミア No.57-3 - 【世界せかい湖沼こしょう研究けんきゅう(4)】中国ちゅうごくにおける湖沼こしょう研究けんきゅう(2) えるみずうみ - 滋賀しがけん琵琶湖びわこ環境かんきょう科学かがく研究けんきゅうセンター ; リンクれだが、こちらにアーカイブされている。 → Archived 2010ねん8がつ17にち, at the Wayback Machine.
  25. ^ <さまよえるみずうみ>ロプノール完全かんぜん消滅しょうめつは1962ねん新疆しんきょうウイグル自治じち - レコードチャイナ 2008ねん12月26にち
  26. ^ 車椅子くるまいすで「うみ」 ロプノールをわたる - 人民じんみん中国ちゅうごく 2005ねん11がつごう
  27. ^ 彷徨ほうこうえるみずうみざんかげ、ロプ・ノール」 - JAXA 地球ちきゅう観測かんそく研究けんきゅうセンター
  28. ^ 世界せかい最大さいだい規模きぼ硫酸りゅうさんカリ生産せいさんプロジェクト、年産ねんさん120まんトン―新疆しんきょうウイグル自治じち - レコードチャイナ 2012ねん6がつ11にち
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  31. ^ 砂漠さばく地下ちかうみがある?渇水かっすいのタリム盆地ぼんち巨大きょだい地下水ちかすいげん可能かのうせい - レコードチャイナ 2015ねん9がつ22にち
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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

座標ざひょう: 北緯ほくい4010ふん 東経とうけい9035ふん / 北緯ほくい40.167 東経とうけい90.583 / 40.167; 90.583