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三浦 洸一(みうら こういち、1928年1月1日 - )は、日本の歌手。本名は、桑田 利康(くわた としやす)。
神奈川県三浦市出身。持ち歌は文芸を題材にして書かれた曲いわゆる「文芸歌謡」が多い。
歌唱法が実直であり、社歌や自治体制作の音頭など委託制作盤も多数吹き込んでいる。血液型はA型。
神奈川県三浦市三崎地区の浄土真宗本願寺派最福寺の三男・第四子(四人兄弟の末っ子)として出生。長兄は陸軍に入隊しビルマで戦死したため、次兄が住職を継ぐ。その次兄も1993年に死去し、現在は甥(次兄の長男)が住職を務めている。幼少期より厳格な祖父のもと、読経を学ぶ。
現在の三浦市立三崎小学校、市立横須賀商業学校を卒業。横須賀商業学校卒業後は陸軍予備隊に入隊。同時に神奈川県庁に入庁。
他に日本演歌大賞受賞経験がある。また、日本歌手協会監事を2007年まで務めた。
自動車の運転免許は所持しておらず、マネージャーや妻に運転を任せている。ビールが好物で、ゴルフにも頻繁に行っていた時期があった。
- さすらいの恋唄(1953年)
- 落葉しぐれ(1953年9月)
- 男なら(1954年3月)
- 慕情の唄(1954年6月)
- あれが空似というものか(1954年)
- 灯影のギター(1954年)
- 弁天小僧(1955年2月)
- 韋駄天道中(1955年)
- 北海だより(1955年)
- 珠はくだけず(1955年9月)
- ああダムの町 (1956年)
- 東京の人(1956年)日活映画同名主題歌
- 土岐音頭 (1957年) 共唱:市丸
- 踊子(1957年)
- 郵便船が来たとヨー(1957年)
- 三浦三崎のマドロスさん
- 街燈(1958年)
- 新ソーラン節(1958年)
- たくましき男(1958年)
- 旅愁はてなし(1958年)
- 舟唄(1958年)
- 純愛(1958年)
- 釧路の駅でさようなら(1958年8月)
- 哀愁の高速道路(ハイウエイ)(1958年)日活映画同名主題歌
- 三輛目の人(1958年)KRテレビドラマ同名主題歌
- 初恋(1958年)「たけくらべ」より
- 君よいずこに(1958年)
- 桜の園(1959年)1959年2月放送、同年8月レコード発売。
- われらの皇太子(1959年)皇太子御結婚奉祝歌(産経新聞社選定)
- 流転(1959年)聯合紙器(現レンゴー)提供、朝日放送テレビドラマ同名主題歌
- 星をみつめて歩く街(1959年)
- ジス音頭(1959年)神楽坂浮子とのデュエット 工業技術院選定(委託盤)
- 男の旅路(1960年)朝日放送テレビドラマ「商魂」主題歌
- 花ひととき(1961年5月)
- 青年の樹(1961年)週刊明星連載、東京放送テレビ連続ドラマ同名主題歌
- 異国の丘(1961年12月)
- 涯なき旅路(1962年)
- 新潟国体の歌(1962年) 安西愛子とのデュエット(委託盤)
- 昭栄製紙株式会社 社歌(1962年)(委託盤)
- この日のために(1962年) 安西愛子とのデュエット(1964年東京オリンピックの選定歌)
- よみがえる青春(1963年)
- 大江戸吹雪(1963年)
- 君ありて恋は悲しく(1963年)
- 洞爺湖畔の夕月に(1963年)委託盤であったが、ヒットによりレギュラー盤として発売される
- 若い日本(1963年) 安西愛子とのデュエット(国民の歌作成委員会選定)
- みどりの河(1964年)吉永小百合とのデュエット
- 八丈ごしゃめん花(1964年)三沢あけみとのデュエット
- 僕らは模範運転手(1964年)(委託盤)
- 新港ばやし(1964年)(委託盤)
- 信濃川(1964年) 安西愛子とのデュエット(委託盤)
- 青葉の笛(1965年)
- 住友銀行行歌(1965年)川崎静子とのデュエット(委託盤)
- 東京の人(1966年6月) 日活制作、TBSテレビ主題歌、柏木由紀子とのデュエット
- 東京踊り(1966年6月) 市丸とのデュエット
- 月よりの使者(1966年8月) 香山美子とのデュエット
- 愛のこだま(1967年4月)
- 旅路(1967年11月)
- 天と地と・天上の笛(1968年2月)海音寺潮五郎原作「天と地と」より
- のぞみあらたに(1968年9月)総理府制定、明治百年頌歌
- 北方領土の歌(1969年12月)
- とけろ港よ(1979年)
- 雨の潮来・雨情橋/旅の酒場で(1980年)
- ちぎれ雲/高瀬川旅情(スケッチ)(1982年)
- 恋ねぐら/おじさんの赤ちょうちん(1984年)
- 若き血に燃えて(1984年)「福澤諭吉」より
NHK紅白歌合戦出場歴
[編集]
- 唄祭けんか道中(1956年、宝塚映画)
- 唄祭母恋しぐれ(1956年、宝塚映画)
- 哀愁の高速道路(1958年、日活)
- 流転(1960年、松竹・京都)
- 味の素 ほんだし いりこだし(1980年代後半)当初は自ら出演。CMソング(商品名のみで実質サウンドロゴ)は後々も使われた。