さんとう重役じゅうやく

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さんとう重役じゅうやく』(さんとうじゅうやく)は、源氏げんじ鶏太けいたによる日本にっぽん小説しょうせつであり、どうさく原作げんさくとした1952ねん昭和しょうわ27ねん製作せいさく公開こうかい日本にっぽん長篇ちょうへん劇映画げきえいが、および『ぞくさんとう重役じゅうやく』『一等いっとう社員しゃいん さんとう重役じゅうやく兄弟きょうだいへん』の3さくのシリーズである。映画えいがばんは『しんさんとう重役じゅうやく』にはじまるだい2シリーズをんだ。

略歴りゃくれき概要がいよう[編集へんしゅう]

小説しょうせつさんとう重役じゅうやく』は、源氏げんじ鶏太けいたが1951ねん昭和しょうわ26ねん)8がつ12にちごうから1952ねん昭和しょうわ27ねん)4がつ13にちごうまで、週刊しゅうかんサンデさんで毎日まいにち』(毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ)に連載れんさいした、毎週まいしゅうみきりで長篇ちょうへん小説しょうせつ形式けいしき小説しょうせつであった。

さんとう重役じゅうやく」とは「サラリーマン重役じゅうやく」のことで、創業そうぎょう社長しゃちょうでもオーナー社長しゃちょうでもなく、一般いっぱん社員しゃいん意識いしきてきにも能力のうりょくてきにもさほどわりのない人物じんぶつ取締役とりしまりやく、あるいは社長しゃちょうになったことを[1]源氏げんじ鶏太けいたほんさくによってひろまったかたりである[1]ほんさく場合ばあいは、ぜん社長しゃちょう戦争せんそう協力きょうりょくしゃとされて公職こうしょく追放ついほうされ、おもいもよらなかった人物じんぶつ社長しゃちょうになるはなしである。

単行本たんこうぼんは、1951ねんのうちにまず1さつ毎日新聞社まいにちしんぶんしゃから刊行かんこうされ、よく1952ねんに『さんとう重役じゅうやく つづけ』、『さんとう重役じゅうやく 続々ぞくぞく』が刊行かんこうされたのちに、同年どうねん合本がっぽんさんとう重役じゅうやく』が刊行かんこうされている。1957ねん昭和しょうわ32ねん)には新潮しんちょう文庫ぶんこ採用さいようされた。⇒ #ビブリオグラフィ

ほんさく映画えいがされ、「さんとう重役じゅうやく」をえんじた河村かわむらはじむきちもさることながら、それにまわされる人事じんじ課長かちょうえんじた森繁もりしげ久彌ひさや人気にんきあつまり、シリーズされた。森繁もりしげ映画えいがスターにした最初さいしょ作品さくひんであり、原作げんさく源氏げんじ鶏太けいたも、『しんさんとう重役じゅうやく』をおなじ『サンデさんで毎日まいにちに1958ねん昭和しょうわ33ねん)11月2にちごうから1960ねん昭和しょうわ35ねん)6がつ19にちごうちょうきにわた連載れんさいすることとなった。それにともない、1959ねん昭和しょうわ34ねん)には森繁もりしげ主演しゅえんに『しんさんとう重役じゅうやく』が映画えいがされ、シリーズされた。

のちに、源氏げんじ鶏太けいた人気にんきはくした理由りゆうを「当時とうじなかくら重役じゅうやく社員しゃいんとのあいだ人間にんげん関係かんけい理想りそうゆめいた。それがよろこばれたのではないか」と分析ぶんせきしている[2]

小説しょうせつ[編集へんしゅう]

あらすじ[編集へんしゅう]

とある地方ちほう都市とし一流いちりゅう企業きぎょう南海なんかい産業さんぎょうぜん社長しゃちょう奈良なら追放ついほうされたため社長しゃちょういた桑原くわばら人事じんじ課長かちょうである浦島うらしま太郎たろうとも社内しゃない事件じけん社員しゃいん結婚けっこんとう問題もんだい解決かいけつしていく。

登場とうじょう人物じんぶつ[編集へんしゅう]

桑原くわばら
社長しゃちょう恐妻きょうさい戦争せんそうちゅう総務そうむ部長ぶちょうをしていた。
浦島うらしま太郎たろう
人事じんじ課長かちょう桑原くわばらからは老獪ろうかいであるとわれている。
若原わかはら
秘書ひしょ勤務きんむ加島かしまとは親友しんゆうであり、学校がっこうおなじ。
久保くぼあお
秘書ひしょ勤務きんむ以前いぜん経理けいり所属しょぞく
桑原くわばら千里せんり
桑原くわばらつま世話好せわずき。
桑原くわばら名代なだい
桑原くわばらむすめ
立野たての鶴子つるこ
奈良ならごう。「づるいえ」という料亭りょうてい経営けいえい
奈良なら
ぜん社長しゃちょう復帰ふっき直前ちょくぜん脳溢血のういっけつたおれる。「オールいかん」が口癖くちぐせ
奈良なら由起子ゆきこ
奈良ならむすめ。マグノリア美容びよういん経営けいえいしゃ
森山もりやま
社交しゃこう団体だんたい南海なんかいクラブの会員かいいん市会しかい議員ぎいん
森山もりやま亮助りょうすけ
森山もりやま息子むすこ当初とうしょ仕事しごとりは毎日まいにち遅刻ちこくし、定時ていじになるとすぐかえとうやるのなさが目立めだつ。その古沢ふるさわ出会であって真面目まじめになった。
古沢ふるさわ牧子まきこ
人事じんじ社員しゃいん
加島かしま次郎じろう
名代なだい交際こうさい相手あいて高砂たかさご機械きかい工業こうぎょう勤務きんむちち海山みやま商事しょうじ専務せんむ取締役とりしまりやく

映画えいが[編集へんしゅう]

さんとう重役じゅうやく[編集へんしゅう]

さんとう重役じゅうやく
Third Class Executives
監督かんとく 春原すのはら政久まさひさ
脚本きゃくほん 山本やまもと嘉次郎かじろう
井手いで俊郎としお
原作げんさく 源氏げんじ鶏太けいた
製作せいさくそう指揮しき 藤本ふじもと真澄ますみ
出演しゅつえんしゃ 河村かわむらはじむきち
森繁もりしげ久彌ひさや
音楽おんがく 松井まつい八郎はちろう
撮影さつえい 玉井たまい正夫まさお
製作せいさく会社かいしゃ 東宝とうほう
配給はいきゅう 東宝とうほう
公開こうかい 日本の旗 1952ねん5月29にち
上映じょうえい時間じかん 98ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
つぎさく ぞくさんとう重役じゅうやく
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さんとう重役じゅうやく』(さんとうじゅうやく)は、1952ねん昭和しょうわ27ねん製作せいさく同年どうねん5月29にち公開こうかい日本にっぽん長篇ちょうへん劇映画げきえいがである。森繁もりしげ久彌ひさや出演しゅつえんしたしん東宝とうほう製作せいさく配給はいきゅう映画えいがチャッカリ夫人ふじんとウッカリ夫人ふじん』の公開こうかいのわずか5にち公開こうかいされている。

スタッフ・作品さくひんデータ[編集へんしゅう]

キャスト[編集へんしゅう]

ぞくさんとう重役じゅうやく[編集へんしゅう]

ぞくさんとう重役じゅうやく
監督かんとく 鈴木すずき英夫ひでお
脚本きゃくほん 松浦まつうら健郎たけお
原作げんさく 源氏げんじ鶏太けいた
製作せいさく 東宝とうほう
製作せいさくそう指揮しき 藤本ふじもと真澄ますみ
出演しゅつえんしゃ 河村かわむらはじむきち
森繁もりしげ久彌ひさや
音楽おんがく 三木みきにわとりろう
撮影さつえい 飯村いいむらただし
編集へんしゅう 岩下いわした広一ひろかず
製作せいさく会社かいしゃ 東宝とうほう
配給はいきゅう 東宝とうほう
公開こうかい 日本の旗 1952ねん9月4にち
上映じょうえい時間じかん 99ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
前作ぜんさく さんとう重役じゅうやく
つぎさく 一等いっとう社員しゃいん さんとう重役じゅうやく兄弟きょうだいへん
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ぞくさんとう重役じゅうやく』(ぞくさんとうじゅうやく)は、1952ねん昭和しょうわ27ねん製作せいさく同年どうねん9月4にち公開こうかい日本にっぽん長篇ちょうへん劇映画げきえいがである。

スタッフ・作品さくひんデータ[編集へんしゅう]

キャスト[編集へんしゅう]

一等いっとう社員しゃいん さんとう重役じゅうやく兄弟きょうだいへん[編集へんしゅう]

一等いっとう社員しゃいん さんとう重役じゅうやく兄弟きょうだいへん
監督かんとく 佐伯さえき幸三こうぞう
脚本きゃくほん 松浦まつうら健郎たけお
原作げんさく 源氏げんじ鶏太けいた
製作せいさくそう指揮しき 藤本ふじもと真澄ますみ
出演しゅつえんしゃ 森繁もりしげ久彌ひさや
音楽おんがく 鈴木すずき静一せいいち
撮影さつえい 鈴木すずきひろし
編集へんしゅう 大井おおいみゆきづくり
製作せいさく会社かいしゃ 東宝とうほう
配給はいきゅう 東宝とうほう
公開こうかい 日本の旗 1953ねん1がつ3にち
上映じょうえい時間じかん 84ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
前作ぜんさく ぞくさんとう重役じゅうやく
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一等いっとう社員しゃいん さんとう重役じゅうやく兄弟きょうだいへん』(いっとうじゅうやく さんとうじゅうやくきょうだいへん)は、1952ねん昭和しょうわ27ねん製作せいさく1953ねん昭和しょうわ28ねん1がつ3にち公開こうかい日本にっぽん長篇ちょうへん劇映画げきえいがである。『さんとう重役じゅうやく』のシリーズであるが、原作げんさくは『さんとう重役じゅうやく』の源氏げんじ鶏太けいたによる短篇たんぺん一等いっとうサラリーマン』と『社員しゃいん食堂しょくどう開設かいせつ』である[3]

スタッフ・作品さくひんデータ[編集へんしゅう]

キャスト[編集へんしゅう]

ビブリオグラフィ[編集へんしゅう]

国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん所蔵しょぞうのもの[4]

  • 初出しょしゅつ : 『サンデさんで毎日まいにち連載れんさい毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1951ねん - 1952ねん
  • さんとう重役じゅうやく』、毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1951ねん
  • さんとう重役じゅうやく つづけ』、毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1952ねん
  • さんとう重役じゅうやく 続々ぞくぞく』、毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1952ねん
  • 合本がっぽんさんとう重役じゅうやく』、毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1952ねん - 以降いこう底本ていほん
  • さんとう重役じゅうやく』、新潮しんちょう文庫ぶんこ新潮社しんちょうしゃ、1957ねん / 1961ねん / 1979ねん ISBN 4101118019
  • さんとう重役じゅうやく』、東方とうほうしゃ、1962ねん
  • 源氏げんじ鶏太けいた全集ぜんしゅうだい1かん講談社こうだんしゃ、1965ねん
  • 現代げんだい長編ちょうへん文学ぶんがく全集ぜんしゅうだい32かん講談社こうだんしゃ、1968ねん
  • 源氏げんじ鶏太けいた自選じせん作品さくひんしゅうだい1かん講談社こうだんしゃ、1974ねん

関連かんれん事項じこう[編集へんしゅう]

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  1. ^ a b さんとう重役じゅうやくデジタル大辞泉だいじせん小学館しょうがくかんコトバンク、2009ねん11月13にち閲覧えつらん
  2. ^ かがや一筋ひとすじ精進しょうじん 紫綬しじゅ藍綬らんじゅ黄綬おうじゅ褒章ほうしょう受章じゅしょうしゃまる 源氏げんじ鶏太けいたさんら89にん朝日新聞あさひしんぶん』1976ねん昭和しょうわ51ねん)10がつ27にち夕刊ゆうかん、3はん、8めん
  3. ^ 一等いっとう社員しゃいんキネマ旬報きねまじゅんぽう、2009ねん11月13にち閲覧えつらん
  4. ^ 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんNDL-OPAC、「さんとう重役じゅうやく検索けんさく結果けっか国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、2009ねん11月13にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]