伊藤いとう栄樹えいき

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したがえさん
伊藤いとう栄樹えいき
検事けんじ総長そうちょう
任期にんき
1985ねん12月19にち – 1988ねん3がつ24にち
任命にんめいしゃだい2中曽根なかそね内閣ないかく
前任ぜんにんしゃ江幡えはた修三しゅうぞう
後任こうにんしゃ前田まえだひろし
個人こじん情報じょうほう
生誕せいたん (1925-02-03) 1925ねん2がつ3にち
愛知あいちけん
死没しぼつ (1988-05-25) 1988ねん5月25にち(63さいぼつ
出身しゅっしんこう東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法学部ほうがくぶ

伊藤いとう 栄樹えいき(いとう しげき、1925ねん2がつ3にち - 1988ねん5月25にち)は、日本にっぽん検事けんじ総長そうちょう東京とうきょう高検こうけん検事けんじちょう法務ほうむ事務次官じむじかん。「ミスター検察けんさつ」とばれた。名前なまえの「さかえ」のただしい表記ひょうききゅう字体じたいの「さかえ」。没後ぼつごしたがえさんおくられた。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

愛知あいちけん名古屋なごや出身しゅっしん[1]検察けんさつはたけわたあるつづけ、1985ねん検事けんじ総長そうちょう就任しゅうにん

就任しゅうにんのインタビューで「特捜とくそう検察けんさつ使命しめいきょあく退治たいじです。わたしたちが『きょあく』とたたか武器ぶき法律ほうりつです。検察官けんさつかんは『遠山とおやまきむさん』のような素朴そぼく正義せいぎかんをもちつづけなければなりません」とかたる。検事けんじたちに「きょあくねむらせるな、被害ひがいしゃともけ、国民こくみんうそをつくな」と訓示くんじ

検事けんじ総長そうちょう在職ざいしょく当時とうじ雑誌ざっし法令ほうれい』(1986ねん9がつ15にちごうだい1289ごう)にったエッセイで、北海道ほっかいどう制限せいげん速度そくどえる速度そくどでレンタカーを運転うんてんしたことをかし、物議ぶつぎかもした。

著書ちょしょで「検察けんさつ限界げんかい」ということで「法律ほうりつによる活動かつどう限界げんかい」と「ちから限界げんかいがある」をげている。日本にっぽん共産党きょうさんとう幹部かんぶたく盗聴とうちょう事件じけん関連かんれんして、「よそのくにはなし」「おとぎばなし」としながらも、「かり警察けいさつ自衛隊じえいたいというようなおおきな実力じつりょく部隊ぶたい組織そしき組織そしきてき犯罪はんざいおかしたような場合ばあいに、検察けんさつはこれと対決たいけつして犯罪はんざい処罰しょばつ目的もくてきたすことができるかどうかはあやしいとしなければならない」「警察けいさつのトップにいてみよう。目的もくてきのいかんをわず、警察けいさつ活動かつどう違法いほう手段しゅだんをとることは、すべきではないとおもわないか。どうしてもそういう手段しゅだんをとる必要ひつようがあるのなら、それを可能かのうにする法律ほうりつをつくったらよかろう」としている。

盲腸もうちょうがんとの闘病とうびょうつづった『ひとねばゴミになる』が死後しご出版しゅっぱんされた。(この「ひとねばゴミになる」というフレーズは、のちに「3ねんBぐみきんはち先生せんせいだい3シリーズ」ちゅう金八きんぱち生徒せいとかたりかけるなかでこのフレーズを否定ひていするシーンがある。なお、伊藤いとう語録ごろくのうち、「検事けんじだまされて成長せいちょうする」は、死後しご日本にほんテレビけいドラマ「検事けんじわかうら葉子ようこないでいかりや長介ちょうすけふんする検察けんさつ事務じむかんが「くなられた検事けんじ総長そうちょうっていた」としてかた場面ばめんがある。)

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

エピソード[編集へんしゅう]

  • 父親ちちおやだいいち世界せかい大戦たいせんまえからの船員せんいんそとこうせん機関きかんちょう)をつとめていた。母親ははおや病身びょうしんになったのち小学校しょうがっこう中学校ちゅうがっこう時代じだい伊藤いとうは、しばしばちちふね便乗びんじょうして船上せんじょう生活せいかつおくった。このあいだは、同船どうせんしていた高等こうとう商船しょうせん学校がっこう実習じっしゅうせいから勉強べんきょうおそわったという。[1]
  • 秋霜烈日しゅうそうれつじつ売春ばいしゅん汚職おしょく事件じけんかいにおいて、立松たてまつ和博かずひろ読売新聞よみうりしんぶん社会しゃかい記者きしゃ逮捕たいほつながった「衆議院しゅうぎいん議員ぎいん収賄しゅうわい容疑ようぎ召喚しょうかん必至ひっし」のネタもと捜査そうさ情報じょうほうをリークしていた人物じんぶつ特定とくていするためにながしたにせ情報じょうほうであったことをあきらかにした。このかい一連いちれん経緯けいいかしているが、ガセネタをながした人物じんぶつ捜査そうさ情報じょうほうをリークしていた人物じんぶつ名前なまえは「すっかりわすれてしまった」としてかさなかった。渡邉わたなべ文幸ふみゆきによると、ガセネタをながしたのは伊藤いとう本人ほんにん捜査そうさ情報じょうほうをリークしていたのは河井かわい信太郎しんたろう法務省ほうむしょう刑事けいじ課長かちょうであったとしている[2]
  • 一方いっぽう花岡はなおか信昭のぶあきによると、伊藤いとうかぎられた記者きしゃとの極秘ごくひ懇談こんだんこのんだ。懇談こんだん内容ないよう本当ほんとう意味いみオフレコで、はんしてひょうせば即座そくざ懇談こんだんからはずした[3]
  • 伊藤いとうによれば、東京とうきょう地検ちけん次席じせき検事けんじ時代じだいに、公判こうはん検事けんじ無罪むざい論告ろんこく指示しじしたことが2かいほどある(窃盗せっとう常習犯じょうしゅうはん被告人ひこくにんとなっていた事件じけん)。こうした事件じけんでは、被告人ひこくにん警察けいさつ親切しんせつにしてもらった御礼おれいとして、その警察けいさつ管内かんない検挙けんきょ事件じけん自分じぶんがやったと虚偽きょぎ自白じはくすることがあり、取調とりしら担当たんとう検事けんじがそれを見抜みぬけないとそのまま起訴きそされてしまうことがある。冤罪えんざいであることを事後じごてきった伊藤いとう無罪むざい論告ろんこく指示しじしたのである[4]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • 秋霜烈日しゅうそうれつじつ』(朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1988ねん
  • ひとねばゴミになる』(小学館しょうがくかん文庫ぶんこ、1998ねん単行本たんこうぼん新潮社しんちょうしゃ、1988ねん
  • 『だまされる検事けんじ』(立花たちばな書房しょぼう
  • 『まただまされる検事けんじ』(立花たちばな書房しょぼう
  • きょあくねむらせない 検事けんじ総長そうちょう回想かいそう』(朝日あさひ文庫ぶんこ、2020ねん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 山本やまもと祐司ゆうじ特捜とくそう検察けんさつ物語ものがたりうえ)(した)』(講談社こうだんしゃ、1998ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 伊藤いとう栄樹えいき『だまされる検事けんじ立花たちばな書房しょぼう、1982ねん、131,136ぺーじISBN 4-8037-4008-9 
  2. ^ 渡辺わたなべ文幸ふみゆき検事けんじ総長そうちょう』(初版しょはん中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょラクレ)(原著げんちょ2009ねん10がつ11にち)、p. 116ぺーじISBN 9784121503312 
  3. ^ 花岡はなおか信昭のぶあき 小沢おざわ秘書ひしょ逮捕たいほ検察けんさつは「民主党みんしゅとう政権せいけん」をきらった? / SAFETY JAPAN [花岡はなおか 信昭のぶあき / 日経にっけいBPしゃ 「検察けんさつ遠山とおやまきむさんたれ」]
  4. ^ 伊藤いとう栄樹えいき検事けんじ総長そうちょう回想かいそう朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1992ねん、98ぺーじISBN 4-02-260693-2 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]