松尾 邦弘
2004 | |
1942 | |
人物
[経歴
[東京 都 立戸 山 高等 学校 、東京大学 法学部 卒業 - 1965
年 (昭和 40年 )22歳 で司法 試験 合格 - 1966
年 (昭和 41年 )司法 修習 20期 (同期 に日弁連 副 会長 林 伸 豪 や明大 総長 納谷 廣美 )。 - 1968
年 (昭和 43年 )検事 任官 (東京 地方 検察庁 検事 )連続 企業 爆破 事件 、連合赤軍 事件 など著名 な公安 事件 を担当 。特捜 部 で、ロッキード事件 を担当 。贈賄 側 の丸紅 元 専務 だった伊藤 宏 から「田中 角栄 逮捕 」に直結 する供述 を引 き出 した。 - 1978
年 (昭和 53年 )法務省 刑事 局 付 - 1980
年 (昭和 55年 )在 ドイツ日本国 大使館 一等 書記官 - 1983
年 (昭和 58年 )在 ドイツ日本国 大使館 参事官 - 1983
年 (昭和 58年 )法務省 刑事 局 参事官 - 1984
年 (昭和 59年 )東京 地方 検察庁 検事 - 1985
年 (昭和 60年 )法務省 刑事 局 参事官 - 1988
年 (昭和 63年 )法務大臣 官房 参事官 (予算 担当 ) - 1989
年 (平成 元年 )法務省 刑事 局 刑事 課長 - 1991
年 (平成 3年 )法務省 刑事 局 総務 課長 - 1992
年 (平成 4年 )法務大臣 官房 人事 課長 - 1996
年 (平成 8年 )松山 地方 検察庁 検事正 - 1996
年 (平成 8年 )東京 地方 検察庁 次席 検事 - 1998
年 (平成 10年 )最高 検察庁 検事 - 1998
年 (平成 10年 )法務省 刑事 局長 -国会 で審議 中 の通信 傍受 法 案 をめぐり、TBSの筑紫哲也 NEWS23の訂正 要求 へ反論 した。 - 1999
年 (平成 11年 )法務 事務次官 - 2002
年 (平成 14年 )次長 検事 - 2003
年 (平成 15年 )東京 高等 検察庁 検事 長 - 2004
年 (平成 16年 )6月 25日 原田 明夫 の後任 として検事 総長 に就任 。「ひるむことのない検察 」を標榜 する。 - 2006
年 (平成 18年 )6月 30日 検事 総長 退任 (後任 は但木 敬一 ) - 2006
年 (平成 18年 )9月 弁護士 登録 - 2006
年 (平成 18年 )11月 松尾 邦弘 法律 事務所 開設 - 2007
年 (平成 19年 )3月 旭硝子 株式会社 取締役 - 2007
年 (平成 19年 )6月 トヨタ自動車 株式会社 社外 監査 役 就任 - 2007
年 (平成 19年 )駿河台大学 法科 大学院 専任 教授 (2007年 4月 ~) - 2008
年 (平成 20年 )三井物産 、損害 保険 ジャパン監査 役 - 2009
年 (平成 21年 ) バンダイナムコゲームスのニンテンドーDS用 ゲームソフト『有罪 ×無罪 』を監修 。裁判 員 制度 をゲーム化 したもの。小松製作所 監査 役 。 - 2011
年 (平成 23年 )ブラザ ー工業 株式会社 監査 役 - 2013
年 (平成 25年 )株式会社 日本 取引 所 グループ取締役 ・監査 委員 会 委員 長 、株式会社 テレビ東京 ホールディングス監査 役 、株式会社 セブン銀行 監査 役 [2]
そのほかエイベックス・グループ・ホールディングス
テレビ出演
[日経 スペシャル カンブリア宮殿 「巨 悪 で語 る、ニッポン -地検 特捜 部 の標的 とその時代 」(2006年 7月 10日 、テレビ東京 )[3]。
脚注
[- ^ a b
総務 省 行政 評価 局 行政 相談 課 編集 『行政 苦情 救済 推進 会議 のあゆみと成果 ――第 100回 開催 記念 』総務 省 行政 評価 局 行政 相談 課 、2015年 、5頁 。 - ^
大証 からのニュースリリース『株式会社 日本 取引 所 グループの発足 に向 けて』(PDF)(プレスリリース)日本 取引 所 グループ、2012年 10月 29日 。2014年 4月 29日 閲覧 。 - ^ 「
巨 悪 で語 る、ニッポン -地検 特捜 部 の標的 とその時代 」 -テレビ東京 2006年 7月 10日
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