佐伯さえき

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佐伯さえき
氏姓しせい 佐伯さえき宿禰すくね
大伴室屋おおとものむろや
種別しゅべつ かみべつ天神てんじん
著名ちょめい人物じんぶつ 佐伯さえきこんじん
後裔こうえい 佐伯さえきづくり
佐伯さえきくび
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佐伯さえき(さえきうじ)は、「佐伯さえき」をとする氏族しぞく


概要がいよう[編集へんしゅう]

天孫てんそん降臨こうりんとき彦火瓊々きねみこと先導せんどうしたてん押日おしびいのち(あめのおしひのみこと)をとし、大伴室屋おおとものむろやとき大伴おおともからわかれたかみべつ氏族しぞくである[1][2]王権おうけんつかえ、宮廷きゅうてい警備けいびとうにんにつくようになったのち外敵がいてきからの攻撃こうげきを「さえぎ(さへ)ぎるもの」という意味いみで「さへき」とばれるようになったとのせつがある(歴史れきしてき仮名遣かなづかいでは「さへき」、現代げんだい仮名遣かなづかでは「さえき」)。訛音かおんとして「さいき」(「さゐき」)がある。

中央ちゅうおうともづくりとして佐伯さえきひきい、宮門きゅうもん警備けいび武力ぶりょく勢力せいりょくとして朝廷ちょうていつかえた。ちなみに警備けいび担当たんとうした宮門きゅうもんは、氏族しぞくめいから「佐伯さえきもん」と名付なづけられたが、平安へいあんみやでは唐風とうふう文化ぶんか影響えいきょうから、「さへき」におとどおりする「かべ(そうへき)もん」とあらためられた[3]せいはじめ「れん」であったが、天武天皇てんむてんのう13ねん685ねん)に同族どうぞく大伴おおともひとしとともに「宿禰すくね」をたまものせいされた[4]しゅ殿しんがりりょうには殿しんがりひとつとして佐伯さえきのこる。

著名ちょめい出身しゅっしんしゃとしては中大兄皇子なかのおおえのおうじしたが蘇我入鹿そがのいるか殺害さつがいした佐伯さえき麻呂まろ奈良なら時代じだいから平安へいあん時代じだいにかけて官界かんかい活動かつどうし、参議さんぎ太宰だざいそち歴任れきにんした佐伯さえきこんじんがいる。また武人ぶじんおお輩出はいしゅつし、蘇我馬子そがのうまこしたがあな皇子おうじ誅殺ちゅうさつした佐伯さえきまことけいしゅ麻呂まろちち)、せい越後えちご蝦夷えぞ将軍しょうぐん佐伯さえきいしせいひがしふく将軍しょうぐん佐伯さえき葛城かつらぎいしまご)などがいる。

こんじんほかには政官せいかんのぼるものもなく[1]中流ちゅうりゅう貴族きぞくからやがて地下ちかかんじんへと没落ぼつらくしていった。戦国せんごく時代じだいころまではばん和気わけ百済くだらおうとともに、天皇てんのう即位そくいさいなどにける氏族しぞくとされていた[5]

佐伯さえきしょうする地下ちかには本草学ほんぞうがくもの小野おの蘭山あららぎやま輩出はいしゅつした小野おのひとしがある。また画家がかきし創設そうせつしたきしこま有栖川ありすがわみやいえつかえ、佐伯さえきしょうした。

同族どうぞく[編集へんしゅう]

佐伯さえきづくり[編集へんしゅう]

佐伯さえきづくり(-みやつこ)は、『新撰しんせん姓氏せいしろく右京うきょうかみべつじょうえ、旧姓きゅうせいは「佐伯さいき」。『日本書紀にほんしょき』によれば、市辺いちのべ押磐皇子おうじ(いちのへのおしはのみこ)の舎人とねり佐伯さえき仲子なかこ(さへきべのなかちこ)[6]後裔こうえいで、仁賢天皇にんけんてんのう5ねん2がつ5にちじょうに、諸国しょこく佐伯さいきあつめて管掌かんしょうさせたとある。

佐伯さえきくび[編集へんしゅう]

佐伯さえきくび(-おびと)は、『新撰しんせん姓氏せいしろく河内かわうちこくかみべつえる。

佐伯さえき[編集へんしゅう]

佐伯さえきしなである中央ちゅうおう佐伯さえき管掌かんしょうしており[7]地方ちほう佐伯さいき佐伯さえきただし管掌かんしょうした[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ.
  2. ^ 新撰しんせん姓氏せいしろく左京さきょうかみべつちゅう
  3. ^ 日本にっぽんりゃくひろしひとし9ねん818ねん)4がつ27にちじょう
  4. ^ 日本書紀にほんしょき天武天皇てんむてんのう13ねん12月2にちじょう
  5. ^ 田島たじまこう 「「爵」の成立せいりつ儀式ぎしき奉仕ほうし叙位じょい-」『りん』71-1、1988ねん 61p
  6. ^ 雄略天皇ゆうりゃくてんのう即位そくいぜん安康天皇あんこうてんのう3ねん10がつ1にちじょうに「佐伯さいきうり(-うるわ)」、別名べつめいなかしゅ(なかちこ)」とある。
  7. ^ "佐伯さえき". 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だい2はん. コトバンクより2021ねん12月19にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 佐伯さえきゆうきよし宮城みやぎじゅうもんごう古代こだい天皇てんのう近侍きんじ氏族しぞく」『新撰しんせん姓氏せいしろく研究けんきゅう研究けんきゅうへん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1963ねん4がつISBN 4642021108 
  • 佐伯さえきゆうきよし新撰しんせん姓氏せいしろく研究けんきゅう考證こうしょうへん だい2、吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1982ねん3がつISBN 4642021124 
  • 佐伯さえきゆうきよし新撰しんせん姓氏せいしろく研究けんきゅう考證こうしょうへん だい3、吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1982ねん7がつISBN 4642021132 
  • 佐伯さえきゆうきよし新撰しんせん姓氏せいしろく研究けんきゅう考證こうしょうへん だい4、吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1982ねん11月。ISBN 4642021140 
  • "佐伯さえき". 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ). コトバンクより2021ねん12月19にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]