(Translated by https://www.hiragana.jp/)
地下家 - Wikipedia コンテンツにスキップ

地下ちか

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

地下ちか(じげけ)は、昇殿しょうでんゆるされない廷臣ていしん家格かかく江戸えど時代じだいにはやく460いえあった。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

昇殿しょうでんとは天皇てんのう日常にちじょう生活せいかつである清涼せいりょう殿どのみなみひさしにある殿上てんじょうあいだのぼることで、公卿くぎょう以外いがい昇殿しょうでんゆるされたもの殿上人てんじょうびとゆるされないもの地下ちかじんといった。9世紀せいき平安へいあん時代じだい中期ちゅうき以降いこう昇殿しょうでんゆるされるかが朝廷ちょうてい身分みぶん制度せいどとして重要じゅうよう意味いみつようになったが、はじめは天皇てんのうとの私的してき関係かんけいもとづき、個人こじんゆるされるものであった。しかし、公家くげ社会しゃかいにおいて世襲せしゅう先例せんれい重視じゅうし傾向けいこうつよまるとともに、昇殿しょうでんゆるされるか、どの段階だんかいゆるされるかは、出自しゅつじ家格かかく)によっておおよそまるようになっていく。中世ちゅうせい以降いこうは、昇殿しょうでんゆるされるいえ堂上どうじょう)と昇殿しょうでんゆるされないいえ地下ちか)という家格かかくが、明確めいかく区分くぶんされるようになり、地下ちか概念がいねん成立せいりつした。のちには、地下ちか廷臣ていしんさんのぼっても昇殿しょうでんゆるされないようになった[1]

なお、ろく蔵人くろうどさい上位じょういであるごくを1だいで3つとめるか、3だい連続れんぞくつとめたいえ堂上どうじょうとなるれいがあったが、実例じつれいすくない。また、堂上どうじょう同様どうよう旧家きゅうか新家しんや区分くぶんがあったが、さくらまち天皇てんのう在位ざいい1735ねん - 1747ねん)の時代じだいにみだりに新家しんやてることが停止ていしされた。

維新いしん地下ちか原則げんそくとして士族しぞくれつしたが、地下ちか筆頭ひっとうかくであった押小路おしこうじ壬生みぶ堂上どうじょうじゅんじて、また、伊丹いたみ重賢しげかたあおれんいんみやしょ大夫たいふ)・尾崎おざき三良さぶろう三条さんじょうしょ大夫たいふ)・富井とみい政章まさあき聖護院しょうごいんみやぼうかん)は勲功くんこうにより華族かぞく男爵だんしゃく)にれっせられた。

地下ちかしょく

[編集へんしゅう]

地下ちか堂上どうじょう同様どうようしょく[2]ぎょう[3]であった。江戸えど時代じだいには地下ちかしょくきょくつとむだいそとうえくび押小路おしこうじ世襲せしゅう)・かんつとむひだりだいうえくび壬生みぶ世襲せしゅう)・蔵人所くろうどどころ出納すいとう平田ひらた世襲せしゅう)が、それぞれそとかたかんかた蔵人くろうどかた世襲せしゅうしょ役人やくにん管掌かんしょうし、朝廷ちょうてい各種かくしゅ行事ぎょうじ運営うんえいつかさどった(催官じん)。とくに、きょくつとむかんつとむならべてりょうきょくしょうされ、幕末ばくまつには出納すいとうくわえたさん催という言葉ことばあらわれた。

催官じんの3いえ以外いがい地下ちかかんじんは、なみかんじんばれ、さらにそのしたには儀式ぎしきなどのさい雑用ざつよう担当たんとうするしたかんじんばれる人々ひとびとがいた。なみかんじんろくから立身りっしんするのにたいして、したかんじんななもしくは史生ふみおから立身りっしんするのが通例つうれいであった。したかんじん一種いっしゅの「かぶ」のかたち身分みぶん売買ばいばいすることがおこなわれ(表面ひょうめんじょう買主かいぬし売主うりぬし養子ようしはい場合ばあいおおい)、また必要ひつよう人員じんいん確保かくほ理由りゆうとしたかんによる取立とりたておこなわれたため、京都きょうと周辺しゅうへん商人しょうにん農民のうみん社会しゃかいてき身分みぶん上昇じょうしょう生活せいかつかて仕事しごと)の獲得かくとくなどを目的もくてき地下ちかかんじん身分みぶんれいもあった(催官じんかんからの地下ちかじん補任ほにん申請しんせいがあれば、ほとんどの場合ばあいそのまま受理じゅりしていた)[4]したかんじん江戸えど時代じだい後期こうきあさ再興さいこうともな人手ひとで不足ふそくおぎなうために増員ぞういんされ、『地下ちか次第しだい』によればのべとおる5ねん1746ねん)には73めいであったものが、寛政かんせい8ねん1796ねん)には110めいよしみひさし2ねん1849ねん)には170めい増加ぞうかしている。

そとかた
だいそとそと史生ふみおぶん殿どの召使めしつかい少納言しょうなごんさむらい中務なかつかさしょう史生ふみおだい舎人とねりりょうどう史生ふみお内蔵ないぞうりょうかんじんどう史生ふみお造酒ぞうしゅ史生ふみおぬい殿どのりょうどう史生ふみお大膳だいぜんしょくどう史生ふみお大炊おおいりょう史生ふみお掃部りょううちじんかんじんひだりりょうみぎりょう兵庫ひょうごりょうどう史生ふみおさんしゃ使つかい
かんかた
ふみひだりだいみぎだいひだりしょうみぎしょう)、史生ふみおかんてのひら召使めしつかいべんさむらいうち舎人とねり内匠たくみりょう史生ふみお大蔵省おおくらしょうどう史生ふみお木工もっこうりょうどう史生ふみおしゅ殿しんがりりょうどうかんじんひだりせいかんじんみぎせいかんじん使つかい
蔵人くろうどかた
出納すいとう御蔵おぐらしょう舎人とねり蔵人所くろうどどころしゅどう行事ぎょうじしょ図書としょりょうどう史生ふみお内蔵ないぞうりょうかんじんどう史生ふみおしゅみずどう史生ふみおいんうけたまわつかまつ大仏だいぶつ絵所えどころ
その
検非違使けびいし楽人がくじん滝口たきぐち近衛府このえふいん陰陽いんようりょう内膳ないぜん厨子ずししょ上下じょうか御倉おぐらしょ
摂家せっけ宮家みやけ清華せいか大臣だいじん一部いちぶ羽林はばやし門跡もんぜきなどのしょ大夫たいふさむらい

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ) 地下ちか
  2. ^ せいしょく。世襲せしゅう官職かんしょく職業しょくぎょう。せしょく。(小学しょうがくかん『デジタル大辞泉だいじせん』)
  3. ^ せいぎょう。先祖せんぞから代々だいだいいできた仕事しごと事業じぎょう。せぎょう。(小学しょうがくかん『デジタル大辞泉だいじせん』)
  4. ^ 西村にしむら2008ねん)・174ページ

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]