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倉知くらちてつきち

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倉知くらちてつきち
外務がいむ官僚かんりょう時代じだい

倉知くらち てつきち(くらち てつきち、明治めいじ3ねん12月3にち[1]1871ねん1がつ23にち) - 昭和しょうわ19ねん1944ねん12月22にち[1])は、日本にっぽん外務がいむ官僚かんりょう貴族きぞくいんみことのりせん議員ぎいん錦鶏きんけいあいだ祗候しこう実業じつぎょう

経歴けいれき

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加賀かが藩士はんし倉知くらち行徳ぎょうとく長男ちょうなんとしてまれる[2]だいよん高等こうとう学校がっこうて、1894ねん明治めいじ27ねん)に東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法科ほうか大学だいがくえい法科ほうか卒業そつぎょうした[2]内務ないむぞくとなったが、1897ねん明治めいじ30ねん)に外務省がいむしょう参事官さんじかんてんじ、ドイツ公使館こうしかん書記官しょきかん統監とうかん書記官しょきかんなどを歴任れきにんした[1]1908ねん明治めいじ41ねん)、外務省がいむしょう政務せいむ局長きょくちょう就任しゅうにんし、1912ねん明治めいじ45ねん)には外務がいむ次官じかん昇進しょうしんした[1]政務せいむ局長きょくちょう次官じかん在任ざいにんちゅうにちしん協約きょうやくにち協約きょうやく韓国かんこく併合へいごう条約じょうやく改正かいせいなどにかかわった[1]

1913ねん大正たいしょう2ねん)に退官たいかんするとともに、貴族きぞくいんみことのりせん議員ぎいん(2がつ13にち[3])、錦鶏きんけいあいだ祗候しこう(2がつ14にち[4])ににんじられた。

同年どうねん来日らいにちしたまごぶん会談かいだんした渋沢しぶさわ栄一えいいちにちちゅう経済けいざい連携れんけいのために中国ちゅうごく興業こうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつするとふく総裁そうさい就任しゅうにんし、1914ねん大正たいしょう3ねん)に中日ちゅうにち実業じつぎょう株式会社かぶしきがいしゃ改組かいそしたのちつづふく総裁そうさいつとめた[1][2]1922ねん大正たいしょう11ねん)に中日ちゅうにち実業じつぎょう株式会社かぶしきがいしゃふく総裁そうさい退任たいにんしたが、1939ねん昭和しょうわ14ねん)まで取締役とりしまりやくとどまった[1]

また1911ねん明治めいじ44ねん)、にち協会きょうかい幹事かんじ就任しゅうにんし、常任じょうにん幹事かんじふく会頭かいとう歴任れきにんした[1]

その北海道ほっかいどう炭礦たんこう汽船きせん株式会社かぶしきがいしゃにしきはな紡績ぼうせき株式会社かぶしきがいしゃきた樺太からふと石油せきゆ株式会社かぶしきがいしゃ金剛山こんごうさん電気でんき鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ西にし鮮合どう電気でんき株式会社かぶしきがいしゃ太平洋たいへいよう海上かいじょう火災かさい保険ほけん株式会社かぶしきがいしゃなどの取締役とりしまりやくつとめた[1]墓所はかしょ青山あおやま霊園れいえん(1イ2-16)。

家族かぞく

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二女じじょ英子えいことその家族かぞく
  • 二女じじょ英子えいこ横浜よこはま電気でんき社長しゃちょう上野うえの吉二郎きちじろう三男さんなん(養子ようし)・上野うえの芳三郎よしさぶろう慶應義塾けいおうぎじゅくそつシトロエン自動車じどうしゃ販売はんばい勤務きんむ)のつま[5][6]
  • さんじょ洋画ようが木下きのした雅子まさこおっと洋画ようが木下きのしたよしけん[7]

栄典えいてん

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位階いかい
勲章くんしょうとう
外国がいこく勲章くんしょう佩用はいよう允許いんきょ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i せい四位倉知鉄吉位階追陞のけん」 アジア歴史れきし資料しりょうセンター Ref.A12090575500 
  2. ^ a b c 現代げんだい実業じつぎょう大観たいかん 1928.
  3. ^ 官報かんぽうだい161ごう大正たいしょう2ねん2がつ14にち
  4. ^ 官報かんぽうだい162ごう大正たいしょう2ねん2がつ15にち
  5. ^ 家族かぞく上野うえの吉二郎きちじろうでん上野うえの吉二郎きちじろうくん伝記でんき編纂へんさんかい、1933
  6. ^ 上野うえの吉二郎きちじろう人事じんじ興信録こうしんろくだい8はん [昭和しょうわ3(1928)ねん7がつ]
  7. ^ ひがしぶんけんアーカイブデータベース
  8. ^ 官報かんぽうだい8710ごう叙任じょにん及辞れい」1912ねん7がつ2にち
  9. ^ 官報かんぽうだい6265ごう叙任じょにん及辞れい」1904ねん5がつ21にち
  10. ^ 官報かんぽうだい205ごう付録ふろく辞令じれい」1913ねん4がつ9にち
  11. ^ 官報かんぽうだい4438ごう付録ふろく辞令じれい」1941ねん10がつ23にち
  12. ^ 官報かんぽうだい7475ごう叙任じょにん及辞れい」1908ねん5がつ29にち

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 大礼たいれい記念きねん出版しゅっぱん刊行かんこうかいへん現代げんだい実業じつぎょう大観たいかん大礼たいれい記念きねん出版しゅっぱん刊行かんこうかい、1928ねん 

関連かんれん項目こうもく

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  • はなまつり - 言葉ことば起源きげんとされる、1901ねんベルリンもよおされた「Blumen Fest(ブルーメンフェスト)」の発起人ほっきにん一人ひとり