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元木もとき泰雄やすお

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元木もとき 泰雄やすお(もとき やすお、1954ねん[1]12月7にち[2] - 2024ねん4がつ9にち)は、日本にっぽん歴史れきし学者がくしゃ学位がくいは、博士はかせ文学ぶんがく論文ろんぶん博士はかせ・1995ねん)(学位がくい論文ろんぶん院政いんせい政治せいじ研究けんきゅう」)。京都大学きょうとだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ兵庫ひょうごけん西宮にしのみや出身しゅっしん[3]

人物じんぶつ

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せんもん日本にっぽん中世ちゅうせいとくに、院政いんせいから鎌倉かまくら時代ときよにかけての中世ちゅうせい前期ぜんき政治せいじ教養きょうよう時代じだいうえ横手よこてまさたかしの『吾妻あづまきょう』の講読こうどく出席しゅっせきしたことがきっかけで、中世ちゅうせい前期ぜんき政治せいじ専攻せんこうするようになった[4]指導しどう教官きょうかんうえ横手よこてまさたかし大山おおやまたかしたいら[5]

経歴けいれき

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門下生もんかせい

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たんちょ

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監修かんしゅう編著へんちょ

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  • 日本にっぽん時代じだい7 院政いんせい展開てんかい内乱ないらん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2002ねん
  • 兵庫ひょうごけん歴史れきし山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、2004ねん
  • 古代こだい人物じんぶつ6 王朝おうちょう変容へんよう武者むしゃ清文せいぶんどう出版しゅっぱん、2005ねん
  • 日記にっき日本にっぽん中世ちゅうせいミネルみねるァ書房ぁしょぼう、2005ねん松薗まつぞのひとし共編きょうへんちょ
  • 図解ずかい 中世ちゅうせい革命かくめい 平清盛たいらのきよもり真実しんじつ朝日新聞あさひしんぶん出版しゅっぱん、2011ねん
  • 中世ちゅうせい人物じんぶつきょう鎌倉かまくら時代じだいへん だい1かん たもてもと平治へいじらんたいら栄華えいが清文せいぶんどう出版しゅっぱん、2014ねん
  • 日本にっぽん中世ちゅうせい政治せいじ制度せいど吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2020ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 元木もとき 泰雄やすお - 吉川弘文館よしかわこうぶんかん
  2. ^ 元木もとき 泰雄やすお (もとき やすお)教授きょうじゅ”. 京都きょうと大学だいがく. 2017ねん11月17にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん4がつ14にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 京都大きょうとだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ元木もとき泰雄やすおさんが死去しきょ、69さい 日本にっぽん中世ちゅうせい. 京都きょうと新聞しんぶん. (2024ねん4がつ10日とおか). https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1234517 2024ねん4がつ10日とおか閲覧えつらん 
  4. ^ 院政いんせい政治せいじ研究けんきゅう』、1996ねん、380ぺーじ
  5. ^ 院政いんせい政治せいじ研究けんきゅう』1996ねん、380ぺーじ
  6. ^ 元木もとき泰雄やすおさん死去しきょ 京都大きょうとだい名誉めいよ教授きょうじゅ日本にっぽん中世ちゅうせい前期ぜんき政治せいじ”. 東京とうきょう新聞しんぶん (2024ねん4がつ11にち). 2024ねん4がつ13にち閲覧えつらん
  7. ^ 中世ちゅうせい前期ぜんき政治せいじ構造こうぞう王家おうけ』2015ねん、220ぺーじ
  8. ^ 中世ちゅうせい公武こうぶ関係かんけい承久じょうきゅうらん』2015ねん、316ぺーじ

外部がいぶリンク

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