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光明こうみょう電気でんき鉄道てつどう

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光明こうみょう電気でんき鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
略称りゃくしょう ひかりでん光明こうみょう電車でんしゃ光明こうみょう電鉄でんてつ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
静岡しずおかけん磐田いわたぐん見付みつけまち3039-1[1]
設立せつりつ 1925ねん大正たいしょう11ねん)6がつ21にち [1]
業種ぎょうしゅ てつ軌道きどうぎょう
事業じぎょう内容ないよう 旅客りょかく鉄道てつどう事業じぎょう自動車じどうしゃまた船舶せんぱく[1]
代表だいひょうしゃ 専務せんむ 柳瀬やなせ寿ひさしどう[1]
資本しほんきん 390,000えん払込はらいこみがく[1]
関係かんけいする人物じんぶつ 白男川しらおがわゆずるかい(5代目だいめ社長しゃちょう
高鳥たかとりじゅんさく出資しゅっししゃ
特記とっき事項じこう上記じょうきデータは1935ねん昭和しょうわ10ねん)4がつ1にち現在げんざい[1]
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光明こうみょう電気でんき鉄道てつどう(こうみょうでんきてつどう)は、かつて静岡しずおかけん磐田いわたぐん中泉なかいずみまちげん磐田いわた中泉なかいずみ)の鉄道てつどうしょう東海道本線とうかいどうほんせん中泉なかいずみえきげん磐田いわたえき)に隣接りんせつするしん中泉なかいずみえきから、どうぐん二俣ふたまたまちげん浜松はままつ天竜てんりゅう二俣ふたまたまち)の二俣ふたまたまちえきまでの19.8kmをむす鉄道てつどう路線ろせん運営うんえいしていた会社かいしゃである。磐田いわたぐん光明こうめいむらげん浜松はままつ天竜てんりゅう船明ふなぎら(ふなぎら)まで開業かいぎょうさせることを目的もくてきとしたことから、この社名しゃめいとなった。

ほんこうでは、同社どうしゃ運営うんえいしていた鉄道てつどう路線ろせんについても記述きじゅつする。

歴史れきし[編集へんしゅう]

きたとおしゅう地域ちいき木材もくざいと、佐久間さくま地区ちく鉱山こうざん古河ふるかわ鉱業こうぎょう久根くね鉱山こうざん)からの鉱石こうせき輸送ゆそう目論もくろんで設立せつりつされた。会社かいしゃがわ構想こうそうでは最終さいしゅうてきには信州しんしゅう日本海にほんかいがわにいたるまでの壮大そうだい路線ろせんとなる予定よていであったが、これは出資しゅっししゃ獲得かくとくのためにだい風呂敷ふろしきひろげたにすぎないと推察すいさつされる[2]当時とうじ地方ちほう私鉄してつではよくあった行為こういで、きむめい鉄道てつどう大社たいしゃ宮島みやじま鉄道てつどうなどが類似るいじれい)。計画けいかくされた終点しゅうてん船明ふなぎら天竜川てんりゅうがわ水運すいうん要港ようこうであり、久根くね鉱山こうざんから産出さんしゅつされる鉱石こうせききたとおしゅう地域ちいき木材もくざいはいずれも当時とうじ天竜川てんりゅうがわ水運すいうん輸送ゆそうされていたため、鉱山こうざん木材もくざい産出さんしゅつ地域ちいきから船明ふなぎらまでは水運すいうんで、船明ふなぎらからは鉄道てつどう輸送ゆそうしようという目論見もくろみであった。しかし、えの手間てまがかかるほか、鉄道てつどう終点しゅうてん鉱山こうざんからはるかに下流かりゅう輸送ゆそうにならないとして、古河ふるかわ鉱業こうぎょうからの出資しゅっし運賃うんちん収入しゅうにゅうの6わり見込みこんでいた久根くね鉱山こうざんからの輸送ゆそうことわられてしまった。

しかし、一部いちぶ役員やくいん建設けんせつ強行きょうこうする。とはいえ事業じぎょう疑念ぎねんいだかれ資本しほんきんあつまらず、沿線えんせん町村ちょうそんちょうきついて資金しきんしてもらう有様ありさまで、そのうえ経営けいえいじん内紛ないふんこり工事こうじはなかなかすすまなかった。

1928ねん昭和しょうわ3ねん)にようやく一部いちぶ区間くかん開業かいぎょうさせたが、開通かいつう記念きねん式典しきてん関係かんけいしゃ重々おもおもしい雰囲気ふんいきだけがただよっていた。元々もともと収入しゅうにゅう見込みこめないまま見切みき発車はっしゃ開業かいぎょうさせたことにくわえ、さい新鋭しんえい電車でんしゃしんせいするなど無謀むぼう経営けいえい判断はんだんかさなって苦境くきょうたされた。結局けっきょく東武鉄道とうぶてつどう中古ちゅうこしゃけてかろうじて開業かいぎょうけたものの、そのような状態じょうたい二俣ふたまたまち - 船明ふなぎらあいだ建設けんせつ工事こうじ強行きょうこうしたうえに、開業かいぎょう区間くかんバスされて経営けいえい完全かんぜんまった。最終さいしゅうてきには電気でんき料金りょうきん滞納たいのうによって送電そうでん停止ていしいたり、資産しさん競売きょうばいけられ、出資しゅっししゃ一人ひとりである高鳥たかとりじゅんさく落札らくさつしてこうとりによる個人こじん経営けいえい路線ろせんとなった。しかしこうとり営業えいぎょう継続けいぞくする意思いしく、結局けっきょく廃止はいし手続てつづきがすすめられることになった。

電車でんしゃ富山とやま電気でんき鉄道てつどう現在げんざい富山とやま地方ちほう鉄道てつどう)に売却ばいきゃくすることにしたが、それが廃止はいしまえ(1935ねん9がつ20にちごろ搬出はんしゅつ開始かいし)だったことから当局とうきょくから厳重げんじゅう注意ちゅういされる一幕ひとまくもあった[3][4]電車でんしゃ運転うんてんすることができた運転うんてん当時とうじ貴重きちょう人材じんざいだったため、各地かくち鉄道てつどう会社かいしゃ転職てんしょくしてった。開業かいぎょうからはいせんまでわずか6ねんあまりであり、社長しゃちょう次々つぎつぎ交代こうたいするとう波乱はらんつづきのまま推移すいいし、社名しゃめいとあまりに対照たいしょうてきみじめな終焉しゅうえんぶりから「悲劇ひげき鉄道てつどう」「まぼろし鉄道てつどう」としてかたられることもおおい。なお、光明こうみょう電気でんき鉄道てつどう企図きとした久根くね鉱山こうざん鉱石こうせき輸送ゆそうは、のちに、三信さんしん鉄道てつどう中部ちゅうぶ天竜てんりゅうえき(1934ねん開業かいぎょう)からの鉄道てつどう輸送ゆそうに、舟運しゅううんからえられている。

年表ねんぴょう[編集へんしゅう]

初期しょきやしろあきら大正たいしょう時代じだい株券かぶけんやマンホールの刻印こくいんられる[5][6]。その昭和しょうわ初期しょきすくなくとも柳瀬やなせ寿ひさしどう専務せんむ時代じだいには冒頭ぼうとうやしろあきら使用しようしていた[7]
  • 1923ねん大正たいしょう12ねん)7がつ2にち 光明こうみょう電気でんき鉄道てつどうたい鉄道てつどう免許めんきょじょう下付かふ磐田いわたぐん中泉なかいずみまち-どうぐん光明こうめいむらあいだ[8]
  • 1925ねん大正たいしょう11ねん6月21にち 光明こうみょう電気でんき鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ創立そうりつ[9][10]
  • 1926ねん大正たいしょう15ねん4がつ14にち 起工きこう
  • 1928ねん昭和しょうわ3ねん11月20にち しん中泉なかいずみ - 田川たがわあいだ開業かいぎょう[11]
  • 1929ねん昭和しょうわ4ねん8がつ28にち 田川たがわ - 神田かんだ公園こうえんぜんあいだ開業かいぎょう[12]
  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん12月20にち 神田かんだ公園こうえんまえ - 二俣ふたまたまちあいだ開業かいぎょう[13]
  • 1931ねん昭和しょうわ6ねん
    • 2がつ12にち しん中泉なかいずみ-二俣ふたまたまちあいだ貨物かもつ運輸うんゆ開始かいし[9]
    • 5月 鉄道てつどう省線しょうせんとの貨物かもつ連携れんけい運輸うんゆ開始かいし
  • 1932ねん昭和しょうわ7ねん)2がつ15にち 抵当ていとうけんしゃ糸魚川いといがわ商会しょうかい[14]申請しんせいにもとづき強制きょうせい管理かんり[15]
  • 1933ねん昭和しょうわ8ねん
    • 1がつ 債権さいけんしゃから破産はさん勧告かんこくされ[16]抗告こうこくにより取消とりけし
    • 9月6にち 競売きょうばい決定けってい[17]
  • 1934ねん昭和しょうわ9ねん和議わぎ不成立ふせいりつ
  • 1935ねん昭和しょうわ10ねん
    • 7がつ9にち 高鳥たかとりじゅんさくへの競売きょうばい落札らくさつ承継しょうけい許可きょか[18][19]
    • 8がつ19にち 鉄道てつどう免許めんきょ取消とりけし(1923ねん7がつ2にち免許めんきょ 磐田いわたぐん二俣ふたまたまち-どうぐん光明こうめいむらあいだ 指定してい期限きげんマテニ工事こうじ着手ちゃくしゅセサルタメ)[20]
  • 1936ねん昭和しょうわ11ねん
    • 1がつ20日はつか 料金りょうきん滞納たいのうによる送電そうでん停止ていしにより全線ぜんせん運転うんてん休止きゅうし
    • 5月26にち 田川たがわ - 二俣ふたまたまちあいだ廃止はいし許可きょか[18][21]
    • 7がつ20日はつか しん中泉なかいずみ - 田川たがわあいだ廃止はいし許可きょか[18][22]
  • 1939ねん昭和しょうわ14ねん4がつ23にち 会社かいしゃ解散かいさん資産しさん競売きょうばい

路線ろせん概要がいよう[編集へんしゅう]

路線ろせんデータ[編集へんしゅう]

1936ねん昭和しょうわ11ねん)1がつ時点じてん

運行うんこうじょうきょう[編集へんしゅう]

1934ねん昭和しょうわ9ねん)7がつ改正かいせい

  • 運行うんこう本数ほんすうしん中泉なかいずみ - とおしゅう見付みつけあいだ21往復おうふくとおしゅう見付みつけ - 二俣ふたまたまちあいだ14往復おうふく
  • 所要しょよう時間じかんしん中泉なかいずみ - 二俣ふたまたまちあいだ37-40ふん

えき一覧いちらん[編集へんしゅう]

駅名えきめい廃止はいし時点じてんのもの

しん中泉なかいずみえき - 中泉なかいずみ二之宮にのみやえき[24] - とおしゅう見付みつけえき - 川原かわはらえき - 加茂かも東駅ひがしえき - さんいりえき - とおしゅう岩田いわたえき - 匂坂さぎさかえき - 入下にゅうしたえき - 寺谷てらがいえき - 掛下かけしたえき - 平松ひらまつえき - 神増かんぞえき - 上神増かみかんぞえき - 田川たがわえき - 上野部かみのべえき[25] - 神田かんだ公園前こうえんまええき - 二俣ふたまたくちえき - 二俣ふたまたまちえき

接続せつぞく路線ろせん[編集へんしゅう]

事業じぎょうしゃめい廃止はいし時点じてんのもの

車両しゃりょう[編集へんしゅう]

デハ11
東武とうぶデハ5(保存ほぞんしゃ)。デハ2・7と同時どうじ製造せいぞうされた同型どうけいしゃ

当初とうしょ計画けいかくでは電車でんしゃ10りょう貨車かしゃ80りょう導入どうにゅうする計画けいかくだったが、その電車でんしゃ貨車かしゃとも5りょうずつに変更へんこう最終さいしゅうてき電車でんしゃ3りょう貨車かしゃ4りょうとなった。

 デハ10かたち
デハ11・12
16mきゅう木造もくぞうダブルルーフ車体しゃたいで、運輸省うんゆしょう公文書こうぶんしょないには東武鉄道とうぶてつどうデハ2・7れたものとされているが、『光明こうみょう電気でんき鉄道てつどうはいせんあとたずねて』によれば「東武鉄道とうぶてつどうからの貸出かしだし実績じっせきはなく東武鉄道とうぶてつどう自身じしん車両しゃりょう不足ふそくである」としるされているほか、デハ11・12とも1928ねん蒲田かまた車輌しゃりょうせいであり、東武とうぶデハ2・7は日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう東京とうきょう支店してんせい製造せいぞうしょ一致いっちせず、実際じっさい東武鉄道とうぶてつどうからのしゃではないと推察すいさつされる。デハニ13のように蒲田かまた車輌しゃりょうから新車しんしゃとして購入こうにゅうしたものかはしょう
デハニ13
1928ねん蒲田かまた車輌しゃりょうせい荷物にもつごうづくりしゃで、こちらは新造しんぞうしゃだった。外観がいかんはほぼデハ11・12と同一どういつしゅ電動でんどうは65馬力ばりき三菱みつびしMB64-Dを4装備そうびしている。
とう鉄道てつどう運転うんてん休止きゅうしは3りょうとも富山とやま電気でんき鉄道てつどう売却ばいきゃくされて、デハ11・12はモハ300かたち301・302、デハニ13はモニ310かたち311となり、同社どうしゃせん現在げんざい富山とやま地方ちほう鉄道てつどう本線ほんせん系統けいとう運用うんようされた。1943ねん富山とやま電気でんき鉄道てつどう戦時せんじ合併がっぺい富山とやま地方ちほう鉄道てつどうとなり3りょうとも同社どうしゃがれる。戦後せんごの1949ねん富山とやま日本海にほんかいドックではがねたい改造かいぞう、モハ301・302は荷物にもつごうづくりしゃがされ、モニ311あわせてどういち形式けいしきのモニ6570がた(モハ301→モニ6571・モハ302→モニ6572・モニ311→モニ6573)となった。このとき、モニ6571・6572の荷物にもつしつ客室きゃくしつ仕切しきりは着脱ちゃくだつ自在じざいとなっており、荷物にもつしつ部分ぶぶんにはたた収納しゅうのう可能かのうなロングシートの座席ざせき網棚あみだなもうけられ、客室きゃくしつとしても使つかえるようになっていた。改造かいぞう機関きかんしゃ代用だいよう荷物にもつ電車でんしゃとして使用しようされ、1969ねん廃車はいしゃ

輸送ゆそう収支しゅうし実績じっせき[編集へんしゅう]

年度ねんど 乗客じょうきゃくひと 貨物かもつりょう(トン) 営業えいぎょう収入しゅうにゅうえん 営業えいぎょうえん 益金えききんえん その損金そんきんえん 支払しはらい利子りしえん 政府せいふ補助ほじょきんえん
1928 8,867 0 1,073 1,872 ▲ 799 12,852 0
1929 181,639 0 24,602 52,280 ▲ 27,678 ざつそん11,433 34,988 46,908
1930 189,682 0 20,176 51,941 ▲ 31,765 ざつそん3,299 64,309 55,258
1931 218,168 3,799 39,301 63,859 ▲ 24,558 ざつそん48,799 101,899 59,023
1932 199,946 8,700 48,094 63,882 ▲ 15,788 ざつそん14,761 88,706 51,583
1933 198,382 8,516 36,182 54,900 ▲ 18,718 ざつそん7,273 73,658 1,670
1934 215,017 5,409 33,401 54,503 ▲ 21,102 ざつそん2,280 23,275 0
  • 鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう鉄道てつどう統計とうけいかく年度ねんどばん

はいせん[編集へんしゅう]

プラットフォーム1めんのこ二俣ふたまたこうえきあと(2014ねん9がつ)。画像がぞうおく天竜てんりゅう浜名湖はまなこ鉄道てつどう天竜浜名湖線てんりゅうはまなこせん天竜二俣てんりゅうふたまたえき
終着駅しゅうちゃくえき二俣ふたまたまちえきあと

光明こうみょう電気でんき鉄道てつどう田川たがわえき - 二俣ふたまたくちえきあいだはいせん跡地あとちは、1940ねん昭和しょうわ15ねん)に鉄道てつどうしょう二俣線ふたまたせん野部のべえき - 遠江二俣とおとうみふたまたえきあいだげん天竜てんりゅう浜名湖はまなこ鉄道てつどう天竜浜名湖線てんりゅうはまなこせん豊岡とよおかえき - 天竜二俣てんりゅうふたまたえきあいだ)が建設けんせつされるさい敷設ふせつ用地ようちとして転用てんようされ、途中とちゅうにあった伊折いおりトンネル、神田かんだトンネルはそのまま現在げんざいいたるまで使用しようされている。伊折いおりトンネルと神田かんだトンネルの天井てんじょう付近ふきんには架線かせんっていた金具かなぐのこっている。このうち、神田かんだトンネルはくに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい登録とうろくされている。なお、同線どうせんには1955ねん昭和しょうわ30ねん)に上野部かみのべえき新設しんせつされたが、光明こうみょう電気でんき鉄道てつどう野部のべえき位置いちではなく、神田かんだ公園前こうえんまええきがあった付近ふきんかれている。天竜二俣てんりゅうふたまたえき構内こうないはずれには二俣ふたまたくちえきあとのプラットホームがのこっており、2016ねん(平成へいせい28ねん)に浜松はままつ地域ちいき遺産いさん認定にんていされた。そこからさき区間くかん阿蔵あぞうトンネルがほぼ当時とうじのままのこされているが、りょう坑口こうこう民有みんゆう敷地しきちないとなっており、さらにおくでは落盤らくばんによる崩落ほうらく発生はっせいしている。二俣ふたまたまちえきあたりには現在げんざい秋野あきの不矩ふき美術館びじゅつかんてられているが、線路せんろえき痕跡こんせき消失しょうしつしている。

そのさき未成みせいせんわった区間くかんは、大谷おおや地区ちく一部いちぶ路盤ろばんのこっている。そのおくにあった大谷おおやトンネルはみなみ坑口こうこう市民しみんもり遊歩道ゆうほどう整備せいびともなてられているものの、きた坑口こうこうふかやぶおおわれながらも現存げんそんしている。ただし、坑口こうこうすぐのところで天井てんじょう崩壊ほうかいしており内部ないぶりは不可能ふかのうである。それよりさき最終さいしゅう目的もくてきであった船明ふなぎらえきまでの築堤ちくていみなみ半分はんぶん区画くかく整理せいり事業じぎょうともな整地せいちによりうしなわれたが、きた半分はんぶん国道こくどう152ごうのバイパス用地ようちとなった。

ちなみに、大谷おおやトンネルは太平洋戦争たいへいようせんそう初期しょきぐん弾薬だんやく後期こうき日本にっぽん楽器がっき製造せいぞうげんヤマハ)の疎開そかい工場こうじょうとして使つかわれた。

一方いっぽうしん中泉なかいずみえきげん磐田いわたえき構内こうない)から野部のべえきげん豊岡とよおかえき)までのはいせん跡地あとち一部いちぶ宅地たくち田畑たはたになっているものの道路どうろとして辿たどれる部分ぶぶんおおい。この区間くかんにあった路線ろせんちゅう最長さいちょう気賀きがざかトンネルは西側にしがわ坑口こうこう一部いちぶ残存ざんそんしているものの、東側ひがしがわ坑口こうこう静岡しずおかけんどう44ごう磐田いわた天竜てんりゅうせん改良かいりょう工事こうじともな完全かんぜん土中どちゅう埋没まいぼつしている。しかしトンネル落盤らくばんによる地盤じばん陥没かんぼつおそれがあるため、トンネルの真上まうえたる部分ぶぶん一部いちぶ県道けんどうわき防水ぼうすいシートにおおわれた細長ほそなが更地さらちとなっており[26]間接かんせつてき存在そんざいしのぶことができる。磐田いわたえき周辺しゅうへんはいせんあと近年きんねんだい規模きぼ区画くかく整理せいり実施じっしによりほとんど消滅しょうめつしているが、以前いぜんえきかられるカーブした線路せんろあと市道しどうとしてのこっている場所ばしょ存在そんざいした。

なお、とう路線ろせんたような経路けいろとおてつバス30 磐田いわた天竜てんりゅうせん磐田いわたえき - 二俣ふたまたまち - 山東さんとうむすんでいる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f 地方ちほう鉄道てつどう及軌どう一覧いちらん : 専用せんよう鉄道てつどう. 昭和しょうわ10ねん4がつ1にち現在げんざい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  2. ^ 1930ねん経営けいえいじんなかりょうえつ銀行ぎんこう関係かんけいしゃ竹内たけうち啓三けいぞう頭取とうどり)、竹内たけうち省三しょうぞう取締役とりしまりやく)、菅谷すがやしげる監査かんさやく越後えちご銀行ぎんこう頭取とうどりけん大和川やまとがわ銀行ぎんこう取締役とりしまりやく岩崎いわさき徳五郎とくごろうなど新潟にいがた富山とやま人物じんぶつがみられる(『日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく. だい38かい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  3. ^ 山崎やまざきひろし光明こうみょう電気でんき鉄道てつどう」89ぺーじ
  4. ^ それにたいして高鳥たかとりじゅんさく将来しょうらい営業えいぎょう開始かいしする場合ばあい電気でんき動力どうりょく廃止はいしして蒸気じょうき機関きかんまたはガソリン機関きかんにすると回答かいとうしている(「電動でんどう客車きゃくしゃ譲渡じょうとけん」『だい一門いちもん監督かんとく地方ちほう鉄道てつどう・イ、免許めんきょ高鳥たかとりじゅんさく経営けいえい営業えいぎょう廃止はいし昭和しょうわじゅうねん昭和しょうわじゅういちねん国立こくりつ公文書こうぶんしょかん デジタルアーカイブ で画像がぞう閲覧えつらん
  5. ^ 鈴木すずき直之なおゆきまぼろし光明こうみょう電鉄でんてつ磐田いわた谷島やじま書店しょてん、1989ねん、グラフぺーじ 
  6. ^ いわた文化財ぶんかざいだより だい196ごう” (PDF). 磐田いわた教育きょういく委員いいんかい教育きょういく文化財ぶんかざい. 2022ねん3がつ29にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん12月4にち閲覧えつらん
  7. ^ 鈴木すずき直之なおゆきまぼろし光明こうみょう電鉄でんてつ磐田いわた谷島やじま書店しょてん、1989ねん、81ぺーじ 
  8. ^ 鉄道てつどう免許めんきょじょう下付かふ」『官報かんぽう』1923ねん7がつ4にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  9. ^ a b 地方ちほう鉄道てつどう及軌どう一覧いちらん 昭和しょうわ10ねん4がつ1にち現在げんざい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  10. ^ 日本にっぽん全国ぜんこくしょ会社かいしゃ役員やくいんろく. だい34かい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  11. ^ 地方ちほう鉄道てつどう運輸うんゆ開始かいし」『官報かんぽう』1928ねん11月24にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  12. ^ 地方ちほう鉄道てつどう運輸うんゆ開始かいし」『官報かんぽう』1929ねん9がつ7にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  13. ^ 地方ちほう鉄道てつどう運輸うんゆ開始かいし」『官報かんぽう』1930ねん12月26にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  14. ^ 事項じこう類纂るいさん判例はんれいだいしゅう. だいかん 抵當ていとう關係かんけい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  15. ^ 鉄道てつどう財団ざいだん強制きょうせい管理かんり開始かいし決定けっていづけ申出もうしでかた」『官報かんぽう』1932ねん2がつ15にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  16. ^ 1がつ21にち破産はさん宣告せんこく破産はさん宣告せんこく」『官報かんぽう』1933ねん1がつ25にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  17. ^ 鉄道てつどう財団ざいだん競売きょうばい期日きじつ」『官報かんぽう』1933ねん9がつ12にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  18. ^ a b c かず久田ひさた康雄やすお私鉄してつハンドブック』電気でんきしゃ研究けんきゅうかい、1993ねん、p.113 および 私鉄してつハンドブック』正誤せいごひょう (PDF)
  19. ^ 鉄道てつどう統計とうけい資料しりょう. 昭和しょうわ10年度ねんど国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  20. ^ 鉄道てつどう免許めんきょ取消とりけし」『官報かんぽう』1935ねん8がつ22にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  21. ^ 鉄道てつどう一部いちぶ営業えいぎょう廃止はいし」『官報かんぽう』1936ねん5がつ29にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  22. ^ 鉄道てつどう一部いちぶ営業えいぎょう廃止はいし」『官報かんぽう』1936ねん7がつ22にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  23. ^ 管内かんない電気でんき事業じぎょう要覧ようらん. だい11かい国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)
  24. ^ 二之宮にのみやえき」と表記ひょうきされている資料しりょうあり。
  25. ^ 現在げんざい天竜浜名湖線てんりゅうはまなこせん上野部かみのべえきとはべつ位置いち
  26. ^ 改良かいりょう工事こうじまえ県道けんどうはこのトンネル真上まうえ部分ぶぶんとおっていた。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]