多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ (たぶんかしゅぎ、英 えい : multiculturalism )という用語 ようご は、政治 せいじ 哲学 てつがく 、社会 しゃかい 学 がく や日常 にちじょう 生活 せいかつ では、基本 きほん 的 てき に「民族 みんぞく 多元 たげん 主義 しゅぎ 」と同義語 どうぎご である。他 ほか にも大 おお きな集団 しゅうだん 内 ない にある小 ちい さな集団 しゅうだん が、異 こと なる文化 ぶんか でありながらも大 おお きな集団 しゅうだん に馴染 なじ んでいることを意味 いみ する、文化 ぶんか 多元 たげん 主義 しゅぎ を意味 いみ することもある[1] 。
政治 せいじ 哲学 てつがく としての多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ には、様々 さまざま なイデオロギー や政策 せいさく がある[2] 。多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ は「サラダボウル」や「文化 ぶんか 的 てき モザイク 」と表現 ひょうげん され[3] 、「人種 じんしゅ のるつぼ 」とは対照 たいしょう 的 てき である[4] 。ある国家 こっか 内 ない で異 い 民族 みんぞく の文化 ぶんか を等 ひと しく尊重 そんちょう し、異 い 民族 みんぞく の共存 きょうぞん を積極 せっきょく 的 てき に図 はか っていこうとする思想 しそう 、運動 うんどう 、政策 せいさく [5] 。
多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ への懐疑 かいぎ や否定 ひてい は、グローバリゼーション 派 は やアイデンティティ政治 せいじ 派 は らは「反 たん リベラル だとバッシングを受 う け、タブーとされてきた。しかし、移民 いみん 先 さき への同化 どうか させない「寛容 かんよう 」な多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 政策 せいさく は、結局 けっきょく はイスラム教 いすらむきょう 圏 けん をルーツに持 も つ人々 ひとびと を中心 ちゅうしん に、移民 いみん 先 さき で世俗 せぞく 的 てき 先進 せんしん 国 こく の現地 げんち 語 ご や文化 ぶんか にも習得 しゅうとく せず、移民 いみん 元 もと の「氏族 しぞく 社会 しゃかい 」や法体 ほうたい 系 けい を維持 いじ し、宗教 しゅうきょう やテロ思想 しそう に傾倒 けいとう する非 ひ 世俗 せぞく 主義 しゅぎ 者 しゃ が多数 たすう 出 で て、移民 いみん 先 さき 社会 しゃかい の分断 ぶんだん を生 う んだ。移民 いみん 先 さき 社会 しゃかい への統合 とうごう の失敗 しっぱい 、福祉 ふくし などによる財政 ざいせい 的 てき 負担 ふたん 増加 ぞうか 、国内 こくない における社会 しゃかい 結束 けっそく の亀裂 きれつ ・相互 そうご 信頼 しんらい の揺 ゆ らぎは、移民 いみん 先 さき 先進 せんしん 国 こく におけるリベラリズム ・世俗 せぞく 主義 しゅぎ ・民主 みんしゅ 主義 しゅぎ ・言論 げんろん の自由 じゆう という考 かんが えをも脅 おど かしている。「多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 」を推進 すいしん した欧州 おうしゅう の国 くに では、主 おも に居住 きょじゅう 国 こく の価値 かち 観 かん よりムスリムコミュニティーを重視 じゅうし する移民 いみん との文化 ぶんか 戦争 せんそう から、2010年代 ねんだい に多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ や「ダイバーシティ を尊重 そんちょう 」は失敗 しっぱい だったと判明 はんめい した各 かく 先進 せんしん 国 こく で、方向 ほうこう 転換 てんかん や批判 ひはん 政党 せいとう の台頭 たいとう が起 お こっている[6] [7] [8] [9] 。
知識 ちしき 人 じん 層 そう は、イスラム教 いすらむきょう 圏 けん からの移民 いみん 出身 しゅっしん 者 しゃ も、移民 いみん 先 さき の先進 せんしん 国 こく で長年 ながねん 暮 く らすと、「自由 じゆう 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 的 てき 価値 かち 観 かん になじみ、それを受容 じゅよう するはず」と想定 そうてい していた。しかし、実際 じっさい には、彼等 かれら のかなりが言論 げんろん の自由 じゆう や男女 だんじょ 平等 びょうどう など移民 いみん 先 さき 国 こく との価値 かち 観 かん を共有 きょうゆう せず、宗教 しゅうきょう を優先 ゆうせん している。欧州 おうしゅう の学者 がくしゃ やマスコミは、「政治 せいじ 的 てき な正 ただ しさ」(ポリティカル・コレクトネス)に過敏 かびん になっており、「移民 いみん 受 う け入 い れ」に肯定 こうてい 的 てき 意見 いけん や調査 ちょうさ 結果 けっか は積極 せっきょく 的 てき に報道 ほうどう する一方 いっぽう 、否定 ひてい 的 てき なものには「報道 ほうどう しない自由 じゆう 」を行使 こうし してきた。旧来 きゅうらい の欧州 おうしゅう の価値 かち 観 かん を共有 きょうゆう しない非 ひ 世俗 せぞく 主義 しゅぎ 移民 いみん の増加 ぞうか で、自由 じゆう 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ や世俗 せぞく 主義 しゅぎ の欧州 おうしゅう は自 じ 死 し を遂 と げつつある[10] 。
政策 せいさく としての事例 じれい [ 編集 へんしゅう ]
多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ は、1970年代 ねんだい から、数 すう カ国 かこく で政策 せいさく に適用 てきよう されてきた。国 くに によって、その理由 りゆう はさまざまである。
カナダ・トロント にある多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ の記念 きねん 碑 ひ 。 同一 どういつ の彫刻 ちょうこく が4つ存在 そんざい しており、その彫刻 ちょうこく は南 みなみ アフリカ のバッファローシティ (英語 えいご 版 ばん ) にある
カナダにおける多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ の考 かんが え方 かた が初 はじ めて明確 めいかく に述 の べられたのは1964年 ねん 、カナダ進歩 しんぽ 保守党 ほしゅとう の上院 じょういん 議員 ぎいん ポール・ユージック (英語 えいご 版 ばん ) の上院 じょういん 議会 ぎかい における初 はつ 演説 えんぜつ の中 なか であった。また、主 おも にケベック州 しゅう のみに集中 しゅうちゅう しているフランス語 ふらんすご 話者 わしゃ の不満 ふまん に応 こた える形 かたち で1963年 ねん 、政府 せいふ はカナダ王立 おうりつ 委員 いいん 会 かい を開 ひら き、二 に 言語 げんご 及 およ び二 に 文化 ぶんか 問題 もんだい (英語 えいご 版 ばん ) についての検討 けんとう を重 かさ ねた。この動 うご きを受 う けて1971年 ねん に多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ が正式 せいしき に政策 せいさく として採用 さいよう された。王立 おうりつ 委員 いいん 会 かい は報告 ほうこく 書 しょ の中 なか で、「カナダ政府 せいふ はカナダが二 に 言語 げんご 及 およ び二 に 文化 ぶんか によって構成 こうせい される社会 しゃかい であることを認識 にんしき し、この性格 せいかく を維持 いじ するための政策 せいさく を実施 じっし すべきである」と提唱 ていしょう した。
その後 ご 、この二 に 文化 ぶんか 主義 しゅぎ (英語 えいご 版 ばん ) は多方面 たほうめん からの批判 ひはん に晒 さら されることになった。確 たし かにインド では既 すで に多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ が採 と り入 い れられていたが、西洋 せいよう 諸国 しょこく では前例 ぜんれい がなく、カナダが初 はじ めて採用 さいよう することになったためである。
進歩 しんぽ 保守党 ほしゅとう の党首 とうしゅ ジョン・ディーフェンベーカー は、多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ がカナダ固有 こゆう の文化 ぶんか や伝統 でんとう を守 まも っていこうとする自身 じしん の姿勢 しせい と相反 あいはん するものとみなしていた。また、当時 とうじ はケベック・ナショナリズム (英語 えいご 版 ばん ) に惹 ひ かれる若 わか いフランス語 ふらんすご 話者 わしゃ が増 ふ え続 つづ けていたが、二 に 文化 ぶんか 主義 しゅぎ はこうした若者 わかもの たちを満足 まんぞく させるものでもなかった。
英語 えいご やフランス語 ふらんすご といった言語 げんご 圏 けん を問 と わず、多 おお くのカナダ人 じん が二 に ヶ国 かこく 語 ご を併用 へいよう する二 に 文化 ぶんか 主義 しゅぎ の新 しん 政策 せいさく を嫌 きら っていたが、最大 さいだい の反対 はんたい 勢力 せいりょく は英語 えいご 系 けい でもフランス語 ふらんすご 系 けい でもなく、いわゆる「第 だい 三 さん 勢力 せいりょく 」と呼 よ ばれた異 い 文化 ぶんか を持 も つ少数 しょうすう 派 は のカナダ人 じん であった。カナダ西部 せいぶ の州 しゅう におけるフランス語 ふらんすご 話者 わしゃ の人口 じんこう は、その他 た の言語 げんご 話者 わしゃ (北京 ぺきん 語 ご といった中国 ちゅうごく 系 けい 、ヒンディー語 ご といったインド 系 けい 、日本語 にほんご といった東 ひがし アジア系 けい など)と比 くら べると少数 しょうすう であり、二 に 文化 ぶんか 主義 しゅぎ が現実 げんじつ に即 そく しているとは言 い えなかった。こういった少数 しょうすう 派 は の便宜 べんぎ を図 はか るため、政策 せいさく の基本 きほん 方針 ほうしん は「二 に 言語 げんご 二 に 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 」から「二 に 言語 げんご 多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 」へと移 うつ った。
自由党 じゆうとう 政権 せいけん のピエール・トルドー は1971年 ねん 10月8日 にち 、下院 かいん にて「二 に 言語 げんご の骨格 こっかく に収 おさ まる多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 政策 せいさく 実施 じっし の声明 せいめい 」を発表 はっぴょう 。ブライアン・マルルーニー 率 ひき いる進歩 しんぽ 保守党 ほしゅとう 政権 せいけん が1998年 ねん 7月 がつ 21日 にち に勅許 ちょっきょ を受 う けて可決 かけつ した多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ に関 かん する決議 けつぎ 書 しょ (英語 えいご 版 ばん ) の先駆 さきが けとなった。
実務 じつむ レベルでは、連邦 れんぽう 政府 せいふ によって各 かく 少数 しょうすう 民族 みんぞく に対 たい する文化 ぶんか 保護 ほご を目的 もくてき とした基金 ききん の交付 こうふ が開始 かいし された。基金 ききん の主 おも な支援 しえん 先 さき としては、民族 みんぞく 舞踊 ぶよう の競技 きょうぎ 会 かい や各 かく 民族 みんぞく のための交流 こうりゅう 施設 しせつ の建造 けんぞう などが挙 あ げられる。これらはトルドーが掲 かか げた「公平 こうへい な社会 しゃかい 」の実現 じつげん を目的 もくてき としたものというより、単 たん に選挙 せんきょ の得票 とくひょう 目当 めあ てであったのではないかと言 い う批判 ひはん を呼 よ んでいる。ブライアン・マルルーニー率 ひき いる進歩 しんぽ 保守党 ほしゅとう が1984年 ねん の選挙 せんきょ で勝利 しょうり した後 のち にも、多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 政策 せいさく が覆 くつがえ ることはなかった。ただし、マルルーニー政権 せいけん 発足 ほっそく 以前 いぜん から進歩 しんぽ 保守党 ほしゅとう の党員 とういん らは、政権 せいけん が党是 とうぜ であるカナダ固有 こゆう の文化 ぶんか と伝統 でんとう を保持 ほじ する姿勢 しせい と乖離 かいり していることを批判 ひはん していた。特 とく にトリニダード・トバゴ 出身 しゅっしん の知識 ちしき 人 じん ニール・ビスーンダス (英語 えいご 版 ばん ) は、多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ を政府 せいふ の基本 きほん 方針 ほうしん とすることに反対 はんたい している[11] 。
歴代 れきだい のカナダ政府 せいふ は政治 せいじ 信条 しんじょう もしくは公平 こうへい 性 せい の観点 かんてん から、多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ が「社会 しゃかい 的 てき あるいは文化 ぶんか 的 てき な障壁 しょうへき を打 う ち破 やぶ り、結果 けっか として国益 こくえき に資 し するものだ」と主張 しゅちょう し続 つづ けており、「国家 こっか をまとまりのあるものにしていく上 うえ では政治 せいじ 的 てき に偏 かたよ った思想 しそう ではないのか」と疑問 ぎもん 視 し する立場 たちば から距離 きょり を置 お いてきた。
カナダ国民 こくみん の多 おお くは、多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ が国民 こくみん から「カナダ人 じん らしさ」を奪 うば い、その気 き になればあらゆる集団 しゅうだん が各々 おのおの の独自 どくじ 性 せい を根拠 こんきょ に異 こと なる(むしろ特別 とくべつ な)待遇 たいぐう を要求 ようきゅう しかねないという危険 きけん 性 せい を認 みと める一方 いっぽう で、政策 せいさく 自体 じたい は人々 ひとびと を一 ひと つの共通 きょうつう した価値 かち 観 かん で結 むす び付 つ けており、結果 けっか として国家 こっか への帰属 きぞく 意識 いしき を高 たか めているという見方 みかた を支持 しじ している。しかしながら、同 どう 政策 せいさく に対 たい しては批判 ひはん もある。2007年 ねん に発表 はっぴょう されたトロント大学 だいがく の調査 ちょうさ によると、最近 さいきん の非 ひ 白人 はくじん 系 けい 移民 いみん の多 おお くは、自 みずか らを「カナダ人 じん である」とはみなしていないという[12] 。
カナダは1982年 ねん にイギリスから法的 ほうてき な面 めん で完全 かんぜん に独立 どくりつ を果 は たしたが、その際 さい に制定 せいてい されたカナダ自主 じしゅ 憲法 けんぽう (英語 えいご 版 ばん ) にある『カナダにおける権利 けんり と自由 じゆう の憲章 けんしょう (英語 えいご 版 ばん ) 』[13] 第 だい 27節 せつ の中 なか に、多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ の政策 せいさく 方針 ほうしん が追加 ついか されることになった。
アメリカの歴史 れきし 学者 がくしゃ ダイアン・ラヴィッチ (英語 えいご 版 ばん ) は、アメリカにおける「人種 じんしゅ のるつぼ」とカナダの「文化 ぶんか のモザイク」について論 ろん じ、どちらとも多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ ではあるが前者 ぜんしゃ は「共存 きょうぞん 的 てき 」、後者 こうしゃ は「自治 じち 的 てき 」であると区別 くべつ した。ラヴィッチによると、左記 さき の二 ふた つの多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ には次 つぎ のような相違 そうい 点 てん があるという。まず共存 きょうぞん 的 てき 多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ は、各自 かくじ の文化 ぶんか やサブカルチャー が社会 しゃかい 全体 ぜんたい の文化 ぶんか と渾然一体 こんぜんいったい となり、固有 こゆう で有益 ゆうえき な貢献 こうけん をしている(共存 きょうぞん している)と捉 とら える。その一方 いっぽう で自治 じち 的 てき 多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ は、むしろ文化 ぶんか 間 あいだ の差異 さい を維持 いじ する志向 しこう 性 せい があるのだという
オーストラリアは、カナダとほぼ同様 どうよう の多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ を採用 さいよう している。それゆえ、カナダにおいて見 み られるような多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 政策 せいさく が数多 かずおお く実施 じっし されており、その一 いち 例 れい としてSBS が挙 あ げられるだろう。
1970年代 ねんだい 、白人 はくじん 以外 いがい の移民 いみん を事実 じじつ 上 じょう 禁止 きんし することを旨 むね とした政策 せいさく (白 はく 豪 つよし 主義 しゅぎ )がゴフ・ホイットラム 政権 せいけん によって捨 す て去 さ られ、これが契機 けいき となってオーストラリアに多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ が根付 ねつ いた。とはいえ、この政策 せいさく 転換 てんかん はオーストラリアがイギリスから分離 ぶんり し、国家 こっか としての主体性 しゅたいせい を確立 かくりつ する過程 かてい の一 いち 側面 そくめん に過 す ぎなかったという指摘 してき もある。
オーストラリアにおける「多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 」の考 かんが え方 かた (定義 ていぎ )は、白 はく 豪 つよし 主義 しゅぎ を捨 す て去 さ った当初 とうしょ に比 くら べると大 おお きく変化 へんか している。元々 もともと は、一部 いちぶ の移民 いみん が異 こと なる文化 ぶんか 圏 けん の出身 しゅっしん 者 しゃ だとしても、オーストラリア社会 しゃかい との関係 かんけい を容認 ようにん しようという程度 ていど のものだったが、現在 げんざい では異 こと なる「文化 ぶんか 圏 けん 」の存在 そんざい 自体 じたい をオーストラリア社会 しゃかい の中 なか に容認 ようにん しようというものに変 か わっている。現在 げんざい 、このオーストラリアにおける「多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 」の考 かんが え方 かた は、国民 こくみん の多 おお くがそれぞれ多様 たよう な文化 ぶんか 的 てき ・民族 みんぞく 的 てき 背景 はいけい を持 も ち、またこの現状 げんじょう を承認 しょうにん しているという事実 じじつ を引 ひ き合 あ いに出 だ す際 さい にしばしば用 もち いられる。
オーストラリア移民 いみん 多 た 文化 ぶんか 省 しょう は2005年 ねん 、同 どう 国内 こくない における労働 ろうどう 力 りょく の25%が国外 こくがい 出身 しゅっしん 者 しゃ であり、40%が少 すく なくとも片親 かたおや が国外 こくがい 出身 しゅっしん 者 しゃ であると推定 すいてい している。
オーストラリアにおける最初 さいしょ の多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ に関 かん する国策 こくさく は1978年 ねん 、マルコム・フレーザー 首相 しゅしょう (当時 とうじ )率 ひき いる自由党 じゆうとう 政権 せいけん によって実施 じっし された。一連 いちれん の政策 せいさく は、次 つぎ にボブ・ホーク 労働党 ろうどうとう 政権 せいけん に引 ひ き継 つ がれた。1990年代 ねんだい 初頭 しょとう 、ポール・キーティング 労働党 ろうどうとう 政権 せいけん は多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ を支持 しじ する姿勢 しせい を崩 くず さなかったが、オーストラリアの前 ぜん 首相 しゅしょう ジョン・ハワード は、「国家 こっか としての主体性 しゅたいせい を国民 こくみん 全体 ぜんたい で共有 きょうゆう するべきだ」という理念 りねん の下 した 、多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ に批判 ひはん 的 てき である。とはいえ、多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 的 てき な政策 せいさく は何 なん の変更 へんこう もなく存続 そんぞく している。ただし、アンドリュー・ボルト (英語 えいご 版 ばん ) に代表 だいひょう される保守 ほしゅ 派 は の新聞 しんぶん コラムニストらは、国家 こっか 的 てき な同化 どうか 政策 せいさく の必要 ひつよう 性 せい を主張 しゅちょう している。
スウェーデン においては、公式 こうしき には1975年 ねん に多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 的 てき な政策 せいさく に取 と り組 く み始 はじ めた。この政策 せいさく が取 と られる10年 ねん ほど前 まえ から、スウェーデンは深刻 しんこく な労働 ろうどう 者 しゃ 不足 ふそく に見舞 みま われ、同時 どうじ に他 た の北欧 ほくおう (スカンジナビア)諸国 しょこく やポーランド 、南 みなみ ヨーロッパ 、中東 ちゅうとう からの移民 いみん が増加 ぞうか していた。このため、1979年 ねん までにスウェーデンの全 ぜん 在住 ざいじゅう 者 しゃ の11%が国外 こくがい 出身 しゅっしん 者 しゃ となった。これを受 う けてスウェーデン政府 せいふ は、移民 いみん に対 たい して国内 こくない で働 はたら く条件 じょうけん としてスウェーデン語 ご を話 はな すことを要求 ようきゅう し、同時 どうじ に大学 だいがく の学外 がくがい 講座 こうざ として(スウェーデン語 ご の)語学 ごがく 研修 けんしゅう を無料 むりょう で受 う けられるようにした。
複数 ふくすう の自治体 じちたい と大都市 だいとし における一部 いちぶ の地区 ちく においては、住民 じゅうみん の大 だい 多数 たすう がスウェーデン語 ご を話 はな さず、文化 ぶんか 的 てき にもスウェーデンと馴染 なじ まないような地域 ちいき が生 う まれた。そこで国 くに は、移民 いみん の子 こ ども達 たち がスウェーデン語 ご を学 まな ぶための教室 きょうしつ を各 かく 学校 がっこう に創設 そうせつ し、他方 たほう で移民 いみん らの出身 しゅっしん 国 こく に応 おう じた言語 げんご (=スウェーデン語 ご 以外 いがい の言葉 ことば )による教育 きょういく を与 あた える試 こころ み母国 ぼこく 語 ご プログラム[14] を放課後 ほうかご の補習 ほしゅう として開始 かいし した。これらの多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 的 てき な政策 せいさく は、現 げん 政権 せいけん によって絶 た えず批判 ひはん に晒 さら されており、再 さい 検討 けんとう の段階 だんかい に入 はい っている。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく [ 編集 へんしゅう ]
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく では政府 せいふ の
政策 せいさく として多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ を採用 さいよう しておらず、一部 いちぶ の州 しゅう 政府 せいふ が英語 えいご とスペイン語 ご の二 に 言語 げんご 常用 じょうよう を採用 さいよう しているのみである。しかし近年 きんねん では、アメリカ政府 せいふ は多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ を支持 しじ する傾向 けいこう にある。例 たと えばカリフォルニア州 しゅう では、カナダの多 おお くの州 しゅう と同 おな じように、運転 うんてん 免許 めんきょ を取 と る際 さい に試験 しけん の言語 げんご を選択 せんたく することが出来 でき る。
保守党 ほしゅとう の政権 せいけん 下 か (1979年 ねん から1997年 ねん の間 あいだ )では、多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 的 てき な発言 はつげん は左派 さは 陣営 じんえい の中 なか でのみ主張 しゅちょう されるに留 とど まっていた。しかし、1997年 ねん 以降 いこう の労働党 ろうどうとう 政権 せいけん の発足 ほっそく 以降 いこう 、政府 せいふ の政策 せいさく や発言 はつげん は多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ の影響 えいきょう を受 う けている。現 げん 政策 せいさく の先駆 さきが けとなったものとしては、1965年 ねん の制定 せいてい 以降 いこう 修正 しゅうせい 案 あん が加 くわ え続 つづ けられている「人種 じんしゅ 関係 かんけい 法 ほう 」や同様 どうよう に1948年 ねん に制定 せいてい された「イギリス国籍 こくせき 法 ほう 」などが挙 あ げられる。近年 きんねん はアラブ系 けい 移民 いみん の増加 ぞうか によって西欧 せいおう 的 てき 価値 かち 観 かん とイスラム的 てき 価値 かち 観 かん の摩擦 まさつ が問題 もんだい 化 か している。2011年 ねん 2月 がつ にデーヴィッド・キャメロン 首相 しゅしょう は「国 くに としての多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ は失敗 しっぱい した」と公式 こうしき に発言 はつげん した[15] 。多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 政策 せいさく に否定 ひてい 的 てき な態度 たいど を取 と る最近 さいきん の批評 ひひょう 家 か としては、ウガンダ 生 う まれのヨーク 大 だい 主教 しゅきょう ジョン・センタムやパキスタン生 う まれのロチェスター教区 きょうく 主教 しゅきょう マイケル・ナジラリなどが挙 あ げられる。
マレ まれ ー半島 はんとう は、国際 こくさい 的 てき な貿易 ぼうえき やりとりの歴史 れきし が長 なが く、半島 はんとう の民族 みんぞく 的 てき や宗教 しゅうきょう 的 てき な成 な り立 た ちに影響 えいきょう をもたらしている。18世紀 せいき 以前 いぜん はマレー人 じん が支配 しはい 的 てき だったのに対 たい し、イギリス人 じん が新 あたら しい産業 さんぎょう と共 とも に中国人 ちゅうごくじん やインド人 じん 労働 ろうどう 者 しゃ を導入 どうにゅう した際 さい に、民族 みんぞく 構成 こうせい が激 はげ しく変化 へんか した。ペナン州 しゅう やマラッカ 、シンガポール など当時 とうじ のイギリス領 りょう マラヤ に属 ぞく するいくつかの地域 ちいき は、中国人 ちゅうごくじん が大 だい 部分 ぶぶん を占 し めるようになった。インド、中国 ちゅうごく 、マレーの3つの民族 みんぞく とその他 た 少数 しょうすう 民族 みんぞく グループ間 あいだ の共存 きょうぞん は、マレー人 じん の人口 じんこう 統計 とうけい や文化 ぶんか 的 てき な位置付 いちづ けに影響 えいきょう したにもかかわらず、主 しゅ として平和 へいわ 的 てき である。
マラヤ連邦 れんぽう 独立 どくりつ 以前 いぜん は、マレーシア社会 しゃかい 契約 けいやく (英語 えいご 版 ばん ) が新 あたら しい社会 しゃかい の基礎 きそ として交渉 こうしょう されていた。マレーシア憲法 けんぽう (英語 えいご 版 ばん ) にも反映 はんえい されたその契約 けいやく は、移民 いみん 達 たち に市民 しみん 権 けん が与 あた えられることやマレー人 じん に特別 とくべつ な権利 けんり が保障 ほしょう されていることが述 の べられている。この政策 せいさく はよくブミプトラ政策 せいさく と呼 よ ばれている。
マレーシア連邦 れんぽう 国 こく 自体 じたい の設立 せつりつ は「人種 じんしゅ の数学 すうがく 」で重荷 おもに を負 お わされてきた。当時 とうじ の首相 しゅしょう トゥンク・アブドゥル・ラーマン は、サラワク州 しゅう とボルネオ島 とう 北部 ほくぶ (英語 えいご 版 ばん ) が認可 にんか されない限 かぎ り、シンガポールも連邦 れんぽう の一部 いちぶ として認 みと めないとしていた。その首相 しゅしょう の主張 しゅちょう の根拠 こんきょ には、シンガポールの包含 ほうがん による新 あたら しい連邦 れんぽう 国 こく は、マレー人 じん を代償 だいしょう にして中国人 ちゅうごくじん を新 あたら しく多数 たすう 派 は 勢力 せいりょく にしてしまうという懸念 けねん があった。その一方 いっぽう で、ボルネオ島 とう にあるそれらの州 しゅう を含 ふく めば、マレー人 じん を多数 たすう 派 は として維持 いじ できることが背景 はいけい にあった。
民族 みんぞく 間 あいだ の緊張 きんちょう は1963年 ねん のマレーシア国 こく 設立 せつりつ と共 とも に続 つづ いた。人民 じんみん 行動 こうどう 党 とう の元 もと 率 ひき いられたシンガポールと統一 とういつ マレー国民 こくみん 組織 そしき に率 ひき いられた連邦 れんぽう 政府 せいふ との間 あいだ には社会 しゃかい 契約 けいやく に関 かん する議論 ぎろん が絶 た えず、このマレー人 じん と中国人 ちゅうごくじん 間 あいだ の緊張 きんちょう は、後 のち にシンガポールで1964年 ねん の人種 じんしゅ 暴動 ぼうどう (英語 えいご 版 ばん ) を引 ひ き起 お こすこととなった。この暴動 ぼうどう は、部分 ぶぶん 的 てき にマレーシアからのシンガポール追放 ついほう (英語 えいご 版 ばん ) を促 うなが すものとなった。同 おな じ頃 ごろ 、マレーシアではマラヤ非常 ひじょう 事態 じたい (英語 えいご 版 ばん ) として知 し られる共産党 きょうさんとう による反乱 はんらん が起 お こっていた。この紛争 ふんそう は、中国人 ちゅうごくじん 支持 しじ のマラヤ共産党 きょうさんとう とイギリスが後 うし ろ盾 たて になっていたマレー人 じん 支持 しじ 政府 せいふ との間 あいだ によるものと捉 とら えられている[16] 。
最悪 さいあく の暴動 ぼうどう は、1969年 ねん に再 ふたた び中国人 ちゅうごくじん とマレー人 じん の間 あいだ に起 お こった5月13日 にち 事件 じけん である。これは、民族 みんぞく 間 あいだ における経済 けいざい 的 てき 不釣合 ふつりあい いを減少 げんしょう させることを目的 もくてき としたマレーシア新 しん 経済 けいざい 政策 せいさく (英語 えいご 版 ばん ) や、ルクネガラ (英語 えいご 版 ばん ) と呼 よ ばれる全 すべ ての民族 みんぞく 間 あいだ での団結 だんけつ を奨励 しょうれい したマレーシアの国家 こっか 指針 ししん などの政策 せいさく 導入 どうにゅう や、ディーパラヤ (英語 えいご 版 ばん ) (ディーワーリー とハリラヤ・プアサ の混成 こんせい )やコンシーラヤ (英語 えいご 版 ばん ) (旧 きゅう 正月 しょうがつ とハリラヤ・プアサの混成 こんせい )などの習合 しゅうごう 祭事 さいじ の啓蒙 けいもう につながっていった。教育 きょういく 面 めん では、当地 とうち で話 はな されている言語 げんご を活用 かつよう した教育 きょういく (マレーシア 教育 きょういく の章 しょう を参照 さんしょう )が国 くに の教育 きょういく 政策 せいさく として取 と り入 い れられ、中国 ちゅうごく を除 のぞ いて、マレーシアのみが世界 せかい で唯一 ゆいいつ 中国 ちゅうごく 語 ご での教育 きょういく システムを持 も っている国 くに である[17] 。
これらの多元 たげん 論 ろん 的 てき 政策 せいさく は、非 ひ 宗教 しゅうきょう やイスラム教 いすらむきょう ではない宗教 しゅうきょう の影響 えいきょう に反対 はんたい する正統 せいとう 派 は イスラム教徒 きょうと やイスラム主義 しゅぎ 政党 せいとう から圧力 あつりょく を受 う けており、この問題 もんだい は論争 ろんそう の的 まと になっているマレーシアでの信教 しんきょう の自由 じゆう (英語 えいご 版 ばん ) に関 かか わっている。
ドイツ では、トルコ人 じん を始 はじ めとする、約 やく 5%のムスリム が居住 きょじゅう しているが、近年 きんねん 、ドイツ人 じん との摩擦 まさつ が注目 ちゅうもく されるようになってきている。
文化 ぶんか 人類 じんるい 学者 がくしゃ から、文化 ぶんか というコンセプトの持 も つ抑圧 よくあつ 性 せい の自覚 じかく と反省 はんせい のうえにたっていれば、多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ は現状 げんじょう 改善 かいぜん のための有効 ゆうこう な理念 りねん であるが、文化 ぶんか の境界 きょうかい 性 せい を権力 けんりょく の側 がわ が勝手 かって に設定 せってい してしまう承認 しょうにん を通 とお した管理 かんり にすぎず、また「違 ちが いを尊重 そんちょう 」する土俵 どひょう を隠蔽 いんぺい してしまうことが問題 もんだい 視 し されている[18] [19] 。これらの議論 ぎろん は文化 ぶんか という概念 がいねん がもはや政治 せいじ 化 か しており、文化 ぶんか 人類 じんるい 学 がく のなかの「文化 ぶんか というコンセプトが過剰 かじょう に本質 ほんしつ 主義 しゅぎ 化 か し、抑圧 よくあつ の道具 どうぐ となっているから廃止 はいし すべきだ」という議論 ぎろん [20] や、ナショナリズム研究 けんきゅう における「国民 こくみん 文化 ぶんか というものは近代 きんだい における政治 せいじ 的 てき 意図 いと のもとに想像 そうぞう (創造 そうぞう )されたもの」[21] [22] を踏 ふ まえ、「そこから真正 しんせい 性 せい の文化 ぶんか というものを識別 しきべつ 可能 かのう だということすらもはや幻想 げんそう である」[23] という議論 ぎろん が底 そこ にある。
多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ を批判 ひはん する人 ひと たちは、互 たが いに影響 えいきょう し合 あ いながらも異 こと なる文化 ぶんか が穏 おだ やかに共存 きょうぞん するという多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ の理想 りそう が、持続 じぞく 可能 かのう なものなのか、逆説 ぎゃくせつ 的 てき なものなのか、あるいは望 のぞ ましいものなのかについて、しばしば論争 ろんそう になっている[24] [25] [26] 。これまで独自 どくじ の文化 ぶんか 的 てき アイデンティティの代名詞 だいめいし であった国民 こくみん 国家 こっか が、強制 きょうせい 的 てき な多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ に負 ま けてしまい、結果 けっか 的 てき に受入 うけいれ 国 こく が有 ゆう する独自 どくじ の文化 ぶんか を破壊 はかい してしまうという主張 しゅちょう がある[27] 。
サラ・ソングは、文化 ぶんか とはその構成 こうせい 員 いん によって歴史 れきし 的 てき に形成 けいせい されてきたものであり、グローバル化 か によって境界 きょうかい がなくなったことで、他 た の人 ひと が思 おも っているよりも文化 ぶんか が強 つよ いものになっていると考 かんが えている[28] 。さらに、文化 ぶんか は相互 そうご に建設 けんせつ 的 てき であり、支配 しはい 的 てき な文化 ぶんか によって形成 けいせい されると考 かんが え、特別 とくべつ な権利 けんり という概念 がいねん に反対 はんたい している。ブライアン・バリーは、政治 せいじ 分野 ぶんや における文化 ぶんか の違 ちが いを無視 むし したアプローチを提唱 ていしょう しており、グループベースの権利 けんり は、個人 こじん を基本 きほん とする普遍 ふへん 主義 しゅぎ 的 てき なリベラル・プロジェクトに反 はん していると考 かんが えている[29] 。
ハーバード大学 だいがく の政治 せいじ 学 がく の教授 きょうじゅ であるロバート・D・パットナム は、多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ が社会 しゃかい 的 てき 信頼 しんらい にどのような影響 えいきょう を与 あた えるかについて、約 やく 10年 ねん にわたる研究 けんきゅう を行 おこな った[30] 。アメリカの40のコミュニティで2万 まん 6,200人 にん を対象 たいしょう に調査 ちょうさ を行 おこな ったところ、階級 かいきゅう や収入 しゅうにゅう などの要素 ようそ を調整 ちょうせい したデータでは、人種 じんしゅ 的 てき に多様 たよう なコミュニティほど信頼 しんらい 感 かん の喪失 そうしつ が大 おお きいことが明 あき らかになった。多様 たよう 性 せい のある地域 ちいき の人々 ひとびと は、「地元 じもと の市長 しちょう も新聞 しんぶん も信用 しんよう せず、他人 たにん も組織 そしき も信用 しんよう しない」とパットナムは記 しる している[31] 。このような民族 みんぞく 的 てき 多様 たよう 性 せい がある中 なか で、パットナムは「私 わたし たちは身 み を潜 ひそ めて、亀 かめ のように行動 こうどう する。多様 たよう 性 せい の効果 こうか は想像 そうぞう 以上 いじょう に悪 わる い。それは、自分 じぶん とは違 ちが う人 ひと を信用 しんよう しないということだけではない。多様 たよう 性 せい のあるコミュニティでは、私 わたし たちは自分 じぶん に似 に ていない人 ひと を信用 しんよう しない」と述 の べている[30] 。しかし、パットナムは、「多様 たよう 性 せい に対 たい するアレルギーは、次第 しだい に薄 うす れ、消 き えていくものである……長 なが い目 め で見 み れば、私 わたし たちはより良 よ くなると思 おも う」とも述 の べている[32] 。パットナムは、自分 じぶん が社会 しゃかい の多様 たよう 性 せい に反対 はんたい しているという主張 しゅちょう を否定 ひてい し、自分 じぶん の論文 ろんぶん が人種 じんしゅ 差別 さべつ 的 てき な大学 だいがく 入学 にゅうがく に反対 はんたい するように「ねじ曲 ま げられた」と主張 しゅちょう した。また、パットナムは「広範 こうはん な研究 けんきゅう と経験 けいけん から、人種 じんしゅ や民族 みんぞく の多様 たよう 性 せい を含 ふく む多様 たよう 性 せい が社会 しゃかい に大 おお きな利益 りえき をもたらすことが確認 かくにん されている」と主張 しゅちょう している[33] 。
民族 みんぞく 学者 がくしゃ のフランク・サルターは次 つぎ のように記 しる している。
相対 そうたい 的 てき に同質 どうしつ な社会 しゃかい では、公共 こうきょう 財 ざい への投資 とうし が多 おお く、公共 こうきょう の利他 りた 性 せい が高 たか いことを示 しめ している。例 たと えば、民族 みんぞく の同質 どうしつ 性 せい の度合 どあ いは、国内 こくない 総 そう 生産 せいさん に占 し める政府 せいふ の割合 わりあい や国民 こくみん の平均 へいきん 的 てき な富 とみ と相関 そうかん している。アメリカ、アフリカ、東南 とうなん アジアの事例 じれい では、多 た 民族 みんぞく 社会 しゃかい は慈善 じぜん 心 しん が薄 うす く、公共 こうきょう インフラの整備 せいび に協力 きょうりょく 的 てき ではないことがわかっている。そして、モスクワの物乞 ものご いは、他 た の民族 みんぞく よりも仲間 なかま の民族 みんぞく から多 おお くの贈 おく り物 もの を受 う け取 と る。米国 べいこく の自治体 じちたい の公共 こうきょう 財 ざい への支出 ししゅつ に関 かん する最近 さいきん の複数 ふくすう 都市 とし の調査 ちょうさ では、民族 みんぞく や人種 じんしゅ が多様 たよう な都市 とし は、同質 どうしつ 性 せい の高 たか い都市 とし に比 くら べて、予算 よさん の一部 いちぶ や一人 ひとり 当 あ たりの公共 こうきょう サービスへの支出 ししゅつ が少 すく ないことがわかった[34] 。
民主党 みんしゅとう の元 もと コロラド州 しゅう 知事 ちじ で3期 き 務 つと めたディック・ラムは、「世界中 せかいじゅう の多様 たよう な民族 みんぞく は殺 ころ し合 あ っていないときには、ほとんどが憎 にく しみ合 あ っている――多様 たよう で平和 へいわ で安定 あんてい した社会 しゃかい は、ほとんどの歴史 れきし 的 てき 前例 ぜんれい に反 はん している」と主張 しゅちょう した[35] 。
アメリカの古典 こてん 主義 しゅぎ 者 しゃ ビクター・デイビス・ハンソンは、モクテスマとコルテスの「合理 ごうり 性 せい 」の違 ちが いを用 もち いて、西洋 せいよう 文化 ぶんか が全 ぜん 世界 せかい のあらゆる文化 ぶんか よりも優 すぐ れていることを主張 しゅちょう し、多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ はすべての文化 ぶんか を平等 びょうどう に扱 あつか う誤 あやま った教義 きょうぎ であると否定 ひてい している[36] 。
公式 こうしき には2つの文化 ぶんか を持 も つニュージーランド (アオテアロア )では、多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ はニュージーランドの先住民 せんじゅうみん であるマオリ への脅威 きょうい とみなされており[なぜ? ] 、ニュージーランド政府 せいふ がマオリの自決 じけつ 要求 ようきゅう を弱 よわ め、同化 どうか を促進 そくしん しようとしているのではないかと考 かんが えられている[37] 。
極右 きょくう のシンパは、グローバルブランドの多 た 文化 ぶんか 広告 こうこく に反対 はんたい する多数 たすう のオンラインの言説 げんせつ 活動 かつどう に参加 さんか することが増 ふ えていることが示 しめ されている[38] 。
リベラル 的 てき な理想 りそう 主義 しゅぎ から先進 せんしん 国 こく で展開 てんかい された多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ 的 てき な政策 せいさく は、現代 げんだい 社会 しゃかい に少 すく なくない軋轢 あつれき を生 う み出 だ した。なお、2010年 ねん 、ドイツのアンゲラ・メルケル 首相 しゅしょう が「多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ は完全 かんぜん に失敗 しっぱい した」と発言 はつげん したことが移民 いみん 受 う け入 い れの反省 はんせい を示 しめ したとよく誤解 ごかい されているが、これは多 た 文化 ぶんか 主義 しゅぎ がお互 たが いに干渉 かんしょう しないことを尊重 そんちょう しすぎたことの反省 はんせい であり、複文 ふくぶん 化 か 主義 しゅぎ が普及 ふきゅう するきっかけとなった。[39] 。
コミュニティ グローバル化 か と社会 しゃかい 理論 りろん の変容 へんよう (ジェラード・デランティ)
出典 しゅってん ・脚注 きゃくちゅう [ 編集 へんしゅう ]
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