文化ぶんか主義しゅぎ

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文化ぶんか主義しゅぎ(たぶんかしゅぎ、えい: multiculturalism)という用語ようごは、政治せいじ哲学てつがく社会しゃかいがく日常にちじょう生活せいかつでは、基本きほんてきに「民族みんぞく多元たげん主義しゅぎ」と同義語どうぎごである。ほかにもおおきな集団しゅうだんないにあるちいさな集団しゅうだんが、ことなる文化ぶんかでありながらもおおきな集団しゅうだん馴染なじんでいることを意味いみする、文化ぶんか多元たげん主義しゅぎ意味いみすることもある[1]

政治せいじ哲学てつがくとしての文化ぶんか主義しゅぎには、様々さまざまイデオロギー政策せいさくがある[2]文化ぶんか主義しゅぎは「サラダボウル」や「文化ぶんかてきモザイク」と表現ひょうげんされ[3]、「人種じんしゅのるつぼ」とは対照たいしょうてきである[4]。ある国家こっかない民族みんぞく文化ぶんかひとしく尊重そんちょうし、民族みんぞく共存きょうぞん積極せっきょくてきはかっていこうとする思想しそう運動うんどう政策せいさく[5]

概要がいよう[編集へんしゅう]

文化ぶんか主義しゅぎへの懐疑かいぎ否定ひていは、グローバリゼーションアイデンティティ政治せいじらは「たんリベラルだとバッシングをけ、タブーとされてきた。しかし、移民いみんさきへの同化どうかさせない「寛容かんよう」な文化ぶんか主義しゅぎ政策せいさくは、結局けっきょくイスラム教いすらむきょうけんをルーツに人々ひとびと中心ちゅうしんに、移民いみんさき世俗せぞくてき先進せんしんこく現地げんち文化ぶんかにも習得しゅうとくせず、移民いみんもとの「氏族しぞく社会しゃかい」や法体ほうたいけい維持いじし、宗教しゅうきょうやテロ思想しそう傾倒けいとうする世俗せぞく主義しゅぎしゃ多数たすうて、移民いみんさき社会しゃかい分断ぶんだんんだ。移民いみんさき社会しゃかいへの統合とうごう失敗しっぱい福祉ふくしなどによる財政ざいせいてき負担ふたん増加ぞうか国内こくないにおける社会しゃかい結束けっそく亀裂きれつ相互そうご信頼しんらいらぎは、移民いみんさき先進せんしんこくにおけるリベラリズム世俗せぞく主義しゅぎ民主みんしゅ主義しゅぎ言論げんろん自由じゆうというかんがえをもおどかしている。「文化ぶんか主義しゅぎ」を推進すいしんした欧州おうしゅうくにでは、おも居住きょじゅうこく価値かちかんよりムスリムコミュニティーを重視じゅうしする移民いみんとの文化ぶんか戦争せんそうから、2010年代ねんだい文化ぶんか主義しゅぎや「ダイバーシティ尊重そんちょう」は失敗しっぱいだったと判明はんめいしたかく先進せんしんこくで、方向ほうこう転換てんかん批判ひはん政党せいとう台頭たいとうこっている[6][7][8][9]

知識ちしきじんそうは、イスラム教いすらむきょうけんからの移民いみん出身しゅっしんしゃも、移民いみんさき先進せんしんこく長年ながねんらすと、「自由じゆう民主みんしゅ主義しゅぎてき価値かちかんになじみ、それを受容じゅようするはず」と想定そうていしていた。しかし、実際じっさいには、彼等かれらのかなりが言論げんろん自由じゆう男女だんじょ平等びょうどうなど移民いみんさきこくとの価値かちかん共有きょうゆうせず、宗教しゅうきょう優先ゆうせんしている。欧州おうしゅう学者がくしゃやマスコミは、「政治せいじてきただしさ」(ポリティカル・コレクトネス)に過敏かびんになっており、「移民いみんれ」に肯定こうていてき意見いけん調査ちょうさ結果けっか積極せっきょくてき報道ほうどうする一方いっぽう否定ひていてきなものには「報道ほうどうしない自由じゆう」を行使こうししてきた。旧来きゅうらい欧州おうしゅう価値かちかん共有きょうゆうしない世俗せぞく主義しゅぎ移民いみん増加ぞうかで、自由じゆう民主みんしゅ主義しゅぎ世俗せぞく主義しゅぎ欧州おうしゅうげつつある[10]

政策せいさくとしての事例じれい[編集へんしゅう]

文化ぶんか主義しゅぎは、1970年代ねんだいから、すうカ国かこく政策せいさく適用てきようされてきた。くにによって、その理由りゆうはさまざまである。

カナダ[編集へんしゅう]

カナダ・トロントにある文化ぶんか主義しゅぎ記念きねん
同一どういつ彫刻ちょうこくが4つ存在そんざいしており、その彫刻ちょうこくみなみアフリカバッファローシティ英語えいごばんにある

カナダにおける文化ぶんか主義しゅぎかんがかたはじめて明確めいかくべられたのは1964ねんカナダ進歩しんぽ保守党ほしゅとう上院じょういん議員ぎいんポール・ユージック英語えいごばん上院じょういん議会ぎかいにおけるはつ演説えんぜつなかであった。また、おもケベックしゅうのみに集中しゅうちゅうしているフランス語ふらんすご話者わしゃ不満ふまんこたえるかたち1963ねん政府せいふはカナダ王立おうりつ委員いいんかいひらき、言語げんごおよ文化ぶんか問題もんだい英語えいごばんについての検討けんとうかさねた。このうごきをけて1971ねん文化ぶんか主義しゅぎ正式せいしき政策せいさくとして採用さいようされた。王立おうりつ委員いいんかい報告ほうこくしょなかで、「カナダ政府せいふはカナダが言語げんごおよ文化ぶんかによって構成こうせいされる社会しゃかいであることを認識にんしきし、この性格せいかく維持いじするための政策せいさく実施じっしすべきである」と提唱ていしょうした。

その、この文化ぶんか主義しゅぎ英語えいごばん多方面たほうめんからの批判ひはんさらされることになった。たしかにインドではすで文化ぶんか主義しゅぎれられていたが、西洋せいよう諸国しょこくでは前例ぜんれいがなく、カナダがはじめて採用さいようすることになったためである。

進歩しんぽ保守党ほしゅとう党首とうしゅジョン・ディーフェンベーカーは、文化ぶんか主義しゅぎがカナダ固有こゆう文化ぶんか伝統でんとうまもっていこうとする自身じしん姿勢しせい相反あいはんするものとみなしていた。また、当時とうじケベック・ナショナリズム英語えいごばんかれるわかフランス語ふらんすご話者わしゃつづけていたが、文化ぶんか主義しゅぎはこうした若者わかものたちを満足まんぞくさせるものでもなかった。

英語えいごフランス語ふらんすごといった言語げんごけんわず、おおくのカナダじんヶ国かこく併用へいようする文化ぶんか主義しゅぎしん政策せいさくきらっていたが、最大さいだい反対はんたい勢力せいりょく英語えいごけいでもフランス語ふらんすごけいでもなく、いわゆる「だいさん勢力せいりょく」とばれた文化ぶんか少数しょうすうのカナダじんであった。カナダ西部せいぶしゅうにおけるフランス語ふらんすご話者わしゃ人口じんこうは、その言語げんご話者わしゃ北京ぺきんといった中国ちゅうごくけいヒンディーといったインドけい日本語にほんごといったひがしアジアけいなど)とくらべると少数しょうすうであり、文化ぶんか主義しゅぎ現実げんじつそくしているとはえなかった。こういった少数しょうすう便宜べんぎはかるため、政策せいさく基本きほん方針ほうしんは「言語げんご文化ぶんか主義しゅぎ」から「言語げんご文化ぶんか主義しゅぎ」へとうつった。

自由党じゆうとう政権せいけんピエール・トルドー1971ねん10月8にち下院かいんにて「言語げんご骨格こっかくおさまる文化ぶんか主義しゅぎ政策せいさく実施じっし声明せいめい」を発表はっぴょうブライアン・マルルーニーひきいる進歩しんぽ保守党ほしゅとう政権せいけん1998ねん7がつ21にち勅許ちょっきょけて可決かけつした文化ぶんか主義しゅぎかんする決議けつぎしょ英語えいごばん先駆さきがけとなった。

実務じつむレベルでは、連邦れんぽう政府せいふによってかく少数しょうすう民族みんぞくたいする文化ぶんか保護ほご目的もくてきとした基金ききん交付こうふ開始かいしされた。基金ききんおも支援しえんさきとしては、民族みんぞく舞踊ぶよう競技きょうぎかいかく民族みんぞくのための交流こうりゅう施設しせつ建造けんぞうなどがげられる。これらはトルドーがかかげた「公平こうへい社会しゃかい」の実現じつげん目的もくてきとしたものというより、たん選挙せんきょ得票とくひょう目当めあてであったのではないかと批判ひはんんでいる。ブライアン・マルルーニーひきいる進歩しんぽ保守党ほしゅとう1984ねん選挙せんきょ勝利しょうりしたのちにも、文化ぶんか主義しゅぎ政策せいさくくつがえることはなかった。ただし、マルルーニー政権せいけん発足ほっそく以前いぜんから進歩しんぽ保守党ほしゅとう党員とういんらは、政権せいけん党是とうぜであるカナダ固有こゆう文化ぶんか伝統でんとう保持ほじする姿勢しせい乖離かいりしていることを批判ひはんしていた。とくトリニダード・トバゴ出身しゅっしん知識ちしきじんニール・ビスーンダス英語えいごばんは、文化ぶんか主義しゅぎ政府せいふ基本きほん方針ほうしんとすることに反対はんたいしている[11]

歴代れきだいのカナダ政府せいふ政治せいじ信条しんじょうもしくは公平こうへいせい観点かんてんから、文化ぶんか主義しゅぎが「社会しゃかいてきあるいは文化ぶんかてき障壁しょうへきやぶり、結果けっかとして国益こくえきするものだ」と主張しゅちょうつづけており、「国家こっかをまとまりのあるものにしていくうえでは政治せいじてきかたよった思想しそうではないのか」と疑問ぎもんする立場たちばから距離きょりいてきた。

カナダ国民こくみんおおくは、文化ぶんか主義しゅぎ国民こくみんから「カナダじんらしさ」をうばい、そのになればあらゆる集団しゅうだん各々おのおの独自どくじせい根拠こんきょことなる(むしろ特別とくべつな)待遇たいぐう要求ようきゅうしかねないという危険きけんせいみとめる一方いっぽうで、政策せいさく自体じたい人々ひとびとひとつの共通きょうつうした価値かちかんむすけており、結果けっかとして国家こっかへの帰属きぞく意識いしきたかめているという見方みかた支持しじしている。しかしながら、どう政策せいさくたいしては批判ひはんもある。2007ねん発表はっぴょうされたトロント大学だいがく調査ちょうさによると、最近さいきん白人はくじんけい移民いみんおおくは、みずからを「カナダじんである」とはみなしていないという[12]

カナダは1982ねんにイギリスから法的ほうてきめん完全かんぜん独立どくりつたしたが、そのさい制定せいていされたカナダ自主じしゅ憲法けんぽう英語えいごばんにある『カナダにおける権利けんり自由じゆう憲章けんしょう英語えいごばん[13] だい27せつなかに、文化ぶんか主義しゅぎ政策せいさく方針ほうしん追加ついかされることになった。

アメリカの歴史れきし学者がくしゃダイアン・ラヴィッチ英語えいごばんは、アメリカにおける「人種じんしゅのるつぼ」とカナダの「文化ぶんかのモザイク」についてろんじ、どちらとも文化ぶんか主義しゅぎではあるが前者ぜんしゃは「共存きょうぞんてき」、後者こうしゃは「自治じちてき」であると区別くべつした。ラヴィッチによると、左記さきふたつの文化ぶんか主義しゅぎにはつぎのような相違そういてんがあるという。まず共存きょうぞんてき文化ぶんか主義しゅぎは、各自かくじ文化ぶんかサブカルチャー社会しゃかい全体ぜんたい文化ぶんか渾然一体こんぜんいったいとなり、固有こゆう有益ゆうえき貢献こうけんをしている(共存きょうぞんしている)ととらえる。その一方いっぽう自治じちてき文化ぶんか主義しゅぎは、むしろ文化ぶんかあいだ差異さい維持いじする志向しこうせいがあるのだという

オーストラリア[編集へんしゅう]

オーストラリアは、カナダとほぼ同様どうよう文化ぶんか主義しゅぎ採用さいようしている。それゆえ、カナダにおいてられるような文化ぶんか主義しゅぎ政策せいさく数多かずおお実施じっしされており、そのいちれいとしてSBSげられるだろう。

1970年代ねんだい白人はくじん以外いがい移民いみん事実じじつじょう禁止きんしすることをむねとした政策せいさくはくつよし主義しゅぎ)がゴフ・ホイットラム政権せいけんによってられ、これが契機けいきとなってオーストラリアに文化ぶんか主義しゅぎ根付ねついた。とはいえ、この政策せいさく転換てんかんはオーストラリアがイギリスから分離ぶんりし、国家こっかとしての主体性しゅたいせい確立かくりつする過程かていいち側面そくめんぎなかったという指摘してきもある。

オーストラリアにおける「文化ぶんか主義しゅぎ」のかんがかた定義ていぎ)は、はくつよし主義しゅぎった当初とうしょくらべるとおおきく変化へんかしている。元々もともとは、一部いちぶ移民いみんことなる文化ぶんかけん出身しゅっしんしゃだとしても、オーストラリア社会しゃかいとの関係かんけい容認ようにんしようという程度ていどのものだったが、現在げんざいではことなる「文化ぶんかけん」の存在そんざい自体じたいをオーストラリア社会しゃかいなか容認ようにんしようというものにわっている。現在げんざい、このオーストラリアにおける「文化ぶんか主義しゅぎ」のかんがかたは、国民こくみんおおくがそれぞれ多様たよう文化ぶんかてき民族みんぞくてき背景はいけいち、またこの現状げんじょう承認しょうにんしているという事実じじついにさいにしばしばもちいられる。

オーストラリア移民いみん文化ぶんかしょう2005ねんどう国内こくないにおける労働ろうどうりょくの25%が国外こくがい出身しゅっしんしゃであり、40%がすくなくとも片親かたおや国外こくがい出身しゅっしんしゃであると推定すいていしている。

オーストラリアにおける最初さいしょ文化ぶんか主義しゅぎかんする国策こくさく1978ねんマルコム・フレーザー首相しゅしょう当時とうじひきいる自由党じゆうとう政権せいけんによって実施じっしされた。一連いちれん政策せいさくは、つぎボブ・ホーク労働党ろうどうとう政権せいけんがれた。1990年代ねんだい初頭しょとうポール・キーティング労働党ろうどうとう政権せいけん文化ぶんか主義しゅぎ支持しじする姿勢しせいくずさなかったが、オーストラリアのぜん首相しゅしょうジョン・ハワードは、「国家こっかとしての主体性しゅたいせい国民こくみん全体ぜんたい共有きょうゆうするべきだ」という理念りねんした文化ぶんか主義しゅぎ批判ひはんてきである。とはいえ、文化ぶんか主義しゅぎてき政策せいさくなん変更へんこうもなく存続そんぞくしている。ただし、アンドリュー・ボルト英語えいごばん代表だいひょうされる保守ほしゅ新聞しんぶんコラムニストらは、国家こっかてき同化どうか政策せいさく必要ひつようせい主張しゅちょうしている。

スウェーデン[編集へんしゅう]

スウェーデンにおいては、公式こうしきには1975ねん文化ぶんか主義しゅぎてき政策せいさくはじめた。この政策せいさくられる10ねんほどまえから、スウェーデンは深刻しんこく労働ろうどうしゃ不足ふそく見舞みまわれ、同時どうじ北欧ほくおう(スカンジナビア)諸国しょこくポーランドみなみヨーロッパ中東ちゅうとうからの移民いみん増加ぞうかしていた。このため、1979ねんまでにスウェーデンのぜん在住ざいじゅうしゃの11%が国外こくがい出身しゅっしんしゃとなった。これをけてスウェーデン政府せいふは、移民いみんたいして国内こくないはたら条件じょうけんとしてスウェーデンはなすことを要求ようきゅうし、同時どうじ大学だいがく学外がくがい講座こうざとして(スウェーデンの)語学ごがく研修けんしゅう無料むりょうけられるようにした。

複数ふくすう自治体じちたい大都市だいとしにおける一部いちぶ地区ちくにおいては、住民じゅうみんだい多数たすうがスウェーデンはなさず、文化ぶんかてきにもスウェーデンと馴染なじまないような地域ちいきまれた。そこでくには、移民いみんどもたちがスウェーデンまなぶための教室きょうしつかく学校がっこう創設そうせつし、他方たほう移民いみんらの出身しゅっしんこくおうじた言語げんご(=スウェーデン以外いがい言葉ことば)による教育きょういくあたえるこころ母国ぼこくプログラム[14]放課後ほうかご補習ほしゅうとして開始かいしした。これらの文化ぶんか主義しゅぎてき政策せいさくは、げん政権せいけんによってえず批判ひはんさらされており、さい検討けんとう段階だんかいはいっている。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく[編集へんしゅう]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく では政府せいふ政策せいさくとして文化ぶんか主義しゅぎ採用さいようしておらず、一部いちぶしゅう政府せいふ英語えいごとスペイン言語げんご常用じょうよう採用さいようしているのみである。しかし近年きんねんでは、アメリカ政府せいふ文化ぶんか主義しゅぎ支持しじする傾向けいこうにある。たとえばカリフォルニアしゅうでは、カナダのおおくのしゅうおなじように、運転うんてん免許めんきょさい試験しけん言語げんご選択せんたくすることが出来できる。

イギリス[編集へんしゅう]

保守党ほしゅとう政権せいけん1979ねんから1997ねんあいだ)では、文化ぶんか主義しゅぎてき発言はつげん左派さは陣営じんえいなかでのみ主張しゅちょうされるにとどまっていた。しかし、1997ねん以降いこう労働党ろうどうとう政権せいけん発足ほっそく以降いこう政府せいふ政策せいさく発言はつげん文化ぶんか主義しゅぎ影響えいきょうけている。げん政策せいさく先駆さきがけとなったものとしては、1965ねん制定せいてい以降いこう修正しゅうせいあんくわつづけられている「人種じんしゅ関係かんけいほう」や同様どうように1948ねん制定せいていされた「イギリス国籍こくせきほう」などがげられる。近年きんねんはアラブけい移民いみん増加ぞうかによって西欧せいおうてき価値かちかんとイスラムてき価値かちかん摩擦まさつ問題もんだいしている。2011ねん2がつデーヴィッド・キャメロン首相しゅしょうは「くにとしての文化ぶんか主義しゅぎ失敗しっぱいした」と公式こうしき発言はつげんした[15]文化ぶんか主義しゅぎ政策せいさく否定ひていてき態度たいど最近さいきん批評ひひょうとしては、ウガンダまれのヨークだい主教しゅきょうジョン・センタムやパキスタンまれのロチェスター教区きょうく主教しゅきょうマイケル・ナジラリなどがげられる。

マレーシア[編集へんしゅう]

マレまれ半島はんとうは、国際こくさいてき貿易ぼうえきやりとりの歴史れきしながく、半島はんとう民族みんぞくてき宗教しゅうきょうてきちに影響えいきょうをもたらしている。18世紀せいき以前いぜんマレーじん支配しはいてきだったのにたいし、イギリスじんあたらしい産業さんぎょうとも中国人ちゅうごくじんやインドじん労働ろうどうしゃ導入どうにゅうしたさいに、民族みんぞく構成こうせいはげしく変化へんかした。ペナンしゅうマラッカシンガポールなど当時とうじイギリスりょうマラヤぞくするいくつかの地域ちいきは、中国人ちゅうごくじんだい部分ぶぶんめるようになった。インド、中国ちゅうごく、マレーの3つの民族みんぞくとその少数しょうすう民族みんぞくグループあいだ共存きょうぞんは、マレーじん人口じんこう統計とうけい文化ぶんかてき位置付いちづけに影響えいきょうしたにもかかわらず、しゅとして平和へいわてきである。

マラヤ連邦れんぽう独立どくりつ以前いぜんは、マレーシア社会しゃかい契約けいやく英語えいごばんあたらしい社会しゃかい基礎きそとして交渉こうしょうされていた。マレーシア憲法けんぽう英語えいごばんにも反映はんえいされたその契約けいやくは、移民いみんたち市民しみんけんあたえられることやマレーじん特別とくべつ権利けんり保障ほしょうされていることがべられている。この政策せいさくはよくブミプトラ政策せいさくばれている。

マレーシア連邦れんぽうこく自体じたい設立せつりつは「人種じんしゅ数学すうがく」で重荷おもにわされてきた。当時とうじ首相しゅしょうトゥンク・アブドゥル・ラーマンは、サラワクしゅうボルネオとう北部ほくぶ英語えいごばん認可にんかされないかぎり、シンガポールも連邦れんぽう一部いちぶとしてみとめないとしていた。その首相しゅしょう主張しゅちょう根拠こんきょには、シンガポールの包含ほうがんによるあたらしい連邦れんぽうこくは、マレーじん代償だいしょうにして中国人ちゅうごくじんあたらしく多数たすう勢力せいりょくにしてしまうという懸念けねんがあった。その一方いっぽうで、ボルネオとうにあるそれらのしゅうふくめば、マレーじん多数たすうとして維持いじできることが背景はいけいにあった。

民族みんぞくあいだ緊張きんちょうは1963ねんのマレーシアこく設立せつりつともつづいた。人民じんみん行動こうどうとうもとひきいられたシンガポールと統一とういつマレー国民こくみん組織そしきひきいられた連邦れんぽう政府せいふとのあいだには社会しゃかい契約けいやくかんする議論ぎろんえず、このマレーじん中国人ちゅうごくじんあいだ緊張きんちょうは、のちにシンガポールで1964ねん人種じんしゅ暴動ぼうどう英語えいごばんこすこととなった。この暴動ぼうどうは、部分ぶぶんてきマレーシアからのシンガポール追放ついほう英語えいごばんうながすものとなった。おなごろ、マレーシアではマラヤ非常ひじょう事態じたい英語えいごばんとしてられる共産党きょうさんとうによる反乱はんらんこっていた。この紛争ふんそうは、中国人ちゅうごくじん支持しじマラヤ共産党きょうさんとうとイギリスがうしたてになっていたマレーじん支持しじ政府せいふとのあいだによるものととらえられている[16]

最悪さいあく暴動ぼうどうは、1969ねんふたた中国人ちゅうごくじんとマレーじんあいだこった5月13にち事件じけんである。これは、民族みんぞくあいだにおける経済けいざいてき不釣合ふつりあいいを減少げんしょうさせることを目的もくてきとしたマレーシアしん経済けいざい政策せいさく英語えいごばんや、ルクネガラ英語えいごばんばれるすべての民族みんぞくあいだでの団結だんけつ奨励しょうれいしたマレーシアの国家こっか指針ししんなどの政策せいさく導入どうにゅうや、ディーパラヤ英語えいごばんディーワーリーハリラヤ・プアサ混成こんせい)やコンシーラヤ英語えいごばんきゅう正月しょうがつとハリラヤ・プアサの混成こんせい)などの習合しゅうごう祭事さいじ啓蒙けいもうにつながっていった。教育きょういくめんでは、当地とうちはなされている言語げんご活用かつようした教育きょういくマレーシア教育きょういくしょう参照さんしょう)がくに教育きょういく政策せいさくとしてれられ、中国ちゅうごくのぞいて、マレーシアのみが世界せかい唯一ゆいいつ中国ちゅうごくでの教育きょういくシステムをっているくにである[17]

これらの多元たげんろんてき政策せいさくは、宗教しゅうきょうイスラム教いすらむきょうではない宗教しゅうきょう影響えいきょう反対はんたいする正統せいとうイスラム教徒きょうとイスラム主義しゅぎ政党せいとうから圧力あつりょくけており、この問題もんだい論争ろんそうまとになっているマレーシアでの信教しんきょう自由じゆう英語えいごばんかかわっている。

ドイツ[編集へんしゅう]

ドイツでは、トルコじんはじめとする、やく5%のムスリム居住きょじゅうしているが、近年きんねんドイツじんとの摩擦まさつ注目ちゅうもくされるようになってきている。

批判ひはん[編集へんしゅう]

文化ぶんか人類じんるい学者がくしゃから、文化ぶんかというコンセプトの抑圧よくあつせい自覚じかく反省はんせいのうえにたっていれば、文化ぶんか主義しゅぎ現状げんじょう改善かいぜんのための有効ゆうこう理念りねんであるが、文化ぶんか境界きょうかいせい権力けんりょくがわ勝手かって設定せっていしてしまう承認しょうにんとおした管理かんりにすぎず、また「ちがいを尊重そんちょう」する土俵どひょう隠蔽いんぺいしてしまうことが問題もんだいされている[18][19]。これらの議論ぎろん文化ぶんかという概念がいねんがもはや政治せいじしており、文化ぶんか人類じんるいがくのなかの「文化ぶんかというコンセプトが過剰かじょう本質ほんしつ主義しゅぎし、抑圧よくあつ道具どうぐとなっているから廃止はいしすべきだ」という議論ぎろん[20]や、ナショナリズム研究けんきゅうにおける「国民こくみん文化ぶんかというものは近代きんだいにおける政治せいじてき意図いとのもとに想像そうぞう創造そうぞう)されたもの」[21][22]まえ、「そこから真正しんせいせい文化ぶんかというものを識別しきべつ可能かのうだということすらもはや幻想げんそうである」[23]という議論ぎろんそこにある。

文化ぶんか主義しゅぎ批判ひはんするひとたちは、たがいに影響えいきょういながらもことなる文化ぶんかおだやかに共存きょうぞんするという文化ぶんか主義しゅぎ理想りそうが、持続じぞく可能かのうなものなのか、逆説ぎゃくせつてきなものなのか、あるいはのぞましいものなのかについて、しばしば論争ろんそうになっている[24][25][26]。これまで独自どくじ文化ぶんかてきアイデンティティの代名詞だいめいしであった国民こくみん国家こっかが、強制きょうせいてき文化ぶんか主義しゅぎけてしまい、結果けっかてき受入うけいれこくゆうする独自どくじ文化ぶんか破壊はかいしてしまうという主張しゅちょうがある[27]

サラ・ソングは、文化ぶんかとはその構成こうせいいんによって歴史れきしてき形成けいせいされてきたものであり、グローバルによって境界きょうかいがなくなったことで、ひとおもっているよりも文化ぶんかつよいものになっているとかんがえている[28]。さらに、文化ぶんか相互そうご建設けんせつてきであり、支配しはいてき文化ぶんかによって形成けいせいされるとかんがえ、特別とくべつ権利けんりという概念がいねん反対はんたいしている。ブライアン・バリーは、政治せいじ分野ぶんやにおける文化ぶんかちがいを無視むししたアプローチを提唱ていしょうしており、グループベースの権利けんりは、個人こじん基本きほんとする普遍ふへん主義しゅぎてきなリベラル・プロジェクトにはんしているとかんがえている[29]

ハーバード大学だいがく政治せいじがく教授きょうじゅであるロバート・D・パットナムは、文化ぶんか主義しゅぎ社会しゃかいてき信頼しんらいにどのような影響えいきょうあたえるかについて、やく10ねんにわたる研究けんきゅうおこなった[30]。アメリカの40のコミュニティで2まん6,200にん対象たいしょう調査ちょうさおこなったところ、階級かいきゅう収入しゅうにゅうなどの要素ようそ調整ちょうせいしたデータでは、人種じんしゅてき多様たようなコミュニティほど信頼しんらいかん喪失そうしつおおきいことがあきらかになった。多様たようせいのある地域ちいき人々ひとびとは、「地元じもと市長しちょう新聞しんぶん信用しんようせず、他人たにん組織そしき信用しんようしない」とパットナムはしるしている[31]。このような民族みんぞくてき多様たようせいがあるなかで、パットナムは「わたしたちはひそめて、かめのように行動こうどうする。多様たようせい効果こうか想像そうぞう以上いじょうわるい。それは、自分じぶんとはちがひと信用しんようしないということだけではない。多様たようせいのあるコミュニティでは、わたしたちは自分じぶんていないひと信用しんようしない」とべている[30]。しかし、パットナムは、「多様たようせいたいするアレルギーは、次第しだいうすれ、えていくものである……ながれば、わたしたちはよりくなるとおもう」ともべている[32]。パットナムは、自分じぶん社会しゃかい多様たようせい反対はんたいしているという主張しゅちょう否定ひていし、自分じぶん論文ろんぶん人種じんしゅ差別さべつてき大学だいがく入学にゅうがく反対はんたいするように「ねじげられた」と主張しゅちょうした。また、パットナムは「広範こうはん研究けんきゅう経験けいけんから、人種じんしゅ民族みんぞく多様たようせいふく多様たようせい社会しゃかいおおきな利益りえきをもたらすことが確認かくにんされている」と主張しゅちょうしている[33]

民族みんぞく学者がくしゃのフランク・サルターはつぎのようにしるしている。

相対そうたいてき同質どうしつ社会しゃかいでは、公共こうきょうざいへの投資とうしおおく、公共こうきょう利他りたせいたかいことをしめしている。たとえば、民族みんぞく同質どうしつせい度合どあいは、国内こくないそう生産せいさんめる政府せいふ割合わりあい国民こくみん平均へいきんてきとみ相関そうかんしている。アメリカ、アフリカ、東南とうなんアジアの事例じれいでは、民族みんぞく社会しゃかい慈善じぜんしんうすく、公共こうきょうインフラの整備せいび協力きょうりょくてきではないことがわかっている。そして、モスクワの物乞ものごいは、民族みんぞくよりも仲間なかま民族みんぞくからおおくのおくものる。米国べいこく自治体じちたい公共こうきょうざいへの支出ししゅつかんする最近さいきん複数ふくすう都市とし調査ちょうさでは、民族みんぞく人種じんしゅ多様たよう都市としは、同質どうしつせいたか都市としくらべて、予算よさん一部いちぶ一人ひとりたりの公共こうきょうサービスへの支出ししゅつすくないことがわかった[34]

民主党みんしゅとうもとコロラドしゅう知事ちじで3つとめたディック・ラムは、「世界中せかいじゅう多様たよう民族みんぞくころっていないときには、ほとんどがにくしみっている――多様たよう平和へいわ安定あんていした社会しゃかいは、ほとんどの歴史れきしてき前例ぜんれいはんしている」と主張しゅちょうした[35]

アメリカの古典こてん主義しゅぎしゃビクター・デイビス・ハンソンは、モクテスマとコルテスの「合理ごうりせい」のちがいをもちいて、西洋せいよう文化ぶんかぜん世界せかいのあらゆる文化ぶんかよりもすぐれていることを主張しゅちょうし、文化ぶんか主義しゅぎはすべての文化ぶんか平等びょうどうあつかあやまった教義きょうぎであると否定ひていしている[36]

公式こうしきには2つの文化ぶんかニュージーランドアオテアロア)では、文化ぶんか主義しゅぎはニュージーランドの先住民せんじゅうみんであるマオリへの脅威きょういとみなされており[なぜ?]、ニュージーランド政府せいふがマオリの自決じけつ要求ようきゅうよわめ、同化どうか促進そくしんしようとしているのではないかとかんがえられている[37]

極右きょくうのシンパは、グローバルブランドの文化ぶんか広告こうこく反対はんたいする多数たすうのオンラインの言説げんせつ活動かつどう参加さんかすることがえていることがしめされている[38]

リベラルてき理想りそう主義しゅぎから先進せんしんこく展開てんかいされた文化ぶんか主義しゅぎてき政策せいさくは、現代げんだい社会しゃかいすくなくない軋轢あつれきした。なお、2010ねん、ドイツのアンゲラ・メルケル首相しゅしょうが「文化ぶんか主義しゅぎ完全かんぜん失敗しっぱいした」と発言はつげんしたことが移民いみんれの反省はんせいしめしたとよく誤解ごかいされているが、これは文化ぶんか主義しゅぎがおたがいに干渉かんしょうしないことを尊重そんちょうしすぎたことの反省はんせいであり、複文ふくぶん主義しゅぎ普及ふきゅうするきっかけとなった。[39]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • コミュニティ グローバル社会しゃかい理論りろん変容へんよう(ジェラード・デランティ)

出典しゅってん脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Reynolds, Cecil R.; Fletcher-Janzen, Elaine, eds (2008). “Pluralism, Cultural”. Encyclopedia of Special Education. doi:10.1002/9780470373699.speced1627. ISBN 978-0-470-37369-9 
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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]