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千代ちよたかし山大やまだい八郎はちろう

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千代ちよ天山あまやま だい八郎はちろう(ちよてんざん だいはちろう、1976ねん2がつ6にち - )は、大阪おおさか大阪おおさか東住吉ひがしすみよし出身しゅっしん九重ここのえ部屋へや所属しょぞくしたもと大相撲おおずもう力士りきし本名ほんみょうすみ 大八だいはちろう(すみ だいはちろう)であり、だいはちろう戸籍こせきじょう本名ほんみょうである。身長しんちょう183cm、体重たいじゅう150kg。得意とくいしゅみぎよっつ、り。最高さいこう西にし小結こむすび(1999ねん7がつ場所ばしょ)。趣味しゅみ読書どくしょ愛称あいしょうはハチ、血液けつえきがたはOがた

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

出生しゅっしょうは1380gのちょう未熟みじゅくで、1ねんはん以上いじょう保育ほいくそだてられた。調理ちょうり目指めざしていたこともあったが、中学ちゅうがく2年生ねんせいころ千代ちよ富士ふじ出会であったことで角界かくかいりを決意けついし、中学校ちゅうがっこう卒業そつぎょう九重ここのえ部屋へや入門にゅうもん。1991ねん3がつ場所ばしょにて15さいはつ土俵どひょうんだ。同期どうきには、前頭まえがしらきむ開山かいさんどう春日かすがにしきなどがいる[1]

以来いらい順調じゅんちょう出世しゅっせし、入門にゅうもんから3ねん幕下まくした昇進しょうしんした。

幕下まくした上位じょうい苦労くろうした時期じきもあったが、柔軟じゅうなんさをかしたひだりよっつの相撲すもうみがきをかけ、1997ねん1がつ場所ばしょしんじゅうりょう昇進しょうしんした。

1999ねん1がつ場所ばしょしん入幕にゅうまくたし、どう場所ばしょから3場所ばしょ連続れんぞくさんしょう受賞じゅしょうするという、大相撲おおずもう史上しじょうはじめての快挙かいきょ達成たっせいして周囲しゅういおどろかせた。そして同年どうねん7がつ場所ばしょで、早々そうそう小結こむすびへの昇進しょうしんたした。どう場所ばしょでは3しょう12はいおおきくし、さんやく経験けいけん結局けっきょくこの1場所ばしょのみにわっている。当時とうじは、まさやまとライバル関係かんけいにあった。そのみやびやまには2001ねん3がつ場所ばしょしんまりしゅであるしょうづまりでっただい1ごう。2001ねん1がつ結婚けっこん

そのも、2000ねん11月場所ばしょと2001ねん3がつ場所ばしょ武蔵丸むさしまるち、それぞれ金星かなぼし獲得かくとくするなどした。

しかし、2002ねん1がつ場所ばしょ左足ひだりあしかかとこつ骨折こっせつし、その影響えいきょうから調子ちょうしとし、2003ねん5がつ場所ばしょでは幕下まくしたにまで陥落かんらくした。一時いちじ復調ふくちょうし2004ねん3がつ場所ばしょさい入幕にゅうまくたしたものの、今度こんど内臓ないぞう疾患しっかんにより本来ほんらい相撲すもうれずじゅうりょう下位かい低迷ていめいし、2005ねん11月場所ばしょ最後さいごふたた幕下まくした陥落かんらくした。

以降いこう関取せきとりへの復帰ふっき目指めざして土俵どひょうがりつづけたが、2007ねん5がつ場所ばしょではさんだんにまで陥落かんらくしてしまった。三役さんやく経験けいけんしゃがこの地位ちいまでがる事例じれいは、出羽でわだけ大豊たいほうとち赤城せきじょうともえ富士ふじいで、昭和しょうわ以降いこうでは5にん平成へいせい以降いこうでは3にん)のこととなった。

それ以降いこう関取せきとり地位ちいへはもどれず、さんだん上位じょうい在位ざいいしていた2008ねん1がつ場所ばしょ初日しょにち相撲すもう最後さいごに31さい引退いんたいした。

年寄としより名跡みょうせき取得しゅとくできなかったため、引退いんたい角界かくかいからはなれ、理由りゆうさだかではないが引退いんたい相撲すもう開催かいさいされることはなかった。

そのは、2008ねん2がつから料理人りょうりにん見習みならいをはじ[2]、2009ねん6がつ和歌山わかやまけん白浜しらはままちで「力士りきし厨房ちゅうぼう せんだい天山てんざん」を開業かいぎょうしている[3]白浜しらはままち店舗てんぽかまえたのはつま実家じっか白浜しらはままちにあるためであり、長男ちょうなん生活せいかつ環境かんきょうかんがえたうえでのことでもある。2013ねん8がつ脊髄せきずいえんいち手前てまえ診断しんだんされ、2015ねん12月に再開さいかいするまで店舗てんぽ休業きゅうぎょうしていた[4]

2002ねん9がつには、びとはだかにしたうえエアガン暴行ぼうこうくわえていたことなどが報道ほうどうされた[5]

おも成績せいせき記録きろく[編集へんしゅう]

  • 通算つうさん成績せいせき:519しょう541はい33きゅう 勝率しょうりつ.490
  • 幕内まくうち成績せいせき:144しょう181はい20きゅう 勝率しょうりつ.443
  • 現役げんえき在位ざいい:102場所ばしょ
  • 幕内まくうち在位ざいい:23場所ばしょ
  • さんやく在位ざいい:1場所ばしょ小結こむすび1場所ばしょ
  • さんしょう:3かい
    • 殊勲賞しゅくんしょう:1かい(1999ねん5がつ場所ばしょ
    • 敢闘かんとうしょう:2かい(1999ねん1がつ場所ばしょ同年どうねん3がつ場所ばしょ
  • 金星かなぼし:3武蔵丸むさしまる2若乃花わかのはな1個いっこ
  • かくだん優勝ゆうしょう
    • 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう:1かい1998ねん9月場所ばしょ

場所ばしょべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

千代ちよ天山あまやま だい八郎はちろう
いちがつ場所ばしょ
初場所はつばしょ東京とうきょう
さんがつ場所ばしょ
春場所はるばしょ大阪おおさか
五月ごがつ場所ばしょ
夏場所なつばしょ東京とうきょう
なながつ場所ばしょ
名古屋なごや場所ばしょ愛知あいち
九月場所くがつばしょ
秋場所あきばしょ東京とうきょう
十一月じゅういちがつ場所ばしょ
九州きゅうしゅう場所ばしょ福岡ふくおか
1991ねん
平成へいせい3ねん
x ぜん相撲すもう ひがし序ノ口じょのくち15まい
4–3 
ひがしじょだん115まい
2–5 
ひがし序ノ口じょのくち5まい
3–4 
西にし序ノ口じょのくち8まい
5–2 
1992ねん
平成へいせい4ねん
ひがしじょだん100まい
5–2 
西にしじょだん52まい
3–4 
ひがしじょだん79まい
3–4 
ひがしじょだん101まい
4–3 
西にしじょだん74まい
0–1–6 
ひがしじょだん145まい
7–0 
1993ねん
平成へいせい5ねん
ひがしさんだん98まい
5–2 
西にしさんだん67まい
4–3 
西にしさんだん48まい
1–3–3 
ひがしさんだん78まい
5–2 
西にしさんだん42まい
5–2 
ひがしさんだん16まい
1–3–3 
1994ねん
平成へいせい6ねん
ひがしさんだん52まい
6–1 
ひがしさんだん6まい
1–6 
西にしさんだん37まい
4–3 
西にしさんだん24まい
5–2 
ひがし幕下まくした57まい
5–2 
西にし幕下まくした36まい
2–5 
1995ねん
平成へいせい7ねん
ひがし幕下まくした60まい
5–2 
西にし幕下まくした36まい
5–2 
西にし幕下まくした22まい
4–3 
西にし幕下まくした18まい
4–3 
ひがし幕下まくした13まい
3–4 
ひがし幕下まくした18まい
4–3 
1996ねん
平成へいせい8ねん
西にし幕下まくした12まい
4–3 
ひがし幕下まくした9まい
3–4 
ひがし幕下まくした17まい
3–4 
西にし幕下まくした22まい
4–3 
ひがし幕下まくした17まい
6–1 
西にし幕下まくした4まい
5–2 
1997ねん
平成へいせい9ねん
ひがしじゅうりょう12まい
8–7 
西にしじゅうりょう9まい
7–8 
西にしじゅうりょう10まい
5–10 
西にし幕下まくした筆頭ひっとう
5–2 
西にしじゅうりょう11まい
9–6 
ひがしじゅうりょう5まい
6–9 
1998ねん
平成へいせい10ねん
ひがしじゅうりょう8まい
8–7 
ひがしじゅうりょう6まい
8–7 
ひがしじゅうりょう4まい
7–8 
西にしじゅうりょう6まい
7–8 
ひがしじゅうりょう8まい
優勝ゆうしょう
12–3
ひがしじゅうりょう2まい
9–6 
1999ねん
平成へいせい11ねん
ひがし前頭まえがしら14まい
10–5
ひがし前頭まえがしら9まい
9–6
ひがし前頭まえがしら3まい
9–6
こと
西にし小結こむすび
3–12 
ひがし前頭まえがしら6まい
6–9 
西前にしまえあたま8まい
7–8 
2000ねん
平成へいせい12ねん
ひがし前頭まえがしら11まい
9–6 
西前にしまえあたま5まい
6–9 
西前にしまえあたま6まい
6–9 
ひがし前頭まえがしら9まい
10–5 
ひがし前頭まえがしら2まい
6–9 
西前にしまえあたま3まい
6–9
2001ねん
平成へいせい13ねん
西前にしまえあたま6まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら2まい
7–8
西前にしまえあたま2まい
4–11 
西前にしまえあたま8まい
6–9 
ひがし前頭まえがしら11まい
8–7 
西前にしまえあたま8まい
8–7 
2002ねん
平成へいせい14ねん
ひがし前頭まえがしら4まい
3–7–5[6] 
西前にしまえあたま10まい
休場きゅうじょう
0–0–15
西前にしまえあたま10まい
5–10 
西前にしまえあたま13まい
5–10 
ひがしじゅうりょう5まい
8–7 
ひがしじゅうりょう4まい
3–12 
2003ねん
平成へいせい15ねん
西にしじゅうりょう12まい
4–11 
西にし幕下まくした6まい
5–2 
西にし幕下まくした2まい
5–2 
西にしじゅうりょう11まい
9–6 
ひがしじゅうりょう7まい
8–7 
ひがしじゅうりょう6まい
8–7 
2004ねん
平成へいせい16ねん
西にしじゅうりょう3まい
11–4 
西前にしまえあたま13まい
3–12 
ひがしじゅうりょう5まい
6–9 
西にしじゅうりょう6まい
5–10 
西にしじゅうりょう11まい
8–7 
西にしじゅうりょう10まい
6–9 
2005ねん
平成へいせい17ねん
西にしじゅうりょう13まい
5–10 
西にし幕下まくした2まい
5–2 
西にしじゅうりょう11まい
7–8 
ひがしじゅうりょう13まい
6–9 
ひがし幕下まくした2まい
5–2 
ひがしじゅうりょう10まい
4–11 
2006ねん
平成へいせい18ねん
ひがし幕下まくした2まい
2–5 
西にし幕下まくした8まい
2–5 
ひがし幕下まくした21まい
3–4 
ひがし幕下まくした28まい
3–4 
ひがし幕下まくした36まい
4–3 
ひがし幕下まくした29まい
4–3 
2007ねん
平成へいせい19ねん
西にし幕下まくした22まい
2–5 
ひがし幕下まくした41まい
2–5 
ひがしさんだん5まい
3–4 
西にしさんだん16まい
5–2 
西にし幕下まくした56まい
1–5–1 
西にしさんだん27まい
5–2 
2008ねん
平成へいせい20ねん
ひがしさんだん4まい
引退いんたい
0–1–0
x x x x x
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ

幕内まくうち対戦たいせん成績せいせき[編集へんしゅう]

力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう
あおいいつきさん 2 3 安芸乃島あきのしま 7 6 あけぼの 0 4 あさあおりゅう 1 0
あさ乃若 2 3 あさひゆたか 1 0 安美やすみにしき 1 2 しおまる 0 1
すめらぎ 2 5 だいいかり 1 2 だい日ノ出ひので 2 1 小城おぎにしき 4 4
魁皇かいおう 0 5(1) うみおおとり 5 3 春日かすがにしき 1 0 いわおゆう 2 1
きたさくら 3 0 旭鷲山きょくしゅうざん 4 6 旭天鵬きょくてんほう 6 6 きむ開山かいさん 2 1
五城ごじょうろう 2 0 きんわか 5 4 きん光喜みつよし 0 1 琴龍ことりゅう 4 5
敷島しきしま 3 3 十文字じゅうもんじ 1(1) 4 戦闘せんとうりゅう 1 0 だいいたり 1 0
大善だいぜん 3 1 貴闘力たかとうりき 8 1 貴ノ浪たかのなみ 1 13 貴乃花たかのはな 0 2
りゅう乃若 2 4 ごうふう 0 1 たま春日しゅんじつ 2 5 玉乃たまのとう 1 1
たまりょくどう 2 0 出島でじま 3 7 寺尾てらお 3 1 出羽でわあらし 1 0
たたかえきば 5 5 時津とぎつかい 4 5 土佐とさうみ 1 4 とちひがし 1 3
とちさかえ 0 5 とち乃洋 4 6 とち乃花 2 0 とち乃和 1 0
濵錦 4 1 はましま 2 3 追風おいかぜうみ 0 2 はるやま 0 1
肥後ひごうみ 5 2 普天ふてんおう 0 1 たけ雄山ゆうざん 0 4 水戸みといずみ 1 0
みなと富士ふじ 4 1 まさやま 2 6 武蔵丸むさしまる 3 6 武双山むそうやま 0 5
わかつとむ 2 0 わかさと 2 2 わかしろ 0 1 若乃花わかのはな 1 0
和歌わか乃山 5 6
※カッコないかちすう負数ふすうなかめる不戦勝ふせんしょう不戦敗ふせんぱいかず

改名かいめいれき[編集へんしゅう]

  • すみ 大八だいはちろう(すみ だいはちろう)1991ねん5がつ場所ばしょ-1993ねん5がつ場所ばしょ
  • 千代ちよ天山あまやま だい八郎はちろう(ちよてんざん - )1993ねん7がつ場所ばしょ-2008ねん1がつ場所ばしょ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 千代ちよ富士ふじ直弟子じきでし関取せきとりだいいちごう千代ちよ大海おおうみ龍二りゅうじよりから関取せきとりになったため千代ちよ富士ふじ直弟子じきでしおもわれがちだが、入門にゅうもん師匠ししょうきた富士ふじ勝昭かつあきであり、千代ちよ富士ふじはまだ現役げんえき横綱よこづな千代ちよ天山あまやまはつ土俵どひょうんだよく場所ばしょ引退いんたいして、その翌年よくねんきゅうじゅう部屋へや継承けいしょうして師匠ししょうとなっているためきた富士ふじ直弟子じきでし千代ちよ富士ふじ直弟子じきでしではない。
  2. ^ 今日きょうから”. もと千代ちよ天山あまやまブログ. (2008ねん2がつ1にち). http://tenzan.osakazine.net/e84144.html 
  3. ^ “オープンしました”. もと千代ちよ天山あまやまブログ. (2009ねん6がつ30にち). http://tenzan.osakazine.net/e196890.html 
  4. ^ もと小結こむすび千代ちよ天山てんざんさん 和歌山わかやま白浜しらはまでちゃんこいたちょう 日刊にっかんゲンダイ 2016ねん5がつ23にち
  5. ^ もと力士りきしきゅうじゅう親方おやかた提訴ていそ 「先輩せんぱい暴行ぼうこう苦痛くつう」と”. 共同通信きょうどうつうしん. (2002ねん9がつ6にち). https://web.archive.org/web/20100529165159/http://www.47news.jp/CN/200209/CN2002090601000501.html 
  6. ^ 左足ひだりあしかかとこつ骨折こっせつにより10日とおかから途中とちゅう休場きゅうじょう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]