千野ちの栄一えいいち

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千野ちの 栄一えいいち
人物じんぶつ情報じょうほう
生誕せいたん (1932-02-07) 1932ねん2がつ7にち
日本の旗 日本にっぽん東京とうきょう
死没しぼつ 2002ねん3月19にち(2002-03-19)(70さい
出身しゅっしんこう 東京外国語大学とうきょうがいこくごだいがく東京大学とうきょうだいがくカレル大学だいがく
子供こども 千野ちの花江はなえ
学問がくもん
研究けんきゅう分野ぶんや 言語げんごがく(スラブ語学ごがく)
研究けんきゅう機関きかん 東京教育大学とうきょうきょういくだいがく東京外国語大学とうきょうがいこくごだいがく和光大学わこうだいがく
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千野ちの 栄一えいいち(ちの えいいち、1932ねん2がつ7にち - 2002ねん3月19にち)は、日本にっぽん言語げんご学者がくしゃ翻訳ほんやく東京外国語大学とうきょうがいこくごだいがく名誉めいよ教授きょうじゅもと和光大学わこうだいがく学長がくちょう

せんもん言語げんごがく、およびチェコ中心ちゅうしんとしたスラブ語学ごがく

晩年ばんねんきゅう字体じたいの「千野ちの 榮一えいいち」と表記ひょうきした。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

1932ねん東京とうきょうゆたか多摩たまぐん渋谷しぶやまちげん東京とうきょう渋谷しぶやさかえどおり1丁目ちょうめまれ。1948ねん東京とうきょう都立とりつ高校こうこう旧制きゅうせい尋常じんじょうげん東京とうきょう都立とりつさくらおさむかん中等ちゅうとう教育きょういく学校がっこう修了しゅうりょう当時とうじからの友人ゆうじん地理ちり学者がくしゃ江波戸えばとあきらがいる。

1949ねん東京とうきょう都立とりつ高校こうこう高等こうとうげん東京都立大学とうきょうとりつだいがく修了しゅうりょう。1955ねん東京外国語大学とうきょうがいこくごだいがくだいよんロシア)を卒業そつぎょう。1958ねん東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶ言語げんごがく専攻せんこう卒業そつぎょうした。同年どうねんよりチェコスロヴァキア政府せいふ奨学生しょうがくせいとしてプラハカレル大学だいがく入学にゅうがくヨーゼフ・クルツチェコばん[1][2]のもとで古代こだい教会きょうかいスラヴならびにプラーグ学派がくは研究けんきゅうするとともに、1959ねんからはどう大学だいがく日本語にほんご講師こうしつとめた(1967ねんまで)。1964ねん、カレル大学だいがく文学部ぶんがくぶスラヴ修了しゅうりょう。1967ねん12月に帰国きこくした。

1969ねん東京教育大学とうきょうきょういくだいがく文学部ぶんがくぶ助教授じょきょうじゅとして着任ちゃくにんどう大学だいがく教授きょうじゅだった河野こうの六郎ろくろう親交しんこうふかめる。1976ねん助教授じょきょうじゅ、1977ねん教授きょうじゅ昇進しょうしん。1989ねんヨゼフ・チャペックカレル・チャペック研究けんきゅうする日本にっぽんチャペック兄弟きょうだい協会きょうかい設立せつりつ会長かいちょうとなる。1991ねん、ポーランドおよびチェコ新設しんせつともない、東京外国語大学とうきょうがいこくごだいがくロシア・東欧とうおう学科がっか教授きょうじゅ就任しゅうにんした。1994ねんどう大学だいがく定年ていねん退官たいかん名誉めいよ教授きょうじゅ。そのは、和光大学わこうだいがく人文学部じんぶんがくぶ文学ぶんがく教授きょうじゅとして教鞭きょうべんをとった。1997ねんから2001ねんまで、和光大学わこうだいがく学長がくちょうをつとめた。

2002ねん3がつ19にち国立こくりつ病院びょういん東京とうきょう医療いりょうセンター死去しきょ。2002ねん4がつ9にち朝日新聞あさひしんぶん惜別せきべつ」に学芸がくげい記者きしゃひだり恭子きょうこ追悼ついとうぶんされた。

受賞じゅしょう栄典えいてん[編集へんしゅう]

  • 1988ねん:チェコスロヴァキア国際こくさい交流こうりゅう協会きょうかい金賞きんしょう受賞じゅしょう
  • 1992ねん12月:『言語げんごがくだい辞典じてん』の業績ぎょうせきにより、だい46かい毎日まいにち出版しゅっぱん文化ぶんかしょう特別とくべつしょう受賞じゅしょう
  • 1994ねん11月:ポーランド功労こうろうじゅうあきら受章じゅしょう東京外国語大学とうきょうがいこくごだいがくポーランドおよびチェコ創設そうせつ功績こうせきにより、はら卓也たくやとも受章じゅしょうした。
  • 2000ねん9がつ文化ぶんか功労賞こうろうしょう(チェコ)を受賞じゅしょう日本にっぽんにおけるチェコ普及ふきゅうならびにチェコ文学ぶんがく・チェコ文化ぶんか紹介しょうかい功績こうせきによる。

家族かぞく親族しんぞく[編集へんしゅう]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

たんちょ[編集へんしゅう]

共著きょうちょ[編集へんしゅう]

  • 『チェコ入門にゅうもん』(千野ちのズデンカ共著きょうちょ白水しろみずしゃ) 1975

編著へんちょ[編集へんしゅう]

共編きょうへんちょ[編集へんしゅう]

  • 月刊げっかん言語げんご 別冊べっさつ1:アフリカの言語げんご文化ぶんか』(西にしこう雅之まさゆき大修館書店たいしゅうかんしょてん) 1974
  • 言語げんごがくだい辞典じてん』(亀井かめいたかし, 河野こうの六郎ろくろう三省堂さんせいどう) 1988
  • 世界せかい辞書じしょ』(竹林たけばやししげる, あずま信行のぶゆき研究けんきゅうしゃ) 1992
  • 日本にっぽん列島れっとう言語げんご』(亀井かめいたかし, 河野こうの六郎ろくろう三省堂さんせいどう) 1997
  • 『ヨーロッパの言語げんご』(亀井かめいたかし, 河野こうの六郎ろくろう三省堂さんせいどう) 1998
  • 世界せかいのことば100辞典じてん:ヨーロッパへん』(石井いしい米雄よねお三省堂さんせいどう) 1999
  • 世界せかいのことば100辞典じてん:アジアへん』(石井いしい米雄よねお三省堂さんせいどう) 1999
  • 世界せかい文字もじ辞典じてん』(河野こうの六郎ろくろう, 西田にしだ龍雄たつお三省堂さんせいどう) 2001
  • 世界せかいのことば・出会であいの表現ひょうげん辞典じてん』(石井いしい米雄よねお三省堂さんせいどう) 2004

翻訳ほんやく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

死後しご出版しゅっぱんされたエッセイしゅう。『言語げんごがく散歩さんぽ』、『言語げんごがくのたのしみ』、『注文ちゅうもんおお言語げんごがく』からのさいろくろし、りゃく年譜ねんぷ主要しゅよう著作ちょさくリストを収録しゅうろく

脚注きゃくちゅう参照さんしょう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]